「台湾から見た東アジアの新たな情勢」
1月28日開催の第44回定例講演会は、台北駐日経済文化代表処の羅福全・代表(駐日大使)をお招きして行われた。
従来、台湾に関しては「反共・反中」という文脈で語れることが多かった。また最近では「反米反中反ロ反韓反北」で「親台湾」という、アンチのかたまりのようなものも一部にはある。そうではなく、東アジアに「自由、民主主義、市場経済」という価値を共有し発展させるための台湾の再定義、日台関係の再構築こそが必要である、との観点から、今回の開催となった。
後半のパネルディスカッションで、水野賢一議員はこのことについて「旧い親台湾派と言われる人たちは、『蒋介石閣下のご恩』とよく言うが、李登輝総統(当時)は、もうそんなことは言わないほうがいい、それにその時代は台湾にとっては『白色テロ』の時代だったのですから、とはっきり言われた」と、自由・民主主義を共有した関係の構築について述べた。
羅福全・代表のお話は、ストレートに、(中国を含めた)東アジア地域に自由・民主主義・市場経済を発展させるための「公共財」としての日米同盟をいかに強化するのか、という枠組みから展開された。長年、国連大学で研究されていた学者としての顔と、台湾の対日外交を舵取りする政治家としての顔とが十分に発揮されたお話であった。
後半は、枝野幸男議員と水野賢一議員とを交えたディスカッション。枝野議員は、自由・民主主義・市場経済という立場から「あえて」台湾との関係に政党外交として取り組んでこられた。野党時代の民進党と民主党との窓口のお一人でもある。
水野議員は、外務政務次官として台湾訪問を希望(日中国交30周年=日台断交30周年に際して)したが、「内規」によって認められず、ならばと辞任したという経緯をお持ち。先ほどの紹介にもあるように、自由・民主主義を共有する日台関係の発展に尽力されている。
ちなみに枝野、水野議員とも、口利き政治に代わる新しい政治文化を創ろうという「政治文化を変える会」にも参加している。
http://www.freemind.co.jp/seijibunka/top/index.php
ディスカッションでは、日米同盟の公共財としての強化について、ハード面での安定装置というだけではなく、経済通商面での役割(中国のアンフェアな経済行動について、日米がルール化する/知的所有権など)の重要性が、さまざまな角度から指摘された。
そのためにも、「ひとつの中国」というレトリックに自縄自縛にならず、「自由東アジア」の発展のために、という土俵で中国ともアメリカとも付き合うということが必要である。
この地域でわが国が国交を持っていないのは、台湾と北朝鮮である。どちらも戦前の植民地であるが、国交がない理由は正反対だ。一方は自国民を餓死させても核開発を行い、それをカードに国際的な約束を踏みにじる恫喝外交をくりひろげる。それゆえに気を遣い、「国交交渉」でなだめすかし、譲歩する。他方は次第に、自由、民主主義を主体化し、国際社会の一員として役割を負おうとする。その「いい子」ゆえに「無視する」「取り合わない」。これではワルほどが幅を利かせ、普通の子の居場所がどんどんなくなるという、昨今の教室風景ではないか。元凶は、見てみぬふり、事なかれ主義、責任だけは問われたくないという大人(教師)にある。 そろそろこういうところから脱却すべき時であろう。
(講演会の詳細は287号3/1発行に掲載)

「第21回 戸田代表を囲む会」
1月20日、第21回東京・戸田代表を囲む会を開催。
前回は中塚一宏議員に「税制」を軸にお話いただいたが、今回は古川元久議員をお招きして「年金改革」についてのお話。
古川議員は、現行の年金制度は破綻が目に見えているにも関わらず、小手先の手直しでごまかしてきた結果、制度に対する信頼が失われていること。世代間扶助である以上、自分がちゃん払えば、自分がもらうときにも現役世代が支えてくれるという信頼がなくなれば、その瞬間、この制度はもたない。そういう危機的状況にあることを強く訴えた。
「目の前に危機があるにもかかわらず、なくとなくなんとかなると思っている、その危機感のなさが一番の危機だ」と。
年金改革の議論は、現行の制度を前提に財源をどうするか、として論じられてきたという経緯がある。つまり、どういう社会を目指すのかという、次の時代の社会ビジョン、ウォンツから制度を見直すという部分が欠落した議論になっている。そのため、「消費税」を年金の財源に充てるかどうか、という議論が先行しそうな気配である。
古川議員は、それでは本来、めざすべき社会ビジョンや社会的公正さというところから制度を論じるということが欠落してしまいかねないと危惧。社会的ウォンツから政策を論じ、制度選択する(だれにとってもベスト、という制度はない)ことができるだけの、民主主義の成熟がないと、不幸な結果になりかねない。

現在の年金制度は、新たな世代間格差・対立を助長しかねない、社会的な不公正な制度になりつつある。これが、改革しなければならない一番の理由である。年金制度改革は、火急の課題である。同時に、新制度を決めたとしても、その導入には三十年はかかる。つまり現在の団塊の世代にとっては、例え改革したとしても、自分たちにとっての既得権である現行制度で「逃げ切れる」のである。だからこそ、団塊世代とその子供の世代が、主権者としてこの問題に責任を持って取り組み、次の社会ビジョンで合意することが決定的である。

