日本再生 283号(民主統一改題13号) 2002/11/1発行
「がんばろう、日本!」国民協議会 第二回大会 基調
政権交代の力強き主体基盤へ、戦列を整えよう
小泉「自滅」政権の受け皿を国民主権の力で準備しよう
戦後日本の死と再生のドラマ 第二幕
「疑似」市民社会の“終わりの終わり”
戦後日本の死と再生のドラマが始まった――昨年九月二十三日の第一回大会基調は、このように述べました。それは、小泉「疑似」改革政権を誕生させた国民の選択は歴史的な意味で誤りであること、このこと(歴史的誤り)を有権者自らが「主権者としての自覚と責任」から問い、脱却するための舞台として小泉「疑似」改革の進行を使いきろうという方針提起でした。
小泉「疑似」改革政権とは、小泉政権が「ウソツキ」であるとか「ニセモノ」であるというほど単純な意味ではありません。命脈が尽きつつある自民党政治=依存と分配・政官業の癒着構造が、自らの権力の延命のためにも「構造改革」という看板を掲げざるをえなくなった(他の延命策は断たれた)ことを意味しています。
したがって、小泉政権が「疑似」の枠に収まらなくなるとすればそれは、まだ残されていた日本再生のための条件を最終的に食いつぶす時にほかなりません。(昨年九月二十三日 第一回大会基調では「小泉政権の四つのキ(景気、人気、元気、危機管理)のバランスが崩れるとき」としている)。
旧政治が「改革」という看板を掲げて延命をはかっている間の時間を、「疑似」有権者運動の“終わりの始まり”―責任と信頼の主権者運動に向かって舵を切る(本年二月幹事会テーマ)ために使いこなすことができるか。これが、ホンモノの改革派に問われる「時空観の一致」であり、「がんばろう、日本!」国民協議会のこの一年の活動はすべてここから規定されたものでした。
とりわけ今年に入ってからは、いわゆるムネオ疑惑に象徴される政官業の癒着構造に対して、単なる「金権批判」を超えた主権者としての責任の自覚、すなわち「政治に個別利害・口利きを求めない国民が自分たちの代表をつくる」という政党政治の文化を実践的につくりあげ、根づかせることが問われてきました。
口利き・利権分配こそが政治であると信じて疑っていない世界(五十五年体制の政治文化)の実態が、その人間模様にいたるまで明らかになるにしたがって、少なくとも自分の食い扶持は(政治や行政に口利きしてもらわなくとも)、自分で稼いできたという「稼ぎの自己責任」の国民は、政権交代なくして構造改革なし・政権交代こそ日本再生の第一歩という確信を深め、「政権交代に期待する」のではなく「政権交代のために何をすればよいのか」と問い始めました。
このような国民主権の波を、政権交代の組織的エネルギーとして集約するためのひとつの重要なステップが、九月に行われた民主党の代表選挙であったわけですが、結果はご存じのとおりのものとなりました。
われわれはこの事態を「一歩前進二歩後退」と総括しました。まさに、戦後の死と再生のドラマの第二幕は、ここから開けていかなければなりません。
このままでは、日本再生の最後の条件さえ崩落していきます(危機的な経済状況、北朝鮮との交渉やイラク問題での“脳死”状態)。この期に及んでもなお、当事者意識のカケラもない小泉政権は、戦後の総無責任連鎖の集大成です。戦後の「疑似」有権者、「疑似」市場経済、「疑似」市民社会にとどまったままの「変えたい」であるかぎり、この総無責任連鎖に死を宣告し、再生へ向かう主体(主権者)となることはできません。一歩前進二歩後退とはそのことであり、ただちに、できあいの「変えたい」から、政権交代の力強き主体基盤へと、戦列を整える戦いに着手しなければなりません。
