日本再生 274号(民主統一改題4号) 2002/2/1発行

小泉「疑似」改革の“終わりの始まり”
「われわれの構造改革」に向かって舵を切れ
出でよ“草莽の転轍手”


無理が通れば道理が引っ込む
小泉「疑似」改革の“終わりの始まり”

 田中外相の更迭によって、八割近かった小泉政権の支持率は、五割を割り込むところへと急落した。政権サイドは、次の外相人事で支持率挽回を考えているようだが、この九ヶ月あまりの国民の「学習効果」を甘くみないほうがよい。
 今回の問題はどう見ても、小泉「疑似」改革が「抵抗勢力」と呼んできた勢力の手の内と論理での処理である。「ケンカ両成敗」と言うが、これはそもそも「ケンカ」なのか。族議員の横やりで政策決定が曲げられたのではないか、と言う問題は、政治の決定と責任は誰にあるのかという権力の根本にかかわる問題なのではないか?
 今回の処理の結果、事務次官は「省を守った」。族議員は「権益を守った」(議運委員長を降りたって、外交利権にかかわる地位にはキズひとつついていない)。官僚と族議員の聖域は手付かずのままだ。小泉首相はいったい何を守ったのか。
 なにより問題なのは、ここは国会で責任追及もされないということだ。大臣が個別の政策案件に口を出した場合(これも許されることではないが)は、国会で追及される。答弁の義務がある。しかし答弁責任を負わない族議員の介入や官僚との「あうんの呼吸」は、公的な場でいかなる責任を問われることもない。
 これがどういう人間をつくってきたのか。一連の騒動で、ものの見事に国民の前に明らかになった。外務省というのは、冷戦後「国益」という言葉をもっとも使おうとしない省庁であるが、そこで局長や事務次官に出世するには、「責任」という遺伝子は完全に消滅していなければならないと。松尾事件以来の「外交の機能停止」「外務省の脳死」とは、このことである。 
 田中外相の功績は、まことに子供じみた手法ではあったが、こうした「脳死」の実態を国民の目の前に明らかにしたことである。小泉首相は、田中外相更迭によって、何から何を守ったのか? コイズミ人気(実態は「期待」)も、「抵抗勢力」「族議員」に対して、(時には出来レースの臭いもしたが)断固対決するポーズをとるところにあったはずだ。はからずも田中外相更迭は、こうした小泉「疑似」改革の信念に、疑念を生じさせることとなった。
 無理が通れば道理がひっこむ。まさに今回の事態はこのことである。
 オモテはどうであれ(総理大臣がどう「改革」を叫ぼうと)、族議員・官僚という実権にはキズひとつつけない。道路公団問題の“落しどころ”を決めたのも、青木・森・古賀ライン。外相更迭人事の段取りをつけたのも、青木・森ライン。何のことはない。権力決定の所在はいささかも変わっていない。それを制度化したのが、与党・政府という二重構造であり、与党事前審査という慣習である。この与党事前審査の廃止を提言した答申も、たなざらしのまま。
