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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ローカル・住民自治から、選挙・ガバナンスを再定義する
 〜身近な問題を解決する場としての政治へ

●選挙を、他人ごとから自分ごとへ
●ローカルからガバナンスを問い直す 民主主義のイノベーションへ

□お知らせ
 ◆囲む会&総会(東京、京都)

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ローカル・住民自治から、選挙・ガバナンスを再定義する
 〜身近な問題を解決する場としての政治へ
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●選挙を、他人ごとから自分ごとへ

 この四月には、統一地方選が行われる。幸いにして今回は都知事選も、大阪府知事・大阪市長選も時期がずれるため、 「国政の行方を占う」という視点から地方選を論じる余地は、これまでよりも大幅に低下することになる。
 そこで本格的に問われるのは、地域の課題―地域がどうなっており、どうなりうるか―をきちんと取り上げ、住民の当事 者意識を涵養するという選挙がどこまでできるのか、である。言い換えれば、地域の自治力―当事者性と関係性―の真価が試される。

 鳴り物入りの「地方創生」も、永田町からすれば「統一地方選対策のバラマキ」となるかもしれないが、さすがに今どき 「補助金でハコモノを作る」ことを選挙の売りにしよう、という候補者は少ないだろう。「逃げ切りができない時代になっている」という実感 は、圧倒的に永田町・霞ヶ関よりも地方のほうにある。
 むしろ問題は、地方消滅の危機を煽られ、「知恵を出せないところは淘汰されても仕方ない」と脅されての地方創生なの か、地域の内発性に根ざした地方創生なのか、ではないか。前者なら、コンサル丸投げや成功事例のコピーで事足りる―問題の先送りに過ぎな いが。後者の場合にはまさに、地域の自治力―当事者性と関係性が問われる(カネは後からついてくる)。

 その意味では選挙についても、誰が当選するか、どういう政策が選ばれるか、という結果にも増して、どういうプロセス で選ばれるかが重要になってくる。

 例えばマニフェスト。「お願いから約束へ」というスローガンの下、政策本位の選挙にするために導入されたマニフェス トは、地方選挙においては着実に成果を集積しつつある。そのひとつの到達点は、「いい政策を選ぶ」―政策を比較検討して選ぶ、という段階 から、政策を作る過程―マニフェストの作成過程にも市民が参加するというステージが開けつつあることだ。
 そこでは、マニフェストは選挙の直前になって市民に提示されるものではなく、それ以前から市民との議論で練り上げら れていく、そのためのコミュニケーションツールとして機能し始めている。地域がどうなっており、どうなりうるのか。その議論を通じて自治 の当事者性と関係性が涵養される。マニフェストが単なる選挙の道具から脱して、自治のツールへと深化する―そういうPDCAサイクルへ進 もう。

 地域の自治力の深化が試される、という点でより重要かつ深刻なのは、地方よりも限界都市東京(首都圏)だ。日本創生 会議が打ち出した「地方消滅」は二〇四〇年の試算だが、首都圏では「二〇二五年問題」が目前に迫っている。

 「二〇二五年問題」とは、団塊世代が後期高齢者となることに伴って、爆発的に増大する医療・介護をはじめとする社会 的ニーズや課題に、財政や社会がはたしてどこまで対応できるのか、という問題である。すでにその前触れは始まっている。今は「元気なシニ ア(前期高齢者である団塊世代)が地域を支える」ことが可能であり、また必要でもあるが、その担い手(元気なシニア=前期高齢者)の数 は、団塊世代以降は減る一方で、団塊ジュニアのところまで回復しない。つまり「元気なシニアが地域を支える」という構想の限界も、すでに 確実に見えているのだ。(12−16面 廣瀬・法政大学教授 参照)

 問題の深刻さと当事者性の希薄さ、その落差の大きさという点で、限界都市東京・首都圏においてこそ、自治の涵養が喫 緊の課題となっている。二〇二一年、オリンピックの翌年からは、東京も人口減少フェーズに入ると予測されている。二〇一九年に予定される 統一地方選では、いよいよ目前に迫る首都圏の「二〇二五年問題」、東京の人口減少への待ったなしの対応が問われる。そこにむけて何を、ど こまで準備すべきなのか。なかでも、課題に向き合う当事者性と関係性―地域の自治力を涵養するために、この四年間をどう設定するか。これ が、今統一地方選で問うべき焦点だろう。

 空き家問題や買い物弱者など、都市の縮退に伴う暮らしの問題はすでに始まっている。その見え方が地域によって、多少 の時間差はあるにしても。避けられない縮退のなかでも、いかに暮らしを維持していくか、という課題がすでに喫緊のものとなりつつある。
 縮退していくなかで、多少不便かもしれないが、これまでとは違う意味での生き生きとした暮らしを維持していく工夫。 それは「誰か」がやってくれることではなく、自分たちから始めなければ始まらない。政治や社会の問題を自分の身近なものだと考え、身近な ところをよくしようと行動する。そういう自治の当事者性と関係性こそが、求められている。

