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21世紀の課題―未来圏から吹いてくる風に、帆をあげよう
〜これは民主主義の問題だ

□ご案内
◆6月の「囲む会」
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21世紀の課題―未来圏から吹いてくる風に、帆をあげよう
〜これは民主主義の問題だ
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●これは民主主義の問題だ●

 ユーロ危機に揺れる欧州、「アラブの春」から一年あまりのイスラム圏諸国、政権交代後の迷走・逆走が続く日本…。世界のあちこちで、民主主義の転換が問われている。民主政とは「流血を見ることなく、投票で政権を交代させる可能性」であるといわれる。その「可能性」を現実のものとし、そこからさらに一票の選択の質をいかに高めていくか、その障害をどのように取り除いていくか。21世紀の課題にふさわしい、民主主義の転換の試行錯誤が展開されつつある。(ある人々には「カオス」に見え、ある人々には「混沌・混乱」にも見えるが、ある人々にはイノベーションの苗床となっている。)

 「まず、前提として今の民主政治はどんどん移り気で有権者の不満が高まっているという事実があります。フランスでは7割近くが『政治は自分のことをかまってくれない』と考え、日本では8割近くが『政治家も政党も信頼できない』と、回答しています。政治不信と政治的不満が前面化しているのは、日仏のみならず多くの先進国で共通して見られる現象です。
 ここで出てくるのは、既存の政治と政治家を告発して、彼らが作っているシステム=OSを取り換えれば上手くいくようになる、とするポピュリズム政治です。人々の『没落の恐怖』を代表して、政策的な一貫性を無視しシステムの『グレート・リセット』を訴える。〜中略〜ポピュリズムが政治に与える作用にはプラスとマイナスがありますが、確かなのは否定したからといって消えてなくなるようなものではないということです。〜人々の不満を代表する声は、民主政治の中ではいつも必要なんです。他方で、本来ならば、こうした不満を『吸い上げる』だけではなく、『昇華』する政治が必要になってきます。
〜ポピュリズムを『怖い』と感じるのは、人々の欲望や欲求を固定的なものだと考えるからです。でも本当はそうではない。人々の欲望や欲求は社会的に作り上げられるものであり、それを密なコミュニケーションと想像力を共有する力によって導いていくのが、政治の本来の役割です。〜中略〜『私たち』という共同意識を作り上げるのは、政治にしかできない役割です。〜中略〜そうした政治空間では、人の負の情念や恐怖心というのは、徐々に和らいでいくものです。この濃密な空間をイデオロギーではなく人為的に作り上げるためには、世論調査に依存するよりもずっと手間がかかります」(吉田徹・北海道大学准教授 日経ビジネスオンライン5/15)

GDPの二倍におよぶ公的債務と、それを生み出した「お任せ」「先送り」という「民主主義の負債」を次世代につけ回すのか、そのマイナス構造を断つのか。これが、私たちに問われている民主主義の課題だ。日本は21世紀の課題先進国と位置づけられるが、前者なら、「ああはなってはならない」という反面教師としての位置づけになる。財政を破綻させず、高齢化率40%へ向かう時代を凌ぐという、21世紀の持続可能な課題先進国としての日本社会は、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断つことなしには、見えてこない。

 ここで問われてくるのは、(世論調査に依存するよりもずっと手間がかかる)民主主義の持続性と智恵だ。民主主義の転換が意識の問題なら、「お任せではだめだ」という自覚一般でもすむが、「お任せ」「先送り」の経済的基礎、社会的歴史的背景やその人格形成は、グレート・リセットによってなくなったり、変わったりするものではない。必要なのは「『私たち』という共同意識を作り上げる」場、そうした公共空間の創出であり、そこでのコミュニケーションの集積だ。
 「私たち」という共同意識を作り上げる場に必要なコミュニケーションはどういうものか。そのことが、あらゆる場面で実践的に問われている。

社会の問題を社会の一員として引き受ける―そのためのコミュニケーションと、「誰々が悪い」「ズルをしているのはアイツだ」と犯人探しをするのとでは、集積がまったく違ってくる。高齢化率40%という四十年後を、「漠然とした将来」としかとらえられない場合と、「望ましい未来から現在を逆算して」とらえる場合(7面 神山町のインタビュー参照)とでは、コミュニケーションはまったく違うものになる。

 あるいは首長や議会と市民との対話集会でも、「何かありますか」と聞くだけなら、市民からあれこれの要望しか出てこないのは、ある意味で当然だ。「わがまちがどうなっており、どうなりうるか」「この問題について、現状はこうなっており、A案、B案はこうですが、どう考えますか」と問いかけて、はじめて議論が始まる。さらにいえば、借金を借金で返すような財政状況では、その事業が「無駄か、無駄でないか」のみならず「借金してもやりますか」とまで市民に問うことによって、受益者ではない、主権者としての「私たち」意識をうみだすことが可能になる。こうした公共空間のなかでこそ、負の情念を和らげ、心情倫理を責任倫理に向けて組み込んでいくことも可能になる。

