日本再生 276号(民主統一改題6号) 2002/4/1発行

責任と信頼の主権者運動で、失政の反省・自己批判から
われわれの構造改革へ 政権交代への道すじを

新しい芽が伸びてきたからこそ、旧い葉が落ちる

有権者のなかに「責任の自覚」が生まれるや、パブリックの責任意識なき「政治家」の崩落が始まった
 マキコ―ムネオ―加藤―辻元。「政界オセロゲーム」と言われるような展開は、パブリックの責任意識なき「政治家」の崩落連鎖の開始である。パブリックの責任が問われたときに露呈する人間性の本質、往生際の悪さは、ものの見事に一致している。
 今回は、「永田町の常識」が世論に追い込まれた。このことの意味が、未だにおわかりでない面々が永田町には多い。ムネオ以前なら、刑事事件になってもいない段階で、自民党が証人喚問に応じることなど、考えられなかった。「刑事事件にもなっていないのだから証人喚問は必要ない」「これくらいのことなら離党ですむはず」という、これまでの「永田町の常識」を許さないところまで、今回は世間が厳しいということだ。
 それは有権者のなかに、フォロワーとしての、一国民としての責任を自らに問い、また他と問いあうという責任意識が確実に芽生えてきたからである。生活のなかでは「無理と道理」「稼ぎと務め」は分るところまできた国民が、永田町の「公」がじつは百二十パーセント私情であると、見抜いている。
 それがないときには「政治家なんて結局みんな同じ」「どうせ誰がやっても変わらない」という話に流れてしまう。しかし今回は、田中前外相の更迭以降、世論の波は引いていないどころか、さらに「政治改革なくして構造改革なし、政権交代なくして政治改革なし」「失政の総括なくして改革なし」という点に、求心力がグッと増している。
 責任と信頼。このパブリックの基準からすべてを問う、自分も他人も。ここが始まっているからこそ、これまでの「永田町批判」とはくらべものにならないほど、今回は世間の目が厳しいのだ。そして、それに応えるホンモノが永田町に見え始めたからこそ、それとの比較においても、さらに厳しくなる。
 もはや「どっちもどっち」という人は、「それは有権者、国民としての責任放棄じゃないですか?」と問われる。そう問われて「関係ない、他人に言われるすじあいのことじゃない」と居直りきれないところまで、事態は回り始めている。街頭宣伝でも、いったん「そこまでは…」と立ち去った人が、もう一度もどってきて「やっぱりそれじゃだめなんだよね」と機関紙を買っていくということが、一度や二度ではない。