「第20回 戸田代表を囲む会」
1月12日、03年度第一回幹事会の合間に、「第20回 戸田代表を囲む会」が開催された。ゲストスピーカーは自由党の中塚一宏衆院議員である。
昨年発行された同議員の政策パンフレット「新しい繁栄と発展のために」がなかなか好評だったこともあって、税制・社会保障・経済といった問題について、少しまとまったお話をしていただきたいと、お願いした(同パンフレットの表紙はご子息との笑顔のツーショット。どちらもカワイイ!)
さて中塚議員は自民党秘書時代より、大蔵省・税関係を担当してきたこともあって、いわゆる官僚的な政策通とは一味違う「党人」的な政策アプローチの型を感じさせるお話であった。
とくに税制について、税は「国の姿を決めるもの」「官と民の配分を決める」ものであり、民主政治には切っても切れないものであり(代表なくして課税なし―アメリカ独立大義)、税を論じるのが議会の第一義的任務であると述べた。源泉徴収制度によって「納税意識」が希薄になっている一方で、税といえば「地方か都市か」「自営業かサラリーマンか」といった利害対立に流れがち(はやい話、自分にとって「損か得か」というレベル)であるが、「国のありよう」を主体的に論じるための税制の論じ方を、主権者として体得しなければならない。
経済、ようするにカネの流れを主体的にとらえ、どこからどこへ変えるのかというウォンツがなくて「国のありよう」を論じたつもり、というのは、しょせんどう頑張っても「戦後の虚ろへのアンチ」以上ではない。

明治国家以来一貫して、官が民からカネを吸い上げて使いみちを決めるという仕組み。これを変えること、民がもっと自立して自由に自分の才覚で稼いだカネを自分の判断で使えるようにする。これが構造改革の基本である。新年そうそう、消費税論議が仕掛けられているが、中塚議員は「増税を言う政治家は、そもそもおかしい。税を上げないようにするのが議会の役割で、まず歳出を見直すべき。増税を言うのは役所のお先棒担ぎだ」と。
さらに税は社会への参加料であるから、たとえわずかでも自分で計算して納めるべきであること、また社会保障は「失敗したときのセーフティーネット」というよりもむしろ、自由な経済社会の基礎インフラであるからこそ、税(消費税)で賄う=ナショナルミニマムに対する国の責任=べきであると。
政権交代のある社会では、税制は重要な政権交代イシューである。
シーラカンスのおじいさんたちが、毎年毎年、あちこちの業界に「配慮」して(租税特別措置)つくったわが国の税制は、誰にも全体像がつかめないほどつぎはぎだらけで、「増築を繰り返して迷路だらけになったしにせ旅館」状態である。
税制、そして予算、財政を社会的ウォンツから語れる主権者になろう。

「台北訪問記 その2」
台湾を訪れるのは、じつに6年ぶり。当時は工事中だったモノレールが走っているなど、見た目の変化もかなり大きいが、一番関心したのは「禁煙」の徹底ぶり。議員会館から国民党本部、役所、ホテルやレストラン、はてはタクシーまで、至るところ全面禁煙である。
もうひとつは「レジ袋」の追放。台北市内にも、そこらじゅうにコンビニがある。朝、牛乳を買いにでた。なんと袋をくれない。身振り手振りで袋はないか、と聞くと、店員さんは困ったような顔。ようやく昔少しかじった中国語を思いだして「没有?」と聞いたら、うなずいた。新聞局の朱氏の説明によれば、1月1日より全土で、「レジ袋」は廃止されたとのこと。必要な人はカネを払って買う、買ったものなら簡単に捨てないから、とのことであった。そういえば、街中に捨てられているレジ袋はなかったし、その分、ゴミの投げ捨ても格段に減っている印象を受けた。

1月7日
●蕭美琴 立法委員 民進党(写真 真中)
台湾の国会議員には「華僑枠」というものがあって、アメリカ、日本からも議員が選出されている。米国人を父に持つ蕭美琴議員は、アメリカ在住の華僑から選ばれた議員である。

民進党は野党時代から積極的に政党外交を展開してきたこと(日本との関係は、民主党の仙谷議員が軸になってきた)、与党になってからはさらに対日関係の強化をめざしており、ホームページも英語のみならず日本語バージョンがある。またスタッフの日本語習得にも努めているそうである。蕭美琴議員は、ニュースレターの編集責任者でもある。安倍官房副長官が、台湾のWHO加盟を支持する発言をしたことなど,日本の台湾に対する態度も少しずつ変わりつつあるのではないか、との感想である。(安倍副長官の発言は、残念ながら、票決が終わった後のものだった)
民進党の日本語ホームページは http://211.72.252.97/default.asp

写真左は、今回ずっと通訳とアテンドをしてくださった、亜東関係協会の張瑞麟さん。

●外交部にて
外交部を訪問。旧知の藍清漢氏(アジア太平洋部長)と、謝其旺氏(研究設計委員会)にお目にかかる。(写真 右から藍氏、戸田代表、謝氏、張さん)
藍清漢氏とは、大阪の代表部・東京の代表部時代からのお付き合いで、今回の台湾訪問にあたっては、どういう方にお目にかかればよいか、的確なアドバイスとご尽力をいただいた。現在は総統の日本語通訳も務めておられ、対日政策立案の重要な一翼も担われている。
謝氏とは、最初の台湾訪問以来、7年ぶりにお目にかかる。当時は経済部でお話を伺ったが、その後、元の外交部に戻られて現在は政策立案の専門委員としてご活躍。謝氏は個人的な意見であるがとしたうえで、911以降の国際関係の大きな変化のなかで、台湾の国際的生存空間を確保し発展させるための政策を講じなければならず、外交政策の調整が必要であると述べられた。

