恒例の望年会を開催 | ||
12月10日、恒例の望年会を開催。戸田代表からは7回大会にむけた問題設定が提起された。以下は断片。 「2012年は世界的なリーダーの交代期。歴史的にみれば今年は辛亥革命100年であり、中国は世界第二の経済大国となった。日本が世界第二の経済大国になったのも、ほぼ明治維新から100年。同時に今年は真珠湾攻撃70年。このときの愚策も、中国のナショナリズムをはじめとする動向の深さを読み違え、アメリカがモンロー主義から脱して覇権大国へ転じていく動向を読み違えたところから。再び歴史のステージは、中国の台頭とアメリカの転換―911以降の対テロ戦争10年のすさまじいダメージから、起死回生の活路を求めてアジアに回帰しつつある。この状況を読み違えると、日本の命運はない」 「中国とアメリカの動向を、今回はしかと心得て日本の役割を。大国になるということではなく、うまく回るような潤滑油の役割。別の言い方をすれば、陸のアジアと海のアジア。海のアジアとはAPECを提唱した大平元総理の提言。明治以降、国際派はつねに肝心なときに負けてきた。今回は国際派と勤皇・伝統とを結びつける、尊王開国で決着をつける」 「この転換のときに、ノイジーマイノリティーが幅を利かせるのではなく、サイレントマジョリティーを輿論として形成すること」 「EUをはじめ、世界は破綻のルール化に直面している。国民国家の時代の枠では、日本は周回遅れのトップランナーだが、21世紀の課題から見ると『課題先進国』。Japanisationが蔓延した国際環境をどう生かすか。ある意味で天佑。『開かれた』凌ぎとは、こうした感覚がないと分からない」 「同時に権力問題、政治の意味が大きく変わった。社会環境がより健全になるように整備する、それが政治の役割。圧倒的フォロワーは、国・地域の再生のために持てる力を発揮する。そのフォロワーシップの発揮の諸問題を心得ている度合いでリーダーシップが生まれる。そういうことが分かってくると、権力闘争(目先の当選)に明け暮れる永田町の愚劣さを止める知恵も出てくる。→輿論形成」 「結局、時代の転換を背負ってたつリーダーがいない、人材がいない、というところにいきつく。しかしリーダーシップは「偉人伝」を読んでわかるものではない。リーダーシップとは結局、フォロワーシップをどのように発揮できるか、その経験と集積からこそ生まれる。フォロワーシップを発揮する、その環境整備、その諸問題を熟知している度合いがリーダーシップの素養」 徹夜で税制改正をまとめた五十嵐議員(財務副大臣)、初鹿議員、柿沢議員、さらには市議、区議、都議からもそれぞれ、今年の総括と来年にむけた抱負が提起された。また越谷、川崎などの読者会からも活動報告と大会にむけた意欲が語られた。 生活レベルでも今年は、「3.11後」を抜きには語れないが、これまでにない変化に対応し、「開かれた」凌ぎの時代を生きる知恵、主体性を前向きに語り、共有して一人でも多くの仲間とともに、七回大会に参加しよう! | ||
「2011年 望年会in京都」を開催 | ||
12月8日、京都市内で「2011年 望年会in京都」を二部構成で開催。 第一部は、三年連続で年末の恒例になった村田晃嗣同志社大学教授による講演〜テーマ「2012年の国際社会を展望する」 「辛亥革命から百年で世界第二の経済大国になった中国が、二十年先には少子高齢化による急成長のスローダウンが避けられない中、この二十年間アメリカをアジアに留めておけるかどうかが、わが国にとっての中長期的な戦略的課題である」ことが歴史的教訓として紐解かれた。さらに直面している世界共通の課題は「人材とリーダーの育成」だと喝破され、「リーダーの絶対条件はフォロワーとの関係性」であり、「われわれ自身が賢明なフォロワーになること」が主権者の歴史総括だと強調された。 第二部は懇親会。冒頭戸田代表から「今日もアメリカと中国の動向を読み違えないことが決定的。第一次大戦から世界恐慌、満州事変へと至る歴史教訓をどう今に生かすか。