日本再生 306号(民主統一改題36号) 2004/10/1発行

政権交代にむけたロードマップへ実践的に切り込む秋(とき)
マニフェスト政党創成期の主権者運動の課題

小泉新体制と岡田新体制
二年間のミッションとロードマップはいかに

 小泉改造内閣が発足した。「サプライズがないことが、サプライズだ」と言われるように、小泉劇場のネタは底をついた。透けて見えるのは延命のための孤独な権謀術数だけである。だがこうした人事のあれこれを永田町の目線(五十五年体制の習性)で評論することは、二大政党が定着しつつあるなかではほとんど意味がない。
 昨年の総選挙、今年の参院選挙を経て、二大政党の流れは後戻りできないまでに定着した。ここ二、三年は選挙で政権交代―政権交代可能な二大政党にむけて、わが国の政党政治の未来を決する時期である。この時期の布陣として、一方に民主党・岡田新体制が、他方に自民党・小泉新体制が敷かれたということ、ここから内閣を評価するという新たな政治文化をわれわれは獲得しなければならない。
 二年間のミッションとロードマップを「政権交代」の一点に焦点化した岡田新体制と、郵政民営化実現内閣(および党三役)と自称する小泉新体制。組織的集中力において、前者が圧倒的に優っているのは、マニフェストによる規律化という点からも当然である。
 総選挙―参院選とマニフェストを蓄積してきた民主党の党内論争は、それを実現するための組織力、権力闘争の力にまでいかに転化するのかをめぐるものである。さまざまな「苦言」も「政権交代のために」という組織目的の一致があれば、求心力へ発展させることができる。
   「民主党は政策には強いが、権力闘争への執着が弱い」と、よく言われる。しかし実現すべき政策への執着があったうえでの権力闘争への執着は、政策の一致なき権力闘争への執着とはケタ違いのものである。政策の一致なき権力闘争が、非マニフェスト政党の崩壊(“終わりの終わり”)へと帰着した今、実現すべき政策への執着があったうえでの権力闘争をめぐる差異を、新たな求心力へ転化していくマネジメントが問われている。当然それは、マニフェストをまとめ上げる過程でのマネジメントよりもはるかに深化したものとなる。ここへの挑戦を、岡田新体制から始めるということだ。
 一方の小泉新体制に働いているのは、遠心力である。政策上は「郵政民営化」、党建設上は世代交代で突破、というのがこの二年間のロードマップであろうが、そもそもマニフェストによる規律化ができていない(マニフェストに「郵政民営化」の文言はあっても、党内合意がないのは周知の事実)。むしろ「抵抗勢力」「現状維持勢力」という仮想敵をつくることで求心力を図ってきたのが小泉流であり、しかしその手法も飽きられてきたというのが今回である。
 さらに深刻なのは、小泉政権が郵政民営化を「改革の本丸」と位置付けるのに対して、有権者が内閣に一番力を入れてもらいたい課題は、「年金・福祉」が52%、「景気・雇用」が28%に対して「郵政民営化」は2%に過ぎない(9/29朝日)というところまで、事態は進んでいる。
 郵政民営化は自民党内の「踏み絵」には使えても、改革の国民的求心力にはなりえない。このギャップこそが参院選敗北の根本原因であるはずなのだが。

 実現すべき政策への執着なき政権への執着、という点では小泉新体制の側も「抵抗勢力」の側も同質である。それでもこれまではこの枠のなかで、自民党内疑似政権交代の力が働いた。しかしもはやこの枠からは、いかなる意味でも「ポスト小泉」(自民党内疑似政権交代)のエネルギーは生まれてこないという、政党瓦解の最終幕を迎えている。
 言い換えれば、例え派閥抗争のレベルであろうと、国民世論(国民主権まで成熟していない)を組み込む余地が消えてなくなったということであり、そのことに対する危機感(国民政党たりえないという危機感)も、この枠からは生まれていない。これが小泉新体制の風景であろう。
 党建設上は、安倍幹事長代理を看板に「世代交代」など、無党派受けのする路線を継続して掲げることになろうが、はたしてそれで二年後の党の姿が見えるか。参院選ではっきりしたことは、旧来の支持基盤の構造的な自民離れである。これは一過性のものではなく、むしろ〇一年の熱狂が例外であり、参院選の敗北は(ジワジワと続いてきた)構造的な自民離れに一段と拍車がかかったことによるものである。ここを「無党派受け」で対処するというロードマップは、来年の都議選で試されることになるはずだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
  政権交代にむけた政治日程を
主導的に準備する秋(とき)

