改題のお知らせ
 「戦後日本の死と再生のドラマ」の本格的な開始にともない、今後は「がんばろう、日本!」国民協議会を全面的に展開してまいりますとともに、機関紙についても、今号より、『日本再生』と改題いたしました。今後とも、日本再生のために「がんばる日本と日本人」を回復する矜持ある国民運動へ、皆様のいっそうのご参加・協力をお願いいたします。     (編集部)


日本再生 271号(民主統一改題1号) 2001/11/1発行

戦後日本に死を宣告する
国民としての自覚と責任の回復を

戦後日本の総無責任連鎖の崩落を目のあたりにして、憤りはあるか?

 もしも後世、『平成日本衰亡史』なるものが書かれるとすれば、おそらくこのような記述になるのではないか。
 …冷戦の終焉を控えて、世界が新しい時代にそれぞれ全力で備えようとしていた頃、バブル経済に浮かれていた経済大国日本は、湾岸戦争を契機に不調をきたし始め、「顔のない国」として漂流を始めた。オウム事件や援助交際、家族崩壊や学級崩壊など、戦後社会のさまざまな「崩壊」と政界再編のあげくの「液状化」が続き、九八年の「第二の敗戦」で「経済大国」の一枚看板も危うくなった。そして二十一世紀の最初の年、「痛みを伴う改革」の絶叫と「純ちゃんコール」で小泉政権が誕生し、「新しい戦争」の開始とともに、戦後日本の総無責任連鎖が最終的に崩落した…と。
 平成日本の収支決算は、どういうものになるか? 
 せっせと溜め込んだ「黒字」は減少の一途。株価はバブル崩壊後の最安値を更新し続けた。八五年プラザ合意以降に失われた国富はいったいどれだけになるのか? さらに財政赤字と不良債権は膨らむ一方、失業率は戦後最悪。
 九八年共同宣言で糸口を開いた日韓新時代はいったんチャラとなり、「森政権以降、近隣外交はなくなった」。ODAなどでつないでいた「独自外交」のルートも、カネの切れ目が縁の切れ目。生産拠点としての重みを増しつつある中国に対しても、セーフガードの発動以外、何の策もなし(対中関係も国内の産業政策も)。小泉政権で残っているのは、うすっぺらな「対米協調」のみとなった(九六年の日米安保共同宣言では、日米同盟は東アジア安定の公共財と位置付けられたのだが)。
【閑話休題】冷泉彰彦氏(作家・米国ニュージャージー州在住)によれば、ニューヨークの“グラウンド・ゼロ”に立って、「怒り」だけの表情をあらわした政治家は、小泉総理とチェイニー副大統領だけだという。「悲しみ」「追悼」「慰め」、人種や宗教の違いを超えた「個の尊厳」、献身的に救助活動を行う人たちへの「敬意」などといった人間的感情が欠落した「怒り」だけの表情。普段は「政治的演技」で隠せる人間性の本質が、ここでは明らかになるようだ。
(『from 911/USAレポート』第9回http://jmm.cogen.co.jp/)