見えはじめてきた族議員・総無責任連鎖と戦う陣形
 有権者のなかに、「国民としての責任を問う」という自覚が生まれてきたからこそ、「国民としての自覚と責任を問いあうコミュケーションの型をもたない『族議員・利権の告発、糾弾』は、有権者のはるか後方に退けられる」(『日本再生』二七五号 3/1)。このコミュニケーションの型を自力で持ってきたものたちが、今国会での、族議員・無責任連鎖の権力実態との戦いの先頭にたっている。
 「永田町の常識」はこうだ。カネをもらって役所に口出しするのはよくない(悪い族議員)が、政策で口を出すのは政治家の仕事だ(良い族議員)、と。「バカな役人に代わって自分たちが政策をつくるんだ、官僚主導はダメだ、政治家主導だ」と。
 族議員・無責任連鎖の権力実態と戦ってきたものたちは、こう言う。議員が個別利害を代弁するのはいい。問題はそれを国会で、オモテでオープンに議論すること、それが政治家の仕事だ。政策は議会での討論によって決めるものであって、役所と交渉して決めるものではない、と。
 ムネオ疑惑に関連して、自民党若手は「与党事前審査の廃止」「役所との窓口は大臣、副大臣、政務官に限定」などとする改革案をまとめた。自民党の二元政治では、党が利権やポストで調整して「政策の落しどころ」を決め、それを仕切る族議員や大物はオモテの議論(国会での答弁や質問)には一切立たない。つまりいかなる説明責任も負わないものが権限をにぎり、責任の所在は「闇の中」。これが族議員・無責任連鎖の権力実態であり、「鈴木宗男」が跋扈したのは、まさにこうした空間である。(党と政府の「二重権力構造」や政策決定過程のあいまいさを変えなければ「政権交代」しても政治はよくならないということは、第34回定例講演会/ジェラルド・カーティス氏、枝野幸男議員、達増拓也議員、野田佳彦議員のディスカッションでも、さまざまな角度から議論された。『日本再生』二七二号参照)
 この「闇」と戦わずして、どんなに「正しい政策」を言えたとしても、それは加藤氏の追認(責任感なき「政策通」)にしかならない。「加藤の乱」で露呈した決定的な「弱さ」とは、肝心なところで有権者を信頼することができなかったということである。それは有権者に、国民としての自覚と責任を問いあうコミュニケーションの型をもっていない、その政治活動の型をもっていないことにつきる。
 族議員・無責任連鎖の権力実態と戦ってきたものたちは、こう言う。国民との関係を「依存と分配」(原口一博議員)でつくっていれば、その「政治活動」は、口利き・利権とポストでの調整になる。辻説法やオープンな会合で、有権者に直接政策を訴え、政治を変えるための自覚と責任を問いあう会話を積み重ねてこそ、責任と信頼の関係を築くことができる。われわれはそうやってこの十年を戦ってここにいる、と。
 こうして、族議員・無責任連鎖の権力実態と戦い、選挙で勝ち抜いて(有権者との共同戦線)きたホンモノの改革派が、チーム力になりつつあること。これが今国会から見えてきた。だからこそ、有権者のなかの責任意識も「個人の反省と自覚」を超えて、組織的な連鎖として急速に、深化・発展しつつある。だからこそ今回は、これまでになく世間の目が厳しいのである。
 このようにして、族議員・無責任連鎖の権力実態と戦う陣形(有権者・国民と政治家・活動家との相互発展関係)が見えはじめてきた。新しい芽が伸びたからこそ、旧い葉が落ちたのである。族議員の本体も、「クリーン」なのも「市民派」「シロウト」も。
 パブリックの責任意識なき「政治」空間にうごめいていたものたちは、互いに責任をなすりつけあい、足をひっぱりあいながら、一人ずつ舞台から去っていく。さらに奥深い闇のなかにうごめくものたちは、手足を奪われてなりをひそめるか、追及される前にそそくさと物影にかくれようとしている。
 族議員・無責任連鎖の権力実態を、さらにオモテにひきずりだそう。責任と信頼の主権者運動で、暗ヤミに光をあてよう。そこから政権交代にむけた本格的な舞台の幕開けを準備しよう。

二元政治・ヤミの権力・ウラの政策決定を終わりにし、政策のポイントを切り替えよう
信頼を毀損し無責任を増殖させる政策から責任と信頼の政策へ

 世間の目が厳しくなるのに照応して、族議員・無責任連鎖の権力実態の摘発も始まる。サムライとしての責任感などとても期待できないところでも(正面からの自己批判などとてもできないところでも)、生き残るためには「内部告発」しようというものも、出てくる。
 二元政治・ヤミの権力・ウラの政策決定を包囲し、その“うまみ”“おこぼれ”の蛇口を閉めよう。族議員・無責任連鎖の権力実態の摘発、監視を強め、彼らの動きを封じることによって、信頼を毀損し無責任を増殖させる政策から、責任と信頼の政策へとポイントを切り替えることが必要だ。
 例えばこんなふうに。
 