国民のなかでは、政権交代へのウォンツはいささかも後退していません。経済の危機的状況のなかでむしろ、「われわれの生活を守るためにこそ政権交代を」という声は高まる一方です。長野県知事選挙にも見られたように、既得権の世界でも「このままでは立ち行かない、もう変えるしかない」という声と行動は広まっています。こうした生活からの希求はもはや、政党が選択肢を示さないからといって、あるいは永田町がこうしたウォンツを代表していないからといって、「誰がやっても同じ」に霧消することはありません。
この政権交代へのウォンツをいかにして、政権交代への力強き主体基盤へと固めていくのか。第二幕とはこのことです。沈みゆく日本丸の上でワイングラスを片手に改革論議を交わすような空間に違和感を感じないリーダーは要りません。主権者・国民主権と、正面から自他に問えないがゆえの「市民」という空間に逃げ込んできた「変えたい」は、振り捨てるべきなのです。
与党がそろって内閣の経済対策を批判するなど、小泉失政への批判は永田町でも高まりつつあります。しかし小泉失政への批判は、総選挙で政権交代を訴えるものでなければなりません。それがまともな政党政治のありようです。選挙に訴える力と確信なき小泉失政批判は「疑似」の枠にとどまった批判であり、そこからは失政を問うて改革という言葉さえ消し去ろうという翼賛政治に転化します。
それを阻止することができるのは唯一、政権交代への主権者のウォンツを組織集約・蓄積する主権者自身の持続性です。政権交代の政治文化なき、戦後日本の「疑似」市民社会を終わりにする力強き主権者へ!
われわれの構造改革 われわれの政権交代
国民の生命・安全を守らない政府はわれわれの力で取り替えよう
株価で言えば、小泉政権発足から今日までに約一五〇兆円がふっ飛び、「失われた十年」どころか二十年前の水準にまで落ち込みました。先延ばししてきた不良債権処理は今や、「やっても地獄、やらなくても地獄」という選択に追い込まれています。国民経済は、仕事が回っていても倒産する―リストラ・失業は誰にとっても「明日はわが身」というところにまで追い詰められています。まさに日本再生の最後の条件すら破壊されつつあるのが現状です。
国民の生命と生活を守る―これは政府・国家の最低限の責務です。それができない国家は「破綻国家」というのです。国民の生活を守れない、生活設計がたたないところにまで国民経済を疲弊させるような政府は、取り替えるほかはありません。その覚悟と力が国民自身にあるのかどうか。まさに国民主権の力が掛け値なしに試されています。
「背水の陣」で取り組むべき経済対策にもかかわらず、補正予算は組まない、デフレ対策は従来どおりの小手先のつぎはぎ、不良債権処理は迷走という状態で、何のための臨時国会なのか。召集しておいて「対策は検討中」では政府の責任放棄といわざるをえません。
これまで「銀行は健全」と言いつづけてきた柳沢大臣から、「銀行は危ない」という竹中大臣への交代を「政策転換ではない、政策強化だ」と言いくるめるようでは、大本営発表以下でしょう。「景気底入れ宣言」直後の株価低迷などという「大本営発表」もありました。
今必要なのは、大胆な政策転換です。目の前の危機を直視する責任感があるならば、小手先の「戦力の逐次投入」でズルズルと先延ばしすることはもはやできません。政策手段を総動員するような大胆な政策転換は、政権交代によってこそ可能になります。失政の責任をあいまいにした「転換」では、「改革」の看板さえも延命のために食いつぶされる―これが小泉「疑似」改革の教訓です。
