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メルマガ♯がんばろう、日本! 49(03.5.15)
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▼index
一心太助、幕政にモノ申す 〜外堀長屋の選挙戦顛末記
□ 口上
□ 第一幕 戦力の逐次投入
□ 第二幕 やむをえない戦争
□ 第三幕 「顔」でとるか、「政策」でとるか
□ 第四幕 政治文化の入れ替え戦は始まった
■お知らせ
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一心太助、幕政にモノ申す 〜外堀長屋の選挙戦顛末記
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□ 口上
今回の統一地方選、みなさんはどうされましたか?
バカらしくて行かなかった? そいつは困りものですね。それで「政治家」を批判す
るってのは、ちょいとお門違いじゃござんせんか?
「いい候補者」がいなかった? それもそろそろ、主権者としちゃあ、サボってると
言われますぜ。例え欠陥品の候補者でも厳しく育てるってのが主権者の務めだってぇ
市民は、あちこちに出てきておりやすからね。
さて、ここんところ外堀長屋じゃ、ちょいとした騒ぎでした。なにせ“ぼて振り”の
太助が市議会議員に立候補するってんですからね。
これはその選挙戦の一部始終のお話です。ちょいと長くなってしまいましたが、どう
か最後までお付き合いのほど、よろしゅうおたの申します。
ベースは事実に基づいておりますが、物事を分かりやすくするために、随所に工夫・
細工をほどこしておりますこと、なにとぞご了承ください。(芸術の真髄は虚実の皮
膜にあり、とか申すじゃござんせんか)
(舞台そでから「なにを気取ってやがるんでぇ」のヤジあり)
□第一幕 戦力の逐次投入を叱る
総無責任連鎖から生まれた責任意識=疑似主権者からの脱皮
●戯作者
外堀長屋はこのところ、“ぼて振り”の太助が市議会議員に立候補するという話で持
ちきりでございます。何でも四年前には五票差で泣きの涙をみたそうで、この三年間
は、明け番の時にずっと駅に立って演説していたというじゃございませんか。
なになに、最初の頃は自分が立候補するってことじゃなくて、「がんばろう、日本!」
の同人になって、一主権者の務めってことでやっていたんだって? だそうですよ。
それを見て応援しようという奇特な人が出てきて、やっぱり出ようという話になった
そうでございます。
何でも下ッ引きの辰までが手伝いに入ってるだけでなく、「がんばろう、日本!」の幹
事をお務めの岡田清兵衛殿までが、お目付け役とかなんとかいって引きずり込まれて
いるそうでございます。
●岡田清兵衛の回想
じつのところ今回の選挙では、代表からの叱責がなされるまで「太助さん(個人)の
選挙」の性格を、「がんばろう、日本!」の性格の選挙に持っていくという組織責任
の自覚は、誰にも見られなかったことは事実であり、そこから「がんばろう、日本
!」の選挙(組織活動)に転換するように頑張ったことが、今回の選挙を通した組織
活動の成果であったと思います。
代表の叱責を誰がどのように受け止め、その連鎖がどうなっていったのかというとこ
ろに今回の活動の実質的な出発点があると思います。(たとえ気持ちだけだという批
判を受けたとしても)代表の叱責を真正面から受け止めた責任性において、太助さん
以上のものは誰にもなかったというのが私の実感です。
事務所開きで太助さんが、「自分は、吹雪の冬山登山で引き返す勇気すらないシロモ
ノだが、その事実から逃げずに一主権者として脱皮に挑戦する」と言ったところか
ら、転換が始まったと思います。私もそれを受けて、選対全体の仕事と責任体制を、
会社での業務並みのものにすることとしました。
太助さんの姿勢に誰がどう反応していったのか、そこから選対の人間関係がどのよう
に再構築されたのか、そして現場の作業にどう反映されていったのか、その流れの実
態を明らかにすることが活動家の役割であり、私もその観点から総括をやり直すつも
りです。
●太助の回想
「政権交代可能な政党政治確立の移行期を国民主権の力で突破しよう」これが今回の
選挙の命題でした。
この命題に即した準備や組織戦が問われましたが、被選挙権を行使する者としての基
本的な手順、段取りを全く踏まずに選挙戦に突入することになり、しかもこのことを
分かっていてできなかったというわけではなく、意識せずに立候補をしようとしてい
たのです。
従って口では「稼ぎの責任から務めの責任へ」と言ったところで、結局はバッチをつ
けたい、旧来の依存と分配の政治文化への変形的追認となっていました。
それは組織活動の基本である機関紙の拡大、定期購読から(各地で同人が行ってい
る)「読者会」の組織化と定期開催(二人からでも始められた)、各種講演会、囲む
会への参加、越谷・戸田代表を囲む会の開催という最低の「定石」が目的意識化され
ていることが準備の条件でした。
