日本再生 279号(民主統一改題9号) 2002/7/1発行
政権交代のための国民主権の波を起こそう!
われわれの政権交代戦略(1)
政権交代なくして構造改革なし
政権交代の能力が問われている
疑惑のデパート・総合商社と言われた鈴木宗男議員が、ついに逮捕された。「自民党をぶっ潰す」と絶叫して登場した小泉総理は、一度も当事者意識のカケラすら見せることはなかった。
鈴木議員はこれからもなお、「永田町の常識」を主張し続けるだろう。鈴木―加藤―井上(参院議長)とたて続けのスキャンダルは、口利き政治―政官業の癒着―依存と分配の関係が、個々の議員の問題にとどまらない、自民党政治にとって「なくてはならない構造」なのだということを明らかにした。この永田町の常識がもう通用しない、というところへ押し込んでいく攻防の幕が切って落とされたこと――今国会の意義はそこにある。
「永田町の常識はもはや通用しない」というところへ押し込んでいったのは、まぎれもなく国民主権の自覚の波であり、それを受け止めて政官業癒着の構造と戦ってきた永田町の「新しい芽」である。従来ならありえなかった、司直が動き出す前の証人喚問を実現させたのも、辞職勧告決議が二度にわたって与党によって葬られた後の逮捕も、国民主権の自覚の高まりによるものだ。
小泉への期待が「政治不信」に裏返らないのは、国民としての当事者意識を持ち始めたからである。主権者としての責任を自他に問うものゆえに、その批判は「腐敗糾弾」の比ではない厳しいものとなる。政府与党の「敵失」や「政治不信」をバネにした「政権交代」の小話に対しても、「批判ではなく、政権交代のビジョンを語れ」と要求し始める。
この国民主権の波を正面から受け止めるところから、「ようするに、われわれに政権交代の能力が問われている、それをどう示すかだ」と言い切れる、政権交代のプレイヤーたちが見えてきた。依存と分配―政官業癒着の構造と同居しながらの「改革の小話」や、政官業癒着の構造あっての「批判の小話」では、政権交代の能力を正面から問うことはできない。依存と分配―政官業癒着の構造と戦ってきた側に、責任と信頼の主体=政権交代の能力が芽生えてきた。これが今国会の風景だ。
小渕政権以来、景気対策=公共事業につぎ込んだカネは、約百兆円。それが依存と分配―政官業癒着の構造の延命のためにバラまかれ(ムネオ・ハウスやらムネ電やら)、そこから口利き政治にピンはねされていた(ムネオ、加藤、井上と、ピンはね率も五パーセントで横並び)という構図を断ち切らなければ、百兆円をつぎ込んでもGDPがプラスにならないのは当たり前である。(公共投資と輸出で「数合わせ」したGDPのプラスで「底入れ」宣言した直後、アメリカ経済の低迷の影響を一挙にかぶり、円高・株安へ突っ込むという脆弱ぶりが露呈した。)この構図を断ち切ることこそ、政権交代だ。
「とはいっても、野党に任せられる人がいるのか」という声に対して、「自民党にあるのは政官業癒着の能力、政権交代すれば少なくとも、公共事業から五パーセントをピンはねする、あるいはピンはねのために公共事業をバラまく、ということはなくなる。それが改革の一歩だ」と言い切れることだ。
さすれば、依存と分配―政官業癒着の構造と戦ってきた側に、新しいチーム力が生まれつつあることが実感できる。それはまた、さまざまな切り口から「失政十五年」の総括(後述)を共有しつつあるチームでもある。
例えば経済。「経済に詳しい」というだけなら、与党にも人材はいる。しかし、経済政策の転換は政官業癒着の権力を奪ってこそ可能なのだということが分っているのは、圧倒的に野党の人材である。あるいは、「経済政策」と言えば目先の景気対策のこととしか理解できない人たちと、金融や財政、産業、社会保障などの関連の中で経済政策をとらえられる(どういう社会をつくるのか=メリットウォンツ)人たちと。前者は与党であり、後者は圧倒的に野党と在野に人材が用意されている。
日本国債の格付けでは、財務省や与党政治家がこぞって格付け会社に「反論」した。格付けに対する評価はいろいろあって結構だが、それが国際経済の攻防の中でどういう意味を持っているのか(例えば二〇〇五年から始まる新BIS規制〈国際業務を行う銀行に必要な自己資本比率などの規制〉では、国債も一定のランク以下では自己資本比率の計算にカウントされるようになる)を、どこまで分ったうえで「反論」しているのか。こうした国際経済の攻防の意味・リアリティーが分っているのは、与党よりも圧倒的に野党と在野の人材である。