 衰退の本質は、結局「自らの喪失」「内なる虚ろ」にある。
テロ特措法の審議のどこに、真剣な緊張感があったか。「本格的な憲法論議をすると、ますます混乱する。いろいろ問題が出てくるからね。それは認める」と小泉総理。戦後の「右」「左」の「イデオロギー」が風化して以降、ここ数年間の憲法論議も日米安保の論議も何一つ、政治主張として記帳も蓄積もされてはこなかったということだ。
 外務官僚とのいがみ合い(大半が自分のワガママが原因)にやっきとなって、外交・公務そっちのけの外務大臣。だが特殊法人叩きで「経済・雇用お構いなし」の総理以下と、この外務大臣と、どこがどれだけ違うのか。
 権力を行使した結果の誤りなら、責任が問われるが、権力を何一つ行使しないがゆえの崩落では、誰も責任を問われない。そこにあるのは文字通り、目先の私的利害のみの世界である。
 中選挙区の復活案は「一年先送り」となったが、そもそもいったい何のために、選挙制度を変えたのか? 小選挙区制には公明党も賛成したのではないのか? あれだけ大騒ぎした「政治改革」が、なにひとつ「政治主張」のレベルで記帳されていないのだ。
 総無責任連鎖の何でもアリ。これに対して正面からの怒りも憤激もでてこない、ニヤニヤ批判、ガス抜き・言いっぱなし、冷笑とはどういう世界なのか? ここには、どんなに小さくとも、たとえ狭い自己経験の枠であろうと、責任を問うという主体性のカケラも見当たらないのではないか。
 場当たり・先送り・その場しのぎを繰り返してきた自社さ連立以降の自民党政治は、その支持基盤にわずかに残っていたはずの旧き責任意識をも放逐し、シンキローを通って「純ちゃんコール」へと支持基盤を入れ替えた。
 しかし、「心理的代償行為」でも投票はできるかもしれないが、その結果は現実の生活に反映せざるをえない。戦後最悪の失業率、狂牛病・テロで先の見えない社会、不信・不安の連鎖…。その現実を直視するには、国民としての自覚と責任意識を回復しなければならない。
 それを問えるリーダーなのか、それを問いあうことができるフォロワー・有権者なのか。そういう人々に、語るべきものを持っているリーダーなのか。
 小泉「疑似」改革の絶叫の前に、「改革をめぐる違いがあいまいになる」と嘆く「改革派」とは何ものなのか? 政策の小話はいくらでもできるが、庶民の生活の小さき責任意識を変革のエネルギーに転じるすべを知らない「改革派」とは何ものか? 
 経済危機も狂牛病も根は同じ。国民の生活と安全を護る国家の役割の放棄である。それを放棄して「○○叩き」を改革と称する輩を、亡国の徒と言わずして、なんと言うか。こうした憤りがないところに、国民としての自覚と責任の回復は生まれない。
 改革とは責任を問う革命である。責任の問いかた・とり方がこう変わる、ということがない「改革」は、責任をとるべきものが責任をあいまいにし、逃げ切るために「改革」を言うということになる。
 戦後日本の総無責任連鎖の崩落に巻き込まれない、それを「責任の回復」として受けて立てるのかどうか。リーダーからフォロワーまでを貫く、国民としての自覚と責任の回復が問われている。ホンモノの改革派はここから生まれる。
 パブリックに係わること一切の欠落・国家と政党政治に対する忌避で彩られた「戦後日本」に死を宣告することなしに、責任の回復はありえない。がんばる日本人はここから始まる。

