電子瓦版(転送はご自由にどうぞ) ━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━ メルマガ♯がんばろう、日本! 164(12.9.4) ━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━ 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp ================================== ▼Index リアルでポジティブな「依存と分配」政治のたたみ方、 リアルでポジティブな「選択の政治」の立ち上げ方 ●非難やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。 リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。 ●政策転換の現場としての自治 変化の実績は地域から集積される ●依存と分配の政治から選択の政治へ、転換のプロセスを後戻りさせるな 〜来るべき選択にむけて □ご案内 ◆9月-10月の「囲む会」「講演会」 ================================== リアルでポジティブな「依存と分配」政治のたたみ方、 リアルでポジティブな「選択の政治」の立ち上げ方 ================================== ●非難やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。 政権交代から三年。この間、迷走ときには逆走をともないつつ、さまざまな混乱や試行錯誤のなかで見えてきたことのひとつは、「あれもこれも」という依存と分配の政治から、「あれか、これか」「何をあきらめるか」という選択の政治への転換、その移行期の議論のしかた、合意形成の諸問題だろう。 GDPの200%におよぶ公的債務、原発・エネルギー問題、急坂を上るような少子高齢社会の社会保障、人口減少時代の地方の生き残り、構造的デフレ下での雇用など、いま日本が直面している問題は、いずれも難問ばかりだ(対外的にはG0時代の外交・安全保障、G20時代の経済外交戦略など)。解決のためには複雑な議論と、途方もない時間を費やさなければならず、その間に「時間切れ」を迎えてしまうかもしれない。そうはいっても、不都合な真実からこれ以上、目を背け続けるわけにはいかない。 そう、こうした難題の解決を誰かに「お任せ」するわけにはいかないことを、私たちは学んだ。「これをやればすべて解決する」という魔法の杖もなければ、バッサバッサと世直しをしてくれるヒーローもいない。政権交代で求められたのは、依存と分配の政治から選択の政治への転換であり、そのリアルでポジティブな移行プロセスにほかならない。3.11はそのことを、ダメ押し的に明らかにした。 リアルでポジティブな移行プロセスとはなにか。依存と分配の政治もまた社会システムであり、それを否定したり、誰かを打倒したり、「ぶっ潰す〜」と叫んでなくなるものでもなければ、ましてやそれで選択の政治へと転換できるわけでもない。社会システムの転換は、Aというやり方をやめてBへ、という単純な話ではない。これまでのやり方の、どこにどういう問題があったのかを検討しながら変えていくというプロセスが、非常に重要であり不可欠だ。その意味で、改革の是非を問うとされた「郵政選挙」も、「八ッ場」をシンボルにまつりあげた〇九年選挙も、依存と分配政治のたたみ方として、リアルでもポジティブでもなかったということだ。 例えばムダな公共事業は、しかし地域の雇用にとっては必要なものでもある。そのリアルでポジティブなたたみ方、転換のしかたとはどういうものか。 「戦後の経済、政治、そして社会も含めて、日本の福祉国家を支える諸要因と公共事業は密接に結びついている。そのシステムが限界に来ている状況のもとで、今回の大震災は起きた。土建国家への安易な逆流は、ポストバブルの『失われた二〇年』を繰り返すことになりかねない。だが、だからといって、公共事業を基盤として成り立ってきた福祉国家にあって、その核心を無視しつつ、ヨーロッパ型福祉国家への大転換が果たして可能であろうか。これも極端な議論であろう。〜中略〜問われているのはこういうことだ。公共事業を待望する経済主体は依然として存在する。しかも、短期的には公共事業の削減は見通せないどころか、土建国家への流路が再び形成されかねない。ではどうすれば土建国家への逆流を食い止め、現在の公共事業を新しい福祉国家への道筋となりうるような公共事業へと転換できるのか。