民主統一 250号 2000/2/1発行
生活からの構造改革のせりあがりを、わが国における政党政治の新時代を拓くための礎として打ち固めよう
「がんばろう、日本!」国民協議会のめざすもの
生活からの構造改革派と改革の旗手との切磋琢磨・共進化プロセスを
昨年から明らかに、社会の分岐=国民の利害の亀裂は、五十五年体制下での利益分配をめぐるものから、構造改革をめぐるものへ、すなわち「いかなる社会をつくっていくのか(安心―お任せ社会なのか、信頼社会なのか)」「いかなる人生設計をするのか」へと変化し始めている。
言い換えれば、従来どおりのやり方でなんとかしのいでいこうと考える人々と、これまでとは違う社会に生きていくという覚悟をし、あるいはその準備を始めた人々との根本的な分岐である。これはもはや、既存の政治、経済、社会の組織系列では、集約することも、表現することもできない分岐である。
こうした社会の亀裂を政治の舞台に登場せしめ、再編統合すること、そのとば口を開けられるかどうかが、次期総選挙の焦点にほかならない。すなわち、この十年を「失われた十年」とせずに、「構造改革にむけた下準備の紆余曲折の十年」としうるためには、生活レベルからの構造改革の実感派が、自らの政治組織表現までを持ちうるかがポイントなのである。
介護、年金問題、あるいは赤字財政問題、あるいはリストラ(不景気のみならず産業構造転換にともなう労働構造の変化)、あるいは学級崩壊など。構造改革はもはや、国民の生活レベルの問題であり、これまでとは違う社会に生きる覚悟を、日々具体的に問う問題となっている。こうした緊張感と無縁でいられるのは、主要な社会的生産労働の一部署についていない人々だけである。そしてこうした緊張と縁遠い度合いは、社会的責任に縁遠い度合いと比例している。
こうした構造改革をめぐる国民生活レベルまでの分岐が明らかになればなるほど、どちらの側の国民に立脚しているのか、どの国民の共感を組織しようとしているのかで、政治家・政党の格付けも決ってくる。
この十年、改革を訴えてきた政治家・政党が、生活レベルまでの構造改革派に近づき、とらえ、結びつくことができるのか。それとも「◯◯さんも大変だねぇ」「◯◯さん、大丈夫?」と心配されてしまうのか。(ベンチャー起業家であれ、改革の志士であれ、一国民、一社員に「心配」されるような改革派のリーダーなどというものがありうるか)
「◯◯に期待したのに、やっぱりだめか…」という評論や、観客レベルに止まった改革期待層の余地はなくなりつつある。生活レベルからも構造改革の主体的せりあがりが始まったとは、そういうことである。
下では「言ってることはわかるが、しかし…」という行動しないための生活の屁理屈。上では「改革は必要だが、既得権層の抵抗が…」「そのとおりだが党内事情が…」という屁理屈。その間に「上は現場の苦労を知らない…」という屁理屈。この余地が奪われて、改革の方向に向かって目の前の現実を一歩一歩変えていくために何をなすべきか、ということによって信頼関係を取り結ぶというところへ、組織関係の風景は大きく変わりつつある。
こうした生活の行動原理の前に、言い訳となってしまうのか、それとも変革のための行動指針を提起しうるのかとして、改革派のリーダーたりえるかが検証・格付けされる。
右肩上がり・寄らば大樹の影という安心社会がすでに過去のものとなったことは、その中で人格形成をしてきた大人たちよりも、その崩壊を目のあたりにして成長してきた若者のほうがリアルである。信頼を自分で築き上げる(自分自身に対する信頼も含めて)ことの困難から何かを学ぶか、その困難から遁走して何かにすがるか(カルトでも学歴でも戦争論でもなんでもいい)。どちらにしても、もはや既得権をあてにできる余地はない。その前に、「若者の政治離れをどうするか」としか言えないのか、せめて「青年よ大志を抱け」ということが、サマになるように言えるのか。リーダー選抜をめぐるこういう検証・格付けも始まるだろう。
生活からの構造改革派―覚醒を始めた有権者と、改革派の旗手たらんとする政治家との切磋琢磨、創発性・共進性の新しいプロセスが始まろうとしている。「がんばろう、日本!」国民協議会は、このような場たらんとするものである。
政党政治確立の新時代を拓くための主権者運動を!
