電子瓦版(転送はご自由にどうぞ) ━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━ メルマガ♯がんばろう、日本! 227(17.8.29) ━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━ 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp ================================== Index □ 民主主義の危機≠、民主主義のバージョンアップへ転換するために ●都民ファースト? 自分ファースト? フォロワーシップの転換の始まりの始まり ●民主主義の危機≠、民主主義のバージョンアップへ転換するために □「囲む会」のご案内 ================================== 民主主義の危機≠、民主主義のバージョンアップへ転換するために ================================== 【都民ファースト? 自分ファースト? フォロワーシップの転換の始まりの始まり=z 「アメリカ・ファースト」を掲げるトランプ大統領の登場で「居場所」を得たかに見える白人至上主義者と、彼らに抗議する人びととの衝突は、死者を出す事態になった(シャーロッツビル事件)。事件後、白人至上主義や(彼らが礼賛する)ナチズムを明確に非難しなかったトランプ大統領への抗議が広がった。軍のトップがそろって白人至上主義を非難するという異例の事態をはじめ、大統領への政策助言委員会から大手企業のCEOなどが相次いで退会、委員会そのものが「解散」に追い込まれた。 パリ協定からの離脱に続いて、「アメリカ・ファースト」とは別の道を歩む社会(企業、地方政府、NGO、市民など)の姿が見えてきている。 日本はどうか。「都民ファースト」を掲げて都知事選、都議選で圧勝した小池東京都知事は、あの石原都知事も行ってきた関東大震災での朝鮮人犠牲者追悼式への追悼文送付を、取りやめると発表した。「犠牲となったすべての方々を追悼するため、特別な形での追悼文は控える」とのことだが、民族差別に基づく流言飛語で虐殺された人びとと震災の犠牲者を同列に扱うことは、歴史修正主義にほかならない。 シャーロッツビル事件の背景となった南軍司令官の銅像は、南北戦争を知らない世代によって設置されたという。奴隷制のために戦ったという不名誉な史実が忘れられ、「南部の誇り」を体現するものと考えられたと(ネール・アービン・ペインター氏 8/24読売)。 「○○ファースト」「○○を取り戻す」という感情の背景を理解することと、歴史修正主義や排外主義、○○至上主義に道を開けることとは全く別次元の問題だ。ましてや「○○ファースト」「○○を取り戻す」という感情を動員して分断を煽る手法は、社会自身の力(私たちの力)で封じていかなければならない。 シャーロッツビル事件後の白人至上主義者による「言論の自由」集会。数十名程度の参加者に対し、「この国に差別主義者はいらない」と集まった市民は数万人。警察本部長は抗議活動を「誇りに思う」と述べた。アメリカにはヘイトスピーチに対する法的規制はない。しかし今回のように軍のトップから州知事、共和・民主の有力政治家、大手企業、警察本部長などを含む反人種差別の分厚い市民社会がある。事件後、トランプ氏の支持率は共和党支持層においても低下している。 日本は、東京はどうか。「都民ファースト」が臆面もなく「日本ファースト」にすり替わることに、何の意思表示もせずに道を開けるのか。消費者民主主義と政治不信のなかで「期待とダメ出し」を繰り返してきた、「自分ファースト」のフォロワーシップからの転換が試されている。 「私はよく『東京のユーレイ』と言います。地に足がついていない、というより『足がない』ということですから、人格形成のなかに社会との関係とか自治の当事者性のハートは、ほぼありません。ただそのなかに、『あの人は信頼できる』『できない』という感情のさざ波≠ェ起こっているんです。小池さんを支持するのではなく、『値踏み』しているというのも、そういうことでしょう。『あるものを、なかったとはいえない』と言った前川さんに対する感情も、そういうことだと思います」(戸田代表 10面) 感情のさざ波≠フォロワーシップの転換の始まりの始まり≠ヨの糸口とするためには、「賛成・反対」ではなく、「期待」「がっかり」「不信感」などの感情をお互いに理解し、経験をどう共有できるか。そのためには、相手に賛成はできなくても、なぜそう感じるかは理解しようとする「自分ファースト」を卒業するコミュニケーションが必要になる。 