| 「『陳情』から政策形成プロセスへの参加へ〜社会企業フォーラム・第一回懇談会」 | ||||||||||||||||||||||||||
今回の試みは、従来の「業者・業界団体から政府・政権党への陳情」の関係が政権交代によって制度的には「一元化されたルートでの透明な要望」に変わったものの、政策決定プロセスそのものへの参加はスタートラインについたばかりであり、参加の内実をこれから創造していく段階で、どのような議論と組織関係づくりが可能なのか、当フォーラムを通じて模索していこうというものである。
前田参議は野党時代、もっぱら予算委員会で住宅政策の質疑をおこなってこられたという。 討議では、「創業以来、耐震改修工事の履歴をすべて残し、付加価値の見える化を行ってきた」「住宅政策にエコポイントは要らない。住宅ストックはすでに十分ある。住宅の資産価値を高めることが正当に評価される仕組みづくりが政治の課題だ」など、有意な意見が出た。諸富先生からも「森林環境税という政策手段よりも、木材住宅市場を活性化させ、ストックとしての森林の付加価値を高めていくことが本来の姿である」旨の示唆に富んだコメントがあった。 社会的市場形成をすすめる知恵を「社会企業フォーラム」に結集していこう。 杉原 記 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「凌ぎの時代に求められる政治と主権者運動の賢明さを」 | ||||||||||||||||||||||||||
戸田代表からは、以下のような開会の辞。(超要約) 鳩山政権の現状は、「一歩前進したがゆえの、新たな迷走。後退ではない」。政権交代によって、わが国の政党政治は、いわば強制的にイノベーションの舞台に迫り出された。民主党政権は、明治以来の官僚統治に代わる「革命的」ともいえる統治システムの転換に、矢継ぎ早に取り組んでいる。しかし何の準備もない(その意味は後述)まま新たなステージに突入したがゆえに、足元は混乱、迷走といわれてもしかたない状況(予算・税制、普天間など)。これを、(政権交代さえできない)閉塞による混迷と同一視してはならない。あくまでも、「一歩前進した」がゆえの迷走であり、これを政党政治のイノベーションへと引き上げていく主権者運動こそが試されている。
政権交代で、参加の風景は大きく変わりつつある。既存の団体や利害関係を介した参加では、陳情と投票以外の参加形態はなかった。一方でマニフェストを媒介に、既存の組織関係を介さずに参加しようという層が、社会のいたるところに生まれている。事業仕分けに対して「政治の『見える化』だ」と反応しているのは、そういう人々である。こうした人々とともに、投票と陳情以外の、社会をともに担うための幅広い参加をいかに創造していくのか。それが問われている。
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| 「望年会in京都『政党政治のイノベーションを新たなステージへ』」 | ||||||||||||||||||||||||||
隠塚功京都市会議員(同人)の主催者挨拶に続いて、戸田代表より「政権交代によって政党政治のイノベーションが始まった。胴体着陸しかない『重い現実』を直視し、主催者の知恵と責任で、新たなステージを準備しよう」と六回大会への構え方が示された。
機械部品製造のオンリーワン企業として世界的に知られる寺内製作所山本社長から、「景気の二番底がいわれるなか、社会的企業への挑戦を続ける」と挨拶。滋賀県議会の今江政彦、中沢啓子両議員からも発言をうけた。 最後に京都青年学生読者会、大阪読者会のメンバー一人ひとりから、六回大会と2月21日に大阪で開催する第18回関西政経セミナーに臨む意志が表明された。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「政治過程の『見える化』→参加の質が変わる! 深まる!」 | ||||||||||||||||||||||||||
ゲストスピーカーはマニフェスト型の組織づくりによって見事、国政復帰を果たした中塚一宏衆院議員。現在は党の組織委員長代理として、地域主権型組織づくりに取り組んでいる。 今回は、政府与党一体という座標軸から、政権与党として何に取り組み、どういう方向を目指そうとしているかが提起された。とくに「分権型要望システム」といわれる新たな陳情の方式は、単に「癒着が生じやすいから政官接触を禁止する」というレベルの話ではなく、地域組織が真にマニフェスト型の問題発見−政策立案能力をもつための一歩といえる。 すべての陳情を党本部に集約する効果としては、以下のようなことが考えられる。 さらに、これらによって政治的に得られる効用としては、以下のようなことが考えられる。 11月中旬、全国幹事長会議の席上、小沢幹事長は地方の党代表に向かって、新しい陳情方式を次のように説明した。 この新しいシステムについて、マスコミは「小沢氏の意図は、参院選に向けて自民党を地方組織まで焼き尽くすことだ」「これでますます小沢独裁だ」と、はやし立てる。彼らの視野には、「国民主権の政府をつくる」というだけが入っていない。 主権者運動の新たなステージでの成熟度、賢明さといったものをつくりだそう! 第六回大会へ! | ||||||||||||||||||||||||||
| 「事業仕分け 始まる」 | ||||||||||||||||||||||||||