事実を明らかにしてウラ交渉を監視し、民主的な外交へのポイント切り替えを
 例えば、北朝鮮による日本人拉致問題。拉致に関わった日本人の証言が、この段階でオモテにでたのはなぜか(なぜ今までは、でなかったのか)。北朝鮮問題に対する自民党大物政治家の関与は有名な話である。例えば、専門家なら誰でも知っている工作船がこれまでオモテに出なかったのは、それを取り上げると「北朝鮮を刺激するな」という圧力がかかるためで、出世のマイナスにはなっても得点にはならないことを役人はやりたがらないからである。(昨年の「不審船」は米軍からの通報だったので、やらざるをえなかった・やる名分がたった。)
 ムネオ問題で、日ロ、日朝、日中関係をアンダーグラウンドで仕切っていたラインが動きにくくなったからこそ、これがオモテにでるようになった。その余波は、中山正揮議員の日朝友好議連会長辞任にも及んでいる。
 米朝関係、南北関係が選挙のために動きにくい今年、北朝鮮は対日関係に動いてくるだろうと言われている。資金の枯渇は深刻らしいから、なおさらである。いまこそ、ヤミの権力やウラ交渉、族議員のおかしな「政治的関与」を排して、堂々とやるべきだ。田中前外相のように、卑怯者の外務官僚とは大ゲンカをしても、このヤミの権力実態と戦わなければ、不法入国した「ご子息」に「穏便にお引取り願う」という以上はできない。これでは主権国家の外交とはとても言えない。
 日朝交渉の多くの部分が、水面下のものとならざるをえないのは当然だろう。しかし「水面下」と「アンダーグラウンドの関係」とはまったく違う。「アンダーグラウンドの関係」とは一部の実力者・権力者とサシで話をつけるという「外交スタイル」であり、腹芸やウラ取引で落しどころを探るということになる。そこには当然、オモテにはできない利権が絡みついている。日朝、日中にはその部分がまだまだ多いし、かつての日韓や日台もそうだった。
 だが民主化がすすみ、市民社会・市場・国家のバランスのなかで政策が決定される(外交政策も)ようになればなるほど、こうしたアンダーグラウンドの関係は、一部の利権集団が国益を食い物にするものとなっていく。対欧米はもとより、東アジアにおいても、こうしたスタイルでは通用しなくなっていることが、冷戦後のわが国の「近隣外交の不在」の一因でもあろう。この時期を、こうした意味での民主的な外交(外交の民主化)へのポイント切り替えとして使い切るべきだ。
 対ロシア外交では、ムネオ・ラインの動きが封じられつつある今、クラスノヤルスク合意以降の領土交渉について、事実をきちんと明らかにして徹底的に検証すべきだ。(クラスノヤルスク合意/一九九七年、橋本・エリツィン会談で「二〇〇〇年までに(領土問題を解決して)平和条約を締結するために全力を尽くす」と合意。これにもとづいて日本は、北方領土への人道的支援を急増させる。翌九八年、鈴木議員は内閣官房副長官、「支援委員会」には補正予算でこれまでとケタ違いの一二〇億が支出され、ムネオハウスなどハコモノが建設される)
 とくに領土問題をめぐる「二元外交」の経緯は重要である。共産党が明らかにした資料(外務省の文書)によれば、森内閣時代に「首相親書」を携えた鈴木氏(当時の役職は党総務局長)がロシア側との交渉において、日本政府の「四島一括返還」を非難し「二島先行返還」者として自分を売り込み、ここでの交渉が森・プーチン会談での「イルクーツク宣言」(二島返還で領土問題は終わりとするロシア側の解釈)に盛り込まれている。
 鈴木議員と外務省幹部が、官邸や外務省も知らないところでこうした二元外交・ウラ交渉をやっていたとすれば、それこそ重大な問題で「一議員のことだから」(福田官房長官)では済まされない。事と次第によっては、森前総理の責任も追及すべきだ。
 ムネオ・ラインによってここ数年、「誤ったメッセージ」を送りつづけた対ロ領土交渉については、一定の冷却期間をおかざるをえないだろうが、その間に、こうした事実関係の解明と検証をきちんと行わなければ、対ロ交渉の再構築はできないし、ロシアに対して日本の明確なスタンスを説明することもできない。
 