そこからは、例えば「小池知事への期待感」、「民主党政権に対する幻滅感」、「安倍総理は信頼できない」などの感情には、「政治不信」という一言では括れない微妙な≠サれぞれの違いがある、と言えるようになるのではないか。 あるいは小池知事への期待感に、これまでの「無党派劇場」とは違うところがあるとするなら、その期待感を、ブラックボックス化されていた決定過程にどう生かしていくのか、という課題が見えてくる。「情報公開は東京大改革の一丁目一番地」は都民ファーストの公約であり、その実現は都議会の責務だ。その進捗を検証し、都民に報告するのは、都議会議員の仕事にほかならない。 別の角度からいえば、こうだ。政治不信と一体の「期待」は、新党ブームや「劇場」「風」として弄ぶこともできたが、今の「期待」にはよくも悪くもそうした熱量はない。そこに見え隠れしているフォロワーシップの微妙な変化が見えない度合いに応じて、「小池新党」とやらの「風の噂」に右往左往することになる。 政治不信と消費者民主主義の負のスパイラルを、自らの足元を掘り崩すところまで押し進めるのか、フォロワーシップの転換の始まりの始まり≠ヨの糸口を開くのか。次期総選挙をどちらの方向で準備していくか、というステージの始まりでもある。 その意味で今回の民進党代表選は、「誰が代表になるか」という以上に、何かあるたびに「風狙い」で浮き足立ち、積み上げたものを壊そうという声が公然とあがる状況に歯止めをかけ、自民党内疑似政権交代でもなく、風まかせの「新党」でもない野党第一党への糸口をつかめるか、そのラストチャンスだ。 ここでも鍵は、二度の政権交代の経験を曲がりなりにも集積してきた地方組織や地方議員、党員、サポーターのフォロワーシップの波―多様かつ重層的な波―を、どのように持続的に呼び起こしていけるか、にかかっている。 【民主主義の危機≠、民主主義のバージョンアップへ転換するために】 6月18日のシンポジウムで吉田徹・北海道大学教授は、日本における政治不信の根底には、タテ(政府や行政)に対する不信のみならず、ヨコ(社会関係)に対する不信も強いという「高度不信社会」があること、それは「共同体の自己決定」という民主主義の前提を危うくするものであり、民主主義を取り戻すことは、民主政治のインフラとしての社会関係資本(人びとのつながり、社会の信頼関係)を豊かにしていくことでもあると述べている(459号参照)。 「これまで日本では、地縁や血縁や利益、あるいはイデオロギーに頼って、民主主義は駆動させられてきました。ところが今では地縁も血縁もイデオロギーもすべてが衰退しています。それゆえ民主主義は機能不全を来たすようになりました。そういう時代において、アーレントの言う「複数性を前提とした政治」というものを、どのようにして作っていくのか。これが、これからの長期的な日本政治の課題になるだろうと思います。 どのようにして、地縁・血縁・利益・イデオロギー以外に政治との信頼関係、他人との信頼関係をこれから作り出していくことができるのか、そのことを共に考えていかなければなりません」(吉田教授 前出)。 民主主義の危機に、民主主義の再生・バージョンアップとしてどう向き合うか。ヨーロッパには二度の大戦やナチスの教訓、EUという歴史的な挑戦など、民主主義の危機を民主主義の深化に転じた経験と知恵がある。だが日本においては、はじめての経験だ。国民主権の主体的内実、立憲民主主義を支える意思(フォロワーシップの転換)が試される。 立憲主義も民主主義も、それを「日々の運用で生かす(≒新たに作る)実践」が伴ってこそ、主体的なものとなる。その実践が集積されなければ錨を失って漂流する。立憲主義や民主主義の危機≠フ局面では、その実践も、より本質的な深まり―社会のつながり、自治の当事者性、社会関係資本―における集積、持続性が伴わなければならないということだ。 「安倍一強」のおかげで、「決められる政治」(多数決民主主義)か、多様な「国民」の有機的統合プロセスとしての「議論による統治」か、という民主主義についての問題提起も見えてきた。「安倍一強」の「決められる政治」に対する不信感と、オープンガバメントを目指したがゆえに混乱に陥った民主党政権に対する幻滅感とは、感情が微妙に違うことも実感できるのではないか。 「多様な国民」を前提にした「議論による統治」は、人びとのつながりを新たに作り出す不断の実践、その持続性を前提とする。地縁も血縁もイデオロギーも衰退しているなかで、政治との信頼関係、他人との信頼関係をどのように作り出し、そこで立憲民主主義の実践を集積していくか。