より明快に言えば、人々に必要な公共事業とはいかなるもので、政府の果たすべき役割とは一体いかなるものなのか」(「雇用連帯社会」井手英策・編) 同じようなことは原発についてもいえる。 「原発の今後のあり方を論じる際に最も重要な点は、『反対』『推進』という原理的な2項対立から脱却し、危険性と必要性の両面を冷静に直視して、現実的な解を導くことである。〜相手を批判するときには、必ず、リアルでポジティブ(積極的ないし建設的)な対案を示すべきである。 リアルな議論を展開しなかったからこそ、原発推進派は、エネルギー自給率4%(2008年)という資源小国でありながら、これまで原発への風当たりを弱めることができなかった。ポジティブな対案を示さなかったからこそ、原発反対派は、広島・長崎・第五福竜丸を経験した被爆国でありながら、これまでドイツの緑の党のような有力な脱原発政党を育てることができなかった。原発のたたみ方を論じるのであれば、それはリアルでポジティブなものでなければならない。筆者が『リアルでポジティブな原発のたたみ方』という表現をとるのは、このためである」(橘川武郎・一橋大学教授 ダイヤモンドオンライン8/24) 依存と分配では、もう持たないことははっきりしている。非難合戦やあら探し、足の引っ張り合いはもういらない。依存と分配の政治から選択の政治へ転換するための、リアルでポジティブな前向きの改善策を話し合おう。 ちなみにドイツでは内閣不信任決議提出の際は、必ず後継首相を明示しなければならないという(建設的不信任)。これはワイマール共和国時代、左右の急進派が倒閣のみを目的に共闘して不信任案を乱発し、政治が不安定化した結果、ナチス台頭につながった経験からだ。 ●政策転換の現場としての自治 変化の実績は地域から集積される 依存と分配は「お任せ」で、市民は受益者でしかないが、選択の政治は市民が選択―決定過程に参画することが、決定的に重要になる。依存と分配から選択の政治への、リアルでポジティブな転換―移行プロセスに欠かせないのは市民の決定過程への参画であり、その主戦場こそ自治の現場である。 「…残念なことに、公共事業は中央集権の象徴でもあった。その核心は公共事業が国庫補助事業だった点にある。地方にとってみれば、自治体の各部局は補助金の付く予算を削る必要性を持たず、議会においては補助金の獲得は利益誘導の成果を示すものに他ならない。このようなバランスのうえに、国は国庫補助金を通じて地方財政の規模を操作することが可能だったのである。 以上の仕組みのもとでは、住民が公共事業に参画するには、利益集団を媒介とするしかなかった。『利益』のためではなく、自分たちの『生活』という基本的視点からその決定に参加する機会はきわめて少なかったといえよう。〜何が必要で、何が不要かという決定に対して、住民の意思が的確に反映される仕組みが工夫されなければ、公共事業への合意形成などできるはずがない」(前出「雇用連帯社会」) いま地域では、市民参加による事業仕分け(「何が不要か」を市民参加で決める)のみならず、「必要な公共とは何か」を市民参加で決める―地域課題の公共事業化、社会的共同事業ともいうべき取り組みが、それぞれ智恵と工夫をこらして試行錯誤しながら進められている。(一括交付金化などの)補助金改革は、そうした試みを後押しするものであるべきだし、その観点から政策効果が検証されるべきだろう。 「〜二つの視点―『公共の任務』と『新しい公共事業』―は有機的に結びついている。これまでの仕組みでは、交付税や国庫補助金などによって財源は保障されてきたが、住民が意思決定に参画する機会は少なく、画一的な公共事業が実施されてきた。新しい『公共の任務』のもとだは、それぞれの地域にどのような公共事業が必要で、それをどのように充足し、どのような産業を育成していくのかが問われる。バリエーションは多様であり、人々の議論と選択が決定的に重要となる。一方『新しい公共事業』は、以上のように人々のニーズに支えられ、かつ、新規投資に比べて財源節約的で効果的な事業が可能である。しかも、国の支援は奨励補助金、つまり時限的な補助金が中心となる。〜自らが決める公共事業の意味はここにもある」(前出「雇用連帯社会) エネルギー・システムについても、同様のことがいえる。これまでの「どこかで、誰かが作った」電気を使うだけの市民から、電源を選択し、さらには自分たちで事業を興して発電する(そういう事業に投資という形で参加する)。中央集権・垂直統合型システムから、分散型・ネットワーク型のシステムへの転換―移行のプロセスへ、われわれは踏み出している。 「買取制度は、発電された電気を強制的に買い取る仕組みである点で一種の補助金と見ることもできる。この点では、買取制度も公共事業と実質的に変わらないではないかという批判も可能である。 