ウラの利権分配による政策転換から、オモテの政策論議での政策転換へ
 ムネオ利権が幅を利かせ始めたのは、前述のクラスノヤルスク合意以降、農水省族議員の跋扈が目に余るようになったのは、ウルグアイラウンド対策費という「つかみ金」のときからと言われている。いずれも政策転換が、オモテの議論とは別に、ウラの利権配分で行われている。
 ウルグアイラウンド対策費という「つかみ金」が、日本の農業をダメにしたことはあっても、再生にプラスになったことはない。依存体質をさらに助長させる「農業保護」政策は、東アジア経済の新たなステージ(自由貿易をはじめとする経済の相互依存・発展の深化)の足をひっぱることはあっても、農業の新たな位置付けや発展を東アジア規模で考える主体性には、いかなる意味でもむすびつかない。(農業の位置付けをどうするかは、東アジアの経済発展のなかで考える以外なく、またそれは、欧米とは異なる「自由化」「地域統合」の知恵をどう発揮するかということでもあるはずだ)
 金融再生レジームにしても、オモテの議論(金融システムの健全化)とは別のところで政策転換が行われたから、肝心の責任追及だけが抜けて、「銀行、ゼネコンへの追いゼニ」「モラルハザードの蔓延」ということになる。
 狂牛病(BSE)対策の遅れについて調査した政府の報告書では、「重大な失政」があったとして、その背景に「自民党をはじめとする族議員の圧力」があることをあげた。最終報告ではこの部分は削除されたが、政府報告書にこうした文言が盛られ、事前に明らかになったうえで削除されたとなれば、物事はより「分りやすく」なる。ここでも、族議員・無責任連鎖に対する監視は始まっているということだ。
 狂牛病に関連しては、いまや「食品表示は全部ウソだと思え」と大手スーパーのトップが現場に訓示するほどである。「悪いこと」をした企業が失われた信用を回復するには、最低、事実をすべて明らかにすることである。それができずに、後から虚偽が明らかになるようなことが続けば、そういう企業は退場するしかない。
 雪印ならそうなった。政治や行政も、そうするべきではないか。「反省」「謝罪」とは最低、事実を明らかにすることだ。鈴木議員も、加藤議員も、辻元氏も、それをやっていない。外務省も農水省も厚生省も(薬害禍を何度、繰り返せば気が済むのか?)金融庁も、それをやっていない。事実を明らかにして検証することができないところに、再生などありえない。失政の総括なくして、改革なし。
 政策転換のウラにある二元政治・ヤミの権力・ウラの政策決定―族議員・無責任連鎖の権力実態を、オモテにひきずりだそう。権力実態の転換をともなわなければ、政策転換は骨抜き―利権分捕り合いにすり変えられる。その事実を明らかにして検証することからのみ、再生は始まる。
 日本経済を覆っているのは「相互不信」にほかならない。どんなに「デフレ対策」をやっても、「四月一日には危ない銀行はひとつもない」と政策当局が言っても、信用崩壊は止まらない。
 韓国のV時型回復の核心は、いろいろな副作用や問題はあるにせよ、金融機関の経営責任を厳しく問うという、政治の意志が鮮明だったからである。責任を明確にし、事実を明らかにすることができないところに、再生への道は始まらない。
 九八年、九九年に大手銀行に投入された公的資金は、あわせて九・三兆円。このカネはどうなったのか。いったいいくら、ゼネコンや流通への追いゼニ(債権放棄)に使われたのか、その債権放棄による「再建計画」はどうなったのか(再建計画が帳尻合わせの先送りなら、再びの破綻、再・再建計画や業界再編でのつじつま合わせ、となる。そうなっていないか?)。せめてそのくらいは検証しなければ、金融庁は最低限の責任をとっているとは言えない。それすらやらずに「不良債権処理は大丈夫」といくら言っても、信用崩壊は止まらない。ここを転換させることが、政策転換の基本だ。それがなければ、緊縮財政かバラマキか、という土俵のなかで、先の見えない縮小均衡・タケノコ生活を続けることになる。
 武村、久保蔵相のときに(自社さ政権)に決まったのは、ウルグアイラウンド対策費であり住専処理だ。加藤氏は自社さから橋本政権まで、自民党幹事長、政調会長として関わっている。九八年からの「失われた三年間」に直接関わっているのは、宮沢・柳沢氏である。もちろん対ロウラ交渉の責任は、森前総理にも問わねばなるまい。
 族議員・無責任連鎖の権力実態を摘発、監視し、彼らの動きを封じ、その間の時間を、信頼を毀損し無責任を増殖させる政策から、責任と信頼の政策へとポイントを切り替えるためにつかいこなそう。

政権交代にむけて、下稽古から本格的な舞台を準備しよう
「疑似」有権者運動の“終わりの始まり”