「国有河川の管理」が必要なことは、だれもが認めるだろう。しかし、その実際はどうなのか。 「耕作放棄地の再生」は誰も反対しないが、そのための方策が、特別な基金に金を積んで、「貸し手」に補助金を配るというのでは「?」がつく。 こうしたことが、仕分け人と霞ヶ関とのやり取りのなかで、見えてくる。 傍聴は出入りも含めて自由。一見の価値あり。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「ローカルマニフェスト大賞」 | ||||||||||||||||||||||||||
同部門の受賞は会津若松市議会。同部門にノミネートされていた京都府議団と、北海道栗山町議会が「大賞」。いずれも常連であり、今回は「大賞」がふさわしいと判断した、とは北川正恭審査委員長の弁。毎回受賞する栗山町議会に対しては、「そろそろ卒業も・・・?」とも言われたが、栗山町議会からは「議会改革は深化し続けます、これでいいということはありません」とキッパリ。 京都府議会議員団の活動は、はじめての議会主導の事業仕分け。 民主党京都府議会議員団の活動は、選挙時に掲げた「民主党京都マニフェスト 京都スタイル」をベースとしている。このマニフェストは、地方議会版マニフェストの可能性を示した内容となっているが、その特色は政策の実行段階にある。これまでの地方議会の活動といえば、個別的要望を中心とする「おねだり型」であったが、それを前年度の成果を組み入れたマニフェスト型に変え、マニフェスト型予算要望モデルの確立に取り組んでいる。また2009年2月には全国初となる会派主催の事業仕分けを行っており(10月には二回目を実施)、国政に先駆けた活動として注目すべきであろう。こうしたすべての活動がマニフェストに基づいている点は、府民に対する説明責任を果たすという点で、高く評価してよいだろう。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「第17回 関西政経セミナーを開催」 | ||||||||||||||||||||||||||
![]() 国民主権の政府をつくる、新しい政治文化の集積へ
とくに「お願いから、約束へ」と政治文化を変えるツールになってきたマニフェストが、「実行するのがあたりまえ」となった次のステージで、マニフェストの中身をつくるプロセスそのものに国民主権の原則でどうかかわっていくか、まさに「マニフェストはお互いの社会的責任を深化するコミュニケーションツール」へと転換しつつあることがパネルディスカッションを通じて鮮明に示された(任せる政治から参加する政治へ)。
後半、戸田政康代表からは外交、社会保障などの政策課題を、右肩上がりの経済社会を前提にしたところから、定常型社会の社会政策へとどのように政策思想の軸を転換し、ガバナンスするべきか示唆がなされた。 今回の参加者(120名)には、20歳前後の学生や、30代40代の中小企業家の参加も多く、3時間にわたるパネルディスカッションを終始熱心に聴き入る姿が印象的であった。 (杉原記) *09望年会in京都は、12月7日(月)19:00〜21:00コープイン京都で開催。会費3500円。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「政権交代をなしとげた歴史的な総選挙。 『任せる政治』から『参加する政治へ』、ここからがスタートだ。 VoL.2」 | ||||||||||||||||||||||||||
(順不同・敬称略) | ||||||||||||||||||||||||||
| 「政権交代をなしとげた歴史的な総選挙。 『任せる政治』から『参加する政治へ』、ここからがスタートだ。」 | ||||||||||||||||||||||||||
(順不同・敬称略) | ||||||||||||||||||||||||||
| 「将来世代の責任ある選択」 | ||||||||||||||||||||||||||
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人口減少社会に入った日本で、将来世代がどのような責任ある選択をするか、とくに投票日までの四十日を選択の中身(マニフェストの内容)まで責任をもつ政策形成過程への参加として示せるか、そのためには「バッジをつけようとする」主権者と「バッジをつけない」主権者のコミュニケーションのありようをどこからどのように変えていくか、議論した。 「二十代で職業経験なく人生を過ごすことを、個人の責任に帰してはいけない」(森山)に対して、読者会メンバーからは、「『もらってあたりまえ』とならないか?」との質問や、「自分のことしか考えられないが学生が多い。当事者意識をどのようにつくっていくか」「地方にはまだコミュニティがある。バラバラの状況をどのようにネットワークしていけばよいか」など活発な意見交換が行われた。 また家庭の経済状態の急変から大学を中退せざるをえなかった自身の経験から「選抜された学生の学費を全額国費でまかなう制度」の提案などもあり、それぞれの判断で選挙ボランティアに参加しているメンバーの活動指針ともなった。 (杉原) | ||||||||||||||||||||||||||
| 「都議選はじまる 『決着の夏』へ」 | ||||||||||||||||||||||||||
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東京都議会議員選挙が始まった。 「自公過半数割れ」で都政を変える・都議会を変える、そして、国政を変える=政権交代へと政治を大きく変える「決着の夏」の幕開けだ。 自公の一角を崩して、8議席を奪うためには、少なくない選挙区で、民主党が複数議席を獲得しなければならない。 限られた層を奪い合うのではなく、投票率をあげるために競い合う選挙戦を!