●国民党中央委員会海外部部長 周繼祥氏(写真 右から二人目)
国民党海外部とは、華僑を担当するセクションである。周氏は台湾大学の教授でもあり、一年間休職してボランティアでこの職務に就いているとのこと。大学教授らしい、よく整理されたお話を伺った。
与党・民進党は大陸との経済関係について、「積極開放、有効管理」というがうまくいっていない。経済が大陸にかたよりすぎないように、対米関係や南方関係(ASEAN)をアピールしているが、国民党はむしろ「三通」を早期に実現することで台湾経済を活性化すべきと考えている。(「三通」とは現在は制限されている中台間の郵便、航空、通商の直接交流)
「空洞化の懸念はないのか」との質問には、なくはないが、三通の効果のほうがより大きいとの考えであった。

●親民党広報部長 廖蒼松氏(写真 左)
親民党は、2000年の総統選に宋楚瑜氏を出馬させるためにつくった政党、といってもよい。意地悪な見方をすれば、国民党との政策的な違いはなかなかわかりにくいのである。
廖蒼松氏は台湾テレビの人気キャスターで、国民党の時代から台湾語(台湾の公用語は北京語)でやっていたというから、親民党に対する「大陸派」イメージを薄めるための起用とする見方もできる。

廖氏は親民党の「中国はひとつ」というのは、大陸のいうのとは意味が違うと説明した。対立の含意は「台湾は一地方」だが、親民党は「(対等な立場での)段階的統合論」であると(ちなみに、国民党は「連邦制」だと評価)。統合は三段階で、まずは経済的統合。これは20から30年かかるのではないか。その上に社会的な統合、最後に政治的統合で、この段階では民主が前提である。
民進党に対する批判は一点、政策実行能力の不足ということであった。

●海峡交流基金会 副秘書長 顔萬進氏(写真 左)
海峡交流基金会とは、民間団体という立場で両岸関係(中台関係を、こう表現する)を扱う。政府機関としては大陸委員会があるが、両岸の対話は中断したままである。顔氏は京都大学への留学経験をもつ。
顔氏は911以降の新たな国際情勢のなかでの台湾の位置、役割について、元旦の陳総統の発言を解説する形で、以下のように述べた。
台湾にとっては両岸の平和と安定を維持することが第一の役割となる。そのために民主化にさらに努力するとともに、対話を呼びかけ、また三通を始めとする経済問題についても話し合うと。そして日本の役割について伺いたいと。

戸田代表から、中国のミサイルは台湾とともに日本を射程に入れている。これに対しては日台共同で、これを撤去するよう要求すべき(中国民主化のための日台共同アプローチという発想)を提案。顔氏はさらに、東アジアにFTAなど「よい循環」をつくりだすための日台のアプローチや、新しい世代の日台交流をもっと見える形でやりたいと述べた。

●亜東関係協会
日本と台湾は国交がないために、対日関係の実務は外交部ではなく、亜東関係協会が行う。建前上は「民間」団体であるが、職員はれっきとした外交官である。当たり前の外交関係がないことによる不都合やフラストレーションは、枚挙に暇がない。

今回の台湾訪問では、亜東関係協会に多大なご尽力をいただいた。そのお礼もかねて、許水徳会長(写真 真中)を表敬訪問。この日、昼餐にご招待いただいた郭明山秘書長(写真 右)と戸田代表とは、郭氏が大阪勤務の時からのお付き合いである。許会長は現在72歳、総統府資政も兼務されている知日派の大物で、国民党時代より台北市長、内政部長、駐日代表、国民党秘書長(李登輝時代)、考試院長を歴任されてきた。現在も党籍は国民党である。
一番印象に残ったのは、内政部長時代に野党を合法化したお話(それまで台湾は国民党の一党体制で、野党は非合法化されていた。民進党の前身は「党外」と呼ばれていた)。許氏は、一党体制はもたない、民主主義では政党が前提だ、そのためには野党を育てなければならないと。国民党の要職にあってこのように発言し、反対を押し切って党を開放した。このこともあって、李登輝氏から秘書長に任命され、二人三脚で台湾の民主主義を政権交代まで成熟させたということであろう。

1月8日
●台湾団結連盟 組織部長 陳鴻基氏(写真 左)
台湾団結連盟は李登輝全総統をリーダーに、「台湾第一」をかかげて発足した政党である。
現在、台湾の立法院における各政党の議席は以下のとおり。
民進党87 国民党68 親民党46 台湾団結連盟13 新党1 その他10

中台関係は、互いに対等の立場で話し合えば解決するはず。「ひとつの中国」を前提にしなければ話し合わないというなら、何のための話し合いなのか。また大陸の経済発展は台湾にもよい効果があるが、大陸が台湾を敵視する以上、空洞化とともに、大陸に投資して負債だけが台湾に残るということを懸念せざるをえない。台湾の安全確保と、国と国との関係ということなしに、三通には賛成できない。
日台関係については、日本社会の台湾への支持には大変感謝しているが、政府間関係をもっと改善しなければならないし、多大な援助をしているのに中国の顔色を伺うのはおかしい。

●経済問題と中台関係
今回の訪問で印象に残った点のひとつは、「三通」に代表されるように、大陸との関係が経済政策としいクローズアップされる構図があるということである。中国が「世界の工場」となっていくことに対して、空洞化や、経済的依存の強化という危機感を持つのか、それとも大陸との経済的統合にチャンスを見出すか。経済政策が大陸政策とリンクする局面である。

