民主統一 229号 1998/5/1発行
アジアの抜本的構造改革−−−二十一世紀にむけた「原風景」を共有しうる成熟した市民社会を形成するための“ビッグバン”を
「日本問題」の本質は、統治活動の戦略的刷新、すなわち政党政治の問題へと絞り込まれている
四月に開催されたG7の「唯一の」焦点は、「日本問題」であった。世界経済の不安定要因はアジア危機から「日本問題」に移った感さえある。政府が「過去最大規模」と強調する経済対策に対しても、不信感が見え隠れする。
日本の「複合デフレ」の背景にあるのは、日本の政治的意思に対する「信頼危機」であり、長期戦略の不在である。IMFのカムドシュ専務理事は「アジア問題が日本問題になった時に世界問題になる」と指摘した。アジア経済危機や日本の不況の裏で進行している米経済のバブル化など、世界経済に対する懸念は強まる一方であり、その主因が日本にあるとされつつある。
こうしたなかで次第に「日本問題」の本質が、絞り込まれていく。まさに今の日本は「指導者不況」であり、「統治構造の戦略的刷新」こそが求められているのだと。
OECD事務総長のドナルド・ジョンストン氏は、日経新聞「経済教室」(4月27日付) で、次のように指摘している。
「民主社会のすべての社会的進歩は、三角形のパラダイム (枠組み) のバランスを保つことで維持されているという見方だ。三つの柱は経済成長、社会的安定、優れた統治(ガバナンス)である。この場合、『統治』は政治的な上部構造以上のものを指す。
三つのうち一つでも欠けたり弱体化すれば、社会的進歩は減速するか停止してしまう。日本の場合、あらゆる意味で統治の弱体化が現在の苦境の根底にある。
『グローバル化』へと急変化する国際環境に社会を適応させ、市場原理を徹底させるために、統治主体は柔軟な経済構造の枠組みを整えなければならない」
まさに問われているのは、主権者自身の(グラスルーツの)新たな政治運動−−−そのための意識改革をおしすすめる社会革命のビッグバンであり、その戦略を練り上げ、エネルギーを創りだす政党活動なのである。
ヨーロッパやアメリカ、そしてまたアジアでも、形態の違いはあれ、こうした「統治構造の戦略的刷新」は政党政治の転換・再編として進行している。欧米における社会民主主義勢力の脱皮と政権交代、韓国における政権交代、中国における基本政策の鮮明化はいずれも、国際環境の変化に適応するための政党政治の転換(綱領や基本方針、戦略の転換として明示されるもの。当然、その政治責任についても「政争」レベルのものとしてではなく、綱領・路線に基づいて評価され、問われる)と、その基盤となるべき社会革命の進行(主権者自身の意識改革を迫り、またその中から生まれる主体分解に立脚する)との相互連鎖作用として−−−すなわち「グローバル化」へと急変化する国際環境に社会を適応させ、そこから生まれる新たな主権者意識の政治的表現を組み込み、新たな統治主体にまで発展させる「柔軟な」統治構造への転換が、政党の脱皮・転換、政党再編として収斂されていくのである。だからこそ、ここで言う統治とは、政治的上部構造「以上のもの」(できあいの既得権構造の上に安住する政官財の癒着構造「以上のもの」)だというのである。
まさに「日本問題」の本質は、このように絞り込まれており、政党文明の基盤がないわが国においては、政党政治の総瓦解、「指導者不況」という道を通って、この問題に突き当たっているのである。
抜本的な構造改革をめぐって見えはじめた東アジアの協調的競争関係と日米中ロの戦略的関係のありよう、わが国の立場
昨年来の東アジアの経済危機は、次世紀にむけてのこの地域の自画像(「苦難の近代」から「アジア人のアジア」へ)を描くための「原風景」の共有を、歴史上はじめて可能にしつつある。すなわちこの地域の不安定要因を、「希望の見える不確実性」として解決していくためには何よりも、社会経済的な構造改革を相互に促進しあう協調的競争関係と、それを基盤とし、またそれを担保するものとしての総合安全保障戦略が不可欠であるということである。