太平洋戦争の末期、大本営は度重なる敗走をその度に「転進」と言いくるめ続けました。失政の責任を問わずに「政策転換」や「政策強化」と言いくるめ続ければ、その先にあるのは奈落の敗北です。それすらも強制されなければ自己決定できなくなる。これが「先の戦争」におけるわれわれの敗北の実相です。
全体主義国家の政策転換なら、「将軍様」の一声でできるでしょう。国民も「右へならえ」で悩んだり考えたりする必要はありません。無条件降伏を受け入れた大日本帝国の国民もまた、「一億総懺悔」と「軍部が悪い」という論理で、国民としての責任もリーダーの責任も問わないまま、戦後をスタートさせました(戦前は軍国主義、戦後は平和と民主主義という人為的な歴史断絶の論理で)。
しかし民主主義国家における政策転換は、それが大胆なものであればあるほど、政権交代によってこそなされなければなりません。失政の責任を問わない「転換」は、廃絶すべきものの延命にほかなりません。また政権交代は、永田町内の再編=五十五年体制の変形的再編ではなく、選挙によってこそ行われなければなりません。これが私たちの、この十年間における教訓でしょう。
選挙による政権交代は、実力者の決断や根回しによってできるものではありません。国民一人ひとりが主権者として、悩み考え、自己決定しなければなりません。そうした主権者のウォンツを集約し、選択肢を示すことこそが、本来の政党の役割です。そうしてこそ、選挙で政権交代を行うという政党政治は機能するのです。
しかし今、既存の政党は自滅状態です。今回の補選では、与野党ともに選択肢を示しているとは言えません。ワイドショーやスポーツ紙でも扱っている政治経済社会の話題が一言もでてこないような選挙演説は、政治の解消にほかなりません。臨時国会での論戦に、経済や対北朝鮮交渉などをめぐる国民の意識が反映されているといえますか。
危機の時代に政党が選択肢を示さずに解体・機能停止する―戦前の全体主義・翼賛体制もここから始まりました。軍靴の音はその後からやってきたのです。
しかしこれは国民主権のチャンスでもあります。永田町の既存の政党(およびそのアンチとしての「無党派」「市民」)は、主権者の政権交代のウォンツに水を差す存在です(個々の議員レベルでは、そうでない人は少なからずいるが、それを政権交代のためのグループにすることすらまだできていない、というのが民主党代表選の顛末)。それが機能しないということは、ストレートに主権者の政権交代のウォンツを集約することができるかどうか、ということだけが問われているのです。
こうした主権者の力で、新たな国民主権の政党を準備していく、この起死回生のチャンスなのです。永田町に主権者の意思を反映する構造がない以上、総選挙で政権交代というところまで小泉失政の責任を問う政局へ、主権者の力で押し込んでいくことが必要なのです。平成の草莽崛起とはこのことです。
(草莽崛起:吉田松陰が唱えた変革の組織論。武士による体制内改革の頓挫=「疑似」変革=を超える民衆と志士の連携を説いた)
有権者自身の自覚―主権者としての責任意識をどこまで問い集約できるか、というところにすべての勝負がかかっています。まさに国民主権の正念場です。
国民主権で政権交代をつくりだす―来年春の統一地方選は、その実践能力を鍛える場です。危機の様相がますます深まるなか(経済、安全保障)、国民主権で政権交代ということをストレートに問えるリーダーと国民主権の活動家を、私たち自身のなかから育成・輩出していこうではありませんか!
揺るがない、決して崩れることのない国民主権の核と、草莽崛起のエネルギーを!
