「サンチョパンサの日記」では、機関紙などで紹介しきれない活動を紹介します。
サンチョパンサは、ご存知のようにドンキホーテの従者。ということは、もしかして、ボスのことをそう思っているのでは、と勘ぐるむきはどうぞご自由に。
まあ、戦後日本の無責任連鎖に向かって「責任の回復」や、「世直し」を大上段から訴え続けてきた姿は、風車に向かって突撃するドンキホーテに見えるかもしれませんが。

「還暦祝い」

2月18日、第172回の「囲む会」は、朱建榮先生をゲストスピーカーに迎えて開催。朱先生のお話は久しぶりになるが、今や80后、90后と言われる文革も知らなければ、市場経済が当たり前の前提になっている世代が人口の多数を占める中国社会の変化が、中国の内政外交にどんな影響を及ぼしつつあるのか、興味深いお話を聞くことが出来た。

その朱建榮先生は、還暦を迎える。日本に来てから30年、すでに人生の半分を日本で過ごしてこられたことになる。昨年、義理の父上が亡くなったが、その忌中のあいさつは、そんじょそこらの日本人も顔負けなくらい、礼儀正しく、かつ心のこもったものだった。

そんな朱先生の還暦をお祝いする、という口実で、「囲む会」の後にささやかな懇親会を。 第一回の日本への国費留学生の一人、張紀潯先生も、久しぶりに元気な姿を見せて下さった。

「憲法を論じる共通の土台をどう作るか」

2月8日、第28回戸田代表を囲む会in京都を開催。50名の参加で、「立憲民主主義をよりよく機能させるために〜憲法を論じる共通の土台をどう作るか」のテーマで、フロアを含め活発な論議をおこなった。

曽我部真裕・京都大学教授の「憲法の議論の仕方を変えていくことが大切」というメッセージは、旧い「護憲VS改憲」論議に慣れてきた(実際には無関心)世代には覚醒を、若い世代には憲法論議への動機を与えてくれた。「(現状の憲法論議を)今後の憲法論議のあり方を考え直すきっかけにすべき」との中長期の視点(憲法制定70年、80年、90年を同じ状況にしない)を共有できるかどうかがカギだ。「憲法改正を自己目的化しない」という場合も、この視点がないと憲法をめぐる当事者としての論議を先送りするものでしかない。

さらに、憲法観の問題として「(憲法を)理想的な価値を定めるもの」とするのか「公権力を生み出すと同時に、実際に縛るもの」とするかの問題提起に、「自分は後者だ」という人でも「理想的な価値から現状を批判する」域をでない場合が多い。例えば、橋下行革を統治機構改革の問題として認識できるか、この間の司法改革をどのように考えるか。公権力の側にいる人々に、「縛られている」と意識させるに足る状況をどのように作るのか。立法行為や政党の政治活動においても、現状では憲法はほとんど意識されていない。

福山哲郎・参議院議員は、憲法論議のあり方を考え直すことに同意した上で、国民の強い要請がある場合に(改憲の)発議をしましょうというのが基本であり、「人権の制限」や「丸ごとの改正」には違和感があると強調。

隠塚功・京都市会議員は、コミュニティでの合意形成や生活者レベルの議論が深まらないと、憲法を自分のものとしていくことはできないと発言。

泉健太・衆議院議員も東京から駆けつけ、最高裁の違憲立法審査権の行使をはじめ、司法は政治に転換を促すくらいのほうがいいと述べた。

戸田代表からは、主権者として憲法を論議する型が見えていないところからおこる「懸念」や「不安」という問題は、憲法三原則を深める言論空間をつくっていくことで打開すべきとの示唆が。

フランスでの2008年の憲法改正プロセスが、90年代からの長年にわたる熟議と憲法学者を中心にした専門委員会による内容の検討、政府による提案と議会での修正を含む、公開された議論の結果の改正であったことも、今後の日本の議論のあり方に大変参考になる。

今回のフロアからの発言もふくめ、曽我部先生の問題提起に基づいた主権者としての論議を日本再生読者会の場をはじめとして深めていきたい。

(杉原卓治)

「リスペクトの政治に向けたシンポジウム」

1月22日、京都大学法経の教室に約150名が参加。主催は関西市民連合。50代60代が中心だが、前の席には20代30代の女性も目立つ。開始時は教室の半分ほどだったが、途中休憩時には8割程度席が埋まる。講演とパネル討議へのフロアーの集中度は、一昨年以来の関西でのSADL関与のイベントのなかで一番であった(手話通訳、託児所、ネットでの同時動画配信もあり)。

司会・主催者挨拶(湊)「野党共闘・市民共闘は一進一退で、市民の間でも様々な違いがある。立憲政治をたてることと個人の尊厳を前面にした、リスペクトの政治が重要だ。女性を中心に、個人が生きづらさを感じている。これは個人のわがままなのか?日常体験にもとづいて、政治に求めるものを明らかにし、市民が主体的に争点を設定していこう」

会場提供者挨拶(西牟田祐二・京大経済学部教授「川上肇会」1956年生れ)「政治を市民に取り戻す、は川上肇のスピリットでもある。自ら会場提供のホスト役を買って出ました」

司会から立憲野党として紹介されたのは、共産党穀田衆議と福山参議。穀田議員は、野党共闘の成果と、若者と女性の政治参加が重要と。福山議員は、自身の子ども期の父親からのDV体験を語ったうえで、世界も日本でもヘイトスピーチなど排他的な社会の動きと、共生社会をつくろうという動きがぶつかり合っていると。いずれも、挨拶のあと退席。

講演は「政治をわたしのものにする」

牟田和恵(大阪大学教授 歴史社会学・ジェンダー論 1956年生れ)

前日の21日、ワシントンはじめ全米でのウィメンズマーチが「反トランプ政権」の大衆運動として盛り上がった様子をとらえ、1960年代の第二波女性解放運動(第一波は女性参政権運動)の命題「THE PERSONAL IS POLITICAL(個人的なことは政治的なこと)」は、今日にも脈々とつながっている。第一波が法的・政治的権利のためであるとすれば、第二波は自分たちの、身近で個人的な課題から大きな社会構造を変えようという、公民権運動やベトナム反戦運動とともに湧き上がってきたものだった。私的なこと、個人的なことを政治化したこと、街頭に出たことがポイントだった。また、「身体性」という個人的なことを「恥ずかしいこと」として女性を無知にして貶めるものと、「OUR BODIES OURSELVES」と覚醒させるものとの戦いでもあった。

昨年の「保育園落ちた、日本死ね」に対するバッシングの根っこには、「個人がやるべきことを政治化することはわがままだ」という発想や思考があるのではないか。私的なことを公的なところに持ち込むなというのは、リベラルと言われる人や女性にもある。フェミニズムは若い女性に嫌われる(笑)。「フェミニズムってわがままだ」「自分の権利ばかりいってレベルが低い」「おバカなのはダメ」等々は、NGO 活動家の中にも色濃い。常識を学び落とす(Unlearn)ことが必要(政治的主体の転換)。

次に、1990年代の「ケア・フェミニズム」について。社会学や経済学が前提にしてきた「自立的存在」は、依存ケア(たとえば「高齢者に対するケア」)を直接担当していないだけです。家庭に隠されているその事実は、離婚によって明らかになります。フェミニズムは「男並みの権利」を求めているものではありません。人間はそもそも依存的存在でありケアが必要であるという原点から、すべての人があたりまえに依存ケアにかかわり、依存ケアにたずさわる人々が尊重される社会を構想しているのが現在のフェミニズムです(穀田さんが言った「子どもや女性の問題にも」というのはちょっとちがうのでは)。私たち市民にとって、政治を私たちのものにするしか希望はない。自分にとって、納得のいく人間や社会のありかたを考えていくことが「政治をわたしのものにする」こと。そうでなければ、政治には意味がない。「個人的なこと」を語るところから始めましょう!

パネルディスカッション

元橋リエ(20代・大阪大大学院生・ジェンダー論)司会

小川イクエ(30代介護士・子育て中・SADL)

中野リカ(40代作業療法士・ママの会大阪・憲法カフェ主宰)

西郷南海子(29・京大教育学部大学院・三児の母・ママの会)

新貝(40代・大阪市大職員・セクシャルマイノリティをカミングアウト)

湊 隆介(一部参加)

元橋「個人的なことが個人に押し込められ、政治が削られている。自分を主語に日常から自分の言葉で語っていきたい」

討議のはじめに、四つの「私のもやもや」として「子どもを育てられる気がしないという世の中はおかしい!」「在宅介護はだれが担うべき?」「私たちの生きづらさの根本には、せい(性)に対する抑圧があるのでは?」「社会的な問題に対して声を上げることのリスクが大きすぎる!」と設定。

「子どもを育てられる気がしないという世の中はおかしい!」

元橋「同世代の友人は、子育てなどで忙しく、成人ついてゆっくり考える暇もない。『馬鹿だからわからない』は違うと思う。政治家に子育てや介護、非正規などの経験がなく、(政治が)生活から遠いものになってしまっている。(政治に)声を反映させ、もっと身近なものにしていきたい」

「在宅介護はだれが担うべき?」

小川「介護の世界はもやもやだらけ。介護報酬が低すぎて子育て世代のなり手がなく、高齢化している」

「私たちの生きづらさの根本には、せい(性)に対する抑圧があるのでは?」 新貝「セクシャルマイノリティは16人に一人はいると言われている。セクシャルマイノリティの問題について関心をもってほしい」

「社会的な問題に対して声を上げることのリスクが大きすぎる!」

中野「友達や身内に対してが、いちばんつらい」

西郷「社会的に公開することのリスクが大きい」「個人的には割り切っているが」

新貝「割り切っている」

小川「3・11がきっかけで、反原発や都構想などで街頭にも出るようになった。いろいろな人がいるので、いろんなスイッチが必要」

湊(自分もセクシャルマイノリティだとカミングアウトして)「仕事場にはいろんな人がいるが、何気ない話から政治ネタにもっていっている。いいことばに触れることも大切」

最後に、元橋さんから「政治を自分たちのものにしていきたいとつよく思います」とメッセージ。

パネルディスカッションは、準備に相当な手間と時間と労力がかけられていて「リスペクトの政治とは」に「誰がどんな状況でも安心して生きられる社会」「分断されない政治」「ひとりひとりが自分らしく生きることを保証する政治」「自分自身を大切にすること」と四人のそれぞれの一言が表示された。

最後に、シールズ関西の塩田潤さん(神戸大大学院)から、「勇気ある発言に共感した。このような取り組みを継続したい」と挨拶があった。

(杉原卓治)

立憲民主主義で語るくらしと政治パート3@越谷

12月13日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート3「貧困の連鎖を断ち切るために」と題して講演とシンポが開催され約170人の市民が参加しました。

野党の政党代表と市民がオープンのトークを通して、21世紀型の社会や地域を担う新たな社会関係資本の主体基盤をつくろう、とシリーズで開催してきたもので、今回が3回目となっています。 主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)。

オープニングセレモニーで、地元文教大学の二年の女子学生によるジャグリングや風船を使ったおもちゃの作成等の大道芸が披露された、会場はいきなり爆笑と柔らかな空気に包まれました。

主催者あいさつの佐々木新一弁護士に続き「いま、何故下流老人なのか」をテーマに{下流老人 一億総老後崩壊の衝撃}の著者で越谷市在住の藤田孝典氏が講演。 高齢化率がこれから40%位まで上がって行く状況の中では、消費税を含め税収を上げて社会保障に回してくしか方法がなくなっている。しかし、今は誰もが大切にされている感や受益感がないため、税を高めてみんなを助けるより、同じ立場やより弱い立場の人を攻撃する、排除する方向に進んでいると、強調されました。

また、身近な市議会や県議会や国会で税金の使い方をチェックすること。そしてインターネットを使いこなすことにより輿論を作り、政治を動かそう。 若い世代はもちろん、年配の方々ももっとネットの言論空間でまっとうな意見を発信するようになれば、さらに問題点が可視化されていくので、ネットスキルを上げることを推されました。

これを受けて、藤田氏を含め山川ゆり子埼玉県議(民進党)、平野厚子草加市議(共産党)、松田典子越谷市議(無所属)、尾澤あきつ越谷市民ネット代表によるパネルデスカッションが行われました。コーディネーターは白川秀嗣越谷市議(自治みらい代表)。  議論の柱は、現代の貧困問題は、@貧困自体が見えにくい A自己責任論が横行している B社会保障の財源をどうするのか、となりました。

平野市議や松田市議からは、それぞれの自治体における生活保護世帯や母子家庭等の数字による推移が報告されました。 また尾澤さんからは、子育て中の母親の支援を地域で取り組んでいるが、母親自身が幼い時から均質性を強制されており、他者との違いや弱みを見せることを極端に嫌う傾向がある。そのためまず徹底して普段のくらし向きのことを丁寧に聞くことが大切、と話された。

さらに、社会保障の財源の確保では、平野市議から整備新幹線での税金の支出は、なにひとつ問題にはならず、社会保障の話になった途端に財源を削減する話になってしまう。消費税の増税には反対だ、との発言がありました。

会場の参加者からは、累進課税による税収のアップが今必要ではないか、また子ども食堂を地域で取り組む場合に、何に注力しなければならないか等、質問や意見が出されました。

これに対し、藤田氏から消費税だけを問題にせずに、社会保障全体の制度設計の見直しや、あらゆる立場(自民党や経団連等を含め)の市民がフラットに話し合う機会をどう作るのか、が必要と主張されました。

コーディネーターの白川市議から、新たな格差や貧困の問題は、同時に人間の尊厳や基本的人権の問題と直結しており、その解決には立憲民主主義のツールをどう使いこなすのかが問われていると、集約されました。

 最後に山田智之事務局長から、今後の行動提起がなされ、来年1月14日(土)午後1時から、越谷駅前広場での超党派の市議会議員や様々な市民とともに、アベミクスを考える市民の広場を開催すること等の呼びかけがありました。

この日は藤田氏の新著「続・下流老人」の発売日でもあり、本の紹介とともに販売が行われ用意した40冊は、即日完売するほど関心が高まりました。  集会終了後、藤田氏を含め主催者の市民や市議で、懇親会が開催され20人を超える参加者のため急きょ席を増やすほど、議論が持ち越されました。パフォーマンスをした文教大学生も参加して、一人一人感想を出し合いながら遅くまで交流会が続きました。

日本の政治―これでいいの? @越谷

1月14日(土)の午後、越谷駅前広場では、「日本の政治―これでいいの?アベ政権へオール越谷が新年のごあいさつ」のイベントが開催されました。 主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)で、本年最初の取組みとなりました。

この日は、今季一番の大寒波と強風が吹きまくり、時折小雪がちらつく中で開催されました。 準備のために午前中集まったスタッフは、横断幕やのぼりの設置にも苦労しながらも、何とか工夫して作業を進めた結果、開始の午後12時30分前には完了しました。最後まで寒さが緩むことはなく、参加した市民は身を震わせていたものの終始楽しく、連帯感のあふれたイベントになりました。

集会では、まず、沖縄の歌姫こと川口真由美さんが京都から、ボランティアで参加し、ギターの生演奏と歌声で、沖縄の基地反対運動の中で合唱される歌を次々と披露し、参加した市民や通りすがりの市民を魅了しました。

次に衆議院選挙区の埼玉3区の予定候補の民進党の山川百合子埼玉県会議員と共産党の平野厚子草加市議のあいさつの後、民進党と共産党の越谷市選出の県会議員が続きました。

さらに民進党、自治みらい、共産党の越谷市議会議員7名が次々に短いスピーチの中、越谷市議会の昨年12月議会での議場への国旗掲揚を巡る非立憲民主主義の現状が報告されました。 この後、パフォーマンスとして、10数人の女性によるオカリナ演奏、ギターや三線のライブ演奏と歌声、地元文教大学生による大道芸など、途切れることなく発表されました。

また、市民からのスピーチも行われ、安保法制違憲訴訟運動へのお誘い、沖縄のオスプレー配置反対の訴え、高齢者の健康と平和を守ろう等、連続した呼びかけとなりました。

会場の周辺では、アベノミクスの評価や政治社会問題で関心があるテーマに対して、市民からのシール投票も行われました。 このシール投票には、チーム白川から2人が担当し3時間程行動しました。 通行中の市民約100人程がシールを貼り、その理由を会話しました。

 特徴的だったのは 高校生に積極的に声を掛ける中、「ブラックバイト」「奨学金」の欄にシールが集まると想定していたものの、実際は「防災・被災者支援」「原発」「南スーダン」等の社会的出来事への関心が高いものでした。 高齢者の市民は「特養・介護」の自分ごとの不安項目にシールが集中したのとは対照的でした。

集会終了後は、実行委員会を中心に、近くの居酒屋で冷え切った身体に暖を取りながら、歓談が行われました。

次回の企画は、民進党の小川淳也代議士の講演を中心に4月1日(土)午後、越谷市中央市民会館劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート4「野党の役割と選挙共闘」(仮題)を開催します。

立憲民主主義で語るくらしと政治パート3@越谷

12月13日、越谷市中央市民会館の劇場で、立憲民主主義で語るくらしと政治パート3「貧困の連鎖を断ち切るために」と題して講演とシンポが開催され約170人の市民が参加しました。

野党の政党代表と市民がオープンのトークを通して、21世紀型の社会や地域を担う新たな社会関係資本の主体基盤をつくろう、とシリーズで開催してきたもので、今回が3回目となっています。 主催は戦争法廃止オール越谷市民アクション(代表 石河秀夫弁護士)。

オープニングセレモニーで、地元文教大学の二年の女子学生によるジャグリングや風船を使ったおもちゃの作成等の大道芸が披露された、会場はいきなり爆笑と柔らかな空気に包まれました。

主催者あいさつの佐々木新一弁護士に続き「いま、何故下流老人なのか」をテーマに{下流老人 一億総老後崩壊の衝撃}の著者で越谷市在住の藤田孝典氏が講演。 高齢化率がこれから40%位まで上がって行く状況の中では、消費税を含め税収を上げて社会保障に回してくしか方法がなくなっている。しかし、今は誰もが大切にされている感や受益感がないため、税を高めてみんなを助けるより、同じ立場やより弱い立場の人を攻撃する、排除する方向に進んでいると、強調されました。

また、身近な市議会や県議会や国会で税金の使い方をチェックすること。そしてインターネットを使いこなすことにより輿論を作り、政治を動かそう。 若い世代はもちろん、年配の方々ももっとネットの言論空間でまっとうな意見を発信するようになれば、さらに問題点が可視化されていくので、ネットスキルを上げることを推されました。

これを受けて、藤田氏を含め山川ゆり子埼玉県議(民進党)、平野厚子草加市議(共産党)、松田典子越谷市議(無所属)、尾澤あきつ越谷市民ネット代表によるパネルデスカッションが行われました。コーディネーターは白川秀嗣越谷市議(自治みらい代表)。  議論の柱は、現代の貧困問題は、@貧困自体が見えにくい A自己責任論が横行している B社会保障の財源をどうするのか、となりました。

平野市議や松田市議からは、それぞれの自治体における生活保護世帯や母子家庭等の数字による推移が報告されました。 また尾澤さんからは、子育て中の母親の支援を地域で取り組んでいるが、母親自身が幼い時から均質性を強制されており、他者との違いや弱みを見せることを極端に嫌う傾向がある。そのためまず徹底して普段のくらし向きのことを丁寧に聞くことが大切、と話された。

さらに、社会保障の財源の確保では、平野市議から整備新幹線での税金の支出は、なにひとつ問題にはならず、社会保障の話になった途端に財源を削減する話になってしまう。消費税の増税には反対だ、との発言がありました。

会場の参加者からは、累進課税による税収のアップが今必要ではないか、また子ども食堂を地域で取り組む場合に、何に注力しなければならないか等、質問や意見が出されました。

これに対し、藤田氏から消費税だけを問題にせずに、社会保障全体の制度設計の見直しや、あらゆる立場(自民党や経団連等を含め)の市民がフラットに話し合う機会をどう作るのか、が必要と主張されました。

コーディネーターの白川市議から、新たな格差や貧困の問題は、同時に人間の尊厳や基本的人権の問題と直結しており、その解決には立憲民主主義のツールをどう使いこなすのかが問われていると、集約されました。

 最後に山田智之事務局長から、今後の行動提起がなされ、来年1月14日(土)午後1時から、越谷駅前広場での超党派の市議会議員や様々な市民とともに、アベミクスを考える市民の広場を開催すること等の呼びかけがありました。

この日は藤田氏の新著「続・下流老人」の発売日でもあり、本の紹介とともに販売が行われ用意した40冊は、即日完売するほど関心が高まりました。  集会終了後、藤田氏を含め主催者の市民や市議で、懇親会が開催され20人を超える参加者のため急きょ席を増やすほど、議論が持ち越されました。パフォーマンスをした文教大学生も参加して、一人一人感想を出し合いながら遅くまで交流会が続きました。

2016年望年会を開催

 12月23日、恒例の望年会(教訓を「忘」れず新たな年を展「望」する)を開催。来年、都議選を控えるなか、会員地方議員をはじめ各地での活動が報告された。とくに今年は「チーム」としての関係性に根ざした報告が行われたのが、特徴的だ。

 越谷の白川同人からは、感情が政治を大きく揺るがすようになるなかで、「遠くの敵」に仮託することなく、地域をはじめとする身近な関係性のなかで意見を戦わせることの重要性が提起された。利害が対立し、意見が異なるからこそ、そこに政治が必要になる。それは、単なる利害調整ではない、「人間として互いに尊重する」ための政治だろう。

 乾杯の発声は、前田・前参院議員。長年の功績をたたえ、旭日大綬章とフランス、レジオンドヌール・シュヴァリエ、二つの叙勲を受けられた。「バッジをつけない主権者」として、いっそうのご活躍を。

「関西政経セミナー特別講演会&望年会in京都」を開催

12月7日、京都市内で「関西政経セミナー特別講演会&望年会in京都」を開催。

第一部は、諸富徹・京都大学教授による講演「地球環境×エネルギー×民主主義〜私たちはどこまで来て、どこに向かおうとしているのか」

諸富先生は、課題先進国の意味を「再生可能エネルギーへの転換」が環境政策のみならず、ダイナミックな産業構造の転換(第三次産業革命)につながる、環境政策と経済政策の融合であることを、ドイツの実例を引いて明確にした。パリ協定の早期発効の背景も、異常気象による自然災害の頻発によって、「気候変動リスク」が銀行や保険会社の危機感につながり、世界的な投資の流れに決定的な影響を与えていること(「物理的リスク」とともに、金融機関の顧客が異常気象によって賠償責任を問われる「信用リスク」、低炭素経済への「移行リスク」など)。さらにパリ協定(2100年CO2 のゼロエミッション合意)の発効は、化石燃料関連資産を「座礁資産」に変える。「熱狂ではなく、確実に」投資の流れは変化しつつある。

このような中で、注目されるのが中国の動向。トランプの米国がパリ協定へ距離を置こうとしているとき、(政権の正当性をかけ)大気汚染対策とCO2削減を一体で進めなければならない中国が、(はからずも)地球温暖化対策のトップランナーに躍り出る可能性も示唆された。日本ではあまり知られていないが、すでに中国では十数都市で実験的に「CO2排出量取引制度」が導入され、今後全国に拡大されることもありうるという。

一方、日本の産業界代表は「CO2削減の限界費用が高い日本で、これ以上削減の余地はない」(「乾いた雑巾」論)という後ろ向きの発言に終始しているが、日本でも「3・11」以降の再生可能エネルギーの急伸や省エネの拡大で、経済成長と二酸化炭素排出量の「切り離し」が顕著になりつつあるという事実も。わが政権の、パリ協定への不作為にも近い「批准遅れ」を指弾するのは容易だが、問題は私たち自身の経済社会がどこまで来ており、どこに向かおうとしているのかを「自分ごと」として考え、行動することではないか。

第二部は、恒例の「望年会」。冒頭で、戸田代表から「国民国家の枠内の『立憲主義』(○○ファースト)にとどまるか、国際立憲主義まで成長する民主主義の波をマネージするか」との示唆が。前田武志・前参議院議員は、乾杯の挨拶で「地球環境問題の解決に住民自治は不可欠」と強調。

門川大作・京都市長、中小路健吾・長岡京市長、福山哲郎・参議院議員からのメッセージが紹介された後、泉健太・衆議院議員(代理)、今江政彦・滋賀県議会議員、和島一行・向日市議会議員、山本ひろふみ・京都市会議員など、多くの発言が。 最後に、隠塚功・京都市会議員が中締めの挨拶をおこなった。

(杉原卓治)

レジオンドヌール

謹啓 季秋の候、皆様には益々ご健勝のこととお喜び申し上げます。

さて、この度、元参議院議員、元参議院日仏友好議員連盟副会長 前田武志様におかれましては、レジオン・ドヌール勲章シュヴァリエに叙されることとなりました。

つきましては、ティエリー・ダナ駐日フランス大使が下記の要領にて叙勲式を執り行います。

諸事ご多端の折、誠に恐縮ではございますが、是非ご来臨賜りますよう謹んで案内申し上げます。

謹白

2016年11月吉日

在日フランス大使館

ということで、12月2日、フランス大使公邸で行われた叙勲式に行ってまいりました。大使のあいさつでは、前田先生が「5月革命」の最中のフランスに滞在していたことが、かなり詳しく紹介されていたのが印象的。

レジオンドヌールはフランスの最高勲章。約1500人の外国籍叙勲者のうち、日本人は約1割、シュヴァリエには安藤忠雄、向井千秋など。ちなみに北野武はシュヴァリエよりひとつ上のオフィシエ、大江健三郎はもうひとつ上のコマンドゥール。

前田先生にとっては、先日の旭日大綬賞に続く叙勲。この夏の参院選で議席を得ることはかなわなかったが、「環境未来フォーラム」を立ち上げて、今後も低炭素社会の実現にむけて活動される。

康仁徳先生

11月30日、韓国より康仁徳先生がお見えになる。

朴大統領の退陣問題、北朝鮮情勢などについてお話を伺いつつ、意見交換。鴨緑江沿いをずっと歩いて、制裁の実効性を確かめられてきたなど、さすが。金正恩体制下での経済社会構造の変容についても興味深いお話を伺うことができた。

朴大統領の退陣問題については、弾劾にしろ何にしろ 民主的な手続きによる法治の枠内での決着が必要であると強調された。すでに問題の核心は、大統領の疑惑にあるのではなく、1987年憲法体制の立憲民主的な転換をなしうるか、というところにある(1987年憲法以前は、憲法改正は軍事クーデターと一体)。その民主主義の力が韓国社会にどこまで蓄積されたかが試されている、ということだろう。

今回の大規模なデモで衝突が起きていないこと、デモの後にゴミがないことなど、民主主義の成熟が見られることも強調されていた。

くわしくは、「日本再生」452号(1/1)に掲載予定。

マニフェスト大賞を2度受賞したことで、ますます問われる当事者意識

私も運営委員の一人として参加している「埼玉政経セミナー」が、地方政治の優れた取組を表彰する「第11回マニフェスト大賞」市民部門で優秀賞をいただきました。

授賞式に先立ち、前日には優秀賞を受賞した7つの部門での団体、個人が3分間のプレゼンテーションを行う、マニフェスト大賞プレゼン研修会が開催され、埼玉政経セミナーを代表して、私と岡田さんがプレゼンをしました。

この研修会は、@優秀賞受賞者の先進的な取り組みを学ぶ、A伝える力を磨く、B受賞者同士の交流を深める の3つを目的に創設されたものです。 大賞は参加者全員の投票で決定されるもので、今回は新城市の若者議会を報告した、1年の女子高校生が大賞を受賞しました。

プレゼンをするため、準備のためパワポの作成に10時間、発表訓練に2時間を要しましたが、事前の打ち合わせ協議の中で、前回の議会部門の受賞と今回の市民部門の受賞の違い(発展段階として、より市民が主体を形成していった)を明確にして臨みました。

また、どうしても発表はプラスを全面に出すのが通例ですが、あえて紆余曲折だった運営や賛同議員の途中脱落や健康や高齢を口実とした市民の退会も報告することにしました。 つまり、マイナスの意見や参加姿勢もフラットに議論をする場面は、他の団体や組織ではあまり遭遇しません。 だからこそ、回答や結論がすぐに出せなくても、市民や議員のマイナス発言(本人がマイナスとは思っていない場合が多いのですが)を材料として、全体を前に進めていくマネージ力が問われていることを実感しています。 私自身がマネージ力は弱いのですが、そのことが現在極めて重要な課題であることを体感しています。

当日はプレゼンの後、審査員から質問があり、超党派の議員はどの様な役割を果たしているのか、(政策実現のためには、単に一般質問をすれば実現すると言うものではなく、請願や議会の力関係、議員の性格等の把握など必要であり、その点での会派を超えた意見や材料が提起出来る)また発表者は議員なのか(私は議員ですが岡田さんは農業者であり、まだまだ市民と議員の共同作業の実践例が少ないのでは)、がありました。

埼玉政経セミナーは、「市民が参加し責任を持つ地域づくり」を目指す、市民と超党派議員でつくる団体です。 2011年、2015年の2度の統一地方選挙において統一マニフェストを共同作成し、選挙戦での超党派の賛同候補者と市民で街頭演説を始め様々な共同行動に取り組みました。 選挙後は点検・検証・推進を行い、講座や勉強会も開催してきました。 マニフェスト大賞を受賞するのは今回が2度目。1度目は2014年、「超党派議員が同じマニフェストを掲げ選挙に挑む」ことが評価され、議会部門での受賞でした。

今回、市民部門で受賞できたのは、市民と議員がマニフェストを作って、当選した議員の実行性を、市民が点検・検証するという二項対立ではなく、市民が運営の中心になって、具体的にマニフェストを実現する形にチャレンジしたからだと思います。

運営を市民が座長を務める三つの分科会に専門化し、「新しい豊かさ」チームでは幼稚園・小学校に、市民運動として自然エネルギー発電所と防災拠点(蓄電池の機能を装備した)を設置。

「新しいしくみ」チームでは、地元の学生さんと協働で議会との交流会を開催。「新しい公共」チームでは、これからの公共施設の運営方法を考える「公共施設シンポジウム」を開催しました。

これらの活動全て、市民が発案し実施、議員は徹底してサポート役に回ろうと、役割分担を徹底したことが、今回の受賞に繋がったと考えています。

ただ、課題もあります。まだまだメンバーの中で考え方や活動への温度差があるのも事実です。賛同議員の離脱や、役員にお任せになってしまう場面も見られます。(勿論、選挙後に新たな会員となった議員もいるため、運動の質的な転換も起き始めています。)

それでも、私たちが活動してこられたのは、特別な市長・議員・市民がいるわけでも、超党派だからでもありません。 あきらめない市民と議員がいたからです。市民が変わらなければ議会は変わりません。これからも仲間たちと本音をぶつけ合い、マニフェスト推進の苦労を共に味わいながら活動していきたいと思います。

(山田裕子)

智頭町・西粟倉

智頭町・西粟倉 10月31日、11月1日、2日の3日間自治みらいの行政調査に行って来ました。 調査地とテーマは、鳥取県智頭町の「ゼロ分のイチ村おこし運動」「「百人委員会」について、岡山県西栗倉村の「地域産業と新たな担い手づくり」について。大阪府高槻市の「子育て世代包括支援センター事業」についてでした。

まず、智頭町では、寺谷誠一郎町長から当初15分程度のご挨拶をお願いしていたものの、予定を超えて30分も政治信条を語って頂きました。 名刺交換とともに簡単なお礼を述べたのち、「日本再生」に町長の記事がかつて掲載されたこともあり、最新号(10月号)と自治みらいの会報をお渡ししました。  町長の名刺は、杉材で作成されており、木の香りがするなんとも贅沢な一品ではあったのですが、町内の総面積の93%が山林を占める町ならではと感じました。

若い女性の化粧に汗だくだく?

