民主統一 243号 1999/7/1発行
日本再生−構造革命の論理と政局論との“奇妙な使い分け”を打破する
力強き政党活動をうちたてよう
自自公は国家論をめぐる新基軸の媒介たりうるか
自自公連立は、小渕総理のゴーサインで公明党大会前にも決着しそうな雰囲気である。
「真空」と言われ、「丸のみ、丸投げ」といわれる政局運営は、自自連立までは「国家・国民のため」ということで一応説明できていたが、自公連立では、参院での安定多数確保と総裁選をにらんでの思惑・かけひきが目につく。
自自公が政局いじりにうつつを抜かす結果となるか、それとも国家論をめぐる新基軸たりうるかは、わが国の再生―構造改革―にとって不可欠な政治課題について、国民も含めていかなる論戦を組織しうるかにかかっている。
自自連立では曲がりなりにも、わが国が直面する国家的危機とそれに対する政策(今直ちに実行すべき政策)をめぐる論戦があり、それを媒介にした国家政策をめぐる分岐の可能性が生まれた。自自公は、そのような国家論をめぐる新機軸を永田町および国民に提示しうるか。目先の経済指標が少し好転したくらいで緩むような「危機感」ではそれは無理だし、政策担当者自身が「とりあえずこういう数字を入れてみた」(緊急雇用対策についてのT V 討論で)と互いにニヤけてしまう緊張感のなさでは、それは不可能である。
公明党のなかには、「不況とそれに対する無策のためにサラリーマン、中小企業者の自民党離れが進み、将来への不安から高齢者も若者も自民党から離反しつつあるチャンスに、民主党は野党第一党として、自民党に対抗しうる政治の座標軸を提示すべきだ」との声がある。
「戦後的あいまいさ」にケジメをつける論争軸を、連続的に展開しよう
「戦後的あいまいさ」にケジメをつけるには、戦前と戦後との明確なケジメをつけることが不可欠である。言い換えれば、五十五年体制下での「左」「右」が国家観にかかわる論議に無力となった後に、いかなる主体性がありうるのかということである。
その典型が、「国旗・国歌」の法制化であろう。これまで法制化の見通しが自民党内でもたたず、五月に法制化の動きが浮上した後もいったんは萎んだのが、ここへきて一気に法案成立への動きがでてきた。奇妙なことに、かつてならあった自民党内の推進勢力(皇国史観的グループ)の存在が、今回は見えないままで。一方で政局いじりと
しては絶妙の手である。公明に対しては「国家観の共有」と選挙とのバーターを迫れるし、民主党内も割れる。公明は慎重論と不安感が交錯しながら、賛成に踏み出し、民主党も容認に傾きつつある。永田町は奇妙な“凪”状態である
しかし、である。国旗・国歌という国家の基本に関わる問題を、政局の数合わせで扱うということは、局面が変われば(多数党の動向いかんで)国旗・国歌は変えられるという、とてつもない前例を残すことになることを、永田町の面々はしかと知るべきである。少なくともわれわれは、次のような議論から出発すべきである。
「『天皇の国民』という戦前の国体イデオロギーの失敗をふまえたうえで、『国民の天皇』という文化」(松本健一5 /17 産経)をどう考えるのか。
「私は国家の象徴としての天皇制に反対するものではない。しかしカタイことをいうなら、国家の主権は私たち国民にあるはずだ。強いて(「君」の)意味をはっきりさせて歌い上げる場合には、せめて『君が代』ではなく『我らが世』はと変えるべきだろう」「自民党で君とは天皇をさすと明らかにしたのがきっかけで、私は法制化にあたってあらためて『君が代』を論じることの必要を感じるようになった」(上坂冬子6 /18 産経)
「君が代の現行の歌詞のままでの法制化とは、戦後の日本国民が、戦前のままの天皇主権への賛仰を意味する歌を、戦後、この法制化で問われているのである」(加藤典洋6 /28 毎日)
ここで論じられているような、戦前と戦後との決定的違い―天皇主権と国民主権ということ―をあいまいにしたまま、「長年の慣行により国民の間に定着している」とか「冷戦が終結して国民の意識も変わった」という“理由”で法制化しようという政治家とはまさに、戦後的あいまいさの帰結としての一億総オウム社会にふさわしい政治家だろう。
われわれはこうした論議に対する明確な返答を、永田町に迫らなければならない。
介護保険も、来年四月の施行を前に混乱が予想されるとの理由で、先送り論が出始めており、これも自自公の論議のひとつとからんでいる。ここでも少子高齢化社会にむけた構造改革に、待ったなしで踏み込むのか、再びそれを目先の政局(選挙)で先送りしてしまうのかが問われている。
階級対立を背景に、自由と平等、国家と社会の緊張関係の中からつくり出されてきた西欧の社会政策とその思想に比して、日本の社会政策は戦前の軍国主義の経済的基礎たる富の極端な集中を排除するという占領政策・思想から出発している。この延長に戦わずして(冷戦の恩恵で)一億総中流化に酔えば、多大なぶらさがり構造を生み出すは必定である。ここに手をつけずして、破綻を免れうるのか、ということであり、一方で国民の中に行政依存と経済自立との区分が生まれ始めていることに照応した新しい社会政策はどうあるべきかということなのである。
国民は、政局論で対処しようとする永田町に対して、(依存と自立の)どちらの利害の側に立つのかを迫っていかなければならない。
ガイドライン関連法も、“テポドン効果”“不審船効果”によるなし崩しや、米国の圧力への対処だけでないのなら、わが国の安全と国益をどのように確保していくのか、あるいはこの地域の安全保障構想へと、論議を発展させるよう要求していかなければならない。
「戦後的あいまいさ」にケジメをつける、このような主体論争を息切れせずに持続的に、あらゆる課題のなかで展開すること。そのエネルギーがともなって初めて、われわれは憲法を主体的に論じることの入り口に、自分たちの足で立つことができる。それなしには、憲法すらも政局のかけひきとなりうる。それはもはや破綻国家の姿であろう。
永田町の奇妙な“凪”に対して、自覚した有権者は、構造改革の論理と政局の論理とのダブルスタンダードを打破する、力強き政党活動をうちたてる戦いの中でこそ、ホンモノの改革派を鍛え上げていこう。