今回の危機が多かれ少なかれ、冷戦体制とその下での近代化の中で生じた構造的要因によるものである以上、そこからの脱却は戦略的なものとならざるをえない。その戦略は、各国における市場経済と民主主義を発展・成熟させること−−−冷戦体制下での近代化の構造改革−−−と、この地域における新たな国際関係−−−こうした構造改革を促進しあう協調的競争関係とそれを担保する総合安全保障の構築−−−とをリンクさせるものとして、つまり国内における構造改革と東アジアの新たな国際関係構築、そこにおける自国の自画像=国益を戦いとることとが一体のものとしてすすむという、歴史上はじめての機会となる。
韓国における改革は「第二の建国」と称されているが、それは冷戦時代における近代化の「歪み」を是正する、成熟した市民社会の形成をめざすものとして整理されている。そしてこの基盤において南北関係についても、北朝鮮のソフトランディンク戦略(ある意味では、これも東アジアの構造改革の「特異な」一例として位置づけられる)を東北アジアの安定と協調の多国間関係構築とリンクさせ、その中で自国の新たな位置・役割を戦いとろうというものだと言える(本号三ー二面、孫世一・韓国国会議員のインタビュー参照)。
経済の相互依存関係に基づいてすすめられてきたアジアの国際関係(APECなど)ではこれまで抜けなかったカードである北朝鮮と台湾の問題についても、新しい可能性が見えはじめている。北朝鮮の食料危機は明らかに構造的な要因によるものであるが、国際的な支援に頼らざるを得ない状況が、この問題を北朝鮮の国際社会に開いた「窓」という性質にさせている。北朝鮮の崩壊を回避することと、東北アジアの新たな多国間協力の枠組みをつくることとは一体であり、それはまた四者協議やKEDO、あるいは今後考えられる農業支援など、多様な枠組みで進められなければならない。
その際にやはりなんらかの形で、台湾をここに参与させることが重要になる。台湾は北朝鮮に対しても、農業支援の用意があることを表明しており、また先頃はアジアの金融安定と経済成長を促進するため、中台が共同で東南アジア諸国に呼びかけて会議を開くことを提議した。蕭万長・行政院長は、「海峡両岸が政治的には対立している点があるが、各種の新たな情勢により、国際社会において協力の場を探ることは可能である。と述べている。
中台の間では中断していた直接対話が再開されたが、中台問題をこの地域における次世紀の多国間協力関係の枠組みから解決していく可能性も、みえはじめようとしていると言える。
中国における改革もまた、中国が「大国」として次世紀の国際秩序形成に、いかなる責任と役割をはたそうとしているのかについての明快なメッセージとなった。米中関係の戦略的な好転は、こうした基礎の上に成り立っており、だからこそ「大国」としての役割・責任をどうはたそうとしているのか、その政治的意思が見えない日本に対する評価も厳しいものとならざるをえなくなる。
次世紀にむけてのこの地域の自画像(「苦難の近代」から「アジア人のアジア」へ)を描くための「原風景」が共有されるにしたがって、それに照応した新たな「大国」間関係のありようも問われてくる。米中、中ロ、米ロがそれぞれ「戦略的パートナーシップ」をうたい上げるようになったのは、東アジアの経済危機が顕在化してきた昨年後半からである。まさにこうした大国間の戦略的パートナーシップは、この地域の構造改革をめぐる協調的競争関係を担保するものとして、機能しなければならないということなのである。
ある意味で言えば、九六年の「日米共同宣言」の方向を具現化していく「恰好の」舞台が整えられつつあるということなのである。この舞台の上でいかに「踊る」ことができるのかが、わが国に問われているのである。その「第一関門」が、アジア経済安定の防波堤の役割ということであったのが、今では「日本発の世界恐慌を引き起こさない」ようにできるかどうかとしてシビアに問われることとなった。
