森政権の奇妙な安定がいよいよ揺るぎ出した、とある日のことでございます。 | |
熊 | おい、ついに出たよ。「森内閣を痛罵したいのですが、あまりに愚かなのでタイトルを思いつきません」ってぇ、週刊誌の見出しだぜ。 |
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八 | やっぱしな。いくらなんでもひどすぎるもんな。呆れてものも言えねぇってのは、このことだ。 |
ご隠居 | そう悪口ばかり言うものではないぞ。「空前絶後の反面教師」という評価もある。熊や八だって、「あそこまでひどくない」ってところから、責任や自覚ってものを、少しは実感してきたんじゃろうが。 |
熊 | へぇ、そいつは確かに…。近頃じゃ、「総理の資質」とかいう以前の話ですからね。二国間の「裏話」を、他の国にベラベラしゃべっちまうようじゃ、どこからもまともに相手にされなくなるってぇ意味くらい、おいらにだってわかりまさぁ。そいつが通じないってぇんだから、お終いだね。 |
八 | それによ、最近、自民党の幹部連中はそこらじゅうで、「有名人」に選挙にでてくれって話をして回って、しかもそういう話が、テレビに堂々と出てくるだろ。ああいうことやってると、ますます票が減るってこと、あいつら本当に分かってないのかね? |
熊 | あれこれ言うまえに、選挙で勝つために、真面目に一生懸命やっているとは思えねぇ。 |
ご隠居 | だからこそ、「空前絶後の反面教師」なんじゃよ。「変わろうとして変わりきれないでいる」状態の最後尾にいた熊や八のような国民が、「森内閣―自公保政権」というおねだり車両との連結器を、ここにきてついに外したんじゃ。おねだり車両には当然、自力の動力はないから、ズルズルと加速的に坂を後退していくわな。 それを後から追っかけていって「総理の資質がなんだかんだ」とやるのが、政治活動だと思っているのか、それとも「変わるための」自前の政治活動を蓄積していくのか、こういう区分が永田町にも庶民にも始まっておるんじゃ。 |
熊 | 下り坂を後退していく貨物車の中で、つかみあいしたり、足ひっぱりあったり、ガンとばしたりしている連中にゃ、「変わろうとして変わりきれないでいる」風景は、これっぽっちも見えてねぇってことなんだな。 |
八 | 生き残るためには「飛び下りる」しかないのに、外が見えない貨物車の中で「逃げ切ろう」としている連中ってとこだな。 |
熊 | それを追っかけて「批判」してるから、この間の党首討論でも野党は迫力ゼロってわけだ。 |
八 | シンキローは、どこまで追っかけても蜃気楼よ。 |
ご隠居 | それそれ、これが「反面教師」の学習効果というものじゃ。崩れゆく社会、総無責任、モラルハザード連鎖のなかで、誰がどこで「もう逃げ切れない」と「踏みとどまる」のか。そのための「空前絶後の反面教師」というわけじゃ。 ここから、永田町の小話の世界と、有権者再編の力勝負の世界との二極化が始まっておる。森内閣の超低空安定飛行を揺さぶる力は、永田町の小話を追っかけておる既存のマスコミからはでなかったというのも、象徴的じゃな。当然、長野の知事選や東京二十一区の補選も、「政党対無党派」という枠では、有権者再編にかかわる肝心なものは、いっさい見えん。 |
熊 | 「政党対無党派」という括りかたも、どうも腑に落ちねぇ。当事者は「政党は必要だ」って言ってるんだぜ。その上で、既存の政党にゃ現状を変える力はないってことなんだろ? だったら問題は、「政党か無党派か」じゃなくて、現状を変える力があるのか、ないのかってことじゃないのか。 |
八 | だからどういうキャラクター、実績なら、現状を変えたい層の支持を集められるのかってことだろ? 田中康夫も川田悦子も、単なる「有名人」じゃなくて、「変えよう」という行動力があったからじゃないか。 |
ご隠居 | ここでも、連結器は外されておるんじゃな。だからこそ、ホンモノも見えてくる。この十年、「変えよう」という思いをどう行動として貫いてきたのか。遠回りのようでも、国民主権の再定義とか主権在民の底上げという道を貫いてきたもののところに、ホンモノの改革のパワーがあるということもはっきりしてきた。ムードや気分、シングル・イシューでは、世直しのために五年、十年続けるという人間関係(信頼関係)はつくれんからな。 |
熊 | 有権者再編ってのは、そういうことですかい。 |
