「東アジアのなかでの、日本のものづくりのこれから」

 

第13回目を数える「東京・戸田代表を囲む会」は、5月18日、産業立地研究所代表の真野博司氏をゲストスピーカーに迎えて開催された。
真野氏は長年、国・地方の産業政策立案に携わってきた、この分野の第一人者である。
この日のお話は、ものづくりにおけるアジアのキャッチアップが格段に進んでいるという状況を踏まえ、東アジア地域の成長との関係で、日本のものづくりをどのように再定義し、再編するべきかということを軸に展開された。とくに技術分野でのキャッチアップは目覚しく、2005年には「日本より優れている」という分野も韓国、台湾にはでてくることが予想されるなか、研究開発分野でのわが国の立ち遅れは大きな問題である。とくに産学連携をせめて韓国、台湾並にするためには、大学の意識改革が急務である。企業はすでに、生産拠点のみならず研究部門も海外に設置する傾向にあり、海外の「知の集積」といかに勝負できるかという視点が不可欠である。
また地方においても、独自の産業政策を持つ必要があり、「霞ヶ関発」の政策をそのままひきうつしているような時代ではないこと、それへの対応能力が問われていることが述べられた。
これ以降の今年の「囲む会」では、「アジア経済戦略」にむけて、「韓国の構造改革」や「中国の実像」などをテーマに行い、11月には「アジア経済戦略への課題と展望」のような形で、FTAなどについてまとめていくようにしていく予定。
次回は7月13日。

第39回定例講演会
「日本経済再生の構想〜小泉でもなく、亀井でもなく」

 
 

5月13日の講演会は、大塚耕平参議院議員による、「日本経済再生の構想〜小泉でもなく、亀井でもなく」というもの。
元日銀マンの大塚議員は、OHPやホワイトボードを駆使しつつ、小難しい経済の話を国民の生活目線で分りやすく講演。
講演の内容は、プラザ合意以降の「失政」とは何だったのか、経済を見る目や責任の取り方とはどういうものなのか、そして与党と民主党の経済政策でなにが違うのかなど。一国内で、しかも「冷戦下での優遇措置」で放っておいても右肩上がりをしていた時代と、舵取りを誤れば「経済敗戦」にたたき込まれる時代では、経済政策の視点も責任の取り方もまったく違う。ここがわかっているのか、いないのか。その違いだけで、「だから政権交代が必要だ」という説得力になる。
戸田代表の集約では、「国債がいよいよ危ないから、外貨に変えて自分だけは助かろう、という『亡国』の病が国民−運用するくらいの資産がある国民に拡がったら、それで日本はダメになる。そうなるまえに、『われわれが日本をなんとかしよう』というところへ。政権交代とはそのこと。タイムリミットは迫っている」と述べられた。
講演の詳細は、278号に掲載予定。

日中国交正常化30周年記念セミナー

 

5月8日、NPO法人・日中経済発展センター(張紀じん・理事長)が主催する、日中国交正常化30周年記念セミナーが、「がんばろう、日本!」国民協議会事務所にて開催された。

日中国交正常化30周年を記念して、同センターが開催する第二回目のセミナーで、講師はアメリカン大学国際関係学院地域比較学部の趙全勝・学部長。テーマは「中・日・米の三国関係の現状と展望」。

冷戦後、グローバル化、日米中関係という大きな枠組みで、日中関係の変化を分析、今後の方向について提起した。

(写真・左は張紀じん氏、右が趙全勝氏)

政権交代への道すじを準備しよう

 

 

 