◇
国民の生命を守るという責任意識のない政府の姿は、北朝鮮による拉致問題への対応で国民の前に明らかにされました。そこにはムネオ問題で明らかになった、保身・利権構造が外交・国益を食い物にしてきた構造が脈々とつながっています。
その国の社会や国民に働きかけるのではなく、権力者とサシで交渉・根回しするという全体主義国家の外交スタイルによくなじむのは、国対外交にほかなりません。そこでは、国民の生命・人権を守るという国家の基本はないがしろにされます。えひめ丸沈没事故、沖縄での米兵による少女暴行事件でも、日本政府・外務省にそのことが問われました。瀋陽領事館事件もまた同根です。
拉致事件が、とにもかくにも北朝鮮の言いなりにならずにここまで持ってこれているのは、ひとえに被害者家族のみなさんの矜持ある姿勢と行動によるものです。彼らの訴えが私たちの心を動かすのは、深い肉親の情だけではありません。生命・人権を守るという一点から国のありようを問い、同様に在日朝鮮人へのいやがらせの卑劣さを批難するという、その矜持のゆえです。
国民の生命・人権を守ることが国家の責務であるならば、まず政府・首相は「日本国民たる拉致被害者とその家族の安全を断固守る」という国家としての意思を、北朝鮮に対して明確に示すべきです。本人の意思や事情は、そのうえで尊重すべきものです。国家としての意思・責任を明確にせずに、北朝鮮に子供を残したまま(人質にとられている)の人々に対して「本人の意思次第」というのは、あまりにも無責任な、国家としての責務を放棄したものといわざるをえません。
「十一人くらいのことで国交交渉を止められるのか(庶民の感情で「国益」に口をはさむな)」という「誤ったエリート意識」が轟々たる批難を浴びたのに懲りたのか、これでは被害者家族を北朝鮮との交渉の矢面に立てて、その後ろから外務省がついていくという構図です。「家族の意向」を大義名分に、政治の責任は完全に放棄されています。
北朝鮮がアメリカに対して核開発を認めたことによって、日朝交渉では拉致問題と核問題がリンクすることになってしまいました。「拉致も核も交渉の場で解決」などといいかげんなことでは済まされません。核開発について北朝鮮から査察受け入れなどの歩みよりが得られなければ交渉中断もありえますが、その時には拉致問題も止まることになります。被害者にとっては、新たに家族が引き裂かれる事態にもなりかねません。
戦略なきパフォーマンス外交の罪は、それこそ万死に値すると言わねばなりません。
ここまでも小泉総理は「丸投げ」ですが、日本の国家としての意思、北東アジアをどこへもっていくのか、全体主義の「ならず者国家」といかに付き合い、「かたぎの国」にもっていくのか等、政治の意思がどこにもみられないなかでは、核問題すら拉致被害者が背負わねばならないという構図になってしまいます。
国民世論が「拉致問題」一色になっていることが問題なのではなく、拉致問題を通じて国家の責務・ありようを問いはじめた世論の成熟の前に、政治が何一つ機能していないことが問題なのです。
ある意味でアメリカは、小泉政権では意味が通じないと判断して直接、日本の世論に対して北朝鮮の核問題を提起したといえないこともないでしょう。つまり「日米基軸」と唱えていればそれが国益だという脳死状態の外務省・政府のアタマを飛び越えて、国民自身が主権者として、この問題を考えなければならないということなのです。
北朝鮮の核問題は、北東アジアの安全保障共同体をいかに構築していくのかという問題とともに、アメリカの世界戦略、とりわけ911後の安全保障戦略と直接かつ密接につらなっています。その結節環である日米同盟をどのように再設計していくのか。ここに主権者のウォンツをいかに集約し政策化していくのか。少なくともこのような設定からでなければ、成熟した世論に対して政治の形式で語るすべを持つことはできないでしょう(脳死するしかない)。
