日本再生 307号(民主統一改題37号) 2004/11/1発行
政権交代のロードマップへの国民的参加の道すじを マニフェスト政党創成期の主権者運動の諸課題を実践的に深めよう | ||
反政府のレトリック(民営化)で 改革を語る茶番劇の幕を下ろすとき 与党が渋り続けて来た臨時国会が、ようやく始まった。「やればできる」という高校野球の校歌やオリンピック選手の活躍など、総理の所信表明演説は「やりとげた他人の話」ばかりが目立った。与党席からも拍手はまばら。「やればできる」は、やりとげた後に言う言葉、やる気もない人が無責任に連発するものではない。 民主党の岡田代表は代表質問の最後に、総理の「やればできる」に対して、「努力した人が報われる社会を実現するとともに、努力したけれども報われなかった人びとがたくさんいることを決して忘れない政治を目指す」と述べた。 国民の2パーセントしか望んでいない「郵政民営化」を最重要課題に振り回す小泉政治(50パーセント以上が「最も力をいれてほしい」としている「年金・福祉」について、所信表明では触れず)と、政権交代をめざす野党第一党との違いが垣間見られたシーンであった。 新潟県中越地震が発生した夜、総理は危機管理の中枢である首相官邸には出向かず、公邸に留まり続けた。対応に大きな瑕疵があったわけではないが、新幹線脱線の報を聞いた記者は、官邸に詰め掛けた。緊急対策本部が設置されるものと考えたのは、当然であろう。新幹線脱線は、被害の大きさを想像させるに十分である。しかし、官邸に現れたのは村田防災担当相だけであった。 このことを報じた産経新聞(10/26)は、この夜の首相官邸は |
「官僚」だけが動き回り、「政治は不在」であったと結んでいる。地域一帯で行政機能がマヒしてしまうような緊急事態に、最高責任者が先頭で指揮している姿を示すことは、国民に対する最大のメッセージではないか。小泉総理が、肝心なときにお得意のパフォーマンスを「忘れた」のは、国民の安全・安心を守るという政治の基本が置き去りになっているからではないのか。 同じ所信表明演説で小泉総理は「構造改革を進める中で、景気は個人消費や設備投資を中心に、堅調に回復している」と「改革の成果」を強調した。しかし国民生活の実態を見てみれば、サラリーマンの給料は六年連続で減少。それでも給料を安定的にもらえるのは、まだよいほうで、失業者は三百万人を超え、求職そのものをあきらめてしまった人は四百万人、フリーターも四百万人を超える。正規社員などの安定雇用からパートなどの不安定雇用への変化も急速に進み、勤労者に占める非正規社員の割合は34パーセント。このうち八割が月二十万円以下の収入、十万円未満の人はそのうちの四割にのぼる。じつに日本の勤労者の三分の一が、安い賃金、不十分な福利厚生などに加え、いつ職を失うかわからないという不安をかかえて生活していることになる。 「郵政民営化」は、この現状に応える最優先課題なのか? 右肩上がりの時代の公共を、新たな時代の社会的公正=新たな公へ転換することこそが、構造改革である。「郵政民営化」は新たな公から規定されたものといえるのか? 国民主権の力で、公を置き去りにした反政府のレトリック(民営化)で改革をもてあそぶ茶番劇を終わりにする時だ。政権交代へのロ | |
ードマップとはそのことである。 新たな公(新しい時代の社会的公正)の基準から、公なき「官から民へ」の欺瞞を暴く。これが、予算案(三位一体改革など)や郵政改革法案を審議する通常国会論戦の基軸になる。いいかえれば「受け手」の側も、さまざまな追及や質問の背景に見え始めてきた新しい時代の社会的公正観を受け取るところから、政権交代へのロードマップに参加しなければならない。 マニフェストが構成的なものになる(民主党)ということは、それを深化するなかで、新たな公=社会的公正の基準がさらに分かりやすく整理されてくるということだ。