『欧米か陸のアジアか』の二者択一でなく『海のアジア』を日本はAPECとして提起した(大平政権)。日本がTPPに、腹も決まらない参加の意向を示しただけで、カナダ、メキシコが動き、日中韓FTA交渉が動く。事の本質はこれ。歴史的教訓のみが決断や使命感を生む」「生まれながらにして成長を知らない世代とロスジェネ世代を政治に参加させることが、新たな分配と成長の課題を解決する鍵になっている」と提起があった。 懇親会では、第一部から参加された門川大作市長より、二期目の京都市政に臨む決意が表明され、戸田代表から「20代からロスジェネ世代の投票率アップが帰趨を決する」との示唆とがあった。つづいて「第六回マニフェスト大賞」で市民部門の「最優秀マニフェスト推進賞」を受賞した、滋賀県草津市〜市民によるマニフェスト検証大会の実行委員会の中心メンバーである山本、小原両同人からの持続的活動の報告。乾杯の音頭は今江政彦・滋賀県議会議員。 七回大会第二部のパネラーをつとめていただく、諸富徹・京都大学教授からは、「グローバル化のもとで都市(地域)間競争の時代に入っているが、大阪や新潟の改革の動きはその角度から注視している」との発言があった。さらに、会員議員や京都・大阪の読者会メンバーからの報告のあと、隠塚功・京都市会議員(同パネラー)の「ぜひ、七回大会に直接足を運んでもらいたい」とのアピールで、中締めとした(司会・山本ひろふみ京都市会議員)。 | ||
第21回関西政経セミナーを開催 | ||
第7回大会のプレ企画として、「環境・エネルギー・経済外交戦略」をテーマに、第21回関西政経セミナーを開催(11月6日・京都市内)。 中西寛・京都大学教授、諸富徹・京都大学教授、隠塚功・京都市会議員がパネルディスカッションをつうじて、日本を取り巻く国内外の劇的な構造変化のなかで「外交の再定義」をどのように行っていくか議論を深めた(司会・石津事務局長、まとめ・戸田代表)。 「開かれた凌ぎの時代の外交」には、国民のマインドが「内向き」「被害者根性」ではどうにもならない。タイの水害が日本の自動車・電子産業を直撃する時代に、TPPを関税自由化の一面からでなく、資源・エネルギーや食の安全保障という戦略的課題としても考えることが不可欠だ。社会経済制度の共通化(たとえば知的財産権の制度的保障)によるシナジー効果も大きい。大田など世界に誇る中小企業地域でも、地域での生産を堅持する部分と生産基盤を海外に移す部分を仕分ける戦略決定が生まれつつある(「円高に強いられた」海外移転から、円高をはじめとする制約要件をイノベーションの条件とする展開へ)。 生産年齢人口の減少、財政危機、円高などの制約条件に正面から向き合うマインドは、地域経営の是非をめぐって自治体が競い合う時代の必要条件=人的インフラになる。各地の農水産加工物を中心にした地域ブランドが、世界市場でも競争力を持ちつつあるなかで、地方自治体はもとより地域産業もまた「外交」のプレイヤーになりうる。中央政府の役割はそのための制度的障害をとり払い、公正な競争ルールを作ることに専念することになるだろう。 | ||
ローカルマニフェスト大賞 市民部門 最優秀賞 | ||
11/4、恒例となったローカルマニフェスト大賞の授賞式が行われた。 今年の市民部門・優秀マニェスと推進賞には、同人である山本、小原さんたちがかかわる草津市における「市民によるマニフェスト検証大会実行委員会」が、ノミネートされたが、授賞式において見事、同部門の最優秀賞に輝いた。これも04年からの運動の、継続と集積のたまものだ。 いずれ、「日本再生」紙上、京都望年会などでも報告される予定である。 | ||
被災地応援ファンド・応援ツアーで、気仙沼へ | |||||