ご隠居 | 虚ろな戦後、崩れゆく社会に呑み込まれてしまう人間・生活なのか、それともどこかで踏み止まる人間・生活なのか、さらには新しい社会に向かって駆け抜けていく人間・生活なのか。こういうことがはっきりしてくる。 |
八 | 生きざまの総決算っていうことですかい? |
ご隠居 | 茶髪の兄ちゃんが、森が「寝ててくれ」って言ったのは許せねぇから今度ばかりは投票に行くって、タクシーの運ちゃんに投票所を聞いてきたって話があったな。こういう感覚は、いくら上司や政治家の悪口を言っても、赤ちょうちんで飲んで一晩寝たら、きれいに「忘れて」それまでと何一つ変わらない生活を送るというオヤジ世代にはわからんだろう。自分の言ったことを自分でやらなくてもなんとも思わんのだ。結局は、いつも誰かのせいにして逃げ切ろうというヤツラじゃからな。 そのいい例が、教育改革国民会議の「奉仕活動の義務化」じゃ。大人に「公」ということがないのに、子供にそれを強制してどうなる? 「そんなら、まずテメエらがやれ」と大人に向かってタンカを切れる子供のほうに、むしろ可能性があるとは思わんか? それに正面から向き合える大人がどれほどいるかのぅ。 そのためには、「大人の責任」を自覚し、またそれを果たそうとする日々の戦いがどれほど必要か。それを何年続けたら、「小さき一歩」を自分で確認できるのか。そういう生活の苦闘が伴った大人でなければ、向き合えん。ホンモノの自由や民主主義というものは、こういう基礎にたたねばならんのじゃ。 だから教師や政治家が一番わかっとらんのじゃ。イジメがあれば隠そうとする、都合の悪いことがあれば責任を逃げることしか考えない。森だって中川だって、その場かぎりの言い訳ばかりじゃろう。それでは、自由・民主主義は「カラスの勝手」にしかならんわい。 |
熊 | 台湾で民主的な政権交代が行われたのに対して、「事を荒立てないでほしい」って言うのは、イジメ問題が表ざたになった時の、無能な校長・教頭の言い種とそっくりでさぁ。テメエが後何年で無事に退職できるかってことしか頭にねぇんだ。 |
八 | 御身大切ってやつだな。 |
ご隠居 | そういうやつが、結局いつも国を誤らせてきたんじゃ。おねだり貨車との連結器を外す、それも熊や八が外すということは、リーダー層だけではなく国民レベルでも、逃げ切るわけにはいかんという肚を固めるということなんじゃ。 |
熊 | がんばる日本と日本人の回復ってぇのは、そういうことなんですね。 |
ご隠居 | まぁ、十年は最低続けることじゃ。暗愚政権は国益上はきわめて不利であることは間違いないが、それを変える力は結局、「このまま逃げ切るわけにはいかない」という人々の、無数の小さき無償の戦いから生まれる以外にないのじゃよ。文字どおり、急がば回れ、ということじゃ。 |
八 | この間までは「与党も与党だけど、野党もだらしがねぇ」って思ってたが、連結器が外れて(おれらが外して)、向こうが逆走し始めると、与党・野党とか、永田町・国民とかじゃなくて、世界が違ってる、見えてる風景がまったく違ってるんだってことがよくわかりやすよ。 |
ご隠居 | それをどう蓄積していくかじゃ。政党がないということは、政治的に蓄積されていないということじゃ、個人という形でしか蓄積されておらん。ようやくこの十年で、改革の思いを貫いてきた政治家とその支持基盤のところに、政治的表現としての蓄積の糸口は見えてきたが、それはまだ点じゃ。それらを面に、構造につなげて行くためには、新しい国民運動が必要なんじゃ。 熊、八も連結器を外した以上、これからは釜炊きの助っ人をせねばならんぞ。前へ進むエネルギーは、おねだり・逃げ切り貨車との関係からは出て来んのじゃからな。 |
熊 | へい。頭はよくねぇが、体を動かして働くことは任してくだせぇ。 |
ご隠居 | お前たちまでが、自分の直接利益ではないことに一生懸命になれば、相当どうしようもない者でないかぎり「世直しなんざぁ、俺には関係ねぇ」とは居直れなくなるからな。こういう効果もあるわな。 |
八 | それってほめられてるんですかぃ? |
ご隠居 | まぁ、「逃げ切り」「食い逃げ」を止めれば、役に立たない個性はないということじゃよ。 |
熊 | それじゃさっそく、11月19日に集まれ、てぇチラシを長屋中に配ってくるとしようじゃないか。 |
八 | おっしゃあ。 |