この欠如は、3月29日の市議選突入集会という投票1ヶ月前の段階でも会場に機関
紙やパンフを宣伝、販売することさえ意識しない状態として露呈していました。
当然三つの頭金(看板=公約・政策、地盤=政策の支持者・信頼関係、カバン=自前
の資金計画)の何一つとして準備できず、「がんばろう、日本!」からの戦力の「逐
次投入」という決定的無責任体質へずるずると引きずられていく結果となりました。
代表からは、準備なくして冬山登山に向かった以上、「引き返す」というのが最低限
の責任のとり方だと叱責されました。しかし私は引き返す勇気もなく、ただ一人何の
社会的意味もなく死んでいく道を悲壮感で選ぶことを「肝を決める」ことと勝手に思
い込む誤りを犯しながら、事務所開きを迎えました。
ここから何とか脱却できたのは、代表の指導による、主権者として同人としての責任
の転換をどうはかるのかということでした。
例えば、候補者然となっていることをどう変えるのか。かつての社会党的選挙活動の
体質から、「候補者は選対会議では出来る限り発言を慎み本部長に任せる」ことが
「良い候補者」であるとして、このようにふるまうようにしてきました。
しかしこれこそが無責任体質です。国政選挙ならイザ知らず、市議会議員選挙で候補
者が選対を統治することができずして、何が政治家の端くれか。この反省から毎日の
朝夜の打ち合わせ、問題解決の提示とその最終責任の表明、透明性とアカウンタビリ
ティを選対及び自らに課すことを実践しました。
●下ッ引きの辰の回想
あっしはまるで、「がんばろう、日本!」の選挙だってえ意識がありやせんでした
よ。これこそが無責任体制だったんですね。いゃあ、「政治文化の入れ替え」ったっ
て、誰がそれを体現するのか、誰が責任を持っているのか、それが選挙に関わってく
る人たちにも見えるようになるにしたがって主権者への脱皮が促進されるなんて、考
えてもいませんでしたよ。
確かに戦力の逐次投入がこっぴどく叱られて、太助さんが「自分が責任をとる」って
ことを事あるごとに示すようになってからは、事務所の雰囲気も活動も変わっていき
やした。
事務所開きのときに、大家さんが太助さんの決意を聞いて「わしらも江戸ッ子じゃ、
そこまで言われたら、応援しないわけにゃいかんだろう」とみんなに言ってくれたと
きには、思わずジーンとしちまいました。後から「戦が始まる前から泣いたりわめい
たりしてどうする!」と、親分にはどやされましたっけ。
前回の選挙でも応援してくれた一口坂診療所の竹やぶ先生は、このときから毎日のよ
うに、診療が終わった後、夜の八時から夜中まで、飲み屋やスナックをはしごして、
顔見知りに声をかけてくれたそうです。もちろん、この間の飲み屋通いはお内儀公
認ってわけで、時にはお内儀さんが車で送り迎えしてくれたそうでやんすよ(いい
なぁ〜)
おっと、おいらも電話かけの内容を、「三年間駅で演説してきた」ってところから
「やむをえない戦争もある。国の行く末や政策の転換を誰かにお任せする―これをま
ずやめようと太助は言ってる」というふうに変えやした。
後から聞いたら、なんと40分以上も太助さんの演説を聞いていた人が現れたそうで、
なんでもいきなり電話で「やむをえない戦争もある」と言われて、何を言っているの
か聞いてみたかったそうです。
□第二幕 やむをえない戦争もある
●戯作者
今回の選挙は自治体選挙でございます。にもかかわらず、庶民(有権者)は「戦争を
どう考えるのか」聞きたがったのでございます。結果をみれば、「戦争反対」を争点
にした社民、共産は大きく後退いたしました。「やむをえない戦争もある」というの
は、「戦争=絶対悪」という戦後日本の思考停止からの一歩脱却に違いありません。
問題はこれをどこにもっていくのか、ということでございますね。
破綻寸前の自治体財政に向き合う責任意識と、「やむをえない戦争」に向き合う責任
意識とはつながっております。どちらかがなければ、もう一方も「依存と分配」で
す。そろそろそういうことを、有権者自身が感じ始めているのですね。だから、「無
党派が唯一の看板」というバカ選挙の空間も、マニフェスト/政策で選ぶという空間
に取って代わられようとしているんじゃござんせんか。
●太助の回想
戦争に対する反応は予想以上のものでした。あるとき駅頭が終わったら、たこ焼き屋
のおっちゃんがやってきて言うんですよ。「いろんな人が来て演説してるけど、みん
な『戦争反対』だ。だけどアンタはどうも違うみたいだ。『やむをえない戦争もあ
る』って、要するに日本の国として、国民として何を考えなきゃならないかってこと
を言いたいんだろう? そのとおりだと思うよ。まっ売れ残りだけど、ひとつ持って
いけよ」
別の日には、雲助のおっちゃんがこう言うんですよ。「たしかに地方選挙ですけど、
やっぱり私らとしてはイラクの戦争をどう思うか、これは聞きたいですよ。戦争がい
いとは思わないが、正義には力が必要なときもあると思うんですよ。こないだも、ホ
ストみたいな若造の候補者に、あんたはどう思うんだって聞いたんだけど、なーんか
要領を得なくてね。戦争反対だけじゃ何も解決しない。市の赤字だって同じでしょ?