最初に町長のお詫びから始まったことに驚かされてしまいました。 町おこしのために大麻の栽培許可を得ている智頭町の大麻関連商品販売会社の代表(30代)が、自宅に大麻を隠し持っていたとして、中国四国厚生局麻薬取締部に大麻取締法違反(所持)の疑いで先般逮捕されていた件でした。(大麻の栽培許可を得た業者が大麻取締法違反で摘発されたのは全国で初めて。) 実は販売の許可は、鳥取県知事の権限なのですが、智頭町長の仲介で知事が許可を出していた経緯があり、容疑者本人というより町長への信頼の背景があったため、その信頼を裏切ってしまった、と。

話は政治家の選挙と公約に関して、地方議員を含め市民の陳情や要望を聞いて、それを実現していくことが責任のように言われているが、財政がすでに右肩下がりになっている状態で、国の借金が1000兆円を超えており、要望の実現は困難であり、また政治姿勢としても疑問がある。 だから、選挙の時の公約では、一切陳情には応じないと公言し、どうしても税金が必要なら、まず町民が自分たちでやれることを精いっぱいやった上で、それでも足らなければ補完する、と言って当選して来た、と強調されました。

このため、地域町民の力を集めた一昔前にあったおせっかいを“強制”する「おせっかい、世話役運動」に取り組んでいる、と話された。 しかし、この運動には大変な勇気が必要であり、言うは易し、行うは難しだ、と。

町長自らも当然実践が伴わなければならない。先般、東京の電車の中で公然と化粧をしていた若い女性2人に対して、目の前に立ち、つり革に両手をしっかり握りしめ、意を決して「化粧は心にして下さい」と大きな声で言い放ち、すぐに逃げるようにその場から早足で離れてしまった。両脇には汗があふれ心臓がバクバクなっていた、と言う話をされたことから、全員爆笑となりました。

また、町議会議長からも挨拶をしていただきましたが、議会基本条例を制定したことや、議会としての行政評価システムを策定したことなど、議会の取り組みを紹介して頂きました。 これまで、様々な自治体への行政調査のおり、議長からあいさつを受ける機会がたびたびありましたが、殆どはその自治体の歴史や文化の紹介に留まることが多く、議会の状況を話された事に更に驚かされました。

森林業の盛隆から衰退へ。次の一手は

この後、今回のテーマに対する説明を企画課の副主幹からお聞きしました。 智頭町は、8000人弱の人口であり、林業が大きな産業として引き継がれて来ており、慶弔元年に植えられた直径4メートルもの杉も有名だそうです。 山林所有者はかつては、杉の木一本が50万円から100万円もするため大変財政的に潤っていたものの、安い輸入外材が大量に出回るにつれ、相場が下落していったため、林業が衰退していきました。

 そこで、町長は観光事業に注力するため、町の中でもっとも伝統的屋敷である「石谷家の住宅」の公開を踏みきろうとしました。  しかし、この住宅には家族が生活をしており、当初、住人は全く公開に承諾の意思を示そうとしなかったのですが、三顧の礼での度重なる町長のお願いに、3日間だけと言う約束で公開が出来ました。  この様な経緯の中で開催された「石谷家住宅特別公開」では、何と周辺の自治体だけでなく、他県からも市民が10500人も押し寄せたそうです。  これを契機に平成13年4月には、国登録有形文化財「石谷家住宅」の一般公開に繋がっています。このほか古い集落を活用して昭和初期の原風景を再現し、様々な古民家が観光の大きな資源となっています。

 また、森林資源の活用にも取り組み、平成22年4月には、森林セラピー基地認定の22名の「森のガイド」を配置し、5月には智頭町「森のガイドの会」を設立、2つしか宿泊施設がないため、農家民泊の取り組みに46世帯が稼働しています。(みんぱくのススメとしてパンフが作成され、一軒一軒受け入れ自宅と家族の写真やひとこと等が掲載されていますが、議長さんの自宅も民泊施設の一つです。また農業体験を始め林業体験、トチ餅つくり等13もの体験メニューも記載)

 この森林セラピーロードを代表する芦津渓谷は、西日本屈指の渓流で、天然杉と広葉樹混合林が四季を通して美しく、中国自然歩道から三滝ダム周辺を巡り、さらに源流域の渓谷へと続き、それぞれ異なる表情を魅せる三つのコースが設定されています。  更に森林セラピー弁当を考案し、セラピー弁当の7つの誓を規定しました。@米は100%智頭町産A食材の8割は智頭町産Bカロリーは600から800?C塩分は3g以下Dお品書きをつけるE旬の食材を入れるF愛情を込める、です。

 説明と説得は、理念に裏打ちなしには成功しない

次に日本ゼロ分のイチむらおこし運動について説明を受けました。  平成9年度に制度化された運動で、これまで閉鎖的・保守的・依存的な旧態依然とした村社会の改革を図り、また町の活性化は集落の活性化からという視点にたって、「これからもその集落に住もう、どうせ住むなら豊かで楽しい村がいい」を理念とするものです。  自分には何が出来るのか、何に汗を流せるのか、住民一人一人が無(ゼロ)から有(イチ)への一歩を踏み出そうという運動で、町内の各地区がそれぞれ特色をひとつだけ掘り起し、外の社会に開くことによって村の誇り(宝)づくりを推進する、住民の自立と共有のマネージメントを強調されました。

しかし、理念の実現と具体化はそう簡単ではなく、まず84集落をひとつひとつ回って町長が先頭にたち説明と説得を繰り返し、その内の16集落がこの運動に取り組みました。 精力的に展開された説明会は先述した、依存と分配の意識からの変革に注力したとのことでした。 実はこの16集落は、町長の後援会組織が強い地区であり、協力的だったそうですが、その他の集落は反対派が多く、どうしても旧来型の陳情意識から抜け出せないようです。 町の支援策は、10年間の活動を支援するもので、集落の行う活動(ソフト事業)に対し、最初の2年間は年60万円、3年目から年25万円の合計300万円の助成をしました。

 更に集落から地区単位に組織化され地区振興協議会が結成されました。そして町民を主体とする百人委員会の仕組みを導入して行きます。 この委員会は公募制をとり、任期は一年(再任可能)で、7つの部会制をとり、町長からの年予算の公開ヒヤリングを受けたのち、今度は百人委員会から町長への予算要望の公開討論会が開催され、具体的な事業への交付金が決定されて行きます。  因みに平成21年度企画案の予算計上の中には、18予算要望事業のうち10事業が予算化され、総額88,051千円となりました。

 この中で事業化された「森のようちえん まるたんぼう」は特に有名となりました。この幼稚園の特徴は@園舎がなく森が育ちの場となる。A日課がないため自主性を尊重する。B玩具がないことで感性で自然物が玩具になる、というものです。  このため大阪を始め移住者の7割は、この幼稚園を利用しています。

また、本年は智頭中学校生徒が作成した智頭町達人図鑑です。これも百人委員会の事業のひとつで、3年生を中心に「ちずスマイルプロジェクト」を結成し、町内に暮らす様々な特技をもつ28人の町民を一軒づつ訪ねて取材と編集を通して、一冊の冊子にしたものです。 この冊子の中には、先述した「森のようちえん まるたんぼ」は勿論、捕獲の達人(猪や鹿)や竹ぼうき作りのプロなど一人一人カラーの顔写真と説明が記載されています。

このほかに、智頭町木の宿場(やど)プロジェクトの取り組みや原木市場に出荷したことのない小規模林家を対象とした、放置材を活用した地域通貨(杉小判)の作成、利用や智頭町疎開保険など興味深いお話もありました。

 説明員の職員2人は30代の若者

二日目は、西粟倉村での調査でしたが、対応していただいたのは産業観光課の二人の30代の職員の方でした。 2015年の村の人口は、1472人で、大正8年の3255人をピークに一貫して減少のトレンドが続いています。高齢化率は35,4%ですが2025年はピークの39,6%となります。 しかし、近年社会増の傾向へ転換し、若い世代の転入が特徴となっており、周辺の自治体の中では0歳から39歳までの転入者は8人で、その他は全てマイナです。(因みに智頭町だけが5人とプラス)

面積57、93fのうち、95%が森林を占めています。(人工林は85%) 村の10年間の歩みですが、2004年から3年をかけて合併協議が徹底して行われました。結果は前村長が実施した住民アンケートの結果を受けて合併協議会を離脱して、西粟倉村自主自立の決意をしました。(自立のためにコンサル会社や森林組合のメンバーを含め夜な夜な作戦会議を開催したそうです)

2007年には雇用対策協議会を設立しIターン者の受け入れを始めます。2008年には将来の村づくりのビジョンである「百年の森林構想」を旗揚げし、村長、役場職員、森林組合職員で、村内12の全各地で構想の説明会を開催しました。この構想は、「選択と集中 森林一点突破で50年かけて村をつくりだそう」をスローガンとしました。

約50年生にまで育った森林の管理をここで諦めず、村ぐるみであと50年がんばろう。そして美しい百年の森林に囲まれた「上質な田舎」を実現して行こう。森林事業は心と心をつなぎ価値を生み出していく「心の産業」、村の資源である森林から産業を、そして仕事を生み出して行こう、とその理念を表現しています。つまりこれまでの50年の財産である森林を基盤にこれからの50年後までを見据えて暮らしを維持していく、と100年をスパーンとして村づくりの宣言をしています。 合併を拒否したのは、このような思想や価値観に裏付けされたものだと、感じました。

2009年4月百年の森林事業を開始し、同年10月に(株)西粟倉・森の学校を設立、2015年ローカルベンチャースクール開始となりましたが、具体的なアクションを先行させ、既成事実となったものを政策的に文章化して、予算されて行きました。 この間財源の捻出のため行財政改革が徹底され、花火大会の中止、商工会への補助金廃止をはじめ、職員による郵便物の手配りまでやった、とのことです。

2009年から始まる百年の森林事業は、木材の流通革命として川上部門(百年の森創造事業)と川下部門(森の学校事業)の二部門で、様々な取り組みが展開されています。

川上と川下の一体事業は、森林のフル活用

まず、川上部門での「長期施業管理に関する契約」では、森林所有者、村役者、森林組合の三者で、締結し、村役所が森林を預かり、施業は森林組合が行い、契約期間は10年間で更新する。村役所が策定した「森林経営計画」に基づき、保育、造林、間伐、作業道の整備を行います。

森林所有者には、費用負担なく、施業に係った費用は村が負担し木材を販売し、その収益を村で半分、所有者が半分で分配します。現在1300人の所有者と私有林の総面積3000fの管理を目標としていますが、平成28年度3月時点で、2830筆、1347f(691人)を管理しており、村有林と合わせ約2720fが村の管理面積となっています。(全体では、5391f)

村が原木を搬出間伐から運搬を担当し、森林組合土場で直接販売され、その後森の学校や八頭中央森林組合等によって買い取られて行きます。 この間伐材の販売材積は、平成27年で販売材積5437m3で収益支払者数は95人になり、平均販売単価は9800円/m3で、所有者分配金は3300円/m3となり、平成24年と比較してそれぞれ2000円、1300円と上昇し、木材販売材積は7年間で10倍以上に増加しました。

次に川下部門では、(株)西粟倉・森の学校が、2009年に設立されました。平成21年10月に旧影石小学校を利用して会社が稼働し始めます。 この学校を中心に渓流の森ツアーや合コンツアーなどが実施され、また西粟倉村産FSC材(FSC〈森林管理協議会〉はドイツ・ボンに本部を置く国際機関で、森林管理などの国際認証制度を運営し、世界統一の基準に沿って審査・認証するもので、違法な森林伐採・取引といった環境破壊をなくし、森林を守りながら木材を確保することを目的に創設され「適正な森林管理」を認証する制度)を届ける森の工場「ニシアワー製造所」が、平成22年8月の稼働を開始します。更にローカルベンチャーを目指す人を募集する東京での説明会を開催し、次々と移住者による起業が起こっています。

2015年の募集では、人口1500人の村だけど・・持続的に起業する人が生まれる地域 ここで起業する人が成功確立や成長スピードが上がる地域 第2次創業や事業拡大が継続的に生まれる地域 事業継承者がいないことで廃業する事業所がない地域 そんなベンチャーエコシステムづくりと呼びかけ「定住しなくていいんです」と謳いました。 結果全国各地から193名の若者の参加者となり、合格者は2名(帽子屋と猟師・鹿肉販売×ジビエレストラン×鳥獣被害対策)が決定されました。

この様な取り組みを通して、家族がゆったりと過ごせる元湯や、日本語が全く話せないイスラエル人の鉄と木を組み合わせたランプ製造等、食用油だけを販売する専門店、木の楽器や玩具の製造者など多種多様な30社の人々が暮らす田舎となっています。 僅か、車で10分圏内に繋がりを保ちながら存在する村です。 そこには、移住や定住支援はありませんし、起業支援も地域おこし協力隊の活用のみで、補助金や融資制度等もありません。 必要なのは本気で何かをやる人、その人の思いに寄り添える人、その人を応援出来る人、が強調され結果として地域資源が活用される、と言うことでした。 最後に人口減少や若者流出、少子化、高齢化など、地域の縮小をしかたないと無意識に受け入れるマインドの壁を壊す、との言葉が印象的でした。

(白川)

国際シンポジウム 環境分野の市民参加と司法アクセスの役割

11月3日・4日大阪で「国際シンポジウム 環境分野の市民参加と司法アクセスの役割」が、コンラート・アデナウワー財団、大阪大学グリーンアクセスプロジェクトなどの主催で開催された(プログラムは、当日資料と共に【グリーンアクセスプロジェクト】のホームページ上でも公開)。シンポジウムでの報告者は27人(コメンテーターを含めると32名)。欧州、アジア、南北アメリカ、アフリカの文字通り世界中の17か国からの参加者が、「環境正義の実現」という共通の目標に向け、実質18時間に及ぶパワフルな議論を展開した。

今回の環境分野の参加原則に関する会議では、インドの環境裁判所長官、中国の清鎮市人民法院環境裁判所長をはじめ、6カ国の環境裁判官が一堂に会した(インドからはスカイプ参加)。また、UNEPメジャーグループ担当局長、バリガイドライン履行ガイドの執筆者、オーフス条約司法アクセス部会長、同遵守委員会委員、欧州エコフォーラム共同議長等、国際機関・NGOのキーパーソンが報告。会議は流域管理、高レベル放射性廃棄物処理、環境アセスメント等6つのセッションから構成され、ラテンアメリカ・カリブ地域の参加条約交渉、アセスに関するメコン川流域諸国の参加ガイドライン草案、ドイツの放射性廃棄物処分地選定に関する合意型プロセス等、最新の国際動向について、第一線の実務家・研究者が議論した。

リオ宣言(1992年)第10原則〜いわゆる「参加原則」〜以降の25年間は、極めて教訓的だ。「参加原則」を90年から準備してきた欧州エコフォーラム(NGO)は、95年のソフィアガイドラインに法的拘束力を持たせるよう、98年のオーフス条約(環境に関する、情報へのアクセス、意志決定プロセスへの参加、司法へのアクセスの三分野において、各国の法制度化をすすめ、市民の権利確立と参加を促すための条約)に結実させ、2001年に本条約が発効。その後も、実施プロセスの実効性についてモニタリングを続けている。

「アジアのダイナミックな変化」(大久保規子・大阪大学教授)は、インド、中国において象徴的。2010年設立のインド環境裁判所・クマール長官は、「1,000ルピー(20ドル以下)あればだれでも裁判を提訴でき、一年以内の結審が80%を超える。eファイリングを使って提訴可能」と司法アクセスの良さと法の支配の重要性、さらにはインド市民の環境意識の高まりを強調した。中国でも、環境民事訴訟に限るものの環境民事団体訴訟(公益訴訟)が導入され、清鎮市人民法廷環境保護法廷の羅所長によれば、すでに環境保護法廷は全国500カ所を数えるという。

「専門裁判所による環境正義の実現」のテーマで報告した、スウェーデン環境裁判所(1999年設立の土地・環境裁判所LECの上訴裁判所)のアンダーソン裁判官は、「司法と行政へのアクセス権が、リオ第10原則のカギ。司法アクセスの要素として重要なのは、NGO(の原告適格の拡大)、訴訟コスト、迅速性の三点。スウェーデンでは年間1500件の環境訴訟のうち70%が2カ月のうちに結審している。法判事と同等レベルのテクニカルジャッジ(判事)の存在が大きい」と強調した。

 わが日本はどうか?「(参加原則の国際的展開は)、一方では、環境権を実効的に保障するために、オーフス条約、バリガイドライン等により、情報アクセス権、政策決定への参加権および司法アクセス権という三つの手続き的権利の強化が図られてきた。(中略)他方では、司法アクセスに関しては、以前は権利侵害を原告適格の要件とする国が多かったのに対し、最近では、十分な利益があれば原告適格を認め、または公益訴訟を導入することによって、原告適格の拡大を図る国が増えている。(中略)この二つの傾向は、アジアの主要な国々にも当てはまる特徴であるが、例外は日本である。日本においても、情報アクセス権は法的に保障されているが、参加に関しては、権利に基づくアプローチというよりも、自主的な環境活動の推進という意味で、ボランタリー・アプローチがとられてきたといえる。司法アクセス権に関しても、環境公益訴訟(環境団体訴訟等)が導入されていない、数少ない国の一つとなっている」(大久保教授)

 リオ第10原則〜「参加原則」の進展評価(モニタリング)に関する論議で注目されたのは、「生命に関する権利」をコアとする人権指標(HRI)の教訓から、「達成度(アウトカム)」だけでなく「意志」「コミットメント」などの構造的指標や、「行動」「措置」などのプロセス指標、「対応」「方法」などの横断的指標が重要であり、特定の(環境権に関して)脆弱な人々の利益の反映についての指標を重視すべきという指摘(高村ゆかり・名古屋大学教授)。また、参加の指標が「投票と選挙」に収斂されてしまうことへの注意が喚起された。

 今回の国際会議で繰り返し強調されたのは、「意味ある参加」と国際協調。参加原則の国際的展開に日本が貢献できるとすれば、まずはこの25年を経てこの分野での「例外」とまでなった事実と向き合い、日本の「ボランタリー・アプローチ」の経験をもって、アジア地域における参加原則の促進を図ることだろう。それは、水俣病訴訟の原告適格の拡大をめぐる現下の攻防をはじめ、第33回日本環境会議・沖縄大会(10月開催)で掲げられた「環境・人権・自治・平和」というテーマのもつ意味を、「日本の課題として、市民参加や司法へのアクセス権を問う」(寺西俊一・日本環境会議理事長のシンポジウム冒頭あいさつ)ところから深め続ける以外ないと強く感じた。

(杉原卓治)

日本環境会議沖縄大会に思うこと

10月21から23日、沖縄国際大学において第33回日本環境会議沖縄大会が開催された。(右は沖縄国際大学からみた普天間基地。住宅街のすぐ向こうに基地が広がる。同大には04年普天間基地のヘリが墜落した。)

日本環境会議は「公害研究委員会」(1963年7月発足)のメンバーが中心となって、 1979年6月に設立されたもので、各分野の大学研究者、専門家、実務家、弁護士、医師、ジャーナリスト、全国各地の市民運動や住民運動のリーダー、一般市民、大学院生などが参加する学術的であるとともに社会運動の側面も持つユニークな活動を行っている。

 日本環境会議が沖縄で大会を開催するのは、1988年、96年に続いて今回で三回目。沖縄においては、基地と開発が環境を破壊することに警鐘が鳴らされてきたが、今回の大会では環境に加えて、人権、自治、平和という多角的な視点から沖縄の問題をとらえ、なおかつこれは「沖縄問題」ではなく「本土問題」(日本国の環境法制や民主主義、人権ことそが問われているという意味)であるという視点からも、議論が進められた。

 三日間にわたる多彩な議論のなかから、印象に残った点をいくつか。ひとつは環境と人権、自治(自己決定)ということが密接にリンクして深められていること。京都議定書以降、日本では「環境」が「地球にやさしい」的な単なるイメージに流れてしまっているが、国際的には「環境正義」や、そのための法制など人権や自己決定権として法制度上も担保されつつある。この流れに完全に取り残されている。

 また今回のもうひとつのテーマは「若者」だった。若者を主体とした分科会は大会前日から開催され、韓国、中国、台湾で活動する若者を交えて議論された。そのなかで感じたことは、3.11以降の同時代性の共有だ。台湾の脱原発の取り組みはもとより、それぞれの報告の端々から、3.11に象徴される価値観の転換が皮膚感覚で共有されていることが感じられた。

 そして沖縄本島、先島諸島、台湾、済州島をつなぐ「海の北東アジア」という空間の存在。島嶼の安全はひとつの島の安全ではなく、島々からなる地域の安全であり、相対的に脆弱な環境との共存が守られていなければならないということ。海の軍事化が進む今だからこそ、無人の島に軍事基地を置くといった安全保障観とは別の、「もうひとつの選択肢」を構想することが長期的な価値であると感じた。

立憲民主主義で語る、くらしと政治@越谷

9月21日、オール越谷主催の「立憲民主主義で語る、くらしと政治 シンポジウム・パート2」が開催された。コーディネーターを白川秀嗣・越谷市議(自治みらい)、パネリストとして各政党から、山川百合子県議(民進)、伊藤岳氏(共産)、辻浩司越谷市議(市民ネットワーク)、.市民からママの会@埼玉をはじめ三名の子育て世代の女性たち。

 まず、各登壇者から先の参院選の総括が述べられた。政党からはそれぞれ、得票率を伸ばしたものの、与党と野党の争点がかみ合わなかったこと、野党の掲げた政策がしっかり市民に浸透しなかったことが敗因の一つとしてあげられた。同時に立憲主義を争点にした選挙は戦後初めてで、市民の中に立憲主義が浸透したという点で大きな収穫があったと。

 一方市民の感想では、サロンやカフェ、スタンディングなどの活動を通じて主体的に動き出す市民を目の当たりにすることができたこと、市民と政治と政治家の連携が実現できた、ようやく主権が国民であると意識する人が増えたなど、フォロワーシップの転換の芽生えが実感的に語られた。

 市民にとっては「くらし」の問題と立憲主義は結びつきつつあるものの、「アベノミクスの成果が出ないのは、アベノミクスが足りないからだ」という「時間かせぎの政治」で市民が分断されている状況に対抗するには、連帯・連携しかないのだという方向性が議論のなかから見えつつある。

 なかでも学費(高校無償化のときとの比較)や介護など、自分の生活に根差した本音を数値をもって語り、そうした具体的な市民の困りごとや実感を、声に出して語り合い政治に要求していくことの重要性を訴えた、ママの会の方のお話は行動的な共感を呼ぶものだった。

 経済構造が大きく変わり、もはや「トリクルダウン」が望めないなかでは、「救済」すべき「弱者」を選別して救済する福祉ではなく、中間層を含めた全体の底上げを目指すように、市民一人一人が発想を転換していかなければいけないとの方向性も提起された。

 そのためには地域のなかでこそ、意見や価値観の相違を超えて、暮らしの中で生活のテーマを訴えて連携していくことが重要であり、野党の連携もこのような基盤のうえにこそ成り立つべきものであることが、共通理解となりつつある。

 パート3は12月、貧困問題に取り組む藤田孝典さんを迎えて開催される予定。

第27回戸田代表を囲む会in京都を開催

9月21日、第27回戸田代表を囲む会in京都を開催。「安倍政権の今後と、民進党のめざすもの〜立憲民主主義のフォロワーシップの視点から」をテーマに、福山哲郎参議院議員、泉健太衆議院議員、隠塚功京都市会議員が討議した(司会は、戸田政康代表)。

「野党には期待できない」と言わせない政党政治の社会的基盤をつくる。そのために、野党とは政党政治の機能であり役割であること(その野党を支持するかどうかは別次元の問題)。未来の観点から政党をチェックする(ある意味、与党も野党も未来の利益のために利用する)。そして、「未来への責任」の観点から争点を明らかにしていく。今回の囲む会の議論を通じて、立憲民主主義のフォロワーシップの条件がこのように整理された。

「今臨時国会に(民進党が)どのような立ち位置で臨むか、従来の延長ではない選択が問われる。(今国会は)日本にとっての岐路になるかもしれない」と、福山議員。8月11日の囲む会冒頭で戸田代表は「(今回の参議院選挙が)歴史的な主体転換の始まりだった」と、後から振り返ることになるかも知れません(『日本再生』448号)と、立憲民主主義を普通の人が生活感覚でとらえ始めた、主体情勢の転換を示唆している。

「立憲的日常活動」(戸田代表)について、泉議員は「立憲主義とは何か?生活感覚からこれだと思ったのは『私たちのことを、私たち抜きに決めるのですか』という障がい者の声」「自己責任論で一人ひとりがバラバラにされ、体制に組み込まれていく『分断社会』に対峙し、克服していくのが民進党の立ち位置ではないか」「(選挙を非日常としない)有権者と議員の新しい関係性を地域の日常活動で創り上げていく」

民進党代表選挙でも三候補の議論は回った。隠塚議員は、「オールフォーオールの考え方を広げ(安倍政権との)対立軸としていく」と総括。民主党政権の教訓として、「自治体で政策(予算)の優先順位をつけてもらったが、議会が責任を果たしたところは議員の意識も変わり、市民にも伝わった。公共空間・言論空間をつくる愚直な活動をすすめるところから、変革の展望は開ける」と民進党の役割を明確にした。

今回の囲む会のような議論を、それぞれの持ち場で回していくことが、日本の民主主義の岐路を左右する主権者の役割と責任である。

(杉原卓治)

真庭バイオマスツアー レポート

岡山県真庭市は、2005年に九つの町村が合併してできた、標高千メートル級の山々が連なる、山あいにあるまちだ。その面積の八割が山林である。

古代、山は神であった。山そのものが御神体であり、人里と山との間には境があり、それを超えられるのは、猟師や山伏など山の専門知識と信仰を持つものだけだった。 中世になり、人は山の木を産業資源として利用するようになる。タタラ製鉄のため、山の神を倒そうとする勢力と、森を守ろうと闘う、山犬に育てられた娘サン。その間に立ち苦悩するアシタカの葛藤を描いたのが宮崎駿のアニメ映画『もののけ姫』だ。

そして、現代。真庭は山と新しい関係を築きつつある。

銘建工業の中島社長は、世界中のCLTの成功例と真庭独自の取組みを次々と紹介してくれた。 霞ヶ関の地方創生担当が喜びそうな話だ。2015年4月に運転を開始したバイオマス発電所は順調に1万kwを発電している。しかし集積基地、原木市場、森林組合と回るうちに、すべてがスムーズに進んだわけではないのが伝わってくる。

木の値段が最高だった頃に比べると5分の1になったこと。海外の安価な輸入材におされていること。住宅建築の需要が頭打ちなこと。 バイオマス発電の原料となる木屑は、ゴミそのままでは使えず、水分量、大きさ、石を取り除くなど、作るのは結構手間ひまがかかること。 切り出した長い木材を転がすベルトの幅、ひとつとっても、アメリカから輸入した機械などを何度も試して試行錯誤の最中であること。 機械のスキャンによる選別より、熟練工の目の作業のほうが早かったので、人に戻したなど、すべて現場で働く人の口から直接聞いた。

完璧に自動化された清潔・安全な工場をガラス越しに案内される見学とはリアリティが違う。

ガイドをしてくれるのは、朴訥な、ザ・働く男という方ばかりで、誰もが中島社長のようなプレゼン上手とは限らない。しかし話すのは嫌いではないらしい。「時間があればもっと薀蓄を語れる」と誇らしげに言う。

ツアーで面白かったのは、林業関係だけではない。

夜の懇親会に現れた若者「真庭地域【おこし】協力隊」のメンバーの話からは、彼らなりの生活を楽しんでいる気分が伝わって来る。彼らには、助成金をもらっているのだから、是が非でも新しい真庭ブランドを生み出そう、といった気負いは感じられない。また地元のまちおこしグループ「まにワッショイ」も、ごく普通の豆腐屋さんとして、あるいは喫茶店マスターとして、けっこう忙しく働いたり、子供たちとボランティアで遊んだり勉強したりしている。その等身大のまちおこしに好感が持てた。お試し移住を応援する施策は全国にあるが、人材を育てるとはまずその地域を愛する人を育てることなのだと思った。(写真は、地元のお母さんたちの手作りランチ。食材はほとんど自前。)

二日目に見た冨原の森は、人間の手の入った美しい森だ。戸田顕治さんは、東京へ出た兄【戸田代表】の代わりに継ぐ予定のなかった山を継いだので知らないことばかり、勉強はこれからと笑う。彼の山を見る眼差しには、親先祖の生きてきた証と「思い」を引き継ぎたいというやさしさがこもっていた。

中島社長はただグローバルな商材としての真庭の木材を世に出そうとしているのではない。中央資本に搾取されないために、真庭にどんな付加価値をつけたらいいか真剣に考え、学び、人間と山との関係を再構築し、真庭に住む人みなに、真庭の森林文化とでもいうべきものを作り広めようとしているのだと感じた。

最後に、東京人の私たちはここから何が学べるだろうか?

