民主統一 222号 1997/10/1発行

新時代のわが国のありよう、国益を正面から論じ、合意形成をはかるために

第二次橋本改造内閣をめぐる情勢と諸問題を、新たな国益にむけた合意形成への糸口としよう

 第二次橋本改造内閣をめぐる諸情勢は、冷戦とは根本的に異なる新時代の様相が明らかになるなかで、今後の日本の国益、すなわち日本のありようとは何なのか、アジア太平洋地域における日本の役割とは何なのか、いかなる存在になることが日本およびこの地域の共通の利益にとってプラスになるのか、こうした意子での国益について、本格的な合意形成に着手すべき時期にはいったことを示している。
 新時代の国益は、もはや排他的な一国主義的なものとしては成り立ちえない。二つの陣営に世界が分かれていた単純な構造とは違って、ますます複雑化、多様化し、グローバル化している今日の世界では、地球益・地域の起用通の利益と結びつけてはじめて、国益は実現される。その意味で、国益の定義づけそのものが、冷戦時代までとは決定的に変わっているのである。
 第二次橋本改造内閣をめぐるいわゆる「保・保」派の瓦解は、こうしたグローバルな観点からの国益論議にむけて、きわめて日本的な決着形態ではあるが、わが国の政治闘争・政治論争の歴史的枠組みが変わったことを示すものとして記帳されるだろう。
 「保・保」というのはマスコミ用語であるが、その政治性格を言えば第一に、戦前の「大東亜戦争」の性格に関して率直になれないということである。より厳しく言えば、「国策の誤り」(戦後五十年に際しての首相談話)と言うことに対してどうしても、「個人の心情」(そういうつもりではなかった等)を介在させて国策を論じるということである。
 第二に、現状の変革を言うと、どうしても戦前回帰的なニュアンスが出てきてしまう。つまり、戦後の日本のありよう(憲法や戦後民主主義)に対して率直になれないことが根本にある。第三に、グローバル社会や多国間関係、地球的課題ということが、なかなか視野に入らない。つまり冷戦後の複雑で多様な国際社会の現実のなかで、国益を実現していくときには、従来とは根本的に異なるアプローチが必要であるという認識が薄い。
 こうした傾向を軸にした政治論争では、これからのわが国の国益、国のありようについて合意形成をはかることはできなくなったということを、今回の第二次橋本改造内閣をめぐる攻防は意味している。
 同時にただちに問われるのは、こうした新時代における国のありようを巡る合意形成に対する「普通の人々」の参加形態を、どうつくりだしていくのかということである。これが出来なければ、決着がついたはずの安定体制が、一挙に不安定化することになる。
 佐藤総務庁長官の辞任問題は、そのことを端的に示した。新時代の国益の定義、日本のありようをめぐる合意形成という政治論争の性格を正面から提起し、への参加を組織する意識性の圧倒的弱さが、事態の決定的側面である。(行財政改革という国家的改革には、正面から参加回路のない人々にまで「痛み」を伴う参加を求めなければならないからこそ、倫理や責任性といったことをその媒介にしなければならないのである)。
 永田町には内閣打倒の政治的意思もエネルギーもないのに、「世論」の動向で安定体制にあったはずの内閣が一気に不安定化するというのは、永田町全体が「根無し草」になっているからである。つまり国家的改革、戦略的方向を論じることが同時に、そこへの主権者の参加形態を創りだすこと、そのような主権在民の底上げのためにまずは「土壌づくり」から戦略的に構えていかなければならず、その労苦を避けて、人為的な「わかりやすさ」や「反○○」では肝心の根っこは生えないのである。
 首相は所信表明演説で「政策で判断を」という、ごく当たり前のことを述べたが、じつはその政策判断の基準や枠組みそのものが大きく変化してきたのであり、そのことをめぐる政治攻防が、一段階を画しつつあるのである。このことのメリハリを、新たな政治参加の回路として提示していく意識性、政策判断の新たな基準に照応した参加形態を創りだす意識性が、政治の側に求められているのである。
 主権者の側から言えば、こうした攻防は正面からの路線論争で決着がつけられたのではなく、極めて「日本的な」なし崩しとも言える方法でつけられたゆえ、地球益・国益をむすびつけるという新時代に生きる責任意識、主体性を正面から共有することなくしては、まじめな係わりは生まれない。
 新時代の国益、日本のありようについて正面から合意形成をはかるための諸条件は、このようにして成熟しつつある。第二次橋本改造内閣をめぐる諸問題を、この糸口としていこう。