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| 「民主党の事業仕分け」 | ||||||||||||||||||||||||||
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この間行われてきた作業の一環として、構想日本の「仕分け人」も加わったオープンな場での「事業仕分け」が、6月23日行われた。 今回は国土建設省の二事業と、農水省の二事業。自民党の河野チームが手がけてきたのは文部科学省や環境省、内閣府など「その他」。国土交通や厚生労働、農水といった予算規模の大きな省庁には、なかなか手をだせなかった。 この日の仕分け対象のひとつは、国土交通省所管の「道路保全技術センター」。空洞調査のいいかげんさが、河野議員、前原議員などから指摘され、「アエラ」などマスコミでも取り上げられてきた。ほかにも、同センターが開発したという道路情報管理のソフトの著作権として、年間11億も払っているという実態に、自治体関係者からは「自治体の契約では考えられない!」との指摘も。 当然、同センターへの委託事業は不要、空洞調査は技術力のある(これまで同センターが下請けとして丸投げしていたような)民間企業に任せる、との結論に。 空洞調査にからんだ第三者委員会について、国交省側から「いい訳」が並べられると、傍聴していた河野議員(当日の調査をセットした)から「それは違う」との声が飛んだ。 以下は河野議員のブログ「ごまめのはぎしり」より。 民主党の事業仕分けで、道路保全技術センター、特に空洞調査を取り上げてくれたので、日本財団の会議室に傍聴に行く。 前原、細野、大串、三日月、福山、長妻、馬淵等々のオールスターメンバーでやっている。河野チームが一期生主体なのとずいぶん違う。 もともと技術がないところが、随意契約で仕事をもらって、三割ピンハネして丸投げしていた事業だ。 企画競争入札にせざるを得なくなったので、国土交通省の官僚に採点させてやっぱりセンターに落ちるようになっている。 まさか採点しているのは国土交通省の役人ではないですよねという質問に対し、国土交通省の役人三人で採点していますと堂々と答える常識のなさ。 うちの大臣、副大臣が動かないならば、民主党と連携して、空洞の見逃しとねつ造の調査を始めるか。(以上) | ||||||||||||||||||||||||||
| 「都議選へ」 | ||||||||||||||||||||||||||
だからこそ、「永田町の代理戦争」にすることなく、都政独自の争点を設定し、投票率を10ポイント上げられるかが決定的だ。
さいたま市長選、名古屋市長選をはじめ、旧来の構造を変える地方選での決定的なポイントは、投票率の上昇だ。永田町の代理戦争を煽っただけでは、投票率は上がらない。国政に従属しない、都政独自の争点を明確にして、「これは『自民か、民主か』という永田町の選択ではない。10年後の東京をどうするかを決める、『私たちの選挙』だ」という都民の民意が動いてこそ、投票率はアップする。
首都決戦にむけ、各予定候補の事務所開き、決起集会が各地で開催されている。
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| 「総選挙、われら自民党かく戦う」 | ||||||||||||||||||||||||||
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パネラーとしてご参加いただいたのは、水野賢一、山内康一、亀井善太郎、上野賢一郎、柴山昌彦の各衆院議員。 「総選挙、われら自民党かく戦う」とのタイトルに、のっけから「どこから見ても、俺たちが自民党を代表している、とはとてもいえないよね」というジョークが飛び出すような、和気藹々とした雰囲気のなかで進行。 05年総選挙・小泉マニフェストの総括、次の総選挙を含めて問われる党改革(意思決定システム、候補者選考、マニフェストなど)という、大きくわけて二点について、それぞれから時にユーモアを交えて提起。改革派としていっしょに行動することが多い皆さんなので、大枠でのベクトルを共有したうえでの個々の持ち味の違い、といったものも伺えた。 コメントをお願いした飯尾先生(政策研究大学院大学)のご尽力も加わって、「政党政治」「政党」というところに焦点を絞る流れになった。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「馬渕'S ブート・キャンプ?」 | ||||||||||||||||||||||||||
