電子瓦版(転送はご自由にどうぞ)
━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━ 
メルマガ♯がんばろう、日本!         108(07.12.11)
━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━・━
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
==================================
▼index
□ 07望年会 代表スピーチ

内外政治の激動的動きが始まる2008年
これに対応できなければ、健全な政権選択選挙の実施は困難となる―情勢
健全な政権選択選挙を準備するための障害物をいかに取り除いていくか―行動指針

◆07年の転換に、どこまで対応できたか
◆2008年、内外情勢の激動的展開と政党政治の知恵
◆国民主権・住民自治の原理で政治を動かす、政治構造改革の第二ステージへ
◆エピソード 議会を監視する市民運動/議会としかと向き合う市民運動

□ お知らせ
◆第五回大会 記念シンポジウムと懇親会 
==================================
07望年会 代表スピーチ


内外政治の激動的動きが始まる2008年
これに対応できなければ、健全な政権選択選挙の実施は困難となる―情勢
健全な政権選択選挙を準備するための障害物をいかに取り除いていくか―行動指針

【07年の転換に、どこまで対応できたか】

昨年の望年会では、2007年をどのような転換として迎えるかということを提起した。@脱2001年体制への移行が本格的に始まること、Aグローバル経済・グローバル市場を前提とした問題設定、マネジメントが全面的になること(このことが前提にならないと、小泉改革の「光と影」の総括もできない)、Bそのなかでの政策転換の視点とはどういうものか(グローバル時代の社会的市場、社会的公正)。

この転換にどう対応しようとしてきたのか、どこまで対応できているのか。これが2007年の総括。
世界は完全に、グローバル経済を前提にした運営や駆け引きになっている。米中は、対立でも接近でもない「融合」の構造にあり、サブプライム問題に端を発した世界経済の動揺は、90年代後半のアジア金融危機とは比べものにならないほど、グローバル化が深く構造的に進行していることを示した。
わが国はこれに対応できていない。六者協議は好むと好まざるとにかかわらず、「北朝鮮の核問題」を媒介に朝鮮半島の脱冷戦プロセスへという流れはほぼ確認された。拉致だけの問題設定ではここに関われないことははっきりしたが、転換は準備されていない。

2008年は、こうした転換がさらに激動的な動きとして展開する。
ここ数年は、グローバル経済下での稀にみる世界同時好況だった。パイはものすごく大きくなっている。例えばアジアやロシアの外貨準備は、十年前の五倍に膨れあがっている。これが調整局面に入る。世界同時恐慌にならないようにマネージしなければならないが、過去の経験だけでは通用しない。1930年代はグローバル経済ではなかったのだから。同時に原油価格が高騰し、環境悪化も深刻になり、バイオエネルギーのために(二酸化炭素を吸収する)アマゾンの熱帯雨林を伐採して大豆を植える、というようなことがそこら中で行われている。
このような大激動に、ヨーロッパもアメリカも中国もそれぞれ、試行錯誤しつつ全力で対応しようとしているが、日本にはそのような構え方自体が見えていない。

アメリカは民主、共和どちらが大統領になってもブッシュの単独主義は軌道修正される。中国も困難を挙げればキリがないが、今回の人事で五十代の二人を常務委員会に入れて、ポスト胡錦濤のリーダー陣形を決めた。つまりこれから十五年間の中国をどういう指導体制、どういう人物でマネージしていくかを決めている。日本とは構えが全く違う。
ヨーロッパは環境を共通利益として、環境を組み込んだ世界経済システムへの転換の主導権をとろうと対応している。調整期、パイが小さくなるときに、排出量取引などを媒介に、市場経済のシステムそのものを組み替えよう、それをもって世界経済のシステムやルール設計を主導しようということ。ポスト京都議定書の枠組みづくりは、(第二次大戦後の西側世界の経済のルールとなった)ブレトンウッズ体制に匹敵するものとなりうる。
だからブッシュ政権では後ろ向きだったアメリカも、新政権では本格的に関わってくることになる。