●次期総統選挙の行方
04年には総統選挙があり、今年はその候補者を選ぶ年である。
台湾の世論では極端な独立派も統一派も、それぞれ1パーセント程度しか支持を得られていない。民進党が35パーセント、国民党と親民党で65パーセントというのが、おおまかな構図である。前回は、国民党・連戦と親民党・宋楚瑜が割れたため、いわば民進党・陳水扁は「漁夫の利」を得たという見方もできる。
次回、連・宋の連携ができるのかが第一のポイントである。経済が改善しないと現政権に不利というのは当然だが、それでも連・宋が連携できなければ陳政権のチャンスは十分あるからだ。
政党関係者にはかなり踏み込んで、このことを尋ねた。いまのところ、国民党、親民党とも一般論としては連携に合意しているが、国民党は連が総統候補、宋が副総統候補は当然と考えているのに対して、親民党はそれではおさまりがつかないと考えている。それで収まるなら、そもそも前回総統選で割れる必要はなかったのだから。
一方で、連戦氏の人気はかなり低いため、もし国民党が本気で総統選に勝つつもりなら、人気抜群の馬英九・台北市長をかつぐというシナリオもありうる。しかし連戦氏に鈴をつけることができる人がいるか? そして馬氏にしても、08年を十分狙える立場であえて任期途中で台北市長を放り出すというリスクを負うか? という問題もある(ある人は、「そんな無責任なことをすれば、二度と彼を支持しない」と言っていた)。
そんなこんなで、国民党と親民党の連携は簡単ではない。国民党は八月の大会をメドにしているが、親民党は「一方的なスケジュール」としており、ずれこめば国民党が見切り発車することもありうる。

●台湾アイデンティティーの行方
前回の訪問(1995-96)ではまだ、「独立」も「統一」も、内戦の残滓を引きずった上での意識と感じられた。しかし、「大陸全体を統治する」という虚構のうえに築かれた制度やシステムが次第に台湾化されるにしたがって、今回はそれぞれが、国民国家としてのアイデンティティーの主張へと深化しつつあるように思える。
その流れで言えば来年の総統選挙は、緑軍(民進党と台連的連合)が、台湾アイデンティティーをさらに深化させると同時に、それを実現していくための戦略を持って再選されるか、それとも、藍軍(国民党と親民党的連合)が台湾的な民主主義のスタイルへ脱皮する糸口をつかんで政権奪取となるか、という性格になろう。

民主・自由の東アジア、開かれた市場経済の東アジアをつくるために、かような意味で台湾を再定義することが必要である。すなわち「ひとつの中国」という政治的レトリックを認めるのかどうか、という枠組みそのものを転換する―より現実的な東アジア戦略として―ということである。

「台北訪問記 その1」
1月5日から8日まで、台北を訪問。政治セクターのみなさんから、いろいろとお話をうかがった。
今回の目的は、新たな局面を迎えつつある東アジア情勢のなかで、この歴史的ステージにおいて台湾の存在をいかに再定義すべきか、そのための意見交換である。「再定義」とは日本側からの視点で、台湾側から言えば「台湾アイデンティティーの発現形態」をどのように模索するか、ということになろう。
「新たな局面」の意味は、大きく分けてふたつ。ひとつは911以降の「反テロ」という国際社会の流れおよびブッシュ・ドクトリンの展開のなかでの、東アジアのパワーバランスの変化。例えば米中関係や米ロ関係。北朝鮮問題ではさらに、米中ロの連携に力点が置かれることになろう。そのなかで「台湾」の位置づけや役割も、従来とは変わってこざるをえない。
二点目は経済。中国の経済的台頭ならびにこの地域におけるFTAの流れは、紆余曲折はあるもののすでに無視しえないものである。このなかで台湾の存在感をいかに獲得するか。
これらについて、与野党議員ならびに政府関係者と意見交換を行った。

なお今回の訪問については、亜東関係協会にアレンジからアテンドまで大変なご尽力をいただいた。心から御礼申し上げる。

1月5日。
台湾到着。予想以上に寒い。夕方から、亜東関係協会の蘇さん、張さんと台湾料理の食事。蘇さんは東京の代表処勤務事態からの知己で台湾に戻って以来、二年ぶりの再会である。今回、通訳としてついていただく張さんとは初対面のあいさつ。お目にかかる方たちについて簡単な説明を受けるとともに、仕事のことから社会情勢まで、いろいろと話す。世界的な不況の中、台湾も深刻な状況で、経済対策・失業対策が大きな争点になっているようだ。とくに中国との関係での空洞化は、日本と比較にならないほどのウェイトを占めている。一説では、上海在住の台湾人がすでに50万人という。人口比率から換算すれば、日本なら260万人に相当する。それだけの人口がすでに「動いた」ことの社会的経済的な影響は大変なものだろう。

1月6日。
●行政院新聞局総合計画処処長 朱文清氏(写真 右)
新聞局の英語表記はGovernment Information Office、政府広報部というところか。朱文清氏は日本勤務の経験もある方で、主に陳水扁政権の内政改革について、非常に要領よくお話いただいた。
施政方針演説のキーワードは「深耕台湾、フ(にんべん[イ]と布)局全球」、グローバルな連携を深めるために足元を改革しようというもの。「行政改革」「金融改革」「財政改革」が課題である。行政改革とは、内戦時代からの中国大陸全体を統治するという虚構をなくして「身の丈にあった」政府機構に再編すること。同時に、民間にできることは民間にということである。
金融改革は、ちょうど日本の農協あたる農会の不良債権処理が大きな政治焦点になっていた。農会は地方の集票マシンであるところから、与野党問わず、これには抵抗が大きい。陳政権は、例え政権を失うことになっても改革を実行するという決意であるという。既得権層の反発に屈服すれば後世にツケを残すことになると。(どこかの絶叫オジサンに聞かせてやりたい)
もうひとつの大きな争点は、失業問題。世界的な経済収縮もあって、台湾の失業率も5%と大変な数字になっている。これが改善できるかどうかは、来年の総統選の行方にもかかわる。陳政権は、失業率改善のために700億元の特別予算を組んだ。韓国のIMF危機の教訓からの政策で、これで失業率を1パーセント改善するとのこと。
これに対して野党は、失業対策そのものには反対できないが、陳政権の再選ネライの政策だと批判し、特別予算ではなく追加予算とすることを要求。これだと通常の国会審議の手続きが必要なため、執行時期が遅くなる。予算の効果がでて総統選挙を迎えれば現政権に有利、効果がでる前に選挙を迎えるなら野党に有利ということか。