 
4月11日、第38回定例講演会は、若手議員によるパネルディスカッション。パネラーは、枝野幸男衆院議員(予算委野党筆頭理事、民主党政調会長代理)、前原誠司衆院議員(民主党幹事長代理)、中塚一宏衆院議員(自由党政調副会長)、原口一博衆院議員(予算委理事)。今国会前半で、「鈴木宗男」疑惑をはじめとして、小泉政権との攻防の最先頭にたつ「現場指揮官」である。
先日の横浜市長選挙にも見られるように、国民は「政治不信」になっているのではない。フォロワーとしての責任を自覚し、そこからリーダーの責任を問いはじめているからこそ、それに「責任と信頼」で選択肢を示す政治家がいれば、新しい信頼関係ができてくる。
中田氏は選挙中、「五兆円の借金の連帯保証人になっている横浜市民のみなさん」と訴えたという。その訴えを「自分自身のこと」として受け止めた有権者が、投票率を5ポイント押し上げた(原口議員)。「スキャンダル合戦にうんざり」するようでは、まだまだホンモノの主権者とはいえない。「スキャンダルのように見えるが、その構図のなかに権力システムの本質が現れている。それを一つ一つ追及し、明らかにする」(前原議員)戦いに、有権者としてどう呼応するか、である。
「政官業癒着を政権基盤とする政権に改革はできない。政権交代とは、政権基盤を入れ替えること」(中塚議員)であり、そこにむけて「ボディーブローを確実に効かせ、何が、どこがおかしいのか、どう変えるのかの合意形成を積み上げること」(枝野議員)。政権交代そのものは、歴史のある一瞬、ハプニングのようなことで起こるのだろうが、そこへむけたプロセスをどう準備するか、すでにそれは意識的に始まっている、ということである。
「細川政権の頃、改革は10年単位と言われた。明治維新も10年、戦後改革も10年。われわれもそろそろ、めどを立てる時期」「ここまでくると結局は、政権をとる能力があるかとうかだけが問われる」(枝野議員)と、かなり頼もしい発言も。
政権をとる能力とは、そこまでの責任感の蓄積のこと。「金権政治批判」の範疇では、その責任感は生まれない。辻元氏の問題はそのことである。同様に国民も「選挙でカネをもらってはいけない」「明るく正しい選挙」という範疇の「有権者意識」では、がんばっても「政権交代願望」論(誰かに期待―ガッカリ)以上にはいかない。
小泉への期待が今、「政治不信」になっていないのは、国民が「期待―ガッカリ」のサイクルを超え始めたことでもある。ここから、政権交代の主体としての主権者への一歩が始まる。
4月11日のパネルディスカッションは、政権交代への準備は、着実に始まっているこ とを、力強く示した。

桜咲く
当東京事務所の前は外堀公園で、土手には桜並木が続きます。今週に入って一気に桜を咲き始めました。全国的にも二週間くらい早い開花だとかで、このままでは4月に入ってからの「桜祭り」は「葉っぱ祭り」となりそうです。
温暖化の影響かとも言われていますが、南極では歴史上かつてない勢いで氷が溶けているとのこと。ペンギンの数も減っているそうな。「地球温暖化」が遠い先の話ではなくなりそうな・・・。さきの日米首脳会談で「京都議定書」に触れなかった日本政府では、困りますね。

関西政経セミナー 「さらば戦後トラウマ」

左から 戸田代表   村田同志社大学助教授   樽床衆院議員
 
3月17日、大阪市内のホテルにて、関西政経セミナーが「さらば戦後トラウマ」と題して行われた。
以下は、岡村さんの感想です。

昨日、関西政経セミナーに出席して来ました。
出席者は約50名。私の印象は下記の通りです。
戸田代表の基調が「前置き抜きで、極めて断定的な表現で中身に入る」ということで始まったことに象徴されるように、国に対する思いと国益を踏みにじる者への怒りを感じました。説明は省略しますが、「権力闘争は命が賭かっている」、「長期的には人的不良資産をつまみ出すこと」と言われた中で、鈴木宗男と加藤紘一の両者をどう裁くのかという問題を、活動家は自らの活動で表現すべき時期ではないのかと思いました。
村田晃嗣氏は、代表の迫力をそのまま受け継ぎ、いわゆる「自主憲法制定」論者の誤りを、無条件降伏から戦後憲法制定に至る歴史過程をひも解き、そのような理由からではない憲法改正に言及しました。このような迫力を持った若い世代の学者は初めてです。
樽床伸二氏も、戦後トラウマに自分の言葉で言及し、その意味ではセミナー全体を通じて、「戦後」の枠内での議論が終わり、新しい議論を断定的に展開すべきときであることが感じられました。(岡村宣夫)