 統治の仕組みを変える、ということは制度いじりではない。決定過程にも執行過程にも、よりいっそう主権者として参加し、役割と責任を引き受けること、その不断のダイナミズムこそが民主主義の真髄だ。
「誰かに決めてほしい」(自分の思い通りに決めてくれないと幻滅し、また他の誰かに期待し、あげくは「何でもいいからとにかく決めてくれ」となる)のか、「自分たちで決めよう」(決定過程や妥協の結果も引き受ける)のか。これは民主主義の問題だ。

●民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断つ、その決戦場は自治の現場●

 失われた二十年は、別の言い方をすれば「制度破壊願望」の繰り返しであった。橋下ブームはいわばその最終形であり、制度論への逃げ込みも自治の現場が決戦場となりつつある。
首相公選や参議院廃止のような、憲法改正なしには実現できない「打ち上げ花火」のような話なら、普通の人から検証もされにくいが、地方自治の現場では、普通の人からも一発で検証される。地方自治の現場には、制度論に逃げずに自治を深化させる具体例が数多くあり、普通の人にも見ようと思えば見ることができるのだから。

「GDPの二倍の借金」といわれても、「無駄を削ることが先だ!」といえるかもしれない。しかし市の財政が、臨時財政対策債などというシロモノなしには成り立たない状態だということは、知ろうと思えば分かる。分かれば、「誰かにお任せ」とはいかなくなる。

高齢化率40%といわれても「漠然とした将来」の話にしか聞こえないかもしれないが、自分たちのまちでは今後十年で高齢者が何人増加し、それに対応するための施設やサービスが現状ではどれだけ足りないか(首都圏では圧倒的に足りない)、その対応にはどれだけの費用が必要なのか、そのためには何かを止めなければならない、ということは分かる。それが分かれば、「何をあきらめるか」を誰かに決めてもらうのではなく、自分たちで決めなければならないことが分かる。

あるいは「過疎を止める」とだけいっても掛け声に終わるが、次世代のときに1学級10人のまちでいいのか、それとも20人くらいは確保できるまちにするのかと考えれば、国に「補助金よこせ」というよりも、自分たちで何をやればいいかが見えてくる(7面 神山町のインタビュー参照)。

高度成長期に大量に造成されたインフラは更新期を迎え、「物理的な崩壊」と「財政的な崩壊」というふたつの危機に直面している。ここでも「何をあきらめるか」を、市民が決めなければならない。少しの不便さえ拒絶する受益者市民の声だけを聞いていれば、その地域はいずれ破綻するしかない。今は存在しない(次世代の)負担者市民の声なき声を聞けるか、さらには、まちの経営をともに「引き受ける」経営者市民がどれだけ生まれるか。地域の未来は、それによって大きく変わってくる。

制度論の「打ち上げ花火」では、自治の現場、生活の現場は何一つ回らない。政治は共同体の運命を決するものであり、それは「誰かに決めてもらう」のではなく、「『私たち』が決める」ものだということが、生活で分かるのが自治の現場だ。だからこそ、ここにおいて公共空間をどう作るのかが問われる。

「…政治には公共空間が必要だ…人々が利害を率直に表明するのは政治の主要な役割ではない。利害関係だけであれば、むしろ市場のほうが有効な調整ができる。〜中略(政治には)共同体にとって望ましい、すべての人にとって必要であるといった、公共的な理由付けが求められる。〜たとえ表向きだけであっても、政治は公共善と結び付けて議論されなければならない」(「政治を生きる」飯尾潤)

「次世代につけを回さない」というタテマエを、剥き出しの利害損得に置き換える無責任連鎖を断つのは、自治の現場だ。タテマエ・公共善を支えるのは、「お天道様が見ている」という世間の論理であり、そこで育まれる小さき公共心や利他の精神だ。共同体と結び付いたこうした世間を、「前近代的」「しがらみ」と否定して、タテマエを剥き出しの利害損得に置き換える世俗の論理を蔓延させたのが、依存と分配であり、そこでつくられたのが特定の利害関係者による(原子力ムラなどの)「ムラ」にほかならない。この「戦後日本」が敗戦を迎えた今こそ、自治の現場から公共空間を創出し、民主主義の負債を次世代につけ回す無責任連鎖を断とう。

●自治分権の構造的拡がりで、民主主義の負債構造を飲み込もう●

 自治分権の構造的な拡がりとは、生活の現場に根ざした公共空間とその担い手を創造するための多様な智恵と持続性にほかならない。アカの他人が社会を構成しているからこそ、タテマエ・公共善を支える世間の論理が必要になる。そこで人々が「私たち」意識をもつ上で決定的なポイントは共感縁、共感資本の創造だろう。