 総選挙と参院選を経て、われわれは「第一脱皮」から「第二脱皮」へのステージに歩を進めつつある(2面図参照)。〇七年には統一自治体選挙と参院選が行われる。衆院の満期もこの年の秋であり、この間に必ず総選挙があるという「一大政治決戦」にむけてどのように政治日程を組み上げていくのか。
 人口減・少子高齢社会を目前にして、しかもイラク戦争に象徴されるような国際秩序の流動化と、東アジア経済統合の趨勢という外部環境の大きな変化のなかで、政権交代のかかった次期総選挙までのロードマップをどのように持つのか、
 このロードマップは同時に、マニフェストと二大政党の定着―マニフェスト政党創成の礎石となるべき政治文化、組織文化を創りあげる組織計画でもある。マニフェスト政党創成の深まりと蓄積の度合いによってのみ、非マニフェスト政党崩壊期の“終わりの終わり”に幕を引くことが可能になる。その成長が遅ければ(弱ければ)、“終わりの終わり”は、ヘビの生殺し状態が続くことを意味することになる。このようなせめぎあいを突破しなければならない。  ここに実践的に切り込んで合意形成をはかることこそ、この秋の第一義的な組織的課題である。
 こうした国民主権の発展と政党建設の課題が具体的に見えていない度合いに応じて、この秋は「流れる」ことになる。(不平不満は山ほどあっても)人事は一通り終わったし、郵政民営化はいろいろ言っても法案として出てくるのは来年の通常国会だし、予算も外交も官邸の専有事項だし……。そのうえ大きな国政選挙はしばらくないし、ということになれば政局も「開店休業」、(日歯連のヤミ献金など不祥事も多々あるので)国会も

できることなら開きたくないというのが与党のホンネ、ということになる。
 反自民の延長の野党では、こうしたヘビの生殺し状態にお付き合いせざるを得なくなる。「大きな国政選挙はしばらくないし」という感覚では、参院選後のほうがむしろ政権交代を求める声が増えている、という情勢はキャッチできない。参院選敗北の反省はいっさいなし、日歯連ヤミ献金もうやむやのまま、党内から批判の声も挙がらず、という自民党の末期状況に対して、「いろいろあるがやっぱり自民党しか…」という、いわゆる「責任保守」層(共同体的責任意識の層)の離反は深く静かに進行している。
 これを受け止め、政権交代にむけて協働していくための組織計画をいかに練り上げるのか。この秋、その第一歩を踏み出さずして、〇七年統一自治体選挙への準備は可能なのか。問題はこのように立てられている。
 政権交代にむけたロードマップを持ち、マニフェストから問題設定・争点設定をして、そこから国民世論を形成するまでの力をもって政治日程の主導権を握る―これが、政権交代可能な野党第一党としてのハードルである。これをクリアするための実践的切り込みがこの秋、どこまでできるのか。ここを流せば、来年の政治日程で致命的に遅れを取ることになる。
 いうまでもなく来年夏の都議選は、次期総選挙への政治日程の主導権をどちらが握るかを左右する、大きな山場である。人気にかげりがでてきたとは言え、東京は無党派・小泉旋風の拠点である。ここで自民大敗ということになれば、いよいよ小泉政権の求心力は失われる。そこそこ現状維持なら、“終わりの終わり”の延命がまだしばらく続く余地が生まれることになる。
   一方、東京にはマニフェスト感覚のある有権者の集積もある。ここで民主党が地力をつけて、「政策は民主党を支持するが政党組織としての支持は留保する」という構造(民主党比例票と都議選の民主党票とのギャップに象徴される)を突破する組織戦を展開できれば(都議選で大勝すれば)、解散・総選挙にむけた政治日程を有利にすすめる位置につける。  そのための実践的切り込みは、この秋にかかっている。