その「活動」―人びとのつながりをつくりだす場づくりやコーディネート、「目線を合わせる」伝え方、当事者性を涵養するアプローチetc―にはどういうハードルがあり、それをどう超えていけばいいのかなどの経験や教訓は、あちこちに見え始めている。 これを線、さらには面へとどうつないでいくか。顔の見える関係のなかで育まれる自治の当事者性、その「小さな自治」を、より「大きな統治」へと媒介していく「社会をつなぐ力」(地縁・血縁・利益、イデオロギー以外による、政治との信頼関係を媒介する場)をどう形成していくか。「小さな自治」の当事者性を、「大きな統治」に対する政治的有用感へと媒介する、フォロワーシップの波を持続的にどう呼び起こしていけるのか。 政党政治の危機に問われているのも、「政党政治の本質的な危機の芽は『社会をつなぐ力』の弱まりにある」(飯尾潤・政策研究大学院大学教授 ジャーナリズム6月号)ということだ。「新しい政治の担い手が政党なのかという問いかけは正当だが、政党を社会と国家をつなぐ集団だと考えれば、政党のあり方が変わるとしても、そうした存在が政治を担っていく必要性は同様である」「これは既存政党が没落して、新政党があらわれることで自動的に解決される課題ではない。既存政党にしろ新政党にしろ、人々にしっかりと根ざし、人々の利害や意見を代表し、多様な意見や利害を集約する存在としての政党の役割は欠かせない〜(時代の変化に対応しつつ)その機能は果たしていかなければならないのである」(飯尾教授 前出)ということだ。 「社会のつながり」をつくりだし、そこに立憲民主主義を支えるフォロワーの意思を繰り返し作り出していく。そのことなしには、立憲民主主義も政党政治も「戦後秩序の危機」(中西寛・京都大学教授 13―14面)の嵐のなかで、藻屑と化すことになる。 民主主義の危機≠、民主主義のバージョンアップへ転換するために、二回の政権交代の経験と教訓を集積、共有しよう。 ================================== 「囲む会」のご案内 ================================== 2009年民主党政権、2012年第二次安倍政権という二回の政権交代の経験を、 フォロワーシップの転換としてどのように語るか。 今年後半から来年にかけては、こうした問題設定から各種の催しを企画していきます。 政治不信と消費者民主主義の肥大化―感情の劣化と政治の劣化という負のスパイラルを、 自らの足元を掘り崩すところまで進めるのか。 それとも、「一票で政権をつくる」という二度の政権交代の経験を、 フォロワーシップの転換として語る糸口を手にしていくのか。 予定される総選挙、憲法改正論議などを、 民主主義のバージョンアップにむけたとば口として迎えるべく! ================================== ■第106回 シンポジウム 「自治・民主主義のための社会的投資と地域経済とは」 10月21日(土) 1300から TKP麹町駅前会議室 ホール8A 諸富徹・京都大学教授 廣瀬克哉・法政大学教授 佐無田光・金沢大学教授 ほか 参加費 2000円 *6/18シンポジウムの「続編」。民主主義のインフラとしての社会関係資本(人びとのつながり)を 豊かにするための社会的投資とは、そこでの自治・自治体の役割、可能性とは… ■第29回関西政経セミナー 「まちづくり・地域経済と、自治・民主主義」(仮) 11月4日(土) 1400から キャンパスプラザ京都 川勝健志・京都府立大学准教授、田中誠太・八尾市長 ほか 参加費 1000円 *上記と同様の趣旨で。 ■第31回 戸田代表を囲む会in京都 「中東を考えるーアラブの春・シリア危機・IS 同じ時代に生きる人間として」 9月26日(火) 1830から コープイン京都 末近浩太・立命館大学教授 参加費 1000円 ■「がんばろう、日本!」国民協議会 第八回大会第五回総会 11月12日(日) 1000から1800 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷) ================================== 神田「飛梅」三周年記念 牡蠣を30円で提供! ================================== 東北の被災した漁師や蔵元を支援するべく、神田西口にオープンした「飛梅」 三周年を記念して9月11、12、13日の間、牡蠣を30円で提供(ディナータイム) ぜひ、おいでください。 -- 石津美知子 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp |