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メルマガ♯がんばろう、日本!         №257(19.12.24)
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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ 「2020後」にむけて 民主主義の復元力が試されている

● 民主主義を「守る」ではなく「実行する」 
  誰かをヒーローにしない凡庸な善の連帯を
● 民主主義vs新自由主義 民主主義の復元力を

□囲む会のお知らせ
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「2020後」にむけて 
 民主主義の復元力が試されている
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●民主主義を「守る」ではなく「実行する」 
 誰かをヒーローにしない凡庸な善の連帯を

 3週間後に、私たちは新しい10年(2020年代)に突入します。私たちが「未来」と定義する10年です。今、私たちには希望の兆しさえ見えません。私は皆さんに言います。希望はあると。私はそれを見てきました。でも、それは政府や企業から来るものではありません。人々から生み出されるものです。今までは(危機に)気づいていなかったけれど、今気づき始めた人たちの中から生まれるのです。そして、一度気づけば、私たちは行動を変えられます。人々は変われます。人々は行動を変える準備ができていて、それこそが希望です。私たちには民主主義というものがあるのですから。そして民主主義は常に存在します。選挙の日だけでなく、あらゆる瞬間に。自由な世界を動かすのは世論です。実際、歴史を振り返ると、あらゆる偉大な変化は人々の間から起こりました。私たちには待っている時間はありません。私たちは今、変化を起こすことができます。私たち、それが「人々」です。ありがとうございました。(COP25でのグレタ・トゥーンベリさんの演説 毎日12/11)
 
 これから始まる2020年代、未来にむけて私たちはどんな変化を起こしていくのか。誰かが変えてくれるのを待つのではなく、自らの日々の行動を通じて。アフガニスタンの復興に尽力した中村哲氏は、「憲法は守るのではない、実行すべきものだ」と述べたという。そう、民主主義もまた「守る」ものではなく実行するものだ。問題の核心は民主主義の機能不全ではなく、民主主義を機能させるための私たちの行動なのだ。

 グレタさんの言動を揶揄する大人には、その背後の若者たちの連帯が見えていない。彼女が一人で始めた抗議行動はSNSで拡散し、世界中の学生が金曜日に授業をボイコットしてデモをする一大ムーブメントになった。その回りには、未来の世代の連帯を支える教師や親たちがいる。彼女は孤立したヒロインではない。

 川崎市では、ヘイトスピーチに罰則を科す全国初の条例が全会一致で可決された。福田市長は会見で、行政や議員に対して静穏な議論を妨げるような行為があったことにも触れた上で、「そうしたものを乗り越え、議会と行政で真摯な議論ができたことは非常によかった」と強調。条例はゴールではないし、ここまでのプロセスで個人攻撃にもさらされてきた当事者の苦痛は計り知れない。それでも未来に希望を持って「前へ前へ」と乗りこえてこられたのは、差別のない社会を作ろうという人々の連帯があったからだ。ここにいるのも自己犠牲的なヒーローではなく、勇気を持って声を挙げた人に連帯して行動する無数の凡庸な人々だ。

 安倍政権が教育改革の目玉のひとつとしていた入試改革が、土壇場で「延期」された。入試にかかわる大学や高校の教員の間では、以前から懸念や反対の声が多数挙がっていたが、上意下達と数の力でそのまま実施されてしまうと思われていた。流れが変わり始めたのは、当事者である高校生たちが声を挙げはじめたところから。それに対して文科大臣が揶揄したり、果ては「身の丈に合わせて」という教育の機会均等を否定するような発言をしたことで、潮目が変わった。ツイッター発の高校生たちの動きは「誰かがやり始めることで、他の人が続いてきた」「そういう空気を作れた感じ」。ここにもヒーローではない凡庸な人々の連帯がある。