恐怖と怒りが表出しがちな大都市では、地域愛も他者への思いやりも磨耗しがちだ。弱い自分に凹みかけたら真庭を思い出し、等身大のまま歩む勇気を持とう。

そして今回の真庭ツアーでご一緒した方たち。知識欲旺盛で社会と関わることに前向きな方ばかりだった。彼らとの、しなやかな『知縁』ともいうべきつながりは、血縁や地縁より弱いが、先の見えない成熟社会を生き抜く希望の光かもしれない。(S.T)

【付記】 三日目の訪問先は、北部の中山間地域・中和(ちゅうか)で、薪ボイラーを軸にした「小さな里山資本主義」に取り組むアシタカの赤木さん。アシカタの名はまさに「もののけ姫」に由来する。

できるだけ多くの人がかかわる仕組み(協調)と、次世代につないでいく(共生)ことをめざして、いくつもの小さなナリワイを生み出そうとしている。里山の資源・クロモジ(薬草茶の原料)も、群生を見つけても半分は残す、依存しないために大手(○命酒)の引き合いも断るなど。

「楽しく生きる」と「豊かに生きる」は、微妙に違うと言う赤木さん。今回のツアーのガイドは、観光連盟時代の後輩。彼女曰く「赤木さん、笑顔がすごく多くなった」。

GO VOTE 0710 自分の未来は自分で選ぶ

「改憲勢力3分の2に迫る」(日経朝刊)と、メディアが一斉に報じた7月6日の夕刻。京都大学で「GO VOTE 0710 自分の未来は自分で選ぶ」(主催:市民連合@京都)が開催された。

冒頭のあいさつは、呼びかけ人の一人でもある「ママの会」の西郷南海子さん。「すでに結果が出たような報道がされている。今日は、この四日間で何ができるか、有権者であるとはどういうことかを考えたい」「若い人たちは政治に関心がないわけではない。どうかかわっていいかわからない。ある政党に託すということに抵抗感があるだけでは?」

元宇宙飛行士の秋山豊寛氏「思っているだけではだめ、見えるようにしないと。自分の勇気が試される時代になった。私たちは、何かに必死になることをカッコ悪いという文化をつくってしまったのではないか。まだ四日もある、がんばりましょう」

数学者の伊原康隆氏とナチス研究家の藤原辰史氏の対談。伊原先生の手書きボードを挟んで、「日本会議のモチーフ(動機)は“暴力”だった。勉強会を重ねる草の根の運動からはじめ、改憲条項は緊急事態と家族保護を上位においてきた」「研究や学問に“遊び”は不可欠。大学や学問の世界には『生きづらさ』がはびこっている」と。

「学者の会」からリレートークが始まる「二年前の学長選では『京大学長は海外から』というマスコミの情報操作があったが、デマ。ネット署名活動で、これを覆した。勝った経験もある」立命、龍谷、仏教、同志社、工繊、京都、滋賀各大学の有志の会からの報告には、それぞれこの一年の活動の蓄積が。

龍谷大学での「不在者投票ブース」(実家に住民票のある学生への)設置活動二週間の教訓。「選挙があること自体知らない学生が多かったが、顔をつきあわせていけば分かり合える。一部にしか伝わっていないという、空気に負けてしまっているのではないか?小熊英二氏が言うように、若者の保守・革新の基準は、既存組織依存=保守=公明党、浮動票依存=革新=維新の党。ここに自民の改憲は危ないといっても通じない。世代間格差ではなく、政治に関心のある人とない人の断絶を直視して、自分はなぜ政治に関心をもつようになったのかという、原体験をこそ語ってほしい」

最後に「自由と平和のための京大有志の会」サポーターの学生。「安部さんには余裕がない。余裕がない人を政権から引き下ろす。だから私は投票に行く」「意見の違う人と話すのは、ストレスがたまる。穏やかな気持ちで耳を傾け、対話をするところからしか前進はない」

あと、投票日も含め四日間。あなたは何をする?

                           (杉原卓治)

日台連帯の新たな条件

6月26日、京都大学で「自由と平和のための京大有志の会」が主催したシンポジウム「いま、問い直す台湾『ひまわり運動』―民主主義の作り方」が開催され、参加した。(京都大学台湾留学生会が共催)

基調報告は、呉叡人・中央研究院台湾史研究所副研究員。呉氏は1961年生まれの、いわゆる「野百合運動世代」。「ひまわり運動」でも学生と行動を共にした政治学者(シカゴ大学政治学博士。早大政経で講師、台湾大学で助教授を歴任)である。いまも若者たちの「理論的、精神的支柱」(司会の張智程・京大法学研究科助教)。

冒頭「民主主義の作り方というテーマをもらったが、これほど難しいものはない」と。最近の論文「黒潮論」では、3・18運動(いわゆる「ひまわり運動」)は「百年来の台湾国民国家と資本主義形成の歴史的脈絡を経ることにより初めて、この運動の深層における歴史的性格をようやく正確に理解することができる」とする。駒込武・京都大学教育研究科教授による「黒潮論」仮訳を呉氏が読み上げながら解説、さながら台湾史学習会。台湾民主化運動は、歴史的な発展過程にある有機的プロセスであり、一つの自主性の高い社会をつくりあげつつある、と。

つづいて、「ひまわり運動」世代の陳伯良氏(ワシントン大学法学研究科博士課程)から「ひまわり学生運動の後に:台湾における開かれた政府を構築する展望と苦境」と題し、台湾の大衆の視点からとして「(ひまわり運動は)野百合学生運動を引き継いで、台湾の民主改革と、開かれた政府に向かう改革を鼓舞する社会運動上の事件」と、一部の学者・評論家がいう「ひまわり運動は、台湾の政治と社会に断絶を持ち込んだ」という俗論を否定、「集団的行動をもって、政府の政策決定に関与する、開かれた合意形成の仕組みを要求したところに意義がある」と結論付けた。

同世代の許仁碩氏(北海道大学法学研究科)からは「台湾市民社会と東アジア諸国との連携及び課題」として、まず、先入観なき相互理解。次に、お互いの論点と行動の対象化と共有化。そして確実な組織基盤づくりが必要と提言があった。

最も心に残ったのは、呉叡人氏の次の言葉。「地政学的周縁部の台湾から見ると、日本は中心部。機械的連帯は無理」「沖縄は日本の民主主義にとって避けられない課 題。見て見ぬふりをしているとしか考えられない」。あっという間の四時間であった。

                           (杉原卓治)

*写真は、向かって右から呉叡人氏、許仁碩氏、陳伯良氏。

もしも最低賃金が1500円になったら

参院選最中の6月25日、AEQUITAS KYOTO=エキタス京都(エキタスは、ラテン語で「公正・正義」)が呼びかけた集会とデモ。

降りしきる雨の中、50人にも満たないデモではあったが、沿道(河原町御池〜四条河原町)でのチラシ(「もしも最低賃金が1500円になったら」と、「市民連合・参院選2016ガイドブック」をスタック)の受け取りは、若い人たちを中心に「安保法制反対デモ」のときより良かったし、飲食店などの店員さんの注目度は格段に高かった。

先頭のサウンドカーからの呼びかけ「最賃1500円はムリだ、おかしいという人も、帰ってみんなで議論して下さい!」チラシも「Q・時給1500円は高すぎない?」「Q・最賃を上げたら失業が増えるのでは?」「Q・最賃を上げたら中小企業がつぶれてしまうのでは?」との問答式。

京都市役所前での集会での基調「AEQUITASは、最賃1500円だけでなく、社会保険料減免で中小企業経営者の幸せも求めます」つづく60代中小企業社長の報告。給与と社会保険料負担を自社の数字で詳細にあげ「時給1500円は経営者には確かにきつい。しかし、それでも年収で300万弱。そのうち公的な負担(税・保険料)は90万を超える」「中小企業への補助金という前に、高額所得者にも上限なく保険料負担を求めればかなりの財源に」「全社会的な課題にしましょう」

奇しくも、前々日行われたイギリスの国民投票プロセスを「他山の石」とするなら、このような政治文化を真剣に育て上げていくことが重要ではないか?

ちょうど同じ日、100名余りの社員・協力会社社員を集めた通信建設会社の「安全大会」。40代の二代目社長は「うちはいまのところ、選挙で誰を推すということはしない。問題は、投票に行かないものが多すぎること。あのとき投票をしておけば、ということにならないように。自分の頭で考えなければ、都合のいい数字を示されても簡単に騙される」と講話。日本の潜在成長力の極端な低さは、人口減少社会だけが原因ではないことは明らかである。

ちば議員フォーラム「みんなのことはみんなで決める!」

「ちば地域議員フォーラム」は、2004年11月に、主に千葉県東葛地域の「がんばろう、日本!」国民協議会の議員会員による「住民自治と主権者運動」を進めるために設立された。毎月、「日本再生」の学習、活動についての討議を行ってきたが今回の企画は3年ぶりのもの。

第一部は、山中光茂・松阪前市長の講演。最初に「政治・選挙に関心を持たなくてもいい。生きた現実に興味を持つべき」「行政・市長だけではなく住民が役割と責任をもって町づくりをする。それが何より大事」「32歳の市長の政策が正しいわけではなく、現場の市民の声が現実。それが政策に反映される仕組みが必要」と話された。

在任中の取り組みとして、「大きな案件はシンポジウム方式をとり、多様な参加者がおり、職員も決まる前の案件を一緒に討議」。「地域協議会」では、その地域の住民自身が地域の課題を討議する場であり、全地区に住民協議会を設置されたとのことであった。

最後に、“Peace Wing”代表として、「平成26年7月1日に安倍内閣が閣議決定した集団的自衛権の行使容認は、違憲である」と表明し活動を続けてきたこと、今年4月26日に「安保法制違憲訴訟の会」として、違憲訴訟を行ったことの報告をされた。

第二部は、市民参加型ワークショップ。7人から8人が1グループで9テーブルの対話。目的として《「みんなの事をみんなで決めるには?」「暮らしの中の憲法とは? 民主主義とは?」をみんなで感じること》。それは、いつも主権は住民にあり、「住民みんなで決める事、決めた事」が政治で守るべき事であり、政治が行うべき事であるはずだから。「みんなの事をみんなで決めるには?」何が必要で自分たちにできることは何か?を参加者が考え行動するきっかけを得られるようにするということであった。

グループのコーディネーターは、9人の市議会議員。 設問1−暮らしの中でみんなで決められてないと感じる事は? その理由は?  設問2−みんなで決められるようにするにはどうしたらよいか? 何が必要か?  設問3−自分たちにできることは? で進めた。 コーディネーターからの報告後、担当からは「時間が足りなかったこと。今後に活かす」と。

山中さんの講評は、「こういった対話は楽しく活発に進められ満足感を得られるのですが、次のステップへと言いっぱなしにせず課題に取り組んでほしい。」と。

最後の戸田代表の講評は、「日本では、今まで、主権者という言葉も民主主義もありませんでした。「がんばろう、日本!」国民協議会は、こういった既存の政治が扱わない問題にとりくんできました」「立憲主義、民主主義でアジアとどう向き合うか、住民自治をどう進めるかといった事に、もうちょっと関心を持って下さい」「日本では、カウンター・デモクラシーがないことが危険なことなのです」と結ばれました。

6月議会開会直前の開催ということもあり、「ちば地域議員フォーラム」としての総括論議は、未だできていません。企画の評価、準備段階での討議の進め方の評価、今後の「ちば議員フォーラム」の課題といったことについて、次回定例会以降討議を深めていきます。

住民自治を立憲民主主義で語ろう!

5月15日京都で、「地域自治・住民自治を立憲民主主義で語ろう!」をテーマに、第28回関西政経セミナーを開催。

前半は、新川達郎・同志社大学教授、山中光茂・前松阪市長、白川秀嗣・越谷市議に、中小路健吾・長岡京市長が加わり、後半、中小路市長に代わって、田中誠太・八尾市長がパネリストとして参加。討議に通底したのは「どのようして、立憲民主主義の当事者性を涵養していくか」

まず、新川先生が「地方自治・住民自治と立憲主義をどう考えたらいいか」として、日々一人ひとりのくらしを考えるとき、その地域をどのようにしていくのかを選択する自治を、住民自身が組み立てていくことができるか?それを支える仕組みを提供するのが行政や議会の役割ではないか、と問題提起。

中小路市長から。「要望する側とかなえる側」という右肩上がりの時代の市民と行政の関係性を変えなければならない(住民自身も実はそれが楽だった)。満足を与えるよりも「納得させるプロセス」が重要になっている。市の現状がどうなっており、どうなりうるを示していく勇気が「要望合戦」から脱するカギである。

山中前市長は、7年間200回以上に及ぶ住民との対話(住民同士の議論)の経験から、熟議を通じた市民の役割と責任の明確化で、決めてから不平不満がでたことはない。自分たちで松阪をどうしていくか、地域協議会が「経営推進会議」になり、行政も一緒に汗を流す。

昨年5月から大阪府市長会長をつとめる、田中誠太・八尾市長から。28ある小学校区単位のまちづくり協議会同士で「あそこができるんやったら、うちもやろう」と自治競争の意識が生まれている。すごいのは、そこにまで至る過程。当初、住民要望が2,000項目以上!出た。それをほぼやって!市民から「それは行政に言うていくもんやない」という声も出てきた。

「政策決定のプロセスに市民の声を取り入れていくには、利害対立する住民同士が直接会して議論することが決定的。市民の知恵や専門性を活かし、市民自身が公共の課題を実現していく仕組みをつくること」(白川議員)。

「市民の意見を聴く上で、議会や会派という政策集団の意味は大きい。(議会や議員は)市民との対話の担い手である」(新川先生)

「下り坂の時代」「縮退社会」では、議会や行政の役割、住民の責任、合意形成のあり方が変わる。 その過渡期の生きた教訓について、議論を深めたシンポジウムであった。50名が参加。

旧警戒区域に行ってみた

4月24日、福島第二原発に隣接する富岡町に行ってみた。富岡町は現在、警戒区域の指定を解除され「帰還困難区域」「居住制限区域」「避難指示解除準備区域」に分けられている。原発事故で全町避難となり、早ければ来年4月から帰還開始ともいわれているが、すでに昨年9月に帰還宣言をした隣の楢葉町では、戻ってきた住民は5%程度といわれている。

今回は津田大介氏の企画によるもので、「旧警戒区域ツアー」と「いわき万本桜春祭」の組み合わせ。富岡町のツアーは、「旧警戒区域に行ってみっぺ」ツアーを運営する、ふたば商工株式会社によるもの。「いわき万本桜春祭」については後ほど。

ツアーは、いわき駅前からマイクロバスで出発。ガイドをしてくださるのは、富岡町出身の仲山さん。

一昨年12月にいわきに来たときには、ビジネスホテルにも建設会社のマイクロバスが駐車していて、原発事故収束作業の人たちの「出撃拠点」となっている様子がよく分かった。当時は「バブル」といわれるくらいだったが、今も飲食関係は賑わっているようだ。 ただ、線量が下がり、除染が進むにつれて「出撃拠点」は北へと移動していっている。

バスの中で、仲山さんが、当時の様子をいろいろ語ってくれる。今だからこそ「普通に」話せているのだろうが、地震の恐怖はもとより、目に見えない放射能による被曝の恐怖のなかでの避難生活の日々は、想像できないほどのものだったろうと思う。 かえって目の前のこと―あした食べるものがあるかとか、どこで寝られるかとか―でいっぱい、いっぱいで、それしか考えられなかったと。

広野町、楢葉町と北上するに連れて、例のフレコンパックがあちこちに見えるようになる。除染をすれば、確かにそこの放射線量は下がる。しかしそこで出てくるものは「放射性廃棄物」。最終処分場へ移すまでの仮置きとされているが、県内に造るとされる最終処分場のメドは立っていない。(左は作業関係車の駐車場となっているJビレッジ)

廃棄物の量を減らすために、年月の経過とともに線量が低くなった除染廃棄物を分別し、焼却するための仮設焼却場も新たに造られ、稼働を始めている。帰還が始まると、家の片付けなどでまた廃棄物が増えるだろう、と仲山さん。だいぶ減ったね、と思っていたらすぐにまた増える、その繰り返しだと。

福島第二原発が見える高台の広い公園からは、フレコンパックの仮置き場が広がっているのが見渡せる。「帰っていい」といわれても、目の前にこんなものが山積みになっているところに、帰ってくる気になる人がどれだけいるのか、と仲山さん。 帰還が始まる、ということは補償の打ち切りをも意味する。やりきれない。

フレコンパックが置かれているところは平地で、津波で全部流されたところ。津波で何もなくなったところは、本来なら一番最初に復旧できるところだが、そこがフレコンパックの置き場になって、逆に帰還をあきらめざるを得ない。さっさとよそで生活再建しようとなる。

 全町避難のまま五年たったまち。放置されたままの建物は、当時の被害を残しつつ、廃墟化が確実に進んでいる。外見はそれほどでもなくても、人が住まないとこんなに荒れるものか、と思う。「屋根から雨漏りすると、家はすぐにダメになる。屋根を直していない家は、帰ってくるつもりがないということ」とのこと。

 ショッピングセンターに車が放置されている。私有物であるため、所有者の確認なしには処分できないとのこと。ほとんどの車は片づけられているが、中には所有者と連絡がとれずに、そのままになっているものもあるらしい。

 ナンバープレートで所有者は確認できるのだから、住民票がそのままで避難先が分からないとか、もしかしたら亡くなっているとか、家族の連絡先も分からないとか…。原発事故で壊されたものの大きさ、重さ、痛みなどを思わずにはいられない。

 軽の車内をのぞいて見ると、助手席に女性のマフラーが。急いで避難したのだろうか。無事に避難できたのだろうか。タイヤはもう完全にペシャンコ。  すし店も看板が落ちている以外、外見はほとんど壊れていない。中をのぞくと、皿やはし、醤油がテーブルの上にそのまま残っている。

桜の名所として有名な夜ノ森地区は、富岡町のなかで最後に残る「帰還困難区域」。ここでの線量は2.07マイクロシーベルトと、やはりほかの地区よりも高い。(左)

よくも悪くも原発とともに生きてきたまちは、これからも事故処理と廃炉の長い過程を原発とともに歩んでいかざるをえない。「だから私らは簡単に原発がいい、悪いは言いません。ただ、原発事故によって私たちが何を失ったのか、それをぜひ考えてほしい。そのためにここに来てほしい」と。(右 仲山さん)

浜通りにあった県立高校4校は、原発事故後に休校となり、代替としてふたば未来学園が昨年つくられた。これは実質廃校なのだが、それを正面切って言わずに、なし崩し的に廃校へのプロセスが進んでいる。福島原発事故が、なし崩しに「風化」させられていくことを象徴しているような気がする。

「いわき万本桜」は、原発事故で計り知れない負の遺産を未来に残してしまったことへの懺悔と希望を桜に託して、山いっぱいに9900本の桜を植えようというプロジェクト。地主のみなさんの協力を得て、山全体を「美術館」に見立て、オブジェも配置している。回廊(左)を設計したのは蔡国強氏。(右 プロジェクト代表の志賀さんと津田さんのトーク)

 この日は二日間の「春祭り」の最終日でもあり、親子づれなども屋台で飲み物や食べ物を買ったり、風船細工で遊んだりと縁日のような雰囲気。周りには菜の花がいっぱいに広がるなかでのコンサート(青葉市子、小山田圭吾、U-zhaan)。林の中から小鳥たちもジャムセッションに加わった。

 旧警戒区域で考えざるをえない「負の遺産」の重さ、風化させるわけにはいかない痛みや教訓とすべきことの数々、そしてそれでも・あるいはだからこそ、菜の花が咲き乱れる春はめぐってくるし、私たちには希望もあるのだと思う「長い一日」だった。

シンポジウム「アジアの地域統合と日米中」

4月23日、第104回シンポジウムを開催。テーマは「アジアの地域統合と日米中」。日本が位置する北東アジアは、歴史的・地政学的背景から米、中といった大国間関係を軸にものごとを見ることが多い。この枠では、日本は米中関係の従属変数になる。今回のシンポジウムでは、アジアではじめての地域統合であるASEANの視点を加えて、より域内アクターを主体とした地域関係構築の可能性や方向性について、議論してみようというもの。

パネラーは、川島真・東大教授、李鍾元・早稲田大学教授、大庭三枝・東京理科大学教授、柳澤協二・元内閣官房副長官補(安保・危機管理担当)。

@アメリカ大統領選挙とアジア戦略の方向性 A南シナ海をめぐる米、中、ASEAN各国の攻防、および今後の地域秩序への含意 BASEAN統合の意義と東アジアの地域間関係の今後 といった点について、活発な議論が展開された。

アメリカの後退と中国の台頭という大きなトレンドのなかで、大国ではないが小国でもない日本が道を見誤ることなく、「身の丈」にあった賢い選択をしていくための、考える材料や座標軸がさまざま提起された。

「オーガニックをスタンダードに」

食と暮らしのマルシェAcha☆Acha (アチャアチャ)は、大賑わい

4月9日(土)に、越谷駅前広場で、食と暮らしのマルシェ「 Acha☆Acha (アチャアチャ)」(インドの言葉で「楽しい!」の意)が、開催されました。

このイベントは越谷で子育て中のママたちのグループ「しあわせのたねプロジェクト」が主催し、越谷周辺のこだわりを持った小さな飲食店や個人商店約35店舗が出店しました。昨年に第1回を市役所前のウッドデッキを会場に、15店舗が出店し、約1000人の市民がイベントを楽しんだことから、今回の第2回目となりました。

また、「あなたが手に取って読みたい議会だよりは?」という議会だよりの表紙について越谷市議会を始め、全国議長会でグランプリを受賞したあきる野市を含む8議会の議会報に参加した市民によってシール投票も行いました。 投票の結果は、やはりあきる野市がトップだったのですが、意外と(?)と越谷市議会報にも、地元意識からか得票が多くありました。

11:00〜15:30という子育て世代が動けるわずかな時間でしたが、約5000人の(特に若い)越谷市民でごった返し、大盛況で終えることができました。

「オーガニックをスタンダードに」これが今回のお祭りのコンセプト。 自然に沿った子育てがしたい。地場の野菜を食べ、近所のお店で買い物し、地域のつながりの中で安心して子供を育てたい。そんなひとりの子育て真っ最中のママの夢が、大勢の人の協力で形になりました。

また、単なる一日だけのお祭りの終わることなく、市民一人一人が有機的に繋がっていくことや、子ども達の未来を作り出すのは地域での舞台であることを共通の認識としました。

そのため、来年3回目のAcha☆Acha (アチャアチャ)を、企画していますが、出店した店舗の市民の中から、実行委員になって頂き、市民と店舗(商品を通して)を地域で更に繋げて行きます。それは、市民が今回飲食や購買した店での購入や、市民自身が生活の在り方を変えて行くことになります。

今回は企画から運営まで、全て子育て中の10人程度のママたちが担いました。 特に出店者の募集では、1か月間にわたり約70店への説明、お誘いに取り組み、中心のママ達は子どもの手を引き、一軒一軒訪問しました。

私たちは、仕事をしたくても保育園に預けることができない。かといって家にいると、社会から疎外されたように感じる(子育ても立派な社会参加なのに!)という、日ごろ自分の存在価値を感じられる場面が少ないように思います。 ところが、能力さえ引き出されれば、わたしたちにもできることがあり、それに社会が呼応してくれるんだという実感を持ったイベントでした。

わたしたちが「こうだったらいいな」と自由に発言する場所や、 自由にチャレンジさせてもらえる場所、 必要な情報や人をつなげてくれる市民活動支援のセンター機能がもっと充実すれば、個人の夢や趣味的だったものが思わぬ発展を遂げて みんなの暮らしにも豊かさをもたらすのではないかと思います。

わたしも含めママたちは、特に震災後のこの5年で視野も広くなって、世の中にも目が向くようになりました。

新しい公共の担い手は、こんなにもたくさんいる。 これからもママたちが自分のペースで活動を続け、新たな担い手が続々と誕生する、市民が市民をエンパワーメントする街に進化していけたらと思います。 https://www.facebook.com/hashtag/achaacha?source=feed_text&story_id=849515198509200

山田裕子

おひさまツアー@飯田

長野県飯田市の再エネ市民発電のパイオニア、おひさま進歩。その出資者ツアーが今年も開催された。今年は七年に一度開催される「お練りまつり」と出資先事業所の見学。お練りまつりでは屋台獅子の迫力を堪能。事業所見学では、特産のきのこ栽培での取り組みと、生徒の発案がきっかけとなった中学校の発電所、そして地域自治会の発電所を見学。持続可能な社会、エネルギーの地産地消にむけた、地域の人びとの意思と出資者の意思との、顔の見える≠ツながりを実感できるツアーとなった。

【圧巻のお練りまつり】

お練りまつりは、大宮諏訪神社の式年大祭に合わせて行われている。天竜川沿いには数々の「諏訪神社」があり、その一の宮が諏訪大社。大宮諏訪神社にはその「外縣(そとあがた)」の名が冠されている。

お練りまつりでは、各地の自治会を中心に、総勢44団体による芸能が披露される。その多くは獅子舞。飯田の獅子舞は「屋台獅子」といわれるもので、獅子の体に見立てた大きな屋台と幌を、大勢の人が動かす独特のもの。

なかでも有名なのが「東野大獅子」と「大名行列」。おひさまスタッフの心くばりで、どちらもベストポイントで見ることができた。

「東野大獅子」は屋台獅子のなかでも最大のもので、100人くらいで動かすそうだ。獅子頭は30キロもあるため、持ち手は交代しながら務める。さらには、持ち手の腰を支える人も見えた。宇天王(王様)は、手綱で獅子を操る様子を豪快に舞う。大きな獅子が暴れる様子は迫力満点。

屋台獅子のなかにいる人には、外は見えない。移動の時はナビゲーターがトラメガで、「前へ」とか「もっと右」とか指示するが、舞の最中はそれもなく、左右に控える補助縄の持ち手が唯一のガイド。全員の息が合わないと、とてもできない舞いだ。週に一度の「獅子舞の練習」が休暇として認められるくらい、地域に根付いた活動でもある。

「大名行列」は明治五年から続く。天覧旗を先頭に、化粧傘や諸道具を担ぐ人々が行列となって、はりのある声で所作を行う。ダイナミックな獅子舞とは対照的に、整然とした美しさのある出し物。

おひさま進歩の原社長が区長を務める地区、上茶屋獅子舞からは、ツアー参加者に「お祓い」(「お祓い」という言い方が適当なのか?)を受ける。黒獅子と宇天王のほかにお猿さんもいて、幣束をいただく(ご利益あるかも)。

お練りまつりは三日間にわたり、まちのあちこちで、獅子舞をはじめとする伝統芸能が披露される。民俗芸能の宝庫といわれるこの地域でも最大のお祭りで、まちは人であふれかえる。飯田とその周辺地域の文化資本、社会関係資本の厚みを、まざまざと実感した。

【さくらファーム】

翌日は発電所見学。まず訪れたのは、しめじを栽培する「さくらファーム」。廃棄物だった菌床(おが粉が主体)を、蒸気殺菌用ボイラーの燃料として加工している。また工場内の照明をLEDに代えて省エネ。空調機の変更と合わせて、電気使用量を20%削減。

さくらファームがあるのは、しめじ栽培発祥の地といわれる地域。地域の特産品だからこそ、「環境にもいいものを」と社長さん。しめじの菌床は水分が多いため、その乾燥工程がひとつの課題だったが、ボイラーを開発・導入することで、それまでかかっていた灯油代、廃菌床の処理費が大幅に削減された。

LEDもコスト面だけではなく、壊れて飛び散るリスクが蛍光灯よりも少ないという「安全安心」なものづくりの観点からでもある。社長さんのお話の端々から、こうしたものづくりに対する真摯な姿勢が伝わってくる。

【旭ヶ丘中学 かやの木発電所】

続いては、旭ヶ丘中学での発電所認定式。すでに3月12日から系統に連携しているが、ツアーのことを知った校長先生が、出資者も招いた開所式をと、日曜日にわざわざ開催してくださった。

きっかけは生徒会副会長に立候補した生徒の「学校に太陽光発電をして、持続可能社会に貢献しよう」との公約。これに学校が応じて、行政、地域に働きかけ、PTAやおひさま社も連携して、発電所が作られた。校舎の屋根のパネルは56Kw、体育館には非常用独立電源も設置。同校のシンボルツリーにちなんで「かやの木発電所」と名づけられている。

生徒からは@どんな施設ができるのか Aどんな方々の力で、どんな考え方でできるのか、なぜ本校へ設置することになったのか B私たち生徒会はこれからどんな活動をしていけばよいか という地域の担い手として頼もしい限りのプレゼン。推進協議会に加わる地元自治会からも、心のこもったあいさつが。 これは「みんなとおひさまファンド(2015)」の出資事業であり、飯田市の地域再エネ条例による認定事業にもなっている20年間の事業。この日は、おひさま社と発電事業推進協議会(生徒会など学校関係者、自治会などが参加)との間で、「地域貢献契約書」が交わされた。売電収益から年間10万円が、寄付される。これを地域のなかでどう使っていくか、生徒会も交えて話し合って決めていくことになる。

こうして蒔かれた種が、樹齢四百年以上という同校のかやの木のように、大きく育っていきますように。

飯田のまちづくりに中学生が大きな役割を果たすのは、はじめてのことではない。飯田のまちは空襲にはあわなかったものの、戦後直後にまちの大半が焼失するという大火に見舞われた。

まちの復興にあたって、中学生たちが新たにできた防火道路に、りんごの木を植えようと提唱。「手入れはどうするのか」「盗まれるに決まっている」という大人たちの声に、「りんごを盗むような人はだれもいない、そういうまちをつくろう」と中学生。 先生たちもそれに応え、りんご並木が作られた。せっかく実ったりんごが盗まれる、という事態も乗り越えて、今も中学生たちがりんご並木の手入れをし、秋にはたくさんのりんごが実っている。

【山本おひさま広場】

次に訪ねたのは、旭ヶ丘中学の校区である山本地区の「おひさま広場」。信濃の国おひさまファンド(2014)の事業で、地域自治会による事業。飯田市再エネ条例による認定事業でもある。

住宅地のなかにある大手企業の所有地のうち、管理できなくなった部分に市、自治会、土地の所有会社が連携して防災広場を作り、その一角に太陽光パネルを設置している。通常は全量売電しているが、災害時には非常電源として使える。おひさま社から山本地区に寄付をする、という形で地域貢献。

おひさまスタッフが地域に入り、自治会をはじめ地域の人びとの話し合いやノミニケーションを何回も重ねて合意形成。生い茂った雑草の草刈りや整地、芝張りなど、地域のみなさんが力を合わせて作業した。明るい日差しが気持ちのいい芝生の広場は、近くの幼稚園の子どもたちの格好の遊び場になっている。

地域の話し合いは手間がかかるが、山本地区の成功例を見て、他の地区からもそれに続こうという機運が生まれつつあるとのこと。「よそもの」のスタッフが、着実に地域に根づきつつある様子も伺えた。

今回のツアーでは、おひさま社の再エネ発電事業や省エネ事業が、地域のなかでどのように人びとに担われているのか、まちづくりにどう関わっているのかなどが実感でき、「お金に意思をのせる」(原社長)ことでうまれる関係性が、よりリアルに感じられた。 また全国に先駆けて、エネルギーの地産地消をめざして作られた飯田市再エネ条例が、地域のなかで着実に効きはじめているとも感じた。