自自公の遠心過程と言っているように、もはや現実の政治的分岐も政治的エネルギーも、自自公をめぐる攻防の中にはない。国会の空洞化は、それを端的に表している。政局をめぐる動向が、現実の社会的分岐、国民の利害対立と、これほどまったく乖離しているというのも、先進諸国では珍しい。
今年選挙を迎えるアメリカ(大統領選)でも、韓国(総選挙)でも、台湾(総統選)でも、政局の動向は社会的分岐、国民の利害対立、意識変化を何らかの形で反映し、代弁し、方向づけることにかかわっている(大統領選を控えたロシアでも、権力ゲームの構造としてはそうなっている)。
しかり。五十五年体制下での社会の分岐、したがってそれに規定された政治的な分岐は、既得権益への参入と分配をめぐるものであった。「右」から参入しようと「左」から参入しようと、既得権の分配をめぐるものであるかぎり、そこには「次の時代の国のありよう」という要素は入っていない。冷戦時代五十年と一言で言っても、その過程にはいくつかの転換があり、その時に何を準備しえたのかは、冷戦の崩壊をどう迎えたか(新しいゲームのルールを創る時と構えたのか、晴天の霹靂、呆然自失だったのか、高をくくったのかなど)に、大きく関連している。
七〇年代、八〇年代のヨーロッパには、新保守主義の挑戦や社会民主主義の脱皮の試みなどが、政党政治の転換として刻印されている。韓国や台湾では、金大中氏や李登輝氏といった既得権体制と戦うリーダーが準備され、今日の政党政治の形式を準備していった。
わが国には、「金権政治批判」以上のものはなかった。目前の利害に終始していては、次の時代を準備する人間主体を育むことは、到底不可能である。わが国では政党の形成が、既得権への参入をめぐる分岐でしかなかったとは、そういうことだ。
バブルが崩壊し、冷戦が終焉し、既得権拡大を可能にしていた環境が否応なしに変化し、経済敗戦に至ってようやく、新しい分岐が始まった。欲望民主主義の国民の基礎そのもののなかに、これまでにない変革をめぐる―構造改革をめぐる主体分岐が走り出した。これが「第二の敗戦」から始まった新しい風景だ。
「政党不信」の意味も大きく変わってくる。現状を変革する必要を感じれば感じるほど、政治の重要性を理解し、政治的関心も高まるが、だからこそ現状の政党、すなわち既得権分配の政党への拒否感が高まる。ぶら下がりの人々にとって「政党」とは既得権の分配にあずかるためのものであり、生活の面倒を見てくれるものであるが、自分のメシくらいは自力で食える、自分の人生設計は自分で選ぶという人々にとっては、時代を論じ、天下国家を論じるからこそ政党じゃないか、ということになる。
ここからようやく、政党政治の未確立という、わが国近代の歴史を終わりにするためのステージの幕が開く。「がんばろう、日本!」国民協議会とはまさに、このステージを、次の「本格的な政党政治の確立時代」に向かって回して行く礎となるべく準備するものである。
近代国家として歩み始めてから百年余り。大きな過ちもあったが、自由、民主主義、人権、平和という普遍的価値を共有しうる社会を曲がりなりにも築き、モノづくりという分野での個性をなんとか維持し、近代以前から受け継いだ自然との共生などの価値観を人類社会に生かす道も、ある程度見え始め、「もたれあい、護送船団方式」といわれるところから、自立した個の連帯へと転換していく芽もでてき始めた。
敗戦の焼跡で、「二度とお上にだまされるな」というところから主権在民を取得し、「公的なもののすべて」を平和で民主的な生活と相容れないものとして退けたと言われる戦後の多数の国民の生き方の中から、「新たなる公の創造」を追求しようという人々が生まれ、(既得権獲得のためではなく)社会を維持していくための活動をすることの価値が見直され始めようとしている。
「負けて目覚める」ところから始まった主権者としての覚醒を、わが国における政党政治の新時代を開くための礎として打ち固めよう。
折しも憲法論議が、戦後の神学論争の枠からようやく自由になって行なえる時期である。いうまでもなく、護憲・改憲という軸は、五十五年体制の政党構造を規定する柱のひとつであった。新しい憲法論議の前提は、「ある憲法秩序を根底的に否定・転覆する革命憲法を制定するのでないなら、憲法の定める基本秩序を維持し発展させるためには憲法改正が必要となる」ということである。
この国民主権の発展として憲法論議を押し進めるなら、憲法制定のための政治勢力の確立が不可欠となるのは当然である。
憲法制定のための政治勢力を確立する義務を自らに課すことなしに、憲法論議ができると思う人を、主権者と言えるだろうか。われわれはそろそろ、そういう問いを、自他に発すべき時にきているのではないか。
日本では圧倒的に政治への関わりは、選挙での投票行動に限定されている。欧米では、政治への関わりとは政党の日常活動への参加のことである。そこまでは難しいとしても、朝の駅頭での演説やビラ、個別配付されるニュースに気をつけて目を通すことはできる。そういう活動をしていないのは誰かもわかる。政党や議員のホームページにアクセスすることもできるし、意見や質問があれば、手紙でもメールでもだせる。それに対する対応で、いろいろなことが判断できる等。
世論が大きな変数になるという。その意味は、何も考えていない漠然たる流れが世論になるのでもなければ、誰かに煽られて世論ができるのでもない。自分で情報を集めて分析し、自分で考えて判断する―そういう自立した個の共振が流れをつくり始める。この芽を見失うことなく、次の時代へと育て上げていくこと。二十世紀最後の年に、われわれに問われている選択は、そういう性質のものでもある。