しかし公共事業と買取制度では決定的に異なる点がいくつかある。公共事業では、どのような事業を行うかは、国(あるいは都道府県)が決め、地域の事業者は発注された事業を請け負うという形で、受身的に参加する。〜リスクは存在せず、受注できるかぎりにおいて確実に儲けることができる。その代わり、自治の精神は失われ、競争入札も機能せず、採算性を確保するための創意工夫とは縁遠い事業となっていく。〜『依存と分配』とも呼ぶべき地域経済の構造が定着することになる。 これに対して買取制度の下では、たしかに事業採算性が取れるスキームは国が準備するが、それを活用するもしないも、地域の事業者の主体的な判断次第である。〜公共事業の場合、事業主体は自治体やその他の公的機関だが、買取制度の下では民間事業者となる。 したがって民間事業者が、実施する事業の内容を自ら決め、リスクをとって資金調達を行わなければならない。〜買取価格は段階的に引き下げられることになっているため、技術革新によって費用を下げていかねば赤字を出し、やがて倒産の危機を迎える。こうして買取制度は、地域に進取の気性をもった事業体の創出を促進する。 以上のことから、公共事業による『依存と分配』の構造から抜け出し、再生可能エネルギーによる発電事業へ転換していくことは、その地域の経済・産業構造を、官主導・官需依存型から、民間主導により市場を自ら開拓していく自立したビジネスを成立させる方向に切り替えていくことを意味する」(「エネルギー自治と経済・産業構造ビジョン」諸富徹 季刊 政策・経営研究/三菱UFJリサーチ&コンサルティング) 脱原発は、政府が決定すればそれで決まるというだけの問題ではなく、これまでのシステムのどこに問題があり、それをどう変えていくのかという具体的なプロセスなしには進まない。大きな制度改革は、それを後押しするものとして構想・設計されるべきだ。 「いまわたしたちに必要とされていることは、未来の持続可能なエネルギー社会のイメージをさまざまな(異なる利害を持った/引用者)ステークホルダーの間で共有し、それを実現するための方法論的な手がかりを得て、実際にそれぞれの地域社会で具体的な取り組みをはじめることです。その過程にはさまざまな困難がともなうことが予想されますが、それぞれの地域で試行錯誤しながら実績を作り出さないかぎり、なし崩しの現状肯定はいつまでも続き、責任ある脱原発・脱化石燃料は実現できません」(古屋将太 「日本の難問をかたづけよう」光文社新書)。 非難合戦では、なし崩しの現状肯定が続くことになる。参加せず、観客民主主義のままでは、始まった変化は見えず、「期待と失望」を繰り返すことにしかならない。変化の実績、転換の内実を作り出すための、リアルでポジティブな改善策を話し合おう。その主戦場は自治の現場だ。 ●依存と分配の政治から選択の政治へ、転換のプロセスを後戻りさせるな〜来るべき選択にむけて 政権交代を機に、依存と分配の政治から選択の政治への転換は否応なく始まった。確かにそのプロセスには迷走や逆走も伴ったし、とんでもない混乱も少なくなかった。だが「新しい公共」のような変化は確実に始まったし、エネルギー政策の国民的議論(オープンな議論という意味でも)のような、決定過程―合意形成プロセスの変化も始まっている。あるいは「税と社会保障の一体改革」についても、二月から全国各地で対話集会を行っている。公共政策課題について、こうした国民的議論の形式がとられたこと自体、はじめてのことではないか。この移行プロセスを、後戻りさせるわけにはいかない。例えば、三党合意にある社会保障を協議する国民会議の議論のプロセス、合意形成のプロセスは、エネルギー政策の国民的議論の試行錯誤を、さらに「オープンな熟議」に向かって深化させるものになるべきだろう。 「…『郵政選挙』の国家的集団ヒステリーのようなブームに踊らされて『刺激物』に飛びついてむなしさが残った経験と、今の政権を見て国民が学んだ『魅惑的な公約はあてにならない』という教訓をステップにして、何が大事なことかを冷静に見る機会が、近いうちに訪れるのではないか」(松尾貴史 毎日7/28夕)。 「郵政選挙」も〇九年選挙も、依存と分配政治のたたみ方として、リアルでもポジティブでもなかった。しかし、依存と分配の政治から選択の政治への転換プロセスは、否応なく始まっている。大事なことは、これをチャラにしたり、後戻りさせるわけにはいかないということではないか。 観客民主主義にとどまったまま、期待と失望を繰り返すパターンから、どれだけ卒業できるか。「『維新』という名のミステリートレインが、猛烈な勢いで疾走している。塾生だけではない。国民の誰一人、おそらくは橋下氏本人も、その終着駅を知らない」(祝迫博 中央公論9月号)。