政策を「票の出る順番」に並べた羅列的なもの(自民党)であれば、無統治状態の底が次々と抜けるということになる(予算委員会での閣僚答弁の惨状は、それをよく現している)。 公なき「官から民」への絶叫は、国民を不安に追いやる。不安は放っておけば「年金はいくらもらえるのか(自分はどうなるのか)」に終始するが、「みんなが『満足』ではなく(それは不可能)、みんなが『納得』できるような仕組みに」と訴えるバッジをつけた主権者がいればそこで考えるし、「公正な仕組みのためには消費税増税を」ということにも納得する。バッジをつけない主権者のそこまでの成熟は確実にあることが、参院選で明らかになった。 ここから一歩も後退せずに、政権交代のロードマップへの国民的参加の道すじを切り拓いていくこと。そのために、新たな公(新しい時代の社会的公正)の基準から、公なき「官から民へ」の欺瞞を暴き、新たな公(それを担保する政府の役割)についての国民合意を築き上げていくこと。臨時国会をその実 |
践的教訓の一歩としよう。
非マニフェスト政党崩壊の無統治状態を マニフェストの基準からマネジメントする力が問われる マニフェストとは単なる政策集ではなく、政治文化・組織文化を規定するものだ(政党には政策による紀律化を、有権者には脱無党派を求める)。合意形成なき羅列のマニフェスト(非マニフェスト)が、「言いっぱなし」のレベルでは終わらず底抜けの無統治状態として露呈したのが、今予算委員会であった。 政権の求心性が急速に失われる一方で、政党崩壊の最終局面にある自民党には、郵政にしろ三位一体にしろ「政治とカネ」にしろ、政局にするエネルギーももはやない。誰もがあ然としてしまった法務大臣の言動は、郵政民営化も三位一体も「政治とカネ」も、「意見はいろいろ…」「党で議論してもらって」「国会で議論しているから」という丸投げ・無責任が行き着いた象徴だろう。 反政府のレトリック(民営化)を振り回してきた結果、現出しているのは、政権の側にいる限り何をやってもよい(法と秩序、ルールなどはお構いなし)という無統治状態の空間である。この点において個々の能力には差があっても、法務大臣以下、総理も官房長官もその他の閣僚もほぼ同じであると言わざるをえない。少なくとも「政策論理のつじつまを合わせる」くらいは政治家としての最低の説明責任だ、ということが分かっているなら、この内閣の閣僚に名を連ねるのは恥ずかしいのではなかろうか。 | |
このような無統治状態の底が次々に割れることを、官邸主導・総理のリーダーシップと言いくるめるための最後のカードが、郵政民営化ということになりかねない。 マニフェスト政党創成の側に求められるのは、この無統治状態をマニフェストの基準からマネージしていく力と技である。事態を統治する基準をマニフェストに基づいて示し、そこから問題設定、論点整理をし、同時にそれによって国民世論を形成し、新しい政府を創るロードマップへの国民的参加の道すじを示していく作業にほかならない。 言うまでもなく、マニフェストをまとめるまでの過程と、二大政党・マニフェストを定着していく過程―ここで政権交代のロードマップをつくり上げていく過程とでは、求められるマネジメントの質は大きく飛躍する。 橋本派のヤミ献金について「自民党の問題ではない」と言い放ってしまう総理(自民党総裁)には、普通の国民も「あれはヒドイ」と思う。業界丸抱えの自らの政治資金について、調査も報告も拒否する法務大臣(「政治とカネ」疑惑の所管大臣)を、「初心者だから暖かく見守って」と言われては、普通の国民も怒る。 しかし、この延長に政権交代―政治のチェンジがないことは、森政権の末期から小泉政権誕生の経験からも明らかだ。政権交代は総選挙によってのみ、しかもそれをマニフェストによる政権選択選挙とすることで、はじめて可能になる。これが国民主権の教訓だ。この教訓を、「小泉さんはひどい」の延長で政権交代を期待する人たちにまで、どのように伝え、政権交代のロードマップへの参加の道すじを示すのか。ここでのマネジメントが問われる。 |