3.11 復興は終わらない

5年目の3.11。5年を区切りに、国によるさまざまな支援事業が終了する。えっ!被災地での生活再建は、まだまだ先なのに…。

3.11さえ忘れかけているように見える東京で、3.11を語り継ぐ。そんな思いで、今年も「飛梅」では、東北の生産者さんたちのお話を聞き、私たちに何ができるかを考え続ける場を設けた。

「飛梅」は仙台市を中心に展開する飲食店。3.11では被災するも、人的な被害は免れ、すぐに在庫の食材を使って炊き出しを行う。そして復興に立ち上がった被災地の生産者を支えるべく、東京に「牡蠣小屋」をオープンした。

被災地では震災で、牡蠣養殖をはじめとする第一次産業の生産が中断してしまった。いち早く生産再開にこぎつけた事業者にとって、大きな壁となったのは販路。生産再開を待っていてくれた取引先もなくはないが、ごくわずか。一度失った販路は元には戻らず、新たな販路を作らなければならない。

そこで飛梅は飲食業として、東北の復興を支えるべく、東京で東北の食材を提供する「牡蠣小屋」を出店。神田に続き新橋に第二号店をつくった。今や飛梅だけで、宮城県産出の牡蠣の1%を消費するまでになった。(でも、まだまだこれから。)

この日は石巻の産業復興支援員、「飛梅」に食材を提供する蔵元、漁師、水産加工業者さんが「あの日起きたこと」、復興に向けたこれまでの歩み、これからの思いをそれぞれに語った。

店内は、東北に思いを寄せる人々で盛り上がったが、正直に言うと、昨年よりも集まり具合は低調だったとのこと。生活の再建、まちの再建、くらしの再建は、まさにこれから。地域の力、自治の力がますます必要とされる。そこに思いを寄せていきたい。

立憲主義から参院選を語る

2月21日京都で、第27回関西政経セミナーを開催。

京都三区衆院補選(4月24日投票)に立候補を表明したばかりの泉健太議員も急遽参加し、7月参院選の予定候補者(前田武志議員・全国比例、福山哲郎議員・京都、尾立源幸議員・大阪)自身が「立憲主義から選挙を語る」パネルディスカッションになった(隠塚功・京都市会議員も)。

「国会も世論もギリギリの戦い」といった泉議員。国権の最高機関としての国会での「官邸の振舞い」に主権者たる国民は?福山議員は「有権者の質が変ってきている」とも。「民意の劣化」の一方で、生活の実体験をつうじて「いままで考えたこともなかった」立憲民主主義主義とは何かが体感されつつある。

たとえばこうだ。おだち議員「公的年金の67%を元本保証のない株式投資に回せる運用方針の変更が、国会の関与なしに決められている」。おんづか議員「マイナンバー制度も運用は政府の外郭団体に丸投げで、自治体にはなにも知らされていない。京都市では3万7千人がカード申請したがシステムの不備で1千枚しか登録できていない」

フロアからの白川同人(越谷市議)の発言「事実を伝えれば有権者は動く。問題は、それに耳を傾けてもらえるまでの日常活動を通じた信頼と関係性の獲得だ」。前田議員からも「FIT導入はじめ、事業につながる政策を実現してきたが、その現場に足を運ぶことをしないでどうするのか」と叱責が。

政策観も変わる。税と社会保障の一体改革のキモは、将来世代につけを回さない=単なる格差是正ではない、財までの再分配と増税のセットだ。「人類がはじめて、戦争や革命を伴わずに、財までの再分配を行えるのかどうか」立憲民主主義をめぐる政治攻防戦の歴史的性格を、戸田代表はこのように言った。

第3回「くらしとせいじカフェ」@古民家

2月18日(木)午前10時、越谷市越ケ谷の古民家を会場に、第3回「くらしとせいじカフェ」が開催された。主催は、くらしとせいじカフェ@越谷 実行委員会。

市議会終了後、子育て中のママや市民が中心となって、地域や子どもや、市議会や町の未来などをテーマに、様々な立場の市民同士が車座になって語り合おうと、昨年の市議選後から始められた。これまで、赤ちゃん連れの母親も参加しての喫茶店や、青空の下、公園の一角での開催を続けて来た。

毎回色んな市民が参加して話あう。何か結論を出すという場ではないが、「考え続ける市民」、町の再生のため「私は何が出来るだろうか」を、多角的な視点で話し合って来た。自治みらいの議員は連携し、取り組んでいる。

今回の場所は、越ケ谷宿の蔵の2階で開催され、予想を超えて市民ら23名が参加し、会場は正に車座となった。 裸電球一つの灯りのため、少し薄暗い2階の8畳程の部屋。急勾配の狭いハシゴを登った板張りのスペースだ。90年前に建てられた、蔵づくりの物置きを、地元の所有者が市民に日頃から開放している場所。暖房は、部屋の真ん中に置かれた火鉢だけで、炭の匂いが心地よいし、結構暖かい。

テーマは「私たちのまちづくりと空き家利活用」。ゲストに釘清商店の井橋さんと、NPO住まい・まちづくりセンターの代表で、越谷市大里で、市民の出資と参加で空き家を再生した「みんなの家」を作っている若色さん。

日光街道の宿場町だった越谷商店街の活性化のため、日々奔走されているお話や、地域住民を巻き込んだ空き家活用の実例が、最初に話された。 ぼやっとしていた「まちづくり」が、リアルに自分ごとになってくる。越ケ谷宿をはじめとする古民家や商店街に息づく人々の関係性は、お金に変えることのできない貴重な財産であり、まちづくりイコールひとづくりが実感された。

「かつて、江戸に米を舟で搬入し、米相場を越谷の地で決定していた米どころだった」、「先の戦争で空襲の時、焼夷弾を避けてこの蔵に逃げて助かった」。そんな話が、飛び交いながら町の歴史や、人々の生活の息遣いを感じるため、次々と参加した市民の発言が続いた。

 今日この蔵に集ったメンバーも多種多様だ。ママたち、近隣の自治会の方々、ご近所さん、若者・・・一般的に議員の報告会となると、地元の方か支援者の方になりがちだが、今日は地区もバラバラで世代も20代〜90代!までの多世代が参加しており、だからこそ幅広くて自然な笑顔がこぼれた。

また、ママの手作りのぜんざいが一杯100円で振る舞われ、より一段と市民の一体感が生まれていた。

チョコと私と立憲主義

バレンタインデーの2月14日、「チョコと私と立憲主義」勉強会。大阪のロフトプラスワン・ウエストで。SADL主催、80名超ほぼ満員。

はじめに、SADLメンバー6人での「ふり返りトーク」から。都構想住民投票からダブル選を中心に。

「市民が自分のまちをどうしていくのか」(住民投票)で街に熱気あったが、ダブル選では政党と政治団体のものという意識が出て、引いてしまう。選挙法への戸惑いもあったが、選挙期間中にデモもおこなって、「選挙って意外に自由にできるんだ」と感じる。

参議院選挙に向けては、「chat4vote」(街頭で二人で1時間の「選挙のためのおしゃべり」をネットで流す)や、街頭でのアンケート・ボード、シールズや高校生とのオール関西のデモを3月6日に企画。政治の話をしてまちをにぎやかにしたい。

「街頭で、戦争法ってどういうことや!と突っかかってきた人に、アベさんも戦争しないための法っていってるし、私も戦争になりそうな法っていってるから、戦争法でいいんじゃない、といって1時間も話になった」「歯科検診の保険適用除外の話なんかするとみんな関心があってもりあがるよね」「みんなでもっと話そう!」

後半のトークセッションのテーマは、「わたしたちのくらしと立憲主義はどうつながっているか」。『私たちの声を議会へ〜代表制民主主義の再生』(岩波現代全書)の著者、三浦まり・上智大学教授を交えて。

あらかじめ準備された質問は、「なぜ、私たちの声が政治にとどかないのか?」と「立憲主義ってなんだ?」。

三浦まりさんは、「町内会や労組などの中間組織が弱体化し、市民と政党の回路がなくなったが、3・11以降に新しい民主主義のインフラができつつある」「日本は政権だけでなく企業にも法を守る意識が緩んでいて、法治国家から道徳国家にかわろうとしている」「個人の尊厳を守る原則から国のあり方を規定するのが立憲主義」「権力と富の集中か分散かでベクトルを合わすべき。ますます住民自治が大切になる」と、フロアからも多数出された質問ペーパーにもこたえる。「再分配と増税の政策パッケージ、たとえば大学の無償化など希望のもてる政策が必要」とも。

最後のメッセージは、2月21日全国一斉高校生行動にたつティーンズソウル・ウエストの布藤君から。この日は8名の高校生が参加。

前日(13日)同志社大学で「憲法と民主主義を考える」講演会が、立憲デモクラシーの会、京都96条の会、戦争あかん!京都おんなのレッドアクションの共催で(100名余り)。

岡野八代・同志社大教授の京都市長選のふり返りのあと、中野晃一・上智大学教授が講演。「3・11以降、日本でも立憲主義を担おうとする個々人がでてきた。大きな転換が始まっている」。石川健治・東大教授は、天皇機関説論争の際に美濃部を擁護し、大正の一時期京都市長でもあった市村光惠が「明治憲法にうちこまれた立憲主義を立派なもの育てるようにした」ということを引き、市村が重視した「個人主義」「個人の尊厳」こそ憲法の精神であり、いまは立憲主義というプラットフォーム自体が壊されようとしていると講演。

質疑では、反原発の活動にかかわる50代前半の女性平和活動家から、「市長選挙で本田さんを推したが、戦争法と地方自治がなぜつながるのか?説明が足りなかったのではないか」「前回・前々回の中村候補は、南丹市の佐々木市長などとも原発事故時の避難計画など具体的に協議した。門川市長は、昨年の平和集会へのメッセージも寄こしたし、関電の株主総会でも発言している」という発言が注目された。

立憲主義から平和を考える集い

「デモクラカフェ越谷」が開催された同日午後6時30分から、越谷市中央市民会館の劇場で「立憲主義から平和を考える集い」が、市民150名ほどの参加の中で開催された。

 主催は、STOP!戦争法 オール越谷市民アクション。これまで越谷駅前広場での3回に渡る集会やデモ、沖縄問題を題材として、映画上映会や安保法制反対2000万人署名運動に取り組んでいる。 今回の集会は、さらに市民一人一人がその運動を広げるための主体になって行こう、と企画された。

 集会ではまず記念講演として、「安保法制違憲訴訟と私たちの未来」と題して山中光茂・ピースウイング代表、前三重県松阪市長が登壇した。  山中氏は、昨年からの安保法制反対の市民運動や参議院選挙での野党共闘に関して、「運動の高まりを評価するものの、政治主義的な傾向を排して日々のくらしの問題を市民がどう受け止めるのか、が大切。また戦後平和を作り続けてきたことに、もっと誇りと自信を持つべきだ」と強調した。

 次にパネルデスカッションに移り、山中氏を始め、石河秀夫(埼玉弁護士会会長)、元山仁志郎(学生団体 SEALDs)、中野晶子(安保法制に反対するママの会@埼玉)、福田晃(越谷市議・民主党)、山田大助(越谷市・共産党)のパネラーと、白川秀嗣(越谷市議・自治みらい)のコーデイネイターで進行した。

 発言の中では宜野湾出身の元山氏から、宜野湾市長選挙の敗北に関して「政治的スローガンだけでの選択ではなく、地域の課題との関連性での提起が重要」。

 また、山田議員から市議会の多数派形成に関して、「日常の市政のテーマで、できうる限り議会全体の合意を図る日常的な取り組みが必要」と強調された。

 さらに中野氏からは、昨年の運動の盛り上がりから少し下降している地域の空気に触れ、「お友達に政治の話をすると、ひかれてしまうこともあるが、子供たちの未来を守るためには、小さな正義をくらしの中で押し通す覚悟が問われている」との発言に、会場の共感を生んでいた。

 最後にコーディネーターの白川市議から、立憲民主主義に関して「多様な市民の利害関係者や立場を前提として、次の新たな社会の構築と担い手をつくるためのルールとして、市民が使いこなすことが出来る環境になった」と締めくくり集会を終了した。

 山中氏を始めパネラーや市民20名ほどで、会場を移動して交流会を開催し、午後11時過ぎまで活発な論議が交わされた。

「デモクラカフェin越谷」

2月6日(土)午前9時30分、越谷市市民活動支援センターで、「デモクラカフェin越谷」を開催した。

主催したのは埼玉政経セミナー。本年7月の参議院選挙からの18歳への選挙年齢の引き下げや、シティズンシップ教育など、若者の政治参加が注目されている中、身近な市会議員と学生の話し合いの機会をはじめて設定した。

参加したのは、市内にある文教大学の学生20人程と工藤秀次議員(共産党、1期)、山田裕子議員(無所属、1期)、菊地貴光議員(無所属、3期)、白川秀嗣議員(無所属、4期)の4人の越谷市議。 当初は、昨年当選した一年生議員(自民党、民主党、無所属、共産党)の5人の参加を、学生が主体となって要請したが、それぞれ都合で欠席となった。

主催者を代表して岡田英夫氏があいさつした後、市議会の簡単な仕組みの解説ののち、@議員になった動機A少子化についてB教育について、をテーマにそれぞれの議員が発言した。

参加した学生は、全員教師を目指している学生サークルのメンバーだったが、4つのテーブルに分かれて、コーヒーや紅茶、クッキーをつまみながら議員と自由な話し合いとなった。 特に、教育について各議員がどのように考えているのか、また行政の改善の方法がないのか、との質問に議員が応えることが目立った。なかには月に一度、こどもたちにボランティアで勉強を教えている学生もいた。

終了後話し合いの印象を聞いたが、「こどもたちに向き合うには、その親や、地域の問題への関心や、社会や時代への変化に敏感であることが大切だ」との議員の発言に、これまで考えてこなかったことであり参考になった、と話していた。

今回の催しに先立ち、1月29日朝の宣伝活動にも、埼玉政経セミナーのメンバーだけでなく、中心となった文教大学生も参加して、文教大学の最寄りの駅、北越谷駅でマイクやチラシ配布での呼びかけも行った。

今後、議会での質問の素材や問題提起に、学生サークルの意見を聞くための会議や、第2回目デモクラカフェin越谷の開催も検討していくことになった。

ワクワクする未来

2月9日、草津市まちづくりセンターで、「夕食のおかずについて話すように政治について話そう」とあつまったお母さんたちの「くらしとせいじカフェ」&「シニア女性の会」の呼びかけで、「憲法に緊急事態条項は必要か」をテーマに勉強会。あさ10時から!の会に20人以上が参加。活発な意見交換がおこなわれた(写真は、交流会の様子)。

「緊急事態とやらを、戦争・テロ・大災害というふうにだけ刷り込まれてませんか?」という問いかけに、気候変動や食の安全、エネルギー、子どもの貧困、アベノミクス危機、財政緊急事態など「日常生活につながる緊急事態」について、自分たちから考え行動していかなければならないと、堰をきったように意見がでた。「おまかせ政治」で緊急事態を語れば「憲法に緊急事態条項がないと国民の安全は守れない」という発想に。「憲法に緊急事態を規定しておかないと権力の暴走を許す」も同じ、そこで思考は止まってしまう。

「私たち人間がすべての戦争をやめる方法はどこにあるのか?そしてそれが本気なのか?今日も続く辺野古やシリアや福島などの世界中のギセイは私たちの暮らしの先にあり、そのうえで私たちの幸せがあるという循環を変えれるのは私たち」(くらしとせいじカフェ『あすのわしんぶん』)

近所の人や知り合いに、アベ批判をしても「ああそうなんだ」で終わる。年金や暮らし、子育てという話から入れば真剣な話になる。「あなたの望む社会ってなんだろう。自分たちの未来ってなんだろう。ワクワクする未来なんていっぱい思いうかぶよ。ワクワクする社会、ワクワクする政治、ワクワクする仕組み、ワクワクする暮らし!!」(同)みんなでつくる新しい流れがみえる。

くらしとせいじカフェは、『シェーナウの想い』や『戦場ぬ止み』の上映会を一人ひとりが呼びかけたり、今日のような勉強会をしたり、超党派の議員を呼んで野党共闘について語り合ったり、「みんなでまあるく手をつなごう」というもの。滋賀の立憲デモクラシーの会や「しーこぷ」などと共同で、近く「安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民の会・しが」を立ち上げる。2月20日(土)午後2時〜草津市の「アミカホール」で。近くの方はぜひご参加を!

 【あすのわブログ http://asunowa.shiga-saku.net/ 】

「望年会」を開催

12月23日、恒例の「望年会」(今年の教訓を「忘」れず、来年を展「望」する)を開催。

今年は戸田代表に替わって、白川同人(越谷市議)が主催者あいさつ(戸田代表がやると時間がなくなるため)。選挙を念頭に、立憲民主主義の観点から政治攻防をいかに構えるかを提起。

乾杯の音頭は、久しぶりに錦織氏。来年改選を迎える前田武志・参院議員(全国比例区)、大野元裕・参院議員(埼玉県選挙区)、水野賢一・参院議員(千葉県選挙区)(この日は秘書さんが代理)をはじめ、松木謙公・衆院議員、初鹿明博・衆院議員などがあいさつ。会員地方議員からは、地域でのさまざまな取り組みが、住民自治の涵養、立憲民主主義の当事者性という方向を深めるものとして提起された。

ほぼ2時間半、スピーチが途切れることなく続いた。

クライメイト・ジャスティス

第154回東京・戸田代表を囲む会は、パリから帰国したばかりの明日香寿川・東北大学教授をゲストスピーカーにお招きして、COP21についてお話しいただいた。

 今回のCOP21では、2020年以降の温暖化対策の国際枠組みが、法的拘束力をもつ文書として採択された(パリ協定)。京都議定書に替わる、先進国も途上国も参加した新たな国際枠組みが合意されたという意味では、一歩前進である。  しかし、産業革命以降の温度上昇を2℃あるいは1.5℃以内に抑制するという目標達成への道のりは、まだまだ遠い。温暖化による被害への適応や補償に関しても、具体的な制度構築は先送りされた。その意味ではパリ協定は小さな1歩にすぎない。

 お話のなかでいくつか印象に残った点と蛇足を。

 @「2℃あるいは1.5℃以内」という目標は、すでに議論の余地なく共有された。その背景には、気変動に起因する自然災害によって、居住地からの移動を余儀なくされた人が、2014年だけで1600万人(?)だかに上るように、もはや「不都合な真実」と言ってられない現実になっていること。 中国の深刻な大気汚染しかり、ヨーロッパや北米の大洪水や旱魃、ハリケーンしかり。気候変動の被害を受けるのは、島嶼諸国やアフリカの砂漠など「弱い」立場の国や地域だと、言ってられなくなった。

A多くの課題が先送りされ、中途半端な協定になったのは、「アメリカ議会の承」が人質となったため。大統領選挙も絡んで、アメリカの内政が国際政治を左右する。またさらに、エネルギー(化石燃料)、武器、マネーなどのグローバル資本と、人々の生存や自己決定という対立軸の構図も浮かび上がってくる。

B気候変動が目先のリスクとして認識され(@)、その対策が政策課題として具体化すると、マネーは敏感に反応する。パリ協定はビジネスに大きなインパクトを与えるはず。そこから新しい動きもでてくるだろう。(さっそくパリ協定を受けて、米市場で再エネ関連株は大きく値上がりしたという。

(余談:COP21にむけ、中国は再エネ比率を現在の22%から、2030年には53%、2050年には86%に引き上げる一方、石炭などの化石燃料への依存を大幅に削減する計画を発表した。その実行可能性を批判するのはたやすいが、再エネに大きく舵を切る意思を明確に示したことは間違いない。日本のエネルギーミックスに、意思は見えるだろうか。 もうひとつ、中国のこの計画は米エネルギー省とデンマーク政府の技術的サポートも受けているという。「比較優位のある環境技術を中国に売り込む」とか言っても、すでにニーズがずれている可能性もある。意思をもって市場を開拓しなければ、ビジネスチャンスにも乗り遅れる結果となる。)

「望年会in京都」を開催

12月7日、「望年会in京都」を開催。

第一部は、6年連続7回目になる村田晃嗣先生(同志社大学学長)の講演「変貌する国際環境にどう向き合うか〜アメリカ・中国・東アジア、その中で日本は」。

今年は、戦後70年の歴史談話(過去とどう向き合うか)と安保法制(未来とどう向き合うか)がセットになり、ホットな夏になった。そのなかで「語られていないこと」として(安保法制が違憲というなら)変容する安全保障環境にどう向き合い、今の憲法と法律の枠内で安保政策をどのように打ち出すか?また、個別自衛権や集団的自衛権という論議の埒外にある、サイバーセキュリティや宇宙空間の軍事化にどう対応するか?と問題提起がされた。

一方、日米中のパワーバランスの変化の中で、リアリティある日米同盟のために、アメリカ社会の内部変化に思いを至すことが必要と強調された。マイノリティが台頭し、政治が多元化する中で、旧来のマジョリティが居場所を失い不安に陥る社会心理も生まれている。さらに、成熟した先進国社会の中で「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか(不寛容たるべきではない)」(渡辺一夫『狂気について』1951年)という問いが、いま極めて重要になっていると。意見の違うものとの対話を拒む、異なる言論に対する節度を欠く批判、これらは「この夏」の中でも目の当たりにしてきたものだ。

第二部、望年会は戸田代表冒頭提起から。「安倍政治のおかげで、戦後70年とは、憲法とは、日米関係とはなんだったのかを考えざるをえないように、ある種追い込められた」という事実を、正直に認めるところから始めなければならない(人は自分にとって都合の悪いことを意識して忘れる)。立憲主義の側に立つとは、非立憲の人々を説得する型をひとつはもつことであり、民主主義とは異なる意見の人々とのコミュニケ―ションをどうとるのかを考え続けること(切れ目のない民主主義)。今年は、このことを多くのフツウの人に問うた。

乾杯の音頭は、今江政彦・滋賀県議会議員。山本ひろふみ・京都市会議員、堤淳太・京都府議会議員からの議会報告、岡山県高梁市と京都市伏見区の会員企業家から地域再生の試みの報告、読者会メンバーの発言とつづき、最後に隠塚功・京都市会議員から中締めの挨拶が行われた。

福山哲郎・参議院議員(第一部)と、前田武志・参議院議員の代理として大西孝典・前衆議院議員(第二部)から、来年の参院選に向けた特別アピールが行われ、公務で欠席の門川大作・京都市長、田中誠太・八尾市長、尾立源幸・参議院議員からのメッセージが紹介された。

民主主義は止まらない

12月6日「KEEP CALM AND NO WAR戦争反対★1206銀座大行進―安保関連法の廃止を求める学生・学者・市民の共同行動」が 日比谷野音で開催された。参加者は4500人。

冷え込みが厳しい中、冷たい座席にじっと座り、あるいは立ったままで(座席は満員)じっとスピーチに耳を傾ける人々の姿は、たびたびあげられる共感の声以上に、内なる力強さを感じさせる。スピーチでとくに強く印象に残ったのは、大竹しのぶのメッセージ。言いたいことも言い難い状況のなか、人としても女優としても、自分の言葉で伝えていきたい(要旨)と。

そして古謝美佐子さんの心に染み渡るような歌声。嘉手納に生まれ、基地があるのが当たり前と思ってきたこと、教授(坂本龍一)の全米ツアーで、それに違和感を覚えたこと、子どもや孫のことなどを語られた。美佐子さんの歌声を聞きながら、辺野古で今日も座り込みをしている人々のことを想う。

集会の途中、会場の外に右翼が押し寄せた。スピーカーから大声で罵声を浴びせ続ける。警察の警備もなんだか生ぬるいように見えるが、しばらく騒いだ後、撤収。後でデモ行進の解散地点にも、別の右翼が宣伝カーで突っ込んできたらしい。こういうものと整然と、毅然として対峙する力強さも、これからは求められるのかもしれない。

民主主義をさらに鍛えよう。

「野党は共闘」も、永田町からではなく地域から!

国際シンポジウム「非暴力の牙」

11月23日。東京外国語大学で開催された国際シンポジウム「非暴力の牙」。招かれたのはセネガルのヒップホップグループ「クルギ」。

クルギKeur Guiはセネガルの地方都市で社会運動にコミットしていた高校生チャットが、幼なじみのキリファを誘って98年に始めた。初アルバムが発売禁止になりながらも、地元市政の腐敗を糾弾するアルバムを発表したりして活動。2011年地元ジャーナリストらと、社会運動体ヤナマール(「もううんざりだの意味)を結成。腐敗した国内政治の向こう側にある国際社会をとらえるウォルフ語のメッセージが、広範な人々の支持を集めるようになる。ヤナマールは、政党とは一線を画した非暴力の大規模デモで、憲法改悪で三選をめざした大統領を退陣に追い込み、選挙を通じた政権交代を実現した。(案内チラシより)

通訳が追いつかない(チャットが饒舌)ので、感覚的につかんだこと。

「武器を使えば武器が返ってくる」「セネガルには対話のカルチャーがある、クーデターの歴史はない」「武器や暴力によらない変革、アートや音楽、言葉は最高の武器だ」。

こうした「非暴力」に徹するあり方の背景には、何があるのか。彼らの話から感じることは、植民地宗主国(セネガルの場合はフランス)による苛烈な分断統治。宗教や部族、地域など、あらゆるものが分断統治に利用されてきた。だからこそ逆に、抑圧されている側が連帯するためには何が必要か、何が敵かが「見える」のではないだろうか。

「怒りがパリ・アタックのような暴力につながる場合と、非暴力の運動になる場合の違いは」という研究者のコメントに対する、西谷修先生のコメントが「さすが」。 ポイントは土地との結びつき。クルギの場合は土地との結びつきから民主主義、非暴力ということがでてくる。パリ・アタックは土地とのつながりはない、どうやってもそこからは民主主義ということは出てこないと。

土地との結びつきとは、共同体、コミュニティーと言い換えてもいいのではないか。 非暴力とは、暴力はいけない、とか、暴力では目的を達成できないといった次元の話ではなく、分断を乗り越えて連帯を創りだす、とか、その基盤となるコミュニティーを創りだすなど営為から紡ぎだされる「あり方」のことはないだろうか。(クルギのCD キリファのサイン入り!)

