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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□反・非立憲政治を止める!
これは政策選択より上位の価値選択であるとともに、暮らしを取り戻す選択だ。
●反・非立憲政治を止める! 立憲民主主義のフォロワーシップを、いかに発揮するか
●立憲民主主義の観点で、暮らしと持続可能な経済を取り戻す
□「囲む会」「書籍」のご案内 
 引き続き「凡庸の善で考え続けるために」
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反・非立憲政治を止める! 
これは政策選択より上位の価値選択であるとともに、暮らしを取り戻す選択だ。
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【反・非立憲政治を止める! 立憲民主主義のフォロワーシップを、いかに発揮するか】
 今年の参議院議員選挙は、選挙権年齢が18歳以上に引き下げられて最初の国政選挙となる。選挙権年齢は、憲法改正の 国民投票においても同様に引き下げられている。衆議院で与党が三分の二以上の議席を占める状況下、自民党・安倍政権はこの参院選で、参議 院でも改憲勢力の議席が三分の二を超えることを目指している。(自民、公明に、おおさか維新の会、日本のこころを大切にする党を含めた 「改憲勢力」の非改選議席数は84。三分の二には、改選議席121のうち78が目標ライン、自公の改選議席は59。)

 憲法改正が、現実の政治日程にのぼってもおかしくない状況になりつつある。近い将来、私たちは憲法のあり方、すなわ ち日本における立憲民主主義のあり方について、大きな選択を迫られることになるかもしれない。参議院選挙は、「民主主義ってなんだ」とい う問いに主権者として向き合い、考え続ける場のひとつ、それもきわめて重要な機会となる。

 憲法とはなにか。いかなる権力も憲法によって制限される。これが立憲主義だ。民主的な手続きで選ばれた権力であって も、憲法の制約を受ける。例えば、人種差別を合法化するような法 律を多数決で成立させたとしても、憲法で否定される。国権の最高機関である立法府の決定に も、最高裁による違憲立法審査権が及ぶ(ことになっている)。この違憲立法審査を申し立てるのは、主権者である国民だ。

 民主主義が国民の一票で「下から」権力を作る仕組みであるとすれば、立憲主義は「それでも、これ以上はできない」と いう制約を課す、いわば「多数の暴走」を制限する仕組みといえる。「(選挙で選ばれた)私が最高責任者だ。その私が決めて何が悪い」とい うのは、一度の選挙で勝ったら全部決まり≠ニいう選挙独裁にほかならない。立憲主義とは、 民主主義を背景とするこうした権力の暴走を抑えるためにある。
 だからこそ、その憲法を変える手続きには、衆参両院の三分の二による発議と国民投票という、通常の多数決よりもさら に高いハードルが設けられている。「三分の二」とは、時の勢いで得たにすぎない過半数による「多数の暴走」を防ぎつつ、幅広い合意形成を 求めるための目安といえる。

 来る参議院選挙で、改憲勢力に三分の二を与えるか、それを阻止するかは、こうした立憲民主主義の機能を曲りなりにも 確保できるか、それとも反・非立憲勢力がこれを空文化するかに関わる。これは政策選択よりも「上位」の判断が求められる場面である。立憲 民主主義のフォロワーシップをいかに発揮するか。

 「確かに憲法改正手続きを定めた憲法96条は、衆参両院で三分の二の議席がないと発議できません。しかし、小選挙区 制では半数に満たない有権者(引用者/2014年総選挙での小選挙区の投票率は53%)によって地滑り的勝利が可能ですから。参議院も1 人区が32もあります。三分の二は難しくない」(坂井豊貴・慶応大学教授 朝日1/9)
 自民党は2014年の総選挙では、48%の得票率で76%の議席(小選挙区)を獲得している。投票率53%を勘案す れば、絶対得票率は24%程度。2013年参議院選挙でも(投票率53%)選挙区で43%、比例区で35%の得票率で、54%の議席を獲 得している。つまり現行の選挙制度の下で、「三分の二」というハードルは実質上、限りなく引き下げられていることになる。

 きわめて単純化すれば、有権者の四分の一程度の支持で、衆参の三分の二を獲得→憲法改正の発議が可能という状況は、 反・非立憲主義的というべきだろう。こうした状況を食い止める鍵こそ、立憲民主主義のフォロワーシップの発揮にほかならない。