国民主権なくして国益なし。民主主義外交の強みとは何でしょうか。それは国民の支持です。そのために必要な要素をあげるとすれば、ひとつはバランスのとれた情報と分析能力(透明性とアカウンタビリティー)であり、今ひとつは多様な利害を討議を通じて収斂するシステムです。まさにここに、政党の役割があります。イラク攻撃をめぐるアメリカ議会の論戦、ヨーロッパ諸国での与野党の論戦は、民主主義外交における国家としての意思、戦略、国益が形成されるプロセスを如実に示しています。
主権者として、日米同盟をいかに再設計するのか、あるいは東アジアの経済統合・共生をいかに推進していくのか、そのための日韓FTAの政治決断をどうするのか等を問い、ともに考えるという国民主権の活動家とリーダーの力量こそが問われているのです。このような論議の舞台を主権者自身がつくりだしていく―草莽崛起とはそのことです。
国民主権の発展として憲法改正を正面から論じる主体性を
憲法すなわち国のありようについて、国民が主体的に考える国民的改憲論議ができずして、国民主権の成熟とは言えないでしょう。その主導性、戦略性、統合能力が問われています。
改革保守の戦略性とは、そのことにほかなりません。それは、「戦後リベラル」の卑怯さに対する根底的な批判であると同時に、依存と分配に帰結した「戦後保守」に対する根底的な批判でもあります。求められているのは、自由・民主主義を発展させる歴史総括の論理なのです。
戦後日本は、戦前の誤りの総括のうえに出発したのではありません。「保守」も「リベラル」も「軍部のせい」にして、リーダーとしての総括・責任を回避し、「東京裁判史観」とそれへのアンチという空中戦へ逃げ込みました。「国策の誤り」を直視しないところからは、新たな歴史をつくることは不可能です。同時に「戦前は軍国主義、戦後は平和と民主主義」という歴史の人為的断絶からは、自らを見失うことになります。「国策の誤り」を直視することと誇りを回復することとが結びつく歴史総括の論理だけが、新たな時代の主体性となりうるのです。
すなわち戦前の「国策の誤り」は、明治以降の近代化の歪みを是正することが可能になる歴史段階(アジアに自由と民主主義の価値観で目線を共有できる時代、日本が“図抜けたナンバーワン”ではなく“アマング・イーコールズ”になる時代)に、近代の総総括を語りうる主体となる―ここで克服するということです。
同時に戦後日本は、占領軍による全体主義国家の解体から始まって、「疑似」市民社会、「疑似」有権者、「疑似」市場経済に到達した後、今日、その「疑似」から脱却する戦いが問われているということを、戦後の死と再生のドラマとして正面から語れることです。
欧米の戦後(政治、経済、社会)は、全体主義(ナチズム、スターリン主義など)との闘争の教訓の上にたっています。その上で「ポスト冷戦」期の試行錯誤を経て、今日の転換(グローバル化の“影”を再統治する)を迎えています。
わが国の「疑似」からの脱却は、一挙に「二段とび」でそこに直面しており、「疑似」がそのまま「全体主義国家顔負け」の総無責任連鎖として崩落するのか、それとも自由・民主主義のアジアにおける発展に、新たな一章を付け加えることができるのかが問われています。そのためには、「疑似」にまで持ってくる過程で何を忘れてはいけないのか(「虚ろ」に帰結した敗北の教訓)、そして「疑似」を脱皮するために何が問われているのか(構造改革の本筋)を語れる歴史総括の論理を持たなければならないのです。
アジアにおける全体主義国家の解体は、ヨーロッパのような人民革命を経ずに、権威主義体制が自ら「改革」を通じてソフトランディングするという道をたどってきました(韓国、中国、台湾など。日本の場合は敗戦・占領軍という「外圧」を必要とした。北朝鮮も何らかの形での「外圧」は不可欠)。この「改革」は、国家が国民生活を丸抱えして管理するという体制から、私的領域・市場を拡大していくという性格です(「社会主義市場経済」という言葉は、この移行過程を素直に表している)。
わが国においては、下部構造における私的領域は無限大に拡大しました。おかげでパブリックということを完全に忘れた「カラスの勝手」が横行しています。しかし上部構造においては、日本型社会主義は依然として堅牢であり、政官業の癒着は温存されたままです。