「がんばろう、日本!」国民協議会の役割、組織・運動のイメージ
「がんばろう、日本!」国民協議会は、生活からの構造改革派―覚醒を始めた有権者と、改革派の旗手たらんとする政治家との切磋琢磨、創発性・共進性の新しいプロセスの場たらんとするものである。
「がんばろう、日本!」国民協議会は、政党政治の未確立の時代を終わりにし、わが国に政党政治の新時代を拓くための主権者運動の礎たらんとするものである。
そして「がんばろう、日本!」国民協議会はなによりも、自立した活力ある国民の多様なエネルギーが交差し、その相互作用から新しい何かが生まれ、さらに新たな創造的破壊の芽として発展していく場たらんとするものである。
また「がんばろう、日本!」国民協議会は、“日本の日本たる所以”を以て国民意識を覚醒させ、二十一世紀の人類社会に貢献しうるものとして発信・共振していく場たらんとするものである。
「がんばろう、日本!」国民協議会の組織原則とはどのようなものになるだろうか。
わが国において、時代を論じ、天下国家、地球を論じる政党政治の新時代を拓くためには、なによりも主権者の底上げが不可欠である。こうした主権者運動の自覚的推進力となりうるために、「がんばろう、日本!」国民協議会は、自発的意思(ラディカル・ウィル)によってのみ、運営される。それは、わかったら行動する、その方向へと現実の諸関係を不断に再編してゆくという、新しき「知行合一」の行動原則である。「わかるけれど、しかし…」という行動しないためのへ理屈を、自発的意思とは言わないということが、共通の了解事項になるということである。「すべては信念からはじまる」というサッチャー女史の哲学を、国政変革はもとより生活の変革、日常的な人間関係の変革の領域において、一国民として実践的に共有しうるという政治文明圈の確立である。
したがって第二に、ここにおけるリーダーとフォロワーの関係を整理しなければならない。歴史的な転換とは結局のところ、リーダー勝負である。フォロワーの責務とは、リーダーの職責を尊敬し、だからこそその基準からリーダーを検証・選抜していくことであって、評論することではない。そしてリーダーの職責を尊敬しうるためには、やはり志を共有しなければならない。そしてそれを実現する上での各自の持ち場を守ることの上にのみ成り立つ「連帯」を基礎にしてこそ、厳しい検証・選抜をできる。
そしてこのような厳しい検証をフォロワーに要求し、それに応えてみせる意欲と力のあるものがリーダーとして選抜される。ここには当然、一戦闘での敗北や挫折をバネにして、さらにチャレンジしようとする者を積極的に育成する土壌をつくらなければならない。
さらに多様なリーダーの型、その人材を育んでいく“揺りかご”“インキュベーター”とならなければならない。ひとつは、創業者タイプ、創造的破壊に力をもっとも発揮する型のリーダー。いまひとつは守成のタイプ、切り拓いた地平を守り、確実に継承・発展していく型のリーダー。さらに、時代の転換に自力ではなかなかついていけない人々(少なくない)を「ぶら下がり」にせずに、健全に自活できるようにしていく型のリーダー。
政党政治とは、時代の転換から生じる社会の亀裂―人間関係の断絶を、次の時代の方向へと再編することである。時代の転換に、自覚的プレイヤーとして参加できるのは、一国民一主権者としてでも、そう簡単なことではない。だからこそ、観客席で応援する(あるいはテレビで応援する)ところまでが必要なのである。無表情な観客や評論屋、場外のダフ屋やノミ屋、あるいはフーリガンになるのではなく。
「がんばろう、日本!」国民協議会が展開すべき国民運動とは、どんなものだろうか。
ひとつは、憲法制定政治勢力を生み出すような、力強き創憲国民運動である。ここには内外の構造改革―外交・安全保障の構造改革、経済構造改革、社会政策の構造改革、産業構造の転換、国家権力機構の構造改革などを、人類史的な課題をも視野にいれながら発信しあい、同時に国民意識を覚醒させ、そのエネルギーを広く呼び起こしていく展開が必要となる。つまり「広く会議を興し、万機公論に決すべし」ということである。
二つめには、これまで述べてきたような、政党政治の新時代を拓くための主権者運動でもあり、政党政治の新時代を担う人間(リーダーとフォロワー)を育成するインキュベーターとしての運動展開。
三つめには、「新たなる公」を創造する、新しい公共の担い手を育成する国民生活改革運動。時代の転換にプレイヤーとして参加できるのは、多数ではない。右肩上がりの時には、それでも分配が可能だった。しかしこれからはそうではない。「僥倖」ともいうべき右肩上がりの時代に人格形成してきた人々が、これから高齢社会のピークを迎えていく。この人々が、自立・自活ということを生活スタイルとして獲得しなければ、言い換えればこの領域を「公的資金」で全てみようとすれば、どうなるかということが、社会保障政策の直接の課題のひとつでもある。
「公的なるもの」を排除してきた戦後の決着を、新たな公共の担い手として、すなわち自分たちの社会を自分たちで維持していくとはこういうことだ、ということを、誰もが自分にできるやり方で示す運動を! これが社会の底力にならなければ、どんな立派な「国家ビジョン」もただの作文にすぎない。
「がんばろう、日本!」国民協議会を、かようなものとして創りあげようではありませんか!