多極化・重層化・グローバル化する新たな時代の国益をめぐる「過渡期」の合意形成をどうはかるのか/ガイドライン論議について

 ガイドラインの論議のポイントは、おそらく次の二点にある。
 すなわち第一は、ようやくこの問題を媒介にして、「冷戦後」のアジア太平洋地域における日米中の新たな国益に関する合意形成を可能にする諸条件がうまれつつあることである。第二は、このことを念頭におきつつ、「次の秩序」にむけた過渡期の選択をいかになすのかということである。そしてこれらの新たな政策判断の基準や枠組み(発想の転換)に対する、国民の参加形態ー参加の道すじをどう創っていくのかということが、政治にとっては決定的な課題となる。
 第一の問題。ガイドラインをめぐる日米中の論争は、表面的には「周辺事態」に関連し、「台湾問題」を媒介に行われている。しかしある意味でこの問題に関しては、米中間の暗黙の了解が成立していると考えられる。アメリカは台湾の独立を求めず、中国は台湾の軍事統合は行わないというのがそれである。この了解が実行されるかぎりにおいて、経済の相互依存をますます強める両国は、国際環境の政治的安定を第一とするはずである。
 だとすればじつは、「台湾問題」をめぐる日米中の攻防は、日本にとっては別の重要性をもつ。すなわちわが国の国益に関する選択は、米中の動向との関係から考慮されるのであって、わが国一国のみの事情によることはできないということである。
 アメリカとの同盟関係が重要なことは言うまでもないが、同時に中国との関係も隣国として「敵ではない」関係を維持しなければならず、「敵対的」と受け取られることは、中国との関係においてはもとより、アジアとの関係においてもわが国の国益に決定的なダメージを与えることになる。さらに米中が対立してその板挟みになるような事態も、また米中大国間関係のカードに使われる事態も回避しなければならないという、輻輳する利害関係のなかで、わが国の国益を選択していかなければならないのである。「西側一員」「日中友好」だけで済んだ単純な時代は、はるか過去のことである。
 こうした事情は、国民国家原理の枠内ではマネージできない。日米中の新時代の国益をめぐる新たな利害関係は、ここ数年「ノーと言える○○」とか「○○開戦す」といった類のナショナリスティックな色合いを帯びて展開されてきた。しかしガイドラインをめぐる論議では、ようやく「この地域の安定にとって」どのような日米中関係が望ましいのか、そのために二国間の関係をどう処理し、マネージしていくべきなのかという性質の論議から、お互いの国益について合意形成していく糸口ができはじめている。
 その決定的な環は、多様化・重層化する多国間協調関係の中で、自国の国益を実現していくためのすべを、それぞれが学習することである。中国は、中国の未来と国際経済との相互依存の現実、およびARFとの係わりから、その糸口をつかんだといえる。アメリカはおそらく超大国としての地位の低下を、同盟国の支持と支援によって補完するのか、それとも同盟国の支持と支援によって脅威とはならない「公共性」「秩序の担保者」となるのかというなかに、新たな国益の道を見いだしていくだろう。
 そして日本はこれら米中の関係が、アジア太平洋地域、とりわけ北東アジアの安定にとってプラスになるように、どう振る舞うのかとして自国の位置、役割を選択していくとなるはずである。国際社会にいくつかある不安定地域の中で、北東アジアは唯一、日米中ロという大国の国益がからみあう地域であり、ここにおける多国間対話・協力の成否は、各国が地球益・地域の共通の利益との関係で自国の国益を実現していくすべ、形態を獲得していくことができるのかにかかっている。対中関係の四原則、対ロ関係の三原則は、いずれもこうした意味で、冷戦時代とは子なる新しいアプローチを提起したものといえるだろう。問題はそれらを、日米関係もふくめての戦略的政策転換としておしすすめることが、どこまでできるかにかかっている。
 ガイドラインが「自動参戦装置」となるのか、それとも日米が安全保障上の真のパートナーとなるのか根決定的には日本の意図と目的について、米国は従来以上に考慮せざるをえなくなるということである。つまり日米機軸論を「西側一員論」の延長で運用していくのか、それとも「東アジア安定の公共財」としての新たな運用へ転換していくのかは、アメリカの政治的意思と同時に、日本の素政治的意思にも係わっている。
