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「がんばろう、日本!」国民協議会
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▼ Index
争点は「脱官僚政治」
官僚内閣制をこのまま続けるのか、スクラップするのか 
〜外堀長屋 マニフェスト検証大会 その2〜

□ 公開討論会
□ 外堀長屋の井戸端会議
□ 最高裁判事の国民審判
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《口上》
前回に引き続き、外堀長屋でのマニフェスト検証大会でございます。
今回は、立候補予定者による公開討論会の模様から…。
この選挙は、「政権選択」が最大のテーマでございます。したがって政権獲得の可能性のないところについては、失礼ながら、端折らせていただきました。ご容赦のほどを。
となると、アノ党とアノ党ですね。ここではあえてA党、B党としました。賢明なる読者のみなさんには、すぐにお分かりになることと思いますが。

【第一場 公開討論会】

司会  それではこれより、立候補予定者のみなさんの公開討論会を行います。時間の関係もありますから、世論調査なども参考にして、実行委員会でテーマを絞り込みました。今日は内政を中心に進めたいと思いますので、よろしくお願いします。まず、消費税について。

A党候補  少子高齢化社会を迎えるなかで、みんなが広く負担するという意味では消費税の増税は避けて通れないと思っています。われわれは責任政党ですから、財源の裏づけのない無責任なことは言えません。ですから平成23年度までに税制の抜本的改革に必要な法整備を行います。ただし、消費税増税には条件があります。ひとつはムダを徹底して省くこと、そして経済が上向くことです。それがなければ消費税は上げません。年金制度の安定のためにも、子育てや教育のためにも、まずは経済成長が必要です。

B党候補  消費税が重要であることはもちろんです。しかし片方でムダを削ると言いながら、片方で増税することが決まっている、となったら本気でムダを削れるでしょうか。私たちが、四年間は消費税を上げないとお約束しているのは、それによって本気でムダを削る、ということです。「福祉予算を削れるのか」と言われますが、この中にはハコモノの建設費も人件費も含まれているんです。社会保障の看板の下で、官僚政治がどれだけむちゃくちゃをやってきたか、「ねじれ」国会でもみなさんがご覧になったとおりです。ここを変えずに、みなさんに負担をお願いするわけにはいきません。
ところでみなさん、消費税導入の時も、税率アップの時も、選挙でみなさんに問うたことがあったでしょうか。税の問題こそ、選挙の時に国民に問うべきですよ。選挙では何も言わず、後から持ち出してくるのでは、それこそ「白紙委任」です。だから私たちはまず四年間は消費税を上げない、徹底してムダを削る、そのうえでどうしても増税が必要なら、四年後の選挙のときにきちんとマニフェストに書いて、みなさんに問う。そうお約束しているのです。

司会  それでは、お互いに質問をどうぞ。

A党   B党さんは、子ども手当や高速道路の無料化、高校の無償化などを打ち出していますが、やはり財源が不明です。確かにムダはあります。われわれもムダ撲滅に取り組んできましたから、分ります。しかしやはり、経済成長なくしては福祉の財源も生まれません。B党さんのマニフェストには、この経済成長戦略が抜け落ちています。

B党   そこは現状認識が決定的に違います。「人に対する投資」こそ、最大の成長戦略です。限られた現在の財源を、教育と子育てに注ぎ込んでこそ将来が開ける、これがこれからの成長戦略です。財源が限られている、といって数合わせで社会保障費を毎年2000億円削れば、社会の底が抜ける。それで経済成長ができるんですか。
医療や介護は、需要があるのに供給が追いついていないんです。なぜか。お金の配分が間違っているからです。そういう分野に投資する、しかも霞ヶ関を通さずに直接、みなさんに給付する。そこから内需に弾みをつけるということです。
福祉や社会保障を「カネ食い虫」というのは、通産省のエリート官僚が産業政策を作っていた時代、右肩上がりの時代の発想です。そういう時代はすでに終わりました。福祉や社会保障は、成熟社会では新しい成長分野なんです。こういう発想の転換が必要なんです。
さて私からの質問は単純です。ムダを撲滅するといいますが、三百議席も持っていて、なぜこの四年間にできなかったんですか。