仙台に朝8時に集合、バスでファンドの支援を受けている事業者さんを訪ねるツアー。 被災地応援ファンドは、一口一万円から資金を集め、被災地で立ち上がろうとする事業者を応援しようというもの。 今回のツアーでは、このファンドの出資をうけて事業再開にむけて歩みだしている「アンカーコーヒー」「石渡商店」「斉吉商店」「丸光商店」(以上、気仙沼)、「寒梅酒造」(大崎市)を訪ねた。 ツアーを企画したのは、地元NPO。以前から「人に出会うツアー」を考案して、まちの活性化に取り組んできた。今回のファンドも、東京のベンチャー・ファンドと、こうした地元の人脈とのマッチングから生まれたもの。 それぞれの事業者さんからは、事業再開に向けて具体的なタイムテーブルを伴うお話を聞くことが出来た。水産加工業や製麺所など、新規に工場を作るには、排水の問題や認可の問題など、資金面以外にもさまざまなハードルがある。しかしそれそれが培ってきた人の縁が、いろいろな手を差し伸べていることがよく分かった。そこにファンドの支援が、シナジー効果を生んでいる。 いずれも地元の材料を使い、大きくはなくても、雇用を生んできた事業が立ち上がることは、地域の復興になくてはならないピースだろう。 とはいえ、気仙沼の現実は厳しい。津波で被災したのは市の面積の5.4%だが、そこに市の事業者の90%が集中していた。つまり、産業(メシのタネ)が壊滅した。しかも地盤沈下によって、満水時には浸水し、干潮ではそここに水溜りができるという、いわば「干潟」のような状態で、とてもここに再建はできない。 かさ上げにしても、5メートルかさ上げしようとすれば、1日200台のトラックを使っても7年9ヶ月かかるという試算。その間に、人は出でいってしまう。だから、市民の復興委員会は、1.5メートルのかさ上げでいい、といっているそうだが、それでも費用も期間もかかるし、どれだけの山を削ればいいのか、という問題になる。 そして、かさ上げしたとしても、地震のときには液状化する以上、住むことはできない。これまでのような、職住近接は不可能ということだ。 再建をめざす事業者にとっては、浸水した土地を買い上げてもらえるのか、買い上げ価格はどうなるのか、何も決まっていないので動きようがない、ということもある。 ガレキの山もあちこちに。ようやく東京都が岩手県のがれき処理を受け入れた。抗議の声に、石原都知事は一喝したが、当然だと思う。都民のなかから「あんた、それはおかしいよ」という声が上がるのが、本来だろう。サイレントマジョリティーではなく、ノイジーマイノリティーを説得できる輿論でありたいものだ。 事業再開にこぎつけてからも、販路ひとつとっても課題は少なくない。復興ファンドの償還期間は8から10年。出資は、それだけの復興過程に寄り添い、伴走しようという私たちの思いを届けることでもある。 | |||||
9月13日、「戸田代表を囲む会in京都」を52名の参加で開催 | ||
ゲストスピーカーは、山田昌弘・中央大学教授(家族社会学)。 はじめに、山田先生が民間委員をつとめられている男女共同参画会議で「閣僚が興味をもった」という、三つの統計的事実から。 「女性労働力率が低い国は財政危機に陥る」「日本男性の小遣い率は国際的に低く、低下が著しい」「外国で日本人女性の国際結婚数が増えている」つまり、挑戦しようとする女性を活躍させない日本社会は、経済の側面からみても活路は無い。女性の職場進出は、財政を助け、経済を活性化させ、少子化を解消する。女性を活躍させている企業ほど成長率は高い。 代表からは、グローバルな市場の変化に対応する人材=人的資本の蓄積という観点から国内の制度を見直すことが必要であり(日本では、経済学的視点から男女共同参画に切り込めてこなかった)、日本経済の活路をみいだすためには、根っこのところでの発想〜次の時代に対応できる人材をいかにつくっていくか、次の社会的家族とは、次のパブリックの性格とは何かという発想〜が不可欠とコメントがあった。 また日本が前提にしてきた国際環境(ドル基軸通貨、中国やブラジルの急成長など)が明確に変化し、国にはすでに余力がない中で「暗くならずに深く考えていかないかん」「変化を日本再生のために生かせ」との示唆があった。 質疑では、「共感する。その上で制度的にはどうあるべきか?」を中心に、現状分析の共有の上で、政策ベクトルの変更に向けた活発な論議が行われた。 1月7日開催の第七回大会に向けて、11月6日の「第21回関西政経セミナー」、年末恒例の「望年会(12月8日)」で、それぞれ「環境・エネルギー・経済外交戦略」「2012年の国際社会を展望する」のテーマで、論点と問題設定の共有・深化をはかっていきたい(いずれも会場は、コープイン京都)。 | ||