 総選挙における自民党の得票は、民主党政権が誕生した09年総選挙時から、200万票ほど下回ったままである。にも かかわらず「圧勝」できているのは、野党の乱立とともに投票率だ。09年69%だった投票率は、12年には59%、14年には53%へ低 下している。単純にいえば、09年には投票に行った有権者のうち1000〜1600万人が、その後は投票に行っていないことになる。
 これらの人びとは、「浮動票」「無関心層」なのか。多くは、そうではないだろう。「選びたくても選べない」、「投票 箱に収まらない民意」というのは、そういう範疇には収まらない、主権者としての当事者性の表現のはずだ。地域自治、住民自治、市民自治、 そして内発的な地域経済循環、あるいはエネルギー自治や産業自治、こうした多様な取り組みのなかから涵養されている主権者としての当事者 性を、立憲民主主義のフォロワーシップとしていかに発揮していくか。

 有権者の四分の一程度の支持で、衆参の三分の二を獲得→憲法改正の発議が可能という反・非立憲主義的状況を作り出し てしまうのか、食い止められるのか。これは政策選択よりも「上位」の、立憲主義に関わる判断だ。「民主的に選ばれた私が決めてなぜ悪い」 という、立憲主義に対する反発に「民主主義」を語らせてはならない。選挙独裁に通じる反・非立憲政治を止 め、立憲主義との緊張関係の中で民主主義を育んでいく、そういうフォロワーシップを発揮しよう。

【立憲民主主義の観点で、暮らしと持続可 能な経済を取り戻す】

 年初来の株価下落、異次元の金融緩和、さらにはマイナス金利まで繰り出しても、GDPはふたたびマイナスに転じるな ど、アベノミクスの正体が見えてきた。

 「アベノミクスとは端的に言えば『デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定し、これが達成されるまで大 胆な金融緩和措置を講ずるという金融政策』です。長引くデフレからの脱却を謳い、年率2%の物価上昇を目指したのですが、3年経ってみ て、結果はどうでしょうか? 異次元の金融緩和によって、確かに株価は上昇し(ただし剥がれ落ち/引用者)、円安となり(再び円高にふれ /引用者)、一部の輸出企業は潤いました。しかしそれによって、みなさんの生活は少しでも楽になったでしょうか? 〜この3年間で、富め るものはますます富み、それ以外のかつて中流と呼ばれた層などは、ますます厳しい状況に追いやられています。期待された『トリクルダウ ン』はなく、格差がとめどもなく広がり続けています」(尾立源幸「アベノミクスの正体」)

 実質賃金は、2010年を100として15年夏の94まで下がり続ける一方。 年収11000万以上の人が14万人増えた一方で、200万以下の人は30万人増加、貯蓄ゼロの世帯は3割に上っている。正規社員が56万人減って、非正規社員が178万人増え、今や非正規雇用が四割に上っている。「子どもの貧困」「下流 老人」など、今や貧困や困窮は特定の層や世代の問題ではなく、全世代化している。

 こうしたことを背景に、参院選では「経済」「社会保障」が大きなテーマとなるだろう。ここでも、立憲民主主義をどう 確立していくか。
 2月21日に開催された第27回関西政経セミナーにおいて、福山参院議員は次のような趣旨を述べている。
 民主党政権で高校無償化を行った背景には、サラリーマンの平均所得が、小泉政権から麻生政権までの間に大幅に下がっ たことがある。これは子どもの教育費に直結する。親の収入の多寡が子ども世代の格差に転じることを防ぐため、高校の無償化に踏み切った。
 なぜ一律無償化なのか。それは教室のなかにまで、分断を持ち込まないため。一定の所得以下という制限を設ければ、 「もらえる」側と「もらえない」側(負担するだけ)という分断が生じる。そうではなく、全体を底上げすることで成長も可能だ。実際に民主 党政権期のGDPの平均伸び率は5.7%、安倍政権の三年間の平均は2.4%。民主党政権のときには、東日本大震災があったにもかかわら ず。
 しかし自民党からだけでなくマスコミ、世間からも「バラマキ」と批判され、所得制限が設けられた。
 高校無償化の財源は295億。一回かぎりの年金受給世帯への3万円給付に必要な財源は3000億。10年間、高校無 償化ができる。どちらが未来に対する投資か。
 さらに、格差是正というと対象を選別することになる。そうではなく、一律に全体を底上げすることで成長を可能にする (普遍主義)。ここが自民党と民主党の違いだ。(大意。詳細は「日本再生」443号 4/1に掲載予定)

 社会的弱者にターゲットを絞り救済する―こうした選別主義は、「もらえる」側と「もらえない」側(負担するだけ)と いう分断を生じさせ、「誰かがズルをしている」という相互不信を煽り、社会全体を弱く、非効率なものにしていく。生活保護費の不正受給は総額の0.5%に過ぎない。にもかかわらず多くの人々が反対の印象を抱き、支給総額の抑制に踏 み切ったのは、その典型だ。これで誰が幸せになったのか。
 このような不幸な均衡に対するオルタナティヴが、普遍主義である。低所得層にも幅広く負担を求める(消費税など)と ともに、誰もが受益者となることで、「人間の必要」を社会全体でささえる。(税と再分配の政策パッケージ。「日本再生」441号 囲む 会・小川衆院議員を参照。)