●総統府国家安全局諮詢委員 林佳龍氏(写真 左)
今回はじめて、総統府に入る。日本統治時代の建物で降りた階では工事中。底冷えがした。
林佳龍氏は40歳前くらい。総統の諮問機関である国家安全諮詢委員五人のうちの一人で、中正大学の学者である。国連大学にいたこともあり、日本のこともよくご存じで、国会議員との交流もある。国際情勢認識と台湾の方向について、非常によく整理されたお話を伺った。
まとめれば、第一に、新たな国際情勢のなかで日米安保の強化に期待。それは単に「対中国」という意味ではなく、この地域の安定と発展のための「公共財」として。
第二にそのためにも、自由・民主主義、開かれた市場経済を発展させる(FTAなど)ための日本のイニシアティブに期待する。
第三にこの視点から、東アジアにける台湾の位置を再定義してもらいたい
第四に、以上のためには日、韓、台、ASEAN、豪、NZなどとの構造的、重層的な連携を深める必要である。
第五に、市場経済の発展から生じる中国の矛盾を、上記の観点から解決するための共同のアプローチ(政府・非政府)が必要。
そのうえで、日本に対しては、現在はあまりにも自信喪失で内向きになりすぎている、もっと自信をもってこの地域での役割を果たすべきだ、との注文があった。

●国民党中央委員会 林ト祥氏(写真 右端)
旧知の国民党中央委員会政策委員 林ト祥氏を、国民党本部に訪ねる。写真は最上階にある中央委員会室。野党になってからの国民党は、全国390箇所にあった支部を130に縮小、本部職員も削減した。また、従来の権威主義的なイメージから「開かれた」政党への脱皮を示すこともあって、一般市民が自由に出入りできるようにしている。地下二階には学生の自習室があり、地下一階にはカフェテリア式の食堂がある。また2、3階は福祉団体などの公益団体に安く提供、5、7階には展示室を設けている。

午後の予定が終わった後、夜に林ト祥氏には最近できたショッピングモール内の食事に連れて行っていただいた。日本でいうと「屋台村」のイメージで、好きなものを好きな店から買ってきて、家族やカップル、友人同士、イートインスペースで食べている。
台湾料理から広東料理や四川料理、さらには韓国、日本料理、アメリカンフードまでじつに豊富である。日本では「食文化」がすたれて久しいが、こういうファストフードがあると、「食文化」はそう簡単にすたれないな、という印象を受ける。

●この日の午後、失業対策700億元計画の委員会採決が予定されたため、午後に予定していた立法委員(国会議員)との面談時間が大きく変更になり、夕方の短時間の面談となった。

唐碧娥 立法委員(民主党)写真なし
委員会質問が終わった後、採決の合間にあわただしくお目にかかる。宇都宮大学に留学した唐女史は、日本語で、民進党は野党時代には「台湾独立」を主張し、大陸とは接触しないとしてきたが、与党になってからは「接触しない」ではなく自分の目で直接確かめて判断すべきだと考えるようになった。しかしビザ申請をしても却下された。われわれの変化に対して、「分断」で対応する中国のやり方はよくないと述べた。
現実路線への変化について、苦悩しつつ決断したことを率直に述べていて好感がもてた。

李嘉進 立法委員(国民党)(写真 左)
李嘉進氏は国民党のニューホープ的存在。つくば大学への留学経験もある。経済部(日本の通産省にあたる)で官僚としてのキャリアを積んだ後、国会議員となった。これまでの国民党のイメージとは違って(!)非常にスマートな印象の方である。

対大陸政策では、国民党と民進党は違うが、民進党の対米・対日政策は、国民党時代の政策を基本的に引き継いだものになっている。ただし大陸との関係が硬直しているだけに、その分、対米関係がより太くなっているように見える。日本に対しては、政府間の交流をもっとハイレベルなものにすべきであり、対台関係について大陸の顔色をうかがうべきではない。

「日米同盟の再設計―安全保障から考える」
11月24日、第43回定例講演会は、「日米同盟の再設計―安全保障から考える」と題して、長島昭久氏(前米国外交評議会研究員)、村田晃嗣氏(同志社大学助教授)、R.エルドリッヂ氏(大阪大学助教授)によるパネルディスカッションが行われた。
ブッシュ・ドクトリンとその具体的適用であるイラク、北朝鮮への対応が間近に迫る中で、日本はなにをどうすべきか。まさに湾岸戦争以来の宿題が溜まりに溜まったところへ、「待ったなし」で向き合わざるを得なくなっている。
詳細な内容は、「日本再生」284号(12/1発行予定)に掲載されるが、戸田代表の集約は、以下の点である。

1.戦後日本は、国防・安全保障はワシントンの言うことを聞いていればよい、とやってきた。この問題設定を変えないなら、51番目の州として、自衛隊も太平洋軍の一部として位置付ければよい(現状の装備、能力はほぼそうなっている)。そうでないなら、日米同盟の再設計と国防をリンクさせることへと問題設定を変えること。国防の主体性なくして沖縄の基地問題にもアプローチはできない。

