民主統一 262号 2001/2/1発行
「変えたい」を、国民主権の行動へ!
暗愚・亡国政権を一掃し、救国・改革政権を打ち立てよう
変えたい。変わろう。変えよう。<国のこと=自分のこと>
東京に大雪が降った日、ホームから転落した人を助けようとして犠牲になった二人の男性のニュースは、深い感動を呼び起こした。ケーエスディーや外務省機密費など、公金横領―公職横領(「辱職罪」というものが、戦前はあった)の末期症状が蔓延するなかで、「目先の直接の損得を超えたなにものか」への希求が幅広く渦巻いている。
折しもブッシュ米国新大統領は、就任演説でこう述べた。
「あなたがた(国民)がこれから行うことは、政府が行うすべてのことと同じくらい重要だ。心地良さよりも共通する善行を求め、安易な攻撃から必要な改革を守ることをお願いしたい。そしてまず、あなたの隣人から始めることで、国家に奉仕してほしい。傍観者や従属者としてではなく、奉仕の心に満ちた社会、そして個性ある国家を建設する責任ある市民になってほしい」と。
日本でそれに応える声は、かく上がる。
「一つは、日本国民・主権者という立場から国民運動を創り、わが国に構造改革のとば口を開けさせようとする活動であり、これは社外活動が中心となる。もう一つは当社事業の安定供給と体質強化に向けた活動、およびその成果の◯◯への適用である。
従来のサラリーマンはほとんど後者の活動しか行っていないが、海図なき航海に向う現下の日本の状況においては、前者の活動が社益・国益・地球益に貢献できるとの認識に立つ」(3面岡村・大手企業部長)
そして、日曜日の街頭で聞いたこんな問いかけが頭のどこかに残る。
「あなたは、なんとなく(責任を伴う選択や決断なしに)始めた、なんとなく参加したということはありませんか。その裏には、何時でも逃げられるという甘えがあります。それが例えば、六十年後半の全共闘運動でも安保反対闘争でも。これも、右肩上がりの高度成長が作った人間のゆがみの現われです。
このような生き方が通用しなくなった(有権者の覚醒・成長の前では)、認められなくなった(国民主権の発展、主権在民の底上げの前では)、障害となる(アジアにおける自由と民主主義の発展の前では)、これが二十一世紀という時代です。
失敗を覆い隠せた時代、先延ばしが得をする時代、責任ある選択や決断がいらなかった時代、この右肩上がりの高度成長が作った人間、とりわけ団塊世代にとって、この生き方を清算しなければ、十年・二十年先に『あの時代に自分はどう生きたか』を語ることはできません。自分達の親の多くが戦争を語れなかったように」(3面小南・国際特許事務所)
「変えたい」と誰もが思っている。変えよう、変わろうということを、「国のこと=自分のこと」(責任意識・主権者意識)として正面から受け止め、行動しようという人々の陣形が見え始めた。市井の賢人が、パブリック・インテレクチュアルとして、「本来の政治」に登場し始めた。
だからこそ、「わかるけどキツイ」「わかるけどそこまでできない」という人にも、こんな叱咤激励の声が飛ぶ。
「日本再生は、ふつうの国民の私が、あなたが、国民主権の意味をわかるようになるかに、かかっている! また、それ以外のいかなる道もない(大人としての人生を語れるように、わたしなどは飛躍的に責任感を高めなアカンなあ)」「自分は変わろうとしないで、これまでのように何もしない人は『ズ・ル・イ・ヒ・ト!なんだ』」(5面高橋・会計事務所)
あるいはこんな実感も生まれてくる。
「そして、そうなると本当に変わってきたのです。古い付き合いも新しい付き合いも、『めざすもの』を共有できる人との間での時間がグンと濃いものになってきました。『護憲・改憲』という旧来の枠を超えて、『国民主権の発展』をともにめざすところへと関係を再編するということが、見え始めてきたのです」(4面山口・職人)
「変わろう、変えよう、〈国のこと=自分のこと〉」という主権者意識が、構造的に動きだした。
一方で、ケーエスディー・外務省・諌早干拓という「暗愚トライアングル」は末期症状を示している。ケーエスディーはタニマチにすがる以外に票もカネも集められなくなった自民党の姿。外交機密費が右肩上がりで増えた冷戦後に、いったいどんな「外交」が日本にあったのか。飲み食い・接待というのは、サミットから大使館まで一緒だったということ。そして「ムツゴロウの命より生活が大事だ」と強行された諌早干拓のツケは、だれが払うのか。