そして決定的には、政策の結果責任である。与党と野党、どちらが責任をとりそうか。これは終盤国会の無統治ぶりを見ればあきらかだろう。重要法案の優先順位もつけられず、成立のための段取りも根回しもできず(する意思もなく)、ファイティングポーズさえとられておれば、実質的な中身にはいっさい興味なし。これでは、総無責任連鎖として崩落するのも当然である。
象徴的なのは、防衛庁リスト問題だろう。防衛庁への情報公開請求者の個人情報をリストにして配布していた問題(これは法律違反)について、防衛庁が国会に対する調査結果をまとめて事前に与党幹事長に報告にいったところ、「要約版」だけでよいと言われ、要約版を「これだけです」と発表。しかし追及されて、五時間後には本文を提出。これについて、山崎幹事長(自民党)は、「意見は言ったが判断したのは防衛庁」と言ってのけた。
すべてオープンにするように、との指示を出していた中谷長官も、これには悔し涙をこらえきれなかったとの話もあるが、これに対して枝野議員(民主党政調会長代理)は、「上が下に、現場に責任をおしつける構図が随所にみられる」こと、とくに自衛隊のような組織で、政治がしっかり責任をとらずに現場に責任転嫁することの危険性(シビリアンコントロールの根幹にかかわる)を鋭く指摘している(本号13―14面参照)。
こうした責任と信頼にかかわる根本問題が、与党にはまるで見えていない。これは統治能力の根幹に関わる決定的な欠陥である。それを正面から問えるだけの、新しい統治責任意識=責任と信頼、透明性とアカウンタビリティー=が確実に生まれてきたからこそ、政権交代の舞台が準備されつつある。
これだけ無責任連鎖がはびこっても企業や社会が崩落していないのは、フォロワーとして自己責任の一線は守ってきたという人たち同士が、政治や社会についてパブリックの会話を始めているからだ。そこに政権交代の「新しい芽」を見分けるフォロワーとしての成熟が準備されている。
日米同盟の再設計と失政十五年の総括
われわれの政権交代のステージ
政権交代の能力。それは一方では、責任と信頼の切り口から、日米同盟の再設計―失政十五年の総括を切って落とすことを伴う。
カナダで開催されたカナナスキス・サミットは、ロシアを正式メンバーとすることで、「ポスト冷戦後」の世界の幕開けを象徴した。いまやロシアはアメリカ(およびNATO)のパートナーと位置付けられた。そして「反テロ」「テロ封じ込め」を掲げるアメリカの単独主義とどう付き合うかが、各国・地域にとっての重要な戦略的テーマとなりつつある。
わが国の再生にとっては、日米同盟の再設計と失政十五年の総括が決定的なカギとなるステージであり、それは政権交代によってのみ可能となる。(失政十五年をまず事実として、正面から直視できるのは与党か野党か―このように問えば、おのずと明らかになる。)
失政十五年の総括とはなにか。八〇年代半ば、ソ連の崩壊を視野にいれた欧米各国は、それぞれ戦略的転換の準備に入った。それは新保守主義的改革であり、EU統合であり、経済のグローバル化であり等々であった。冷戦下での日本経済への優遇が是正されたのも、こうした欧米、とりわけ米国の戦略的転換との関係であり、その象徴的出来事が八五年のプラザ合意であった(二七八号・大塚耕平参院議員の講演/二七五号・竹内文則氏の講演を参照)。
失政十五年とは端的に、こうした「冷戦後」をにらんだ欧米の戦略的転換の意味が分らず、その環境変化に適応できずに、やみくもに「アメリカンスタンダード」の構造改革に振り回された結果、自らを見失ったということである。同時にこの結果に対して、「反米ナショナリズム」のような形で“自らの虚ろ”を埋めようとする愚はとらない―一九二〇年代、第一次大戦後の国際環境の変化に適応できず、「鬼畜米英」の単独主義で、つるべ落しのように敗戦の焼け野原へ突っ込んでいった「国策の誤り」は繰り返さない―という意味で、日米同盟の再設計が問われている。
これがわれわれの政権交代のステージだ。
日米同盟の再設計とは何か。それは戦後のトラウマを清算するとともに(「さらば、戦後トラウマ」二七七号・村田晃嗣氏の講演参照)、「日米基軸」と唱えていればよいという思考停止の惰性を打破することである。
戦後われわれは、自由や民主主義をアメリカを通じて学んだ。これは事実である。この事実を直視できないのが、戦後のトラウマにほかならない。「『義命ノ存スル』所堪ヘ難キヲ堪ヘ」(終戦の詔の原案)を「『時運ノ趨ク』所堪ヘ難キヲ堪ヘ」と書き換えてしまうようなことでは、「負けて目覚める」矜持などは生まれない。自由や民主主義をアメリカを通じて学んだという事実を直視できるところから、われわれの主体性(開かれたナショナルアイデンティティー)は準備された。