2.今必要な日本の主体性は、現実の国際関係を否定して、反○○ということではない。これは国民の常識になっている。しかし、投票率が25パーセントをきるような選挙では、こういう「地獄の選択肢」が浮上する結果になる。常識の線の国民が「バカらしい」と行かないような選挙の構造をどう変えるか。「選択肢がないから棄権」という選挙の構造を国民主権の力で変えることが問われている。

3.今年3月の講演会(中西寛氏、李鍾元氏、武正公一・議員、原口一博・議員)でも、アメリカの単独主義との「付き合い方」と言っている。アメリカの単独主義の是非を評論することではなく、アメリカ自由・民主主義で説明できる行動に踏み切るときに生じる新たな距離やギャップをどう埋めるのか―付き合い方とはこのこと。これがあってこそ、「悪い単独主義」の発動に対しては、はっきり諌めることができる。

4.日米韓の政策協調は、「核兵器をもったならずもの国家」をどのようにするのかをめぐってのもの。「対話と抑止」(ペリー報告)から、「能動的抑止と対話」への転換を

5.このことを通じて、中そしてロとの関係を「共通の利害」を確認できる関係へ。

重ねて、今国会の「学級崩壊」状態にみられるように、既存の政治はいかなる意味でも現実に問われている課題、それをめぐる国民の常識を反映していない。ここを変えなければ、25パーセントを切る投票率のなかで、「地獄の選択肢」が浮上することになる。国民主権の力でここを変える「急がば回れ」の戦略的活動(10.27基調)を、普通の国民が担うことが求められている。

「中国の市場システム構築は、日本の先を行く?」
11月9日、第18回・東京 戸田代表を囲む会は、胥鵬・法政大学教授をゲスト・スピーカーにお迎えして、「中国の金融システムとコーポレイトガバナンス、その現状と課題」を演題に開催された。
1978年から開始された改革開放は、「社会主義市場経済」という中間駅を通って、進められてきた。それは党と国家がすべてを仕切る、というシステムから国家と市場、国家と社会を分離し、それぞれにふさわしい新たな役割と関係を確定していく過程とも言える。
国有経済改革は、WTO加盟によって、いわば最終段階を迎えつつある。前回の唐亮先生のお話は、政治・社会面から、民主主義の基礎としての市民社会の形成過程―その前提としての国有経済改革の意味が明らかにされたが、今回の胥鵬先生のお話は、企業(コーポレイトガバナンス)と金融システムの面から、そのことが明らかにされた。

中国に金融市場はあるか。95年以前にはなかった。それ以前は、中国人民銀行がただ一行の銀行として、中央銀行でもあり、商業銀行でもあるという体制であった。そして人民銀行各支店は、各地方政府の財務部であり、融資はすべて計画どおりに配分されるという仕組みであった。95年、中央銀行法と商業銀行法ができて、人民銀行はセントラルバンクとしての役割を明確にした。
いわば通貨を媒介にして信用のシステムの法的基礎ができたわけである。
しかし、モノとモノ、モノとお金を交換する市場以上の市場、すなわち信用をやりとりする市場(金融市場)が成立するためには、統治や規律が不可欠であり、それは法律を決めるだけではなく、それを執行できることが必要である。そのひとつがコーポレイトガバナンスであり、これも国有経済の段階では「中国に企業はない」ということであるが、社会主義市場経済という中間駅を通って今日では、国有か私有かという所有形態の区別そのものが意味をなさないところまで、市場経済は発展している。

翻ってわが国はいまだに、郵貯や国債、地方債などという形で国民資産の多大な部分が「国家金融」を媒介にしているという世界である。中国にとつては、社債市場をいかにすみやかに成熟・発展させられるかが、今後の市場の発展のバロメーターだという胥鵬先生の指摘は、わが国の市場改革にとっても参考になるのではないか。

「参院千葉補選、いよいよ出陣」
10月10日、参院千葉補選がいよいよ始まった。
若井康彦候補は、千葉駅で第一声。
今回の補選は、本来、小泉政権への中間評価として、政権交代への重要なステップとして位置付けられていたが、民主党代表選でのズッコケ、小泉改造内閣の目くらまし(北朝鮮、経済ハチャメチャ)などで、水を差された。
「日本再生」282号で提起しているとおり、これはストレートに、「疑似」有権者からホンモノの主権者へと脱皮していくことによってのみ、次のステージは開ける。
「政権交代の力強き主体基盤へと、戦列を整えよう」。
「充電」したり「絶望との戦い」に寄り道をしているヒマはない。ここに即座に入れる者だけが、次の戦場に向かうことができる。

みんな 本気なら 変えられる
43歳のサラリーマンが、ノーベル賞をとったのだ。
永田町や社長がダメだとグチをこぼすのではなく、自分の「変えたい」に正直に活動すれば、道は開ける。
拉致被害者が一時帰国する。予想を越えた展開は、家族の会がねばり強く道理を説き続けたからだ。
その矜持ある姿勢が、世論を動かし、政府を動かしている。
これこそ、国民主権じゃないか。

みんな 本気なら 変えられる
あなたの「変えたい」を政権交代の力に!
10月27日、午前中は投票に、そして午後は砂防会館(「がんばろう、日本!」国民協議会大会)へ!