改革の世論・国民運動を創り出す政策論争への
実践的アプローチを深める秋(とき)

 政策論争における問題設定や争点設定においても、マニフェストをまとめる過程までとは大きく飛躍して、改革の国民世論、国民運動までをつくり、その力で政治日程を動かしていくという本来の政党の能力が、マニフェスト政党創成の側には求められる。
 バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働のなかで、この領域の試行錯誤と教訓を蓄積していくことが勝負の鍵となる。
 例えば、小泉政権の一枚看板である郵政民営化について。郵政民営化は自民党内の「踏み絵」にはなっても、国民的求心力にはいっさいならない、というところまでは、放っておいても事態は進行した。そのうえで、どのように問題設定を構えるのか。
 郵政民営化実現内閣と自称する内閣に対して、52%が「年金・福祉」に一番力を入れて欲しいと答える(前出世論調査)。このギャップの背景にあるのは、「民営化」という反政府のレトリックで改革を語る舞台そのものの幕引き要求であり、

「官から民へ」ではなく「二十一世紀の政府の役割は何か」、その基礎たる「新たな社会的公正とは何か」という政治への問いである。これに答える問題設定がなければ政治とは言えない、と基軸的有権者が感じ始めた。これが年金問題を糸口に幕が切って落とされた、新たなステージである。
 ここから小泉改革を仕分けし、この問題設定にどう答えるのかというところから、個々の争点設定へ落とし込んでいくことが必要である。いいかえれば道路公団の時のように、法案になるのを待って争点化していくのではなく、攻勢的にこちらの問題設定の土俵で相撲をとらせることである。なぜなら道路公団の顛末で、「民営化」は手段であって目的ではないこと、改革の目的・方向性が論議されなければ結果は「焼け太り」となることetcを有権者は学習したのであり、さらにその根底には「反政府のレトリックで改革を語る」という根本的な欠陥があることを、感じ始めているからだ。
 この蓄積をより明確な政治意識に高めること、このために国会論戦も使いこなしていく。マニフェスト(政権公約)では民主党の土俵に乗せたわけだが、それが可能になったのは世論形成で外堀・内堀を埋めて、それと国会論戦をリンクさせたからである。めざすべき政党政治(政権交代可能な二大政党のありかた)とはいかなるものか、というところから、国会論戦と世論形成をリンクさせて土俵をつくるという「王道」を、さらに実践的に深めていくべきである。
 そして引き続き、年金をはじめとする社会保障については、「新たな社会的公正とは何か」を問い、合意形成する中心テーマとして攻勢的に取り組む必要がある。これこそが政権交代を争うべき主要テーマであり、十月からの年金改正法施行、あるいは来年の介護保険の見直しなどに応じて的確に世論形
  成をし、蓄積していく必要がある。また人口減・少子高齢社会というところから、すべての社会経済政策を再設計し、よりマニフェストを『構成的視座』をもったものとして深化していくべきである。
 また外交についても、東アジア地域統合に正面から向き合うことと、日米同盟・日中関係の再設計をリンクさせるという問題設定から、さまざまな懸案に対して論点整理をしていく必要がある。例えば日米間の懸案となっている在日アメリカ軍の再編(トランスフォーメーション)についても、上記の視点がなければ対応することさえ不可能になっている。
 この再編は、在日米軍が日米安保条約の「極東条項」の範囲を超えて展開することを意味する。(すでに沖縄駐留の海兵隊がイラクに派遣されている。)それについて、「極東条項」を改定してグローバル同盟化に道を開くのか、それともこの制約をより明確なものとするのか、日米安保条約の改定につながる論議を提起できるかが、問われることになる。
 これは、外交を国内政治のカードとして使うという発想ではとても扱えないテーマである。民主党は安保政策でバラバラだと言われるが、考えがあるからいろいろな意見が出てくるのと、何も考えていないから「お任せ」でいられるということの違いは、かなり見えてきた。いろいろな意見をまとめる方向性(外交戦略)はどうなのか、ここから政権担当能力を正面から問うべきステージにはいる。
 政権交代を争うテーマ、問題設定の差別化を図る一方で、与野党を超えて長期的視野で取り組むべき課題についても、仕分けをしていかなければならない。勘違いしてはならないのは、この場合もマニフェスト政党創成の側が土俵を設定する以外には方向性は見えないということであり、政権選択の軸を鮮