日本は、省エネ技術や生活改善運動でCO2を減らしましょうというレベル。参院選では、かたや「美しい国」、かたや「政治は生活だ」と。世界的な転換に対してどう対応するか、という議論はいっさいなかった。こうした転換を生活感覚で感じている有権者との接点も持てていないから、「ずれまくり」ということになる。内外の大きな転換に、国内事情から対応しようということでは、「内政ごっこ」と言われることになる。「政治資金を一円から厳密に」というのは、清く正しいことだが、もっと大きな根本問題が問われているときにこれでは、転換に対応できている、できていない以前の問題。「ずれまくり」とはこのこと。

日本以外の国は、新たな戦略的観点から転換に対応する型がみえてきている。日本は何の準備もできていない。
安倍辞任や大連立騒動には、こういう背景がある。単純に安倍さんが三世のボンボンだからとか、小沢さんが経世会出身だからという話ではないし、国民主権、政権選択選挙が重要だということがわかっていないから、というだけの話でもない。

【2008年、内外情勢の激動的展開と政党政治の知恵】

2007年の転換から、内外政治はさらに激動的に展開していく。
そこから派生する「ついてこられない」人々の独特の不信感、不安感が社会に増幅する。石油価格の高騰で物価がじわじわ上がっている。これで少し不況になったときには、日本でもインフレと不況が同時進行する。今の感覚で、物価が上がってなおかつ収入が安定しないということになると、本当に「食えない」という層が出てきて、本当の意味の貧困問題が浮上する。これまで日本には貧困対策はない。右肩上がりを前提にしているから、貧困は「ない」ことになっていて、失業や生活保護等は例外としての措置。

こういうことも含めて内外の激動、そこから派生する不安感が増幅する。しかも既存政党のキャパシティーを超えて。それに対する既存のリーダーのなかの焦り、ここからファシズムや翼賛体制が生まれる。多様な庶民の分解に対応できないんだから、お互いの既得権を守るためにも、小異を残して大同につこうと。戦前の翼賛体制もここから始まっている。

欧米諸国では第二次大戦の時でも、基本的に政党が選挙で民意を問うて政府を運営した。ナチスは選挙で政権に就いたから、「ナチス政権を選んだのは自分たちだ」というドイツ国民の反省も生まれた。戦前の日本は政党が解散して翼賛体制。こういう歴史的事実を知らなければならない。
フォロワーとしても、こういう大激動にどう対応するか、ということを問わなければならない。それがなくて、安倍ちゃんは三世議員でヤワだからとか、小沢さんは経世会だから、ということで何かしら分かったつもりになっていたのでは、世の中を変えようという真の改革運動は起こらない。
バッジをつけないほうが、ここで「リーダーのお手並み拝見」としらふになったら、戦前に越えられなかった国民主権の課題に、この歴史的激動の中で挑戦することはできない。そういうことをしかと頭に入れるように。

例えば2.26事件は1936年。その直前2月20日の第18回総選挙で、二大政党らしき形はいいところまでいっている。普通選挙は1928年からだから、その八年後のこと。小選挙区になってから今年で十一年。二大政党、政権選択選挙は定着しつつある。同じような時期の総選挙。
2.26事件はみんな知っているが、その直前2月20日にいいところまでいった総選挙があった。そのダイナミズムを知らずして、2.26事件だけを語ったのでは歴史の教訓にならない。歴史の激動期には、プラスのように見えることと、後からみればものすごいマイナスのようなことが同時に起こる。民主主義の発展というのはそういうパラドクスを伴う。このことをしかと心得なければならない。

例えば、政務調査費の問題を追及する市民運動は、簡単に言えば、議会を監視の対象としている。とんでもない金の使い方をしていて、情報公開もしないという議会ならいざ知らず、議会は監視する対象ではないはず。
2.26よりも前に国防婦人会や在郷軍人会が組織されている。彼らは例えば、斉藤隆夫の粛軍演説を「非国民だ」といって監視した。マニフェストで議会の基準が示された。それがちゃんと実行されるか、それで議会が回っているか、検証しなければならないが、検証と監視とは全く違う。政務調査費で議会を監視する市民運動とは、どういうものなのか。歴史の教訓にひきつけてフォロワーとして考えるべき。
一方で、マニフェストに基づいて「議会としかと向き合う」市民運動の展開も見えてきている。