日米同盟の存在意義が「対ソ抑止」にしかないのなら、冷戦後には空洞化する。それを「首の皮一枚」でなんとかつないできたことが、自由・民主主義の発展のための準備だったのか、それとも「日米基軸」と唱えてさえいればよいという思考停止のシロモノだったのかが、まさに問われている。
安全保障面では、湾岸戦争からアフガニスタンでの反テロ戦争まで、国際協力から周辺事態法まで「アメリカの要請」「アメリカとの協力」ということでつないできたのは事実であるが、有事法制、自国の防衛が問題になるや、本質が露呈する。有事、危機の時にも自由・民主主義、国民主権、責任と信頼ですべてを統治できるのか(その主体を準備してきたのか)。それともそこだけが空洞で、あれこれの手続きに振り回される(縦割りの論理、結局は総無責任連鎖)のか。
もはや旧来のアメリカ軍との役割分担(盾=日本、矛=アメリカ)では、盾の役割すら果たせず、結局は何から何までアメリカ頼みになるという事実に対して、小さくとも自己完結型の防衛力を持つべきと言い切れるのか。あくまでも米軍の補完として、インド洋以降もいくのか。小さくとも自己完結型の防衛力を持つべきと言い切れるためには、日本としての防衛の姿、戦略的意図、地域安保へのかかわりなどを、主体的に(自由、民主主義の発展から)説明できなければならない。それは、「日米基軸」と唱えてさえいればよいという思考停止の惰性(失政十五年の外交・安保)では、及びもつかない。その主体性をもつことを避けるために、さまざまな懸念(国内の、周辺国からの、アメリカからの)を挙げつらうという姑息さは、唾棄すべきである。(本号7―12面掲載の前原・民主党幹事長代理の講演会「わが国の防衛を考える」参照)
経済面でもわが国は、プラザ合意以降、過度のドル依存(金融、通貨、財政などにおける主権の欠落)という「とんでもなく高い授業料」を払いながら、日米構造協議(構造改革の起点)などを通じてグローバル経済、グローバル金融市場、構造改革などについて主体化してきたことは事実である。
問題は、アメリカンスタンダードの改革に振り回されて自らを見失ったのか、「負けて目覚める」ことができたのか、である。
エンロン疑惑に続いて、アメリカでは企業不信から株が投げ売られている。世界に冠たる金融工学を打ち立て、新しい投資市場を次々に作り上げて、実体経済の何十倍ものマネーが飛び交うニューエコノミーを謳歌していたアメリカにこそ、じつはグローバル化の影の部分がもっとも深刻に内在していたのではないか。それに立ち向かえるのかどうか、「外」に敵をつくることで、その緊張感を維持しようとするのかどうか。アメリカ自身が問われている。
ひるがえってわが国はどうか。アメリカンスタンダードに「追いつけ」という改革では、自らを見失うのみである。新しい公共性(グローバル化の「影」を再統治するパブリック)を創造し、それを組み込んだ市場を創るための下準備・主体性は、いかほど準備されているのか。ドルへの過度の依存という思考停止(日米基軸の経済版)では、「底入れ」どころか「底割れ」続きとなるのは明らかだ。
マネー資本主義主導の改革・規制緩和では、モノづくりの新たな展望は開けない。同時にそれは、規制と護送船団方式による依存と分配の肥大化と、自力で活路を開こうとするものへの解体攻撃でもあった。(コメ輸入自由化対策=六兆円のつかみ金がもたらしたのは、農林族議員の跋扈。狂牛病対策では何の検証もなしに、ニセラベルをはった「国産」牛肉が買い上げられた。)この「地獄の試練」に生き残ったところから、次の展望は生まれる。
東アジア自由貿易圏がわが国再生の重要なステージとして意識され始めたが(通商白書など)、その実現のためには、この依存と分配の関係との攻防が不可避である。その力、政治的エネルギーがどこにあるのか、いかに引き出すのかを語れなければならない。
そしてワールドカップ共催で新しい関係の糸口を作った日韓が、アメリカ主導の構造改革のなかで「負けて学ぶ」―「主体性の回復」をめぐる教訓を共有することにチャレンジすべきだろう。
日本も韓国も、九七年、九八年の経済敗戦を通じて、アメリカンスタンダードの市場改革にとりくまざるをえなかった。日本に比べて韓国では、政治のリーダーシップが発揮されて、痛みを伴いながらも構造改革は一応の結果を出すことに成功した。日本では政治のリーダーシップが見えない(むしろ足を引っ張る)なか、自己責任でなんとかここまでたどりついた。
「その先」に何を目指すか。両国が自由貿易圏を目指すなら(メリットはいくつも挙げられている)、それがうまく進むような構造改革をそろそろ準備しなければならない。そこが見えずに、やみくもにリストラをすすめるような改革では、先は見えない。