 この事業は無駄か、無駄でないかのみならず、「借金をしてまで=次世代につけを回してまで、やりますか」と市民に問えるのは、その問いが共感を生み、ともに引き受けようという市民が生まれるからだ。そこから市民同士の討論―受益者市民にとどまるのか、経営者市民とはどういうことか等―が繰り広げられ、新しい公共空間が生まれてくる。

 自治体経営においても、いかに市民自治を作り出しているかが決定的なポイントになる。例えば太陽光発電事業を市民ファンドによって立ち上げた長野県飯田市では、買取制度によって売電して得た利益を、ふたたび地域に投資するサイクルが動き出そうとしている。このような経済的な意味からの自治の試みにおいて、決定的に重要なことは、地域の中にこうした社会的事業を担う主体をどう作り出していくかということだ。岩手県紫波町のまちづくり事業では、町民が株主となることでリスクをとり、ガバナンスも効かせる仕組みによって、ファイナンスを可能にしている。事業がうまくいかなければ、市民が負債を負うことになる。そういうリスクも取るからこそ、ガバナンスも真剣なものになる。補助金に頼らずに社会に必要な事業、自分たちの経済的自立の基礎を、市場の仕組みを使って作り出すという自治の試みは、同時に市場をより健全なものにしていくことにも通じる。

若き社会起業家が、「儲かるか、制度に適うかではなく、その事業は『社会に必要か』」というところからストレートに出発するのは、理念や社会的使命こそが共感資本となるからだ。それがあれば、ビジネスモデルは後からついてくる。被災地で立ちあがる事業者たちの最大の財産は、地域への思いと使命感、それに共感する共感縁、共感資本の拡がりにほかならない。「そこから社会がどれだけ恩恵を受けているか」ということが、よい仕事、よい企業の基準になっていく。

 あるいは湯浅誠氏は、こう述べる。ホームレス支援などでこだわっているのは「(自らも)作り、求める」ということ。自分たちでまず作るということがないと、作らずして求めるというのはなかなか説得力がない、と(5/21「囲む会」 内容は次号に掲載)。自ら動き、作ってこそ共感を呼ぶということだ。共感を伴わない「政策提言」では、いつまでたっても「誰かに決めてもらう」ことしかできない。

 血縁や地縁以外にも社会の支えあい、縁が多様であるほど、その社会は豊かになるが、自治とボランティアは何が決定的に違うのか。ボランティアは、自分の好きなときに好きなことを通じて社会に参加し、ときには「引き受ける」。場合によっては、いやならやめることもできる。一方、自治の場合は「いやなこと」でもやらなければならないときがあるし、「もめること」でも決めなければならないことがある。「いやなこと」を「いやなこと」として、仕方ないからやっている、ということでは続かないし、共感は得られない。その意味で持続性、共感縁がもっとも豊かに、多様になるのも自治の現場だろう。

 被災地のがれき受け入れをめぐって市民が大きく揺れた島田市で、半年近くにわたって市民の合意形成に努めてきたのは、地域の自治会である。自ら被災地に出向き現状を聞き、放射線を測定し、市民に公開し、一定の安全性を市民とともに確認して、受け入れを合意した。最終的に自治会として決定するときには、会長は市民の多数決によらずに、役員の総意で決定した。なぜか。多数決をとれば市民の中に「あの人は賛成した」「あの人は反対した」という亀裂が残る。それでは地域は持たないと。
自治は「○○に賛成、反対」で運営するものではない。利害対立、意見の違いがあっても、ともにこの社会を支え、維持していく責任と役割を分かち合う営み、それが自治だろう。その意味では「誰々が悪い」「アイツのせいだ」という犯人探しや、分断統治と一番遠いところにあるのが自治の現場であり、そこで培われる共感縁ではないだろうか。
民主主義の負債構造を飲み込む、自治分権の構造的拡がりをさらに!

(本号「総会報告」も参照ください。また次号では、こうした公共空間の創出について、社会運動家の立場から湯浅誠氏のお話(東京・戸田代表を囲む会)を、また宗教社会学の観点からは稲場圭信・大阪大学准教授のインタビューを掲載します。)

*本号=「日本再生」397号 6/1発行

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6月の「囲む会」のご案内
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◆第114回 東京・戸田代表を囲む会(会員限定)
「次世代に“民主主義の負債”をつけ回す無責任連鎖を断つために」
*総会を受けて、同人議員を交えたトーク&討議
6月8日(金)18時45分より
「がんばろう、日本!」国民協議会事務所(市ヶ谷)
会費 同人 1000円  購読会員 2000円

◆第18回 戸田代表を囲む会in京都 
「自治分権の構造的拡がりで、“民主主義の負債”構造をのみこんでいこう」
*総会を受けて、同人議員を交えたトーク&討議
6月10日(火) 18時30分より
ハートピア京都
会費 1000円/学生 500円
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333