「第七回大会(12年1月)にむけて、総会を開催」 | ||
9月4日、総会を開催。来年1月7日開催の第七回大会に向けて、六回大会以降の総括視点ならびに、3.11後の主権者運動のステージの論点整理を本格的にスタートさせる。 前半では、問題提起。戸田代表からは、七回大会にむけた論点の提起。 福嶋氏からは、「新しい公共とは、政府、市民、市場、それぞれの領域を「依存と分配」から仕分けすること、およびそれらの関係性を再構築する(依存と分配の関係性を仕分けする)ことによって、創りだされること。各領域で主体者、主権者を育てていくことの重要性が提起された。 五十嵐氏からは、野田内閣の「次」はないこと、そして「世界同時多発財政恐慌財」ともいうべき時代に突入し、財政規律に対するマーケットの判断如何で、一国の経済が危機に瀕するようなときには、「一国財政主義」(日本の国債は国内で消化しているから大丈夫論)は通用しないこと、こうした危機感とリアリズムで難しい財政運営にあたらなければならないことが提起された。 3.11で風景は大きく変わった。生活が変わり、政策ベクトルが変わろうとしている。3.11後の新しい常識と、3.11以前の常識にもどろうという「非常識」との攻防が、社会のなかで、生活次元で始まった。永田町もようやく、その常識の線を追認できる方向に一歩踏み出した。 大きなベクトルの転換のためには、新しい社会的多数派の形成が不可欠だ。(トップの「鶴の一声」で変わるものではない。中央政府の政策転換の前には、地方政府の政策転換があり、それを促進する市民社会の多数派形成と、その基礎となる生活革命がある。政府や政党にできることは、その社会的変化を追認することだけ。) その前提となる社会関係資本の厚みが、わが国には決定的に欠けている。むしろ明治以降、近代国民国家の形成過程は、それを破壊する過程でもあった。その意味でも、自治分権の発展と集積が、どの断面においても決定的なポイントとなる。 この制約条件の下で、政権交代後そして3.11後の主権者運動として、何を総括し、新たな問題設定をしていくか。これが七回大会のテーマとなる。 | ||
「東北行き 3」 | ||
三日目は松島へ。以前の賑わいは知らないが、観光客はそこそこ戻っているようで、なかには千葉や神戸ナンバーの車も見かけた。ここでも他県の県警や消防の応援車両が行きかっている。瑞厳寺前のお店も、1メートル20センチくらいまで津波が来た、とのことだが、一部を除いて営業をしており、「営業再開が決まったのでスタッフを募集」との張り紙もあった。 ここから観光船で塩釜へ。観光が産業の目玉ゆえ、全力をあげて五月からの再開にこぎつけたという。とはいえ、まだ乗客は少ない。案内の女性は東松島の在住で、津波で両親も家も失ったが、負けていられないと。自分の両親は見つかったが、まだ行方不明の人も少なくない。でも三ヶ月を期に「死亡届け」を出し、気持ちを切り替えようというひとも出てきているとのこと。また、義捐金もありがたいが(まだ一銭も来ていない!)、なによりこうして観光に来てもらうのが一番、と言っていた。 湾内には多数の島であり、それによって津波の勢いが減じられたのではないかと思う。とはいえ津波の影響で、かつての景勝がなくなってしまったところもある。 遊覧船から観光客が投げる「えびせん」に、カモメが群がる。彼らも五月から、営業再開か? 塩釜ではドックで漁船の修理が行われている。遊覧船の船着場では、地元の魚屋さんが食堂を再開している。海産物はかなりお買い得だが、持ち帰る手間を考えると二の足を踏んでしまう。破壊の爪あとは生々しいが、復興へむけて立ち上がろうという気持ちは、そこここで感じられる。 仙石線で仙台へ戻る。途中の宮城野駅では、楽天の試合の応援を終えた乗客が、ドッと乗り込む。老若男女、家族連れ、さまざまな人が思い思いの応援グッズを持っている。夢中で応援して、すっかり疲れて寝込んでしまった子ども、それを二人で支える若い夫婦。多くの困難を抱えながらも被災地が立ち上がるためには、回りが自分たちの日常を精一杯生きることもまた、大切なのだと思う。 | ||