GDPの六割が中央・地方の政府関連で占められている経済は、自由主義の経済といえるでしょうか? 国内貯蓄の七割を国が使う(国債・地方債・特殊法人借入など)という仕組みは、自由な市場経済なのでしょうか? 政権交代のない政治体制を民主主義といえるのでしょうか。政策立案は官僚機構任せ、政治的なウォンツを鮮明にした戦略立案のできるシンクタンクが存在しないという状況はまさに、上部構造における日本型社会主義そのものでしょう。構造改革とは、まさにこの構造の改革にほかなりません。
国民主権を憲法にまで貫く―その能動性・主体性とは、かような歴史総括の主体性であり、構造改革の能動性です。ここから、当面の政権交代綱領―政官業の癒着を断ち切る―を語りきることが問われています。
戦後の硬直した護憲・改憲の「遺恨試合」の空間は、もはや過去のものとなりました。戦後憲法の三原則を尊重し、その下での戦後をプラスとして肯定し、戦前の誤りを反省する―これらを基本価値として、(憲法が想定しなかった)新しい事態にあわせて必要なら変えることもやぶさかではないというのは、国民、とりわけ戦後世代の大人の多数意見となっています。ここでも問題は、それに対して語るべきものを既存の政党・政治家が持ち合わせていないということです(「論憲」とか「加憲」とかはダジャレの類)。
まさに国民主権の活動家、リーダーに求められているのは、かような「現実的護憲」の広範な国民に立脚して、国民主権を憲法にまで貫く―その能動性・主体性から当面の政権綱領を語りきる力とすべなのです。(「バラバラ感」の克服とはこの問題)
小泉「自滅」政権の受け皿を、国民主権の力で準備しよう
小泉改造内閣発足後のマーケットは、「昭和恐慌」の再来にも等しい状況を想定せざるをえないような警告を発しています。アメリカのイラク攻撃は、「やるべきか、やるべきでないか」ではなく、「いかなるプロセス、手続きで(やるのか)」という問題になっています。テロ特措法の時のように、「アメリカの要請」を錦の御旗に翼賛的に対処するという“二番煎じ”では、わが国の位置はなくなります。
北朝鮮との交渉では、拉致問題とともに核というアメリカとの連携なしに越えられない問題にも、責任が厳しく問われることになります。現にある隣国の全体主義国家をいかにして解体し、「かたぎの国」へもっていくのか。北東アジアの不戦共同体への道は、その責任性からのみ語りうるのです。アジアの平和・安定を一般的に語って済ませる「疑似」の空間はもはやありません。
責任を問うて「改革」を掲げたのではない小泉政権が「丸投げ」から「自滅」に、いつ踏み込んでもおかしくない情勢の到来です。
日銀券を無制限に増刷するかのような「禁じ手」の対策は、危機の深刻さの表れにほかなりません。日本が存亡の危機にあるときに、中央銀行の独立性になどこだわってはいられないということでしょうか。しかし問題は、国債を買い上げたり、銀行保有株を買い取ったり、はたまた政策投資銀行を通じた融資など(新生銀行が貸しはがしに入ったダイエーへの追加融資など)が何のために使われるのかということです。
産業再生や不良債権処理などの戦略性と結びついたカンフルならまだしも、沈みゆく日本丸の上での最後の宴に散財されるのでは、国民経済はたまりません。日本再生の最後の条件を食いつぶしてしまうのか、それともなんとかここをしのいで「次」の展望へつなげるか。この半年の勝負にかかっているといっても過言ではないでしょう。まさに国民主権の正念場です。
戦前わずかではあれ、わが国にも政党政治が曲がりなりにも機能した時期がありました。しかし内外の急激な環境変化(第一次大戦後の国際政治の潮流変化、中国内戦への介入の泥沼化、緊縮財政に世界恐慌が追い討ちなど)に対応できず、政党は自己解体していきました。軍靴の足音は、その後からやってきたのです。
危機の時代、政党が選択肢を示さずに機能停止するところから全体主義への道は始まります。今日また、既存政党は機能停止していますが、戦前と大きく違うのは、国民主権のうねりの前に語るべきものをもたないがゆえに、依存と分配に特化し、国民に見捨てられているという点です。