【国民主権・住民自治の原理で政治を動かす、政治構造改革の第二ステージへ】

ここでの構え方の基本について。

第一に、健全な政権選択選挙の障害物をいかに取り除いていくか、という問題の立て方をして、ここから議論する。「何をなすべきか」よりも「決定的な誤りを犯さないように」「何をしてはならないか」。ここから歴史の教訓をひもとき、浮き足立たず、重心を低くして知恵を絞ること。マイナスをひとつずつ取り除いていく、その議論とプロセスを共有してはじめてプラスの関係が回るようになる。これを覚えること。

第二。だからこそ常に国民主権、住民自治の原点から教訓を語り、ここから政治構造改革の第二ステージを回す。政治構造改革ということが見えていなければ「地方分権」「小選挙区制」「マニフェスト」などがバラバラになり、既得権のなかの分捕りあいにしか帰結しない。「地方政府」「政権選択選挙」のためのツールとしてそれらを使いこなす、そういう主体形成を一歩一歩蓄積していくこと。

三点目。ようやく日本でも権利を共有するところまではきた。主権在民という権利。しかしそれを実行するための義務を共有するところまではいっていない。
政権選択選挙とか二大政党という問題設定を否定する人は、街頭でもいなくなった。わかります、そうですよねと。しかし問題を解決するための参加の義務、実行のプロセスの共有が伴っていない。バッジをつけない主権者の主体性が、ここで問われている。
環境問題でもしかり。生存の危機意識は共有しても、それを止める制度や社会システム創出の義務からは自由でありたいと。これではゼロサム・ゲームのままで、社会連帯は生まれない。

問題設定を共有するところから、問題解決のためにいっしょにやりましょう(義務の共有)と。その気づきを、どう作り出していくか。これは本人が内的に気づかないかぎり、できない。「知る」と「分かる」とはまったく違う。「知る」は私的理解の範疇でもできる。しかし行動してみなければ、やってみなければ「分かる」とはならない。
「政権交代? そうよそうよ」。しかしやってみると、マニフェストを見て選択するのは、フォロワーにとっても責任が重いことだと、そこで初めて気づく。「知る」から「分かる」へ。自分がやってみてわかったことを、他人に伝えようする。
そこから活動がはじまる。どうやって伝えるか、どうやって実行のプロセスを共有するか、そこで「討議」になる。このなかから、ガバナンスとかマネジメントの意味が見えてくる。一生懸命言えばいいというわけじゃない、時代の変化をとらえきってやらないかぎり伝わらないと。ここで「悟る」。

問題設定の共有までは急速に広がっている。解決のための義務の共有、ここに持っていくためには、「知る」から「分かる」へ。参加してもらってはじめて「分かる」。討議というのは、自分が私的に理解できるかどうかで始まるのではない。「分かる」そして「どう分かったか」というところから討議が始まる。ここで「言い合い」とはどう違うのか、気づく。

議会は執行部の提案にイエス、ノーを表明するだけではない、討議するところだということが、ようやく最近わかってきた。問題設定を共有するだけなら、「わかった、わからない」ですむから討議は必要ない。問題解決のプロセスに参加してもらう、そこの苦労を共有してもらう、ここではじめて討議が始まり、連帯が可能になる。
マイナスをひとつずつ取り除いていく、そのプロセスを共有することから、プラスの関係の糸口が生まれ、多くの人が自覚と意思を持つ糸口が作られる。この基礎のうえにこそ、社会的連帯が可能になる。社会的連帯(問題解決のプロセスを共有する)という観点が欠けたところに、社会的公正の政策はありえない。

