「サンチョパンサの日記」では、機関紙などで紹介しきれない活動を紹介します。
サンチョパンサは、ご存知のようにドンキホーテの従者。ということは、もしかして、ボスのことをそう思っているのでは、と勘ぐるむきはどうぞご自由に。
まあ、戦後日本の無責任連鎖に向かって「責任の回復」や、「世直し」を大上段から訴え続けてきた姿は、風車に向かって突撃するドンキホーテに見えるかもしれませんが。

ほりぞえ健 市政報告会

3月13日、川崎市高津区で堀添川崎市議の「市政報告会」が開催され、自治会をはじめ100名を超える方々が参加されました。

集会は演壇の堀添議員と参加者が一体となって集中した雰囲気で終始しました。

堀添市議は、川崎市も財政的には非常に厳しくなっていること、7つの区の抱えている課題が異なる中、市の優先順位を決めるのはかなり難しいこと。だからこそ、区毎に議会と住民が集まって身近な区で優先順位を決める場が重要であること、安心して暮らせる地域を作る為に全力をつくしたいと言う演説は参加者の心に響き、熱い拍手で受け止められました。

誇りうる京都の未来のために!

3月3日、毎春恒例の「おんづか功 市政フォーラム」をグランドプリンスホテル京都で開催。市会議員5期目にのぞむ、事実上の決起集会になった。

自身5度目になるマニフェスト「誇りうる京都の未来のために!」の3つの柱は、1、誰もが住み続けたい「まち」づくり、2、誰もが希望の持てる「まち」づくり、3、誰もが好きでいられる「まち」づくり。

2003年の一期目でかかげたのは、「グリーンマニフェスト」つまり、さまざまな政策のもつ環境負荷を最小にするという「政策の判断基準」を示したもの。この基準は、今回のマニフェストにも「環境負荷低減を前提にした市政運営」として、脈々と継承されている。

2007年からは、民主党京都府連としての統一マニフェスト「京都スタイル」を、東日本大震災直後の2011年統一地方選、そして2015年と主導してきた(2014年、京都スタイルのマニフェストサイクルが評価され「マニフェスト大賞」受賞)。

「誇りうる京都の未来のために!これが私の議員としての心情です。もちろん、個人としての心情もありますが、議員としては、私たちが住まいするこの京都を、誰もがいつまでも住み続けたいと思え、またこれまで培ってこられた京都に対する誇りを、これからも持ち続けることができる`まち`として発展させたい。そのために、今を大切にして取り組むべきこと、将来の京都のために取り組むべきこと、何れにもしっかりと向き合っていかなくてはならないと考えています」

「しかし、地球温暖化に起因するとされる昨今の気象変化は、京都を変貌させようとしています。また、少子高齢化による労働人口の減少は、これまでのように市債に頼る市政運営の限界を突きつけています。このように、これまで経験したことのない社会環境が日本を、そして京都を襲います。一方で、AIの急速な発展が社会構造を根本から変革することは間違いありません。これらのことを予見しながら、既成概念にとらわれることなく、新たな取り組みを進めることで、京都が持つ潜在能力を引き出し、分断がなく、市民の満足度が高い自治体に変えていくことは可能であると考えています」

とくに共感したのは「クリエイティブ型経済都市に向けた取り組み」。フローとしての観光客増追求から、人的資産(人財)を引き付けることのできる魅力ある`まち`づくりへの転換でもある。米旅行雑誌「ワールドベストアワード2014・2015連続1位」の一方ですすむのは、日本人宿泊客の京都離れ。昨年の京都市内主要ホテルの日本人宿泊客実数は前年比9.4%減で、四年連続のマイナスになった。明治の東京遷都による空洞化を、琵琶湖疎水と蹴上水力発電所の電力事業で克服しようとしたような、都市経営〜産業自治の思想の回復が問われる

全京都建設協同組合「新年組合員交流会」で戸田代表が挨拶

1月18日、京都市内で「信頼の組織!住民と共に歩む 協同の力」を掲げ、全京都建設協同組合・新年組合員交流会が開催された。

冒頭、建設組合にふさわしく、新年の祝儀を兼ねた木遣り(きやり)唄を、洛中支部の組合員有志でつくる「京都木遣り会」が披露。 田中守代表理事から「昨年の自然災害の教訓からも、今年は住民や他団体との協同を積極的に進めたい」と新年の抱負が語られたあと、来賓を代表して、戸田政康「がんばろう、日本!」国民協議会代表が挨拶。