「生産現場にヤル気を起こさせる」
10月7日、第17回 東京・戸田代表を囲む会が、戸田邦司氏をゲストスピーカーに迎え て開催された。
戸田邦司氏は前参院議員(自由党)で、現在、新潟鉄工所の管財人として企業再生にあたっている。
新潟鉄工所は、エンジンや造船などの分野で優れた技術を持つ、その分野ではトップクラスの企業であった。
その新潟鉄工所がなぜ倒産したのか。企業再生の過程で見えてきた、組織の問題点がきわめて具体的に提起された。

新潟鉄工所の倒産の直接の原因は、バブル期とその後も続いた「財テク」まがいの投資であるとされているが、より根本的な原因は、「財務の専門家」を自負し、苦言を呈するものを遠ざけたとりまき政権をつくった経営体質であり、いわゆるコーポレイトガバナンスがなっていなかったことにある。
だがそれは単純に、経営者がダメだったという話ではなく、ある部門が赤字になると、知らず知らずのうちに他の部門にも「やる気」が失せて、組織全体の活力がそがれていくという、総無責任連鎖の蔓延(現場からトップまで)が止められなかったという問題である。

負債を切り離しさえすれば、各部門は十分採算性が取れる。新潟鉄工所の場合は、外資には売らないと決めていたそうであるが、そうした「優良物件」が、不良債権処理の過程で外資に叩き売られていくということも、今後は予想される。
またここまでの経営責任についても、「背任罪」は成立しうるが,裁判のコストに比べて実際に取れるものは少ないということで、見送られている。

時代の変化・転換に則して、人も組織も変わらなければならない。「変わろう」という意欲がなければ、どんなことをやってもダメだということ。そして組織の新陳代謝や脱皮をスムースにすすめるには、既得権を破壊しなければならないことが、改めて示された。

戸田代表からは、「仕事があっても倒産する」という時代にあって、生産現場・働く人たちが誇りを取り戻す・そこに喝を入れることと結びついた経済政策・経済戦略の提起が決定的であることが提起された。

なおこの日は、自由党の平野貞夫・参院議員も見えて、臨時国会の焦点などについてコメントをいただいた。

□第17回「囲む会」の報告は、第16回(唐亮氏「変貌する中国の政治と社会」)とともに、283号に掲載します。

「みんな 本気なら 変えられる」
きたる10月27日に行われる補欠選挙(全国7選挙区)は、 小泉政権への中間評価の意味合いを持ち、政権交代に向けた重要なステップです。
収賄で辞職した井上・前参院議長の議席をめぐって行われる、参院千葉の補選におい ては、若井康彦氏が立候補を予定。若井氏は、昨年の第一回大会ではパネラーとして 登壇、その後も千葉を変えるため、「千葉・囲む会」などにも参加してきました。
「がんばろう、日本!」国民協議会では、このたびの補選に際して、若井康彦氏を推薦 することにしました。
「日本再生」281号の「千葉・囲む会」報告にもあるように、千葉は戦後日本の凝 縮でもあり、この千葉を変えることは、日本を変える―政権交代にむけた分水嶺とも 言える攻防です。
告示は10月10日、投票は27日です。
千葉に投票権のある人は、ぜひ若井さんに投票を! まわりの人にも声をかけて、1 0月27日は午前中に若井さんに投票して、午後からは砂防会館へ!
千葉に知り合いのある人は、ぜひ若井さんを紹介してください。

資料が必要な方は、03-5215-1330 「がんばろう、日本!」国民協議会 まで
若井事務所 043-222-3515

「政治の構造改革と政権交代の基盤整備」
9月11日開催の定例講演会(第42回)は、政策研究大学院大学の飯尾潤先生が講師。
小泉「疑似」政権交代のオカシサ、民主党代表選挙、長野県知事選挙など最近のト ピックを交えながら、まともな政党政治が機能するために何か必要なのか、いろいろ な角度からお話いただいた。

政党政治の本筋からみると、おかしなことはいっぱいある。
例えば、総選挙を経ずに与党が総理を変えてしまうこと。あるいは小泉さんは「自民 党を潰す」と言ったが、本来はその前にやるべきことがある。すなわち「野党にな る」ということ等。

小泉改革は、不良債権処理など、本来やるべき改革はさっぱり進まず「できるところ しかやらない」という自民党型の改革だが、政治改革については若手が少し勉強した こともあって、多少進んだ。
例えば、若手から「首相がマニフェスト(公約集のようなもの)をつくり、それで公 認なども決めて選挙をやるべし」というごく当たり前の話がでると、総務会では「自 民党には公約なんてできない。政策なんか選挙が終わって考えるんだ」という話が わっと出る。こういうかたちで、自民党というのがどういう政党か、だんだん分って きて、政治改革で何をしなければならないか、煮詰まってきている。

民主党代表選も、野党を国民にアピールするチャンスで、「だれがなるか」だけでな く「どう見せるか」をもっと前から準備すべきだった。それでもようやく政権をめぐ る真剣さが見えてきたのではないか。
若手という意味は年齢のことではなく、旧い政治文化をひきずらないということ。自 民党にも、小泉さんが抵抗勢力までも閣僚に入れて総力戦をせざるをえないように追 い込むべき。

日本再生のエネルギーのためには、次期総選挙は自民党の崩落ではなく、与野党激突 型(総力戦)が必要で、そのためにはもう少し、後押しが必要であること。

長野県知事選挙でも、有権者の地殻変動が確実に起こっていることが分る。オール与 党の磐石なところほど、じつは脆弱で、いざ正面戦で選挙となると、候補者擁立のや りかたすら分らないということになる。イネムリ自治体では、多少「変わった人」で もどんどん出せば、変化の糸口になる。
情報公開も、無駄遣いや悪いことを暴くためだけではなく、財政状況や行政の事業や サービスの状況を公開して、市民自身が政策論争をできるようにもっと活用すべき。 自治体選挙ではこうした取り組みも。

政治をまともに機能させるためには、政治家の姿勢を問うだけではなく、有権者から も政治との距離を縮め、政治に参加することが必要で、そのためにやるべきこと、で きることはたくさんあること。その示唆に富んだ講演であった。