 生まれ始めた立憲民主主義の主体基盤のうえに、民主党政権で端緒をつかみ損ねた普遍主義への転換を、どう共有してい くか。
 井手英策・慶応大学教授は、次のように述べる。 
 生きていくために必要なお金を自分で貯蓄するのか、社会全体で貯蓄するのか。前者は確かにすべて自分のためにお金を 使える。ただ怪我をしたり、病気になったり、仕事を失ったときには、子どもや親も含めて生存の危機に直面する。そのことにおびえ続けてき たのがこの「失われた20年」ではなかったか。
 人間の人間らしい生のために、社会全体に資金を蓄えること、その使い道を正しく決定するために、民主主義とかかわっ ていくこと――これは社会を効率化させるための大切な条件である。(「経済の時代の終焉」より)

そして経済を自分たちの手に取り戻す、 という点では、やはり自治が不可欠である。
「『経済』というと、株価がどうしたと か、為替がどうしたとか、GDPがどうしたとか、そういう話だと思いがちですが、京都大学の岡田先生の話(八回大会、11/24シンポジウム「日本再生」439号、440号)にもあるように、基本にあるのは『生活の領域』である地域の経済です。〜エネルギーにしろ食料にしろ、外に頼ってい る分を1%取り戻して地域内で循環させることで、持続可能性が見えてくるわけです(「田園 回帰1%戦略」藤山浩 11/17朝日)。そういう地域内経済循環の仕組みをどうつくるか、そのために自治体のお金をどう『賢く』使う か」(戸田代表 「日本再生」441号)。
立憲民主主義の観点で、暮らしと持続可 能な経済を取り戻そう。

(「日本再生」442号 一面より)

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囲む会のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」
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《東京・戸田代表を囲む会》
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人会員1000円/購読会員 2000円

●第158回
「非正規雇用四割時代に、労働法制のあり 方を考える」
4月4日(月)1845から2100
ゲストスピーカー 野川忍・明治大学教授

●第159回
「アベノミクスの正体」
5月11日(水) 1845から2100
ゲストスピーカー 尾立源幸・参議院議員

《第104回 シンポジウム》
「アジアの地域統合と日米中」(仮)
パネリスト:中西寛・京都大学教授 川島真・東京大 学教授 李鍾元・早稲田大学教授

      大庭三枝・東京理科大学教授 ほか
4月23日(土)1330から1700
TKP赤坂駅カンファレンスセンター ホール14B(国際新赤坂ビル東館14階)
参加費:2000円
《第八回大会 第二回総会》
3月20日(日) 1000から1800
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
「立憲民主主義の主体基盤としての地域自治・市民自治」
問題提起 廣瀬克哉・法政大学教授 江藤俊昭・山梨学院大学教授
     中原恵人・吉川市長
同人議員を軸に討議

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書籍のご案内  「凡庸の善で考え続けるために」
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【民主主義 1948-53 中学・高校 社会科教科書エッセンス復刻版】
文部省・著  西田亮介・編  幻冬舎新書

表記のとおり、戦後直後の時期の中学・高校の教科書。民主主義と向き合う機会を持ってこなかった(奪われてきた)生徒 たちに、多大な犠牲を払って〈再び〉手にした民主主義のバトンを手渡すべく、当時の東大教授・尾高朝雄を中心に早々たるメンバーが執筆し た原本から、そのエッセンスを抽出したもの。

編者の西田氏は、憲法改正が政治日程に上りつつあるなか、「民主主義とは何か」を理解する道具立てが欠如したまま、選 択を迫られることを危惧している。そして、18歳選挙権に関連して展開される「市民性教育」「有権者教育」が、「民主主義とは何か」「な ぜ、民主主義を守るのか」という価値に関する問いを、みごとにスルーしている現状に警鐘を鳴らす。
〜教育の政治的中立は大前提だが、価値をめぐる議論を抜きにして、「民主主義の定着」はありうるのだろうか。筆者は否 定的である。「宿題」の棚おろしが必要だ〜

先人たちが、多大な犠牲を払って〈再び〉手にした民主主義のバトンを、私たちはどう受け取り、次の世代にどう受けつい でいくのか。民主主義に「真剣に向き合わざるをえなかった」時代から〈今〉を検証し、民主主義=多数決にしてしまうのか、立憲民主主義を 深めるのか、という私たちの課題を共有する一助となると思います。


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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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