郵政解散で、同じような目くらましを画策するとは、ここまでのマニフェストと二大政党の蓄積をなかったことにしようというに等しい。しかしマニフェストと二大政党の蓄積はもう、後もどりできないところまで来ている。だからこそマニフェスト政党創成の側が、この無統治状態をマネージすること、それを国民的参加で蓄積していくことだけが問われているのである。 そのための、バッジをつけた主権者の動きは臨時国会から見えてきた。その問題設定を共有し、その意味を他者にどれだけ広く伝え、国民的うねりにつなげていけるのか―これがバッジをつけない主権者に求められる、新たなマネジメント能力である。 小泉改革に一度は期待し、いまでは失望しているような人たち。年金問題ではじめて、自分の直接利害とは別の基準で投票する経験をした人たち。いろいろあってもやはり自民党に任せるしかないと思ってきたが、もうだめだと考え始めた人たち。これまでは補助金の側にいたが、もうだめだという人たち。参院選で民主党を勝たせたのに、何も変わらないじゃないの、と「不満」をぶつける人たち。公なき「官から民へ」で不安に追いやられている人たちなどなど。 マニフェストの主体的受け手のみならず、小泉政治の遠心過程で飛ばされてくるさまざまな層にまで、政権交代のロードマップへの参加の道すじ、そのための組織文化をどのように伝えていくか。 新たな公の発信者ではないが、受け手としての下準備はできているという多くの「普通の人」に、新たな公の基準から、目の前のどうしようもない無責任連鎖を管理するための問題設定を伝え、そこでの合意形成を不断に図り、政権交代のロードマ | |
ップへどこからどのように参加すべきかを協議する。そしてそこから、マニフェストの深化(新たな公をさらに体系的に分かりやすく整理する)へとフィードバックしていく。そのための指針として、論点整理・争点設定のシャープさを検証していく。こうした協働関係のなかで築かれる信頼こそが、政党の信頼関係の基礎だろう。
「官から民へ」の欺瞞を暴き、 新たな公と新しい政府の役割に関する国民合意を形成しよう 政権交代へむけたロードマップへの国民参加を組織していく、そのための論戦をいかに組み立てていくか。対案作成にしろ、徹底追及にしろ、ここから論点を整理し、またそれを分かりやすく有利に展開するための組織運営(人事や日程など)をしていかなければならない。バッジをつけない主権者も、その問題設定、判断基準を共有したうえで「言うべきことは言う」というところへの踏み込みが求められる。 通常国会の焦点はやはり、郵政民営化法案と三位一体改革(予算案)であろう。どちらも「いろいろ議論して…」「民でできることは民で」「地方にできることは地方で」という一般的なスローガンでのはぐらかしが効かない段階にはいる。ここで、非マニフェスト政党崩壊の無統治状態が露呈してくるわけだが、ここでの論戦から新たな公と新しい政府の役割に関する国民合意の土俵をいかにつくりあげていくか。 郵政民営化に賛成する理由のトップは、「郵貯や簡保から特 |
殊法人にムダな資金が流れなくなる」ということだ。(四分割という政府案への賛成は47パーセント、反対は34パーセント 10/26朝日)。しかし、政府の民営化案ではこの点はまったく対象に入っていない。 「今回の郵政民営化を巡る対立構図もまさにその一環です。本来、財政投融資改革、特殊法人改革と一体不可分の関係にある郵政改革を『郵政民営化、是か非か』という図式に単純化し、形として民営化さえできれば、それが大改革だという錯覚を国民に与えようとしています。 しかし三五〇兆円という膨大な資金を持ったままの現在の郵政公社を民営化すればどうなるでしょうか。