 永田町の疑惑合戦に対して、有権者のなかからは基本的に「結局、政治家なんてみんな同じ」「だれがやっても変わらない」という声はあがっていない。「政治改革なくして構造改革なし、政権交代なくして政治改革なし」という点に求心力はグッと増す。そして、政権交代のための有権者、フォロワーとしての責務を問う・問われることに対して、さらに自覚が深まるというサイクルが始まっている。
 政権交代が必要とは、ここ十年ずっと言われてきた。政権交代なくして政治改革なし、というのも言い古されてきたことである。何が今回は違うのか。
 それは、もう誰かのせいにしたり、誰かに期待すればなんとかなるというものではない、ということを、有権者が自覚し始めたことだ。「誰かがやってくれるのに期待する」という政権交代願望論は、有権者としての責任と信頼が未成熟であったがゆえのものである。「誰かがやってくれる」(そういう人を応援すればいい)と思っているかぎり、自分にはその主体としての責務は問われない。こうした、政権交代に対する非主体的態度という、「最大の主体的障害」がなくなり始めたことを意味している。
 細川ブームから小泉フィーバーまで、「もしかしたら今度は」と、さまざまな動きに期待し、それがついえてガッカリしても、投げ出さずにきた有権者のなかから、政権交代願望論を卒業し、「政権交代は誰かにやってもらうものではなく、われわれも一緒になってやることだ」という自覚が、潜在的に芽生え始めている。
 「疑似」有権者運動の終わりの始まりであり、ここと会話する―パブリックの責任をより高めるコミュニケーション―ことができるかどうかが、国民主権の活動家には問われる。そしてここから、権力闘争の主体的なアクターとなることが求められる。
 族議員・無責任連鎖との攻防は、今国会のなかで、政治権力のありよう・政治の意志決定をめぐる権力闘争となった。有権者との関係を「依存と分配」でつくることと戦ってきたものだけが、口利き・利権分配の「政治」ともっとも意識的能動的に戦える。それはすでに、ここ二、三回の選挙をそのように勝ち抜いてきた議員によって、明らかにされた。ここでは、(改革の)政策と選挙(有権者との関係のつくり方)は、一致している。
 図式的に言えば、さらにその上に、政策・選挙と政局のつくりかた(政権をめぐる権力闘争のかまえ方)とを一致させるということである。政策と選挙が一致しても、チームが組めなければ、政局は「与党の出方まち」や「永田町内合従連衡」に流れる。
 どんなに立派な改革の政策を唱えても、族議員・無責任連鎖の権力実態と戦わなければ、口先に終わるか、最悪の無責任・無能になる。一連の事態が明らかにしたのは、このことだ。つまり、(改革の)政策と選挙(有権者との関係のつくり方)を一致させるのみならず、族議員・無責任連鎖を封じ込め、政策転換を図るための政局のつくり方をも一致させることに、実践的に入るということだ。
 事実を明らかにして、族議員・無責任連鎖を封じ込め、信頼を毀損し無責任を増殖させる政策から、責任と信頼の政策への政策転換をはかること。このなかからこそ、「われわれの構造改革」の骨格は見えてくる。そのときこそ、何をするための政治権力なのかが合意形成される。そこに、「永田町内合従連衡」ではない、自民党政治に代わるホンモノの選択肢が準備されてくるはずだ。
 こうした構造が見えてくるにしたがって、有権者の政治参加の質も変わる(変えなければならない)。選挙の投票に行くことだけが、有権者としての務めではなくなる。がんばっている若手改革派がいれば、それを応援すればいい、というだけでは足りない。いなければ育てよう、そのための仲間をつくろう、「われわれの構造改革」について家庭や職場、地域でも積極的に議論しよう、質のよい情報を発信し、つかもう、等。政権交代にむけての「持ち場」につくことが求められる。
 永田町の力学ではありえなかった小泉首相の誕生は、利権やしがらみと無縁な有権者の動きによるものであった。それは口利き政治では集約できない。パブリックの責任意識から会話できるかどうかだけが問われた。ここにきても、小泉改革への期待が政治不信に変わらないのは、国民のなかにパブリックの責任意識が生まれているからだ。既存政党は、それに何一つ教えるものを持たなかったどころか、はるか後方に退けられている。
 「政権交代なくして改革なし」は、多くの有権者にとって前提になった。求めているのは、そのための持ち場はどこか、そこに就くための指針は何かということだ。族議員・総務責任連鎖の動きを封じ込めている間に、「われわれの構造改革」とそのための政権交代にむけた、下稽古から本番への移行を準備しよう。
 改革保守の国民政党は、かような道すじのなかから準備されていくだろう。