民主主義社会では日々の凡庸の努力が欠かせない。「平成」は日本が初めて自ら戦争の当事者にならなかった30年であり、その意味(この30年をどう語っていくか)はきわめて重い。「グローバル化×新自由主義×デジタル化」を推し進めるのか、その歪みやひずみを是正し民主主義のバージョンアップをはかっていくのか、問題提起された。

交流会では、100名を超える組合員(工務店、大工・左官など中小規模の京都府下建設業者約300社が参加する事業協同組合。1955年の創設以来63年の歴史をもつ)を中心に、「新年くじ引き大会」のアトラクションを挟み、新組合員の紹介や青年部への勧誘など活発な懇親が行われた。 「人が集まる魅力ある建設業界にしたい」との、宮下茂一副理事長の閉会挨拶の後、田中宏樹副理事長の一丁締めで二時間にわたる会を終えた。

「がんばろう、日本!」国民協議会第九回大会を開催

1月6日、「がんばろう、日本!」国民協議会第九回大会を開催。第八回大会から約三年半ぶりの開催となる。この間の国内外での「多数決民主主義」やポピュリズムの台頭など、いわゆる「民主主義の危機」は、ある人々には「あきらめ」や無力感を強いるものかもしれないが、ある人々にとっては「民主主義のイノベーション」に向けた課題やチャンスを明らかにする契機となっている。 こうした主体状況からさらに前へ踏み出すべく、第九回大会は開催された。記念シンポジウムのタイトルは「『2020後』にむけて 立憲デモクラシー(議論による統治)か、立憲的独裁か〜国民主権で統治機構を作りこんでいくプロセスへ」

第一部は講演&問題提起。吉田徹・北海道大学教授からは、「『民主主義の〈赤字〉』をいかに解消するのか〜民主主義政治のイノヴェーションに向けて」とのタイトルで、民主主義の劣化の要因とともに、イノベーションに向けた課題として「〈代表〉の新たな経路をつくる」こと、とりわけ自治の領域において、「自治能力の『選出』ではなく、能力の形成を可能にする制度設計」にむけて、民主主義の赤字=自治の空洞化をむしろ貴貨として捉えることで提起された。

諸富徹・京都大学教授からは、「人口減少時代の都市経営と住民自治」とのタイトルで、人口減少下の都市を自ら「経営」していくという、自治体にとっても市民にとってもチャレンジング、かつイノベーティブな方向性が提起された。ドイツのシュタットベルケにならった日本版シュタットベルケによるエネルギー自治の試みや、熱海市における財政危機からの再生への取り組みなど、人口減少をむしろ自治の新たなチャンスととらえる実例に基づく提起となった。

第二部は、吉田先生、諸富先生に加えて、廣瀬克哉・法政大学教授、山本龍彦・慶應大学教授、松本武洋・和光市長によるパネルディスカッション。AIと民主主義、AIと自治、水道民営化、PFI、EBPM(エビデンスに基づく政策立案)とPBEM(政策に合致したエビデンスづくり=恣意的な統計≒でっち上げ、ですな)、熟議民主主義など、パネラーの間で多様な論点、切り口が交わされていく議論は、さながら迫力に満ちたラリーのようだった。

閉会に際しては、会場の地方議員会員、候補予定者とともに、以下の「2019年統一地方選にむけたよびかけ」を行った。

2019年 統一地方選にむけたよびかけ

はじめに

「2020後」という問題設定は、本格的な人口減少社会の到来にどう向き合うか、その当事者性をどう準備できるか、ということにほかなりません。人口減少は、ある日突然訪れる危機ではなく予見しうる事態だからこそ、事実に向き合う当事者性が問われます。 2019年統一地方選をはじめ各地の自治体選挙を、「2020後」を生き抜く自治力を涵養する場とするために、以下のことを呼びかけます。 もとより地域の課題は多様であり、その課題を共有するための社会関係資本のあり方もまた多様です。その多様性を前提に、課題を共有するところに生まれる公共性=共有地を、より豊かなものへと耕していくための基本的な視点を提起し、共有したいと思います。