がんばる日本と日本人を回復しよう

 がんばる日本と日本人の回復とはまさに、戦後日本の総無責任連鎖が社会全体を巻き込み、崩落へと帰結するなかで、人間の本源性(責任やパブリックといった、社会的存在としての人間の本源性。それと結びつかずして「生きる力」もまたありえない)を問いながら、現実に確かめられた「底」を一歩一歩踏み固めていくなかからのみ、可能となる。
 「敗けて目覚める」ことができる主体性とは何か。総無責任連鎖の崩落のなかで、「自分を見失わない」のは、どういう主体性か。それが活かされる条件(組織・人間関係)とは何で、それが孤立する条件(組織・人間関係)とはなにか。あるいはこの十年を、戦後の虚ろの底なし沼との関係で、なにかしら自分には「責任」「自覚」「自立」があると思っていた幻想はどこにあるか。それはいつ、どういう時に飛ばされるのか。その時にへたりこむのはどういう主体性で、いかなる条件(組織・人間関係)があればついてこれるのか。
 これらはもはや、戦後日本(冷戦体制や五十五年体制)の枠や、それとの関係での「分かったふり」(ex守旧派や抵抗勢力との関係があっての「改革」派)という枠からは、いっさい見えてこない人間関係であり、組織論である。
 九八年の「第二の敗戦」は、国民の一部に「責任」の自覚を促した。リーダーの評論や真似事ではなく、フォロワーとしての責任をはたすとは何か、と。そして、先送り・その場しのぎが繰り返されるなかで、「これ以上、逃げ切るわけにはいかない」という責任意識が、「言われた仕事は人並みにやってきた」という普通の人の一角にも入り始めた。それは同時に、主権者としての責任―パブリックの活動・政党政治確立までの責任を問われたときに突き当たる「わかるけれど、しかし…」を、一国民としての責任の再編(人生の再規定)として超えていくことをも伴う。
 パブリックへの責任とは、「自分の目先の利害を超えた何ものか」との関係でのみ、問われもするし、蓄積もする。それは結局、変革に向かって不断に人間関係を変え、再編すること―組織をつくるまでの人間関係への責任性である。
 私的なものが公的な領域を占拠しつくした(ワガママ大臣しかり、個人の心情をそのまま「外交」にしてしまう総理しかり)小泉「疑似」改革政権は、まったく逆の観点から、次のことを明らかにした。
結局、言い古されたことですが、日本では「公」と「私」しかなくて、その中間の「市民社会」がないことが問題です。私的なもの、お互いにエゴをもみ合って公的なものにしていくとか、あるいは公的な命題を個人のさまざまな利益の配分に下ろしていくという媒介器としての市民社会がないわけです。小泉現象は自分たちと同レベルの「純ちゃん」「マッキー」で、公と私の直結状態です」(棟居快行/「中央公論」10月号)
 私的なもの、お互いにエゴをもみ合って公的なものにしていくプロセスこそ、民主主義の作法(市民社会の作法)が問われる。他人の話を聞かない・聞けないというのは論外で(これがまだまだ多い)、自分の気持ちを分かってほしいという心情倫理を克服するコミュニケーションができないと、「見解の違い」さえ明らかにすることはできない。ましてや、見解の違いを議論を通じて合意形成していくことなど、及びもつかない。
 天下国家をめぐる議論の場から、地域社会、さらには職場や家庭の人間関係までが、ここから問われることとなった。それを問わなければ、家族といえども総無責任連鎖のなかで崩壊する。そこまで平成日本は、ある意味で追い込まれた。
 そこで、がんばれるのか、へたりこむのか。
 目先の利害での人格形成では、がんばれない。戦後の虚ろ・崩れゆく社会との関係で自覚を深めてきたものは、肝心なときにへたりこむ。
 総無責任連鎖の崩壊のなかで、自分を見失わないもの、小さくとも狭くとも「自分はここで責任をとる(とってきた)」と言えるもの。がんばる日本と日本人の回復は、ここから始まる。
 しかり。多くの人は賢人ではないし、賢人になれるものでもない。「にもかかわらずわれわれができることは、ある程度世界が見えている人・賢人的リーダー的な人々に、責任をとってなんとか日本を再生してほしいと要求し続けること」(9・23基調)である。そうした草莽からの憂国の情は、小さきパブリックへの責任・自覚なしには生まれない。
 そして、挫けそうになりながらがんばってきたものは、「私でもここまでできたんです、あなたにだってできるでしょう?」と声をかけて、責任を深めよう。パブリックからの責任と正面から向き合い、自分の生きかたをも再編してきた活動家は、心情倫理をも責任倫理から統治するすべを深め、多くの国民の半歩前に立って歩もう。
 新しきパブリックの道は、われわれが歩いた後にできてゆくと信じて。

自由・民主主義の深化をめぐる新しい戦いが始まった
戦後日本に死を宣告して前へ!