 ここに切り込まずして、いかなる「改革」も骨抜きになる―小泉「疑似」改革は、細川政権以来の「政治改革」の核心を、ワイドショーの国民の前にまで暴露した。政官業の癒着というレベルの問題としてではなく、権力闘争の核心として。(「政治改革の核心」については、二七二号掲載のジェラルド・カーティス氏講演と若手議員とのディスカッションを参照。)
 今回は、こうした権力システムの改革という問題と、人間の資質という問題と、責任・職責・公務(「務めをはたす」)という問題とが、「これでは道理が通らない」という一点に焦点を結び始めた。
 「外相の手法には異論もあるにせよ、これまでの大臣と違って官僚と戦った・・・外相と官僚の確執で、税金という泉に群がり、利権をむさぼろうとする人々の醜さをいやというほど見せ付けられた」(主婦の投書)
 国会の混乱の責任というなら、野党との協議中にもかかわらず委員会採決を強行した予算委員会委員長の責任ではないのか。
 意に添わない大臣に官僚が組織をあげて抵抗するというのは、民主主義のルールを完全に踏み外した行為である。そこまでして、外務官僚は何を守ろうとしたのか。大臣のあげ足取りで、外交の機能停止に拍車をかけることはあっても、「国益のために職を賭して」という幹部は誰一人として出なかった。職責・務めを果たすということが欠落したところに、パブリックの責任意識など生まれようはずもない。
 アフガン復興会議をとりまとめ、日本の存在感を国際社会にアピールしたのは、外務省でもなければ外相でもなく、緒方貞子氏である。外務省や外交利権とは縁のない、そして「務めをはたす」という生き様のバックグラウンドがあったればこそである。道理とはこういうことではないか。
 小さき道理を蹴散らして無理を通す―これを大目に見ては、いかなる「改革」も骨抜きとなる。この基礎のうえで、「国益」など論じられるのか(外務省の「機密費」横領やODA利権のどこが「国益」から位置づくのか)。この基礎のうえでは、どんな「景気対策」もぶら下がりと無責任連鎖の増殖にしかならなかったではないか。そしてこの基礎のうえで、今後まともな憲法改正論議などできるだろうか。
 省益あって国益なし、横領あって公務なし、利権あって政策なし。これに手をつけずに緒方さんを外相に据えても、「お公家さん」としてコケにされるだけ。実権は利権政治と総無責任連鎖が握りつづけることになる。外務省改革なくして、外交の機能回復はありえない。
 小泉「疑似」改革の「歴史的使命」とは、総無責任連鎖を崩落へと追い込み、その本体を人間的資質や形成まで明らかにすることである。無理が通れば道理が引っ込むとなれば、小さき道理なら分るというところにまで、「敵」が明らかになる。
 閉塞感からの「心理的代償行為」としての支持や、不安感からの「期待」ではなく、「務めをはたす」ことは分るからこその小さき道理。それに気づけば、総無責任連鎖の崩落には巻き込まれない。そこから守るべき小さきパブリックへと一歩踏み出そう。それが、総無責任連鎖を責任連鎖へと転換する“草莽の転轍手”だ。
 小泉「疑似」改革の“終わりの始まり”を、総無責任連鎖を責任連鎖へと転換する“草莽の転轍手”を大量に生み出すためにつかいこなそう。