「なぜ、円はアジアで使われないのか」(第12回・東京戸田代表を囲む会)
3月16日、第12回・東京戸田代表を囲む会が開催された。
今回のゲストスピーカーは、明治大学の勝悦子・助教授。3年ほど前にも、「アジア通貨危機」「円の国際化」などについて、講演していただいいている。
東アジアの貿易構造、ならびに日本と東アジアとの貿易構造が格段に深化しているなか、アジアで円がもっと使われていいはずにもかかわらず、むしろ円の使用は低下している。なぜ円は東アジアで使われないのか。
勝先生は、資料を使いながら「円の国際化」とは、日本の信認を高めるための総力戦であることを提起された。同時に、そのことに戦略的に取り組む「政治的な意志」の弱さないしは欠如が、大きな障害であることも示唆された。
難しいテーマにもかかわらず、参加者からはいろいろな角度から質問や意見がでた。
東アジアでも自由貿易圏が動きはじめ、自由貿易や円の国際化といったことを真剣に考えずにやってこれた・主体を問わずに「他人称」で評論できていた時代の終わりである。「今日明日のことではないから」ではなく、「今日明日のメシのためにも」自由貿易や円の国際化を考えざるをえなくなった、というわけである。
自由貿易論議のときに常に問題になるのが、農業である。しかしこれも、少し考えれば、「農業をどうするか」ではなく「農業関係の既得権をどうするか」にすり替えられてきた。その間にも、わが国の農業は、農水省と農協と族議員によって疲弊させられてきたと言っても過言ではないくらいだ。
自由貿易や円の国際化に限らず、「より政策提案」が、まったくべつのもの=税金の分捕りあいにすり替えられてきた構造、「ムネオ」問題はここに手をかけつつある。
選挙による政権交代、それによる政策変更ができない国に、自律した金融政策も経済産業戦略も、もちろん外交もありえようはずはない。(通貨危機後のインドネシアの経済・金融政策は、あまりにもここ数年の日本と酷似している)
政権交代が当たり前にある民主政治であってこそ、国益も規定でき、東アジアの共通の利益も明確にでき、信認をえられる。円の国際化とは、戦略的な総力戦である。

「米中の単独主義と、いかにうまくつき合うか」

 
3/10「東アジアにいかに生きるか」と題して、シンポジウムを開催。平日夜では少し時間が足りないので、日曜の午後に設定したもの。
パネラーの中西寛・京都大学助教授と李鍾元・立教大学教授は、ともに日本の国際政治学会をリードする第一人者とあって、知的刺激に満ちたお話か聞けた。また武正公一議員は、松下政経塾時代に中国留学の経験もあり、日韓若手議員の交流に積極的に係わるなどの「行動的知アジア派」(そんな言葉ないか)。
「米中の単独主義と、いかにうまくつき合うか」ここが日本の知恵のみせどころであり、ここでアジアでも新しい存在感を獲得することが、日本再生の鍵という議論の流れとなった。
後半では、翌日11日の証人喚問を控えて忙しいなか、原口一博議員が参加。外交の民主化についても熱く語った。
なおパネルディスカッションの詳細は、近日発行予定のパンフレットを参照。要旨は「日本再生」276号(4月1日発刊)に掲載予定。