 今日ではどのような「閉鎖国家」であろうとも、他国との関係、国際社会との係わりを外して自国の政策を選択できないというのは、一般的にはそうである。しかしわが国のような「大国」(少なくともアジア地域ではそのように見られているし、客観的な指標もそうである)が、自国の選択に際してこれほどまでに他の大国の動向との関係、地域全体の動向を考慮しなければならないという例は、おそらくないであろう。
 このことを、「国家主権の欠陥」とみるのか、それともわが国の国家形成の歴史的特異性として正面からとらえるのかということが、第二の問題とかかわってくる。 冷戦後の東アジアの状況は、それ自体が歴史的過渡期である。「停滞のアジア」から「成長のアジア」へと変貌を遂げたアジアは、新たな試練の時を迎えているし、社会主義市場経済という人類史的な実験に挑む中国も、文字どおり過渡期の変則状態にある。この地域のさまざまな不安定要因に限っても、二十一世紀初頭にかけて変化の可能性がある。日米安保の再定義が論議されてきた間にも、朝鮮半島ではKEDOのアプローチが動きだし、四者協議の準備会合が開催された。現在はいったん中断されているが、金正日の権力継承、韓国の大統領選挙を経て、事態はまた進んでいくであろう。中台間の関係も、香港返還後の動向、共産党第十五回大会戸の江沢民体制の動向を見ながら、直接交渉が始まっていくであろう。
 冷戦後の東アジアの情勢は、こうした意味でも、新時代の地域協力関係、新秩序に向けた移行の過渡期である。そして過渡期であるからこそ、将来の可能性を狭めないように判断していかなければならないのである。
 こうした過渡期の選択は、重層的に錯綜する多様な要素の複雑な相互作用のなかで判断されるのであり、きわめて「わかりにくい」ものにならざるをえない。それを大衆迎合的に、二項対立的に単純化して描いたからといって、普通の人の主体的参加の回路はできない。それは時代の模索に対する苦闘や挑戦の姿勢、責任性に対する共鳴として、はじめて井口ができるのである。
 次の新世界秩序を模索している冷戦後の国際社会に共通していることは、各国の国益は多国間の協力関係と深くリンクされており、輻輳する多様な多国間関係とのつながりを抜きに、「独自に」国益を定義できる国はないということである。そしてわが国の戦後の国家形成は、まさにそのような性質として出発したのであり、それを凝縮しているのが憲法前文の精神である。安全保障に引きつけて言えば、自国のー安全を国際社会の信頼と協調に委ねるということであり、あえて自主防衛の選択をしなかったことである。しかしまさに、この人類の理想への「過渡期」は米ソ体制という一時代を通らざるをえなかったのであり、そこでの選択としては、軍事同盟によって自国の安全を担保するという選択に比重を置かざるをえなかったのである。
 こうしたわが国の選択の歴史的性格を、冷戦時代の「歪み」や「後ろめたさ」を払拭しきって、戦後国際社会そのものの過渡的性格と、ある意味では最も深く結びついた国家形成とした総括しきることが必要である。さすれば今日のわが国に問われている選択の性質が、ヨーロッパとは異なる条件、形成の下で、冷戦時代の軍事同盟関係を維持しつつ、これをいかにして多国間安保へと転換していくのかという性質のものであること、この点において東アジアのパートナーシップが不可欠であることが、理解されるであろう。
 冷戦体制は、ある面から言えば両陣営による世界大戦抑止のシステムであつた。二度の世界大戦を経て、人類は「覇権政治の枠内での世界大戦抑止」という過渡的一時代を通り、今日、この延長に新秩序は形成されうるのか、そうでないとすれば「脱覇権」ー多国間協調の共同体による新秩序形成に向けて、冷戦時代の国際関係をどのように変革ー転換すべきなのかという戦いに着手している。NATOの東方拡大やEC統合、あるいは国連の改革やWTO野発足と中国などの新規加盟問題などがそうであり、日米安保の再定義もこの文脈の中に位置づけられる。
 こうした性格に相応しい論議を正面から展開し、それによってこの時代に生きる主体者としての責任と自覚を問うこと。それこそが、新たな国益ー国のありようをめぐる合意形成への、主権者の参加形態を創りだす唯一の方法である。地球益と国益をむすびつけるひとのできる意識性は、郷土愛、すなわち地域共同体に対する責任意識という足腰なしには生まれない。根無し草の「地球市民」が言う「地球益」や、国家主義のユウレイが言うところの「苦役」は、シビアな国際社会の現実から一蹴されると同時に、こうした共同体への責任・主体的参加というところからも、見透かされはじめている。
 その意味で、新時代の国益をめぐる合意形成と、地に足のついた内政改革、そしてそれらを実行していく持続的な政治的エネルギーが一体となるような、変革の総合性が求められているのである。