「地域経済シンポジウムin京都」を開催

11月14日「地域経済シンポジウムin京都」を開催。 東日本大震災の翌年2012年から始まった、「がんばろう、日本!」国民協議会と全京都建設協同組合の共催シンポジウムは、今年で四年目に(13・14年は、京都府電気工事工業協同組合も共催)。「持続可能なまちづくりと建設業のこれから」「国に先駆けてきた野田市の取り組み〜公契約条例」「里山・林業の再生から、地域再生・新しい地域経済を考える」と、いずれも地域づくりと地域経済に関わる課題について議論を深めてきた。

今年は「地域経済を起点に、持続可能な経済を展望する」をテーマに、岡田知弘・京都大学教授、佐無田光・金沢大学教授から問題提起を受けた後、鋤柄修・中小企業家同友会全国協議会会長、藤井正・京都府電気工事工業協同組合相談役、高岡裕司・葛g田ふるさと村社長が加わり、パネルディスカッションを行った(司会は石津事務局長)。

佐無田先生の提起は、「東京一極集中」のステレオタイプを覆すもの。目からうろこが落ちた!と感じた人は少なくなかったのでは。特に「県内総生産成長率の要因分解」(2001年〜2011年)で、東京圏の成長率7.3%のうち生産性要因がわずか1.3%(残りの6.0%は人口変化要因)で、地方圏の11.0%にはるかに及ばない(地方圏の人口変化要因は−3.3%)。「東京一極集中」の実際は「停滞による一極集中」であり、地方の頑張りによって衰退途上の東京が支えられてきた。少なくともバブル崩壊以降は、地方の仕事を東京に集めて「成長」してきたにすぎず、地方圏が生産性と人口の再生産能力を低めると東京が危うい。「地方」の問題というよりは、東京を頂点とした垂直分業型経済の衰退の問題であり、既存の垂直的国内分業と中央集権の地域間関係を前提にした「地方創生」では問題の改善にならない。

岡田先生は、「大災害とグローバル化の時代」における地域再生の政策と運動論の側面から提起。地域発展の決定的要素は、地域内再投資力の量的質的形成であり、地域内の経済主体たる企業、農家、協同組合、NPO、地方自治体が、地域内再投資規模(量)と個性的産業、企業、地域景観づくり(質)を高めることが不可欠。カギを握るのは、中小企業・業者と地方自治体。「小さくても輝く自治体」の取り組みや、政令市での地域自治組織として新潟市の区自治協議会の設置、中小企業振興基本条例や公契約条例の活用などの実例をあげ、地域からものをみることの重要性、人間生活の再生産という視点(地域=特定の自然条件を基礎にした「人間生活の領域」)からものごとをとらえる重要性を強調された。

「マネー経済」や「マネー資本主義」に対する、「人間のための経済」「生存のための経済」の担い手として、鋤柄会長、藤井相談役、高岡社長のお話が続く。パネル討議のなかで印象的だったのは、「行政や私企業にできないことを協同組合がやる」(藤井相談役)、「行政から赤字補填を受けず、地域維持のために悪戦苦闘してきた」(高岡社長)、「地域で創業環境を集積する」(佐無田先生)つまり、地域社会維持のために協力して地域的社会的企業を生み出していく、新しい創業環境づくりとは何かということ。中小企業家同友会の三つの基本「よい経営者、よい企業、よい経営環境をつくる」(鋤柄会長)、「京都の文化価値を活かした産業集積を」(藤井相談役)ということでもある。第8回大会記念シンポジウムで、岡田先生が示された「産業自治」の本質はこのようなところにあるのだろう。

本シンポジウムには100名が参加、引き続き懇親会にも45名が参加した。主催者挨拶は、川久保雄二郎・全京都建設協同組合代表理事と、隠塚功・京都市会議員がつとめた。また、福山哲郎・参議院議員がシンポジウム冒頭でメッセージを述べ、文書でも門川大作・京都市長、田中誠太・八尾市長、尾立源幸・参議院議員からメッセージを頂いた。懇親会の乾杯の音頭は、岩島伸二・京都中小企業家同友会代表理事が行った。

市民自治はさらに前へ

第153回 東京・戸田代表を囲む会は、山中光茂・前松阪市長をゲストスピーカーにお迎えして、11月11日開催。市民自治を徹底して推し進めてきた六年間について、改めてお話しいただいた。

市政の施策について、決まった後に市民に説明するのではなく、計画策定過程から市民が参加し、ともに責任と役割を果たすシンポジウム・システムや、市民が自治を担うまちづくり協議会など、山中市長は「市民が主役」を徹底して貫いた。

その姿勢は、議会の多数にとっては「議会軽視」と映り、何度も否決の憂き目に合う。しかも議会は議決機関であるにもかかわらず、否決の理由を何ら明らかにしない・しようとしないということが、何度も繰り返される。

背景にはそれまで、自民党から労組、各種団体までが相乗りしてきた市長選の構図が、一度ならず二度まで、山中市長と「市民手作り選挙」にひっくり返されたことからの根強い「感情的反発」もある。

そしてついに、図書館問題を契機に山中市長が辞意を表明。これに対して市民から、「議会も責任をとるべき」とリコール運動が起こる。議会リコールには有権者の三分の一の署名が必要。松阪市では4万5千人以上。とても無理だろうと思われていたが、市民は4万7千人の署名を集めた。しかし、夫が同意を得て妻の名前も書いたものが「自書ではない」とされるなど、最終的な有効署名は4万664人ということで、リコールは不成立。

市長辞任にともなう市長選挙と、同時に行われた市議補選(10/4)には、リコール運動から3人が立候補し、1名が高位当選を果たした。また山中市政の継続を訴えて、市職員のなかから梅本陽子さん(課長)が立候補、1500票差にまで迫った。

「常識」的にいえば、山中さんがもう少し「辛抱」して議会と折り合いをつければ、次の市長選挙でも「後継」候補が勝てる状況は、十分つくれたといえるだろう。 だが、民主主義、市民自治から説明できる道理が成り立たないところで、目先の譲歩をすれば、そこから非立憲へとズルズル後退することになる。

山中さんは「山中光茂ではなくなってしまう」という趣旨で説明されたが、立憲民主主義の主体基盤、松阪でいえば市民自治の主体基盤が見えてきたとき、立憲民主主義と非・反立憲との間には、妥協してうまく収める、という余地はなくなる。

議会リコールも、市職員からの立候補も、山中さんが何かしたわけではなく、まさに自発的に行われた。ここに六年間の市民自治の集積が表れているといえるだろう。今後はアゲインストのなかで、この力をどう生かしていくか。市民の知恵が求められる。

また山中さん自身は今後も、一主権者として社会に関わっていく。当面のおおきなテーマは、安保法制に対する違憲訴訟。ピースウィングについてはhttp://www.peacewing.jp/

安保法制とこれからの日本

11月5日、第152回・東京戸田代表を囲む会はゲストスピーカーに柳澤協二氏をお迎えして開催。柳澤氏は元防衛官僚で、小泉政権の自衛隊イラク派遣に内閣官房副長官補として関わってきた。実務家として、今回の安保法制に対して厳しく批判してきた。

「安保法制とこれからの日本〜私たちが考えたいこと」と題して、@安保国会を振り返って・・・本当に問われていたものは? A安保法制のおさらい・・・何が決まったのか? B安倍首相の論理の点検・・・日本をどう守るのか? Cこれからの課題をお話しされた。 端々から、誠実なお人柄とともに、職務に真摯に向き合ってこられたことが感じられるお話だった。

法律上の最大のポイントは、自衛隊が国外で戦闘を行うことが可能になった点。国家の命令で殺し、殺される大義はあるのか、が問われていると。 また安倍さんは、「強行しても国民はいずれ忘れる。自衛隊も最初は反対されたが、今ではほとんどの国民が自衛隊を認めている」と言うが、それは違う。国民が自衛隊を認めたのは、一発も弾を撃つことがなかったからだと。

戦後日本の平和主義は、自衛隊においては「専守防衛」として表現されているといえる。国際環境の変化(=中国の台頭)のなかで、集団的自衛権に向かうのか、対案としての専守防衛を新たに鍛え上げるのか。それを考えるのは、私たち自身だ。

資料集勉強会@畑

毎月、地味に行っている資料集勉強会。10月はメンバーの岡田さんが新たに始めた農園で開催。前半は、通常どおりの勉強会。オープンエアの下、中国脅威論、貧困、市議会などをめぐって、それぞれの仕事や生活に根ざした問題意識が、議論された。 「凡庸の悪」と「凡庸の善」は、きっちり線引きされるものではなく、いろいろな問題を通して「これしかない」で思考停止せず、「自分のアタマ」で考え続けること。そのための材料を互いの議論の中から深めていく。

後半はとれたて野菜のバーベキュー。越谷市内の市民農園の一角に、しいたけ栽培のビニールハウスをつくった岡田さん。ようやく販路もそれなりに確保できるようになってきて、いずれは障害者雇用の場にしたいと考えている。(先日の豪雨では水没の危機にも。ハウスで使う電力は太陽光発電で賄う。曇りの日には「停電」も。)

使い終わったしいたけの菌床を使って、有機栽培で野菜も少し作っている。ナス、オクラ、ピーマンなどは、この日が最後の収穫っぽい。これからは大根が育ってくる。オーナーさんからは、カボチャや玉ねぎの差し入れをいただく。辻市議、山田市議+お子さんも参加。

形はイマイチでも取れたての野菜はおいしい。気仙沼・石渡商店のオイスターソースが、野菜をさらにおいしくする。メインは野菜、その後に肉で、おなかいっぱい。 人参の葉には、はらぺこあおむしのような立派な青虫が2匹。子どもたちは大喜び。畑の周りのクヌギの木には、夏にはカブトムシがたくさんいるそうだ。

越谷、けっこういいとこあるじゃない。

付記

出産・育児を議会欠席の理由に含めるかどうか、をめぐる投稿を理由に議会で三時間も説明させられた山田議員。以下を参照 http://ameblo.jp/yukorin6119/entry-12078325248.html

この顛末が、今度は劇になるとのこと。(11/4-8 下北沢 シアター711) http://g-flowers.com/stage/

(作品紹介より)地方自治は、民主主義の学校と言われているらしい。 そんな近くて遠い地方議会の、小さいようでそうとも言い切れないあれこれがあった一日のお話し。

アートと地域のいい関係

山古志を訪ねた翌日は、十日町市を中心に開催されている「大地の芸術祭」へ。ポイントを回るダイジェストツアーだったが、アートという「腹の足しにもならないシロモノ」が、地域に人の息吹を呼び込むことの一端を実感した。

三年に一度開催される、越後妻有アートトリエンナーレは今回で6回目。第一回は1999年の予定だったのが、2000年に開催。一年遅れたのは、地元市町村の全議会が反対したため。プロデューサーの北川フロム氏が、全地域でタウンミーティングを行うなどして、なんとか翌年の開催にこぎつけた。(「レイチェルカーソンに捧ぐ」というタイトルに、「おおっ」!)

今では地域の協力、地域との結びつきも格段に深まっている。バスの車中から見えたバス停の待合所。アーティストが地域の人に「何が欲しいですか」と聞いたところ、「バスの待合所が欲しい」と言われ、設計したとのこと。わけのわからない、でも有名な(らしい)アーティストが外からやってきて、勝手になんか作っていった、というのではない、作品でもあり地域の人の日常の必要でもあるという、アートと地域のいい関係。(写真は市内の公園に作られたオブジェ。象形文字で「農」とか「川」などを現している。)

もちろん草間弥生さんのオブジェ(左)など、「それを見に行く」という作品もあるが、「人が集まる」「カネが落ちる」という発想だと、一ケ所に作品を集めた方が効率的だ、となる。 それに対して「それはダメだ。里山をめぐってアートに触れる、そのコンセプトは譲れない」と。だから、バスがやっと入れるような山奥の廃校の展示(右)を体感し、期間限定のカフェに立ち寄り、棚田や森を散策する、という「めぐり歩き」ができてくる。地元の食材を使って、知恵をしぼったおもてなしの数々も生まれる。

観光だけを考えれば、紅葉シーズンまで開催したほうがいいと、普通は考える。しかしここはコシヒカリで有名な米どころ。「大地の芸術祭」は稲刈りが始まる前に、惜しまれつつ終了。ここにも地域との結びつきが。

山古志を訪ねて

9月10日、山古志村を訪ねる。中越大震災で全村避難し、その後の復興にむけたさまざまな取り組みは、東日本大震災にも多くの教訓となっている。 案内していただいたのは、震災アーカイブセンター「きおくみらい」のセンター長、稲垣さん。復興の取り組み、そこから見えてくる地域づくりの本質(都市部にも中山間地域にも通底する本質)についての、深〜いお話は、「日本再生」433号をご参照。

この日はあいにくの雨(誰の行いが悪いのか?)。 まず、長岡市の中心部にある防災拠点が集まった地域、シビックコア地区にある「多世代交流館 になニーナ」へ。「子育ての駅」という、誰でも利用できる保育士常駐の空間。市の直営だったものを、今年四月からNPOが業務を請け負っている。

子育てなので当然、子ども連れが主だが、高齢者のサロンやさまざまなイベントなど、多世代の交流を大切にしている。しかも、市民でなくても市外の人でも利用できるので、長岡に買い物に来たりして、ちょっと疲れちゃったというときに、子ども連れで気兼ねなく過ごすことができたりする。

デザインの先生が気合を入れた内装は、心配りとセンスにあふれている。 なるほどと感心したのは、土曜、日曜は子連れのパパの利用が五割、六割ということ。パパにとっても、仕事以外のパパ友もできる。

施設長も中越地震で被災した方。暗い中、生まれたばかりの子どもを抱えて、心細い思いをしたけれど、回りの人が助けてくれたと。市内に住んでいても、震災前には山古志にはほとんどいったことがなかった。震災を契機に通うようになり、いまでは知り合いがたくさんでき、畑にも通うようになったと。震災前は「ただの主婦」だったのが、今ではNPOの運営をはじめ、さまざまな活動を展開する社会活動家に。明るい笑顔と前向きなパワーが、まぶしいくらい。

(山古志の風景/左)山古志には「おらたる」という復興交流館があり、地域の人々によって運営されている。震災当時中学生だったという男の子(今は19歳?)が、展示資料を説明してくれる。写真とともに、そこに添えられた人々の「一言」(山の人はまちの床屋に行くだけでも勇気が必要。不安なんだよ、とか)が、いろんな思いをかきたてる。 一通り案内してくれた後に「全国のみなさんに助けてもらいました。ありがとうございました」と、ていねいに頭を下げられジ〜ンときてしまった。

集落のあちこちで、土すべりによって河がせき止められる河道閉塞が発生し、そのまま水没してしまった家や地域もある。木籠集落にもそんなところがあり、そばには郷見庵という展示&集会所&直売所がある。要はみんなで集まる場所であると同時に、人を呼ぶ地域の資源にもしてしまおう、という発想。直売所には「看板娘」も。

ここで買った山古志のカレー、おいしかった。

水没家屋で人を呼び、アルパカで人を呼びということで、人口は半減したけれど、交流人口は飛躍的に増えた。 アルパカのビジネスモデルも秀逸。見学は無料、無料だから駐車場が少なくても、アルパカ渋滞になっても苦情はでない。逆にそういうものを整備しようと思ったら、小さな村では資金も人手も手に負えない。ただ牛を飼っていたので、家畜の飼育のノウハウはある。この地域資源をアルパカに応用した。どこで稼ぐかというと、基本はアルパカの貸し出し(動物園、イベントなど)。

震災を機に地域が外に開かれ、交流人口が増え、住民の当事者性が活気づき、移住者も出てくるという、新しい循環が山あいの小さな集落で始まっている。

東大和市民共同発電所PACE(パーチェ)点灯式

9月5日、東大和市民共同発電所PACE(パーチェ)=東大和エネルギーの会の市民共同発電第一号機=の点灯式を行った。設置場所は、NPO法人けやきの会が運営する「障害福祉サービス事業所PACE(パーチェ)」―PACEはイタリア語で「平和」―の屋根。
当初から太陽光発電を導入したいとの思いで設計されたものであり、点灯式は木の香りがする2階のレストランで行った。ここは通所障害者の就労の場でもある。地域情報誌に取り上げられた名物シェフがいることでも有名。

会員、資金協力者、寄付をいただいた人たちに集まってもらい、参加人数は23名というささやかな出発となったが、市民発電の「次」(エネルギー自治、産業自治)につなげていくために何をなすべきか?の意義あるやりとりができたと思う。

建物オーナーからは、原発をなくしたいとの良心の声。ゲスト(小金井、板橋の市民発電所建設中の仲間、多摩地域の先行モデルである多摩電力を継承したたまエンパワー椛纒\、全国の太陽光ユーザー団体PV-NETなど)の活動紹介、会員の議員からの発言など、短い時間だが充実した会となった。
会場の論議は、原発や化石燃料に依存しない構造を地域から作っていこう、そのためには行政や議会をもっと巻き込んでという話になり、市民自身のエネルギーへの読解力が問われているという発言に共感の声が上がった。

東大和エネルギーの会は、昨年2014年2月から活動を開始。
東日本大震災から3年を機に、都市住民としてエネルギーを消費するだけの存在から、当事者として「3・11後の新しい現実」を作り出していかなければとの思いが強まり、(仮称)「再生可能エネルギーと省エネルギーに取り組み、エネルギーの地産地消に向けて行動する東大和市民の会」を提案した。すでに川の問題(水循環)に取り組んでいた人たちなど、尾崎市政発足後の参加型の市民活動の中で知り合った人に声をかけ始めた。

「がんばろう、日本!」国民協議会主催の2013年「新春特別シンポジウム」では、「『エネルギーと自治』『エネルギーの地産地消』とは、『民主主義のバージョンアップとフォロワーシップの転換』にほかならない」と提起された。2012年暮の総選挙で明らかになった「投票箱の中に収まらない民意」。それこそ「未来に投資する社会」づくりの中で可視化され、実体化されていくものだ。そして2013年11月にはシンポジウム「未来へ投資する社会へ〜エネルギー自治、循環型社会」が行われ、多様な各地のモデル、主体が見えてきた。
この提起から何を受け止め、行動するのか。2012年総選挙の総括―2013年のシンポジウムから、実際の行動を地域で起こしていくという原動力をもらって始めたのが上記の試み。

3.11後、2012年、2013年と二年にわたって、脱原発や再生可能エネルギーについての市民講座が公民館で開かれていた東大和市では、市民の自主的な活動で公園や川などの放射線測定をしていたものの、見える形での再エネ・省エネに取り組むアクションは始まっていなかった。行動に移したいけどいろいろな事情で未だなしえないという、参加された人たちの思いを受け取って形にすること。市長との面会、市の担当課との話し合い、温暖化の学習会を重ねつつ、「太陽光発電」を市民の共同で設置し、再エネを可視化しようと焦点化してきた。

2015年1月、NPO法人の設立総会、6月認証。ダラダラしていても結果は出ないので、7月一か月で資金を集めようと、スピード感を持ってお金を集めた。今回は、投資という形式については東京都のNPO法人管理課の納得が得られず、擬似私募債で資金募集。縁故のある人から資金を借りて5年、10年、15年、最大20年かけて利子をつけて返す。原資は売電収入だが、災害などリスクも負う。返済に対して会として長く責任を持たなければならない。

この中で「俺はその時まで生きてないよ」という声もあったが、地域活動で縁のある人からは「市民の活動費用を自分たちで集めるのはいい考えだね。ほかのところでも参考になりそうだ」と、資金協力してもらえることに。そのほかにも環境学習リーダー会や、財政をまなぶ会メンバー、個人宅に雨水利用タンクを設置している人など、今までの活動仲間、知り合いとも新しい縁を結ぶことができた。

何とか市民発電所第一号機の設置・発電にこぎつけた東大和エネルギーの会だが、本当に小さな、小さな一歩に過ぎない。点灯式の喜びと共に、今後市の公共施設への設置、ひいては、都市の住宅地でどのようにエネルギーを自分事としてマネジメントして行く主体となりうるか、幾多の課題が待ち受けている。
市民と議会と行政との議論の場を好循環で回していくことこそ、一歩を二歩、三歩にしていく歩みととらえ、まずは12月議会で再エネ、省エネによるまちづくり(公共施設更新の計画に再エネ、省エネをビルドインし、計画段階からの共有・市民参画を広げるなど)の議論を提案する「陳情」を、多くの市民活動団体との共同提案でなしとげていきたい。

南街こども食堂を開店

グルメコンテスト「うまかんべぇ〜祭」で集まった「南親会」が、9月1日から「南街こども食堂」をはじめた。月に二回、第一、第三火曜日に開く。一食300円で、こども中心だが、大人と一

緒の子どもとか、「食べてみて、次は手伝おう」という大人も歓迎。子どもの貧困、孤食が言われる中で、「みんなで楽しくたべる」場を、ささやかながら始めた。

「やりはじめたからには、子どもがこなくてもずーっと続けないと意味ないね」とは、市内有数の大規模マンション在住の男性スタッフの弁。地域名を冠しているのは、これから東大和のあちこちで、地域のこどもを対象にしたこども食堂が、地域の人の手でいくつも生まれるといいな、という気持ちから。

第一回目のメニューは「うちのカレー」。カレーライス、コールスロー、特別の日なのでデザート(ぶどうゼリー)つき。

ポスターを50枚、市内全域に貼り、ビラを500枚、福祉部とこども生活部、子ども子育て支援センターの協力のもと、各関連施設に置いてもらったものの、初日の9月1日、果たして「お客さん」が来るか。前の公園をほうきではきながら待つこと10数分。議員さんや、社協の人、部長二人に加え、担当の職員も含め、大人は大勢顔を見せてくれたものの、肝心の子どもは?

来た! 子どもの手を引き、赤ちゃんを抱っこひもで抱っこしたお母さんが。
彼女は、ポスターを見て来てくれた人。食べながら貴重な意見をくれた。「保育園の延長保育に預け、引き取ると7時過ぎて、つい出来合いのお弁当を買ってしまうことも多い。開店時間を8時までにしてくれたら嬉しいんだけど・・・」。

この声も含め、そのあと友達と連れ立ってきた中学生の話題など、反省会では、さっそく次の時に活かすことにしようと話し合った。(開店時間は5時半から8時までに変更。また、近所のいくつかの保育園にビラを置かせてもらうことに)

こども食堂を開店するに当たり、商店街の空き店舗を活用できないかとか、空き家を利用させてもらえないかなど、地域の課題ともリンクした試みをいろいろ行った。結局、まずは理解のある自治会集会所をお借りしてスタートし、社会福祉協議会から物心ともに支援を受けた。社協の今までの地域での取り組み(地域担当制度、ふれあいサロン事業など)との連携が功を奏した。

目に見えるこのような場所を作ることで、(東大和ではなんでもそうだが)、そこから市内全体に、多くの住民に、じわじわと広げて市民全体の取り組みになっていく一歩となることを確信している。

違憲法案は廃案! 立憲と反立憲の対決構図は、より鮮明に

「(ホトトギスの卵のたとえ話は、ナチスの登場の部分にあるように)…安保法制を数の力で押し切ろうという選択は、多数者による専制であって、それは、立憲主義の仇敵である、専制主義に与することです。かくして、法案採決の最終段階では、立憲主義と専制主義の対決構図が現れるでしょう」(石川健治・東大教授 「世界」8月号)。国会の採決(参院で強行採決? または衆院で再議決?)がカウントダウンにはいりつつあるなか、立憲主義と反立憲=専制主義との対決構図が、より鮮明になりつつある。

8月30日の国会包囲に続き、9月6日は新宿歩行者天国で、学者の会とSEALDsによる共同街頭宣伝に、雨の中1万2千人が参加。9月4日の定例金曜行動には6千人が参加した。もちろん全国各地でも、さまざまな抗議行動が展開されている。

9月1日「安保法制」反対集会が、京都大学西部講堂で開催された。自由と平和のための京大有志の会が主催。約400人が、登壇者のアピールに聴き入った。
(写真は、「ママの会」の西郷南海子さん)

9月5日には、安保法制絶対廃案!学者・学生・弁護士緊急共同行動が龍谷大学で行われ、伏見区では初の安保法制反対のデモ(パレード)に約200人が参加した。
(写真は、集会で語る伏見区在住の6児の母親

9月6日告示、13日投票の山形市長選は、「違憲法案に歯止めをかける」「おらだの市長はおらだが決めようvs「政権党とのパイプ」の構図。さらに11月には大阪ダブル選挙。国会審議の最中、総理が東京から出かけて出演した「ヨイショ」番組は、大阪の2本。都構想住民投票で見せた大阪の民主主義が、ここでも問われることになる。

ふたたび、あかりちゃんのツィート「法案が成立してもしなくても。 安倍さんが辞めてもやめなくても。 民主主義はきっと続く。 続く限り、私たちにはやるべきことがある。 私 た ち が 忘 れ な い 限 り 。」←ここ大事

国会前に12万人

8月30日、国会前抗議行動には12万人ともいわれる人々が集まった。

1200すぎ、すでに多くの人が集まり始めていた。腹ごしらえに立ち寄った「なか卯」で、手提げからのぞいていたプラカを見つけた隣の女性が、「これから国会前ですか、私も行くんです」と言って、ツイッターではもう人がこんな集まっていると教えてくれた。

聞きそびれてしまったが、1230頃から高校生たちの合唱(レ・ミゼラブルの劇中歌「民衆の歌」などhttps://www.youtube.com/watch?v=jRMIMbAMKwQ)、1300からはシールズのコール。

1330過ぎ頃か、ついに規制線が決壊する。動き出した人に続いて車道へ。思い思いのプラカードを掲げ、コールしながら正面の国会議事堂前と進む人、人、人。たちまち議事堂前は人で埋まる。その人たちのなかを、ブドウの房のような風船につけられた「安倍やめろ」の大きな横断幕が、拍手のなか国会前に進んでいく。 1500すぎくらいからは雨も降ってきたが、帰る人もいる一方、入れ替わりで参加する人たちの波は、途切れずに続いた。

御大に言わせると(つまり1969年とか1970年の話ですな)、明治公園がいっぱいで10万人なので、毎日新聞の空撮写真を見ると10万は超えているだろうと。写真に写っていない地下鉄「永田町」「国会議事堂」「霞ヶ関」駅近辺、周辺道路も、かなりの人だったようだし、日比谷公園にも人がいたという話もある。

今や30万人かどうか、そんなことが問題ではない。「声なき声」といわれ、カウントされなかった人々まで、自分の意思で動いたということだ。

あかりちゃんのツィート「法案が成立してもしなくても。 安倍さんが辞めてもやめなくても。 民主主義はきっと続く。 続く限り、私たちにはやるべきことがある。 私 た ち が 忘 れ な い 限 り 。」←ここ大事

9月6日には、学生と学者の会の共同街頭宣伝が新宿で行われる予定。定例の金曜日はもちろん、参院での採決が迫る9月10日、11日は連続して抗議行動が行われる予定。

29日、30日、全国各地の300ヶ所以上で抗議行動が行われた。
http://mainichi.jp/movie/movie.html?id=895519621002

 国会前13万人、大阪扇町2万5千人をはじめ全国300箇所(京都市内でもわかっているだけで10箇所以上)で、「戦争法案反対」の声が上がった30日。

京都で、3・11以降金曜行動を続けてきた人を中心に12人の個人が呼びかけたデモが、SNSやツイッター、クチコミを通じて集まった1000人超の有志で行われた。前日にも、京都弁護士会主催の円山野音集会とデモに4500人以上が参加。連日参加の人もいたようだ。

読者会から杉原と岡坂が、また参加希望した仕事先の部長も参加。京大有志の会の藤原辰史准教授が出発時「この法案は子どもたちの命にかかわるもの」とあいさつ(写真・藤原さんは家族で参加)。

参加者からの一言アピールは、20代から60代までの8名全員女性が(琉球大卒京大院生、同志社大講師、龍谷大学生など)。単独参加や夫婦子連れの30代〜60代 が多く、デモの後方はプラカードを持っていない人がほとんど。コールも2梯団程度まで。途中で4〜5梯団ほどになったため後方は自発的にコール。解散地点の京都市役所前では、先に到着した人たちが後の人たちをドラムとコールで迎え、連帯感あふれるよい雰囲気。

今後も、1日には京大で、5日には龍大で集会が行われ、13日は大阪で大きな規模の行動も企画されている。SEALDs KANSAIは金曜アピールを継続するという。

今日(30日)投票の枚方市長選では、大阪維新推薦の新人候補(47歳・市議二期後府議一期)が現職を破った。直前に橋下が仕掛けた維新離党騒動によるメディアへの露出と、投票日朝刊の「10月1日にも新党」報道が奏功した。NHKの出口調査では、重視した政策として「景気対策」と「二重行政の解消」がほぼ同率。11月20日にも予定される大阪府市ダブル選挙に向けて、大阪での「都構想」政局が一気に再浮上した。

安保法制問題を考え続ける市民と連携していく日常活動へ。越谷での取り組み

安保法制を巡り、かつてない主権者の潮流が起こっています。昨年の特定秘密保護法の強行採決に端を発し、7月の衆議院特別委員会での自公による強行採決が、更にこの流れを加速させています。

シールズを中心とした運動への呼びかけは、学生や若者を主体にしたものから、学者や研究者、子育てママやサラリーマン、高齢者と続き、今や高校生や中学生も制服でデモに参加するだけでなく、自分達で集会やアピール行動を主催し繰り返しています。 また、創価学会の会員や創価大学の職員や講師までもが、独自にアピール文の発表や運動に取り組んでいます。

 このため、その集会やデモは国会周辺に留まらず、都内各所や全国いたるところで毎日のように開催されています。  埼玉でも、7月大学生と高校生によるデモが大宮で開催され、約300人が参加しています。  同時に主権者の当事者意識が発揮され、主体的能動的な運動が展開されればされるほど、感化され、より主体的に行動し考えようとする市民(例えば、一年前に一参加者として国会のデモに参加した女子学生が、今回は自身の居住地で集会の主催者として企画、行動しているなど、指示や命令とは全く異質の行動となっています)と、「一部の一時的行動であり、自分とは別の世界である」として見て見ぬふりか、全く見えないなど、ますます愚鈍になっていく市民の格差がハッキリと可視化されています。

 特に、市民に最も身近な地方議員に象徴的に表れています。越谷市議会では、本年6月市議会に「安保法制の国会での審議を慎重に進める意見書の決議を求める」市民請願が提出されましたが、自民党、公明党、刷新クラブ、保守無所属の会の反対で不採択になりました。賛成したのは、民主党、共産党と自治みらいでした。

所管の総務常任委員会では、市民請願を提出した市民2人と紹介議員2人(共産党と、自治みらい、新人の山田裕子議員)が参考人として、意見陳述や各議員からの質問に答え、審議は実に3時間に及びました。

 採決は、常任委員会では賛成多数で採択となりましたが、議会最終日の本会議場で上述のように不採択になりました。しかしお隣の草加市議会では同様の意見書が自民党、公明党も賛成し、全会一致で採択されていて、さいたま市議会も同様です。

 ただ賛成、反対討論は、7つの全会派から行われましたので、異例の事態ともなりました。  反対討論では、国会での政府や与党の説明レベルにも達しておらず、そもそも立憲主義をどの様に受け止めているのか、理解が出来ない内容でした。またこの法案が及ぼす地方自治体や地域における市民が、どの様に行動変化するのか等、全く言及しないものでした。(例えば国民保護法による越谷市国民保護計画が、集団的自衛権の行使によってどの様に影響するのかなど。立憲主義に立脚しないのですから、自治や多様な意見の合意形成に触れることが出来ないのは、当然かもしれませんが)

また、賛成討論でも同じように国会論議をなぞらえる範囲であり、法案に賛成でも反対でも、市民に考えざるを得ない論点の整理や方向と提起とはなっていませんでした。  地方議会の役割は、賛成する市民、反対する市民を含め広く市民が論議できる論点の整理や選択肢の提案、そして何よりもこの法案を材料にして何が問題なのか、問題設定を共有化する、フラットな言論空間の創出とマネージ力です。つまりフォーラムとしての議会です。

 シールズは最近、くり返し、くり返し次に様にネットで呼びかけています。

【戦争法案を止めるために】情報のシェアだけでなく、何より自分の言葉にして発信する事が重要です。またweb上だけではなく、仲いい友達や家族、恋人、1人でも多くの人に知って貰う事から始めましょう。口コミで多くの人に知らせ、デモ、集会、そしてwebで可視化させる流れが大事です。

 越谷では、7月26日(日)午後4時から、越谷駅前広場で「ストップ戦争法 オール越谷市民アクション」が実行委員会主催によって開催されました。  この日も強い陽射しが照りつける暑い日となりましが、300人を超える市民が集まりました。アピールのため参加者は何か赤いものを身に着けて参加しました。

 呼びかけの賛同人(183名)として、自治みらいの辻議員、山田議員、白川議員が名を上げ、集会でもあいさつをそれぞれしました。

 この実行委員会(あくまで、個人参加ですが)は、所謂共産党系の市民団体が主力であり、ここに生活クラブ生協系の市民が一部構成しています。  越谷での反原発市民運動の流れも同様な構成でしたので、これまで私は一定の距離を保っていましたが、今回は立憲主主義が大きく毀損されていく事態であり、より多くの市民への連帯と、二項対立的な9条問題から脱していく舞台と位置づけ、あいさつし参加しています。

 次の「ストップ戦争法 オール越谷市民アクション パート2」は、8月23日(日)午後3時から、越谷駅前広場で開催されます。賛同者は205名(7月26日時点)に増えており、当然この集会にも参加しアピールします。

 また、先の市民請願に賛成した会派が連携して主催し、8月25日(火)午後5時30分から午後7時まで、駅頭活動に取り組みます。自治みらい(4人)と共産党(3人)の所属議員は全員参加予定ですが、民主党(6人)は個人参加になりそうです。  さらに、9月議会が9月1日から始まりますが、安保法制反対の地方議会からの意見書を決議するため、これも3会派で現在協議中です。

長岡市で視察

《「自治みらい」初の行政調査を実施。市庁舎建設では市民は何をしたいのかが基本》

8月5日、4月の市議選後新たに結成した会派「自治みらい」(代表白川秀嗣議員4人)の最初の行政調査に新潟県長岡市での「新庁舎建設における議会棟の在り方」「山古志地区のその後の復興」をテーマに終日学んで来ました。  越谷市の本庁舎は、これまで何度も指摘されている様に、埼玉県ではワーズト1の耐震強度の脆弱な建築物です。このため、市長は6年後に本庁舎の建て替えを計画しており、これに応じて議会棟の基本的な設計について議会側に諮問しました。これを受けて議長は7つの会派の代表者会議で9月議会前までに議会棟の統一見解の取りまとめを要請しました。 そこで、自治みらいでは、先進議会である長岡市議会棟の調査を実施しました。

長岡市では、議会棟と本庁舎はひとつの建物であるシティホールプラザ「アオーレ長岡」にすべて配置されています。 平成24年4月1日に誕生した、この施設は巨大な屋根付き広場である「ナカドマ」を中心に5000人を収容するアリーナ、市民交流スペース、そして市役所が混然一体に混じり合った公共空間です。 また、そのデザイン性は、グッドデザイン賞を受賞し、市庁舎が、行政のための施設から、市民と生活とまちのための空間に生まれ変わるという発想、環境への配慮、市民参加、歴史の再考などが高く評価されたものです。