 アメリカでの同時多発テロは、何年か後に「あれが新しい時代の(悲劇的な)始まりだった」と言われることになるだろう。「新しい戦争」は、自由・民主主義、市場経済という普遍的な価値を近代の枠にとどめることなく、さらに発展・深化させるという課題を提起している。
 「自由や民主主義、市場経済ということが『勝者の正義』と見なされるかぎりは、『文明の衝突』は避けられないでしょう。地球環境問題や南北問題、飢餓や貧困、感染症などの『地球的課題』は、これまでの枠の民主主義や市場経済では解決不可能です。そうした困難な問題が、安全保障上の重要な課題ともなっているからこそ、国家間の安全保障のみならず、人間の安全保障が重要なイシューとなっている。これが、二十一世紀初頭のわれわれが生きる時代です。
 自由、民主主義、市場経済といった欧米を軸に発展してきた価値を、真に普遍的なものへ転じていくために必要なのは、『共生の原理』であり、『公正さ』ではないでしょうか。二十一世紀の安全保障共同体は、地球的課題を解決するための協調によって一歩一歩『共通の利益』を深めていくなかからこそ構築されうるものです。
 『地球益と国益を結びつける』とはかような意味であり、地球的課題に取り組むことを国益の基軸としうるような国のありよう―地球共生国家にこそ、わが国のめざすべき活路があると確信いたします」(9・23基調)。
 テロ特措法は、とんでもないドロナワ・欠陥であるが、集団的自衛権をめぐる戦後の虚ろがもはやどうにもならないこと、問われているのは政治の決断―責任のとり方だけであることをはっきりさせた。これをあと二年(特措法の期限)先延ばしすることを許すほど、事態は甘くないだろう。
 そして、とにもかくにも「後方支援」に自衛隊が出るという戦後の画期を生かすには、韓国(後方支援)や中国(難民支援)との共同行動を追求すべきだろう。集団自衛権の論議を、今日の地域協力・安全保障共同体のための建設的な土俵に乗せる契機ともなるだろう。
 テロに対しては、韓国はもとより中国もロシアも「ともに戦う」側にたっている。新しい戦争を契機に、冷戦後の国際関係は、大きく再編されようとしている。ここに「日米同盟」を通じて参加する(入り口)のは、わが国の戦後の事実を踏まえれば当然であるが、出口には北東アジアの新しい“共通の利益”を展望するためにも、韓国、中国(とりわけ韓国との)共同行動の意義は大きい。
 自由・民主主義、市場経済を、欧米とは異なる道を通って主体化してきた日本と韓国(しかも近代における歴史問題を抱えた隣国)が、自由・民主主義、市場経済を南に広めるハブとなること。それは自由・民主主義、市場経済を「欧米近代」の枠にとどまらないものとして深化させることを必然的にともなう。
 新しい戦争の時代は、貧困や南北格差と言われてきた問題の解決方法を、冷戦後とは根本的に変えることを求めている。自爆テロは、それらの問題を「遠い世界の地域紛争」にとどめておくことはできなくなったことを、逆説的につきつけた。自由・民主主義、市場経済を「勝者の正義」にとどめず「公正」「共生」の原理から深化させること。時間がかかっても、この課題に答える以外にはない。
 イスラム圏の民主化が、西欧民主主義とは異なる道を通るのは当然である。欧米とは別の道を通って、経済の相互依存を土台としたある種の共同体を見出しつつあるという自らの経験からも、東アジアはそのことを明確にすることができるはずだ。ここに日韓がハブになることの、歴史的な意義がある。(本号7―10面「講演会/日韓関係を展望する」参照)
 