「今を変えるために、歴史の教訓をひもとく」
 8月10日、第15回「東京・戸田代表を囲む会」が、齋藤健氏をゲストスピーカーに開催された。
この日は、午後からは全国幹事会が開かれており、6時にこの日の会議を終えた後で の「囲む会」となった。
メールマガジンでも述べているように、8月は民主党代表選挙や長野県知事選挙など、 秋からの攻防に向けた「水面下」での重要な時期でもあり(候補者選びのプロセスと して焦点化された)、定例講演会を開催せずに、「囲む会」一本にしたこともあり、 事務所いっぱいにイスを用意しての囲む会となった。

齋藤氏は現役の官僚で、「転落の歴史に何を学ぶか」(ちくま新書)の著者でもあ る。
齋藤氏は、「失われた10年」と言われるが、日本を改革するには今しかない、「残さ れた10年」という発送が必要ではないか、というところから、現在の危機の背景とし ての戦前の歴史をいかに教訓とするか、という問題意識を述べた。
そしてこのような「歴史の旅」のなかで、「失敗の本質」「何が変わったのか」を問 い続ける。戦前の失敗(国策の誤り)について、さまざまに原因が挙げられ、いずれ もその通りであるがしかし、それらはやはり「結果」ではないのか、さらに深いとこ ろで社会そのもの、組織そのものを問うべきではないのかと。

戦前日本の転落の歴史は、同時に改革に苦しんだ時代の結果でもある。
今を変える、そのために歴史の教訓をひもとくとは何か。歴史学者でもない「ただの 官僚」が、多忙な公務をこなした後に、睡眠時間を削ってこの問いに向き合い続ける 姿勢に対して、まずは同じ目線に立つことである。
ご本人も言うとおり、歴史についてはシロウトである。専門家のご高説をうけたまわ るという姿勢で話を聞くのは、失礼というものであろう。

齋藤氏は1959年生まれ。昔は明治維新の時に生まれていたら・・・とか、いろいろ考 えたそうだが、日本にとっての正念場である「これからの10年」の時代に、若すぎも せず、「もう年だから」という年代でもなく、最前線で責任世代として力を尽くせる ことを喜びとしているとのことである。

「共同墓が完成」
このほど、「がんばろう、日本!」国民協議会の共同墓が、八王子市の上川霊園内に完成した。7月6日、完成式とともに、2000年2月3日に亡くなった山下あき子・同志の納骨式が行われ、長年ともに活動してきた者や縁の人々が墓前に花をたむけ、「民主統一・「がんばろう、日本!」国民協議会をよろしく」と最後ま で活動し続けた山下あき子の遺志に思いをはせた。

共同墓には、正面に「草莽崛起」の文字と、「がんばろう、日本!」国民協議会のロゴマークが刻まれ、裏には「日本再生のため矜持ある国民運動に献身した人々を慰霊する」との碑文とともに「耕心耕道」の文字が刻まれている。
「耕心耕道」とは、昨年亡くなった新樹会の末次一郎氏の言葉である。それを刻んだ含意は、「事実と向き合う戦い」すなわち都合の悪いことは見ないようににする・他人のせいにする、という庶民の「無責任」を庶民自身が断ち切るところから、フォロワ−としての「責任と信頼」が築かれるということであろう。

草莽の小さき献身こそが、日本再生の原動力にほかならない。路傍の石も、事実と向き合い、持ち場で務めをはたすなら、「天下の大道」を支える、なくてはならない存在になる。生きている間に「名誉」や賞賛とは無縁でも、かならずお天道様は見ているし、時代はどこかにその生きざまを記憶に刻んでくれる。
共同墓に込めた思いは、そんなところか・・・

「日本が『ガラパゴス』になる日?」
7月6日、第14回・東京・戸田代表を囲む会を開催。
今回のゲストスピーカーは、深川由起子氏。韓国の構造改革とその日本への含意、さらに日韓FTAなどについてお話いただいた。
 韓国の構造改革がある程度うまくいったのは、なによりも政治の決断と意思が明確だったこと。それまでは、銀行・金融行政についてもかなり日本を真似ていたが、危機に際しては「日本のようには絶対ならない」との明確な決断があった。「とにかく市場の信認を回復することを至上命題に、政府主導で果敢な取り組みがなされた。
 第二には、政府、経営者などに「説明責任」が徹底されたことである。「市場の信認」のためには、透明性とアカウンタビリティーが不可欠だが、これが強制措置もふくめて徹底された。
 その結果ということもふくめ、「自己責任」ということが、「高い授業料」を払って多くの人に体感された。15歳から35歳という、韓国で人口の中心をなす世代が、第二反抗期から最初に大人の顔をもつところまでの年齢で、このことを体感した意味は大きい。
 今、日本に問われているのは平成の開国倒幕。倒幕とは、政官業癒着の構造から権力を奪うことであり、開国とはアジアに向かって開くこと(真に「アジアの一員」となること)である。グローバル化の波のなかで、自己責任を体感した挑戦欲にあふれる若き隣人と手をたずさえて改革を推し進める―そのためにも日韓自由貿易・市場統合は不可欠である。
 世界のそれなりの国で、FTAに参加していないのは、中国、日本、韓国、台湾とのこと。日本は先日ようやくシンガポールとのFTAを締結したが、このままでは「ガラパゴス」状態。日韓の経済統合の進展は、ドルに揺さぶられつづけてきた円を安定させる好材料ともなる。
 日韓FTAのメリットは明白であり、問われているのはそのための政治的意思である。
 きたるべき政権交代では、そういう「倒幕開国」の方向を鮮明にしたいものである。
次回は8月10日。

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