立憲民主主義で語るくらしと政治パート3@越谷
12月13日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート3「貧困の連鎖を断ち切るために」と題して講演とシンポが開催され約170人の市民が参加しました。
野党の政党代表と市民がオープンのトークを通して、21世紀型の社会や地域を担う新たな社会関係資本の主体基盤をつくろう、とシリーズで開催してきたもので、今回が3回目となっています。
主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)。
オープニングセレモニーで、地元文教大学の二年の女子学生によるジャグリングや風船を使ったおもちゃの作成等の大道芸が披露された、会場はいきなり爆笑と柔らかな空気に包まれました。
主催者あいさつの佐々木新一弁護士に続き「いま、何故下流老人なのか」をテーマに{下流老人 一億総老後崩壊の衝撃}の著者で越谷市在住の藤田孝典氏が講演。
高齢化率がこれから40%位まで上がって行く状況の中では、消費税を含め税収を上げて社会保障に回してくしか方法がなくなっている。しかし、今は誰もが大切にされている感や受益感がないため、税を高めてみんなを助けるより、同じ立場やより弱い立場の人を攻撃する、排除する方向に進んでいると、強調されました。
また、身近な市議会や県議会や国会で税金の使い方をチェックすること。そしてインターネットを使いこなすことにより輿論を作り、政治を動かそう。
若い世代はもちろん、年配の方々ももっとネットの言論空間でまっとうな意見を発信するようになれば、さらに問題点が可視化されていくので、ネットスキルを上げることを推されました。
これを受けて、藤田氏を含め山川ゆり子埼玉県議(民進党)、平野厚子草加市議(共産党)、松田典子越谷市議(無所属)、尾澤あきつ越谷市民ネット代表によるパネルデスカッションが行われました。コーディネーターは白川秀嗣越谷市議(自治みらい代表)。
議論の柱は、現代の貧困問題は、@貧困自体が見えにくい A自己責任論が横行している B社会保障の財源をどうするのか、となりました。
平野市議や松田市議からは、それぞれの自治体における生活保護世帯や母子家庭等の数字による推移が報告されました。
また尾澤さんからは、子育て中の母親の支援を地域で取り組んでいるが、母親自身が幼い時から均質性を強制されており、他者との違いや弱みを見せることを極端に嫌う傾向がある。そのためまず徹底して普段のくらし向きのことを丁寧に聞くことが大切、と話された。
さらに、社会保障の財源の確保では、平野市議から整備新幹線での税金の支出は、なにひとつ問題にはならず、社会保障の話になった途端に財源を削減する話になってしまう。消費税の増税には反対だ、との発言がありました。
会場の参加者からは、累進課税による税収のアップが今必要ではないか、また子ども食堂を地域で取り組む場合に、何に注力しなければならないか等、質問や意見が出されました。
これに対し、藤田氏から消費税だけを問題にせずに、社会保障全体の制度設計の見直しや、あらゆる立場(自民党や経団連等を含め)の市民がフラットに話し合う機会をどう作るのか、が必要と主張されました。
コーディネーターの白川市議から、新たな格差や貧困の問題は、同時に人間の尊厳や基本的人権の問題と直結しており、その解決には立憲民主主義のツールをどう使いこなすのかが問われていると、集約されました。
最後に山田智之事務局長から、今後の行動提起がなされ、来年1月14日(土)午後1時から、越谷駅前広場での超党派の市議会議員や様々な市民とともに、アベミクスを考える市民の広場を開催すること等の呼びかけがありました。
この日は藤田氏の新著「続・下流老人」の発売日でもあり、本の紹介とともに販売が行われ用意した40冊は、即日完売するほど関心が高まりました。
集会終了後、藤田氏を含め主催者の市民や市議で、懇親会が開催され20人を超える参加者のため急きょ席を増やすほど、議論が持ち越されました。パフォーマンスをした文教大学生も参加して、一人一人感想を出し合いながら遅くまで交流会が続きました。
2016年望年会を開催
12月23日、恒例の望年会(教訓を「忘」れず新たな年を展「望」する)を開催。来年、都議選を控えるなか、会員地方議員をはじめ各地での活動が報告された。とくに今年は「チーム」としての関係性に根ざした報告が行われたのが、特徴的だ。
越谷の白川同人からは、感情が政治を大きく揺るがすようになるなかで、「遠くの敵」に仮託することなく、地域をはじめとする身近な関係性のなかで意見を戦わせることの重要性が提起された。利害が対立し、意見が異なるからこそ、そこに政治が必要になる。それは、単なる利害調整ではない、「人間として互いに尊重する」ための政治だろう。
乾杯の発声は、前田・前参院議員。長年の功績をたたえ、旭日大綬章とフランス、レジオンドヌール・シュヴァリエ、二つの叙勲を受けられた。「バッジをつけない主権者」として、いっそうのご活躍を。
「関西政経セミナー特別講演会&望年会in京都」を開催
12月7日、京都市内で「関西政経セミナー特別講演会&望年会in京都」を開催。
第一部は、諸富徹・京都大学教授による講演「地球環境×エネルギー×民主主義〜私たちはどこまで来て、どこに向かおうとしているのか」
諸富先生は、課題先進国の意味を「再生可能エネルギーへの転換」が環境政策のみならず、ダイナミックな産業構造の転換(第三次産業革命)につながる、環境政策と経済政策の融合であることを、ドイツの実例を引いて明確にした。パリ協定の早期発効の背景も、異常気象による自然災害の頻発によって、「気候変動リスク」が銀行や保険会社の危機感につながり、世界的な投資の流れに決定的な影響を与えていること(「物理的リスク」とともに、金融機関の顧客が異常気象によって賠償責任を問われる「信用リスク」、低炭素経済への「移行リスク」など)。さらにパリ協定(2100年CO2 のゼロエミッション合意)の発効は、化石燃料関連資産を「座礁資産」に変える。「熱狂ではなく、確実に」投資の流れは変化しつつある。
このような中で、注目されるのが中国の動向。トランプの米国がパリ協定へ距離を置こうとしているとき、(政権の正当性をかけ)大気汚染対策とCO2削減を一体で進めなければならない中国が、(はからずも)地球温暖化対策のトップランナーに躍り出る可能性も示唆された。日本ではあまり知られていないが、すでに中国では十数都市で実験的に「CO2排出量取引制度」が導入され、今後全国に拡大されることもありうるという。
一方、日本の産業界代表は「CO2削減の限界費用が高い日本で、これ以上削減の余地はない」(「乾いた雑巾」論)という後ろ向きの発言に終始しているが、日本でも「3・11」以降の再生可能エネルギーの急伸や省エネの拡大で、経済成長と二酸化炭素排出量の「切り離し」が顕著になりつつあるという事実も。わが政権の、パリ協定への不作為にも近い「批准遅れ」を指弾するのは容易だが、問題は私たち自身の経済社会がどこまで来ており、どこに向かおうとしているのかを「自分ごと」として考え、行動することではないか。
第二部は、恒例の「望年会」。冒頭で、戸田代表から「国民国家の枠内の『立憲主義』(○○ファースト)にとどまるか、国際立憲主義まで成長する民主主義の波をマネージするか」との示唆が。前田武志・前参議院議員は、乾杯の挨拶で「地球環境問題の解決に住民自治は不可欠」と強調。
門川大作・京都市長、中小路健吾・長岡京市長、福山哲郎・参議院議員からのメッセージが紹介された後、泉健太・衆議院議員(代理)、今江政彦・滋賀県議会議員、和島一行・向日市議会議員、山本ひろふみ・京都市会議員など、多くの発言が。
最後に、隠塚功・京都市会議員が中締めの挨拶をおこなった。
(杉原卓治)
レジオンドヌール
謹啓 季秋の候、皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。
さて、この度、元参議院議員、元参議院日仏友好議員連盟副会長 前田武志様におかれましては、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエに叙されることとなりました。
つきましては、ティエリー・ダナ駐日フランス大使が下記の要領にて叙勲式を執り行います。
諸事ご多端の折、誠に恐縮ではございますが、是非ご来臨賜りますよう謹んで案内申し上げます。
謹白
2016年11月吉日
在日フランス大使館
ということで、12月2日、フランス大使公邸で行われた叙勲式に行ってまいりました。大使のあいさつでは、前田先生が「5月革命」の最中のフランスに滞在していたことが、かなり詳しく紹介されていたのが印象的。
レジオンドヌールはフランスの最高勲章。約1500人の外国籍叙勲者のうち、日本人は約1割、シュヴァリエには安藤忠雄、向井千秋など。ちなみに北野武はシュヴァリエよりひとつ上のオフィシエ、大江健三郎はもうひとつ上のコマンドゥール。
前田先生にとっては、先日の旭日大綬賞に続く叙勲。この夏の参院選で議席を得ることはかなわなかったが、「環境未来フォーラム」を立ち上げて、今後も低炭素社会の実現にむけて活動される。
康仁徳先生
11月30日、韓国より康仁徳先生がお見えになる。
朴大統領の退陣問題、北朝鮮情勢などについてお話を伺いつつ、意見交換。鴨緑江沿いをずっと歩いて、制裁の実効性を確かめられてきたなど、さすが。金正恩体制下での経済社会構造の変容についても興味深いお話を伺うことができた。
朴大統領の退陣問題については、弾劾にしろ何にしろ 民主的な手続きによる法治の枠内での決着が必要であると強調された。すでに問題の核心は、大統領の疑惑にあるのではなく、1987年憲法体制の立憲民主的な転換をなしうるか、というところにある(1987年憲法以前は、憲法改正は軍事クーデターと一体)。その民主主義の力が韓国社会にどこまで蓄積されたかが試されている、ということだろう。
今回の大規模なデモで衝突が起きていないこと、デモの後にゴミがないことなど、民主主義の成熟が見られることも強調されていた。
くわしくは、「日本再生」452号(1/1)に掲載予定。
マニフェスト大賞を2度受賞したことで、ますます問われる当事者意識
私も運営委員の一人として参加している「埼玉政経セミナー」が、地方政治の優れた取組を表彰する「第11回マニフェスト大賞」市民部門で優秀賞をいただきました。
授賞式に先立ち、前日には優秀賞を受賞した7つの部門での団体、個人が3分間のプレゼンテーションを行う、マニフェスト大賞プレゼン研修会が開催され、埼玉政経セミナーを代表して、私と岡田さんがプレゼンをしました。
この研修会は、@優秀賞受賞者の先進的な取り組みを学ぶ、A伝える力を磨く、B受賞者同士の交流を深める の3つを目的に創設されたものです。
大賞は参加者全員の投票で決定されるもので、今回は新城市の若者議会を報告した、1年の女子高校生が大賞を受賞しました。
プレゼンをするため、準備のためパワポの作成に10時間、発表訓練に2時間を要しましたが、事前の打ち合わせ協議の中で、前回の議会部門の受賞と今回の市民部門の受賞の違い(発展段階として、より市民が主体を形成していった)を明確にして臨みました。
また、どうしても発表はプラスを全面に出すのが通例ですが、あえて紆余曲折だった運営や賛同議員の途中脱落や健康や高齢を口実とした市民の退会も報告することにしました。
つまり、マイナスの意見や参加姿勢もフラットに議論をする場面は、他の団体や組織ではあまり遭遇しません。
だからこそ、回答や結論がすぐに出せなくても、市民や議員のマイナス発言(本人がマイナスとは思っていない場合が多いのですが)を材料として、全体を前に進めていくマネージ力が問われていることを実感しています。
私自身がマネージ力は弱いのですが、そのことが現在極めて重要な課題であることを体感しています。
当日はプレゼンの後、審査員から質問があり、超党派の議員はどの様な役割を果たしているのか、(政策実現のためには、単に一般質問をすれば実現すると言うものではなく、請願や議会の力関係、議員の性格等の把握など必要であり、その点での会派を超えた意見や材料が提起出来る)また発表者は議員なのか(私は議員ですが岡田さんは農業者であり、まだまだ市民と議員の共同作業の実践例が少ないのでは)、がありました。
埼玉政経セミナーは、「市民が参加し責任を持つ地域づくり」を目指す、市民と超党派議員でつくる団体です。
2011年、2015年の2度の統一地方選挙において統一マニフェストを共同作成し、選挙戦での超党派の賛同候補者と市民で街頭演説を始め様々な共同行動に取り組みました。
選挙後は点検・検証・推進を行い、講座や勉強会も開催してきました。
マニフェスト大賞を受賞するのは今回が2度目。1度目は2014年、「超党派議員が同じマニフェストを掲げ選挙に挑む」ことが評価され、議会部門での受賞でした。
今回、市民部門で受賞できたのは、市民と議員がマニフェストを作って、当選した議員の実行性を、市民が点検・検証するという二項対立ではなく、市民が運営の中心になって、具体的にマニフェストを実現する形にチャレンジしたからだと思います。
運営を市民が座長を務める三つの分科会に専門化し、「新しい豊かさ」チームでは幼稚園・小学校に、市民運動として自然エネルギー発電所と防災拠点(蓄電池の機能を装備した)を設置。
「新しいしくみ」チームでは、地元の学生さんと協働で議会との交流会を開催。「新しい公共」チームでは、これからの公共施設の運営方法を考える「公共施設シンポジウム」を開催しました。
これらの活動全て、市民が発案し実施、議員は徹底してサポート役に回ろうと、役割分担を徹底したことが、今回の受賞に繋がったと考えています。
ただ、課題もあります。まだまだメンバーの中で考え方や活動への温度差があるのも事実です。賛同議員の離脱や、役員にお任せになってしまう場面も見られます。(勿論、選挙後に新たな会員となった議員もいるため、運動の質的な転換も起き始めています。)
それでも、私たちが活動してこられたのは、特別な市長・議員・市民がいるわけでも、超党派だからでもありません。
あきらめない市民と議員がいたからです。市民が変わらなければ議会は変わりません。これからも仲間たちと本音をぶつけ合い、マニフェスト推進の苦労を共に味わいながら活動していきたいと思います。
(山田裕子)
智頭町・西粟倉
智頭町・西粟倉
10月31日、11月1日、2日の3日間自治みらいの行政調査に行って来ました。
調査地とテーマは、鳥取県智頭町の「ゼロ分のイチ村おこし運動」「「百人委員会」について、岡山県西栗倉村の「地域産業と新たな担い手づくり」について。大阪府高槻市の「子育て世代包括支援センター事業」についてでした。
まず、智頭町では、寺谷誠一郎町長から当初15分程度のご挨拶をお願いしていたものの、予定を超えて30分も政治信条を語って頂きました。
名刺交換とともに簡単なお礼を述べたのち、「日本再生」に町長の記事がかつて掲載されたこともあり、最新号(10月号)と自治みらいの会報をお渡ししました。
町長の名刺は、杉材で作成されており、木の香りがするなんとも贅沢な一品ではあったのですが、町内の総面積の93%が山林を占める町ならではと感じました。
若い女性の化粧に汗だくだく?