なし崩しの現状維持か、イチかバチかのミステリートレインか、という貧弱な選択肢に代わるリアルでポジティブな議論への参加の窓を、いかに広げていくか。 エネルギー政策をめぐってはじめて、国民的議論が展開された。意見聴取会、パブリックコメントとあわせて行われた初の「討論型世論調査」では、討論を経て「0%」を選択する人がさらに増えるという結果になった。これは「熟慮の選択」の可能性を秘めたものといえるだろう。 郵政選挙も〇九年の選挙も、一票で政治が変わったことは間違いない。それが自分の望むような変化であったかどうかは別として。「一票で政治が変わる」なら、その選択肢を自ら貧弱なものにしてしまっては、もったいないだろう。 同時に選択には不確実性がともなう。とくに、依存と分配の政治はもう持たないことはわかっているが、それに代わる選択の政治は未確立、という過渡期―移行プロセスの最中では、「どちらの不確実性を選択するか」が問われることになる。例えばこんなふうに。 「国策でさんざん推進して、とんでもない失敗に至った原発を、それでも続けるという不確実性を選ぶのか、基礎技術が確立されて安全性は問題ないが、未だコストがかかり、系統不安定化などこれから解決しなければならない課題がある再エネの不確実性を選ぶのか。とうに亀裂が入った夫婦関係を続けるか、離婚して出直すのか、どっちを選ぶかに似ていますね(笑)」(高橋洋 日経ビジネスオンライン8/16) 確かに「ムダを省けば財源は出てくる」という〇九年民主党マニフェストは、「空手形」というほかはない。しかしだからといって、ニッチもサッチも行かなくなっている「依存と分配」に戻るなら、政権交代は政治不信への媒介に過ぎないことになる。「だからミステリートレイン」では、茶番にしかならない。 GDPの二倍という公的債務に目をつぶって、依存と分配を続ける不確実性を選ぶのか、「一票で政治が変わった」ことを出発点にして、試行錯誤の連続である「参加」や「熟議」「自治分権」の深化という不確実性を選ぶのか。何が大事なことかを冷静に見て判断する機会が、近いうちに訪れるだろう。 その際のリアルでポジティブな議論の前提には、財政のリアリズムが不可欠であることは言うまでもない。マニフェストの標準化、書式化についても、政党がそれをやるかどうかではなく(やらない、ところからしか始まらない)、世間の側が政党の公約なりマニフェストなりを書式に落とし込んで、書くべきなのに書かれていない財政上の裏づけを正す、というところから始めよう。 依存と分配の政治から選択の政治への転換は、否応なく始まった。それが永田町のドタバタ騒ぎでチャラにされたり、翻弄されたりしないためには、「何を後戻りさせないか」「何をチャラにすべきでないか」について、永田町が無視できないところまで世間の声が明確な意思となる必要がある。「近いうち」も、永田町の政局ではなく、そうした世間の声の高まりと成熟で決するべきだろう。 ================================== 8-9月の「囲む会」のご案内 ================================== ◆第119回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定) 「次世代にこれ以上、ツケを回さないために」(仮題) 9月24日(月)18時45分より ゲストスピーカー 五十嵐文彦・衆院議員、財務副大臣 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷) 会費 同人 1000円 購読会員 2000円 ◆講演会 「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を」 10月3日(水)18時30分より 福山哲郎・参議院議員 アルカディア市ヶ谷 6階「伊吹」 会費 会員 1000円 一般 2000円 ◆第23回 関西政経セミナー 「マニフェスト政治、『次』のステージへの転換を」 10月20日(土)18時より 隠塚功・京都市議、上村崇・京都府議、中小路健吾・京都府議 諸富徹・京都大学教授、前田武志・参院議員、 コープイン京都 202会議室 参加費1000円 ◆第七回大会 第二回総会 11月3日(土・祝)10時より18時 「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷) 問題提起:福嶋浩彦・元我孫子市長、諸富徹・京都大学教授 ******************************* 石津美知子 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333 |