平成18年度から行政機能再配置市民検討委員会が発足し、徹底した市民の意見交換を繰り返し構想を固めて行きます。通常は、行政から庁舎構造について市民に聞いて行くのですが、「市民が庁舎をどの様に使いたいのか、何をしたいのか」を論議したとのこと。 このため、よくありがちな庁舎建設で人の流れが変わり中心市街地の活性化や集客にどの様に役に立つのか、と言う意見は重要視されませんでした。

消費を目的にせず市民が自ら楽しむことが最優先であり、購買にどう結びつけるかは商店街が中心に考えることだ、と説明をした担当職員は言い切っていました。 また、市民の本音を掴むことが最も重要であり、一般的なアンケート調査は一切せず、対面活動を徹底したそうです。

更に、例えば市民活動共同センターの運営の一切はNPO法人と共同運営していて、これも所謂指定管理者制を排除しています。理由は指定管理者制度では、どうしても市民活動の自由度が制限され、行政の枠内での活動に制約されることを防ぐため、と自信に満ちた顔で話す職員の姿勢にも表れていました。

この様な姿勢は、市民の参加意識に反映し、建設費用の捻出にも端的に表れ、建設費用131億円の内、地方債を45億円発行しましたが、市民公募債が25億円にも達しました。しかも当初は10億円(一口10万円から)の予定だったものが直ぐに満杯になり、要望に応じて急きょ増額したそうです。

議会棟は、市民と議会の一体感を醸成するため、一階に本会場を配置し、外から市民がいつでも会議を見ることが出来る様にガラス張りになっています。  ただ、実際はあまりにオープンなため会議に集中出来ないことからスクリーンで仕切れるようにしています。 また、子づれでの傍聴が出来る様に、専用スペースを配置し、議場には子どもの泣き声等は聞こえない設計になっていました。

この様な取り組みで、旧議会棟時の傍聴者より現在は4倍にもなったそうです。 ただ、行政棟が徹底した市民参加と意見公募を積み重ねる手法をとっていますが、議会が議会棟に関して直接市民への説明や意見聴取はしなかったそうです。

午後から長岡震災アーカイブセンター「きおくみらい」を訪問し、稲垣文彦センター長から(機関紙日本再生8月号に関連記事掲載)「復興の現状と市民意識の変化」についてお話しを聞きました。  午前中に調査した職員の意識に驚かされたことに関連し、何故行政が市民側に常にたっているのか、また市民の自発的な活動の原因を聞いたところ、やはり震災を契機にそのような場づくりが始まった。つまり当事者意識であり、自分達でやるしかないと言う内発性だ、とのことでした。  また、幸せの尺度が大きく変わり、行政の尺度では図る事が出来ない現実があるからだ、とも付け加えられました。

 《結局雇用が生み出され、産業や金融、エネルギーが循環する地域こそ元気の基》

 その後、引き続き山古志地区の現地での案内や説明も引き受けて頂きました。

 まず、おじや震災ミュージアムそなえ館で説明を受けました。説明をして頂いた川上沙織さん(23歳)は、震災当時山古志小学校6年生で被災し、館内の震災を伝えるパネル数枚にも登場します。  地元の中学校、高校を卒業したのち東京で短大を出で就職したものの“挫折”(本人曰く)して山古志に戻って来て現在のNPOの職員として働いているそうです。 「伝えたい感謝の気持ち。見て欲しい今の山古志」(“市政だより特集号復興10年 たくましく前へ、長岡”)にも紹介されています。

 また、交通手段の確保のため同じNPOがコミニティバスの運営を担っており、運転手は清掃会社の運転手が担当し、所謂二束のわらじを履いて交代勤務をしているとのことでした。

 車で山道を登りながら、散見され点在する2階建ての木造の住宅は、県営住宅で所謂復興住宅ですが、地元産の木材を使っていることに大きな特徴があります。 また賃貸住宅で入居者が高齢等で空家になった場合でも対応出来る様にしたそうで、現在は若い移住者の住居にもなっています。旧来ならば個人の住宅を空家にする場合は、持ち主が解体して処理していたそうですが、近年費用負担の問題で難しくなっているそうです。

 次に地元木籠集落の拠り所、交流の場として、整備運営されている「郷見庵」を尋ねました。2階は震災の資料館になっており、1階には地元の野菜や漬物やA5ランクの山古志牛などが販売されています。因みに私は山古志牛のレトルトカレー(500円)を購入しました。  地元の女性が一人で商品の紹介や説明をしていましたが、セールストークもなれたものでした。陳列されたそれぞれの商品には代金を入れるカンカンが置かれており、客は代金をそれぞれのカンカンに入れます。その後代金の一割を手数料として差引き、生産者に渡すそうです。

 また、当時小さな小川だった場所が土石によってせき止められ大きな池に様になったため、家屋が水没しました。そのうちのいくつかは現在も水没しており二階まで土で埋まっていました。  当時は、早く壊して欲しいとの要望があったそうですが、現在は観光客や視察が頻繁にあるため、存続して欲しいと変わったそうです。ただ、そのための費用の捻出が課題だそうです。

 また、地元の母ちゃんが経営する農家レストラン「たなだ」は、地元の食材を使った素朴な料理を提供していますが、所謂行列が出来るレストラン状態になっているそうです。ここもやはり店を始めてみんな元気になったそうです。

 また、地元の市民だけでなく、東京を始め全国から移住女子が増えています。 結婚して赤ちゃんが次々と生まれることで、泣き声が近所に響くだけでもみんな笑顔になっていくとのこと。ただ、あまりに隣近所がかわいがるため過保護になっているのでは、と心配顔の稲垣所長。

 最後にアルパカ牧場を訪問しました。この牧場は震災時にアメリカ人から3頭のアルパカが寄贈されたことから現在は十数頭まで繁殖しています。ペット用のアルパカなので、近づいてもつばを吐いたりしません。 白や茶色の赤ちゃんのアルパカもいて、休日にはせいぜい十数台の駐車場は満杯状態で道路は大渋滞になるそうです。 ただ、柵で囲まれた牧場は、無料で見たり、触ったり出来るため来訪者からは文句はでないとのこと。かつて牛を飼っていたため飼育にはなれており、民間の会社として経営しており、地元の4人の若者が社員として働いています。 収入源は、アルパカを全国各地で開催されるイベント等への貸し出しや売却で賄っているそうです。

 この様に、正に地元にある資源や人材を有効に生かすことで地域が循環していることを実感しました。小さくとも事業や産業を取る上げることで、雇用を生み出しています。また、山古志から一旦都会に出て行った若者も帰ってきており、これに都市部からの移住者も増えていることからも、「生きている実感」こそが最も大切にしなければならない、これからの価値観や生き方だと、確信しながら、帰りの新幹線の中で全員思いを一つにしました。

当選報告会ではなく、公約をどう現実化するのか、市民が討議

7月20日「 キックオフミンーティグ」が、越谷市民活動支援センター会議室で開催されました。

主催は、埼玉政経セミナー運営委員会で、4月の市会議員選挙後の結果を受けて、選挙中に約束した「統一マニフェスト みんなの越谷マニフェスト2015」の実現をどの様にして行くのか、議員と市民で話し合う最初の第3期政経セミナーの企画となりました。

選挙後初の集会は、当選した議員の当選報告会が一般的ですが、超党派の市議候補者が掲げた「統一マニフェスト」は、その策定過程も選挙中の訴えも検証作業も候補者だけでなく、市民が当事者として参加しており、政策実現のための意志統一の舞台となりました。

一部ではパネルデスカッションが行われ、パネラーには「統一マニフェスト」に賛同した市議会候補者3人と市民1人が登壇しました。

初当選した子育て世代で2人の子どもの母親である山田裕子市議は、「参加する楽しさを伝えたい、ママ達の初めての選挙」。残念ながら次点に泣いた現役サラリーマンで立候補した寺島義人氏は「脱サラ選挙チャレンジから見えたこと」。全くの一市民として一人で駅頭での街宣活動に取り組んだ岡田英夫氏は「一市民として政策を訴える、市民マニフェスト運動」。今回の選挙で4期目を迎えた白川秀嗣議員は「選挙を“非日常”にしないために、連呼も駅頭動員もしない選挙」をそれぞれテーマに、報告や論議が展開されました。

会場には、当選した市議(6人)は勿論、子育て中の母親を含め、自営業者、若者や高齢者、都内や県内を始め千葉県内の市議など約50名が参加しました。

それぞれのパネラーは、選挙活動で味わった、候補者と支援者の関係が選挙前と選挙中そして、選挙後にどの様に変化したのかを中心に話しました。

山田議員は「当初は子づれでの活動に躊躇があったが、子ども達の世話もまわりのママ達が担ってもらい、大人の部活動状態になった。このため選挙が終わりに近づいたら、街頭活動も誰が候補者なのか分からないほど、支援者が自分の言葉で訴えた」。

寺島氏は「サラリーマンとしての仕事のスキルである、有権者の市場調査を実施した結果、市民の一番の関心は政策である、と言う結果だった。しかし、どんなにすぐれた政策でも、無機質なものでは市民に伝わらない。やはり、日常的な地域での人間関係が大切」。

岡田氏は「政策を作るのも、実現するのも候補者と言う常識は破ろうとした。今回のマニフェストは、候補者だけのものではなく、私たち市民が策定したもので、その実現も市民が担い責任を引き受けるつもりだ」。

白川議員は「マニフェストは地域再生に向けた市民との会話のツールであり、選挙中の限られた期間だけ実行するものではなく、日常的に積み重ねられていくものだ。候補者とは、その活動のマネージや論点を整理する能力が必要だ」。

これを受けて、参加した会場の市民からの質問に、パネラーがそれぞれ答えました。

「地域の小さな個人の問題と思われていることは、実は人口減少時代には個人の問題ではなく、地域全体で協力して解決して行く課題だ。この時には行政や議員に任せるのでなく、市民自身が当事者として考え続けることが大切」との集約がされました。

第二部では、5つのテーブルに分かれた市民が、「選挙をゴールではなく、スタートにするために」をテーマに意見交換会になりました。 サラリーマンだった高齢者から、「行政には様々な問題があり、議員がこれを解決すべきだ。政経セミナーの賛同議員は6人しかいないのに、多数派形成はどうするのか」という発言に象徴的されるような他人称で、あくまで外から議員を検証する姿勢が目立ちました。

しかし、子育てママや若い自営業者からは「今現実に起きている問題に、まず個人としてどうとらえるのか、その解決にどの様な市民との連携が必要なのかを考えるべき。その上でこの様な高齢者をどう巻き込んでいくのか、一筋縄では行かないが、それも地域の合意形成には避けて通れない」と発言するなど、前回の選挙から4年間の蓄積が可視化され始めています。

同時にこれほど他地域の市会議員を含め、様々な市民が同じテーブルで「市民の責任とは何か」を話す機会は他にはないため、同じ問題でも受けとる市民の位置によって違うことが確認されたことや、解決のために自分とは違う立場の意見も組み入れて討議していくことへの臨場感があちこちにみられました。

今後の活動指針は、統一マニフェストの具体的な実現に向けて、ロードマップの作成や議会での多数派工作は勿論、行政や地域での市民の関わり方の実践化などを進めることを全体集約としました。

第三部は、近くの居酒屋で20名程の参加者で懇親会を開催しました。

ここでも山田議員は2人の子ども連れで参加しましたが、(政経セミナーの懇親会で初めての子づれの参加)すぐに他の若い世代が子ども達の相手をすることで、山田議員は無理なく懇親会に参加出来ました。 しかし、やはり同席した高齢者はそこには目がいかず、自分を中心とした位置をとり、所謂気配りが出来ません。

一例に過ぎませんが、上記の様な高齢者が自分達の役割とは何かを考えて、次の世代を支えて行くことを日常的に意識さえしていれば、自然に子ども達の面倒をみることが出来るし、母親も「預かってもらって頂いている」という過剰な配慮はしなくてすむはずです。

支えて行くという行為は、正にこうした小さな(実は極めて本質的)日常的な障害を取り除いていくことではないでしょうか

「奴らを通すな!」 反立憲・非立憲の政権運営を止める

安保法案は7月15日、衆議院特別委員会で採決が強行され、16日には本会議で可決、参議院へ送られた。手続き上は60日ルールによって、衆議院の三分の二をもって再議決が可能となる。しかし再議決のハードルは一段と高くなっている。

 政府与党は「採決を強行しても、連休をはさめば空気は和らぐ」としていたが、15日から17日の国会前抗議行動は10万人、6万人、11万人(主催者)にのぼり、三連休中も全国各地で多彩な抗議行動が繰り広げられた。7月26日にはママと子どもたちが、31日には学者の会と学生団体(SEALDs)の共同行動が、8月2日には高校生のデモが予定されるなど、世論は「和らぐ」どころか、むしろ世論(セロン)から輿論(ヨロン)へと確実に深化しつつある。

民意のうねりは、潮目を変えつつある。

公明党に対しては創価学会の、それも原則的に活動している会員のなかから、批判の声が公然と上がり始めた。ここにも「凡庸の善」で考えるうねりが始まっている。 また礒崎発言は、今に始まったことではないが(「立憲主義なんて聞いたことがない」「国民に一度改憲を味わってもらう」など、反立憲の確信犯)、参考人招致は、安倍側近政治が自民党内でも「裸の王様」化しつつある状況の反映でもある。

第一関門は、参議院で60日以内に議決させないこと。参院自民党のなかに、安倍と心中することのリスクを、来年の参院選とからめてリアルに思い知らせるべし。盆踊りで地元選出の議員に「このままじゃ、支持できない、みんなそう言っている」と伝えよう。野党には、これではとても議決なんかできない、という政府答弁をさらけ出させるよう、叱咤激励しよう。

参院が60日以内に議決しなければ、衆院での再議決をするかどうか、になる。この場合、与党にとってのハードルはさらに高くなる。創価学会の反発を押し切ってまで、公明党が安倍に同調するのか。逆に言えば、同調できなくなるところまで、「凡庸の善」のうねりを広げられるか。

そして仮に法律が成立したとしても、本丸は来年の参院選だ。ここでの勝敗ラインは、与党に三分の二を取らせないこと。政権選択選挙ではないのだから、安倍政権への評価(ノー)に絞った戦略的投票/候補者調整にまで、民意が主導して迫り上げていくことになる。(既存政党に「言うこと聞かせる番だ、私たちが」。)

反立憲の政権運営を止める―来年の参院選を射程に入れて、民意の主導で迫り上げていく。今年の夏は、暑い夏になる。

議会による民主主義のイノベーションを!

7月20日、第26回戸田代表を囲む会in京都を開催。

冒頭「立憲主義をきわめて実践的に理解できる新世代が生まれたことで状況は一変した。 立憲精神を地方議会に活かすことができるかどうかが問われる」と戸田代表から。

新川達郎・同志社大学教授からの提起では「社会変革につながる議会改革とは何か」 と基準が示された。 「ひまわり学連もSEALDsもソーシャルイノベーター。議会改革も受身から攻めの新たなフェーズに入っていかないと、社会的価値をなくすかもしれない」と。

議会改革の方向は、「双方向のコミュニケーション」「社会との関係で政策にかかわる能力をつける」「政策評価を中心にした議会の監視機能強化」

ソーシャルイノベーションは、議会が地域の問題に敏感に反応し、住民とともに当事者として考え、議論し、行動を起こしていくところからはじまる。

なんか自民党、感じ悪いよね

安保法制に反対するSEALSの国会前抗議行動。7/10は1万5千人を超える参加者。週明け13日には中央公聴会がセットされ、15日にも強行採決かといわれる。「国民のみなさんに説明します」という安倍総理のニコ生は、視聴者は1万人程度。 スペインでファシズムに抵抗するスローガン「ノーパサラン 奴らを通すな」が登場したように、集団的自衛権が必要かどうか、というよりも「民主主義、立憲主義を守るのかどうか」という事態になっている。

第八回大会

6月20日、三年半ぶりとなる第八回大会を開催。記念シンポジウムのタイトルは「住民自治の力で創る、人間の復興・地域の再生」

「住民自治」の集積を起点に、人間の復興と民主主義のイノベーションについて議論した。

第一部は立谷・相馬市長と、岡田・京都大学教授の講演。

第二部はパネルディスカッション。立谷市長、岡田先生に加えて、太田・真庭市長、松本・和光市長、熊谷・千葉市長、隠塚・京都市議、白川・越谷市議。地域経済、産業自治、地域包括ケア、主権者教育、投票に限定されない政治参加など、多様な角度から「自治と民主主義の深化」について議論。

懇親会ではシンポジウムの議論を共感と共振に変換。

7月12日の総会では、シンポジウムでの議論を深める方向性や課題を、具体的な活動にどう落とし込んでいくか、語り合おう。

地域の自治力を問う

5月30日京都で、第26回関西政経セミナーを開催。「地域の自治力を問う」をテーマに、岩崎恭典・四日市大学教授からの問題提起の後、山中光茂・松阪市長、中小路健吾・長岡京市長、隠塚功・京都市会議員、四方源太郎・京都府議会議員、白川秀嗣・越谷市議会議員、上村崇・前京都府議会議員(京田辺市長選で惜敗)が加わり、パネルディスカッションを行った。

岩崎先生から、増分主義(右肩上り、税収増・人口増を前提にした分配による際限なき満足の提供)の前提が崩れる中で、この20年間の試行錯誤があり、「最後のあだ花」として橋下維新が生まれたこと、東京都特別区の原資は、旧・江戸町会所から東京府や東京市に接収された「七分積み金」にあり、この公金の使い道を決めるため議会を作ったこと、一方大阪「都構想」は府と特別区と一部事務組合(ゴミ行政などがここに隠される)の三重行政であり、住民自治とはおよそ縁遠いことが明らかにされた。住民投票での否決後とりざたされている「総合区」(議会同意の特別職の区長制度)についても、統治機構改革で当事者性は育たないと強調された。

山中市長からは「都構想が正しいかどうかにかかわらず、現場で汗を流さない上からの制度改革で住民の幸せ度は上がらない」「松阪の地域内分権は、制度設計に向けたプロセスにおいて住民や行政職員、市長が汗を流すシステム」と明快。住民協議会は「みんなで一緒に考える経営推進会議」だという。

さらに直接民主主義と間接民主主義について。「まちづくり協議会」には地域の課題をわが事として考える人たちが集まる。決めるプロセスに参加する直接民主主義のほうが満足度は高いが、一方で「間接民主主義への神話」(岩崎先生)も。「議会では市長は(反問権以外)質問できない。質問のレベルに合わさざるをえない」(山中市長)には、パネリストはじめフロアも深く頷く。府議会議員を経験した中小路市長からは「本来二元代表制では、議会での議論のプロセスが住民に見えてはじめて、なぜ採択され、否決されたかが共有される」と当事者性を高める議会の役割が。

「選挙を非日常にしない」と今回の選挙を戦った白川議員につづき、上村前議員、四方議員、中小路市長、山中市長、そして隠塚議員から、六者六様の報告があった。共通するのは「そんな情報を出したら混乱する〜だから出さない」という従来までの「常識」を破ること。「少子高齢化は現象であり、それ自身が課題ではないという事実をしっかりと市民に伝える」(中小路市長)、「人口動態に基づいた先の見通しまでを明らかにする」(四方議員)ことが当事者意識の涵養につながる。

「富の分配から負担の分配の時代に入った」(上村前議員)共有感が、世代間や地域間の食わず嫌いから住民を解放する。「綾部市の高齢化率38%に対し、京都市東山区が44.7%」「京都市の最大のリスクはまちづくりと自治の主体を持続的に確保できるか」(隠塚議員)という重い事実とも向き合うことになる。

戸田代表のまとめは三点。政治への関心は構造的に増えている。問題は投票につなげるようにボールを投げられるか(山中市長曰く「政治や選挙に関心を、と言ったことはない。現場や事実への興味をと言っている」)。自覚と内発性は違う。主権者運動は、合理的判断ができるという意味の「かしこい有権者」をつくるのではなく、共汗(共感)・自治・連帯。先延ばし、すりかえ、ごまかしのきかない、いい時代になった。

不都合な真実と向き合うには、勇気と責任感、社会的な反省(自己批判)をともなう。「私たちの社会がどうなっており、どうなりうるのか」を過去、現在、未来にわたって共有し深めるプロセスとして8回大会に臨みたい。

住民自治・大阪の陣、始まりの始まりか?

「あしたは投票、つぶせ都構想!」

大阪都構想住民投票の前日(5月16日)の大阪市内の光景。

御堂筋を行進するサウンドデモには、Tシャツやスーツ姿、車椅子、太鼓の鳴り物を持ってなど思い思いのスタイルの老若男女が集結。 「あしたは投票、つぶせ都構想!」と、ラップミュージックにのせたデモは、市役所前出発時の約150名が、心斎橋ではいつの間にか400名以上に!

見ていて楽しい。参加するともっと楽しい!「反対!というネガティブなデモだからこそ、ハッピーな雰囲気でいきましょう!」と、20代の女性リーダー。メッセージは、すべて一人称「生活を破壊する都構想に、わたしは反対でーす!皆さんは?」「あしたは投票!大阪市民の意思を示そう!大阪の力を示そう!」

主催のSADLは「民主主義と生活を守る有志」で、3月中旬にスタートした。

一方、なんば駅前の大型宣伝カーでの自民党の街宣。20政令都市の自民党議員が大阪に集まっているという。「大阪市民のみなさんに頑張って欲しい」(なにを?)。さらに梅田のヨドカメ前では、「1000名が大阪に動員された」という維新のビラまき部隊がたむろする。どうみてもバイト?

翌17日、210万人有権者の「大阪都構想」住民投票は、ここ10年の大阪市の投票率では最高の66・83%に。

そして、いま(17日22:30)TVに「反対多数。大阪都構想は廃案に」のテロップが!

@SADL_OSAKAの投稿者のひとりは、数日前「住民投票で反対票が多数になっても、これまでの大阪市のままとは思わない。この間、みんな悩み、議論しながら自分たちの街のことを考えてきた。反対が多数になれば、そこから新しいまちづくりが始まり、大阪の民主主義が深まっていくと思っている」と。

以下は、SADLよりの緊急声明

大阪市廃止を問う住民投票が、5月17日に行われ、反対多数が確実となりました。まだすべての開票は済んでいませんが、維新の会による金と人を動員した大量宣伝や首相官邸による圧力を、「オール大阪」の力と大阪の民主主義が打ち破った結果であると考えます。

SADLは、この住民投票が憲法「改正」を視野に入れた安倍首相と、維新の会が連携する中で実施されたことに危機感を持ち、反対のとりくみをすすめてきました。また、「二重行政の無駄をなくす」と言うが、その実態は住民サービスの切り下げであることを指摘し、「『都』構想は民主主義と生活を壊す」と問題にしてきました。

住民投票実施が確実になったのが昨年末で、SADLが初めて集まりをもったのが2月1日でした。きわめて短期間しかない中、3月から繰り返し学習会や路上でのトークイベント、デモ、フライヤー配布を行い、反対の世論づくりに努力しました。連日のフライヤー配布に次々と手伝ってくれる方が加わり、のべ3万枚を超えるフライヤーを配布することができました。 また各地からカンパをいただいたことをはじめ、この間の私たちの活動に対してご協力くださったすべてのみなさんに感謝を申し上げます。

住民投票で反対が多数になったことは、決して「現状維持」ではありません。反対の人も賛成の人も「大阪を変えたい」という強い思いを持っています。この短期間で、多くの人たちが、悩み、迷い、議論し、考えてきたことは、上からの「改革」ではなく、新しい大阪を市民の手でつくっていく力になると感じます。

私たちのたたかいは続きます。次は安倍政権による民主主義と生活の破壊を止める必要があります。安倍首相と維新の会が連携を明言した憲法「改正」や戦争立法を阻止するために、力を尽くすことを宣言します。

2015年5月17日 22時40分

SADL(民主主義と生活を守る有志)

特別区設置住民投票で反対多数が確実になったことを受けて

第四回うまかんべぇ〜祭 

連休明けの5月9日、10日、東大和南公園で、第四回目となる「うまかんべぇ〜祭」が今までで最高の人出、41500人の参加で行われた。

今回の「うまかんべぇ〜祭」は、過去三回の催しをブラッシュアップして、本格的に地場産品、地元食材使用を指定しての出品を募り、「これぞ東大和の味」(ご当地グルメ候補)を生み出していくグルメコンテストへと進化。課題食材として、地元商工会発案の「茶うどん」と地元農家が生産した「小松菜」を用いて、18の市民グループや市内業者が腕によりをかけ、工夫をこらした味を競い合った。

開会式では、2012年の第一回よりまったく初めての試みに応えて参加、コンテストを盛り上げてきた功績を讃えて、木下実行委員長より、過去三回入賞した南親会など5つのグループへの感謝状が贈られた。尾崎市長も惜しみない拍手。

開会はあいにくの雨模様から始まったが、二日目は晴天となり、参加も過去最高の4万1500人を数えた。特にうまかんべぇ〜祭は、急速に増えた駅近くのマンション住人と思われる子育て世代が子ども連れで参加する姿が目立つ。また、東大和市に居住する親のもとへ里帰りしてきて、子どもも一緒にお祭に参加する光景も見られた。

会場ではステージでの特別ゲストや市民団体パフォーマンスが繰り広げられ、同時に戦後70年に当たり、尾崎市長が世界と日本全国に発信している「西の原爆ドーム、東の変電所」と称される戦災建造物「旧日立航空機兜マ電所」の特別公開(パネル展示とガイドが常駐)が行われた。

また、東大和市の友好都市である福島県喜多方市の手打ちそばや、物産テントが今年も出店。東日本大震災から4年、変わらず絆を結んでいく意味が込められた。

さらに今年は従来以上に産業振興に本気で取り組む構えが、コンテスト出展ブース以外の盛りだくさんの協賛/協力ブースとして見ることができた。(森永乳業、イトーヨーカドー、東京ガスなど)。

グルメコンテストでは、グルメリポーター彦摩呂さんと1級フードアナリスト里井真由美さんをゲスト審査員に迎え、コイン投票にプロの視点を加味。東大和発「ご当地グルメ候補」創出への意気込みが感じられるものとなった。

熱きバトルの結果は、第一位「空龍(くーろん)」(市内中華レストラン)の「プリモチ海老ワンタン」、第二位「榎本豆腐店」の「小松菜おからドーナツ」、第三位「湖畔いきいきクラブ」の「ひがしやまと地場野菜ヘルシーキーマカレー」がそれぞれ受賞。

審査員特別賞はビッグボックス東大和 和食ななかまどの「大和まるごと包(パオ)スープ」が獲得した。それぞれ、実行委員長から賞状、喜多方市物産販売代表から副賞が贈られた。

南親会は、第一回グランプリの「大和どん」をさらにおいしくした「NEW大和どん」(小松菜ご飯にジューシーなから揚げを載せ、「南街梅」添え)で満を持して臨んだが、惜しくも4位。いつも地域防災自主組織で協力関係にあるマンション「ユニオンガーデン」の「茶々うどん」は5位にランキングされた。南親会では、今後はさらに地元自治会のお祭りへの協力など、地域に愛される存在となり、上位へのチャレンジを続けていこうと話し合っている。

老朋友 

上海国際問題研究院 呉寄南氏と。

すでに定年を迎えられているが、「生涯現役」として日中関係の発展に尽力されている。昨日は東洋学園大学で講義、今日もこれから都内で講演とのこと。

統一地方選 レポート5 

多くの市民と職員が見守る中、尾崎市長が二期目の初登庁


2015年5月1日、東大和市役所フロアにいっぱいの市民と職員が見守る中、尾崎保夫市長が二期目の初登庁を行った。

市長は職員を前にしてのあいさつで「市役所に来ると笑顔であいさつが行われることが、他市の評判にもなっている。これからもあいさつの響きわたる市役所であり、あいさつの響きわたるまちをつくっていきたい」「今の時代、仕事は行政だけでやれるものではない。常に市民の意見を聞き、つながりを大切に、市民と共に行っていくことをお願いしたい」と述べた。

尾崎市長は2011年初当選以来、「持続性のある行財政運営への転換と定着」「市民と行政が協働する市政の実現」など五つの基本姿勢を掲げ、市民と語り合うタウンミーティングを10回にわたって重ねてきた。また家庭系廃棄物の有料化(事業系はすでに有料化実施済)、ちょこバスのコース改定と運賃改定(値上げ)など「受益と負担」の関係についての的確な判断を下した。

今回の選挙戦では、各新聞が「元市長との一騎打ち」などと報道する中で、終始語っていたことは次のようなことだった。

「市長になった時『普通の人が市長になった』と言われた。市長としての活動の中で、これがいかに大切なことか、実感してきた。これからも常に『となりにいる市長』であり続ける」

「市長になってまず行なったのは、あいさつと財政健全化。これからも続けていく」「将来を担う世代のために今まで『貯めながら使う』として貯金をしてきたが、これからは『使いながら貯める』ことにする。現在の世代だけで使い果たすのではなく、また自分の次の人がどういうやり方を取るかもわからない中で、将来の世代に何を残すかを意識した市政運営をしていくということだ」。

結果は、19618票対13627票で尾崎さん再選。投票率は50.25%と前回52.52%よりも2.27ポイントの減となった。

 東大和市駅前で行った演説会。


深夜に出た結果を受けて、喜ぶボランティアの前で当選のあいさつ


15か所の投票所ごとの投票率を見ると、住民自身の今後の課題の一端が浮かび上がってくる。

前回の統一地方選以降の4年間は、東日本大震災と原発事故からの4年間でもあった。市民と公民館の共同事業としての放射線測定や、木造密集住宅地域の放水訓練など自主防災の活動を活発に行ってきた南街地域では、投票率の低下はコンマ以下、または微増の場所もある。一方、下がり幅の大きい地域は、高齢者の足の問題、新規居住者の多いマンション周辺などが投票率との関連を伺わせる。

これらの背後にある、地域の力で住民自身が解決していかなければならない課題。そこに向き合っていくこれからの4年間としていきたい。

窪田・富里市議、4選を果たす。


統一地方選 レポート4 

今回の統一地方選は幸いにして、都知事選、大阪府知事選がないため、「国政の代理戦争」という要素を絡める余地が大幅になくなった。それぞれの地域の問題をめぐって論戦を交わし、地域のこれからを考えて一票を投じるという、「自治の力」が試される本来の地方選挙ということだ。「与野党対決」に注目していたのでは見えてこない、住民自治の「新しい現実」がどこまで見えてきたか、それにどのように関わり、そこから住民自治を涵養する上で生きた教訓を得ることができたのか。選挙戦の総括は、このことを外してはない。