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馬渕議員いわく「政権の自滅」。民主党が追及するまでもなく、総理が自分から倒れる(失言の数々など)。普通ならスリップダウンのところ、エイトカウントくらいまで取られてしまう。相手が勝手に倒れるから、逆に民主党の追及も、パンチが大振りになる。 もはや政策論争で戦う雰囲気ではなくなり、かえって論戦は低調になったといわざるをえない、と。 そんななかでも、「道路」「天下り」について、いくつかの成果を挙げた。いずれも官僚内閣制の惰性を断ち切る一手となるもの。詳細は「日本再生」359号にて紹介。 特筆すべきは、こうした戦果を挙げていくための、事務所(インターン含め)一丸となった「戦う体制づくり」と、そのマネジメント。 正月明け早々からの予算委員会が明らかになった12月半ばから、馬渕議員の日常は大きく変わる。 「一滴も酒は飲みません。夜の会合もゼロです。私の生活も変わります。朝五時起きで、五時半にジムに行ってトレーニングをして、七時に終えて、家に戻ってシャワーを浴びて、八時の予算委員の打ち合わせに出て、九時の予算委員会に出る。お昼は事務所あるいは私の宿舎で鍋をします。外食は一切しません。とにかく徹底した体調管理をやる。 われわれはプロなんですよ。日本シリーズあるいはWBCに出る直前まで、飲んだくれている選手なんていますか。本当に心身ともに徹底的に研ぎ澄まされた状態を作って臨むんです。今回は長かった。十二月の半ばからですからね。しかし予算シリーズに入ったら、うちの事務所スタッフも休みなしで戦い抜く」とのこと。 年末年始も会館の事務所に全員が詰め、昼、夜手作りの鍋をいっしょに食べ、文字通り同じ釜のメシを食いながら、資料を徹底的に洗っていく。壁の大きなスクリーンには全員のPCの画面が映し出され、全体の進捗がひと目で分る。それに応じて臨機応変に人を動かすのも、マネージャー(議員)の役割だ。 まさに「馬渕'S ブート・キャンプ」の様相。 「一つのテーマを定めて、徹底的に調べて、そして類推でもない、予見でもない、事実factをもって語らしめると。これが予算委員会の本来の姿で、判断するのは国民の皆さんです。どっちの言っていることが正しいと思うかと。そういう形で、自分のスタイルを作ってきたつもりです」という「馬渕流」の一端を披瀝していただいた。 | ||||||||||||||||||||||||||
| 社会的市場形成のための論戦を〜第16回関西政経セミナー〜 | ||||||||||||||||||||||||||
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戸田代表のまとめで強調されたように、タテ割り行政のカネの使い方が社会関係資本(地域社会の信頼関係と共同体や人的資源)を棄損してきた事実を直視し、これに代わる人とカネの流れを各地固有の資源を活用し、地方政府としてガバナンスしていくことが、自治分権社会の課題である。この気づきと覚悟を、議会と議員の役割と責任、バッチをつけない主権者の役割と責任として共有することができた。
杉原記 | ||||||||||||||||||||||||||
| 「老朋友」 | ||||||||||||||||||||||||||
上海交通大学は江沢民の出身校として知られ、また二十世紀初頭には「東洋のMIT」ともいわれた名門校。民主化は、市場経済にともなって不可避であるが、その重要な基礎インフラである「法治」「法制」とその担い手を育てるという大きな仕事に就かれることになる。 北京大学の同期で、同じく「老朋友」の唐亮氏もごいっしょに。十三年分の秀才が殺到した入試で、北京大学への現役合格を果たした唐亮氏には、戸田代表から「次の研究テーマ」を提起。 2004年に行ったパネルディスカッション「東アジアの経済統合と新たな日中関係」で、季衛東氏とともにパネラーとして参加していただいた中塚一宏・前衆院議員も、ともに旧交を温め、政権交代後の日中関係など、大いに語り合った。 |
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| 「12年ぶりのソウル」 | ||||||||||||||||||||||||||
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| オバマ政権発足と世界秩序の変化 | ||||||||||||||||||||||||||