A党   その点は率直に言って、忸怩たる思いです。

司会   続いて地方分権についてお願いします。

A党   われわれはマニフェストのトップに地方分権を掲げています。知事会から要望のあった直轄負担金の見直しや、国と地方の協議機関の法制化、さらには道州制についても2017年までに導入と期限も明確にしています。

B党   道州制といっても、人によって考えていることはまったく違うんです。霞ヶ関の言う道州制は、地方を大括りにして安上がりにしようという「行政整理」です。三位一体改革の時も結局、地方財政の自立のメドはつかず、中央の赤字を地方にツケ回した結果になりました。それと同じ発想ですね。私たちは、「霞ヶ関の解体なくて分権なし」であり、霞ヶ関が握っている権限と財源を可能な限り基礎的自治体に移す、ということです。「霞が関は無傷で、地方だけが大くくりになって自治が後退した」ということでは、本末転倒でしょう。
ここでみなさんに覚えてもらいたいのは、地方自治には「団体自治」と「住民自治」があるということです。団体自治というのは、都道府県や市町村といった「地方公共団体」による自治のことです。国から地方に権限を移すというのは「団体自治」の話ですが、権限を移された自治体が住民の意志で運営されていなければ、いくら分権しても何の意味もありません。ですから一番大切なことは、住民自治なんです。その根本がずれてしまったら、分権の議論は、住民とは何の関係もない「国と地方の分捕りあい」にしかなりません。

(以下、省略)

【第二場  外堀長屋の井戸端会議】

熊    え〜それでは、公開討論会を聞いたうえで、オレらの検証大会の続きをやりたいと思います。

お松   政権交代ってわりには、自民も民主も「カレーライスか、ライスカレーか」の違いくらいしかないって言うエライ先生もいるみたいだけど、話を聞いてみりゃ案外違っているじゃないか。Aさんはさすが、政策の説明はうまいけど、国民の政治参加って感覚、目線はまるでない。Bさんは、政治と国民の関係を変えるってところから全部説明していたってことくらいは、アタシにだって分ったね。

お梅   消費税の話なんか、ナットクだね。たしかに言われてみりゃ、一度だって選挙でアタシらにちゃんと聞かれた覚えはない。こっちは「お任せ」した覚えはないのにさ。これが官僚政治ってことかね。マニフェストだって、キレイゴトを並べてるだけならこれまでと何も変わらない。官僚に任せっぱなしじゃなくて、国民との約束を守れる政治でなけりゃ、マニフェストで判断してくれ、と言われたって無理な相談だよ。

八    だから、政権政党には「四年前の証文はどうなったのか」「どこまで約束を守ったのか」を、まず問わなけりゃならねえわけだ。キレイゴトをいくら並べても、「言いっぱなし」じゃダメだ。野党には、約束を守る覚悟、本気度を確かめなけりゃならねぇ。官僚政治を続けるのか、変えるのか、そこが最大のリトマス試験紙ってことだ。

お梅   そこからすると、「三百議席持っていて、なぜムダ撲滅ができなかったのか」ってのは、イタイところをついていたね。選挙前のドサクサにまぎれて、駆け込みの天下りはするわ、大臣はそれを容認するわ、役所は予算のムダを点検する作業の中止を要求するわと、霞ヶ関はやりたい放題だよ。

三吉   でもよ、民主党のマニフェストのほうも、米国とのFTAやインド洋での自衛隊のガソリンスタンド、国と地方の協議の追加といった修正が相次いで、なんだかフラついてるように見えるんだけど。

熊    国民との協議の中で、マニフェストを修正すること自体は、おかしいことじゃない。こういう議論をしてこう変えた、ということが明らかになるなら、そのほうが真っ当だよ。問題は、そういうことは選挙の直前にやるんじゃなくて、本当なら一年、二年かけてやっていくことだってところだ。民主党の場合は一応、この四年間の蓄積から作って「金庫にしまってある」ものを出してきましたってことだが、自民党のほうは、いかにも役所が出したものをあわててホチキスで綴じたって感じで、役所言葉があちこちに出てくる。