 全般的な傾向を見れば、四年間の日常活動をマニフェスト的に規律化し、集積してきたところ(個人、チーム)では、投票率低下のなかでも前回より得票を伸ばし、投票率低下も小幅に抑えている。

 赤松・和光市議会議員は、前回より約二倍の得票で、堂々の二位当選を果たす。前回は、まちづくりの仲間に推されての出馬。四年間ほぼ毎日駅に立って活動報告(あいさつではなく)をやってきたことを、市民はちゃんとみていてくれたんだろうと。



神尾さんは、前回より1・75倍の得票で、江戸川区議に初当選。地域や職場(介護)、ママ友など現場で築いてきた信頼関係のうえに、(政党との関係はありつつも)あえて無所属を貫いた。



 中里・江戸川区議は前回より1.4倍の得票(右)、江副・江戸川区議は微減ながら再選を果たす(「全員でバンザイをしてしまい、写真を撮りそこねました」って、まあ最後までどうなることかハラハラしていたから、仕方ないよね。)


(右)石原・市川市議は前回より300票増やして再選。(左)津曲・船橋市議も再選を果たす。

尾崎・東大和市長も、前回より5000票余り伸ばして再選。



前半戦/「一議員一NPO」を信条とする四方源太郎・京都府議が再選を果たす(右)。堀添・川崎市議は捲土重来を果たす(左)

まさに選挙は四年に一度の「非日常」ではなく、マニフェスト的に規律化された日常活動と、住民自治を涵養していく関係性の集積の集大成にほかならない。首都圏のユーレイと揶揄されるような地域性のなかで、はたして住民自治の涵養は可能なのか、という問いは局外者のものでしかない。住民自治の涵養・新たな担い手が育つ場づくり―その教訓と集積が、首都圏でも可視化されつつある。

統一地方選 レポート3 

選挙を非日常にしない

越谷では「政経セミナー」を軸に、二〇一一年の超党派マニフェストを毎年、市民参加で検証し、その集積のうえに二〇一五年マニフェストを作成した。(政経セミナーの取り組みは2014年度マニフェスト大賞を受賞。取り組みの内容は、ブックレット23を参照。)

 選挙戦では、マニフェストに賛同する議員・候補8名が共通のロゴを作成するなど、統一的に選挙戦を展開。とりわけ、期間中二回行われた合同街頭演説会では、会派も異なる候補者が駅頭に勢ぞろい。マニフェストの三項目を協力して実現する姿を「見える化」することで、選挙での集票も「奪い合い」ではなく、「市民参加の競い合い」の構造への転換を図った。 http://shirakawa.laccess.net/

 応援にかけつけた松本・和光市長は「議会が市民から見てつまらないのは、議論を避けるから。政経セミナーの候補は議論を恐れない。こういう議員が増えれば、議会はおもしろくなる」と激励。子どもを抱えて参加するボランティアが、その様子をすぐにSNSで広めていく。

 結果は6名が当選(新人1名)。白川議員は投票率微減のなか、前回より得票を伸ばし、上位当選を果たした。

 さらに白川議員は、今回は「選挙を非日常にしない」をテーマに、決起集会も市民とのトーク集会とした。参加した市民からは、政治や選挙を特別のことだと考えがちだが、日ごろのちょっとした疑問や改善は、実は行政や政治のあり方と関連していることを、最近感じている。地方議員に議論をしてもらうと問題点がクリアーになり、自分たちがどう動けばよいのか、理解しやすい。そういう議員を選ぼうと思う、との感想。

 選挙に向けたチラシも、投票権の18歳への引き下げをテーマに、普通の市民の日常的な政治参加=自治についての鼎談、という内容で、旧来型の選挙広報とは一線を画した。 http://shirakawa.laccess.net/wp-content/uploads/2015/04/e8d9a2263cbdd65a5e43b76a550e997b.pdf

 また選挙期間中も選挙事務所を設けず、日常行っている路地やスーパー前での辻立ちに徹した。


 まさに選挙は四年に一度の「非日常」ではなく、マニフェスト的に規律化された日常活動と、住民自治を涵養していく関係性の集積の集大成にほかならない。首都圏のユーレイと揶揄されるような地域性のなかで、はたして住民自治の涵養は可能なのか、という問いは局外者のものでしかない。住民自治の涵養・新たな担い手が育つ場づくり―その教訓と集積が、首都圏でも可視化されつつある。

統一地方選 レポート2 

「京都スタイル(民主党京都マニフェスト)」は、次の飛躍への踊り場に

当事者意識がもろに問われるのが、災害時の地域防災。3月14日から20日まで仙台で開催された、国連世界防災会議・パブリックフォーラムの一つ「防災と地域力〜地域包括ケアの実現にむけて〜」(主催:松阪市/みやぎジョネット)のシンポジウムで報告した、松阪市・朝見まちづくり協議会(人口2178人・846世帯)の物語が凄い。

朝見地区では400人から500人規模の防災訓練を10年間にわたり毎年自主的に開催し、その実効性について検証を深めているという。大きな転換点は、2007年の三重県中部地震。それまで「消防団長が言うから」と他人事で防災訓練に参加していたほとんどの人が、自分も含め訓練のようには全く動けなかった。

この反省から、意識を変え、訓練内容も見直しが迫られた。行政のマニュアルでは地域でうまく機能しない。地域自らが考えて、各個人や各町がどう具体的にこうどうすればよいかを示した「朝見自主防災行動マニュアル」を策定。また「災害時協力協定」として、一刻も早く救助活動を行うために重機などの車両や資材の提供を受けることが必要なことから、地元企業25社との協力協定を結んでいる。

従来は、企業や業界団体が行政との「防災協定」を結ぶ場合がほとんどで、当事者たる住民は不在(守ってあげる対象?)である。「災害の安全神話など、どこにもない」「わが地区からは一人の犠牲者も出さない」という信念と、心意気、地域ぐるみの本気の防災訓練が評価され、2012年には全国規模の「防災まちづくり大賞」を受賞した。課題は、向こう三軒両隣の近所力の再構築による、地域力や防災力の向上だという。

京都でも一昨年、昨年と従来考えられなかった規模の水害に見舞われた。前回の統一地方選が3.11直後であったことから、「地域の防災力」もマニフェスト(政党によれば「公約」)の政策課題に上がったが、だからこそ。その実効性と本気度が問われた。

二回のマニフェストサイクルを回してきた「京都スタイル(民主党京都マニフェスト)」も、「災害に強い京都をつくります」(民主党京都市会議員団マニフェスト2015)を掲げ、各区で設置された地域自主防災組織の実効性をどのように本物にしていくのかが、検証される。

京都市会議員選挙(左京区)で四期目の当選を果たした、隠塚功議員は選挙戦最終盤の個人演説会で、「阪神大震災で、リスクをとるべき政治の役割を強く感じたのが、政治へのはじめての志」「3.11以降、京都市内各区に自主防災組織ができ、災害リスクには対応できているようにみえるが、これから先の新たなリスクを私たちには見えているのだろうか」「京都市内の公立中学校の四人に一人が要就学支援生徒という事実に、私たち自身が向き合えるかどうか」「若年層の所得が安定し、住み続けられることなくして、だれが将来の京都市を支えるのか」と、問いかけた。


京都府議会議員選挙(中京区)で三期目の当選を果たした、田中健志議員は選挙期間中、実に18箇所(各学区)での個人演説会・ミニ集会を開催。地元小学校区の児童生徒の通学の安全(交通事故リスクの低減)、地域固有の災害リスクと向き合う活動、竹間学区のみなさんからの相談から出発した、危険ドラッグ撲滅の取り組みからの府条例の制定(京都府内の危険ドラッグ店の一掃)、さらには会派として取り組む議会改革について訴えた。

ほかにも、宇治市議会の民主党会派マニフェストの運用サイクルの推進役として二期活動し、今回の市議会選挙では、選挙ポスターに政策(マニフェスト)の骨子を刷り込み、街頭で「選挙ポスターを見たら、その場で話しましょう」と訴え、行動し自らもトップ当選。激戦の中、新人を含む6名の会派候補全員の当選を果たした、真田淳史議員(三期目)。

マニフェストサイクルの新たなステージを切り拓く、それぞれの活動報告の詳細は「一灯照隅」に順次掲載する予定。

統一地方選 レポート1 

住民自治の涵養につながるマニフェストサイクルは「維新政治なるもの」を寄せ付けず

〜八尾市長選挙で田中誠太市長が三選〜

2007年の八尾市長選で「八尾マニフェスト」をかかげ、現職を破って当選以来二期八年間、四年ごとのマニフェスト検証大会(いわゆる「決起集会」)を起点にマニフェストサイクルを回し、一昨年には三年の準備期間を経て28の小学校区すべてに「まちづくり協議会」を設立、新しいまちづくりをすすめてきた田中誠太市長に挑戦したのが、大阪維新の会推薦の大松・元八尾市議。

大阪維新の会の幹事長でもある、松井・大阪府知事の地元八尾市は、統一地方選後半戦の焦点の一つとなった。選挙戦最終日には、松井知事は八尾に張り付き大松候補とともに大阪維新の会の大型シースルー宣伝カーに。

一方田中市長は、最終二日間だけでも100回の街頭演説、スポット演説、個人演説会をやりきった。「たいへん厳しい選挙戦」(田中市長)であったが、結果は投票率47.49%、・田中誠太 60、945票(得票率61.1%)・大松佳右 38,841票(同38.9%)。当選が決まったあと、田中市長は「対立を生む維新政治ではアカンと八尾の有権者は判断した」と勝利宣言。

出陣式以来、田中候補は重ねて「絶対に負けるわけにはいかない戦い」と強調。今回の市長選は「維新対反維新」や「大阪都構想の行方を占うもの」ではなく、二期八年にわたって住民とともに積み重ねてきた地域分権のまちづくりや、八尾の文化や歴史を破壊する、維新政治との自治をかけた戦いであることを明らかにした。

選挙戦最後の個人演説会で、田中候補は「維新政治なるもの」について、府市8兆円におよぶ債務残高はもとより人口減少・生産年齢人口減による税収減や、広がる若者の貧困の事実を直視せず、府政でも市政でも敵を人為的につくり、対立をあおり、政治と行政を停滞させ、住民自治の伝統・地域の文化や歴史を破壊するものと喝破した。

そもそも「大阪都構想の是非を問う住民投票」(『日経』4/28)なるものは存在しない。五月十七日に行われるのは、政令都市制度始まって以来初の政令市大阪市廃止と五つの特別区を設置する「特別区設置協定書」に賛成か反対かの住民投票である。220万人の有権者を対象に、大阪市が作成した説明パンフレット(唯一の公式文書・都構想説明会のテキスト)には、わずかに大阪市長・橋下徹の「私の考え」として「大阪全体のダイナミックな発展を実現する大都市戦略が必要です」と書かれているのみである。「激論・市民を二分」(『朝日』4/27)「大阪都構想の賛否を問う住民投票」(『読売』4/27)というミスリードは、まさに「維新政治なるもの」を助長している。

一方、のべ32,000人の市民が参加した大阪市主催の「都構想説明会」最終日には、「5・17まであと少し。大阪の空気を変えていこう。私たちは話し合いを軽んじない。正確な情報と論理的な整合性を見極める市民であり続ける。成長とは何か、どんな大阪に住みたいのか自分たちで考え発言する。私たちがそれをする限り、決して負けないと感じた説明会でした」という参加者からのツイートも(@SADL_OSAKA 4/27)。

大阪でも、この「都構想バブル」の騒動をつうじて、生活からの民主主義の芽が生まれはじめているのかもしれない。

For 復興(425)@南三陸 

4月25日は被災地応援ファンドhttp://oen.securite.jp/立ち上げの日。ということで、毎年、出資先の事業者さんを訪ねるツアーが行われている。(セキュリテ被災地応援ファンドは、震災直後の4月25日、6社が参加してスタートした。)

今年のテーマは「3.11後にできた新しい施設」。南三陸をメインに陸前高田、気仙沼を駆け足てめぐってきた。カタチが見えてきたことで、復興の歩みもより具体化されるだろうということと同時に、震災直後とは異なるフェーズでの、「がんばろう」という気持ちだけではクリアできないハードルも、見えてきているように感じた。

まず訪れたのは陸前高田の「箱根山テラス」。嵩上げ工事で土ほこりが舞う中心街から離れたところ、広田湾を見下ろす山の中腹に作られた宿泊&研修施設。http://www.natsu-mi.jp/

土運びが今年終了、盛り土の完成が平成30年(3年後)と、なかなか復興が見えないなか、やがてできる新しいまちに人のにぎわい、生業を取り戻すために今から取り組もうと、陸前高田の経営者たちが立ち上げた「なつかしい未来創造」株式会社。http://www.natsu-mi.jp/

そこから巣立った事業のひとつが、この箱根山テラス。

代表の長谷川さんは陸前高田の建設会社を経営。3.11を契機に、建設業と平行して木質バイオマスによる地域熱供給事業にも取り組んでいる。箱根山テラスの建物のエネルギー効率はバツグンらしい。


この日は6月並の気温ということもあって、日差しがまぶしい。お昼は広田湾を望むテラスでいただく。地元の食材をふんだんに使い、味付けには八木澤の調味料。ドライトマトとの相性がいい。

八木澤の河野社長は、土ぼこりだらけの街中を離れて、ここで陸前高田の新しいライフスタイルを考えてもらう、そういう場所として作ったと。

続いて、同じ陸前高田のお菓子工房「木村屋」さんの新店舗と、おしゃれな雑貨を扱う「いわ井」さんへ。。


木村屋さん、いわ井さんは、ともに仮店舗で営業していたが、木村屋さんは今年3月、本格営業となる新店舗を開いた。息子さんと二人、笑顔で迎えてくださる。店内は人気の「夢の樹バーム」や特産の「ゆべし」をはじめ、おいしそうなお菓子でいっぱい。なんとおみやげに、いつも午前中で売り切れとなるシュークリームを一人2個も頂いた。


いわ井さんは仮店舗。嵩上げ工事とその後の区画整理で、仮店舗の土地からは立ち退かなければならない。嵩上げ工事後の土地に本格店舗を作る予定ではいるが、仮店舗を立ち退いた後、本格店舗の立ち上げまで、間が空いてしまう。ここをどうするか、悩みどころとのこと。

今回は他にも、仮店舗での生産を再開したが、そこが立ち退き対象区域となり、立ち退く際には更地にして返さねばならないことに加え、仮店舗建設に使った補助金の返済を求められるという、「踏んだり蹴ったり」状態という問題も、事業者アンケートには書かれていた。



続いては3月31日にオープンしたばかり、気仙沼のアンカーコーヒー、マザーポート店へ。3.11前からの「アンカーコーヒーらしさ」にこだわったこともあって、建設用地の選定などに手間取り、4年目にしてようやく満を持してのオープン。おりしもこの日は、代表の小野寺さん(ヤッチさん)の40歳の誕生日。みんなでハッピーバースディを歌ってお祝い。

地域の人たちや震災を通じてつながった人たちがの「母港」のようなところにしたい、とのヤッチさんの想いが、あちこちに感じられる洗練された温かさに満ちたお店だ。



夜は南三陸「さんさん商店街」で、「おもてなしの宴」。事業者さんから提供された食材が、斉吉の和枝さんによっておいしい料理の数々に。酔仙さんのお酒も最高!佐藤町長も駆けつけてくださった。

ここで重大発表が! さんさん商店街は、震災後いち早く、仮設店舗での営業を開始して地域のにぎわいを取り戻してきた。南三陸でも嵩上げ工事のメドがつき始め、早いところでは今年の秋には受け渡しが可能になる。そこで新たにまちづくり会社を立ち上げ、2016年をメドに商店街の本格的な操業を目指すとのこと。

ついてはその資金確保のために、新たなファンドを立ち上げたときには、ぜひご協力をと。

南三陸・志津川地区は、「四天王」ともいわれるヤマウチ鮮魚店、及善蒲鉾、ヤマセン、伊藤さんが復興を引っ張ってきた。最初にファンドに参加した山内さんは、説明会で「3年のうちにカタチにできなければ、まちから人がいなくなってしまう」と言っていた。ようやくカタチがみえるところまでこぎつけてきたが、この先の道のりはまだ長い。引き続き、伴走が必要だ。

新しいまちづくり会社は、復興市をリードした山内さん、さんさん商店街をリーどした及善さんから、ヤマセン・三浦さんがバトンを引き継ぐ。それぞれ、息子さんたちも仲がいいとのことで、頼もしいかぎり。


南三陸での宿泊は泊崎荘。高台にあるため、震災のときは被災した人々の避難所として地域のお世話をしたとのこと。

すぐ隣には仮設住宅が(写真手前の平屋)。考えてみれば当たり前のことだが、仮設住宅は津波の被害を受けなかった地域に建てられている。四年たって、回りには3.11以前の暮らしがそのままある、というのは結構キツイだろうと思う。仮設のなかでも、新しいところに移っていった人もいて、暮らしの再建のメドが見えない人にとっては、厳しさが増しているのではないだろうか。


二日目は、歌津小太郎の千葉専務と社長の案内で、歌津地区を見学。入り組んだリアス式海岸で、小さな漁港が点在する三陸地方。歌津小太郎の工場があったのは、そんな港のひとつで、三つの地区の頭文字を合わせた「ばなな漁港」(馬場、中山、名足)。


津波を何度も経験しているため、逆に「ここまではこない」という思い込みがあったとのこと。小太郎社長は、駆け上がった裏山の神社から、何十年もかけてコツコツ積み上げてきたものが、ものの15分ですべてなくなっていくのをただ見ていたと。「怖いとか、何にも感情がわかなかった」。それでも「みなさんのおかげでここまで来れた、日本人で本当によかった」と。

歌津小太郎の新工場は、現在の工場に隣接して建設中。これができると、より高度な本格的な生産が可能になり、今は引き合いを断らざるを得ない全国のデパートなどでの販売にも対応できるようになる。

建設資金は4億円。補助が出るので自己負担分は8千万。そのうち4千万をファンドで調達しようという計画。ファンドで調達した資金は、10年間返さなくていいお金、かつ、最悪の場合、返済しなくてもいいお金(そこまでのファンがいる、という信用力)なので、金融機関からの融資の「呼び水」となる。いわば、一万円の出資で二万円の資金を作ることができ、それが地域の復興につながる、というワケ。 (歌津小太郎こぶ巻きファンド、募集中!)


お昼は復幸市、そして伊藤さんの案内で志津川地区を見学して、再びさんさん商店街へ。

復幸市は、震災直後の4月の最終日曜日からスタート、現在まで毎月開催されて、南三陸の復興を引っ張ってきた。

震災直後、以前から親交のあった全国の商店街が、南三陸の支援に駆けつけた。そのなかから「商売をやろう」と。売るものをすべてなくした被災地の商店のために、全国の商店街が売るものはもちろん、つり銭まで用意して駆けつけた。しかも、帰りには売り上げを置いていった。そのセリフが憎い。「相撲は一人じゃできないんだよ。お前ら早く土俵に上がって来い。もう一度、勝負しよう」と。

及善さんは「オレの勝負エプロンだ」と、そのときの寄せ書き(もうだいぶ薄くなっているけれど)を書いたエプロンを見せてくれた。復幸市で及善蒲鉾の看板を掲げて売ったのは、九州のジャコ天をはじめ、各地の名物かまぼこだった。


伊藤さんの案内で、志津川中学校から南三陸のまちを見下ろす。嵩上げが進み、これからのまちのカタチも、少しずつイメージできるようになってはきた。一方で三陸自動車道の開通で、志津川も通過点になってしまうかもしれない。そうならないためにも、いかに魅力的な商店街をつくるか、それが一歩だと。


八木澤商店・河野さんは、復興支援の物販売り上げが低下、これからは自力本願で被災企業の看板を外して商売していきます、と言っている。

震災から五年目に入った。壊滅的な打撃をうけたところから、少しずつ、新しいまちをイメージできる環境になってきたと同時に、だからこそ新しい課題、新しいハードルも見えてくる。アップデートされていく状況に対応して、今後とも未来のために、できるだけ誤りのない選択をしていかなければならないだろう。

沖縄にて 

4月13日から沖縄へ。今回は稲嶺・名護市長、我部・琉球大学教授のインタビューがメイン(423号 5/1 に掲載)。 辺野古の基地前座りこみは、この日で281日目。雨と風がけっこう強いなか、多くの市民がテントで座り込み。「島ぐるみ会議」が、那覇市内から毎日バスをチャーターしていて(現在では他の地区からも出ている)、それを使って普通の市民が参加する。

座り込みのようすを取材した番組がコチラ http://headlines.yahoo.co.jp/videonews/nnn?a=20150423-00000078-nnn-soc!


名護市役所は、さすが沖縄という建物。

やはり「平和の礎」に。


沖縄戦で亡くなった全ての人―沖縄の人、本土の人、韓国・朝鮮の人、台湾の人、アメリカの人、イギリスの人―一人ひとりの名前が刻まれている。ひとりずつ、名前を声に出して読んでみると、「死者二十万人」といわれるのとはまったく違う、戦争のイメージが広がってくる。

こうした追悼施設は、残念ながら日本ではここだけ。


今回は北部を訪れたので、ヤンバルクイナにも会って来た。

国頭村の生態観察施設にいる、キョンキョンちゃん。地元の人が見つけた卵から人口孵化した5羽のうち、一番アイドル性があったのが、キョンキョンちゃんだったとのこと。自然のヤンバルクイナは警戒心が強く、こんなに近くに寄ってくることはないのだそうだ。

ヤンバルクイナが「発見」されたのは、本土復帰の後。飛べないのは、雑食で何ても食べるため、エサを探して飛ぶ必要がなかった、と考えられている。そのかわり走るのは早くて、トップスピードは時速40キロにもなるという。

一時は絶滅が危惧されたが、いまでは1300羽程度に回復している。ただ、エサのミミズなどを求めて道路に出てきて轢かれる、という事故が、昨年だけでも70件ほど起きている。そういえば、ここへ来る山の中の道では「ヤンバルクイナ飛び出し注意」とか、「リュウキュウヤマガメ横断注意」とか、「ケガネズミ横断注意」といった看板を何回も見かけた。この道、本当に必要だったのかな?

越谷政経セミナー 合同演説会 

市民も交えてつくった「みんなの越谷マニフェスト2015」をかかげる埼玉政経セミナーの候補者8名による合同街頭演説会。4月22日に続き、23日も開催。松本・和光市長も応援にかけつけてくださった。首長にとっては、議員一人が「正しいこと」を言うよりも、議員がまとまって発言したり、提案したりするほうが、ずっと影響がある。超党派で共通のマニフェストをかかげて選挙を戦うのは、今回で二度目の試み。議会を、市民にとって身近で重要なものにしていくためのイノベーションの一歩。結果にもそれが表れてくるといいのだが…

松本市長の応援演説は、コチラ→http://shirakawa.laccess.net/

統一地方選・前半 京都 


隠塚功・京都市会議員が4期連続当選!


「当選させていただいた」田中健志・京都府会議員が大接戦を制し当選!(写真は、龍池学区での個人演説会のもよう)

ほかにも、越田謙治郎・兵庫県議会議員(2期)、山本拓史・京都市会議員(3期)、四方源太郎・京都府会議員(2期)、浦口高典・和歌山県会議員(4期)が当選。長岡京市議から京都府議会選に転じた堤淳太会員も28票の僅差で当選した。

京都府会議員に初挑戦した、茜拓也会員、岸本哲会員はいずれも惜敗。京都市会議員に2期目の挑戦をした、中島拓哉会員も苦杯をなめ捲土重来を期す。

選挙を「非日常」にしない 

「みんなの越谷マニフェスト2015」発表

  マニフェスト2015素案の全戸配布を受けて、埼玉政経セミナーは特別講座としてマニフェスト発表会を開催した。党派・会派の違う候補者が一堂に会することが、一般参加者にどのように受け入れられるかのハードルは依然として存在しているが、まずは議会機能の回復と“議会の常識は社会の非常識”を正す、市民生活に直結する議員との約束ごとで、一致できる政策の整理された「マニフェスト」への期待感が上回り始めている実感を双方が感じた会であった。

 これで当初の手続きのすべての作業を完了し、正式スタートすることになったわけで、4月に行われる統一地方選の市議選共通政策として、各候補独自の政策と合わせて、8名(現職5、新人3)の候補者の共通政策として扱われる運びとなった。それに先立って、候補者ポスター・公選ハガキ・リーフレット・チラシ等への共通ロゴマークを表示することや、各候補者の選挙事務所に政経セミナーに集った8名のポスターを貼り、PRすること、選挙期間中の中日に駅頭統一街宣活動を実施することなども決定した。

「白川ひでつぐと共に未来を語る集い」


 3月29日、「白川ひでつぐと共に未来を語る集い」を開催。旧来の「決起集会」に代わる集会)では、1か月前に近隣吉川市の市長選で5期目挑戦の現職を破った中原新市長(44歳)への参加要請を成し得たことで、決起大会でよく見かける主催者の一方的な押し付け演説会とは全く違った、パネラーと参加市民のフラットな関係性を創り出そうとした企画が、大半の参加者に好印象と受けいれられ、3名の女性パネラーの日常地域で起こっている個人的な問題が、市民目線でのやり取りと相まって、いわゆる肩の凝らない“場づくり”と雰囲気をつくりあげられたことは、特筆しておきたい。

  白川議員が、選挙を非日常化しないこと、ボランティア選挙であること、市民参加型の「市民の役割と責任」を明確に問いかけること、を実践させていく「チーム白川」の「越谷がどうなっており、どうなりうるか」の問いかけでもあった。

佐井村に漁村歌舞伎を見に行く 

青森県の下北半島に位置する佐井村。ここに伝わる漁村歌舞伎(青森県無形民俗文化財)を見るツアーに参加した。

佐井村との出会いは「東北食べる通信」2014年12月号。その後、3月の車座集会で、大学のある神戸からやってきた一真君に会い、全国でもめずらしい漁村歌舞伎とともに、彼の育ったところを、ぜひ見てみたいと思った。

3月21日午後2時、大湊線「下北」駅に集合。ここで、地域おこし協力隊として佐井村で活動する園山さんと合流、ワゴン車で一時間ほどかかって佐井村へ。途中、北限の野生のおサルさんたちに出会う。


佐井村には仏ケ浦という絶景がある。長い時間をかけて、風雨や海流によって侵食された、緑色凝灰岩の奇岩群。案内してくれるのは、佐井村の漁師、福田さん(写真右。左は園山さん、右は福田さん)。

仏ケ浦は年間何万人(8万人だっけ?)もが訪れる観光地(シーズンには青森からの高速船アリ)で、福田さんは漁師のかたわら、その案内もやっている。


とはいえ、仏ケ浦は漁師にとっては「神の座す」神聖な場所。毎年、供物をささげて漁の安全と豊漁を祈願する。地蔵堂には、海で亡くなった人たちの着物が奉納されている。また「蓬莱山」とか「極楽浜」「如来の首」など、奇岩の名前も仏教にちなんだものが多い。

緑色凝灰岩が溶け出した海水のエメラルドグリーンが、とても神秘的だ。海は少し時化気味のようだが、寄せては砕ける波はいつまでも見ていて飽きない。


夜は佐井村牛滝地区で、地元漁師のみなさんとの交流会。まずは、取れたてのヤリイカの捌き方を教えてもらうところから。最初はおっかなびっくり、でも、そのうちに結構慣れてくるもので、調子に乗って全部捌いてしまい、食べ切れない羽目になる。(ちなみに翌朝も、取れたてのイカ刺、お昼もイカ丼!)