最初に町長のお詫びから始まったことに驚かされてしまいました。
町おこしのために大麻の栽培許可を得ている智頭町の大麻関連商品販売会社の代表(30代)が、自宅に大麻を隠し持っていたとして、中国四国厚生局麻薬取締部に大麻取締法違反(所持)の疑いで先般逮捕されていた件でした。(大麻の栽培許可を得た業者が大麻取締法違反で摘発されたのは全国で初めて。)
実は販売の許可は、鳥取県知事の権限なのですが、智頭町長の仲介で知事が許可を出していた経緯があり、容疑者本人というより町長への信頼の背景があったため、その信頼を裏切ってしまった、と。
話は政治家の選挙と公約に関して、地方議員を含め市民の陳情や要望を聞いて、それを実現していくことが責任のように言われているが、財政がすでに右肩下がりになっている状態で、国の借金が1000兆円を超えており、要望の実現は困難であり、また政治姿勢としても疑問がある。
だから、選挙の時の公約では、一切陳情には応じないと公言し、どうしても税金が必要なら、まず町民が自分たちでやれることを精いっぱいやった上で、それでも足らなければ補完する、と言って当選して来た、と強調されました。
このため、地域町民の力を集めた一昔前にあったおせっかいを“強制”する「おせっかい、世話役運動」に取り組んでいる、と話された。
しかし、この運動には大変な勇気が必要であり、言うは易し、行うは難しだ、と。
町長自らも当然実践が伴わなければならない。先般、東京の電車の中で公然と化粧をしていた若い女性2人に対して、目の前に立ち、つり革に両手をしっかり握りしめ、意を決して「化粧は心にして下さい」と大きな声で言い放ち、すぐに逃げるようにその場から早足で離れてしまった。両脇には汗があふれ心臓がバクバクなっていた、と言う話をされたことから、全員爆笑となりました。
また、町議会議長からも挨拶をしていただきましたが、議会基本条例を制定したことや、議会としての行政評価システムを策定したことなど、議会の取り組みを紹介して頂きました。
これまで、様々な自治体への行政調査のおり、議長からあいさつを受ける機会がたびたびありましたが、殆どはその自治体の歴史や文化の紹介に留まることが多く、議会の状況を話された事に更に驚かされました。
森林業の盛隆から衰退へ。次の一手は
この後、今回のテーマに対する説明を企画課の副主幹からお聞きしました。
智頭町は、8000人弱の人口であり、林業が大きな産業として引き継がれて来ており、慶弔元年に植えられた直径4メートルもの杉も有名だそうです。
山林所有者はかつては、杉の木一本が50万円から100万円もするため大変財政的に潤っていたものの、安い輸入外材が大量に出回るにつれ、相場が下落していったため、林業が衰退していきました。
そこで、町長は観光事業に注力するため、町の中でもっとも伝統的屋敷である「石谷家の住宅」の公開を踏みきろうとしました。
しかし、この住宅には家族が生活をしており、当初、住人は全く公開に承諾の意思を示そうとしなかったのですが、三顧の礼での度重なる町長のお願いに、3日間だけと言う約束で公開が出来ました。
この様な経緯の中で開催された「石谷家住宅特別公開」では、何と周辺の自治体だけでなく、他県からも市民が10500人も押し寄せたそうです。
これを契機に平成13年4月には、国登録有形文化財「石谷家住宅」の一般公開に繋がっています。このほか古い集落を活用して昭和初期の原風景を再現し、様々な古民家が観光の大きな資源となっています。
また、森林資源の活用にも取り組み、平成22年4月には、森林セラピー基地認定の22名の「森のガイド」を配置し、5月には智頭町「森のガイドの会」を設立、2つしか宿泊施設がないため、農家民泊の取り組みに46世帯が稼働しています。(みんぱくのススメとしてパンフが作成され、一軒一軒受け入れ自宅と家族の写真やひとこと等が掲載されていますが、議長さんの自宅も民泊施設の一つです。また農業体験を始め林業体験、トチ餅つくり等13もの体験メニューも記載)
この森林セラピーロードを代表する芦津渓谷は、西日本屈指の渓流で、天然杉と広葉樹混合林が四季を通して美しく、中国自然歩道から三滝ダム周辺を巡り、さらに源流域の渓谷へと続き、それぞれ異なる表情を魅せる三つのコースが設定されています。
更に森林セラピー弁当を考案し、セラピー弁当の7つの誓を規定しました。@米は100%智頭町産A食材の8割は智頭町産Bカロリーは600から800?C塩分は3g以下Dお品書きをつけるE旬の食材を入れるF愛情を込める、です。
説明と説得は、理念に裏打ちなしには成功しない
次に日本ゼロ分のイチむらおこし運動について説明を受けました。
平成9年度に制度化された運動で、これまで閉鎖的・保守的・依存的な旧態依然とした村社会の改革を図り、また町の活性化は集落の活性化からという視点にたって、「これからもその集落に住もう、どうせ住むなら豊かで楽しい村がいい」を理念とするものです。
自分には何が出来るのか、何に汗を流せるのか、住民一人一人が無(ゼロ)から有(イチ)への一歩を踏み出そうという運動で、町内の各地区がそれぞれ特色をひとつだけ掘り起し、外の社会に開くことによって村の誇り(宝)づくりを推進する、住民の自立と共有のマネージメントを強調されました。
しかし、理念の実現と具体化はそう簡単ではなく、まず84集落をひとつひとつ回って町長が先頭にたち説明と説得を繰り返し、その内の16集落がこの運動に取り組みました。
精力的に展開された説明会は先述した、依存と分配の意識からの変革に注力したとのことでした。
実はこの16集落は、町長の後援会組織が強い地区であり、協力的だったそうですが、その他の集落は反対派が多く、どうしても旧来型の陳情意識から抜け出せないようです。
町の支援策は、10年間の活動を支援するもので、集落の行う活動(ソフト事業)に対し、最初の2年間は年60万円、3年目から年25万円の合計300万円の助成をしました。
更に集落から地区単位に組織化され地区振興協議会が結成されました。そして町民を主体とする百人委員会の仕組みを導入して行きます。
この委員会は公募制をとり、任期は一年(再任可能)で、7つの部会制をとり、町長からの年予算の公開ヒヤリングを受けたのち、今度は百人委員会から町長への予算要望の公開討論会が開催され、具体的な事業への交付金が決定されて行きます。
因みに平成21年度企画案の予算計上の中には、18予算要望事業のうち10事業が予算化され、総額88,051千円となりました。
この中で事業化された「森のようちえん まるたんぼう」は特に有名となりました。この幼稚園の特徴は@園舎がなく森が育ちの場となる。A日課がないため自主性を尊重する。B玩具がないことで感性で自然物が玩具になる、というものです。
このため大阪を始め移住者の7割は、この幼稚園を利用しています。
また、本年は智頭中学校生徒が作成した智頭町達人図鑑です。これも百人委員会の事業のひとつで、3年生を中心に「ちずスマイルプロジェクト」を結成し、町内に暮らす様々な特技をもつ28人の町民を一軒づつ訪ねて取材と編集を通して、一冊の冊子にしたものです。
この冊子の中には、先述した「森のようちえん まるたんぼ」は勿論、捕獲の達人(猪や鹿)や竹ぼうき作りのプロなど一人一人カラーの顔写真と説明が記載されています。
このほかに、智頭町木の宿場(やど)プロジェクトの取り組みや原木市場に出荷したことのない小規模林家を対象とした、放置材を活用した地域通貨(杉小判)の作成、利用や智頭町疎開保険など興味深いお話もありました。
説明員の職員2人は30代の若者
二日目は、西粟倉村での調査でしたが、対応していただいたのは産業観光課の二人の30代の職員の方でした。
2015年の村の人口は、1472人で、大正8年の3255人をピークに一貫して減少のトレンドが続いています。高齢化率は35,4%ですが2025年はピークの39,6%となります。
しかし、近年社会増の傾向へ転換し、若い世代の転入が特徴となっており、周辺の自治体の中では0歳から39歳までの転入者は8人で、その他は全てマイナです。(因みに智頭町だけが5人とプラス)
面積57、93fのうち、95%が森林を占めています。(人工林は85%)
村の10年間の歩みですが、2004年から3年をかけて合併協議が徹底して行われました。結果は前村長が実施した住民アンケートの結果を受けて合併協議会を離脱して、西粟倉村自主自立の決意をしました。(自立のためにコンサル会社や森林組合のメンバーを含め夜な夜な作戦会議を開催したそうです)
2007年には雇用対策協議会を設立しIターン者の受け入れを始めます。2008年には将来の村づくりのビジョンである「百年の森林構想」を旗揚げし、村長、役場職員、森林組合職員で、村内12の全各地で構想の説明会を開催しました。この構想は、「選択と集中 森林一点突破で50年かけて村をつくりだそう」をスローガンとしました。
約50年生にまで育った森林の管理をここで諦めず、村ぐるみであと50年がんばろう。そして美しい百年の森林に囲まれた「上質な田舎」を実現して行こう。森林事業は心と心をつなぎ価値を生み出していく「心の産業」、村の資源である森林から産業を、そして仕事を生み出して行こう、とその理念を表現しています。つまりこれまでの50年の財産である森林を基盤にこれからの50年後までを見据えて暮らしを維持していく、と100年をスパーンとして村づくりの宣言をしています。
合併を拒否したのは、このような思想や価値観に裏付けされたものだと、感じました。
2009年4月百年の森林事業を開始し、同年10月に(株)西粟倉・森の学校を設立、2015年ローカルベンチャースクール開始となりましたが、具体的なアクションを先行させ、既成事実となったものを政策的に文章化して、予算されて行きました。
この間財源の捻出のため行財政改革が徹底され、花火大会の中止、商工会への補助金廃止をはじめ、職員による郵便物の手配りまでやった、とのことです。
2009年から始まる百年の森林事業は、木材の流通革命として川上部門(百年の森創造事業)と川下部門(森の学校事業)の二部門で、様々な取り組みが展開されています。
川上と川下の一体事業は、森林のフル活用
まず、川上部門での「長期施業管理に関する契約」では、森林所有者、村役者、森林組合の三者で、締結し、村役所が森林を預かり、施業は森林組合が行い、契約期間は10年間で更新する。村役所が策定した「森林経営計画」に基づき、保育、造林、間伐、作業道の整備を行います。
森林所有者には、費用負担なく、施業に係った費用は村が負担し木材を販売し、その収益を村で半分、所有者が半分で分配します。現在1300人の所有者と私有林の総面積3000fの管理を目標としていますが、平成28年度3月時点で、2830筆、1347f(691人)を管理しており、村有林と合わせ約2720fが村の管理面積となっています。(全体では、5391f)
村が原木を搬出間伐から運搬を担当し、森林組合土場で直接販売され、その後森の学校や八頭中央森林組合等によって買い取られて行きます。
