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▼ Index 

政権交代第二幕 
政治のイノベーションに向けて半分開いた扉を、さらに開けるための連立選択へ

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熊   鳩山さんの突然の辞任で、去年の選挙でのオイラの一票は、どこへ行っちまうんだよ〜と思ったが、落ち着いてみれば、ようやく「政権交代に託した民意」の方向へ、扉が半分開いたという感じだな。

八   この九ヶ月で分かってきたことは、「政権交代」にも二つの意味があったってことだ。ひとつは、「あれも、これも」のいわゆる利益誘導政治の構造はそのまま、政権与党が自民党から民主党に入れ替わるだけ、という政権交代。「表紙を変えただけで、中身は同じ」ってやつだな。もうひとつは、「あれか、これか」「何かをやるために、何かをあきらめる」という低成長時代の経営感覚へ、政治の中身そのものを入れ替える政権交代。こっちは、言ってみれば「政治のイノベーション」だ。

熊   水と油のような「政権交代」論が同居しながら、とりあえず政権維持というところで、迷走しながらやってきた。が、もはや政権維持や選挙といった目先の利害や駆け引きで、これ以上同居できないところまできたってわけだ。なによりも世論もこの二つのギャップを感じ取って、「表紙を変えるだけ」の政権交代に、明確にノーを突きつけ続けた。これが、ダブル辞任を引き出した原動力だ。

**引用はじまり**
有権者が自民党政治に心底うんざりさせられたのは、業界団体や地元など身近な支持者に利益を誘導する利権分配政治である。小沢氏のやっていることは、票の集めやすい組織の利便をはかる、有権者の多くが「ノー」を突きつけた政治手法そのものに見える。  日本経済が上り坂だったときならいざ知らず、限られた予算を有効に使わなければならなくなっているときに、利権誘導政治を続けたら、日本の先行きは真っ暗だ。多くの人がそう感じたからこそ、民主党のいう「コンクリートから人へ」を支持し、自民党は敗れたのだった。  小沢氏は幹事長を辞任すべきだと思っている人の割合は8割を超えきわめて高いという。それは、検察審査会が起訴相当とした不動産取引をめぐる問題だけでなく、小沢氏の政治手法そのものに反発があるからだろう。
(2010年05月25日 「あらたにす」 歌田明弘)
**引用終わり**

八   民主党というのは、言ってみれば、「選挙で=有権者の一票で政権交代を実現する」ことを目的とした政党だ。これをクリアしない限り、21世紀の課題に取り組む21世紀型の政治への脱皮はありえないからな。ここまで13年余りと、ずいぶんかかってしまったが、ようやくそれを実現した。で、その先は?ってことが問われた九ヶ月でもあったわけだ。

熊   政権交代後の民主党のミッションが、「自民党を焼き尽くして、更地にする」ということなら、小沢民主党のやり方はそれにかなっているといえるだろう。しかし、政権交代後のミッションが、21世紀の課題に取り組むための政治のイノベーションであるなら、完全に逆行だ。

八   菅新体制によって、政府、党ともに、政治のイノベーションにむけた扉が、ようやく半分開きかけたというところだろう。小鳩体制のまま参院選に入るなら、有権者自身の戦略的投票によって、二つの政権交代論を仕分けすることが必要だったが、そこは半分クリアしたというわけだ。

熊   おかげで、参議院選挙でオレら有権者が何を選択すべきかが、さらに鮮明になったってわけだ。まずひとつは、「コンクリートから人へ」の民主党を選ぶのか、それとも「国民の生活が第一」の民主党を選ぶのか。
参院選は政権の中間評価だから、総選挙のマニフェストが再検討される。小鳩体制での参院選マニフェスト原案からは、「コンクリートから人へ」が削られ、「国民の生活が第一」が残った。これは象徴的だ。

***引用はじまり***
「コンクリートから人へ」は、「何をやめるのか」を明確にする“凌ぎの時代”の政治スローガンである。「国民の生活が第一」は、分配政治のスローガンだ。「コンクリートから人へ」は、(小泉)構造改革の総括と転換のスローガンだ。「国民の生活が第一」は小泉改革へのアンチテーゼである。
「コンクリートから人へ」は、二十一世紀型資本主義(資本主義のグリーン化・非物質的展開/諸富・京都大学教授の講演「日本再生」三七一号 参照)への構造的転換のスローガンである。この政策思想の軸が共有されていなければ、「コンクリートから人へ」は単なるハコモノ叩きにしかならず、いつでも「コンクリートも人も」という「あれも、これも」の右肩上がりの惰性に飲み込まれることになる。
「コンクリートから人へ」は、右肩上がりの時代から“凌ぎの時代”の国家経営への転換の指針である。この政策思想の軸が共有されていなければ、資源配分の構造的転換ではなく、単なる歳出の付け替えのレベルに終始し、あげくに税収を超える国債発行によって「国民の生活が第一」→「コンクリートも人も」という歳出を賄う顛末となる。
(「日本再生」373号)
***引用おわり***