日米同盟を通じて自由、民主主義を主体化してきたからこそ、自由、民主主義の進化・発展のために日米同盟を再設計する――アメリカ主導の構造改革のなかで「負けて学ぶ」―「主体性の回復」をめぐる教訓を日韓が共有するところから、その一歩は始まる。東アジアにうまれつつある「ある種の共同体」に共通の価値をさらに発展させるうえで、自由貿易圏は、大きな役割をはたせるだろう。
そしてその主体性は、アメリカと中国というこの地域にとって重要な、二つの単独主義と「上手に付き合う」主体性・その知恵にもなるだろう。経済大国になっても二度と軍事大国にならない・単独主義の道はとらないというわが国の生き方・われわれの生き様は、このなかでこそ真に主体的なものとして誇りうるものとなるだろう。
その主体性からアジアと向き合い、図抜けたナンバーワンとしてではなく、アマング・イーコールズとして、東アジア共生・統合ビジョンを語ることができるだろう。日米同盟にも、自由と民主主義を発展させる新時代の“魂”を入れられるだろう。
主権者の成熟と
政権交代の基盤整備をおしすすめよう
政権交代の能力。それは日本にきちんとした政党をつくってこそ、改革は可能となるということを、組織できることである。
政官業の癒着―依存と分配の関係を断ち切るためには、政権交代しかない。それは政権の組み替えや永田町の組み替えではなく、政治に口利きを求めない人たちが、自分たちの代表をつくる―そのために政治参加する以外にない、ということだ。政局の駆け引きのなかでもこの原則を見失わず、政党を定着させるために、言い換えれば主権者の成熟を一歩一歩固めながら、そのために政局の駆け引きも使いこなすということだ。
細川政権の教訓は、こうした国民に基盤をもった政党をつくることなしに、言ってしまえば政権をとって改革をやる道具としてしか、新党を位置付けられなかったところにある。そして新進党と自社さの教訓は、主権者の成熟やウォンツとは無縁の永田町の論理(当時で言えば「小沢・反小沢」)で政局が動いたということになろう。
細川政権から十年。こうした権力闘争の教訓、改革の政党建設の教訓をいかに語れるか。
国民のなかにも、「誰かに政権交代してほしい」というお願いや期待ではなく、「政権交代のためにはどうしたらいいのか」という主体的な動きが始まっている。政治に口利きを求めない人たちが、自分たちの代表をつくる―そのために政治参加するということは、選挙のときによく考えて投票するだけでは、決定的に足りない。
選挙はいわば「収穫」であり、それまでには、土づくりから始まって種まき、水やり、草取りなどの手間がかかる。つまりふだんの生活のなかで、自然に政治について話題にし、政治家の事務所を訪ねて話を聞き、ボランティアでビラ配りに参加し、ということが当たり前にできるような政治文化をつくらなければならない。
そのために政官業の癒着に与っていないところから、ヒト、カネ、情報をもっともっと投入しなければならない。そのような基盤整備の一方で、そうした主権者の成熟を促進するために政治情勢を使いこなす――「がんばろう、日本!」国民協議会はそのような運動体として、小泉政権前からの政治情勢を国民主権の発展としてつかいこなす指針を提起してきた。
政権交代にむけて、いまこそ主権者の成熟をジワジワと確実に仕込むときである。
この十月には衆院三議席、参院二議席の補欠選挙が予定されている。野党協力がどうなるかは分らないが、なんとしても野党全勝にすべきだろう。政官業の癒着はもう通用しないことを、加藤、井上氏の選挙区でもはっきりさせるべきだ。
そしてそれに先立つ九月には、民主党の代表選がある。これは民主党にとって政権交代の能力が試され、また政権交代の国民的エネルギーをチャージするチャンスでもある。ぜひそうすべきだ。そのためにも、政官業癒着の構造と第一線で戦ってきた若手の代表が立候補して、“新しい芽”を世間にも広く示すべきだろう。
さらに来年春には統一地方選挙である。それまでにも各地で、自治体選挙が行われる。横浜市長選挙にみられたように、責任と信頼で選択肢を示す政治家がいれば、答える主権者はいたるところにいる。とくに自治体選挙では、「国政選挙には行くが、地元の選挙は棄権」という有権者を動かすことが重要になる。つまり地元の利権・口利きには関係がない―利害関係がないから選挙にいかない―選挙に行くのは利害関係のある人だけ―地方政治は利権まみれ、という悪循環を断ち切ることである。
政治をよくするためには、口利きを求めない人たちが政治参加する以外ない。もっとも身近な自治体選挙から国政選挙までこれができることが、政党文化―政権交代の政治文化を根付かせることである。そうした政党政治の基盤整備をともなってこそ、ホンモノの改革は可能になる。
政権交代の主体基盤を成熟させよう。