この間伐材の販売材積は、平成27年で販売材積5437m3で収益支払者数は95人になり、平均販売単価は9800円/m3で、所有者分配金は3300円/m3となり、平成24年と比較してそれぞれ2000円、1300円と上昇し、木材販売材積は7年間で10倍以上に増加しました。
次に川下部門では、(株)西粟倉・森の学校が、2009年に設立されました。平成21年10月に旧影石小学校を利用して会社が稼働し始めます。
この学校を中心に渓流の森ツアーや合コンツアーなどが実施され、また西粟倉村産FSC材(FSC〈森林管理協議会〉はドイツ・ボンに本部を置く国際機関で、森林管理などの国際認証制度を運営し、世界統一の基準に沿って審査・認証するもので、違法な森林伐採・取引といった環境破壊をなくし、森林を守りながら木材を確保することを目的に創設され「適正な森林管理」を認証する制度)を届ける森の工場「ニシアワー製造所」が、平成22年8月の稼働を開始します。更にローカルベンチャーを目指す人を募集する東京での説明会を開催し、次々と移住者による起業が起こっています。
2015年の募集では、人口1500人の村だけど・・持続的に起業する人が生まれる地域 ここで起業する人が成功確立や成長スピードが上がる地域 第2次創業や事業拡大が継続的に生まれる地域 事業継承者がいないことで廃業する事業所がない地域 そんなベンチャーエコシステムづくりと呼びかけ「定住しなくていいんです」と謳いました。
結果全国各地から193名の若者の参加者となり、合格者は2名(帽子屋と猟師・鹿肉販売×ジビエレストラン×鳥獣被害対策)が決定されました。
この様な取り組みを通して、家族がゆったりと過ごせる元湯や、日本語が全く話せないイスラエル人の鉄と木を組み合わせたランプ製造等、食用油だけを販売する専門店、木の楽器や玩具の製造者など多種多様な30社の人々が暮らす田舎となっています。
僅か、車で10分圏内に繋がりを保ちながら存在する村です。
そこには、移住や定住支援はありませんし、起業支援も地域おこし協力隊の活用のみで、補助金や融資制度等もありません。
必要なのは本気で何かをやる人、その人の思いに寄り添える人、その人を応援出来る人、が強調され結果として地域資源が活用される、と言うことでした。
最後に人口減少や若者流出、少子化、高齢化など、地域の縮小をしかたないと無意識に受け入れるマインドの壁を壊す、との言葉が印象的でした。
(白川)
国際シンポジウム 環境分野の市民参加と司法アクセスの役割
11月3日・4日大阪で「国際シンポジウム 環境分野の市民参加と司法アクセスの役割」が、コンラート・アデナウワー財団、大阪大学グリーンアクセスプロジェクトなどの主催で開催された(プログラムは、当日資料と共に【グリーンアクセスプロジェクト】のホームページ上でも公開)。シンポジウムでの報告者は27人(コメンテーターを含めると32名)。欧州、アジア、南北アメリカ、アフリカの文字通り世界中の17か国からの参加者が、「環境正義の実現」という共通の目標に向け、実質18時間に及ぶパワフルな議論を展開した。
今回の環境分野の参加原則に関する会議では、インドの環境裁判所長官、中国の清鎮市人民法院環境裁判所長をはじめ、6カ国の環境裁判官が一堂に会した(インドからはスカイプ参加)。また、UNEPメジャーグループ担当局長、バリガイドライン履行ガイドの執筆者、オーフス条約司法アクセス部会長、同遵守委員会委員、欧州エコフォーラム共同議長等、国際機関・NGOのキーパーソンが報告。会議は流域管理、高レベル放射性廃棄物処理、環境アセスメント等6つのセッションから構成され、ラテンアメリカ・カリブ地域の参加条約交渉、アセスに関するメコン川流域諸国の参加ガイドライン草案、ドイツの放射性廃棄物処分地選定に関する合意型プロセス等、最新の国際動向について、第一線の実務家・研究者が議論した。
リオ宣言(1992年)第10原則〜いわゆる「参加原則」〜以降の25年間は、極めて教訓的だ。「参加原則」を90年から準備してきた欧州エコフォーラム(NGO)は、95年のソフィアガイドラインに法的拘束力を持たせるよう、98年のオーフス条約(環境に関する、情報へのアクセス、意志決定プロセスへの参加、司法へのアクセスの三分野において、各国の法制度化をすすめ、市民の権利確立と参加を促すための条約)に結実させ、2001年に本条約が発効。その後も、実施プロセスの実効性についてモニタリングを続けている。
「アジアのダイナミックな変化」(大久保規子・大阪大学教授)は、インド、中国において象徴的。2010年設立のインド環境裁判所・クマール長官は、「1,000ルピー(20ドル以下)あればだれでも裁判を提訴でき、一年以内の結審が80%を超える。eファイリングを使って提訴可能」と司法アクセスの良さと法の支配の重要性、さらにはインド市民の環境意識の高まりを強調した。中国でも、環境民事訴訟に限るものの環境民事団体訴訟(公益訴訟)が導入され、清鎮市人民法廷環境保護法廷の羅所長によれば、すでに環境保護法廷は全国500カ所を数えるという。
「専門裁判所による環境正義の実現」のテーマで報告した、スウェーデン環境裁判所(1999年設立の土地・環境裁判所LECの上訴裁判所)のアンダーソン裁判官は、「司法と行政へのアクセス権が、リオ第10原則のカギ。司法アクセスの要素として重要なのは、NGO(の原告適格の拡大)、訴訟コスト、迅速性の三点。スウェーデンでは年間1500件の環境訴訟のうち70%が2カ月のうちに結審している。法判事と同等レベルのテクニカルジャッジ(判事)の存在が大きい」と強調した。
わが日本はどうか?「(参加原則の国際的展開は)、一方では、環境権を実効的に保障するために、オーフス条約、バリガイドライン等により、情報アクセス権、政策決定への参加権および司法アクセス権という三つの手続き的権利の強化が図られてきた。(中略)他方では、司法アクセスに関しては、以前は権利侵害を原告適格の要件とする国が多かったのに対し、最近では、十分な利益があれば原告適格を認め、または公益訴訟を導入することによって、原告適格の拡大を図る国が増えている。(中略)この二つの傾向は、アジアの主要な国々にも当てはまる特徴であるが、例外は日本である。日本においても、情報アクセス権は法的に保障されているが、参加に関しては、権利に基づくアプローチというよりも、自主的な環境活動の推進という意味で、ボランタリー・アプローチがとられてきたといえる。司法アクセス権に関しても、環境公益訴訟(環境団体訴訟等)が導入されていない、数少ない国の一つとなっている」(大久保教授)
リオ第10原則〜「参加原則」の進展評価(モニタリング)に関する論議で注目されたのは、「生命に関する権利」をコアとする人権指標(HRI)の教訓から、「達成度(アウトカム)」だけでなく「意志」「コミットメント」などの構造的指標や、「行動」「措置」などのプロセス指標、「対応」「方法」などの横断的指標が重要であり、特定の(環境権に関して)脆弱な人々の利益の反映についての指標を重視すべきという指摘(高村ゆかり・名古屋大学教授)。また、参加の指標が「投票と選挙」に収斂されてしまうことへの注意が喚起された。
今回の国際会議で繰り返し強調されたのは、「意味ある参加」と国際協調。参加原則の国際的展開に日本が貢献できるとすれば、まずはこの25年を経てこの分野での「例外」とまでなった事実と向き合い、日本の「ボランタリー・アプローチ」の経験をもって、アジア地域における参加原則の促進を図ることだろう。それは、水俣病訴訟の原告適格の拡大をめぐる現下の攻防をはじめ、第33回日本環境会議・沖縄大会(10月開催)で掲げられた「環境・人権・自治・平和」というテーマのもつ意味を、「日本の課題として、市民参加や司法へのアクセス権を問う」(寺西俊一・日本環境会議理事長のシンポジウム冒頭あいさつ)ところから深め続ける以外ないと強く感じた。
(杉原卓治)
日本環境会議沖縄大会に思うこと
10月21から23日、沖縄国際大学において第33回日本環境会議沖縄大会が開催された。(右は沖縄国際大学からみた普天間基地。住宅街のすぐ向こうに基地が広がる。同大には04年普天間基地のヘリが墜落した。)
日本環境会議は「公害研究委員会」(1963年7月発足)のメンバーが中心となって、 1979年6月に設立されたもので、各分野の大学研究者、専門家、実務家、弁護士、医師、ジャーナリスト、全国各地の市民運動や住民運動のリーダー、一般市民、大学院生などが参加する学術的であるとともに社会運動の側面も持つユニークな活動を行っている。
日本環境会議が沖縄で大会を開催するのは、1988年、96年に続いて今回で三回目。沖縄においては、基地と開発が環境を破壊することに警鐘が鳴らされてきたが、今回の大会では環境に加えて、人権、自治、平和という多角的な視点から沖縄の問題をとらえ、なおかつこれは「沖縄問題」ではなく「本土問題」(日本国の環境法制や民主主義、人権ことそが問われているという意味)であるという視点からも、議論が進められた。
三日間にわたる多彩な議論のなかから、印象に残った点をいくつか。ひとつは環境と人権、自治(自己決定)ということが密接にリンクして深められていること。京都議定書以降、日本では「環境」が「地球にやさしい」的な単なるイメージに流れてしまっているが、国際的には「環境正義」や、そのための法制など人権や自己決定権として法制度上も担保されつつある。この流れに完全に取り残されている。
また今回のもうひとつのテーマは「若者」だった。若者を主体とした分科会は大会前日から開催され、韓国、中国、台湾で活動する若者を交えて議論された。そのなかで感じたことは、3.11以降の同時代性の共有だ。台湾の脱原発の取り組みはもとより、それぞれの報告の端々から、3.11に象徴される価値観の転換が皮膚感覚で共有されていることが感じられた。
そして沖縄本島、先島諸島、台湾、済州島をつなぐ「海の北東アジア」という空間の存在。島嶼の安全はひとつの島の安全ではなく、島々からなる地域の安全であり、相対的に脆弱な環境との共存が守られていなければならないということ。海の軍事化が進む今だからこそ、無人の島に軍事基地を置くといった安全保障観とは別の、「もうひとつの選択肢」を構想することが長期的な価値であると感じた。
立憲民主主義で語る、くらしと政治@越谷
9月21日、オール越谷主催の「立憲民主主義で語る、くらしと政治 シンポジウム・パート2」が開催された。コーディネーターを白川秀嗣・越谷市議(自治みらい)、パネリストとして各政党から、山川百合子県議(民進)、伊藤岳氏(共産)、辻浩司越谷市議(市民ネットワーク)、.市民からママの会@埼玉をはじめ三名の子育て世代の女性たち。
まず、各登壇者から先の参院選の総括が述べられた。政党からはそれぞれ、得票率を伸ばしたものの、与党と野党の争点がかみ合わなかったこと、野党の掲げた政策がしっかり市民に浸透しなかったことが敗因の一つとしてあげられた。同時に立憲主義を争点にした選挙は戦後初めてで、市民の中に立憲主義が浸透したという点で大きな収穫があったと。