【1】人口減少時代の合意形成への視点を

人口減少時代には、これまでの拡大基調から縮小・減退基調への転換が問われることは、言うまでもありません。「あれも、これも」から「あれか、これか」、「何をあきらめるか」と言われる所以です。 問題は、この転換を経済合理性や効率、選択と集中などの「市場の論理」「行財政改革の論理」で行うのか、それとも「民主主義」「自治」の論理で行うのか。この価値軸を持ちたいと思います。

少なくない人々が、地域の持続可能性に漠然とした不安を持ちつつあるなかで提起されるべき議論は、経済合理性からの「あれか、これか」ではなく、何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか、というような議論でしょう。 こうした議論を提起し、市民に開かれた議論を展開することこそ、議会の重要な役割だと考えます。

【2】議員(候補者)に求められる「審査員としての構え」

議会において前記のような議論が行われるためには、多様な視点を反映する多様な議員が求められます。言い換えれば議員(候補者)に求められるのは、市民の多様な視点を反映するとともに、どういう視点や基準で議論を展開し判断するかという「審査員としての構え」です。 議会のもっとも重要な権限は自治体の「団体意思の決定」です。その決定の審査過程(議事)における審査員としてのポイントを明らかにすることは、それぞれの候補者の政策志向とともに、有権者にとって重要な判断材料になるはずですし、そうしたいと思います。

「あれか、これか」といっても優先順位はさまざまです。企業であれば市場の論理で決められますが、地域経営はそうはいきません。さまざまな利害を表出させつつ、議論を通じて優先順位を決めていくためには、「自分は財政の視点から審査する」、「自分は子育ての視点から審査する」、「自分は産業自治の視点から審査する」など、多様な審査の視点が不可欠です。審査過程を担う審査員としての構えを(誰とともに審査するのか、も含め)有権者に提示しようではありませんか。

【3】課題を共有する場としての選挙へ

人口減少時代の地域経営は、「選挙で勝てば、後は何でも決められる」というトップダウンでは立ち行きません。何のために何をカットするのか、絶対に譲れない領域は何か、あるいは何を守るためには負担増という選択肢も選ぶのか、といった議論の場としての議会にするためには、その議員を選ぶ選挙も「選挙で選ばれれば、後はお任せ」の白紙委任ではなく、地域の課題を共有する場とすべきです。

言い換えれば、選挙を地域の利害や意見の違いを「数で決着つける」場ではなく、さまざな地域の課題が提起され、それらを共有していくための場へとつくりかえることです。公約やマニフェスト、審査員としての構えについても、市民との共同作業を通じて、課題を共有する当事者性を涵養しようではありませんか。 課題を共有するところに公共はうまれます。選挙を通じてそうした共有地≠つくりだし、選挙後も耕し続けることで、「2020後」を生き抜く自治の力を生み出そうではありませんか。

2019年1月6日 「がんばろう、日本!」国民協議会 第九回大会

関西政経セミナー特別講演会&望年会を開催を

12月6日、年末恒例の関西政経セミナー特別講演会&望年会を開催。 隠塚功・京都市会議員の主催者挨拶のあと、昨年につづいて中西寛・京都大学教授から「米中戦略的競争関係と東アジアを考える」問題提起。

中西先生が指摘した今年の東アジア情勢にかかわる「二つの衝撃」は、いずれも米朝・米中関係に関するもので、6月12日のシンガポール米朝首脳会談と10月4日のペンス副大統領演説。 まずシンガポール会談実現のプロセスで重要なのは、「経済制裁が対話の道を開いた」というのは根拠のない俗説であること。北朝鮮経済の実態は政府に頼らない民間闇(ヤミ)経済であり、核開発に使う金も世界に張り巡らされたアンダーグラウンド経済を利用して調達する仕組になっている。わずか数カ月程度の経済制裁が、北の政府が態度を変えることはない。もう一つの注目点は、CIAの長官から4月に国務長官に就任したポンペオ氏が早い時点で金正恩委員長の意志を掴んでいて、トランプ大統領を米朝会談実現に向かわせたこと。情報と意思決定のチャンネルが大きく変化している。

一方の米中関係。ペンス演説は経済の側面からだけでなく、「習近平・中国」の体制と体質そのものを問題とした。戦後冷戦の米ソ関係と今日の「米中新冷戦」と言われる状況は、経済のつながりにおいて根本的に異なる。英の「合意なきEUからの離脱」の比ではない、世界経済への大打撃が考えられる。日本にとっては、韓国や北朝鮮、ロシアとどういう関係を持つのか、自立した思考が求められる。中西先生は、そのような中で日本国内の経済社会の健全性の問題に、非常に大きなリスクがあることを指摘された。