「有権者の変化、街頭が熱い」

 
田中真紀子前外相更迭から、街頭での有権者の反応が大きく変わってきた。小泉「疑似」改革政権の“終わりの始まり”ということが、「マキコvsムネオ」というレベルを超えて、各年代・男女に入り始めた。
2/24統一街宣でも、開始前の意志統一のところから、注目が集まり、街宣を開始するや「ムネオはおかしい」と、こちらより先にバンバン言ってくる。
「なにがおかしいのか」。無理を通せば道理がひっこむ、という感性から「ムネオはおかしい」というのに対して、「国民主権の権力のありよう・所在」とはなにか、として話し、「われわれの構造改革」の主体勢力へと集約していくことが問われている。
小泉政権九ヶ月の有権者の学習効果は大きい。「ムネオ」問題を、単なる「金権腐敗政治批判」ではなく、権力問題として見始めている。いまこれを、有権者としての責任、権力の主体(主権者)へと鍛え上げるときである。

「既得権を打破する、「変わる勇気」を!―横浜市長選挙に中田宏氏出馬表明」

 
3月31日投票の横浜市長選挙に、衆院議員の中田宏氏が出馬を表明。3月9日、事務所開きが行われた。
「日本再生」272号のインタビューにもあるように、中田議員は既得権を打破する政治を、自身の政治活動のスタイル・選ばれ方・支持基盤の作り方に貫いてきた。
2期8年で結果を出す、既得権に頼らない市民選挙に徹するという姿勢で、長期政権(3期続いた)に挑む。横浜市にお知りあいのある方は、ぜひ口コミで広めてください。
中田ひろし事務所 横浜市中区常盤町3-37 新寿ビル 045-226-2335

2月10日、11日の二日間「がんばろう、日本!」国民協議会のセミナーと全国幹事会を開催。
いずれも午前10蒔から午後8時、9時まで、講演、討議をみっちり行った。
 

2月10日はセミナー。午前中は戸田代表の基調で、例によって「時間内に収まらず」<グローバル化の影と光のなかで進行する新たな「二極化」をいかに再統治するか>という観点から、問題が提起された。逆に言えば、冷戦および戦後五十五年の形成過程の違いを入れて語る余地はなくなったということ。当然、この枠での「疑似」有権者運動を終わりにせよ、ということでもある。

午後の森本敏氏の講演は、<グローバル化の影と光のなかで進行する新たな「二極化」をいかに再統治するか>ということをめぐる国際社会の再編とかけひきの進行を、簡潔かつシャープに提起。続く戸田代表との対談は、会場からの質問も交えて「憲法改正を正面から(戦後の論理を入れずに)論じるために何をなすべきか」の方向が提示されるものとなった。

夕方からは、野川忍氏、山田昌弘氏による「家族と労働をとらえなおす」。軽妙な掛け合いを交えながら、家族と労働をとりまく問題が語られた。戦後の「中流幻想」の崩壊と、その幻想のなかにひたってきた人間形成(家族と労働)の崩落にどう向き合うか。事実を直視すること。そして「自分で稼いで食う、それが自立の始まりだ」「自分の社会的役割・人格は自分でつくってきた」といえる親・大人とそれを問う次世代の関係がパブリックの基礎であること。「あいまいな不安」ではなく、この覚悟を語ろう。
2月11日は全国幹事会、といってもオブザーバー参加自由のもの。
まず橋爪大三郎氏より「民主統一同盟の組織性格のあいまいさを斬る」という趣旨で問題提起。
政党政治の文明がない日本では、共同体の組織原理、市場の組織原理、政党の組織原理、中間団体の組織原理がきわめてあいまいで未確立。その現状が反映されたと同時に、「本来の政党」「パブリック」を体現する組織原理、組織文化の重要性について、考える糸口を触発される提起でもあった。
続いて竹内文則氏より、金融問題を切り口に「失政の総括なくして改革なし」ということが、中曽根政権以来の「失政」の具体的な指摘を交えて提起された。国民資産の三分の二が失われた! ということに実感的な反応をもてなければ、とても主権者には及ばない。自分が損をしたかどうかではなく、政権の政策を介して経済への主体的な感性を持たなければならない。

討議では、無責任連鎖を責任連鎖へと切り替える「転轍手」として、どのポジションで役割を果たすのか、それが表明できないのは何なのかが問われた。
家族と労働という人生の基礎(誰にでもかかわれること)にまで、新たなパブリックからの再編成・再設計で貫けるということは、どのレベル・領域からも「転轍手」への糸口はある・役割はあるということ。その時に「暗くなる」「何も考えない」ところにこそ、戦後の虚ろの本質が露呈している。