一方市民の感想では、サロンやカフェ、スタンディングなどの活動を通じて主体的に動き出す市民を目の当たりにすることができたこと、市民と政治と政治家の連携が実現できた、ようやく主権が国民であると意識する人が増えたなど、フォロワーシップの転換の芽生えが実感的に語られた。
市民にとっては「くらし」の問題と立憲主義は結びつきつつあるものの、「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないからだ」という「時間かせぎの政治」で市民が分断されている状況に対抗するには、連帯・連携しかないのだという方向性が議論のなかから見えつつある。
なかでも学費(高校無償化のときとの比較)や介護など、自分の生活に根差した本音を数値をもって語り、そうした具体的な市民の困りごとや実感を、声に出して語り合い政治に要求していくことの重要性を訴えた、ママの会の方のお話は行動的な共感を呼ぶものだった。
経済構造が大きく変わり、もはや「トリクルダウン」が望めないなかでは、「救済」すべき「弱者」を選別して救済する福祉ではなく、中間層を含めた全体の底上げを目指すように、市民一人一人が発想を転換していかなければいけないとの方向性も提起された。
そのためには地域のなかでこそ、意見や価値観の相違を超えて、暮らしの中で生活のテーマを訴えて連携していくことが重要であり、野党の連携もこのような基盤のうえにこそ成り立つべきものであることが、共通理解となりつつある。
パート3は12月、貧困問題に取り組む藤田孝典さんを迎えて開催される予定。
第27回戸田代表を囲む会in京都を開催
9月21日、第27回戸田代表を囲む会in京都を開催。「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの〜立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」をテーマに、福山哲郎参議院議員、泉健太衆議院議員、隠塚功京都市会議員が討議した(司会は、戸田政康代表)。
「野党には期待できない」と言わせない政党政治の社会的基盤をつくる。そのために、野党とは政党政治の機能であり役割であること(その野党を支持するかどうかは別次元の問題)。未来の観点から政党をチェックする(ある意味、与党も野党も未来の利益のために利用する)。そして、「未来への責任」の観点から争点を明らかにしていく。今回の囲む会の議論を通じて、立憲民主主義のフォロワーシップの条件がこのように整理された。
「今臨時国会に(民進党が)どのような立ち位置で臨むか、従来の延長ではない選択が問われる。(今国会は)日本にとっての岐路になるかもしれない」と、福山議員。8月11日の囲む会冒頭で戸田代表は「(今回の参議院選挙が)歴史的な主体転換の始まりだった」と、後から振り返ることになるかも知れません(『日本再生』448号)と、立憲民主主義を普通の人が生活感覚でとらえ始めた、主体情勢の転換を示唆している。
「立憲的日常活動」(戸田代表)について、泉議員は「立憲主義とは何か?生活感覚からこれだと思ったのは『私たちのことを、私たち抜きに決めるのですか』という障がい者の声」「自己責任論で一人ひとりがバラバラにされ、体制に組み込まれていく『分断社会』に対峙し、克服していくのが民進党の立ち位置ではないか」「(選挙を非日常としない)有権者と議員の新しい関係性を地域の日常活動で創り上げていく」
民進党代表選挙でも三候補の議論は回った。隠塚議員は、「オールフォーオールの考え方を広げ(安倍政権との)対立軸としていく」と総括。民主党政権の教訓として、「自治体で政策(予算)の優先順位をつけてもらったが、議会が責任を果たしたところは議員の意識も変わり、市民にも伝わった。公共空間・言論空間をつくる愚直な活動をすすめるところから、変革の展望は開ける」と民進党の役割を明確にした。
今回の囲む会のような議論を、それぞれの持ち場で回していくことが、日本の民主主義の岐路を左右する主権者の役割と責任である。
(杉原卓治)
真庭バイオマスツアー レポート
岡山県真庭市は、2005年に九つの町村が合併してできた、標高千メートル級の山々が連なる、山あいにあるまちだ。その面積の八割が山林である。
古代、山は神であった。山そのものが御神体であり、人里と山との間には境があり、それを超えられるのは、猟師や山伏など山の専門知識と信仰を持つものだけだった。
中世になり、人は山の木を産業資源として利用するようになる。タタラ製鉄のため、山の神を倒そうとする勢力と、森を守ろうと闘う、山犬に育てられた娘サン。その間に立ち苦悩するアシタカの葛藤を描いたのが宮崎駿のアニメ映画『もののけ姫』だ。
そして、現代。真庭は山と新しい関係を築きつつある。
銘建工業の中島社長は、世界中のCLTの成功例と真庭独自の取組みを次々と紹介してくれた。
霞ヶ関の地方創生担当が喜びそうな話だ。2015年4月に運転を開始したバイオマス発電所は順調に1万kwを発電している。しかし集積基地、原木市場、森林組合と回るうちに、すべてがスムーズに進んだわけではないのが伝わってくる。
木の値段が最高だった頃に比べると5分の1になったこと。海外の安価な輸入材におされていること。住宅建築の需要が頭打ちなこと。
バイオマス発電の原料となる木屑は、ゴミそのままでは使えず、水分量、大きさ、石を取り除くなど、作るのは結構手間ひまがかかること。
切り出した長い木材を転がすベルトの幅、ひとつとっても、アメリカから輸入した機械などを何度も試して試行錯誤の最中であること。
機械のスキャンによる選別より、熟練工の目の作業のほうが早かったので、人に戻したなど、すべて現場で働く人の口から直接聞いた。
完璧に自動化された清潔・安全な工場をガラス越しに案内される見学とはリアリティが違う。
ガイドをしてくれるのは、朴訥な、ザ・働く男という方ばかりで、誰もが中島社長のようなプレゼン上手とは限らない。しかし話すのは嫌いではないらしい。「時間があればもっと薀蓄を語れる」と誇らしげに言う。
ツアーで面白かったのは、林業関係だけではない。
夜の懇親会に現れた若者「真庭地域【おこし】協力隊」のメンバーの話からは、彼らなりの生活を楽しんでいる気分が伝わって来る。彼らには、助成金をもらっているのだから、是が非でも新しい真庭ブランドを生み出そう、といった気負いは感じられない。また地元のまちおこしグループ「まにワッショイ」も、ごく普通の豆腐屋さんとして、あるいは喫茶店マスターとして、けっこう忙しく働いたり、子供たちとボランティアで遊んだり勉強したりしている。その等身大のまちおこしに好感が持てた。お試し移住を応援する施策は全国にあるが、人材を育てるとはまずその地域を愛する人を育てることなのだと思った。(写真は、地元のお母さんたちの手作りランチ。食材はほとんど自前。)
二日目に見た冨原の森は、人間の手の入った美しい森だ。戸田顕治さんは、東京へ出た兄【戸田代表】の代わりに継ぐ予定のなかった山を継いだので知らないことばかり、勉強はこれからと笑う。彼の山を見る眼差しには、親先祖の生きてきた証と「思い」を引き継ぎたいというやさしさがこもっていた。
中島社長はただグローバルな商材としての真庭の木材を世に出そうとしているのではない。中央資本に搾取されないために、真庭にどんな付加価値をつけたらいいか真剣に考え、学び、人間と山との関係を再構築し、真庭に住む人みなに、真庭の森林文化とでもいうべきものを作り広めようとしているのだと感じた。
最後に、東京人の私たちはここから何が学べるだろうか?
恐怖と怒りが表出しがちな大都市では、地域愛も他者への思いやりも磨耗しがちだ。弱い自分に凹みかけたら真庭を思い出し、等身大のまま歩む勇気を持とう。
そして今回の真庭ツアーでご一緒した方たち。知識欲旺盛で社会と関わることに前向きな方ばかりだった。彼らとの、しなやかな『知縁』ともいうべきつながりは、血縁や地縁より弱いが、先の見えない成熟社会を生き抜く希望の光かもしれない。(S.T)
【付記】
三日目の訪問先は、北部の中山間地域・中和(ちゅうか)で、薪ボイラーを軸にした「小さな里山資本主義」に取り組むアシタカの赤木さん。アシカタの名はまさに「もののけ姫」に由来する。
できるだけ多くの人がかかわる仕組み(協調)と、次世代につないでいく(共生)ことをめざして、いくつもの小さなナリワイを生み出そうとしている。里山の資源・クロモジ(薬草茶の原料)も、群生を見つけても半分は残す、依存しないために大手(○命酒)の引き合いも断るなど。
「楽しく生きる」と「豊かに生きる」は、微妙に違うと言う赤木さん。今回のツアーのガイドは、観光連盟時代の後輩。彼女曰く「赤木さん、笑顔がすごく多くなった」。
GO VOTE 0710 自分の未来は自分で選ぶ
「改憲勢力3分の2に迫る」(日経朝刊)と、メディアが一斉に報じた7月6日の夕刻。京都大学で「GO VOTE 0710 自分の未来は自分で選ぶ」(主催:市民連合@京都)が開催された。
冒頭のあいさつは、呼びかけ人の一人でもある「ママの会」の西郷南海子さん。「すでに結果が出たような報道がされている。今日は、この四日間で何ができるか、有権者であるとはどういうことかを考えたい」「若い人たちは政治に関心がないわけではない。どうかかわっていいかわからない。ある政党に託すということに抵抗感があるだけでは?」
元宇宙飛行士の秋山豊寛氏「思っているだけではだめ、見えるようにしないと。自分の勇気が試される時代になった。私たちは、何かに必死になることをカッコ悪いという文化をつくってしまったのではないか。まだ四日もある、がんばりましょう」
数学者の伊原康隆氏とナチス研究家の藤原辰史氏の対談。伊原先生の手書きボードを挟んで、「日本会議のモチーフ(動機)は“暴力”だった。勉強会を重ねる草の根の運動からはじめ、改憲条項は緊急事態と家族保護を上位においてきた」「研究や学問に“遊び”は不可欠。大学や学問の世界には『生きづらさ』がはびこっている」と。
「学者の会」からリレートークが始まる「二年前の学長選では『京大学長は海外から』というマスコミの情報操作があったが、デマ。ネット署名活動で、これを覆した。勝った経験もある」立命、龍谷、仏教、同志社、工繊、京都、滋賀各大学の有志の会からの報告には、それぞれこの一年の活動の蓄積が。
龍谷大学での「不在者投票ブース」(実家に住民票のある学生への)設置活動二週間の教訓。「選挙があること自体知らない学生が多かったが、顔をつきあわせていけば分かり合える。一部にしか伝わっていないという、空気に負けてしまっているのではないか?小熊英二氏が言うように、若者の保守・革新の基準は、既存組織依存=保守=公明党、浮動票依存=革新=維新の党。ここに自民の改憲は危ないといっても通じない。世代間格差ではなく、政治に関心のある人とない人の断絶を直視して、自分はなぜ政治に関心をもつようになったのかという、原体験をこそ語ってほしい」
最後に「自由と平和のための京大有志の会」サポーターの学生。「安部さんには余裕がない。余裕がない人を政権から引き下ろす。だから私は投票に行く」「意見の違う人と話すのは、ストレスがたまる。穏やかな気持ちで耳を傾け、対話をするところからしか前進はない」
あと、投票日も含め四日間。あなたは何をする?