貸出ノウハウを全く持たない世界最大の金融機関が生まれるという、民間では考えられないことが起きるのです。このままの形での民営化は、官による民業圧迫、民業つぶしにつながります。郵政公社にとっては“焼け太り”の民営化になりかねません。 だからこそ小泉総理と族議員との対立構図は、最後は落ち着くところに落ち着くことになっている“出来レース”のような感がして仕方ないのです」(古川元久衆院議員のメルマガより) まさに「本丸」は郵便ではなく、郵貯、簡保であり、財政、金融、特殊法人である。「郵貯や簡保から特殊法人にムダな資金が流れる」ところには、政官業の癒着がバッチリ張り付いている。ここを糾すことのない「民営化」とは既得権の焼け太りにほかならないことを、事実の暴露も含めて徹底して行うとともに、その淵源が「公なき『官から民へ』」という「カイカク」のレトリックにあることまでを、国民に明らかにしなければならない。これは、新たな公の基準からのみなしうる。 | |
「官から民へ」という反政府のレトリックで改革を語る「誤り」(多くの人は善意からの誤りだが)と主体的に手を切る戦いなくして、やはり「新たな公」を創造する協働には参加できない。その意味を(論理だけでなく、姿勢や熱意からも)伝え、そのために力を合わせようと訴えることこそ、バッジをつけない主権者の小さき無償の戦いであろう。 この基準さえ明確になっていれば(有権者の基本勢力がそれを理解していれば)、既得権の側から「民営化反対」を言う勢力に対しても、こちらから「踏絵」を迫ったうえでの対敵共同という大技を打つことも不可能ではない。だがこの基準が十分明確にされないまま、「反小泉」でウロチョロすれば不信を買うことになる。 なぜなら、郵政民営化に賛成にしろ、反対にしろ、「普通の人」は公から説明できる判断基準を持っているからである。(賛成のトップは「郵貯や簡保から特殊法人にムダな資金が流れなくなる」、反対のトップは「全国均一のサービスが維持されなくなる」10/26朝日)。マニフェストで説明できないような対敵共同では、二大政党の定着に傷をつける結果になる。政局の作り方も、マニフェスト・二大政党の定着以前とは大きく変わるし、有権者の目線も高くなっている。 三位一体改革も予算案の形になり、すりかえ、はぐらかしができない段階にはいる。総理からいわば「丸投げ」された地方六団体は、分権をすすめるチャンスとして補助金削減案をまとめあげた。〇五〜〇六年度の第一期分で三・二兆円、〇七〜〇九年度の第二期分も含めると補助金の削減は八兆円を超える。これは現在の補助金の約半分にあたるものだ。 |
これほどの決断をまとめるにあたっては、市長会が尽力したと言われる。つまり知事よりももっと身近なレベルで、身を削っても自立の道を進もうという決断が、深く広く進行しているということだ。この間「合併特例法」というニンジン(合併特例債の活用や地方交付税の優遇という『目先のカネ』)をぶら下げられて、基礎自治体は否応なしに合併の賛否を問われた。合併を決断したにせよ、合併しないことを選んだにせよ、「いかに自立するか」を考え抜いた自治体は、少なくないはずだ。「身を削っても自立の道を」という決断は、こうした背景からも生まれているだろう。 この地方案に対して、各省庁がまとめた「対案」は全体で一兆円という規模もお粗末であるが、「補助金廃止」ではなく「補助率削減」という、地方の自主裁量拡大に真っ向から逆行するものである。そしてここに、補助金のうまみ(口利きのうまみ)を奪われる自民党があらたに参戦しようとしている。「よく議論して」というだけで、首相のリーダーシップはいっさい見られない。 地方案の背景には、もはや先進自治体・改革派と言われるところだけにとどまらないところまでの、自立と責任への決断の広がりがある。中央省庁の対案は「地方には任せられない(地方に自主的能力はない)」という発想を、ものの見事に現している。もちろん背景には、補助金に伴う権限は絶対渡さない(ここにも政官業の癒着)ということがある。同じ既得権勢力である自民党が代弁しているのは、「おねだり自治体」の声だろう。ここにも癒着の構造がへばりついている。 こうした構図のなかでは、地方案を「丸呑み」させる側で論戦 | |