八    先に出すとパクられるからって言うが、パクッただけなのか、業績評価の裏打ちがあるのかくらい、オレらだって少し考えれば分る。その国民のリテラシーってものを、もう少し信じるべきだよな。一年かけてオープンに議論していれば、利害関係者の横ヤリでフラついたのかどうかってことだって、厳しくチェックされるし、本気で政権交代する気があれば、そういういいかげんなことはできないってことになる。官僚政治を打破する政権担当能力ってのは、そうやって鍛えられるもんじゃねぇのか。

お松   マニフェストの検証ってのは、どういう政策を並べているかってだけの比較じゃないんだね。公開討論会を聞いて分ったけど、結局何が一番の違いかっていえば、霞ヶ関に任せっぱなしにする官僚政治をこのまま続けるのか、それともそれを変えるのかってことじゃないのかい?

お梅   たしかに道州制の話にしても、今の官僚政治を前提にしているのか、脱官僚政治で言っているのかで、中身は全然違ってくるね。社会保障の財源の話だってそうだよ。官僚政治が前提になっていると、「社会保障の財源のためにも経済成長が必要」ってことに何の疑問も持たないけど、そもそも前提が違っているんだよね。

熊    まあイマドキ、世界に冠たるグローバル企業のお歴々が、政府に経済対策をお願いするって、いったいどこの途上国の話?って感じだもんな。ブッシュ政権下のアメリカだって、グローバル企業はグリーン経済の国際競争力のために、キャップ・アンド・ドレードの導入を要請するって時代に、「環境は経済にマイナスだ」って20世紀型の発想しかしない経済界と経済官僚が考える「経済成長戦略」なんか、タカが知れてるってもんだ。

三吉   エリート官僚が国を豊かにするために粉骨砕身した「旧きよき時代」のノスタルジーも、オレらロスジェネ世代には「今さら何を?」って感じ。

八    ねじれ国会を思い出してみよう。「ねじれ」のおかげで、これまでの官僚政治では当たり前のようにスルーされてきた問題が、次々と明らかにされた。暫定税率しかり、年金記録問題しかり、薬害肝炎しかり。官僚政治に任せっぱなしの自民党政権のテイタラクも明らかになった。これをこのまま続けるのか、スクラップするのか。これが最大の争点なんじゃねぇか?

熊    偉い先生によると、こういうことになる。
「われわれの前にあるシナリオは次の二つである。
第一は、かつて自民党が作った仕組みを新しい政権政党が基本的に承継・模倣する場合である。この場合には、政権政党が入れ替わっただけで政と官をめぐる問題は相変わらず雑然としたままであり…(中略)
第二は自民党が作ってきた仕組みをスクラップして、新しい政官関係をルール化する場合である。(中略)この第二の選択を追求しようとするならば、政権交代は単なる手段ではなく、ある種の目的になる。(中略)政党による政治家の制御(*マニフェストによる自己統治など)なくして政権政党はあり得ず、それを前提にして初めて政による官の『使いこなし』や真の政治主導体制への展望が開けてくる。このように政権交代論が政策内容の総意を越えた、広範な関心を喚起するのにはそれなりの合理的な根拠がある」(佐々木毅 8/3読売 *は引用者)

三吉   えらく難しく聞こえるが、オレ流に解釈すれば、政権交代が大目的で何が悪い、個別の政策のアレコレ以前に「官僚政治をこのまま続けるのか、スクラップするのか」それが最大の争点だ!ってぇ話だろ。

八    民主党は個別政策の詳細な説明にこだわるよりも、「脱官僚」の単一争点で勝負すべきだ、という指摘もある。(上久保誠人 http://diamond.jp/series/kamikubo/10030/)