(杉原卓治)
日台連帯の新たな条件
6月26日、京都大学で「自由と平和のための京大有志の会」が主催したシンポジウム「いま、問い直す台湾『ひまわり運動』―民主主義の作り方」が開催され、参加した。(京都大学台湾留学生会が共催)
基調報告は、呉叡人・中央研究院台湾史研究所副研究員。呉氏は1961年生まれの、いわゆる「野百合運動世代」。「ひまわり運動」でも学生と行動を共にした政治学者(シカゴ大学政治学博士。早大政経で講師、台湾大学で助教授を歴任)である。いまも若者たちの「理論的、精神的支柱」(司会の張智程・京大法学研究科助教)。
冒頭「民主主義の作り方というテーマをもらったが、これほど難しいものはない」と。最近の論文「黒潮論」では、3・18運動(いわゆる「ひまわり運動」)は「百年来の台湾国民国家と資本主義形成の歴史的脈絡を経ることにより初めて、この運動の深層における歴史的性格をようやく正確に理解することができる」とする。駒込武・京都大学教育研究科教授による「黒潮論」仮訳を呉氏が読み上げながら解説、さながら台湾史学習会。台湾民主化運動は、歴史的な発展過程にある有機的プロセスであり、一つの自主性の高い社会をつくりあげつつある、と。
つづいて、「ひまわり運動」世代の陳伯良氏(ワシントン大学法学研究科博士課程)から「ひまわり学生運動の後に:台湾における開かれた政府を構築する展望と苦境」と題し、台湾の大衆の視点からとして「(ひまわり運動は)野百合学生運動を引き継いで、台湾の民主改革と、開かれた政府に向かう改革を鼓舞する社会運動上の事件」と、一部の学者・評論家がいう「ひまわり運動は、台湾の政治と社会に断絶を持ち込んだ」という俗論を否定、「集団的行動をもって、政府の政策決定に関与する、開かれた合意形成の仕組みを要求したところに意義がある」と結論付けた。
同世代の許仁碩氏(北海道大学法学研究科)からは「台湾市民社会と東アジア諸国との連携及び課題」として、まず、先入観なき相互理解。次に、お互いの論点と行動の対象化と共有化。そして確実な組織基盤づくりが必要と提言があった。
最も心に残ったのは、呉叡人氏の次の言葉。「地政学的周縁部の台湾から見ると、日本は中心部。機械的連帯は無理」「沖縄は日本の民主主義にとって避けられない課
題。見て見ぬふりをしているとしか考えられない」。あっという間の四時間であった。
(杉原卓治)
*写真は、向かって右から呉叡人氏、許仁碩氏、陳伯良氏。
もしも最低賃金が1500円になったら
参院選最中の6月25日、AEQUITAS KYOTO=エキタス京都(エキタスは、ラテン語で「公正・正義」)が呼びかけた集会とデモ。
降りしきる雨の中、50人にも満たないデモではあったが、沿道(河原町御池〜四条河原町)でのチラシ(「もしも最低賃金が1500円になったら」と、「市民連合・参院選2016ガイドブック」をスタック)の受け取りは、若い人たちを中心に「安保法制反対デモ」のときより良かったし、飲食店などの店員さんの注目度は格段に高かった。
先頭のサウンドカーからの呼びかけ「最賃1500円はムリだ、おかしいという人も、帰ってみんなで議論して下さい!」チラシも「Q・時給1500円は高すぎない?」「Q・最賃を上げたら失業が増えるのでは?」「Q・最賃を上げたら中小企業がつぶれてしまうのでは?」との問答式。
京都市役所前での集会での基調「AEQUITASは、最賃1500円だけでなく、社会保険料減免で中小企業経営者の幸せも求めます」つづく60代中小企業社長の報告。給与と社会保険料負担を自社の数字で詳細にあげ「時給1500円は経営者には確かにきつい。しかし、それでも年収で300万弱。そのうち公的な負担(税・保険料)は90万を超える」「中小企業への補助金という前に、高額所得者にも上限なく保険料負担を求めればかなりの財源に」「全社会的な課題にしましょう」
奇しくも、前々日行われたイギリスの国民投票プロセスを「他山の石」とするなら、このような政治文化を真剣に育て上げていくことが重要ではないか?
ちょうど同じ日、100名余りの社員・協力会社社員を集めた通信建設会社の「安全大会」。40代の二代目社長は「うちはいまのところ、選挙で誰を推すということはしない。問題は、投票に行かないものが多すぎること。あのとき投票をしておけば、ということにならないように。自分の頭で考えなければ、都合のいい数字を示されても簡単に騙される」と講話。日本の潜在成長力の極端な低さは、人口減少社会だけが原因ではないことは明らかである。
ちば議員フォーラム「みんなのことはみんなで決める!」
「ちば地域議員フォーラム」は、2004年11月に、主に千葉県東葛地域の「がんばろう、日本!」国民協議会の議員会員による「住民自治と主権者運動」を進めるために設立された。毎月、「日本再生」の学習、活動についての討議を行ってきたが今回の企画は3年ぶりのもの。
第一部は、山中光茂・松阪前市長の講演。最初に「政治・選挙に関心を持たなくてもいい。生きた現実に興味を持つべき」「行政・市長だけではなく住民が役割と責任をもって町づくりをする。それが何より大事」「32歳の市長の政策が正しいわけではなく、現場の市民の声が現実。それが政策に反映される仕組みが必要」と話された。
在任中の取り組みとして、「大きな案件はシンポジウム方式をとり、多様な参加者がおり、職員も決まる前の案件を一緒に討議」。「地域協議会」では、その地域の住民自身が地域の課題を討議する場であり、全地区に住民協議会を設置されたとのことであった。
最後に、“Peace Wing”代表として、「平成26年7月1日に安倍内閣が閣議決定した集団的自衛権の行使容認は、違憲である」と表明し活動を続けてきたこと、今年4月26日に「安保法制違憲訴訟の会」として、違憲訴訟を行ったことの報告をされた。
第二部は、市民参加型ワークショップ。7人から8人が1グループで9テーブルの対話。目的として《「みんなの事をみんなで決めるには?」「暮らしの中の憲法とは? 民主主義とは?」をみんなで感じること》。それは、いつも主権は住民にあり、「住民みんなで決める事、決めた事」が政治で守るべき事であり、政治が行うべき事であるはずだから。「みんなの事をみんなで決めるには?」何が必要で自分たちにできることは何か?を参加者が考え行動するきっかけを得られるようにするということであった。
グループのコーディネーターは、9人の市議会議員。
設問1−暮らしの中でみんなで決められてないと感じる事は? その理由は?
設問2−みんなで決められるようにするにはどうしたらよいか? 何が必要か?
設問3−自分たちにできることは? で進めた。
コーディネーターからの報告後、担当からは「時間が足りなかったこと。今後に活かす」と。
山中さんの講評は、「こういった対話は楽しく活発に進められ満足感を得られるのですが、次のステップへと言いっぱなしにせず課題に取り組んでほしい。」と。
最後の戸田代表の講評は、「日本では、今まで、主権者という言葉も民主主義もありませんでした。「がんばろう、日本!」国民協議会は、こういった既存の政治が扱わない問題にとりくんできました」「立憲主義、民主主義でアジアとどう向き合うか、住民自治をどう進めるかといった事に、もうちょっと関心を持って下さい」「日本では、カウンター・デモクラシーがないことが危険なことなのです」と結ばれました。
6月議会開会直前の開催ということもあり、「ちば地域議員フォーラム」としての総括論議は、未だできていません。企画の評価、準備段階での討議の進め方の評価、今後の「ちば議員フォーラム」の課題といったことについて、次回定例会以降討議を深めていきます。
住民自治を立憲民主主義で語ろう!