八   つまり、去年の総選挙ではまだ、有権者のなかでも「二つの政権交代論」は未分化だった。「コンクリートから人へ」と「国民の生活が第一」というスローガンは、二つの政権交代のギャップを端的に示すものだ。九ヶ月の学習で、有権者にも「二つの政権交代論」のギャップが見えてきたわけだから、おれら自身がもう一度、分配政治の胴元を交代するだけなのか、21世紀型政治へのイノベーションなのか、どちらの政権交代を選ぶのか、という意思と選択をはっきり示さなけりゃならねぇってわけだ。

熊   二つ目の選択は、連立選択だ。参議院選挙は政権選択の選挙じゃない。そしてここ二十年ほど、衆議院第一党が参議院で単独過半数を取れないことが常態化し、参議院で法案を通すために、連立が不可欠となった。そこで連立を組む小政党が、総選挙での得票(民意)をはるかに上回る影響力を、政権内で行使することになった。早い話、去年の総選挙で有権者が300を越える議席を与えた民主党マニフェストよりも、三党連立の「スーパーマニフェスト」のほうが上だ、てぇ非常識がまかり通るって寸法だ。

八   そこで、だ。どのみち連立が必要なら、どういう連立をすべきかを、有権者が選択しようってことだな。「コンクリートから人へ」と「国民の生活が第一」とが同居している民主党政権を、どっちの方向へ引っ張るかを、有権者が決めようということだ。

***引用はじまり***
「より自分の考えに近い政策が行なわれることを期待するならば、政権をとる政党ではなくて、連立を組む可能性のある政党に投票したほうが合理的だ。  政権党のマニフェストで納得できない点について、自分と同じ考えの小党が力を持てば、政権党は連立を組むさいに妥協を迫られ、政策パッケージの修正が必要になる。自分の望まない方向に政策パッケージが崩れることは誰も望まないだろうが、いい方向に崩れるのだったら歓迎だろう。」(歌田明弘 前出)
***引用終わり***

熊    ま、ぶっちゃけた話、@みんなの党がキャスティングボートを握る A公明党がキャスティングボートを握る B社民、国民(もしくは諸新党)が拒否権を振り回す という三択のうち、「最善」はどれか、「最悪」はどれか、って話だ。

八    ドイツはグリーン経済のトップランナーだが、その転機となったのは社会民主党と緑の党の連立政権だ。単独では過半数をとれなかった社民党が、ほかの政党とではなく、緑の党と連立することで、グリーンの軸から政策体系全体を再編し、環境と経済を両立させることで新たな成長に結びつける、という一種の政治のイノベーションを生み出した。つまり、小政党でもイノベーションの問題設定が鮮明なら、それが触媒の役割を果たせるということだ。

熊    みんなの党は「触媒」を自認しているが、公明党の現有議席は21だから、みんなの党がこれを上回れば、連立の選択肢としての存在感を持つ。みんなの党は「政策」を原則にしているし、それをあいまいにすれば、補完勢力になって存在意義を失うから、連立する場合でもアジェンダを明確にするはずだ。この場合、21世紀型政治へのイノベーションこそが、政権交代後のミッションだ、ということがさらに鮮明になるはずだ。その際に連立の窓口になるのは、分配政治の民主党ではない。

八    みんなの党は、これまでは「民主党の化けの皮がはがれた、しかし自民党に戻すわけにはいかない」というスタンスだったが、これからは「21世紀型政治へのイノベーションへの触媒」「民主党政権を、こっちに引っ張る」というスタンスで、やってもらいてぇもんだ。去年の総選挙では、政権交代の「その先」を見越して、比例では「みんな」に投票した有権者が300万、社民党を上回る数で存在していた。その民意は崩れてはいないはずなんだから。

熊    それは自民党内の改革派にとっても、援護射撃になるはずだ。最善のシナリオは、次の総選挙までに、財政と成長と社会保障をパッケージとした「連立方程式」、という問題設定を共通の前提に、財政健全化について、民主・自民の間で合意できるところを明確にしたうえで、違い(たとえば成長戦略の力点など)を競うという政権選択選挙のステージを準備することじゃないか。