「われわれの構造改革」を合意形成しよう

 わが国の置かれた状況が、沈みゆくタイタニックであるなら、小泉「疑似」改革を、救命ボートを出すための「時間稼ぎ」として使いこなさなければならない。すなわち改革の戦略―われわれの構造改革―と、改革の人材・組織形成について、合意形成をはかるために使いこなすことである。
 1 失政の総括なくして改革なし。失政の後始末(不良債権や財政赤字)を改革と言っているかぎり、残された時間はますます無駄に費やされる。
 「失われた十年」ではなく、真に失われたのは八〇年代である。すなわちアメリカの戦略的転換(プラザ合意やヤング委員会など)に対して無為無策であったこと。国益を基礎にした戦略意識がまったくなかったこと(集中的に中曽根政権の失政)の結果が九〇年代にすぎない。(当事者として、金融・証券市場の失政を総括すべく書かれた『日本版ペコラ委員会』を参照。著者・竹内文則氏は元長銀調査部)
 2 ここから言えることは、「戦後の清算」「改革保守」のリーダー層における主体性は、中曽根政権以来の政治権力構造に対して、主体的に距離を置くことができたもの(距離を置くことができるだけの主体性・価値観をつくってきたもの)、その現実に確かめられた裏打ちが求められるということである。
 3 総無責任連鎖の崩落のなかで、各領域で個としては存在していたこうした人材が、総無責任連鎖の崩落に巻き込まれない、として交差する瞬間ができる。
 欧米的価値観では、つねに「矜持ある異端」にも体制内での位置を与え、政権交代の受け皿としておくが、日本では総翼賛体制だから「一億総ザンゲ」になる。体制から距離を置くものは、いったん社会的にも存在を抹殺され、それでも「生き延びる」力があるかどうかで試される(自立した個が確立した市民社会がない、と言うのはこういう意味)。
 「一億総ザンゲ」では指導的責任を追及することはできない。国民としての責任を自覚するからこそ、指導的責任を問う―第二の敗戦以降生まれた各クラスの主体性が、総無責任連鎖の崩落に巻き込まれない、というところで交差する。総無責任連鎖とは別の主体性が、ひとつの像を結び始める。ここに改革の人材・組織形成のわが国の特異性がある。小泉「疑似」改革の“終わりの始まり”とは、このステージである。
 4 ここを、総無責任連鎖を責任連鎖に転換する“転轍手”として固める。それが「われわれの構造改革」(改革の綱領―組織―戦術)をめぐる合意形成である。
 別の言い方をすれば、「戦後日本」を規定してきた環境の変化(外部環境:冷戦の終焉と東アジアの新時代、内部環境:経済成長を前提としたシステム)を主体的な変革のテコとしてつかいこなす論理である。
 5 「われわれの構造改革」としてカバーすべきこと。
 @戦後トラウマとは無縁の憲法改正の論理と憲法改革の手順。前提は、日米同盟の再設計と東アジア戦略とを、「自由、民主主義、より公正な市場」の発展という一点からリンクさせきること。九条の問題も、これで正面から論じきる。
 日本が敗戦時でさえ「図抜けたナンバーワン」でありえた時代の終わりを「アジアに自由、民主主義のイコールパートナーが本格的に見出せる時代」「アジアが幸せになれる時代の始まり」と、とらえられるだけの主体性(歴史的総括)なしにはできない。ここでわが国の主体性、国益を規定しきる。
 A環境負荷や社会的公正・正義、非営利社会活動などを組み込んだ市場の再設計。GDPの五分の三が中央・地方の政府関連支出で占められているという「市場」は、はたして自由や自己責任の基礎たりうるか。「ひとり勝ち」の市場原理主義は、自由や自己責任の基礎を生み出しうるか。市場がまったく分っていなかったという「第二の敗戦」から、いかに「負けて目覚める」のか。
 Bさすれば、地球共生時代の自由、民主主義の発展の基礎たりうる市場とは何か、そのルールとは何か、そのルール・秩序を担保すべき政府・国家の役割とは何か、が整理されていく。東アジアにおける自由貿易の構想とは、経済的なプラスサムのみならず、東アジアにうまれつつある「市民社会」をつなぐことであり、だからこそ安全保障も現実的に議論されねばならない(共通の秩序を担保する公共財として)。
 セーフティーネットも、「弱者救済」「衰退産業保護」のためではなく、自立のための方策として再設計される。
 Cかような地球共生国家日本を支える、自立した市民社会をいかにつくるか。総無責任連鎖の崩落に巻き込まれずに「すっくと立つ」ためには、総無責任連鎖の中での人生を再設計しなければならない。人生の基礎は家族、労働である。ここを再構築することが、多くの人にとっての再生の問題だ。
 エゴのぶつかり合いの中からパブリックの合意形成をはかる。異なる他者と会話する。そうしたコミュニケーションをいかに再構築するか。家族はその最小単位である。
 どうやって稼ぐか。自立はここから始まる。わが国が初めて直面する構造的な失業(景気循環によるのではない失業問題)のなかで、「働くこと」の再構築を自立した市民社会の基礎とすること。それが「われわれの構造改革」であろう。
 総無責任連鎖の崩落は始まった。それに巻き込まれない主体性も、像を結び始めた。小泉「疑似」改革の“終わりの始まり”を時間稼ぎに使いつつ、「われわれの構造改革」の戦略とその主体形成をまとめあげよう。