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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□反立憲政治を止める
〜立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか

●反立憲政治を止める 〜立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸
●下り坂の時代の再分配を議論し、合意形成する民主主義を

□「囲む会」のご案内 
□真庭バイオマスツアー
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反立憲政治を止める
〜立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか
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●反立憲政治を止める 〜立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸

 来る参院選は、反立憲政治を「止める選挙」だ。立憲主義とは「憲法による統治権力の制約」。民主的に正当に選ばれた政治権力でも、憲法の制約の内側でしか、その権力を行使できない。この、私たちの社会の運営にとって「空気」のように当たり前のことが、どうもおかしなことになっているらしい―これが昨年の安保法制をめぐって人々が感じた違和感だったのではないか。

「(自民党憲法草案には)政府というものに対する根拠規定がない。必要だと思っていないからです。『こういう必要があるから、国民が政府というものを作って、みんなで運用するんだ』という発想が、根底的に受け入れられない、そういう感覚だからです。国家の上に憲法を置く、さらにその上に有象無象の主権者国民なるものを置く―これを受け入れられない人たちの憲法草案なんだと思います。
〜戦後民主主義の中で、国民主権ということを普通の感覚として受け止めてきた層から見ると、そこに違和感がある。その体感的な反発、違和感が広がったのだと思います。〜憲法の下に国家を置くなんてことに違和感があるという感覚、その感覚で政府を国民の上に置くのが当然だと思っている人に違和感があるという感覚、そのせめぎあいが起こっているように思います」(廣瀬・法政大学教授 444号)

 立憲主義は明治憲法の原則でもある。立憲君主制においては、君主といえども憲法の制約下にあるという「天皇機関説」は、伊藤博文以来の常識であり、これにもっとも自らを律したのは昭和天皇であったことは、よく知られている。
 戦前の立憲君主制は明治憲法の手続きを経て、立憲民主制(国民主権)へと継承され発展した。これが、私たちがよって立つ立憲民主主義の原点だ。改憲・自主憲法制定という発想は、この原点そのものの破壊にほかならない。それは明治憲法=立憲君主制への回帰ではなく、憲法による統治権力の制約という立憲主義そのものの否定を強く内包し、それゆえに国民主権の否定にもつながる。

 過去の世代が犠牲と苦難を払ってきた立憲主義を継承し、次の世代にもう少しましな立憲民主主義を手渡すために、反立憲政治を止めなければならない。これは私たちの社会の前提―対立する意見を議論するための共通の土台を守るという、政治的な立ち位置を超えた守るべき「一線」にほかならない。

 反立憲政治を止めるうえで重要なポイントは、立憲民主主義のフォロワーシップだ。立憲君主制では君主の権力を制約することに力点がおかれるが、立憲民主制においては国民主権、すなわち権力は国民にあるという前提で、その権力行使のルールを議論しなければならない。

 「『憲法は国家権力を拘束するもの』という憲法観は正しいのですが、一面的で古い。これは君主が全権力を握っていた時代で、権力者を自分と関係の無い『他者』とみる憲法観です。でも今は国民主権で、権力者を私たちが選べる時代です。安倍さんは『他者』ではなくて、『我々の一部』なんです。彼が権力を行使しているのは、我々が選挙で委任したからなんです。我々が権力を持っていて、それをどうやってうまく統治者に委任していくか、ということのはずです。権力は我々がもっているという前提で憲法の議論をしなくてはいけません」(井上武史・九州大学准教授 日経ビジネスオンライン5/17)

 「我々が権力を持っていて、それをどうやってうまく統治者に委任していくか」だからこそ、主権者としての権力行使を「選挙で選べばそれで終わり」にとどめるのか、「そんなことは委任していない」と声をあげ、「もっとうまく委任するにはどうするか」を考え続けるところに拡張していくか。まさに立憲民主主義のフォロワーシップが問われる。(立憲民主主義のフォロワーシップという座標軸が見えなければ、「反立憲政治を止める」は、単なる政治主義的スローガンになってしまう。)

 立憲民主主義ということが体感的に理解されるようになったところから、これを着実に集積し、立憲民主主義の政治文化の深化として次の時代につないでいく。主権者運動のステージは、このように設定されつつある。

●立憲民主主義のフォロワーシップを集積するために 

 立憲民主主義のフォロワーシップとその集積という座標軸から、主権者運動の問題設定をどう再整理し、アップデートしていくか。そのための論点メモとして提起したい。(6/21「囲む会・特別編」の論点メモを兼ねる)

@「憲法を立てる」ということ
 憲法は権力をしばるものだから、政治権力に対して「憲法を守れ」というのは正しい。同時に「我々が権力を持っている」のだから、これこれの理念を実現するために「憲法を立てる」という問題設定に踏み込むべきだろう。主権者として「問いを立てる」、自治の当事者性から「問題設定を変える」ことが起点となってこそ、「憲法を立てる」ことは可能になる。

 権力が国民に存するゆえに国家に制約を課すという発想ではなく、国家から国民へ義務を課す発想の改憲・自主憲法制定に、「憲法を立てる」という問題設定は可能か。権力者を「他者」とみる視点を内包する「憲法を守れ」から、「憲法を立てる」への転換はどのようにして可能か。(「下り坂の時代」「縮退の時代」の価値や豊かさという、これまでになかった問いを立て、考え続けるフォロワーシップからこそ、主権者として「憲法を立てる」ことが始まるのではないか。)

A既存の制度の「外側」にある問題を社会の問題へ変換する
 既存の制度の外側にある問題を、社会の問題として取り上げることができるかは、ひとつには「私的」な問題を「公共的な問題」へと変換できるかである(「日本再生」424号 「囲む会・特別編」参照)。既存の制度の外の問題は多くの場合「私的な困りごと」として、感情的な表現で表出される。この感情的表現を、討議可能な表現へと変換するための言論空間を創出することは、民主主義のための重要な努力だ。(「日本再生」444号 佐藤卓己教授 参照)