「東北行き 2」 | ||
二日目は釜石へ。 まちのなかは、やはり大きく破壊されている。漁港そばの呑兵衛横丁は壊滅。それぞれ所有者、権利者が「解体可」とか「立会い希望」とかを壁に書いたり、旗に書いて立てたりしている。やはりここでも、ヘドロ臭とハエが気になる。 この日は仙台・秋保に宿泊。 | ||
「東北行き」 | ||
6月10日から12日、被災地を見に行った。「誤解を恐れずに言えば、『野次馬』でもいいから、現地に来て消費をしてもらうことが、復興の後押しになる」「恐れずに、東北に観光に行け!」とのメッセージを受けて、花巻、仙台・秋保に泊まりながら、気仙沼、釜石、松島を訪れた。 一日目は一ノ関から気仙沼へ。駅前はほとんど、被災の後を感じさせないが、海に向かって歩いていくと、角を曲がるとそこから先の通りは、一階が大きく破損したり、建物が崩壊している。確かに海のにおいがするが、ヘドロのようななんともいえないにおいが混じる。気温が上がってきて、ハエの発生が問題になっていると聞いていたが、たしかにハエが多い。 壊滅した魚市場の近くまで到達。信号もなく、歩道も陥没などがあり、目印になる建物もなくなっているので地図も役に立たず、駅へ引き返す。トラックが時々通り、市場のそばでは瓦礫の撤去作業も行われてはいたが、以前ならにぎわっていたであろう港のそばは、ほとんど人気がない。 この日は、花巻で宿泊。ホテルは五月まで被災者を受け入れ、六月から通常営業。神奈川県警、埼玉県警の応援部隊の宿舎にもなっていた。 |
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「第98回・東京戸田代表を囲む会」 | ||
6月9日、第98回・東京戸田代表を囲む会を開催。ゲストスピーカーは、松本武洋・和光市長。「和光市における市民主義の推進について」として、さまざまな市民参加の取り組み、ご苦労が紹介された。 市民参加を重視する背景として、40年間で人口が倍増し、新住民が多い中、旧来の市民参加(自治会を中心とした)だけでは市民の声がなかなか反映されない、ということがある。 自粛ムードのなかで行われた統一地方選についても、「自粛してうまくいった選挙はない」と、自らの主張、政策を徹底して訴える選挙を展開したとのこと(地域政党「さいたま改援隊」)。 |
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「自治分権のありようが問われる〜震災復興から地域再生へ」〜第20回関西政経セミナー〜 | ||
6月5日、京都市内で第20回関西政経セミナーを開催。「統一自治体選挙の総括と震災復興の課題」をテーマにパネルディスカッションをおこなった。 すでに、「3・11」以降の現実の進行では、経済界においても依存と分配型の社会経済構造そのものを問い直し、新しい市場〜たとえば再生可能エネルギー開発とそのための地域ファンドの設立など〜を創造する動きが始まっている。 討議は、前半で今回の統一自治体選挙の総括として「本来の政治のあり方が問われた選挙」(隠塚功・京都市会議員)「議会とは何かを根本的に考えながらおこなった選挙」(上村崇・京都府議会議員)と、普段からの訴えに対する有権者の確実な反応が報告され、戸田代表からは、「政府行政が事実上機能していない中で行われた今回の自治体選挙の総括は重要。この間の自治能力の蓄積の差が明確になっている。問題は、多数派形成〜合意形成のためのルールとシステムをどう作るか、マネジメント力が問われている」とコメントされた。 後半の討議で印象的だったのは、震災の現地に足を運んでいる上村議員からの「地域で復興のスピードに相当の格差が生まれている中で、自治と分権のありようについて考えさせられた」との報告。隠塚議員からも「自分たちが住み続けるためにどんな町にしなければならないか、というのが自治本来の姿。国が一方的に復興の絵をかくというのは違うのではないか」と復興の本質論が。 |
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「祝! 当選!!」 | |||||||||||
統一地方選では、各地で同人、会員の議員・候補が戦った。みごと当選を果たした方々(一部)。
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「被災地相馬市に行く」 | ||||
趣旨としては子供の学習ドリル、ノートなど、さらには避難場所でのストレスがかなりのものであり、大人にとっても気を紛らわすための小説などの読み物が必要ということで積んで行くことになった。大人の本は見かけたところ宮部みゆき、桐野夏生、村上春樹など。村田さんが主催している「大隈塾」のOBで福島民報の記者の方に受け入れ先を探してもらい、相馬市の総合福祉センター「はまなす館」をめざした。 前日ガソリンの現地調達は難しいのでは、と思いタンク(携行缶)を探す。幸い尾崎さんのチームの鎌田さんから借りることができた。さすが、自宅の近くに畑のある暮らしをしている方にとっては、日々の生活の中にいざという時の準備が普通にある。 9:30村田さん宅を出発。「大隈塾」第一期生であり、蓮舫選挙の事務局を中心的に担っていた須山君も同行。東北道全線開通後最初の土日であり、かなり車は多い。物資を積んでいる車も多く見られた。大手バス会社のバスの隊列もあった。避難者を移送するためか? 福島に近づくにつれ道路のガタつきが多くなる。ガスは幸いサービスエリアで入れることができ、何とか700キロの行程を準備したタンクの10リットルを使わずに全うできた。 「はまなす館」には約500人の避難者の方々。磯部小学校の教頭先生に説明を受ける。磯部小学校は高台にあったため津波を逃れることができたとのことであった。それでも丸一日完全に孤立してしまい、真っ暗な体育館で子どもたちと共に過ごした。海からの津波が押し寄せるのも見えるし、木などをなぎ倒すバキバキというすさまじい音も聞こえるし、恐ろしかったです、との感想。この二週間ここに詰めっぱなし、板敷きのところに寝るのでかなりしんどい、時間と曜日の感覚がない状態。これはよくないということで三交代のようなシステムにして休めるようにしようと検討中とのこと。 復興のためには大変な努力、金、労力、時間が必要であり、国と社会が全力でこれを支えなければならないと同時に、被災地自身の地域の力、自治の力が決定的だと思いながら帰路についた。 |
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「事業仕分け勉強会」 | ||
3月12日、京都青年学生読者会の主催で「事業仕分け勉強会」を開催。 おりからの東北太平洋岸大震災の翌日であったが、伊藤伸・内閣府参事官には困難をおして、東京からとんぼ返りでの講演を、また隠塚功・京都市会議員からは、1月7日実施の「京都市事業仕分け」についての報告をいただいた。 |
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「統一ローカルマニフェスト」 | ||
四月の統一地方選にむけて、3月6日、越谷市議による統一ローカルマニフェストが発表された。