八    Bが最悪のシナリオ、分配政治への逆行が息を吹き返すことになる。民主党が仮に40議席を確保すると、過半数に足りないのは20弱ということになるから「その他」をかき集めて野合、というパターンもありうることになる。ただし、社民、国民をはじめとする「その他」が伸び悩んだ場合は、この選択肢は消える。つまりこの選択肢を消す、という戦略的投票でもあるわけだ。 

熊    その意味でも、「捨てるべきもの」を明確にする必要がある。菅新体制に対して、マズゴミは相変わらず「小沢さんとの距離」をあれこれ騒いでいるが、そういう感覚そのものを終わりにしなけりゃな。それじゃあまるで、「会社は絶対倒産しない」という前提で、専務派、会長派、社長派が人事抗争を繰り広げるってぇ護送船団のサラリーマン、ゆでガエル・食い逃げ世代の発想そのものじゃないか。 

八    いまどき、まだそんなことやってるのは、アンタはJALか、みずほ銀行かってな。「会社は倒産しそう」なんだよ! 政権党であり続けることを前提に、党内派閥抗争を繰り広げるなかで鍛えられたという手腕、そういう「マネジメント」の時代、党の代表選や人事を、そういうレベルでしか考えられない時代を終わりにするこった!

熊    その一番の推進力が、参院選でのおれらの意思と選択だ。それを明確につきつけるような戦略的投票をしようじゃないか。

八    そして、21世紀型政治へのイノベーションを意識しているバッジ組が、そのために死力を尽くすことだ。菅新体制に変わった以上、もはや「小沢さんの影響力」のせいにはできないのだから。21世紀型政治へのイノベーションの方向を明らかにし、国民の支持を獲得できればできるほど、「逆行」の糸口は封じられることになる。バッジをつけた主権者と、バッジをつけない主権者の協働作業が問われる。

熊    そういう共有地は、来年の統一地方選の基盤整備にもつながるはずだ。その意味でも、参議院選挙での戦略的投票と、九月の民主党代表選挙は連動する。菅新体制を「小沢外し」という、ゆでガエル世代の派閥抗争レベルでしか見られない部分は、参院選で「分裂選挙」を仕掛けたり、九月の代表選で「数」を誇示しようとするかもしれない。そういう妄動を封じる、あるいは永田町の数を上回る「世間の数」(民意)で飲み込んでいく、そういう組織戦が、参院選から始まるってわけだ。

八    オイラのような者が口出しすることじゃないけどよ、こうなったら、与野党で合意ができているネット選挙の解禁だけ、サッサと通して、予定通り参院選をやったほうが、よかないか? せっかく鳩山さんがくれたプレゼントだ。この際、郵政法案は「審議未了、廃案」にすれば、WTOに提訴される恐れもなくなる。温暖化対策基本法は残念だが、この際、中途半端なところ(例 排出権取引制度が玉虫色)をもっと明確なものにして、出しなおしたっていいんじゃないか。

(注 郵政「改革」法案について、米・EUのWTO大使が、WTO違反との深刻な懸念を表明している)

熊    政権交代に託した民意は、21世紀型政治へのイノベーションだ。その方向への扉が半分開きつつある。この扉をさらに開けていこうじゃないか。このなかで、政治のイノベーションの担い手を押し上げていこう。

***引用はじまり***
なぜ昨年夏、政権交代が起きたのか。私は政権交代の最大の構造要因は、経済成長の鈍化と人口減少だと思っています。自民党政権の本質は、経済成長を前提とした分配の政治でした。ところが分配する資源は、はるか以前になくなりました。バブル崩壊から二十年、分配するものはもはやないはずなのに、ひたすら借金を積み重ねることで、過去と同じことができるかのような幻想を振りまいてきた。それによって、自民党政権は延命してきました。しかしこれが限界に差しかかった。このことが、政権交代を引き起こした最も本源的な構造要因だと思います。
ということは、新政権に求められるのは成長期の分配機能ではなく、低成長時代の国家経営機能である―これが私なりの定義です。低成長時代とは、新しいことをやるためには、旧いことをやめなければならない時代です。〜中略〜何かをやるためには、何かをあきらめなければならない。国家に、そういうトレードオフの経営判断が求められるという時代になったのです。
(小川淳也・総務大臣政務官 「日本再生」373号)
***引用終わり***

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石津美知子
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