2月7日、第88回定例講演会を開催。中西寛・京都大学教授と李鐘元・立教大学教授の対談による「オバマ政権発足と世界秩序の変化」。ピンでの講演でも十分「聞きごたえ」のあるお二人だが、「対談」ということで、さらに多角的な視点からのお話が次々と展開され、三時間があっという間に過ぎた。
ちょうど入試シーズン真っ只中で、大学は一番忙しい時期だが、その合間をぬって時間をつくっていただいた両先生には、改めて厚く御礼申し上げたい。
中西先生の言葉を借りれば、現在の国際情勢は、世界大戦の代替物ともいうべき国際秩序の再編期である。人類は(二度の世界大戦と冷戦の経験を経て)「戦争を媒介として世界秩序を再編する」ほど愚かではなくなったが、さりとて激動や大きな混乱をともなわずに新しい国際秩序を安定させるほどには賢くなっていない、ということだ。この歴史的な激動のなかで、次の方向を目指す―これがオバマ政権をめぐる情勢である。
オバマ政権は「方向性は明確」だが、目の前にある現実は厳しく、それへの対応はきわめて現実的、ある意味では「どこまで融通無碍になれるか」ということだろう。ブッシュ政権は「テロとの戦い」「一極主義」に傾注し、中東に比べてアジアは「二の次、三の次」という状況だった。その間に、東アジアにおけるアメリカの存在感は大きく低下した。これを挽回する、アジアはアメリカにとって不可欠、というオバマ政権のメッセージは、人事にも明確に現れている。これを東アジア各国、とりわけ日本は、どのようにチャンスに転じるか。そのためにも「新しい、国民の信任を得た」政権が望まれる。
(講演内容は「日本再生」358号 3/1発行予定に掲載) |
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| 「百年に一度の危機」に日本はどう対応すべきか | ||||||||||||||||||||||||||
今年最初の定例講演会は、大塚耕平参院議員を講師にお招きして、「百年に一度の危機に日本はどう対応すべきか」と題して開催。日銀出身で、昨年のリーマンショック以来、政府に先駆けて民主党の対応策を提言してきた。干支の話題から歴史的スパンを説き、ハドソン川への旅客機不時着で、機長の手腕が賞賛されていることを話題に、国民経済の運営を飛行機のふたつのエンジン(財政と金融)に例えて、経済学の基礎知識も織り交ぜながら、分りやすく話された。曰く「経済というと、難しいと思われるかもしれませんが、今日の話をかまんして聞いてもらえれば、少なくとも麻生さん(経済通を自認)より、まともな議論ができるようになります」。 講演後には、「あんなに分りやすい話ははじめて」「よくわかった」と、参加者も実感。 なお、当日会場でも販売したが、大塚さんの著書『ジャパン・ミッシング』がお奨め。2006年から「夕刊フジ」で連載しているコラムを、テーマごとにまとめたもので、改めてこの間(97-8年の「経済敗戦」あるいは85年の「プラザ合意」以降の)失われた10年、20年とは何だったのか、何が構造問題なのかが、時々のトピックに関連して分りやすく整理されている。 「ジャパン・ミッシング」 大塚耕平・著 オープンナレッジ・刊 1600円+税 |
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| 第70回 東京・戸田代表を囲む会 | ||||||||||||||||||||||||||
09年最初の「囲む会」は、蓮舫・参院議員をゲストスピーカーにお迎えして開催。
04年、岡田マニフェストで民主党が議席・得票とも自民党を上回った参院選で初当選、しかし05年の「郵政選挙」では、自民党が三百議席という圧勝、その後の国会では強行採決の連続、そして07年小沢代表の下での「逆転の夏」で、過半数を得た参議院で政権運営にむけた訓練を集積。
こうした04年以来の動きのなかで、どのように議員としての仕事を深めてきたかを、生き生きと語っていただいた。
当初は「子育て」政策を実現するために議員になったこと、年金問題では04年以来の時間を大きく失ったこと、本来の立法機関としての国会になっていないなか、税金の無駄遣いを明らかにするというスタンスで仕事をするなかから、特別会計も含めた総予算の組み換えという「政権運営能力」を確実に集積してきたことなど。
「議員としての仕事」を語れるバッジをつけた主権者とともに、「議員としての仕事」を問えるフォロワー(バッジをつけない主権者)のフォロワーシップを集積していくことが問われている。 |
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