5月15日京都で、「地域自治・住民自治を立憲民主主義で語ろう!」をテーマに、第28回関西政経セミナーを開催。
前半は、新川達郎・同志社大学教授、山中光茂・前松阪市長、白川秀嗣・越谷市議に、中小路健吾・長岡京市長が加わり、後半、中小路市長に代わって、田中誠太・八尾市長がパネリストとして参加。討議に通底したのは「どのようして、立憲民主主義の当事者性を涵養していくか」
まず、新川先生が「地方自治・住民自治と立憲主義をどう考えたらいいか」として、日々一人ひとりのくらしを考えるとき、その地域をどのようにしていくのかを選択する自治を、住民自身が組み立てていくことができるか?それを支える仕組みを提供するのが行政や議会の役割ではないか、と問題提起。
中小路市長から。「要望する側とかなえる側」という右肩上がりの時代の市民と行政の関係性を変えなければならない(住民自身も実はそれが楽だった)。満足を与えるよりも「納得させるプロセス」が重要になっている。市の現状がどうなっており、どうなりうるを示していく勇気が「要望合戦」から脱するカギである。
山中前市長は、7年間200回以上に及ぶ住民との対話(住民同士の議論)の経験から、熟議を通じた市民の役割と責任の明確化で、決めてから不平不満がでたことはない。自分たちで松阪をどうしていくか、地域協議会が「経営推進会議」になり、行政も一緒に汗を流す。
昨年5月から大阪府市長会長をつとめる、田中誠太・八尾市長から。28ある小学校区単位のまちづくり協議会同士で「あそこができるんやったら、うちもやろう」と自治競争の意識が生まれている。すごいのは、そこにまで至る過程。当初、住民要望が2,000項目以上!出た。それをほぼやって!市民から「それは行政に言うていくもんやない」という声も出てきた。
「政策決定のプロセスに市民の声を取り入れていくには、利害対立する住民同士が直接会して議論することが決定的。市民の知恵や専門性を活かし、市民自身が公共の課題を実現していく仕組みをつくること」(白川議員)。
「市民の意見を聴く上で、議会や会派という政策集団の意味は大きい。(議会や議員は)市民との対話の担い手である」(新川先生)
「下り坂の時代」「縮退社会」では、議会や行政の役割、住民の責任、合意形成のあり方が変わる。
その過渡期の生きた教訓について、議論を深めたシンポジウムであった。50名が参加。
旧警戒区域に行ってみた
4月24日、福島第二原発に隣接する富岡町に行ってみた。富岡町は現在、警戒区域の指定を解除され「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に分けられている。原発事故で全町避難となり、早ければ来年4月から帰還開始ともいわれているが、すでに昨年9月に帰還宣言をした隣の楢葉町では、戻ってきた住民は5%程度といわれている。
今回は津田大介氏の企画によるもので、「旧警戒区域ツアー」と「いわき万本桜春祭」の組み合わせ。富岡町のツアーは、「旧警戒区域に行ってみっぺ」ツアーを運営する、ふたば商工株式会社によるもの。「いわき万本桜春祭」については後ほど。
ツアーは、いわき駅前からマイクロバスで出発。ガイドをしてくださるのは、富岡町出身の仲山さん。
一昨年12月にいわきに来たときには、ビジネスホテルにも建設会社のマイクロバスが駐車していて、原発事故収束作業の人たちの「出撃拠点」となっている様子がよく分かった。当時は「バブル」といわれるくらいだったが、今も飲食関係は賑わっているようだ。
ただ、線量が下がり、除染が進むにつれて「出撃拠点」は北へと移動していっている。
バスの中で、仲山さんが、当時の様子をいろいろ語ってくれる。今だからこそ「普通に」話せているのだろうが、地震の恐怖はもとより、目に見えない放射能による被曝の恐怖のなかでの避難生活の日々は、想像できないほどのものだったろうと思う。
かえって目の前のこと―あした食べるものがあるかとか、どこで寝られるかとか―でいっぱい、いっぱいで、それしか考えられなかったと。
広野町、楢葉町と北上するに連れて、例のフレコンパックがあちこちに見えるようになる。除染をすれば、確かにそこの放射線量は下がる。しかしそこで出てくるものは「放射性廃棄物」。最終処分場へ移すまでの仮置きとされているが、県内に造るとされる最終処分場のメドは立っていない。(左は作業関係車の駐車場となっているJビレッジ)
廃棄物の量を減らすために、年月の経過とともに線量が低くなった除染廃棄物を分別し、焼却するための仮設焼却場も新たに造られ、稼働を始めている。帰還が始まると、家の片付けなどでまた廃棄物が増えるだろう、と仲山さん。だいぶ減ったね、と思っていたらすぐにまた増える、その繰り返しだと。
福島第二原発が見える高台の広い公園からは、フレコンパックの仮置き場が広がっているのが見渡せる。「帰っていい」といわれても、目の前にこんなものが山積みになっているところに、帰ってくる気になる人がどれだけいるのか、と仲山さん。
帰還が始まる、ということは補償の打ち切りをも意味する。やりきれない。
フレコンパックが置かれているところは平地で、津波で全部流されたところ。津波で何もなくなったところは、本来なら一番最初に復旧できるところだが、そこがフレコンパックの置き場になって、逆に帰還をあきらめざるを得ない。さっさとよそで生活再建しようとなる。
全町避難のまま五年たったまち。放置されたままの建物は、当時の被害を残しつつ、廃墟化が確実に進んでいる。外見はそれほどでもなくても、人が住まないとこんなに荒れるものか、と思う。「屋根から雨漏りすると、家はすぐにダメになる。屋根を直していない家は、帰ってくるつもりがないということ」とのこと。
ショッピングセンターに車が放置されている。私有物であるため、所有者の確認なしには処分できないとのこと。ほとんどの車は片づけられているが、中には所有者と連絡がとれずに、そのままになっているものもあるらしい。
ナンバープレートで所有者は確認できるのだから、住民票がそのままで避難先が分からないとか、もしかしたら亡くなっているとか、家族の連絡先も分からないとか…。原発事故で壊されたものの大きさ、重さ、痛みなどを思わずにはいられない。
軽の車内をのぞいて見ると、助手席に女性のマフラーが。急いで避難したのだろうか。無事に避難できたのだろうか。タイヤはもう完全にペシャンコ。
すし店も看板が落ちている以外、外見はほとんど壊れていない。中をのぞくと、皿やはし、醤油がテーブルの上にそのまま残っている。
桜の名所として有名な夜ノ森地区は、富岡町のなかで最後に残る「帰還困難区域」。ここでの線量は2.07マイクロシーベルトと、やはりほかの地区よりも高い。(左)
よくも悪くも原発とともに生きてきたまちは、これからも事故処理と廃炉の長い過程を原発とともに歩んでいかざるをえない。「だから私らは簡単に原発がいい、悪いは言いません。ただ、原発事故によって私たちが何を失ったのか、それをぜひ考えてほしい。そのためにここに来てほしい」と。(右 仲山さん)
浜通りにあった県立高校4校は、原発事故後に休校となり、代替としてふたば未来学園が昨年つくられた。これは実質廃校なのだが、それを正面切って言わずに、なし崩し的に廃校へのプロセスが進んでいる。福島原発事故が、なし崩しに「風化」させられていくことを象徴しているような気がする。
「いわき万本桜」は、原発事故で計り知れない負の遺産を未来に残してしまったことへの懺悔と希望を桜に託して、山いっぱいに9900本の桜を植えようというプロジェクト。地主のみなさんの協力を得て、山全体を「美術館」に見立て、オブジェも配置している。回廊(左)を設計したのは蔡国強氏。(右 プロジェクト代表の志賀さんと津田さんのトーク)
この日は二日間の「春祭り」の最終日でもあり、親子づれなども屋台で飲み物や食べ物を買ったり、風船細工で遊んだりと縁日のような雰囲気。周りには菜の花がいっぱいに広がるなかでのコンサート(青葉市子、小山田圭吾、U-zhaan)。林の中から小鳥たちもジャムセッションに加わった。
旧警戒区域で考えざるをえない「負の遺産」の重さ、風化させるわけにはいかない痛みや教訓とすべきことの数々、そしてそれでも・あるいはだからこそ、菜の花が咲き乱れる春はめぐってくるし、私たちには希望もあるのだと思う「長い一日」だった。
シンポジウム「アジアの地域統合と日米中」
4月23日、第104回シンポジウムを開催。テーマは「アジアの地域統合と日米中」。日本が位置する北東アジアは、歴史的・地政学的背景から米、中といった大国間関係を軸にものごとを見ることが多い。この枠では、日本は米中関係の従属変数になる。今回のシンポジウムでは、アジアではじめての地域統合であるASEANの視点を加えて、より域内アクターを主体とした地域関係構築の可能性や方向性について、議論してみようというもの。
パネラーは、川島真・東大教授、李鍾元・早稲田大学教授、大庭三枝・東京理科大学教授、柳澤協二・元内閣官房副長官補(安保・危機管理担当)。
@アメリカ大統領選挙とアジア戦略の方向性 A南シナ海をめぐる米、中、ASEAN各国の攻防、および今後の地域秩序への含意 BASEAN統合の意義と東アジアの地域間関係の今後 といった点について、活発な議論が展開された。
アメリカの後退と中国の台頭という大きなトレンドのなかで、大国ではないが小国でもない日本が道を見誤ることなく、「身の丈」にあった賢い選択をしていくための、考える材料や座標軸がさまざま提起された。
「オーガニックをスタンダードに」
食と暮らしのマルシェAcha☆Acha (アチャアチャ)は、大賑わい
4月9日(土)に、越谷駅前広場で、食と暮らしのマルシェ「 Acha☆Acha (アチャアチャ)」(インドの言葉で「楽しい!」の意)が、開催されました。
このイベントは越谷で子育て中のママたちのグループ「しあわせのたねプロジェクト」が主催し、越谷周辺のこだわりを持った小さな飲食店や個人商店約35店舗が出店しました。昨年に第1回を市役所前のウッドデッキを会場に、15店舗が出店し、約1000人の市民がイベントを楽しんだことから、今回の第2回目となりました。
また、「あなたが手に取って読みたい議会だよりは?」という議会だよりの表紙について越谷市議会を始め、全国議長会でグランプリを受賞したあきる野市を含む8議会の議会報に参加した市民によってシール投票も行いました。
投票の結果は、やはりあきる野市がトップだったのですが、意外と(?)と越谷市議会報にも、地元意識からか得票が多くありました。
11:00〜15:30という子育て世代が動けるわずかな時間でしたが、約5000人の(特に若い)越谷市民でごった返し、大盛況で終えることができました。
「オーガニックをスタンダードに」これが今回のお祭りのコンセプト。
自然に沿った子育てがしたい。地場の野菜を食べ、近所のお店で買い物し、地域のつながりの中で安心して子供を育てたい。そんなひとりの子育て真っ最中のママの夢が、大勢の人の協力で形になりました。
また、単なる一日だけのお祭りの終わることなく、市民一人一人が有機的に繋がっていくことや、子ども達の未来を作り出すのは地域での舞台であることを共通の認識としました。
そのため、来年3回目のAcha☆Acha (アチャアチャ)を、企画していますが、出店した店舗の市民の中から、実行委員になって頂き、市民と店舗(商品を通して)を地域で更に繋げて行きます。それは、市民が今回飲食や購買した店での購入や、市民自身が生活の在り方を変えて行くことになります。
今回は企画から運営まで、全て子育て中の10人程度のママたちが担いました。
特に出店者の募集では、1か月間にわたり約70店への説明、お誘いに取り組み、中心のママ達は子どもの手を引き、一軒一軒訪問しました。
私たちは、仕事をしたくても保育園に預けることができない。かといって家にいると、社会から疎外されたように感じる(子育ても立派な社会参加なのに!)という、日ごろ自分の存在価値を感じられる場面が少ないように思います。
ところが、能力さえ引き出されれば、わたしたちにもできることがあり、それに社会が呼応してくれるんだという実感を持ったイベントでした。
わたしたちが「こうだったらいいな」と自由に発言する場所や、 自由にチャレンジさせてもらえる場所、 必要な情報や人をつなげてくれる市民活動支援のセンター機能がもっと充実すれば、個人の夢や趣味的だったものが思わぬ発展を遂げて みんなの暮らしにも豊かさをもたらすのではないかと思います。
わたしも含めママたちは、特に震災後のこの5年で視野も広くなって、世の中にも目が向くようになりました。
新しい公共の担い手は、こんなにもたくさんいる。
これからもママたちが自分のペースで活動を続け、新たな担い手が続々と誕生する、市民が市民をエンパワーメントする街に進化していけたらと思います。
https://www.facebook.com/hashtag/achaacha?source=feed_text&story_id=849515198509200
山田裕子
おひさまツアー@飯田
長野県飯田市の再エネ市民発電のパイオニア、おひさま進歩。その出資者ツアーが今年も開催された。今年は七年に一度開催される「お練りまつり」と出資先事業所の見学。お練りまつりでは屋台獅子の迫力を堪能。事業所見学では、特産のきのこ栽培での取り組みと、生徒の発案がきっかけとなった中学校の発電所、そして地域自治会の発電所を見学。持続可能な社会、エネルギーの地産地消にむけた、地域の人びとの意思と出資者の意思との、顔の見える≠ツながりを実感できるツアーとなった。
【圧巻のお練りまつり】
お練りまつりは、大宮諏訪神社の式年大祭に合わせて行われている。天竜川沿いには数々の「諏訪神社」があり、その一の宮が諏訪大社。大宮諏訪神社にはその「外縣(そとあがた)」の名が冠されている。
お練りまつりでは、各地の自治会を中心に、総勢44団体による芸能が披露される。その多くは獅子舞。飯田の獅子舞は「屋台獅子」といわれるもので、獅子の体に見立てた大きな屋台と幌を、大勢の人が動かす独特のもの。
なかでも有名なのが「東野大獅子」と「大名行列」。おひさまスタッフの心くばりで、どちらもベストポイントで見ることができた。
「東野大獅子」は屋台獅子のなかでも最大のもので、100人くらいで動かすそうだ。獅子頭は30キロもあるため、持ち手は交代しながら務める。さらには、持ち手の腰を支える人も見えた。宇天王(王様)は、手綱で獅子を操る様子を豪快に舞う。大きな獅子が暴れる様子は迫力満点。
屋台獅子のなかにいる人には、外は見えない。移動の時はナビゲーターがトラメガで、「前へ」とか「もっと右」とか指示するが、舞の最中はそれもなく、左右に控える補助縄の持ち手が唯一のガイド。全員の息が合わないと、とてもできない舞いだ。週に一度の「獅子舞の練習」が休暇として認められるくらい、地域に根付いた活動でもある。
「大名行列」は明治五年から続く。天覧旗を先頭に、化粧傘や諸道具を担ぐ人々が行列となって、はりのある声で所作を行う。ダイナミックな獅子舞とは対照的に、整然とした美しさのある出し物。
おひさま進歩の原社長が区長を務める地区、上茶屋獅子舞からは、ツアー参加者に「お祓い」(「お祓い」という言い方が適当なのか?)を受ける。黒獅子と宇天王のほかにお猿さんもいて、幣束をいただく(ご利益あるかも)。
お練りまつりは三日間にわたり、まちのあちこちで、獅子舞をはじめとする伝統芸能が披露される。民俗芸能の宝庫といわれるこの地域でも最大のお祭りで、まちは人であふれかえる。飯田とその周辺地域の文化資本、社会関係資本の厚みを、まざまざと実感した。
【さくらファーム】
翌日は発電所見学。まず訪れたのは、しめじを栽培する「さくらファーム」。廃棄物だった菌床(おが粉が主体)を、蒸気殺菌用ボイラーの燃料として加工している。また工場内の照明をLEDに代えて省エネ。空調機の変更と合わせて、電気使用量を20%削減。
さくらファームがあるのは、しめじ栽培発祥の地といわれる地域。地域の特産品だからこそ、「環境にもいいものを」と社長さん。しめじの菌床は水分が多いため、その乾燥工程がひとつの課題だったが、ボイラーを開発・導入することで、それまでかかっていた灯油代、廃菌床の処理費が大幅に削減された。
LEDもコスト面だけではなく、壊れて飛び散るリスクが蛍光灯よりも少ないという「安全安心」なものづくりの観点からでもある。社長さんのお話の端々から、こうしたものづくりに対する真摯な姿勢が伝わってくる。
【旭ヶ丘中学 かやの木発電所】
続いては、旭ヶ丘中学での発電所認定式。すでに3月12日から系統に連携しているが、ツアーのことを知った校長先生が、出資者も招いた開所式をと、日曜日にわざわざ開催してくださった。
きっかけは生徒会副会長に立候補した生徒の「学校に太陽光発電をして、持続可能社会に貢献しよう」との公約。これに学校が応じて、行政、地域に働きかけ、PTAやおひさま社も連携して、発電所が作られた。校舎の屋根のパネルは56Kw、体育館には非常用独立電源も設置。同校のシンボルツリーにちなんで「かやの木発電所」と名づけられている。
生徒からは@どんな施設ができるのか Aどんな方々の力で、どんな考え方でできるのか、なぜ本校へ設置することになったのか B私たち生徒会はこれからどんな活動をしていけばよいか という地域の担い手として頼もしい限りのプレゼン。推進協議会に加わる地元自治会からも、心のこもったあいさつが。
これは「みんなとおひさまファンド(2015)」の出資事業であり、飯田市の地域再エネ条例による認定事業にもなっている20年間の事業。この日は、おひさま社と発電事業推進協議会(生徒会など学校関係者、自治会などが参加)との間で、「地域貢献契約書」が交わされた。売電収益から年間10万円が、寄付される。これを地域のなかでどう使っていくか、生徒会も交えて話し合って決めていくことになる。
こうして蒔かれた種が、樹齢四百年以上という同校のかやの木のように、大きく育っていきますように。
飯田のまちづくりに中学生が大きな役割を果たすのは、はじめてのことではない。飯田のまちは空襲にはあわなかったものの、戦後直後にまちの大半が焼失するという大火に見舞われた。
まちの復興にあたって、中学生たちが新たにできた防火道路に、りんごの木を植えようと提唱。「手入れはどうするのか」「盗まれるに決まっている」という大人たちの声に、「りんごを盗むような人はだれもいない、そういうまちをつくろう」と中学生。
先生たちもそれに応え、りんご並木が作られた。せっかく実ったりんごが盗まれる、という事態も乗り越えて、今も中学生たちがりんご並木の手入れをし、秋にはたくさんのりんごが実っている。
【山本おひさま広場】
次に訪ねたのは、旭ヶ丘中学の校区である山本地区の「おひさま広場」。信濃の国おひさまファンド(2014)の事業で、地域自治会による事業。飯田市再エネ条例による認定事業でもある。
住宅地のなかにある大手企業の所有地のうち、管理できなくなった部分に市、自治会、土地の所有会社が連携して防災広場を作り、その一角に太陽光パネルを設置している。通常は全量売電しているが、災害時には非常電源として使える。おひさま社から山本地区に寄付をする、という形で地域貢献。
おひさまスタッフが地域に入り、自治会をはじめ地域の人びとの話し合いやノミニケーションを何回も重ねて合意形成。生い茂った雑草の草刈りや整地、芝張りなど、地域のみなさんが力を合わせて作業した。明るい日差しが気持ちのいい芝生の広場は、近くの幼稚園の子どもたちの格好の遊び場になっている。
地域の話し合いは手間がかかるが、山本地区の成功例を見て、他の地区からもそれに続こうという機運が生まれつつあるとのこと。「よそもの」のスタッフが、着実に地域に根づきつつある様子も伺えた。
今回のツアーでは、おひさま社の再エネ発電事業や省エネ事業が、地域のなかでどのように人びとに担われているのか、まちづくりにどう関わっているのかなどが実感でき、「お金に意思をのせる」(原社長)ことでうまれる関係性が、よりリアルに感じられた。
また全国に先駆けて、エネルギーの地産地消をめざして作られた飯田市再エネ条例が、地域のなかで着実に効きはじめているとも感じた。
3.11 復興は終わらない
5年目の3.11。5年を区切りに、国によるさまざまな支援事業が終了する。えっ!被災地での生活再建は、まだまだ先なのに…。
3.11さえ忘れかけているように見える東京で、3.11を語り継ぐ。そんな思いで、今年も「飛梅」では、東北の生産者さんたちのお話を聞き、私たちに何ができるかを考え続ける場を設けた。
「飛梅」は仙台市を中心に展開する飲食店。3.11では被災するも、人的な被害は免れ、すぐに在庫の食材を使って炊き出しを行う。そして復興に立ち上がった被災地の生産者を支えるべく、東京に「牡蠣小屋」をオープンした。
被災地では震災で、牡蠣養殖をはじめとする第一次産業の生産が中断してしまった。いち早く生産再開にこぎつけた事業者にとって、大きな壁となったのは販路。生産再開を待っていてくれた取引先もなくはないが、ごくわずか。一度失った販路は元には戻らず、新たな販路を作らなければならない。
そこで飛梅は飲食業として、東北の復興を支えるべく、東京で東北の食材を提供する「牡蠣小屋」を出店。神田に続き新橋に第二号店をつくった。今や飛梅だけで、宮城県産出の牡蠣の1%を消費するまでになった。(でも、まだまだこれから。)
この日は石巻の産業復興支援員、「飛梅」に食材を提供する蔵元、漁師、水産加工業者さんが「あの日起きたこと」、復興に向けたこれまでの歩み、これからの思いをそれぞれに語った。
店内は、東北に思いを寄せる人々で盛り上がったが、正直に言うと、昨年よりも集まり具合は低調だったとのこと。生活の再建、まちの再建、くらしの再建は、まさにこれから。地域の力、自治の力がますます必要とされる。そこに思いを寄せていきたい。
立憲主義から参院選を語る
2月21日京都で、第27回関西政経セミナーを開催。
京都三区衆院補選(4月24日投票)に立候補を表明したばかりの泉健太議員も急遽参加し、7月参院選の予定候補者(前田武志議員・全国比例、福山哲郎議員・京都、尾立源幸議員・大阪)自身が「立憲主義から選挙を語る」パネルディスカッションになった(隠塚功・京都市会議員も)。
「国会も世論もギリギリの戦い」といった泉議員。国権の最高機関としての国会での「官邸の振舞い」に主権者たる国民は?福山議員は「有権者の質が変ってきている」とも。「民意の劣化」の一方で、生活の実体験をつうじて「いままで考えたこともなかった」立憲民主主義主義とは何かが体感されつつある。
たとえばこうだ。おだち議員「公的年金の67%を元本保証のない株式投資に回せる運用方針の変更が、国会の関与なしに決められている」。おんづか議員「マイナンバー制度も運用は政府の外郭団体に丸投げで、自治体にはなにも知らされていない。京都市では3万7千人がカード申請したがシステムの不備で1千枚しか登録できていない」
フロアからの白川同人(越谷市議)の発言「事実を伝えれば有権者は動く。問題は、それに耳を傾けてもらえるまでの日常活動を通じた信頼と関係性の獲得だ」。前田議員からも「FIT導入はじめ、事業につながる政策を実現してきたが、その現場に足を運ぶことをしないでどうするのか」と叱責が。
政策観も変わる。税と社会保障の一体改革のキモは、将来世代につけを回さない=単なる格差是正ではない、財までの再分配と増税のセットだ。「人類がはじめて、戦争や革命を伴わずに、財までの再分配を行えるのかどうか」立憲民主主義をめぐる政治攻防戦の歴史的性格を、戸田代表はこのように言った。
第3回「くらしとせいじカフェ」@古民家
2月18日(木)午前10時、越谷市越ケ谷の古民家を会場に、第3回「くらしとせいじカフェ」が開催された。主催は、くらしとせいじカフェ@越谷 実行委員会。
市議会終了後、子育て中のママや市民が中心となって、地域や子どもや、市議会や町の未来などをテーマに、様々な立場の市民同士が車座になって語り合おうと、昨年の市議選後から始められた。これまで、赤ちゃん連れの母親も参加しての喫茶店や、青空の下、公園の一角での開催を続けて来た。
毎回色んな市民が参加して話あう。何か結論を出すという場ではないが、「考え続ける市民」、町の再生のため「私は何が出来るだろうか」を、多角的な視点で話し合って来た。自治みらいの議員は連携し、取り組んでいる。