構造改革の「誤解」失政のツケ=総無責任連鎖を清算しよう
 平成日本の「失われた十年」とは、ポスト冷戦の漂流と、構造改革「誤解」という失政に翻弄された時期でもあった。(プラザ合意から数えると十五、六年となるが、それも視野にいれた上での象徴表現として「失われた十年」を使うこととする)。
 「漂流」のほうは、「新しい戦争」に際して、湾岸戦争以来のことが何一つ蓄積されず、築いたはずのものさえチャラにされ(九八年日韓共同宣言、九六年日米安保共同宣言など。またODAを通じた「独自」外交も、カネの切れ目が縁の切れ目)、残ったものはうすっぺらな「対米協調」のみという現状が示しているとおりである。
 そして構造改革のほうはと言えば、先送り・その場しのぎの繰り返しで、痛みと財政赤字と不良債権ばかりがひどくなるというシロモノである。不良債権の処理は、構造改革でもなんでもない。それは経営責任の問題である。財政赤字の削減も、当たり前のことである。それらは市場の規律の問題だ。
 日本の銀行の「持ち合い」構造とは、不良債権の持ち合いだ。お互いに「逃げるなよ。この企業から逃げたら、お宅がメインバンクの問題企業からウチは手をひくぞ」という「脅迫の均衡」が、リスクの限界に近づくなかで「裏切りの連鎖」に変わろうとしている。市場の規律が作用していれば、とっくに処理されていた問題を、(責任逃れで)放置し、危機を増大させ、最悪の形でツケを回す(いわゆる「公的資金」での処理)。こういうことを、「構造改革」と言うのは、もう止めるべきだ。 
 橋本改革以降、構造改革と言われていることの多くは、ニューエコノミーを謳歌するアメリカ型市場経済を、周回遅れで目指してきたものである。世界貿易センターの倒壊は、これを一気に三周遅れにした。と同時に、さらに状況が悪化した今(橋本改革では4.4パーセントの成長率からの財政再建、小泉政権はマイナス成長下での財政再建/主要銀行の格付けは軒並み二ランク落ちのなかでの再びの不良債権処理/失業率は2.0から5.3へ)、同じ処方箋を繰り返せるとしたら、相当のノーテンキだろう。
 @三周遅れとは、こういうことだ。
 「…クリントン政権下での長い好景気と、世界政治を思うままに支配してこれた状況のなかで…多くのアメリカ人は公事と国外のより大きな世界に関心をもたなくなり、そうでなければ政府に対して軽蔑の念を見せるようになっていった。これがもっとも顕著に現れたのが…ハイテクと金融業界である。…国家はもはや過去のもので、本質的にボーダーレスな技術と資本はそれを捕らえようとする国家の支配権を逃れることができると言われた。
 …そういう意味で、ウォール街を襲った火曜日のテロ攻撃は、良い教訓となった。実態のないニューエコノミーは、落ちてくるコンクリートの塊からわれわれを守ってはくれない。こうした危機において唯一の希望となるのは、消防士や警察官たちのヒロイズムだけである。…1990年代は、あのツインタワーで働いていたハーバードやスタンフォード出の投資銀行家や弁護士、ソフトウェアエンジニアたちと、彼らの救助に向かったブルーカラーの人々との、社会的、経済的格差がいっそう広がった時代だった」
(フランシス・フクヤマ「THE UNITED STATES」/『フィナンシャルタイムズ』2001.9.15)
 グローバリゼーションの覇者はたしかにアメリカであったが、それに対するスタンスは同じではない。ヨーロッパはヨーロッパ統合という新しい目標のために、それを使いこなそうとした。中国は「社会主義市場経済」のためにうまく付き合いながら、(ソ連崩壊の轍を踏まずに)ソフトランディングを目指している。ロシアもまた、存在感を失わなかった。そしてアメリカもまた、ニューエコノミーの“根拠なき熱狂”から醒めようとしている。ここでも、自分を見失ったものと見失わなかったものとの差は、歴然としている。
 A「構造改革」という名の失政として検証すべきこと
(1)プラザ合意に象徴される「主権なき財政・金融政策」
(2)宮沢蔵相に代表される売国的(無責任)財政・金融政策
(3)住専処理をネジ曲げた「政治」の介入
(4)アジア金融危機と「第二の敗戦」・・・金融における主権とは何か。AMF構想に代表される「自分を見失わない」すべは?
(5)不良債権問題を、個別銀行の経営問題から日本経済システミックリスクへ「高めた」こと(柳沢金融担当相が象徴人格)

 戦後の総無責任連鎖は、金融や経済の面ではかように崩落しつつある。この崩落を、責任の回復に向けて受けて立つ、そこから本当の改革は始まる。そのためにも、失政の検証と責任の明確化は不可欠である。公職にあるもの・社会的責任のあるものは、「犯意なき誤り」では済まされないというのは、市民社会の基礎である。
 この基礎のないところでは、市民的責任感・庶民の憂国の情は生まれないし、安全保障においても経済・金融においても社会政策においても、国の主権も責任も“顔”も虚ろとなるは必定。この「失政十五年」の総決算が問われている。
 ここから、自由・民主主義の成熟が始まる(失政十五年を問わなければ、カラスの勝手の自由・民主主義)。ここから責任の回復(社会的責任)が始まる。
 中曽根・竹下・宮沢内閣の失政(大罪)とそれを問わない「改革」に浮かれてきた失政(ノーテンキ)、これを「犯意なき過ち」で済ませない、国家や社会に係わる責任を明確にする、責任回復の国民運動を今こそ! 小さき「憂国の情」・国民としての自覚と責任を! 能力のあるものは責任を明らかにする知恵を! 志高きものは、総決算のリーダーとしての任を! そうしたリーダーを鍛え、支える小さきパブリックを!
 日本再生のためにがんばる日本と日本人を回復しよう!