 そのような場づくりにおける立憲民主主義のフォロワーシップとは、どういうものか。それはどのように集積され、ある種の政治文化として共有されていくか。
 また議会、とりわけ身近な自治体議会におけるオープンな議論、あるいは議会報告会やタウンミーティングなどの場の運営原理は、これまでとはどう転換するか。例えば議会、議員の役割は「いかに自らの主張を伝えるか」「多数を形成して主張を通せるか」よりも、市民に分かりやすく論点を整理し判断の材料を提供できるか、に軸足が移行するのではないか。

Bカウンターデモクラシー 主権者運動の行動様式をアップデートする
 代議制民主主義はうまく機能していない。これを補う仕組みとして直接参加の仕組みが、とくに自治において設けられているが、それも十分に機能しているとはいえない。カウンターデモクラシーは、こうした「閉塞」状況に風穴をあける、民主主義のための努力のひとつといえるだろう。

 その行動原理は「啓蒙」よりも「意思と行動」。例えばエネルギー自治の取り組み。制度は利用しつつもそこに依存せず、自らの意思(地域の合意形成)と行動で「新しい現実」を制度の外に創りだし、その「新しい現実」の広がりを既存の制度に追認させる。

 あるいはヘイトスピーチに対するカウンター。法律による規制を待たず、その取り組みと並行して直接行動でヘイトデモに抗議する。不十分な点はあれど、曲がりなりにもヘイトスピーチを許さないとした法律が成立しえたのは、この路上での取り組みがあってこそだ。だからこそ「法律ができて終わり」ではなく、これを始まりの一歩としてさらに進もう、といううねりが続いていくことになる。

 自らの意思と行動から発して「新しい現実」を創り出す。それゆえ、ここでは経験の共有とそれに基づく漸進主義が行動原理となる。例えばヘイトスピーチ対策法も、「不十分だから反対」ではなく、「附帯決議つきの自公案であろうがなんであろうが、大きな前進であり希望だと言っているマイノリティの人たちの声をかき消さずに、うまく立ち回ろう」となる。再エネも、制度が抑制の方向に動いても、そのやりにくさをかいくぐる知恵をさらに出そう、その力で押し返そうということになる。

C多様な社会運動と制度変革を架橋する
 象徴的な意味で3.11以降、機能不全をさらけ出した既存の制度の「外側」に、多様な「新しい現実」を創りだそうとする、新しい社会運動といわれるものが日本にも登場してきた。それは、昨年の国会前および全国的な安保法反対の盛り上がりにもつながっている。
 こうした新しい社会運動の根底にあるのは、生きかたの問い直しであり、そこから発した生活レベルでの価値観の転換という、意思と行動のリンクである。同時にその多様性ゆえに分散的でもある。

 価値観の転換は生活レベルに根づいているので、日常生活に埋没するということはない(「選挙を非日常にしない」に通じる感性)から、何かあれば行動する。例えば「保育園落ちた、日本死ね」が国会で冷笑され、やじられれば、すぐに「保育園落ちたの私だ」というプラカードを持って国会前に集まり、瞬く間に二万七千の署名を集めるというように。

 一方で、制度変革にはそれなりの時間が必要になる。それが既得権で強固になっていればいるほど、「すべてを変える魔法の杖のひとふり」はありえない。多様な社会運動、そこにある生活レベルでの価値観の転換―生きかたの問い直しを、制度変革の社会基盤へといかに架橋しうるか(自治の集積はここでも重要な領域)。いいかえれば基盤なき政権交代の教訓を、ここでどう語ることができるか。

 社民党政権で脱原発を掲げた(2002)ドイツは、保守党政権に代わってもこれを維持した。それを可能にしたのは地域に叢生するエネルギー自治の取り組みであり、チェルノブイリ(1986)以来、営々と築き上げてきた市民の合意だ。少なくともそれくらいの時間軸で構えるフォロワーシップが必要になるだろう。

(「日本再生」455号一面より 続きは「囲む会・特別編 6/12」の討議にて)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」
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《東京・戸田代表を囲む会》
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第161回
「反・非立憲政治を止める〜路上の民主主義・投票箱の民主主義」
6月3日(金) 1845から2100
ゲストス ピーカー 千葉眞・国際基督教大学特任教授
          元山仁士郎・国際基督教大学学生、SEALDs RYUKYU

●第162回 特別編
「立憲民主主義のフォロワーシップは、どのように集積されつつあるか」
6月12日(日)1330から1730
参加費 無料(この回に限り)
戸田代表の問題提起と討議

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第三回 真庭バイオマスツアー
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第三回となる真庭バイオマスツアーを、8月3日から5日(二泊三日)に行います。
今回は @一万キロの木くず#ュ電を軸とした大きな里山資本主義 
A薪ボイラーを軸とした小さな里山資本主義 B田園回帰 を柱とした企画です。
(参照 「「日本再生」444号掲載 中島・銘建工業社長インタビュー)

費用は45000円程度(岡山駅・岡山空港までの交通費は除く)
視察先の例 一万キロのバイオマス発電所 燃料集積基地 原木市場・製品市場 
      中島氏の講演 林業現場(戸田家の森) 薪ボイラーと薪供給システム 
      畜産現場 など

詳細は ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp まで、お問い合わせを

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6/5 全国総がかり行動
6月5日 1400から 国会正門前/日比谷公園かもめの広場ステージ
          農水省・霞ヶ関郵便局
1430〜全国でいっせいにパフォーマンス
http://sogakari.com/?p=1831
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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