以下、統一マニフェストを紹介する。 <前文> 私たちは今、どの様な時代を生き抜きどの様な社会を迎えようとしているのでしょうか。 140年前浦賀沖にペリー艦隊が来航して、270年に及んだ徳川幕府の崩壊が始まり、大政奉還から江戸城無血開城、明治維新そして西南戦争を経て近代日本の開明期を迎えます。この間僅か25年間の出来ごとでした。 これから“坂の上の雲”を追いかけ日清、日露戦争から第2次世界大戦の敗戦、戦後復興、高度経済成長とひたすら物資的豊かさを追い続けてきました。 しかし今や歴史上経験したことのない人口減少時代とグローバル化によって日本の立ち位置は、激変して行かざるを得ません。世界がG7からG20に変わり戦後世界を主導してきた米国の存在も東アジアにおける中国の発展を含め重層的、多元的な関係づくりを迫られています。 つまりこれまでの基準や考え方のパラダイムチェンジ(価値観の転換)であり、この間の経験や判断基準は全く通用しないのです。それは次世代のために何かを実現するためには何かを諦める決断と勇気が求められていますし、莫大なツケを子どもたちに回さない責任が一人一人の市民に問われています。 その舞台こそ市民が直接参加する地域共同体であり、持続可能な改革のうねりと絆の再生をさらに加速しなければなりません。 残念ながら全国の地方議会では悪戯に市長と議会が対立し、議員定数や報酬削減だけがセンセーショナルに取り上げられていますが、行政にも議会にも主権者たる市民の参加による決定と公開という視点が双方とも極めて不十分です。 特に議会への市民参加による政策の決定過程が重要です。越谷市議会の全体の課題として市議会議員選挙にむけ市民による統一ローカルマニフェストを策定し選択肢を提供するものです。 私たちは、郷土越谷の地で、地域共同体を支えてきた多くの市民の叡智を結集し、何よりもこれから育ちゆく子どもたちの未来を切り拓くため「21世紀型社会構築のための政策イノベーション」を提案します。
<2011年統一ローカルマニフェスト> 市民が参加し、責任をもつ地域への挑戦 新しいしくみ 改革のカギーしくみと意識を変える 1)、 徹底した情報公開と市民参加による議会改革を進めます
新しい公共 税金は市民のお金、市民が決める、市民が使う 1)、議会、会派、行政による「事業仕分け」を実施し、何かをやるために何かを諦める選択肢を提案し、事業実施の優先順位を明確にします。 2)、地区住民が地区の予算の使い道を自ら決められる交付金制度を創設し、市民自身で事業を選択、実施するしくみを作ります。 新しい豊かさ 成長戦略から成熟戦略へ 1)、市立病院の財政健全化を図り、市民と共に救急医療体制の充実など地域医療の拡充に取り組みます。 2)、地域の人材発掘と連携による「稼げるプロジェクト」を立ち上げ、農産物のブランド化にむけ生産、加工、流通の一体的な市場戦略を提案します。 3)、人、物、通貨、ゴミ、エネルギー、交通などが一巡する循環型の地域を目指します。 |
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「戸田代表を囲む会in京都を開催」 | ||
2月27日、京都市内で「戸田代表を囲む会in京都」を55名の出席で開催。「新・京都スタイル(民主党京都ローカルマニフェスト)と基礎自治体の会派マニフェストとの連携」や「自治制度のありようと自治分権」など、今統一自治体選挙のいくつかの論点に基づいた議論を展開した。 パネルディスカッションは、隠塚功・京都市会議員、中小路健吾・京都府議会議員、上村崇・京都府議会議員の三同人議員(いずれも三期目に挑戦)を中心に、諸富徹・京都大学教授と戸田代表からコメントを受ける形で進行。フロアからも、山本拓史・京都市会議員、田中健志・京都府議会議員の二同人議員(いずれも二期目に挑戦)が討議に加わった。 京都スタイルから新・京都スタイルへの深化・発展過程そのものが「地域に根ざす政党のありかた」(隠塚議員)を問うものであり、今統一自治体選挙をつうじて民主党会派のみならず他会派、ひいては有権者にも自治分権の内実を問うことになる。昨今の地域政党の動きの多くは、マニフェストによる政党の規律化とは異相である。選挙で生き残るためなら定数削減でも議員報酬削減でもいう議員とはなにか?基礎自治体での会派マニフェストづくりの苦労への有権者からの参画をつうじて、新たな自治分権の集積サイクルがはじまるとばぐちが開かれた。 自治制度のありようについては、関西広域連合(自治体)の進展が様々な教訓を生んでいる。より本質的には「二重行政のあり方検討委員会」や「自治分権改革検討委員会」を民主党京都府連に置き、政党としても議論をすすめていくことが強調された。基礎自治体議会での会派マニフェストの重要性とともに、東アジアの発展を見据えた都市戦略を、政党や議会としても持つ転換点にきているとの諸富先生のコメントは印象的であった。 戸田代表からは、「ここが本物のパブリック政党になる試練のとき。マニフェストをつうじたコミュニケーションはこれからはじまる」とまとめがあった。 懇親会にも多くの参加者があり、囲む会にひきつづき自治分権の自治体選挙のありかたについて遅くまで意見交換がつづいた。 |
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「躍動する韓国と北東アジア」 | ||
2011年最初の「囲む会」は、「躍動する韓国と北東アジア」。ゲストスピーカーは多摩大学の金美徳教授。日経ビジネスオンラインに「コリアン・グローバルカンパニー」というコラムを連載中。G20時代の新しい視点を、リアルな実像とともに伝えている。 「韓国経済と韓国企業〜その強みと弱み」「北東アジア経済圏」「日韓企業連携」の三点についてお話しいただいた。 いずれも「目からウロコ」のお話が「てんこ盛り」であったが、圧巻のひとつは「北東アジア経済圏」。 「広い意味では日本、中国、韓国、ロシア、モンゴル、北朝鮮」と規定され、「経済規模は世界の二割、人口は28%、ユーラシア経済圏の中核で、北東アジア、中央アジア、南アセアン、インドを結ぶ経済ネットワークの原動力」と、その存在感を説明。 「辺境は最先端」「日本にとってこれから外資とは、欧米資本ではなく、アジア資本・企業」など、G20時代の視点が実践的に提起された。 また「渤海経済圏」(貿易額179兆円)など、九州を含む都市間ネットワークという形で、グローバル経済が進展しているように、地政学的戦略も国単位ではなくリージョナルにとらえること、そうしたネットワーク力が、国にも企業にも個人にも求められる時代になっている。 日本にとって韓国を直視することは、それを通じて新興国ビジネス、さらにはアジア市場をとらえることであり、そのためにも「過去・観念・感情」を捨てて、フラットな視線でりあるな実像をとらえることの重要性に、改めて気づかされる。 講演の詳細は「日本再生」381号に掲載予定。 |
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「謹賀新年」 | ||
「パワーシフト」と「パラダイムシフト」が同時進行する国際政治の大変動期/このなかでの「はじめての」政権交代は、粉飾決算の後始末からしか始まりません。2012年にはアメリカ、ロシア、中国、韓国、台湾でG20時代のリーダー選抜が予定されています。「世界第二の経済大国」幻想も、いよいよその最後の一片が吹き飛びました。わが国がこうした変化に対応し、生き続けるために、「担い手の変更(イノベーション)」の糸口を見出す年にしたいものです。 民主党政権は、期待に応えているとは言いがたい状況ですが、官僚・族議員複合体は、確実に弱体化しています。ドタバタ劇がオープンになることは、われわれの学習効果にもつながっているのではないでしょうか。「日本が本当はどうなっており、どうなりうるのか」を直視することなくして、イノベーションは始まりません。 昨年は、G20時代の息吹きに触れるために上海、ベトナム、カンボジアに行ってきました。新興国の躍動とともに、韓国の活躍が印象に残りました。このまま「ゆでガエル」になるわけにはいきません。今年もがんばりましょう。 2011年 元旦 |
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