一方で来春まで、日ロ首脳会談のタイムテーブルはすでにセットされている。このなかで日ロ関係を、どのように東アジアの戦略的枠組みとリンクさせていけるのか。あるいは今秋に予定されている江沢民・中国国家首席の来日時の「日中共同声明」を、いかに準備していくのか。胡錦濤・副首席は日中関係について「世界の枠組みの中でとらえたうえ、戦略的、歴史的な観点から進むべき方向性を把握することが重要だ」と述べている(毎日新聞との会見)。日米間の戦略的なパートナーシップも、もはや九六年の延長にはありえなくなっているのは当然である。アジアの構造改革を担保する共同関係は、米中関係へと明らかにシフトする傾向にあるのだから。
このようにしてわが国にとってもまた、統治構造の戦略的刷新としての抜本的改革と、東アジアの新たな多国間関係を戦いとることとが一体の課題として問われる歴史空間ー舞台が整えられているのである。
「公武合体」「大政奉還」繙幕藩体制の根幹には手をふれない「改革」に収斂するのか、それを超えてすすむ「草莽決起」のエネルギーを創りだす、市民革命の“ビッグバン”を準備できるか/現在の政治局面について
現在の政治局面を幕末ー明治にアナロジーすれば、「公武合体」「大政奉還」−−−幕藩体制の根幹には手をふれない「改革」(永田町の枠組み−−−戦後の政官財の枠組みの中での再編)でコトを収めるのか、それともそれを超えて抜本的変革にすすむエネルギーを創出できるのかということである。
現代の「黒船」たる「市場」と国際社会は、「公武合体」「大政奉還」の枠内では収まらないことを鮮明にしているが、問題は日本社会ー国民自身の変革のエネルギーが、この枠に収斂されるのか、それともそれに満足せずに新たなエネルギーを創りだすことができるのかにある。次世紀にむけたアジアの抜本的構造改革という「原風景」を共有するためには、永田町の枠内での再編を超えてすすむ、変革のエネルギー(主体)を創りださなければならない。
マルクスは革命の発展過程について、「革命はより強大な密集した反革命を生み出す、その前に己のちっぽけなできあい性をふり捨てることによって革命は前進する」という意味のことを述べている。
しかり。永田町の枠内ー戦後の政官財の枠組みの中での再編論の前に、解体され消失してしまう程度のエネルギーなのか、それともその前に己自身のできあい性をふり捨てて進むエネルギーなのか。主権者自身の変革のエネルギーこそが問われており、そのような主権者の意識改革をおしすすめ、「草莽決起」の新たな政治行動へと転化することのできる戦略、そのような政党こそが求められている。
「公武合体」路線をめぐる論議は、その前に「改革」のエネルギーを解消させてしまうもの、できあいの攘夷論の枠にとどまるもの、そしてこれを超えて進むできあいの攘夷論からの根底的脱皮(回天の思想)という主体分解を生み出した。ここを切り開く志士の結集体(ホンモノの変革の政党)と、「ええじゃないか」運動(広範な主権者自身の政治運動)を相互連鎖的に創りだしていく戦略が、今日求められているのである。
それこそは、グローバル化時代に適応する社会の中から生まれる主権者意識に立脚した統治構造の刷新と、東アジアの多国間関係とを一体で進める戦略であり、その基本方向を「地球益ー国益ー郷土愛をむすびつける」と表現しているのである。次世紀の自画像を戦いとるために「原風景」を共有しつつある東アジアの歴史的情勢は、この戦略の最大の「追い風」にほかならない。
夏の参議院選挙から来春の統一地方選にかけて、永田町の枠内の再編に収斂するわけにはいかないという主体的エネルギーが、永田町の枠組みの「外」に、自前の新たな政治組織形態を求めて行動に移りはじめるだろう。そうした「草莽の志士」たちが出会い、時代認識を共有し、国境を超えて新たな行動のエネルギーを創りだし、共有する場としてフォーラム地球政治21の本格的な立ち上げを戦いとろう!