 伊藤詩織さんが性暴力被害を訴えていた民事裁判で勝訴した。筆舌に尽くしがたいほどの誹謗中傷を受けながら戦い続けた彼女の勇気や覚悟はヒーローというに値するだろう。けれど私たちは彼女をヒーローにすべきではない。伊藤さんの背後には、MeeToo運動やフラワーデモの広がり・連帯があると同時に、声を挙げたくても挙げられない多くの人々がいるからだ。
 伊藤さんは今でもPTSDに苦しめられているという。判決後「この二年間、死ななくて良かった。生きててよかったと思います」と涙ながらに告白するとともに「今後同じようにアクションを起こす方がいらっしゃったら、どうかみなさんサポートをしてください。裁判所側でも改善できることはたくさんあると思います。私も、自分の経験をふまえて改善に繋げられればと思っています」と。誰かをヒーローにするのではなく、誰かが声を挙げたら無数の小さな一歩がそれに続くような、誰もヒーローにしない共感や連帯の行動こそが社会を変える。

 声をあげた伊藤さんに呼応して、ホテルのドアマンが当時の状況を証言した。このドアマンは山口氏に対する逮捕状が取り消される前にも、所轄署で証言し供述調書も作成されているのに、このまま民事裁判が終わってしまったら「私の見たことや私の調書の存在は表に出ることなく葬り去られてしまう」と考え、伊藤さんの支援団体に自ら連絡をとったという。地裁結審後のこの証言は、控訴審で重要なポイントとなるだろう。
 会見で伊藤さんはこう述べている。「その方たちは私のために告発したわけではありません。自分が個人としてどういう人間でありたいかという信念に基づいて告発してくれたのです。そのことに、本当に感動しています」。

 ドイツ現代史が専門の芝健介・東京女子大名誉教授は、安倍政権の公文書偽造、廃棄を念頭に、ナチ党体制の下では肝心な情報は隠され国民に届くのは断片に過ぎなかったとしたうえで、「だからこそ」とこう述べている。「日々の生活がどれほど忙しくても、『断片』から世の中の本質を読み解く努力をやめないでほしい。小さな違和感や変化のかけらを逃さぬよう~中略~人権が奪われてからでは国民に闘うすべはない。では日本の今はいかがでしょうか」(毎日12/17夕刊)。
 ナチスによるユダヤ人大量虐殺の責任を問われた裁判で、被告のアイヒマンは「上から言われたことをやっただけ」と述べた。これに対してハンナ・アーレントは、巨悪は極悪人によってではなく、平凡な人間の「凡庸な悪」によって成されると指摘した。私たち凡人には、この「凡庸な悪」に替わる「凡庸な善」の小さき行動が問われている。

 民主主義を「守る」ものではなく、自分がどういう人間でありたいかを考え「実行する」ものへ。

●民主主義vs新自由主義 民主主義の復元力を

 「歴史をみれば、民主主義体制が安定し、体制として完全な正当性を得ていた時期は例外的なものだということがわかる。ハンチントンが指摘したように、19世紀半ばの民主化は20世紀前半のファシズム、コミュニズムの台頭をみたし、戦後にも東西冷戦と南米・南欧の権威主義政権が存在していた。~中略~ガバナンスの司令塔が不在のまま推移している現状では、資本主義と民主主義が再び衝突するようになった。
 グローバル資本主義は前者の代表であり、ポピュリズムは後者の代表だろう。両者を強権的手法でもってすり合わせようとしているのが先の『競争的権威主義』の国々ということになる。これは冷戦に替わる新たな体制間競争の呈をなすことになるかもしれない。アメリカとロシアや中国との関係、フランスとアメリカの関係などをみても、それぞれが異なる方向性を向いているというのが、現在進行形の話だ。アメリカは市場重視だが、政治的な自由を相手国に求めなくなっている。例えばフランスはグローバル市場を規制し、政治的な自由を優先的な価値においている。
 もし政治的次元においても自由を維持したいのであれば、これに民主的な正当性を付与することが大切であり、それが民主主義のレジリエンス(復元力)にもつながることになる」(吉田徹・北海道大学教授 2面インタビュー)