ほかにも「どうぐ」といわれるタコの内臓(味噌汁がおいしかった)や、カレイの煮付け(ちょっと味付けが残念)、生ワカメ、ちゃんちゃん焼きなど、盛りだくさんの料理を囲んで、日付が変わるまで飲んで語り明かした。最後のほうは、共同体の存続が危ぶまれるような地域の現状について、かなり熱い議論が交わされたのは「食べる通信」ならでは。

「食べる通信」高橋編集長いわく。他の船より、他の漁師より少しでも多く獲ろうとするのが普通なのに、集落の存続ために協力し合おうというのが牛滝の若い漁師、こんなにみんなで力を合わせてやっている漁師はめずらしい、とのこと。

翌22日はいよいよ漁村歌舞伎。かつて北前船の拠点として栄えた佐井村には、京都の文化が伝わっている。また青森ヒバの産出も、地域に大きな富をもたらした。こうしたことが、全国でもめずらしい漁村歌舞伎を育んだ背景になっている。

とはいえ、今でも歌舞伎が行われているのは「福浦」地区と「矢越」地区のみ。福浦地区は明治中期に招いた歌舞伎役者から伝習し、一家で一役を担う世襲制として口伝で継承されてきた。セリフは方言交じり。ただ、人口が減り、役者も少なくなったため、演じられなくなった演目もある。また口伝だったセリフも、保存のために手書きの台本になった。

矢越も、同じ歌舞伎役者からの伝習だが、いったん消滅、その後復活するも、後継者不足で衰退。なんとか保存しようと年齢、性別を問わない「保存会」を結成して、今に至っている。

福浦も矢越も、「余興」の域をはるかに超えた感動もの。


左:化粧した方が、右:三番叟を舞う


舞台を清めるために舞う「三番叟」は、福浦と矢越では、ずいぶん趣が違う。


福浦の演目は「一ノ谷嫩軍記」。「平敦盛」としてわが子の首を取る熊谷の衷しみが、所作を通じてビンビン伝わってくる。友情出演ともいうべき、江差の餅つき囃子は、そのにぎやかさで大いに盛り上げるし、締めの神楽は迫力満点。


矢越の演目は「絵本太閤記 夕顔棚の場」と「白波五人男」。こちらもなかなかの力演で、「白波五人男」の有名なシーンには大喝采。

福浦でも矢越でも、舞台を盛り上げるのは地元の観客。演目が始まると、おば様たちが「お花」を舞台に叩きつけるように置いていく。バンッとやるのは、景気づけなんだとか。真似してやってみたら、思い切り、手の平が痛かった。

日も暮れて、帰路は暗い道を来た時とは逆に、大間〜風間浦を回って下北へ。陸奥湾、津軽海峡、太平洋に囲まれた下北半島は、「厳しい自然環境」という印象があったが、そこにあったのは豊かな自然の恵みと、北前船に象徴される歴史と文化、そしてそれを担う人々の営み。それを「限界集落」の一言で括ってしまうのは、思考停止以外の何ものでもない。

たしかに状況は厳しい。しかしだからこそ、佐井村では青森県では先駆ともいわれるような議会改革の取り組みがある。また、地域おこし協力隊の園山さんたちは「下北半島食べる通信」を立ち上げた。http://taberu.me/shimokita/

「創刊の思い」は述べる。「数百年前からずっと、海運を通じて、さまざまな場所とつながった下北半島。ここでの暮らしは、自給自足ではなく、他の地域とのつながりを活かすことによってできあがってきました。

そして現代、私たちは新しいつながりを必要としています。食べ物を通じて、下北半島とみなさんの、新しいつながりを、いっしょに作り出していきましょう」

新しいつながりを、またひとつ見つけた。


「社会サロンat京町家」で、ソーシャルイノベーションを語る 

3月9日第一回「社会サロンat京町家」を開催。

 江湖館(同志社大学・京町家キャンパス)のネーミングは、「多様な人々が集い社会問題を解決する糸口を見出す公共空間」という含意から、日本最初の明治の新聞『江湖新聞』にも用いられた中国の故事「江湖」(官に対して民=世間の意)から来ているという。今里滋先生(同志社大学教授)のソーシャルイノベーション論は「世直し・人助け」「現世を天国に近づけていくプロセス」(『日本再生』425号インタビュー参照)。


 今里先生の講話は、米NPO「TFA(ティーチ・フォー・アメリカ)」がなぜアップルやグーグルを抜いて学生の就職希望第一位になったのか?の問いかけから。教育困難地域で絶望の淵に追いやられている子どもたちの気持ちを入れかえ、勇気を与え、やる気を出させるTFAで鍛えられた人材育成能力が、企業においても社会においても、人の無限の可能性を引き出すことにつながっている。

バングラディシュでソーシャルビジネスと組む、フォルクスワーゲンやダノンは「社会企業」という標榜だけではなく、その企業行動において消費者から評価され、購買のインセンティブになっている。また、同志社大学から東京銀行勤務を経て、中南米からアメリカへの出稼ぎ移民のIT送金サービスを「チャンスを与えることのできるインフラづくり」(世界40億人を優良顧客にする金融モデル)として社会ビジネス化した、杤迫篤昌(とちさこ・あつまさ)氏のモデルは、今ではFRBも採用し世界の金融システムを変えつつある。

行政の下請けや、社会の隙間を埋めるという日本では既成観念化したNPO観を打ち破る、ソーシャルイノベーションのメインストリームが示された。

 1985年から今里先生ご自身が、福岡の筥崎(はこさき)で取組まれたまちづくり協議会の活動を振り返り「日本の住民自治の伝統には、地域経営の思想がある」ということが強調された(『日本再生』425号参照)。

戦後日本の都市部でそれが「行政依存型」に変質した中では、自前の公共空間をつくり経済的にも持続的な自治の活動を続けていくことが不可欠との教訓も。戦前戦中に「町内会」が軍や行政の命令系統の強力な末端組織となってきたことから、戦後その共同性も全否定され、行政を補完する縦割り組織に変わったこと(命令からお願いへ)、行政との馴れ合いや前例踏襲の延長からは創造的なものは生まれない。

 「学生を有機農業者に育てる」プロジェクトには、「10年後に、学生の就職希望10位以内に農業をランクインさせる」という目標がある。すでにプロフェッショナルになった三人のうちには、年間1200万の収入(売上ではない)を得るものも。同志社農場のある京都市大原地区では保育園も復活したという(就農希望に対し農地が足りない状態)。

さらに意欲的な試みは「野間プロジェクト」。京都の最北端、京丹後市弥栄町野間地区は、高齢化率68%。「二地域居住モデル」をめざして野間に入った学生からは「野間は最高のテーマパーク」という声も。野間の活動を紹介するパブリケーションビデオは、学生たちが作ったラップミュージックに乗せて流される。

 公共空間としての「サロン」にふさわしい雰囲気で、参加者から今里先生のお話への感想や自己紹介が述べられる。

「地域に貢献する建設協同組合を目指しているが、本来地域に根ざしている組合員に依拠した活動の、ひとつの答えが今日のお話から得られた」(30代組合職員)。

今里先生門下の大学院卒業生(50代の京都府瓦工事業組合理事長、京町家のオーナー・59歳で博士号)も参加し「先生からはいつも新しいお話が聴ける」との驚きが。

自治体議員の一人は、「本気でやればできるんだなあ、というのが素直な感想。地域力が落ちている中、誰かが提案して引っ張っていく重要性を今更ながら痛感した」。

自分の職場(外資系ホテル)でも、同志社農場ゆかりの野菜が使われていますという声も(世間は狭い!)。

 戸田代表からは、「世の中を変えるためにどういう人たちが必要かが、見えているかどうか、そのためにはどういう人物をこの地域にもってくるか、ここのマネジメントが決定的に重要」「やる気はあるんですが、時間がなくて、お金がなくて・・・は本気ではないだけ。補助金頼み、他力本願からは何も生まれない」とのまとめが。

政経セミナーや囲む会とは違う雰囲気の中、京町家での論談は夜遅くまで続いた。

(杉原卓治)


3.11を原点として 

3.11から四年。被災地では大規模堤防やかさ上げといった巨大事業は進んでいるが、生活の再建、コミュニティーの復興を実感できるところと、そうでないところとの格差は、むしろ開いているといってもいい。阪神淡路大震災の被災者からは、「むしろ四、五年目ころが一番きつかった」という話も聞く。気持ちだけでは越えられない、具体的なハードルが否応なく見えてくる時期かもしれない。

3月11日。神田にある「かき小屋 飛梅」では、「3.11あの日を忘れない〜東京で語り継ぐ東日本大震災」の集いが開かれた。「かき小屋 飛梅」は、被災から立ち上がる三陸の生産者さんを支援するために開いたお店。震災でいったん失った販路は、そう簡単に元には戻らない。事業再建にあたっての大きな課題のひとつ、販路の開拓を支えるために、消費地・東京に生産者の作ったものを直接届ける拠点をつくろうと。



石巻の酒造・平孝酒造さん、東松島のかき養殖会社・和がきさん、綾里漁協恋し浜の漁師・佐々木さん(写真右)、牧浜の牡蠣漁師・阿部さん(写真左)、雄勝の水産会社・海遊さんが、代わる代わる3.11から今日までの歩みを語ってくれた。「かさ上げが済まないと、まちは次に進めない。でも、それを待っていても始まらない。今できることをやって前に進む、それしかない」と。

飛梅の原点もまた3.11。地震で、仙台市内の店はいろいろなものが壊れたりしたが、幸い従業員に被害はなかった。電気、ガス、水道が止まる中、自分たちにできることをと、お弁当を作り続けた。まず残っている食材をかき集め、続いて取引のある業者さんから分けてもらい、最初は卓上コンロを使い、次には知り合いの業者さんからプロパンガスを手配してもらい、といろいろな人に支えられたとのこと。

神田のかき小屋に続いて、津波によって大勢の犠牲者が出た名取市閖上に、食材工場を生産すべく準備を進めているところだ。

「忘れない」だけではなく、「3.11を原点に私たちはこう変わった」と五年後、十年後、二十年後にも言えるようにしたいと思う。


めざせ紅白! 配膳ボーイズ 

3月8日、冬に逆戻りしたかのような冷たい雨が降る六本木ヒルズで、「そこ」だけは熱い思いに満ちていた。

そこは「地域起こし協力隊 全国サミット」のイベント会場。各地から協力隊が集まっているなかで、ひときわ存在感を放っていたのが「真庭市」。四人の協力隊員とともに、市長をはじめとする応援団が約30人とか。 イヤイヤ、協力隊のみなさんに言わせれば、「地域起こしの主役は地域住民で、協力隊は黒子」。その本隊を代表する形で、「配膳ボーイズ」が「あなたに よそいたくて」をライブステージで披露した。


真庭市にある遷喬尋常小学校は、明治時代の建築物で、国の重要文化財にもなっており、映画・ドラマのロケにもたびたび使われている。これを地域の資産として活用しようと、卒業生が中心になって、遷喬尋常小学校でなつかしの給食を食べるイベントを開催している。この取り組みのなかから生まれたのが、「あなたに よそいたくて」。


作詞:豆腐屋、作曲:八百屋、薬剤師、とあるように、地元商店街の若手がつくって演奏している。兄貴的リーダーは、老舗割烹旅館の若旦那(元高校球児)。 すでにCDもできていて、この売り上げは、小学校の改修費用にあてられる。


配膳ボーイズの目標、それはCDを一億円売り上げて、紅白に出場すること!

住民自治の涵養としての地方選とは 

四月には統一地方選が予定されている。「幸いにして」今年は東京都知事選、大阪府知事選が行われないこともあって、「国政を占う」という視点から地方選を論じる余地は、ほとんどなくなる。 言い換えれば、まさに地域の課題―地域がどうなっており、どうなりうるのか―を、ちゃんと取り上げることができるのか、が問われることになる。 第四回総会(2014/5)、第140回・囲む会・特別編(2014/7)を踏まえ、住民自治の涵養・地域主体の地域再生の視点から、統一地方選の問題設定を共有するべく、総会(2/22 東京)、戸田代表を囲む会(2/23 京都)を開催した。

総会では、廣瀬・法政大学教授から、

@団塊世代が全員、後期高齢者になる「2025年問題」の前触れはすでに始まっており「元気なシニアが地域を支える」という構想の限界が見え始めている

A縮退する都市のなかで、いかに「暮らし」を維持していくか、という課題にどう向き合うか

Bそれに不可欠な住民自治の涵養の可能性〜所沢「エアコン」住民投票を例に

Cその媒介となる議会力とは、議員力とは

といった話題が、リアリティー満載で提起された。(詳細は「日本再生」430号 3/1)。

京都・囲む会では、2007年からマニフェストサイクルを回してきた民主党京都府連の活動を中心に、マニフェストを市民とのコミュニケーションツールとして使いこなす活動を、いかに深化していくか、議論した。

漁に出られない今だからこそ、新しいことに挑戦する 

福島第一原発事故の収束のめどが立っていないため、福島県の沿岸漁業はいまだに試験操業の段階。相馬の活魚を売りにしていた地元旅館の女将さんも、「以前は水揚げされた魚を市場からすぐに買っていたけれど、今は市場がないので、私らも市内のスーパーに行かないと買えない」。

「このまま待っているだけではダメだ」と新たな挑戦に立ち上がった若い(中堅)漁師の一人が、相馬の沖合底曳網漁船「清昭丸」船主・菊地基文さん。「東北食べる通信」二〇一三年九月号で紹介された「どんこつみれ」は、昨年十一月、復興グルメF-1大会で「どんこ肝つみれ汁」として優勝した。

 どんこは東北や北海道で多く水揚げされるエゾイソアイナメというタラ科の深海魚。鮮度落ちが早いため、首都圏や西日本への流通はごくわずかで、加工品もほとんどない。やわらかい白身に肝を混ぜたつみれは、フワフワの食感とこくのある味わいで絶品。相馬の冬の鍋料理には欠かせないものだった。

 相馬を訪れた日、お昼は地元旅館にお願いしてどんこボールの鍋をいただき、立谷市長にお目にかかった後、菊地基文さんにお話を伺った。

立谷市長と菊地さんのお話の詳細は「日本再生」430号(3/1)に掲載。以下に「少しだけ」菊地さんのお話を紹介する。

(菊地)水産業の問題っていうのは、漁業者だけでなく、地域全部がつながっているんです。獲ってきた魚を仲買人さんが買って、高値で売る。加工業者も原料を買ってきて加工して売る。相馬は加工は少ないんですけどね。旅館は地元の旬の魚で客を呼ぶ。そういうことが、今はまったくできなくなっていて、水産業全体が疲弊している。

 保障金が出るうちはいいですけど、それをあてにしていたらダメになってしまう。年配の人のなかには、自分の代はそれで食えればいいや、と思っている人もいる。若いヤツは若いヤツで、週に一度の試験操業でサンプルの魚をとるくらいしかなくて、それ以外は日雇いの仕事をしていたりする人もいる。仕事を覚える機会も限られるし、動いても漁はできない。そういうもどかしさもある。

 ただ最近は、新しい漁法を覚えたり、また相馬は加工が少なかったんですが、これからは加工もすごく大事だと思うんで、それを漁業者でやっちゃおうと、いろいろ動いているんです。どんこボールは、とりあえず形にして見せようと、個人でやっちゃいました。おもしろがってついてくるヤツがいたりするし(笑)。

 どんこボールは、あんまり小売店には出したくないんです。価値を認めてもらえる小売店ならいいんですけど、やっぱりスーパーに並ぶと「つみれ」っていうカテゴリーになる。でも、青魚のイワシやアジのつみれと全然違うじゃないですか。だから飲食店とか旅館、そういうところをターゲットにしているんです。相馬で食べられる、というところを大事にしたい。元々ここの食文化なので。

 個人的には、本格操業が始まったら、辞めていく人が出てくると思うんです。今は保障でメシ食えるけど、保障が切れたら「じゃあ引退すっぺ」という人が出てくるんじゃないか。そこを、どうにかしなきゃなんない。  年配の人が辞める分にはまだいいけど、後継者の世代がそうなったら、本当に死活問題。本格操業になったときに食っていけないと、稼げる漁業じゃないとやっていけない。

 本格操業になったときには、そのときの魚の値段じゃ絶対にやっていけないと思う。福島の魚のブランドもゼロになってしまったし。資源もいくらか回復しているので、当面は魚価の低下はガサ(量)で補えると思うけれど、いずれ漁獲量も右肩下がりになる。そこをどう補填するかと考えると、どうしても底上げと加工が必要。いままで見向きもされなかった魚、市場で蹴飛ばされていたような魚に付加価値をつけるということ、それと加工業。

 これまで価値のなかった魚に値がつけば、高値で取引されていたカニとかマグロとかアンコウとか、そういうものを獲らなくても生計を立てられるようになる。高い魚を乱獲することがなくなれば、資源保護にもつながるはずだと思うんです。

 でもこれは壮大な考えで、そのためにはかなりのお金と人と時間がかかると思う。逆にいうと今、そういうことにあてられる時間はあるんで、これからの漁業者という目線で動いているんです。漁に出られない今だからこそ、新しい挑戦のときだと思うんです。(以上)

菊地さんの映像 東北復興カレンダー2012/10/31 http://www.re-tohoku.jp/

「どんこつみれ」はここで買えます。 相馬本家 http://www.soma-brand.jp/2015/02/12/id-1865/

ローカルベンチャーが担う西粟倉村の挑戦 

二月九日から十一日にかけて開催された岡山県真庭市・西粟倉村バイオマス産業都市ツアーに参加。二〇一四年にともにバイオマス産業都市に指定されたことを記念し、それぞれの地域の特性にあわせて木を活かす仕組みづくりを見学。西粟倉村の白籏佳三・産業観光課主任が「このクソ寒いなか、ようこそ」と言われたように、岡山県北部はこの冬一番の冷え込みという時期だったが、それぞれの担い手の熱い思いに触れることができた。  真庭市の取り組みについては、これまでも何回か紹介してきたので、今回は西粟倉村の取り組みを中心に報告する。


雪に覆われた西粟倉村と冬の森。これより先は積雪のためにチェーンを装着したバスも入れない。

●山しかない〜百年の森林構想

 西粟倉での今回のテーマは、「薪ボイラーから始める地域内熱利用」。村内で生産される木材のうち建築材や合板材などに適さない、いわゆるC材を薪としてエネルギー利用する取り組みだ。

 西粟倉でのバイオマス事業は始まったばかりだが、先行している「森の学校」の木材事業をはじめ、いろいろなローカルベンチャーが叢生し始めることで、ここ三年間の人口の社会増は、0、0、+5と、現状とほぼ同じ規模の人口一五〇〇人を維持できる可能性が見えるようになっている。これは、村にある小中学校(各1校)が維持できることを意味している。

 ここに至る西粟倉村の物語は、〇四年に村が合併を取りやめたところから始まる。当時、平成の大合併で西粟倉村でも周辺地域とともに美作市への合併協議が進められていた。しかし当時の村長が村民アンケートをとったところ、約六対四で合併反対が優勢となり、村は合併協議から離脱。白籏主任の言葉を借りれば、「結納直前で破談にしたようなもの」だった。

 そこからが大変だった。合併しないということは、財政的にも自立を迫られる。当時の村の財政力指数は0.13。面積の95%が森林(うち85%が人工林)という村では、どう考えても村の資源は山、森林しかない。山でメシを食っている人は少なくても、山は村民の共通項であり、これを村に預けてくれ、ということで「百年の森林構想」が〇九年から始まった。

 村の人工林の多くは戦後に植林したもの。これを今後さらに五十年、大切に手入れすることで百年の森林をつくる。そのためには間伐などの手入れ・管理が不可欠だが、そのコストに見合うだけの価格がつかないため、森は手入れされないままになっている。そうすると、よい木も育たず、やせた木ばかりの山になってしまう。その解決のために考えられた森林整備の仕組みが「百年の森林事業」。

 川上では、村が森林所有者から十年間の契約で森を預かり、管理・整備を森林組合に委託。作業規模が広がることで、作業道の開設や機械の導入などが進み、作業が効率化される。そして川下では伐採・搬出した木材を原木市場に出すのではなく、地元で加工、付加価値をつけて域外に出す。こうして小さな村のなかで、川上から川下までがつながることになる。

(真庭市の場合は、「檜の価格はこで決まる」といわれるほどの力を持つ原木市場と、「家を一軒建てるのに必要な材がすべて揃う」という製品市場を持つことで、約三十社の製材業が集積するという形で、川上から川下までがつながっているといえる。)

 (左から 村楽エナジー・井筒さん、森の学校・坂口さん、村役場・白籏主任)西粟倉村の取り組みのもうひとつの特徴は、これを村役場だけではなく民間、それもローカルベンチャーを主体とする民間と一体で事業展開している点だろう。先駆けとなったのは、森林組合職員だった國里さんが立ち上げた「もっくん」という工房、さらに「森の学校」が間伐材の加工にチャレンジして、ユカハリタイルhttp://zaimoku.me/yukahari/というヒット商品を生み出し、家具職人やカトラリー作家などが続いている。

「森の学校」の事業資金には小口ファンドも活用され、それを通じて多くのファンも生まれている。  若い移住者が増えているが、その多くは、こうした西粟倉の取り組みに共感しての移住だという。

●薪ボイラーからはじめる地域内熱利用

 新たに始まったのが、薪ボイラーによる熱利用。間伐材のうち、加工用に回せないC材と、搬出コストが見合わない林地残材を薪としてエネルギー利用しようというもので、上記の川上から川下までの流れのなかで、木材のカスケード利用のピースがさらにひとつはまった、という感じである。(カスケード利用:小さな滝が連なるカスケードのように、高級家具や楽器など質が高い順に木を使い、最後に燃料として燃やすという質に応じた「適材適所」の利用法)

 薪ボイラーをまず利用するのは、村の温泉施設「黄金の湯」(2/15から稼働)。更新期を迎えていた施設のリニューアルに際して、これまでの灯油から薪ボイラーに切り替えた。ここに薪を供給するのが、村楽エナジーというローカルベンチャー。代表の井筒さん(写真)は、地域おこし協力隊として美作市で棚田再生に関わり、そこから西粟倉に移住して村楽エナジーを立ち上げた。環境学博士でもある井筒さんは、研究者と担い手という二足のわらじを軽やかに履きこなしているようだ。

 年間一二〇〇万円かかっていた燃料代(灯油120キロリットル)は、薪ボイラーに代えることで約五百万円削減されるという試算。薪ボイラー導入にかかる初期費用は五千万円だが、補助率2/3で村の負担は一八〇〇万円なので、三・六年で回収できる(補助金なしの場合は十年で回収)。コストが減るだけではない。灯油代は域外(さらには国外)に出て行くお金だ。その分が域外に出ていかないことに加え、C材を買い取ったお金は村内で回る。二重の意味で地域経済に貢献することになる。


 間伐材は六千円/トンで買い取るが、三千円は現金、三千円は地域通貨「オニ券」。村内の協力店で使えるので、「鳥取に行かんでも、村で買えるものは村で買ってくれ」と。村楽エナジーは六千円で仕入れた間伐材を薪に加工し、一万三千円で温泉施設に供給する、という仕組みで燃料コストの削減、地域経済の活性化、CO2削減が可能になる。  薪の加工、搬送など、仕組みはきわめてシンプル、かつローテク。西粟倉の取り組み全般にもいえることだが、ローテクで人手をかけて、そこに新たな価値をつけるようになっている。

 薪ボイラー燃料として加工できるのは、まず一〇〇〇立方メートル、これで温泉施設三つ分だという。黄金の湯は、その手始めにすぎない。そしてこれは林地残材の一部に過ぎないし、百年の森構想で計画的に伐採・活用していけば、その分C材も増えていく。これらを使い切るために村が考えている「次の手」が、木質バイオマスによる地域熱供給―丸太ボイラーによる地域冷暖房システムだ。チップではなくあえて丸太にするのは、それによって雇用が派生すること、チップにするためのコスト(設備投資)を考えて、対応できる規模にするということ。

 百年の森林構想での計画的な伐採と山の成長量、そこから年間の生産量を計算し、その範囲に収まるように「木を使い切る」という持続可能性を考えたシステム。井筒さんは「里山資本主義というより里山社会主義」と言っていたが、言いえて妙だ。

 さらに村にとって大きな切り札となっているのが、小水力発電による売電収入だ。老朽化していた小水力発電施設(「めぐみ」と命名)をリニューアル(最大出力290kw)、FITの認定を受けたことで、当初一六〇〇万円と見込んでいた売電収入が七五〇〇万円になった(昨年度の村の一般会計予算は一九・五億円)。二十年で設備投資の借金を返しても余りある収益を得られる。これをリーディングプロジェクトと位置づけ、新たな再生可能エネルギー導入へ再投資するとのことだ。

 西粟倉村が目指す「上質な田舎」について、「わが国の魅力的な中山間地の将来像をバイオマス活用の視点から提示する」としている。自然資源を持続可能な範囲で活かし、使い切る暮らしと経済のあり方が、一歩ずつ具体化されているのではないだろうか。

マニフェストは次のフェーズへ 

2月4日、早稲田大学マニフェスト研究所による「政策のチカラが選挙を変える〜マニフェストスイッチプロジェクト」が開催された。 選挙を「お願いから約束へ」とするべくスタートしたマニフェスト運動。永田町では散々だが、地方政治においては、マニフェストは着々と集積してきた。次のフェーズは、「これまでは、そうはいっても団体自治の世界での話。ここは制度も含めてずいぶん変わってきた。これからは住民自治が試される。地方創生はその試金石」(北川先生)。


第一部は、これまでのマニフェスト運動の集大成として、「政策のチカラで選挙に勝つ」(熊谷・千葉市長、福田・川崎市長、大西・熊本市長)、「新しい選択基準と覚悟で、有権者に問う」(今村・西宮市長、自民党横浜市議団、民主党京都府連)といった、マニフェスト大賞グランプリ受賞者を軸に。 第二部では、マニフェスト運動の新たなフェーズでの取り組みであるマニフェストスイッチプロジェクトが発表された。

続いて、早稲田大学教授を退任される北川先生の最終講義。三重県議〜衆議院議員〜三重県知事〜マニフェスト運動というご自身の来し方を、改めて整理されつつ、大学教授は定年となるが、マニフェスト運動には定年はない、次の世代の担い手を支えつつ、今後も尽力すると、力強く述べられた。立ち見もでるほどの会場からは、惜しみない拍手がいつまでも続いた。

「若者がリスクを取れない社会」のリスクとは? 

12月の東京に引き続き、研究休暇で香港滞在中の山田昌弘・中央大学教授の一時帰国の機会に、京都でも「囲む会」を開催(1月30日「第24回戸田代表を囲む会in京都」)。山田先生の講演に対し、四名からのべ六回にわたって行われた質疑を中心に報告する。


冒頭、京都読者会の二人が用意した質問は、「日本の若者の政治離れが言われるが、一方で政治に関心をもつ若者もいる。このような格差は、どのような経済的、社会的背景から生まれているか」(21・男・学生)「香港の民主化運動に参加しているのはどういう若者で、どういう気持ちで参加しているのか」(41・男・議員候補)。

日本で「政治活動に参加する」「政治活動に人を巻き込む」というと「疑心暗鬼」や「就職に不利益はないか」などリスクが先に立ち、インセンティブが削がれる(これは中国とよく似ているという)。一方、香港では「自分で思ったら、表現し、人に聞いてもらいたい」ということが普通の文化。さらに興味深いのは、グローバル都市・香港で生きていければ世界中で活躍できるので(制度的にも現実的にもありえないが)あえて中国に行って、とはならないという感覚。

あとの質疑では、「歴史的にみて日本の若者の意識になにか転換点があったのか。香港も20年、30年たったら日本と同じようになるのか?」(38・男・議員)に対し、「香港の若者は中国のキャリアルートの道を閉ざされている。自分たちの将来は自分たちの手で切り拓かなければならない。今後の日本の再生は、地方の若者が地元で活躍できることが鍵になるのではないか」という腑に落ちるお話も。

「学生と話していて、人と向き合って本音で話すということが(自分たちより)更にできなくなっているように感じる。若者が消極的になっているのは、若者自身の問題もあるが、社会の環境が変わってきていることがあるのでは?夢を持てる機会や場が必要では」(30・男・協同組合職員)に、夢=モデルを目指してという「発展途上国型」は、日本のように「現状維持が希望」の社会では新しいものを生みにくい、という頷ける議論も。

また、コミュニケーションを広げるはずのインターネットやSNSが人間関係の閉鎖性をむしろ強めているという事実も。「ネットで繋がっている」ことで、他の新しい世界や人間関係がみえない。進学や就職、結婚という人生の節目、節目で新しい人間関係のリスクとチャンス(機会)を取るのが当たり前であったのが、いまはこれらのリスクは回避されがちだ(一方、「リスクを取らないリスク」は社会的にも個人でも増大している)。

戸田代表から、「リスクを取る生き方、非合理的な生きざまのところにこそ、次の時代の生き方が隠されている。目先の『合理性』からは、人も社会も本物は育たない」と、質疑に対する総括があった。既存の枠組みに入るための「就活」や「婚活」に汲々とするのか、「脱国」を出発点として新たなチャレンジの機会を得ていくのか、選択肢が見えつつある。

オール真庭で行こう! 

「里山資本主義」「バイオマス」で注目を浴びる岡山県真庭市。1月29日、その真庭を全国(のみならず世界)に発信すべく、イベントが開催された。会場は「とっとり・おかやま新橋館」。鳥取県と岡山県が共同で運営するアンテナショップが、この日は真庭市の貸切。


真庭の「食」、観光、自然体験。バイオマスツアーなどの案内に続いて、夕方からは「里山真庭から日本を変える」と題するシンポジウムが開催された。太田市長のあいさつを皮切りに、まさに「真庭から、21世紀にふさわしい新しい価値観を発信し、日本を変える」との意気込みにあふれた集いとなった。

コーディネーターは、「日本再生」424号にも登場いただいた澁澤寿一・NPO法人共存の森ネットワーク理事長。1990年代、高速道路の開通にともなうストロー効果を懸念した若手経営者が「真庭塾」に集い、地域の将来を議論。それを「2010年真庭人の一日」というストーリーにまとめた。真庭塾のお一人、銘建工業・中島社長は「ここで思い描いたことの、かなりの部分が実現できた」と。「思えばできる、わけではないが、思わなければできない」。

「里山資本主義は、単に木をエネルギーに、ということではなく、身近にあるものを活かして暮らしを成り立たせよう、という価値観のこと」(「里山資本主義」を製作した夜久・NHKディレクター)、「よそものを本気にさせる地域のすごさ」(真庭塾に関わってきた川村氏・三菱総研)、「田舎の暮らしには煩わしさがあるが、その裏に暖かさがある。その丁寧な暮らし方をぜひ体験してほしい」(大阪から来た上塩・湯原温泉女将会会長)など。「2020年の日本の豊かさ」とは何かについて、アタマもココロも大い活性化される内容。

交流会では、真庭の野菜や味噌、乳製品などを使ったおいしい料理と地元のお酒がふんだんに。

東京でも、地域から総選挙を語ってみよう 


2015年最初の「囲む会」(第146回)。ゲストスピーカーは柿沢未途・衆院議員。年末総選挙で、東京の小選挙区で当選した野党候補は二人だけ、その一人が柿沢議員だ(もう一人は、民主党・長妻議員)。

「東京でも、地域から総選挙を語ってみよう」とのタイトルは、望年会で地方議員会員から、党の看板ではなく地域の信頼関係で選挙を戦った・春の統一地方選もそのように戦いたい、との報告、メッセージが異口同音に語られたところから。

柿沢議員のお話も、「維新の柿沢」というより、「江東区の柿沢」として関係性を築いてきたところから始まった。今回は維新に加え民主区議からも支援をうけたが、それも地元で築いてきた関係が土台にあってこそ。別の選挙区では、民主党の地方議員、党員、サポーターが討議の末に、総選挙での維新候補の応援を決めた、というところもある。

自民圧勝の勢いは、選挙区でも同様で、前回1万4千票の差をつけた対立候補に、今回は3千票差まで迫られた。「最後の直線で振り切って、なんとか鼻の差でゴール」とは柿沢議員の弁。 前回小選挙区で当選し、なおかつ国会質問などの議員活動を高く評価されていたため、「本命」として臨んだが、「自民圧勝」の勢いの前に戦い方を変更。投票日直前の土曜日に、「怒」「このままでいいんですか」と大書したチラシを織り込みで配布した。

これは単なる「選挙戦術」レベルでできることではない。「選択肢がない」今回の選挙では、これまでにも増して、有権者は直前まで投票先を決められない、そこにどういうメッセージを送ることができるのか、そこから考えられたものだという。常日頃から、有権者の気持ちがどこにあるかをとらえる活動、その意識性なしには、これは見えない。

そのほかにも、後援会の作り方、地方議員との関係など、ユーレイ都市・東京でも「地域」に軸足を置いて選挙のあれこれを語れる可能性が見えてきたお話だった。 (詳細は「日本再生」429号 2/1発行)

長岡京市長に、中小路健吾同人が初当選! 

1月11日投開票の長岡京市長選挙で、中小路健吾同人(元府議、元民主党京都府連幹事長)が13,212票を得て初当選。 当初「接戦」といわれた冨岡浩史氏に3,400票以上の差をつけた(投票率は前回比7.9ポイント増の 43.86%)。

「みんなで創るチャレンジ長岡京【チャレンジ→N】」を母体に、「長岡京を次のステージへ」と訴えた中小路氏。選挙戦最終盤には、選挙事務所に「何か協力を」と市民が駆けつける光景も。

これとは対照的であったのが、元市議会議長の冨岡氏。推薦をうけた自民・公明両党の国会議員が多数来援(最終盤には、佐藤ゆかり衆議や谷垣自民幹事長の姿も)。昨年末の総選挙の自公比例票(1万3千余)に及ばなかった。

当選の挨拶の中で、中小路氏は「市民と議会、職員とのコミュニケーションを大切にする行政運営を行い、すべての力を結集して長岡京市の新しいステージのまちづくりを進めていきたい」と抱負を語った。

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