を組み立てるべきだろう。基礎自治体という、より住民に近いところで、身を削っても自立への道を歩もうという合意形成の努力が図られているのだから、それを促進する側に徹底的に立ってこの問題を扱うところから、「新たな公」についての共有環、そこから規定される「国の役割、地方の役割」についての共通認識をつくるべきだろう。 基礎自治体の首長や議員のところでの「自立と責任」のうねりと連携できるかは、世論形成のうえでも、組織づくりのうえでも大きなポイントとなる。来年には「平成の大合併」で誕生した新市の選挙が全国で行われる。知事選から始まったマニフェストは、国政レベルで政治文化として定着する緒についたが、今度はさらに市長レベルで地に足をつけていく段階でもある。マニフェスト感覚、マニフェストの政治文化を地方でも目に見える形にしていけるかは、〇七年の統一地方選挙にむけた重要なステップであり、〇七年の任期満了までに必ず行われる総選挙で政権交代を実現するために不可欠の基盤である。 とくにここでは共同体の責任意識層(いわゆる「保守」層)と、新たな公の基準を共有し、「責任と自立」で協働できるかがキーポイントであり、人事もそれにマッチしたものにしていかなければならない。 さらに来春にむけて大きな課題となるのが、在日米軍の再編問題ではないか。米側の再編案によれば、これによって本格的に在日米軍が日米安保条約の「極東」の範囲を超えて展開することになる。「極東条項の見直しが必要」(防衛庁長官)「必要ない」「(官房長官/内閣の見解)と、ここでも無統治状態が露呈しているが、問題の核心は、こんないいかげんなことで日米同盟はもつのか? ということである。 |
在日米軍が「極東」の範囲を超えて本格的に展開する―これは日米安保条約の規定を明らかに超えることであり、条約改定―日米同盟の再設計から扱うべき性格の問題である。これさえも「解釈で何でもアリ」にしてしまえば、外交における法と秩序であるべき条約や文書化された確認事項、国会答弁なども、「どうでもいい」ということになる。日米同盟はこれでもつのか?が戦略対話以前の話のところで問われている。 極東条項見直しは、「米軍は日本を守り、日本は基地を提供する」という日米安保条約の枠組みそのものの見直しに直結する。民主党は日米安保条約の見直しと、地位協定の見直しを正式に提起し、極東条項については「新たな制約を設ける」か「グローバル展開を認めるか」という問題設定をしている。 まずこうした問題設定ができることが、わが国の外交と国防に責任をもつ政党たりうる用件である、ということを自民党との対比においても明確に示し、有権者の理解を促進すること。さらに極東条項の見直しを提起でき、日米安保条約の改定―日米同盟の再設計を提起できるのは、東アジア共同体に関する構想と戦略があるからだということを、政策論として示すこと(マニフェストの充実)。 外交や防衛は票にならないと言われてきたが、いずれも今は「東アジア」「中国」を抜きには語れない。早い話、東アジアの経済統合について、そこで生き抜くために必要な改革と日本の再生について、普通の人の目線で語れなければ、外交・防衛政策を語ったことにはならない。専門家ではない普通の人のバッジをつけた主権者にも、ここでは大いに出番がある。バッジをつけた主権者の問題設定、論点整理を共有し、それを普通の人の生活感覚で伝える責務を担っていこう。 | |
(米軍再編の詳細については、三〇六号掲載の長島昭久・衆院議員のインタビューを参照。東アジア経済共同体については、ブックレットNo.15を参照) | ||