今回の場所は、越ケ谷宿の蔵の2階で開催され、予想を超えて市民ら23名が参加し、会場は正に車座となった。
裸電球一つの灯りのため、少し薄暗い2階の8畳程の部屋。急勾配の狭いハシゴを登った板張りのスペースだ。90年前に建てられた、蔵づくりの物置きを、地元の所有者が市民に日頃から開放している場所。暖房は、部屋の真ん中に置かれた火鉢だけで、炭の匂いが心地よいし、結構暖かい。
テーマは「私たちのまちづくりと空き家利活用」。ゲストに釘清商店の井橋さんと、NPO住まい・まちづくりセンターの代表で、越谷市大里で、市民の出資と参加で空き家を再生した「みんなの家」を作っている若色さん。
日光街道の宿場町だった越谷商店街の活性化のため、日々奔走されているお話や、地域住民を巻き込んだ空き家活用の実例が、最初に話された。
ぼやっとしていた「まちづくり」が、リアルに自分ごとになってくる。越ケ谷宿をはじめとする古民家や商店街に息づく人々の関係性は、お金に変えることのできない貴重な財産であり、まちづくりイコールひとづくりが実感された。
「かつて、江戸に米を舟で搬入し、米相場を越谷の地で決定していた米どころだった」、「先の戦争で空襲の時、焼夷弾を避けてこの蔵に逃げて助かった」。そんな話が、飛び交いながら町の歴史や、人々の生活の息遣いを感じるため、次々と参加した市民の発言が続いた。
今日この蔵に集ったメンバーも多種多様だ。ママたち、近隣の自治会の方々、ご近所さん、若者・・・一般的に議員の報告会となると、地元の方か支援者の方になりがちだが、今日は地区もバラバラで世代も20代〜90代!までの多世代が参加しており、だからこそ幅広くて自然な笑顔がこぼれた。
また、ママの手作りのぜんざいが一杯100円で振る舞われ、より一段と市民の一体感が生まれていた。
チョコと私と立憲主義
バレンタインデーの2月14日、「チョコと私と立憲主義」勉強会。大阪のロフトプラスワン・ウエストで。SADL主催、80名超ほぼ満員。
はじめに、SADLメンバー6人での「ふり返りトーク」から。都構想住民投票からダブル選を中心に。
「市民が自分のまちをどうしていくのか」(住民投票)で街に熱気あったが、ダブル選では政党と政治団体のものという意識が出て、引いてしまう。選挙法への戸惑いもあったが、選挙期間中にデモもおこなって、「選挙って意外に自由にできるんだ」と感じる。
参議院選挙に向けては、「chat4vote」(街頭で二人で1時間の「選挙のためのおしゃべり」をネットで流す)や、街頭でのアンケート・ボード、シールズや高校生とのオール関西のデモを3月6日に企画。政治の話をしてまちをにぎやかにしたい。
「街頭で、戦争法ってどういうことや!と突っかかってきた人に、アベさんも戦争しないための法っていってるし、私も戦争になりそうな法っていってるから、戦争法でいいんじゃない、といって1時間も話になった」「歯科検診の保険適用除外の話なんかするとみんな関心があってもりあがるよね」「みんなでもっと話そう!」
後半のトークセッションのテーマは、「わたしたちのくらしと立憲主義はどうつながっているか」。『私たちの声を議会へ〜代表制民主主義の再生』(岩波現代全書)の著者、三浦まり・上智大学教授を交えて。
あらかじめ準備された質問は、「なぜ、私たちの声が政治にとどかないのか?」と「立憲主義ってなんだ?」。
三浦まりさんは、「町内会や労組などの中間組織が弱体化し、市民と政党の回路がなくなったが、3・11以降に新しい民主主義のインフラができつつある」「日本は政権だけでなく企業にも法を守る意識が緩んでいて、法治国家から道徳国家にかわろうとしている」「個人の尊厳を守る原則から国のあり方を規定するのが立憲主義」「権力と富の集中か分散かでベクトルを合わすべき。ますます住民自治が大切になる」と、フロアからも多数出された質問ペーパーにもこたえる。「再分配と増税の政策パッケージ、たとえば大学の無償化など希望のもてる政策が必要」とも。
最後のメッセージは、2月21日全国一斉高校生行動にたつティーンズソウル・ウエストの布藤君から。この日は8名の高校生が参加。
前日(13日)同志社大学で「憲法と民主主義を考える」講演会が、立憲デモクラシーの会、京都96条の会、戦争あかん!京都おんなのレッドアクションの共催で(100名余り)。
岡野八代・同志社大教授の京都市長選のふり返りのあと、中野晃一・上智大学教授が講演。「3・11以降、日本でも立憲主義を担おうとする個々人がでてきた。大きな転換が始まっている」。石川健治・東大教授は、天皇機関説論争の際に美濃部を擁護し、大正の一時期京都市長でもあった市村光惠が「明治憲法にうちこまれた立憲主義を立派なもの育てるようにした」ということを引き、市村が重視した「個人主義」「個人の尊厳」こそ憲法の精神であり、いまは立憲主義というプラットフォーム自体が壊されようとしていると講演。
質疑では、反原発の活動にかかわる50代前半の女性平和活動家から、「市長選挙で本田さんを推したが、戦争法と地方自治がなぜつながるのか?説明が足りなかったのではないか」「前回・前々回の中村候補は、南丹市の佐々木市長などとも原発事故時の避難計画など具体的に協議した。門川市長は、昨年の平和集会へのメッセージも寄こしたし、関電の株主総会でも発言している」という発言が注目された。
立憲主義から平和を考える集い
「デモクラカフェ越谷」が開催された同日午後6時30分から、越谷市中央市民会館の劇場で「立憲主義から平和を考える集い」が、市民150名ほどの参加の中で開催された。
主催は、STOP!戦争法 オール越谷市民アクション。これまで越谷駅前広場での3回に渡る集会やデモ、沖縄問題を題材として、映画上映会や安保法制反対2000万人署名運動に取り組んでいる。
今回の集会は、さらに市民一人一人がその運動を広げるための主体になって行こう、と企画された。
集会ではまず記念講演として、「安保法制違憲訴訟と私たちの未来」と題して山中光茂・ピースウイング代表、前三重県松阪市長が登壇した。
山中氏は、昨年からの安保法制反対の市民運動や参議院選挙での野党共闘に関して、「運動の高まりを評価するものの、政治主義的な傾向を排して日々のくらしの問題を市民がどう受け止めるのか、が大切。また戦後平和を作り続けてきたことに、もっと誇りと自信を持つべきだ」と強調した。
次にパネルデスカッションに移り、山中氏を始め、石河秀夫(埼玉弁護士会会長)、元山仁志郎(学生団体 SEALDs)、中野晶子(安保法制に反対するママの会@埼玉)、福田晃(越谷市議・民主党)、山田大助(越谷市・共産党)のパネラーと、白川秀嗣(越谷市議・自治みらい)のコーデイネイターで進行した。
発言の中では宜野湾出身の元山氏から、宜野湾市長選挙の敗北に関して「政治的スローガンだけでの選択ではなく、地域の課題との関連性での提起が重要」。
また、山田議員から市議会の多数派形成に関して、「日常の市政のテーマで、できうる限り議会全体の合意を図る日常的な取り組みが必要」と強調された。
さらに中野氏からは、昨年の運動の盛り上がりから少し下降している地域の空気に触れ、「お友達に政治の話をすると、ひかれてしまうこともあるが、子供たちの未来を守るためには、小さな正義をくらしの中で押し通す覚悟が問われている」との発言に、会場の共感を生んでいた。
最後にコーディネーターの白川市議から、立憲民主主義に関して「多様な市民の利害関係者や立場を前提として、次の新たな社会の構築と担い手をつくるためのルールとして、市民が使いこなすことが出来る環境になった」と締めくくり集会を終了した。
山中氏を始めパネラーや市民20名ほどで、会場を移動して交流会を開催し、午後11時過ぎまで活発な論議が交わされた。
「デモクラカフェin越谷」
2月6日(土)午前9時30分、越谷市市民活動支援センターで、「デモクラカフェin越谷」を開催した。
主催したのは埼玉政経セミナー。本年7月の参議院選挙からの18歳への選挙年齢の引き下げや、シティズンシップ教育など、若者の政治参加が注目されている中、身近な市会議員と学生の話し合いの機会をはじめて設定した。
参加したのは、市内にある文教大学の学生20人程と工藤秀次議員(共産党、1期)、山田裕子議員(無所属、1期)、菊地貴光議員(無所属、3期)、白川秀嗣議員(無所属、4期)の4人の越谷市議。
当初は、昨年当選した一年生議員(自民党、民主党、無所属、共産党)の5人の参加を、学生が主体となって要請したが、それぞれ都合で欠席となった。
主催者を代表して岡田英夫氏があいさつした後、市議会の簡単な仕組みの解説ののち、@議員になった動機A少子化についてB教育について、をテーマにそれぞれの議員が発言した。
参加した学生は、全員教師を目指している学生サークルのメンバーだったが、4つのテーブルに分かれて、コーヒーや紅茶、クッキーをつまみながら議員と自由な話し合いとなった。
特に、教育について各議員がどのように考えているのか、また行政の改善の方法がないのか、との質問に議員が応えることが目立った。なかには月に一度、こどもたちにボランティアで勉強を教えている学生もいた。
終了後話し合いの印象を聞いたが、「こどもたちに向き合うには、その親や、地域の問題への関心や、社会や時代への変化に敏感であることが大切だ」との議員の発言に、これまで考えてこなかったことであり参考になった、と話していた。
今回の催しに先立ち、1月29日朝の宣伝活動にも、埼玉政経セミナーのメンバーだけでなく、中心となった文教大学生も参加して、文教大学の最寄りの駅、北越谷駅でマイクやチラシ配布での呼びかけも行った。
今後、議会での質問の素材や問題提起に、学生サークルの意見を聞くための会議や、第2回目デモクラカフェin越谷の開催も検討していくことになった。
ワクワクする未来
2月9日、草津市まちづくりセンターで、「夕食のおかずについて話すように政治について話そう」とあつまったお母さんたちの「くらしとせいじカフェ」&「シニア女性の会」の呼びかけで、「憲法に緊急事態条項は必要か」をテーマに勉強会。あさ10時から!の会に20人以上が参加。活発な意見交換がおこなわれた(写真は、交流会の様子)。
「緊急事態とやらを、戦争・テロ・大災害というふうにだけ刷り込まれてませんか?」という問いかけに、気候変動や食の安全、エネルギー、子どもの貧困、アベノミクス危機、財政緊急事態など「日常生活につながる緊急事態」について、自分たちから考え行動していかなければならないと、堰をきったように意見がでた。「おまかせ政治」で緊急事態を語れば「憲法に緊急事態条項がないと国民の安全は守れない」という発想に。「憲法に緊急事態を規定しておかないと権力の暴走を許す」も同じ、そこで思考は止まってしまう。
「私たち人間がすべての戦争をやめる方法はどこにあるのか?そしてそれが本気なのか?今日も続く辺野古やシリアや福島などの世界中のギセイは私たちの暮らしの先にあり、そのうえで私たちの幸せがあるという循環を変えれるのは私たち」(くらしとせいじカフェ『あすのわしんぶん』)
近所の人や知り合いに、アベ批判をしても「ああそうなんだ」で終わる。年金や暮らし、子育てという話から入れば真剣な話になる。「あなたの望む社会ってなんだろう。自分たちの未来ってなんだろう。ワクワクする未来なんていっぱい思いうかぶよ。ワクワクする社会、ワクワクする政治、ワクワクする仕組み、ワクワクする暮らし!!」(同)みんなでつくる新しい流れがみえる。
くらしとせいじカフェは、『シェーナウの想い』や『戦場ぬ止み』の上映会を一人ひとりが呼びかけたり、今日のような勉強会をしたり、超党派の議員を呼んで野党共闘について語り合ったり、「みんなでまあるく手をつなごう」というもの。滋賀の立憲デモクラシーの会や「しーこぷ」などと共同で、近く「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民の会・しが」を立ち上げる。2月20日(土)午後2時〜草津市の「アミカホール」で。近くの方はぜひご参加を!
【あすのわブログ http://asunowa.shiga-saku.net/ 】
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