望年会に移り、戸田代表からの冒頭発言。「民主主義観が変わると、プレーヤーも変わる。『冷戦』の意味も変わると中西先生は強調しました。日本は官邸外交だが、実際は外務省への丸投げ。既存の行政権力依存では縛りも効かない。制度の内側から変革の要素はでない。民主主義観の歴史的転換の時期には、問いの立て方が決定的になる。民主主義観の転換で、選挙も変わる。多様な民意をいかに議会に反映するか、一つの価値基準に一元的に管理する〜切り捨てるのか。リーダーシップもフォロワーシップも変わります。行政の序列としての『権限』のリーダーシップか、フラットな多様性の関係をコーディネートするのか」

今江政彦・滋賀県議の乾杯のあいさつの後、宮小路康文・長岡京市議、山本ひろふみ・京都市議、来年の統一地方選に初挑戦の、戸山昌宏・京都市会選挙予定候補、小川直人・八幡市議選挙予定候補、大阪読者会、京都読者会などから、来年に向けた抱負が語られた。当日東京出張中の門川大作・京都市長、田中誠太・八尾市長、福山哲郎・参議院議員、尾立源幸・元参議院議員からもメッセージが寄せられた。

(文責・杉原卓治)

保守化?する若者たち〜民主主義観の次世代への継承を

8月23日京都で、戸田代表を囲む会を開催。山田昌弘・中央大学教授の講演「保守化?する、若者たち」の後、活発な質疑応答が行われた。

冒頭、山田先生から「そもそも若い人たちが、自分たちにとって望ましい社会とは何かをイメージできなくなってきている」という本質的問題が提起され、学生へのインタビュー映像から、「現状に不満はないが、将来は不安だらけ」、つまり現状に満足しているが、将来に悲観的で夢をもてない、という大学生の現状が明らかにされた。さらに「(学歴の高い若者に)公正や平等というような普遍的価値や、社会全体を発展させなきゃという意識はあまりなく、私と私の家族、友達が幸せであれば満足」「将来の不安は社会の制度で解決するというよりも自分で解決する」という若者像が提示された(山田先生の現状分析と課題提起については、『日本再生』470号の東京・戸田代表を囲む会の記事を参照)。

「恵まれた三分の二と恵まれない三分の一の分断が進んでいる。恵まれた三分の二も余裕がないので、三分の一のことは考えない」「三分の一は連帯のしようがない」という分析と共に「地域社会が、若い人にとってだんだん意味がなくなってきている」「連帯の場がない」「活力ある若者は海外に活路を求める」という指摘は、社会にとって衝撃的。

質疑に入り、まず出版会社勤務の労組役員60代から。「労働組合の組織率低下、地域と人のつながりの希薄化を日々実感している。『保守化“?”』が重要。今日のお話を聴いて、保守というより保身ではないのかと思った」「責任と権利をきっちりとらえて生きていく民主的国民が多くないと、社会が持たない。若者だけの問題ではなく、社会的な連帯の場はどうしたらつくれるのか」「新聞は見たくもないことまで目に入る。SNSでは自分のお気に入りだけで、見たくないものは見なくて済む。印象や現象でなく、事実とその本質が問題」

泉健太衆議事務所でインターンをする20歳の学生。「今の若者は、安定といっても職業や結婚、カネという、物質的な安心感を求めている傾向が強いと思う。もう一つの対極の軸や視点が増えたら変わっていくのではないか。それは、精神性や人間性だと思う。AIの時代に入ると、人間だからできることの部分が大事になる」「今の教師は、ベンチャー企業にリスクをとって投資してきたような人ではなく、安定を求めてきた人。教育はここから変えないといけない」「あきらめている若者が多いことがいちばんの問題。活力そのものがない。ネガティブなイメージの、働くこと自体が楽しくなったらよくなるのでは」

67歳女性「自分さえよかったらいいという人が増えている。しかし、目に見えない人たちの力によって救われていることが結構多い。人は生かされていると、この歳になって思う。年配者もあきらめないで、若い人たちと人間であるということの意味を話し合い、声をかけ続けることが大切ではないか。毎日それを実行している」