 選挙を、「誰が当選するか」の他人ごとではなく、自分たちの身近な問題を解決するための場づくりのひとつにしよう。 私たちの民主主義を、ここから築いていこう。

●ローカルからガバナンスを問い直す 民主主義のイノベーションへ

 経済や社会の構造、枠組みが転換するとき、その変化は普通の人にとっては、暮らし向きが変わる―これまでの暮らしが 難しくなった、として感じられる。こうした変化はほとんど、既存の制度の「外側」で起こる。例えば年功序列・終身雇用を前提に設計された 制度では、非正規雇用は「一時的」「例外」だ。しかし非正規雇用が雇用者の四割になっても、それにともなう諸問題は、未だに制度の外側と して扱われている。
 あるいは高度経済成長の過程でできた郊外住宅都市の一角で、子どもが独立して高齢者世帯だけが残り、高齢化率が50%近くなりつつある地区で起こる日常生活の諸問題―ゴミ出し、買い物、庭の手入れなどが十分にできなくなりつつあ る―は、既存の制度の外側で起きており、住民自身にとっても「個人的な問題」としか認識されていないかもしれない。

 選挙での投票に限定されない政治参加とは、こうした既存の制度の「外側」で起こっている問題を、個人の問題ではなく 社会の問題として解決するために、制度の運用や制度の変革―政策思想の軸の変更―へと、つないでいく営みだ。

 今始まっている変化は、こうした「制度の外側」で起きている問題、旧来の暮らし向きが成り立たなくなっている問題 を、永田町や霞ヶ関(その下請け)に委ねてしまったら生きた屍∞ユーレイ≠ノなってしまうという感覚が、普通の人にスッと自然に入る ということだ。そこから、「誰かがやってくれる」ではなく、身近なところを自分たちでよくする、それが政治なんだ、という感覚が生まれ る。

 制度の外側で起きている問題、当事者にもまだ「個人の問題」としか認識されていないかもしれないが、しかし社会的に 解決すべき問題を発見≠オ、議論の場に載せて政策化し、合意形成を図っていく。これこそ、議会の本来の役割だろう。こうしたプロセスを 踏むことで、選挙は、自分たちが社会を担っていく連帯を生み出すための手続きとなる。
 これは、与えられた選択肢にイエス、ノーを表明するだけの民主主義―選挙に限定された政治参加に代わる、民主主義の イノベーションの始まりだろう。

 イノベーションとは、現在のシステムの延長上にはない非連続的な変化であり、そこには「担い手の変更」と「軌道の変更」が伴う。
 当事者にもまだ「個人の問題」としか認 識されていない問題を、社会的問題として発見≠オ、それを解決しようと行動する―その担い手は、バッジをつけた人たちに限定されない。 社会起業家にもローカルベンチャーにも、元気なシニアのサークルにもNPOにも、生涯学習や大学にも、その他社会のあ らゆるところに多様な担い手が生まれている。
 そこには、問題に直面したとき、それが直接は個人の問題であったとしても「自己責任」で片付けたり、既存の制度の枠 内での救済として終わらせずに、社会が解決すべき問題としてとらえなおす視点を持った人々がいる。そこから、選挙に限定された政治参加、 という旧来の軌道の変更が始まる。

 イノベーションを生み出す土台も、飛躍的に転換する。
「ガバナンスという言葉は日本語じゃないので、何とか日本語として魅力的な言葉、真意が伝わる言葉にしたいということ で、『ともに治める』『共治』とか言っているんですね。コーポレートガバナンスだと、企業統治という訳が定着しています。ただローカルガバナンスは ローカルな自治体の統治であると言ったら、『官治集権による国家統治のローカル版か』みたいな感じで、悪く響くわけです。
〜略〜そうであれば、ローカルガバナンスとは住民が自治体政府を統治する、これが本意だと思うんです。
 これまでの国家統治論では『国家が国民を統治する』だったから、統治という概念で民主主義 の、立憲政治の世界における政治をとらえるのは間違いだ、という議論をしていらっしゃる方々がおられる。それはかなり私も共感しますが、 ローカルガバナンスという言葉に統治という言葉を使って、『住民が自治体政府を統治する』『自治体政府は統治の客体であって主体で はない』という概念を広げた方がいいんじゃないか、また必要なんじゃないかと」(廣瀬・法政大学教授 四二四号)

すなわち、住民は統治の客体(統治され る対象)ではなく、統治の主体である、という転換。統治の主体である住民が、連帯を通じて社会を維持発展させていく、そのための手続きと しての選挙という転換。

ここで問われてくる、逃げのきかない課題が「二〇二五年問題」にほかならない。地域の縮退はもう始まってる。その中で暮らしの質という点では、そこに「担い手の変更」「軌道の変更」 が生じる余地は十分にある。その可能性を追求する魅力的なマニフェ ストを、参加型で作ろうではないか。
 こうした問題設定から、第八回大会―主権者運動の次のステージ≠準備していこう。
(「日本再生」430号 一面より)

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□ お知らせ
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 《東京》
◆第1487回 東京・戸田代表を囲む会
 「ローカルから、政治をとらえなおす」
 ゲストスピーカー 上神貴佳・高知大学准教授
 3月2日(月)午後6時45分から9時
 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)

 《京都》 
◆第一回社会サロンat京町家
 「京町家でソーシャルイノベーションを語る」(仮題)
 メインスピーカー 今里 滋・同志社大学教授
 3月9日(月)午後6時半〜    江湖館
 会費:実費(事前登録制)

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□ あれから4回目の3.11
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3.11から四年を数えようとしています。復興は未だ途上。
阪神淡路大震災の被災者からは、「4、5年目が一番きつかった」との声も聞かれます。
改めて、当事者性と関係性の再構築が求められているのではないでしょうか。

430号(3/1)では、相馬市の立谷市長と、「清昭丸」船主・菊地さん(38)のインタビューを掲載しています。

以下もご参照ください
レポート/震災から4年。現在の課題と求められるもの
http://www.musicsecurities.com/blog/community_news.php?ba=b10820a33150


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