 民主主義は単なる多数決ではないし、選挙独裁でもない。必要なのは、グローバル資本主義・新自由主義が求める効率のよい統治ではなく、民主主義の復元力や自己修正力だ。
 「強力な政権が常に『正しいこと』を行うなら最も効率的な政治体制だろう。しかし未来は誰にも正確に予測できない以上、指導者は間違える可能性があり、誤りを修正する仕組みも必要だ。中国のような独裁制は効率的かもしれないが、自己修正力においては民主制がまさる。それこそが『法の支配』や『権力の分立』の強みである」(中西寛 12/15毎日)

 「2020後」という問題設定(第九回大会 2019.1)は、右肩上がりを前提にした依存と分配・消費者民主主義の破局にどう向き合い、そこから民主主義や自治を新たな軌道へどう転換していくか、ということを意味している。人口減・少子高齢化・縮退社会にともなう社会課題の山積も、家族と雇用の「標準形」がみえない時代の人生設計の困難さも、気候変動にともなう災害の激甚化も、多様性を分断ではなく包摂に転じる試練も、これまでの政治の外、制度の外にある。選挙で誰かにお任せすれば何とかなるというものではないし、政治や制度を変えることは必要でも、それだけで何とかなるものでもない。問われているのは当事者性と自己決定力だ。

 行財政改革の論理、効率やコストの論理で推し進められた平成の大合併は、何をもたらしたか。同じような条件の地域で合併したところと合併しなかったところでは十年後、前者は衰退し後者は活力を維持している。「これしかない」という行財政改革の論理は地域の自己決定力を奪い、ますます中央への依存を強めることになる。その先に見えるのは、自治体の2040年構想にみられるような小規模自治体の廃止、圏域への移管という行政効率の論理が地域の自己決定を否定する姿だ。
 人口減・少子高齢化・縮退社会にともなって山積する社会課題をみても、介護や子育て、空き家やインフラの維持など、どれをとっても地域によってあるいは世代によって、課題も違えば優先順位も違うのは当たり前だ。だからこそ、課題を共有するところから生まれる自己決定が何よりも必要なのだ。効率の論理だけでは、自己責任論で正当化される「切り捨て」を繰り返すことしかできない。それは、私たちの未来なのか。

 グローバル資本主義が民主制を支えてきた国民国家の機能を侵食しつつある今、地域自治に基づく民主主義の復元力をどう生み出していくか。「国家をはじめとする既存の政治的コミュニティそのものを否定するのではなく、ローカル・コミュニティの〈自治〉が自在に織りなすネットワークによって、既存の政治構造にボトムアップの意思決定のプロセスを実現する」(佐々木寛 世界1月号)。

 課題を共有するところに生まれる自己決定から、民主主義の復元力を。

(「日本再生」488号 一面より)
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 囲む会のお知らせ 
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□第205回 東京・戸田代表を囲む会
 「パリとカメルーンで考えたこと」(仮)
 1月10日(金) 1845から
 ゲストスピーカー 坂井真紀子・東京外国語大学准教授
 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
 同人1000円  購読会員2000円

□第206回 東京・戸田代表を囲む会
 「通常国会にむけて 安倍政権とどう対峙するか
  ~平成デモクラシーをふりかえりつつ」(仮)
 1月21日(火) 1845から
 ゲストスピーカー 泉健太・衆議院議員(国民民主党)
 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
 同人1000円  購読会員2000円

□第207回 東京・戸田代表を囲む会
 「基礎的自治体と広域連携のあり方について」
 2月3日(月) 1845から
 ゲストスピーカー 幸田雅治・神奈川大学教授
 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
 同人1000円  購読会員2000円

□第40回 戸田代表を囲む会in京都
 「『地域から考える』とは~京都を例に」(仮)
 2月15日(土) 1830から
 ゲストスピーカー 岡田知弘・京都大学名誉教授
 ハートピア京都 第5会議室
 参加費 1000円(学生 500円)
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-- 石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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