最後に、戸田代表のまとめ。

若者論〜「今の若者をどう思うか」。民主主義を次の世代―子どもや孫の世代にも継承せないかん、という民主主義観が日本でも生まれた。「民主主義は単純な多数決ではないよね」、合意形成や議論のプロセスを大切にする、そこから見て「安倍さんにはそもそも議論する意志はない」ということがわかってきた。これは大きな前進。同時に「安倍さんは保守ではない」ということも、立憲民主主義を深めないかんという部分が言い出した。「自分の原点の民主主義を守る」では、子や孫の世代に継承はできない、多様な民主主義観があるんだということがわかってきた。たとえば、立憲民主党の綱領の中には「多様性、包摂性、持続可能性」が入るようになった。直接体験や間接体験の延長では「民主主義では何も変わらなかったではないか」となる。これが、ファシズムの基盤。今までの日本の民主主義には「奴らを通すな!」という基準がなかった。民主主義を次の世代につなぐところから、日本の若者の主体基盤の形成も始まっていく。

(文責・杉原卓治)

対テロ戦争の時代の戦争と平和のリアル

4月の囲む会は、テロの時代の戦争と平和のリアルについて。

柳澤協二氏(4/9)は「平和に生きるための戦争学の視点から」と題して。

【平和に生きるための戦争学とは】

今日は「戦争危機と日本の安全」ということで、お話ししたいと思います。なぜ「平和に生きるための戦争学の視点から」というサブタイトルをつけているか。今は日本人がかなり戦争の危機を感じている時期だと思うんです。そこで「国が危ないなら、憲法変えてもいいじゃん」みたいな話になってしまう。これを相手にするのは、なかなか容易ではないと思っているんです。「護憲」とだけ言っていても、背景にある「本当に戦争になったら怖いから、憲法でも何でも変えたっていいじゃないか」という流れは変えられない。そこをどう考えていくかということで、今戦争学というものを勉強しています。

〜中略〜 戦争学というと、「どうやって戦争に勝つか」という話になりがちですが、むしろ軍隊をどう使うかという意味での、政治の課題としての戦争学です。したがって、目的達成のために適切な手段は何かを政治が考えなければいけない、それは戦争以外にもあるだろうと。その戦争以外の道を、少なくとも日本は今まで選んできたわけですし、今後も選び続けてはいけないのかと。そういう問題の立て方をしたいと思って、こういう副題になっています。(「日本再生」468号より)

「国が危ないなら、憲法変えてもいいじゃん」の背景にある、戦争のリアルの欠如。または現実世界の「生きにくさ」や「希望の見えなさ」と、それに対するリアリティーの欠如。

イラク派遣時の責任者の一人として、政策決定者は「死者が出たらどうするか」について臆病であるべきで、それに知らんぷりをする卑怯者になるべきではない、と言う柳澤氏。日報は、自衛隊にとっても国民にとっても貴重な教訓であり、これは単なる公文書管理の問題にとどまるものでなく、隊員の命がけの任務をあまりにも軽視していると。 テロの時代の戦争と平和のリアルが、あまりにも欠如しているといわざるをえない

国際NGO、日本ボランティアセンターの谷山博史氏(4/20)は、イラク、アフガンなど、対テロ戦争で攻撃される人々の側から、戦争と平和のリアルを語る。

対テロ戦争が平和ではなく戦争のドロ沼化、より頑なな原理主義を生み出していること。「テロ」も「対テロ」も、分断を生む他者とのかかわりという点では「共犯」関係にあり、この関係性を乗り越える「たゆまない対話の連続」=非戦というかかわりが、イラクやアフガンのリアルを踏まえて提起された。(「日本再生」469号 6/1 掲載予定)

憲法改正の論じかた

4月23日、第33回戸田代表を囲む会in京都を開催。 「憲法改正の論じかた/立憲的な憲法改正の論じかた・非立憲的な憲法改正の論じかた」をテーマに、曽我部真裕・京都大学教授から「統治機構を見る視点」を中心に、問題提起をうけた。

〇90年代の統治構造改革の目的は「忘れ去られた」のか?

国民主権の発展として憲法改正を論じるために、避けて通ることのできないのは「小選挙区制導入による選挙制度改革」「首相主導の政策決定を目指した内閣機能の強化(中央省庁の1府12省への再編)」を軸とした、「平成の統治機構改革」の総括だ。2001年の政府委員制度の廃止、2014年安倍政権下での内閣人事局の設置も「官僚主導から官邸主導へ」の流れの中にある。また、2009年の民主党マニフェストには「政治家主導」「政府・与党の一体化」「官邸主導」が明記され、政権交代が実現した。これら一連の統治構造改革の目的を、その当事者たる国民が「忘れ去った」結果、目的を失った制度が「安倍一強」を構造的に下支えしてきた(立憲民主主義とは真逆の目的に使われてきた)。

〇統治機構を見る基本的視点とは何か?