責任だけはとらずに逃げ切ろうという既得権層の構造が、足の引っぱり合いを始める。主権者意識を持ち始めた人々にとって、これは絶望ではない。ぶらさがりのマイナスの世界にも、「このままではやってられない」という踏ん切りがつく。これを、国民主権の間接予備軍として迎え入れるところまでの陣容だけが問われている。
暗愚・亡国政権を一掃し、救国・改革政権へと舵を切ろう
●国民主権の発展から国家像、基本政策を描き切れ
ぶらさがり構造から生まれる「このままではやってられない」という踏ん切りまでを迎え入れるためには、構造改革の基本政策および国家像を、国民主権の発展というところから描き切ることが必要だ。
例えば「国民主権の発展としての憲法改正」「国民主権の発展としての政治改革、行政改革」「国民主権の発展としての安全保障の構造改革」「主権在民の底上げとしての地方分権(地域主権)」「自由のための社会保障の再設計」「選択―責任―連帯の教育改革」「がんばる日本と日本人の回復としての人づくり、地域づくり」「循環型社会と産業再編」(要綱より)あるいは「社会的市場の形成と社会的起業家の育成」「自由・民主東アジアと日米同盟再設計」など。
それぞれの分野における分析や視点は、すでに整理されている。それらをトータルに戦略的にまとめあげること、そしてそれを推進する主体勢力をつくること、それを有権者再編の組織戦として行っていくことだ。
例えば小沢、加藤氏とも「財政再建」や「経済構造改革」では似たようなスタンスだが、片や「日米同盟強化」、片や「日米中正三角形」である。転じてそれは、有権者の動向をどうとらえているのかということにもなってくる。これらのことがバラバラではなく、トータルなものになりつつある、ということでもある(既存の政党や政治家の評価もここから)。
五月五―六日に開催される国民協議会例会では、こうした基本政策、国家像を(97年以降のシンポジウムなどもふまえて)、国民主権の発展からまとめあげる。
●有権者再編の力勝負を、さらにおしすすめよう!
戦後の見直し―構造改革へ、日本再生へと舵を切り、新たな国家像を実現していく一歩を踏み出す、その糸口をこじあけられるかどうか―これがこの夏の参院選であり、都議選である。
「それは今夏の参議院選で、政府・与党の『野党には政権構想がない』というキャンペーンや『構造改革』を装った擬似改革政策にもブレずに、『国民のためにならない政治を倒すということでいい』との一点で投票行動する有権者の成長と、右肩上がりの高度成長が作った人間の依存体質からの脱皮の促進である。そして、少なくともこの十年の『救国・改革政権』への安定した支持基盤の整備が急務である」(3面小南)「国民のためにならない政治を倒すということでいい」とは、こういうことだ。
そのために、自由・民主主義・新たな公の創造から構造改革をトータルに語れる者、その可能性のある者に議席を与え、(政治リーダーとして)育てよう! 公金横領―公職横領のヤカラは、主権者の自覚の渦のなかに藻くずとして沈めよう!
「とは言っても野党に任せられるのか…」という人には、こう言おう。
―昨日まで「薩摩のイモ」に江戸を任せられるかと言っていた熊、八も、江戸城内の足の引っぱり合い、食い逃げ・ぶらさがり旗本のザマを見て、「ここまで来りゃあ、根腐れして死んでる者より生きてる可能性のあるほうに投票しなきゃ、あれこれ言う前に、おマンマの食い上げだぁ」と言ってるよ―と。
ここまで、踏ん切りが始まっている。だからこそ、ここで舵を切る―「亡国・暗愚政権」の基盤の解体と同時に、少なくともこの先十年の「救国・改革政権」への安定した支持基盤の整備が急務なのだ。だからこそ、自由・民主主義・新たな公の創造から構造改革をトータルに語れる、国民主権の主体勢力の成長、その多様な構造的連鎖のダイナミズムがなによりも必要なのだ。
「がんばろう、日本!」国民協議会を、その推進勢力として、国民主権をおしすすめよう!
「亡国・暗愚政権」を一掃し、「救国・改革政権」への安定した支持基盤を整備しつつ、その新しい土壌に根を張り、成長していく政治家および次の世代の主権者を育てていこう。