2.7 前鎌倉市長・竹内氏来訪
2月7日、前鎌倉市長の竹内謙氏がお出でになり、戸田代表と二時間あまり歓談した。
竹内氏は朝日新聞編集委員から、93年「環境自治体の創造」をかかげて鎌倉市長に 当選。二期務めた。この間、さまざまな意欲的取り組みを行ってきた。昨年、市長を 交代。現在は、環境・市民自治をめぐる八年間の取り組みを整理しているとのこと。
いずれまた新しい場で、いっそうの活躍をされることと期待している。

12.24 望年会
 
 
12月24日、恒例となった「望年会」が市ヶ谷の事務所で行われた。
今年を「忘れる」のではなく、イヤなこと、見たくないこともしっかりと正面から見据え、ケジメをつけるべきはケジメをつける。そこからこそ、来年の希望は見えてくる。〜幸せは歩いてこない・・・希望も誰かにお願いしたり、与えられるものではなく、戦いとるものなのです。
さて今年は望年会に先立つ22-23日、牽牛倶楽部の合宿が、群馬県内で行われました。戦後に死を宣告し、無責任連鎖を責任連鎖に変える草莽の転轍手へ、ということをめぐり、徹夜で議論した参加者は、そのまま望年会へ合流。
岡村幹事(写真上・左)以下、合宿でのそれぞれ主体をかけた議論を、自らの来年への決意として述べた。
東祥三議員(写真上・右)も、戸田代表(同・中)の開会の辞を受けて「来年も、自分の覚悟を訴えて有権者に国のありようを問いたい」と力強くあいさつした。
今年夏の都議選で当選した名取、花輪、初鹿の各都議からも、それぞれ抱負が語られ、また区議や各種選挙をめざして奮闘中のみなさんも、決意と希望を語り合った。
激動と衝撃の時代。だからこそ、「不安」ではなく「覚悟」を語れ!
(望年会での提起は、メールマガジン24を参照してください)

11.27 12.04 時代が創る個性を求めて

 
・民主党若手議員のなかには、三期生を初めとして、有望な議員が多いことは最近ではかなり知られている。
ところで昨年初当選した議員のなかにも、社会経験やキャリアのうえから、今後を期待できる議員は少なくない。
初当選から一年あまり、森政権から小泉政権へと政局が大きく動いたなかで、日本政治のこれからをどう担うか、話を聞くとともに、政治家の型―時代の転換にかかわる個性の切り口について、議論した。(11月27日武正公一議員、12月4日平岡秀夫議員/いずれも273号にインタビュー掲載予定)
 
時代は一人では回せない。明治維新も、西郷、大久保、高杉、坂本、別の意味で勝や小栗、あるいは吉田松蔭や久坂などがいたように、さまざまな人間が「役割」を果たし、それらが交差したときに、時代は大きく動く。歴史的転換のなかで果たす役割は、一通りではない。お互いの役割を了解しあうところから、チームで仕事が回るようになる。

11.19 知己来る
11月19日。旧知の上海国際問題研究所日本室長、呉寄南さんが来訪。今回は日本の行政改革を調査するためとのことで、副室長二人と復旦大学政治部長の三人も一緒にみえた。特殊法人改革は、政界再編の起爆剤になるかに、話題が集中。
戸田代表の「再編にはエネルギーが必要。植物人間状態の自民党には、他人の生き血にしがみつくエネルギー。生きようとする者のエネルギーとは種類が違う。後者のエネルギーがあれば、葬式はだせる。」に、爆笑。
後半には、「構想日本」の加藤秀樹代表も見えて、特殊法人についてコンパクトに分かりやすく説明。政策提言だけでなく、それを実行させる状況をもつくりだそうという行動型シンクタンクの存在は、中国の研究者の興味をひいていた。