曽我部教授は、「立憲主義とは権力を縛るものという原則が強調されることが多いが、それだけでは十分ではない。現代国家では、社会や個人が抱える様々な課題の解決のために国家の活動が求められることも多い。権力は縛られる(統制力)以前に、迅速的確に行使されること(推進力)が必要」という。推進力としての官邸(内閣)に対し、統制力として国会が有効に機能しなければ、このバランスが崩れる。90年代以降、選挙制度や政府・行政に係る統治機構改革や地方分権改革、司法改革が行われてきたが、肝心の国会は本格的な改革の対象になっていない。国会に期待される役割は、立法機能、政府統制機能までは日本でも認識はされている。しかし、多様な民意を反映する機能についてはどうか?

〇多様な民意を反映する機能とは〜応答義務と公開性

多数決の民主主義と合意形成の民主主義の間は万里の長城で隔たれていない。社会の中に存在する少数派の意見を国会の場にインプットして問題提起すること、それ自体が重要だ。様々なマイノリティの問題に疎い日本(その正直な反映が国会議員)という批判のみならず、統治機構上の構造問題としてもとらえることが必要。社会における問題提起に政治が応答する仕組みとして示された、ホワイトハウスのホームページの「あなたの声をホワイトハウスに」は好例(ページに投稿された問題提起に、30日間で10万筆以上のオンライン署名が集まれば、ホワイトハウスが回答する。日本の請願法には請願への応答義務はない)。オープンな場で問題提起されることで、マイノリティの権利が社会に認知される。

立憲主義や法の支配は、まっとうな社会の前提であり、これを機能させ有効性を高めるのは、権力を構成する主権者たる国民の義務である。

 杉原卓治

立憲民主主義で語る、くらしと政治パート5

3月10日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語る、くらしと政治パート5が「野党共闘のこれからと市民参加」をテーマに開催された。 主催は、オール越谷市民アクション。

オープンセレモニーとして集会冒頭、弥栄ソーランチームの総勢20名を超える子ども達の演舞で、のっけから会場は大きく盛り上がった。 司会の松田典子越谷市議の開会あいさつに続き、3,11東日本大震災から7年目を明日に控え、参加者全員で鎮魂の1分間を呼びかけ、会場は一旦静かな空気となった。参加者はそれぞれのこれまでの7年間とこれからの未来に思いを馳せた。

主催者を代表して、石河秀夫弁護士のあいさつに続き、来賓の山川百合子衆議院議員(立憲民主党)と平野厚子草加市議(共産党)の挨拶。 続いてフィフクロ(埼玉15区市民と野党をつなぐ会)の市民6人が出演。 ブルゾンちえみ風のエンターテイメントで憲法改正問題等をコミカルにアピールしたことで更に会場の空気感が集中して行った。

その後パネリスト5人が登壇して「野党共闘のこれからと、市民参加」をテーマに100分のシンポジュームに入った。 パネリストは、政党を代表して、立憲民主党の北條智彦氏(東京13区候補者)、希望の党の小川淳也衆議院議員、日本共産党の梅村早江子氏(元衆議院議員)。 市民を代表して、辻仁美さん(安保関連法に反対するママの会@埼玉)と 高松久美子さん(埼玉15区市民と野党をつなぐ会)の二人でコーデネイターは白川秀嗣越谷市議。

まず、白川議員から今日のテーマ設定について、3点が提起された。 @これまでのシンポジューム開催の経過に触れ、シリーズとして今回を含め5回にわたり取り組んで来ており、第1回は2016年6月3日「衆議院選挙の臨む各野党の基本政策」(安保法制定を含む)をテーマとした。 第4回は、2017年4月1日「衆議院選挙における野党共闘と市民の責任」をテーマの当時民進党だった小川淳也議員を講師に「なぜ今野党が必要なのか」を提案して頂いた。 立憲民主主義の視点から市民が当事者として、政治や行政と市民参加の在り方を考えて行く企画として連続の集会となっている。