明にするためにこそ、こうした仕分けが必要だということである。
 ひとつは「憲法問題」である。「憲法問題」の不幸は、憲法を統治の道具として議論できないということである。この状態に幕を引くためには、「憲法改正の是非」を政党間の対立軸や政権選択の軸にしない―それが意味をなさないような土俵を形成する必要がある(ポイントはおそらく「改正手続法」の整備と「九条」になると思われる)。
 留意すべきことは、これは「憲法改正で民主党の一部も含む大連合」とか「憲法改正で政界大再編」ということではまったくない。そうした「目くらまし」が通用するとすれば、それは国民世論の未成熟(「憲法改正、是か非か」で見ている)に当てこむ余地がある時であり、その意味ではバッジをつけない主権者の課題として取り組むべき側面が大きい。
 図でも明らかなように、憲法改正の本格的な国民合意は、政権交代可能な二大政党へのロードマップが具体的に見えてくる進行過程のなかでの話である。そのためにまず、非マニフェスト政党崩壊の最後の幕引きを、政権交代として仕上げる段階が不可欠である。自民党が二大政党の一翼たる国民政党として再生するためにも、そこを通る以外にない。
 だからこそ、「憲法改正」を政党間の対立軸や政権交代の軸にすべきではない。そのためにも改正草案の方向性や骨子を攻勢的に準備して差別化すべきであり、逆に「憲法」を政局がらみで扱う動きに対しては、責任政党失格であるとして厳しく国民世論で包囲するという構えが必要である。
 いまひとつの長期的課題は、財政再建(国債管理も含む)である。すでに現在の財政は持続不可能であることは合意され
  ているが、財政再建―増税を与野党の対立軸にしていては、問題の先送りが続くことになる。
 ここでもポイントは、世論の成熟にある。民主党の年金改革案が増税を含むものであったにもかかわらず支持されたというのは、主権者意識の成熟の表れであろう。「在任中は消費税はあげない」と先送りを決め込むということでは政権担当能力が疑われる、というところまで世論の成熟を促すこと。同時に政官業の癒着構造に切り込み、ウミを出し切る闘争性において、自民党との差別化を図ること。これらによって、「民主党は増税を言っている」というネガティブキャンペーンを封じ込めた土俵に引きずり出すことではないか。
 〇七年には統一地方選挙と参院選が設定されており、衆院の任期もこの年であるから、この間に確実に総選挙があるという「政治決戦」をいかに準備するか。政策論争においても、そのロードマップを攻勢的に推進する力―国民運動までを創っていく力をつくり上げるというところから問題設定を構えていく必要がある。この点でも、マニフェストを体系的にまとめるという段階までとは飛躍したマネジメントが求められることになる。
 政権交代へむけた課題は多岐にわたる。それらを同時並行で推し進めていくためには、バッジをつけない主権者、フォロワーの側からも、リーダー層の問題設定を理解するのみならず、そのロードマップを実践的に共有するところまで、さらに踏み込むことが求められる。マニフェスト政党創成期における、バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働を実践的に深める秋である。