熊    そこで、だ。脱官僚政治には、大きくふたつのことが必要になる。ひとつは佐々木先生も指摘している政党の改革だ。早い話、マニフェストも官僚にお任せ、「何が国民との約束なのか」も党内で意思統一できない、内輪の都合で「表紙」を変える。こういう政党に政権運営はできないってことが、この四年間ではっきりしたわけだ。少なくともマニフェストで一致して選挙を戦い、総力を挙げて国民との約束を果たすことができる政党でなければ、官僚政治を打破することはできない。

八    もうひとつ、ここが肝心なところだが、国民の政治参加だ。暫定税率の時のことを思い出してみよう。これまでは自民党本部や霞ヶ関、要するに国会以外のところで族議員や官僚、場合によっては派閥のボスが談合して決めていたことが、「ねじれ」のおかげで国会というオープンな場で議論されるようになった。これが政治主導ってモンだ。オレら国民と政治との距離は、官僚政治の時とは大きく変わるはずだ。
オレらも選挙のときに一票いれるだけじゃなく、そいつらがオレらとの約束をちゃんと守っているか、検証し、説明責任を求める。議員のセンセイとは、役所に口利きしてもらうツテとしてじゃなくて、選挙での約束をどう実行しているか、で関係を深めていかなけりゃならねぇってわけだ。

お松   アタシらがそれをサボったら、官僚政治は生き延びるってわけだね。劇場型選挙で盛り上がった後は、結局アタシらもテレビ見て文句言ってるだけだったもんね。

お梅   でも隣町のCさんのところじゃ、毎月オープンミーティングをやって、最初は二、三人だったのが、いまじゃ毎回二百人は集まっているよ。チラシの配布もそういう人たちがボランティアでやるんだって。与党だろうが野党だろうが、そういう地に足のついた活動をしている議員が、結局は霞ヶ関に任せない政策づくりや政治の運営の地力をつけてきているんじゃないかい。

お松   市議会の議会報告だって、はじめのうちこそ「あの道路を直せ」とか「この街灯を整備しろ」とかいう話が多かったけど、今じゃ「市民病院の経営をどうするか」「市の負債残高はどうなってるか」「小学校の耐震工事と公民館と、どっちを優先すべきか」なんて議論を、市民と議員がやってるもんね。議員だって「委員会の時よりも勉強して来ています」って言ってるよ。

熊    オレら有権者から選ばれた議員が議論して、決定するのが議会だ。国会にしろ地方議会にしろ、その議論が市民や国民に開かれていて、市民や国民が参加できる。それが民主政治ってもんだろ。政権交代が当たり前にあるってことは、そういう民主政治をつくるってことだ。
官僚政治では、その肝心の議会が「儀式の場」になっちまった。決定は議会の外、政府の外、非公式な場の談合で行われ、そのプロセスはブラックボックス。だから「誰と誰がいつ料亭で会った」という話を追いかけることになるんだ。政治主導ということは、与党の議論は政府の中に一元化する。閣僚でもない与党の大物がアレコレ口は出すが、説明責任は問われない、というバカなことは終わりになる。

八    政治なんて誰がやっても同じ、というのは官僚政治、「お任せ」政治の決まり文句だったが、脱官僚政治では政治の決定過程がオープンになるから、「誰がやっても同じ」とは言ってられなくなる。決定過程が国民に見えてくれば、世論にしろ輿論にしろ、それによって政治が動くことが見えてくるはずだ。オレらの政治参加ってものも、問われるってもんよ。

お梅   公開討論会も聞いたし、マニフェストも見比べたんだから、ひとつここは○○党の□△さんの選挙活動に、これから参加してみようか。どうだい、みんな。

《終わりに一言》
総選挙と同時に行われる、最高裁判事の国民審査。
「一票の平等」は民主主義の基盤にとってきわめて重要な問題ですが、一票の格差が三倍以上となった選挙区は56にもなります。この状態を最高裁判決で肯定した那須弘平判事、涌井紀夫判事に国民審査で判断を下す。これも主権者としての重要な意思表示です。
参照 一人一票実現国民会議 http://www.ippyo.org/index.html


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石津美知子
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