したがって、政党や議会を国民主権・住民自治の発展のために「うまく使いこなす」、そういう構え方が必要。そして使い勝手の悪い制度やシステム、慣習はよりよいものに取り替える、主権者の側から更新するすべを持つ。そうやってマイナスを取り除いていく側から議論をして、プラスの関係が回るようにする。
これで主権者運動を展開し、激動の前に準備なく右往左往する「ずれまくり」までを、決定的誤りにならないようにマネージしていくことが必要になる。

(五回大会(1/6)のシンポジウムでは、こうした観点から議論を回していくことに挑戦します。)

【エピソード・議会を監視する市民運動/議会としかと向き合う市民運動】

●議会を監視する市民運動と、活動を自粛する議会とは
A市議会では、市民からの監査請求を受けた外部監査によって、政務調査費の不適切な支出が問題になった。年内には、この監査結果に対する訴訟が提起される見通しだという。これをうけて議会各会派は、年内いっぱい「酒食を伴う会合への出席を自粛する」と申し合わせた。酒を片手に談笑しているところをテレビカメラに撮られたのではたまらない、ということのようだ。
マニフェストで一歩前進した「開かれた議会」は、たちまち二歩後退した。年末は忘年会の季節。議員にとって忘年会は、単なる飲み食いの場、身内に酒をついで回る場なのか? 松田・神奈川県議会議長は、「われわれは運動会でもあいさつして終わりじゃない、いろいろな人と話しこんで、肌で民意を感じてくる」と述べている(「日本再生」343号)。忘年会は、民意を肌で感じ、つかむための重要な活動の場ではないのか。それを「自粛」してどうするのか?
議会を監視する市民運動を非難するのは簡単だ。マスコミ、とくにテレビの煽り報道には、普通の市民もうんざりしている。問題は、そういう「狭い」市民までを包摂するような、マニフェストの検証活動であり、まっとうな議会活動を既存のマスコミをパスして伝えていく活動の質と量が問われているということではないか(343号・関西政経セミナーでの議論を参照)。バッジをつけない主権者運動の課題は具体的だ。

●議会と「しかと向き合う」市民運動
B市では、副市長を二人から一人に削減する条例提案が否決された。統一マニフェストを掲げた三会派の共同提案だが、議席数でいまひとつ届かなかったからだ。現状の議席数は、次の選挙まで変わらないので、これからもマニフェストに基づく提案をしても通らないことになる。そこで、請願運動が始まった。注目点は、「副市長一人制」の請願ではないこと。趣旨は、「議会では反対討論なしに、否決されたが、反対討論がないのになぜ否決になったのか」「選挙のときは全員『財政改革』を公約したのに、なぜ副市長一人制に反対なのか。反対した理由、公約との関係を説明してもらいたい」というもの。つまり「市民として、議会としかと向きあおう」と。したがって、議員後援会としての活動ではない市民運動として展開されている。
地域を回ってみると「議会がそういうことになっていたとは、初めて聞いた。検討するから、今日のところはビラと署名用紙を置いていってくれ」といわれ、翌日「署名したから取りに来てくれ」という電話があるなど、じわじわと集まっているとのこと。


□◆□ お知らせ □◆□

《第五回大会》
08年1月6日(日)午後1時より
アルカディア市ヶ谷(私学会館)
○記念シンポジウム(第一部・第二部)
○懇親会 (シンポジウム終了後)
詳細は343号を参照してください。

会員以外の方も参加できます。
ぜひお誘いあわせてご参加を!

《機関紙「日本再生」 343号 12/1》
一部を紹介すると
●神奈川県会議長のインタビュー 「議長マニフェストによる議会改革」
●関西政経セミナー(11/11開催)では、枝野議員と京都の同人議員が、
国民主権・住民自治の原理で議会を動かす「議会改革」について議論。


******************************* 石津美知子 「がんばろう、日本!」国民協議会 http://www.ganbarou-nippon.ne.jp TEL 03-5215-1330 FAX 03-5215-1333