A先の衆議院選挙の結果の特徴として、憲法を改正しようとする政党が野党を含め国会の三分の二以上となった。また立憲民主主義を政党の綱領の基準とする政党が戦後初めて結党されたこと。公明党の比例票は、2000年以来の選挙から最低の698万票に留まり、また共産党は2014年からの600万票から440万票に減らしていること。しかし自公の合計得票数は2000年以来ほぼ2500万票で、野党の合計とそれほど変わらないこと。

B安倍政権の様々な立憲的独裁政治によって、ポスト55年体制の終わりの始まりとなり、これまでの護憲か改憲か、平和憲法か押し付け憲法かという二項対立的思考に終止符が打たれたこと。 この様な状況の中で、野党の役割とは何か、立憲民主主義の視点からこれまでの政策や合意形成がどう変わっていくのか、本日それぞれの立ち位置から議論を進めて行きたい、と提起があった。

これを受けて、それぞれのパネリストは、先の衆議院選挙での闘いの総括と見えてきた課題について話して頂いた。

 その中で論点となったのは、@国会での野党共闘を含めて、政権交代を目指す今日的な野党の役割とは何か。A安倍政権を変えて行くことを前提に、その後どの様な政治や社会を実現して行くのか。B日常の暮らしの中で起きている問題と政治の関連性をどう市民に伝えるのか。

@では北條氏から現政権を徹底的にチェックして行くこと、そして次回選挙での政権交代をめざし人材の発掘と育成の二つの役割が話された。 これに対して、小川議員からは民主党時代の政権運営に触れ、政権与党は与党議員のマネージを含め官僚をどう使い熟すのか、また国民に不人気の政策の実行も迫られるなど、野党時代とは大きく違っていた、と。 梅村氏からは、野党の連携によって共同提案の議員立法の議案をこの間、多く提案して来た実績を強調された。

Aでは梅村氏から、選挙時に各野党と市民の協定によって7つの政策が結ばれており、これを誠実に履行する責任があり、安倍政権を打倒したのちはこれを基本政策にして政権を運営していくべき、と話された。 北條氏からは、7つの基本政策を実現することは当然としても、政権公約として、野党各党によって政府を樹立することまでに至っておらず、今回の野党の再編過程の中で、詰めて行かなければならない課題ではないのか。また、それぞれが、それぞれの領域で最大限の活動を進めることを前提とすべきだ、発言された。

Bでは、辻氏、高松氏から、選挙を闘う中で野党が分裂状態に陥る中、野党共闘の進め方が、希望の党や共産党との関係で困難な事態が発生した。 それでも安倍政権に代わる政府を作ることを市民に訴えた。その中で日常の地域の問題をどの様に取り上げ、説明し、伝えるためのメッセージ力が試された。自公政権よりましな政府を選んで行きましょう、との合意を広げて行きたい、と強調された。

また、政党側のパネリストは、政党の基本的な見解や立場の説明とともに、これを実現して行く中での政治家個人としての悩みや苦悩が率直に話されたことから、市民側からこんなに人間臭い一面を聞くことが出来て、本当に有意義な討論だった、と発言が続いた。

これらの論議の締めくくりとして、白川議員から、立憲主義とは、憲法が権力行使を縛って行くことと同時に、その権力を形成していく普段の国民の責任のことも示している。 憲法改正問題を含め現在の安倍政権の立憲独裁は、官邸主導と言う専門化集団によって決定がなされる。戦前の軍部も同じ体質だったが、専門家集団によって決定のプロセスが閉ざされ、市民の参加は断絶される。 しかしこの反立憲主義に対して圧倒的な位置にある非立憲の政党や市民を、今後どの様にマネージして行くのか問われている。

これを実行する際の会話と対話の違いについて、会話は同質性が共通しておりどんなにレベルの高い集団でも低くても同じことであり、意見や立場が違う市民に対して対応が全く出来ない。その典型例が安倍総理であり、国会での答弁に見て取ることが出来る。 一方対話とは、意見や立場の違いを認めた上で、合意を図ることであり、その時にはより高いパブリック感を必要となる、と話された。

集会終了後、午後11時まで主催者とパネリスト全員で懇親会が開催されたが、異口同音に政党と市民がこんなにフラットに話し合える場に初めて参加することが出来た。 今後も、それぞれの地域で国会議員だけでなく、地方議員と市民によって地域の問題について話し合う場を作り出して行こう、と全員で確認した。

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