危機の時代であるからこそ、政党が選択肢を示し、国民が選挙で政権交代をして政策転換をはかることが必要なのです。そのためには国民が主権者として悩み、考え、自己決定しなければなりません。こうした主権者のウォンツを集約するところから、政権交代のための政党を準備しようではありませんか。
小泉「自滅」政権の受け皿を、国民主権の力で準備していく。まさに国民主権の正念場です。
不良債権処理ひとつとっても、「論議は尽きた」「やるべきことは決まっている」と言っても、今回の「竹中プロジェクトチーム」の顛末にも見られるように何も決まっていないのです。政権交代による政策転換でなければ何も決められないのです。小泉「疑似」改革は、責任がシビアに(改革の側からも抵抗勢力の側からも)問われれば、たちまち立ち往生して居直るしかなくなります。
この事態の打開を総選挙に訴える。この力強さをこそ、私たちは蓄えなければなりません。草莽崛起のエネルギーとはこのことです。抵抗勢力といわれる側も、生き残りに必死です。危機の時代の政策転換だからこそ、抵抗勢力と改革派との総力戦として(リーダーから支持基盤までの総力戦)総選挙を構えるところからこそ、再生の国民的なエネルギーは生まれます。
抵抗勢力はどんなに小泉失政を攻撃しても、総選挙で国民に信を問うことだけはしようとしません。総選挙に訴える力と確信をもたない野党の小泉失政批判では、与党の小泉批判の前に迫力負けです。「抵抗勢力と一緒なのか」と言われれば、一発で動揺してしまいます。失政を問うて改革という言葉さえ消し去る翼賛政治に転化するとはこういうことです。
総選挙で政権交代という国民主権の確信から小泉失政を問う、その政局を主権者の力でつくりだすことです。そのための持ち場に、すぐにつこうではありませんか。
政権交代のウォンツを集約する政治家がいなければ、それを育てるところから始めようではありませんか。利権や口利きを求めない主権者には、それにふさわしい政治家とのかかわり方をつくりだす務めがあります。
国民主権の力で政治権力を変える。来年春の統一地方選挙を、その実践的蓄積の場としようではありませんか。地方政治ほどが利権の構造が露骨だからこそ、選挙に行かないことが意識が高い証という「疑似」有権者を終わりにするときです。
私たちは、補助金や利権バラマキで生活を成り立たせようとは思いません。またそんなことがいつまでも続けられるとは思いません。だからこそ、生活を守るために政治を変えようではありませんか。
政権交代への主権者のウォンツは、いささかも後退していないばかりか、さらに深まり広まっています。これを汲み上げ、政策転換の方向・選択肢を示せる国民主権の活動家とリーダーをつくりあげることこそ急務です。
「がんばろう、日本!」国民協議会は、このために、われわれの政策転換の方向性・選択肢を「われわれの構造改革」として整理する役割を果たすものです。定例講演会や東京での「戸田代表を囲む会」などは、そのための政策研究の場でもあります。
そして言うまでもなく、政策転換は政権交代によってこそなされるものである以上、有権者に主権者としての責任をストレートに問い、主権者としてのウォンツ・エネルギーをパブリックからまとめあげていく、国民主権の活動家の力量が決定的に問われます。「がんばろう、日本!」国民協議会は、かような活動家とリーダーを育成し、輩出する役割を担うものです。
これは政党政治の文化がある欧米では、政党活動家の役割です。ここを自覚した主権者が担うこと、五十五年体制の旧き活動家(依存と分配の活動家)と入れ替える組織戦は急務です。統一地方選は、その最初の舞台でもあるでしょう。
そして、第二の経済敗戦から一歩一歩自覚を深めてきた主権者の「第一期生」は、「生活を守るためにこそ政治を変えなければ」という、小泉「疑似」改革の立ち往生から生まれてくる有権者の自覚を、主権者へと高めあげるための活動家へ飛躍することが求められます。
戦後日本の「疑似」有権者に終わりを宣告し、政権交代の力強き主体基盤へ、われわれの戦列を整えよう!