だれがどうするのか、それをはっきり言ってもらわなくちゃ選びようがありません
よ」
●下ッ引きの辰の回想
電話では、責任意識の転換を、戦争・赤字・候補者選びの三つに絞っていきやした。
「イラク戦争で、戦争に対する責任は変わりましたよね。市の赤字も責任は市長や行
政だけではなく、使った私たちにもありますよね。候補者選びも、政策の優先順位や
どこから財源をもって来るか、これで意見をまとめる能力がある人を選ぶということ
になりますよね」とたたみこんでいきやした。すると、「太助さんは、◎◎の問題を
どう考えていますか」「○○についてこういう提案があるがどう思うか」のように、
政治家の判断を聞きたいという人が出てきたんです。
逆にあれこれいう人には、事務所開きでの太助さんの発言を具体的に言って、「貴方
はこういうけじめのつけ方をする奴をどう思うんだ、支持できないとすればどういう
生き方を支持するんだ」と人間論をぶちやした。これで怒って切る人はおりやせんで
した。
(辰が「人間論」たぁ、こいつは『恐れ入りや(入谷)の鬼子母神』だぜ)
□ 第三幕 「顔」で票をとるか、「政策」で票をとるか
政治縁と地縁血縁の再統合が、太助に問われる
●戯作者
さて選挙も終盤になってまいりますと、やはり「票読み」が勝負でございます。
かつて竹下大先生の選挙では、一票一票、押しピンで数えるような選挙戦が展開され
たそうでございます。国民主権の選挙でも、それは当然「きほんのき」、でございま
す。問題は「依存と分配」「バラマキ」でそれをやるのか、「責任と信頼」でそれを
やるのかの違いであって、「顔」の見えない「空中戦」で選挙を戦おうというのは寓の
骨頂と申すもの。風に吹かれる糸の切れた凧では、地に足をつけた政権交代戦略は生
まれませんからね。
太助さんの選挙では、A:この三年間の活動(「がんばろう、日本!」としての活動)
を見て参加してきた人<政治縁>と、B:前回の選挙での支持者<浮世の縁:決して
悪い意味ではございませんが、社会党→日本新党と放浪してきた太助さんが「戸田代
表に師事して『依存と分配の活動人生』を洗いなおした」ということをまだ共有して
いない人たち>と、C:地域活動(子育て・教育)での人脈<地縁>という三つの人
脈から、人が集まっておりました。
ここをどう、当選という目標に向かってまとめ上げ、責任連鎖に転じていくかが、終
盤の「票読み」のなかで問われたのでございます。
●太助の回想
それは、この間タウンミーティングでも度々発生したことと同質の問題でした。「選
挙に勝つ」ためには政策や理念、イラク問題も大事かもしれないが、要するに選対の
各メンバーの「顔」によって集票することが優先されるべき/太助を支持しているの
であり、「がんばろう、日本!」を支持しているわけではないという意見と、有権者
のなかの責任層へのアプローチこそ太助支持層の開拓である、この間の街宣活動もこ
こが反応しているのであり、より働きかけを強めるべきという意見でした。
公選はがきによる集票と票読み作業を通して明確になってきたことは、地域共同体で
のリーダー選びの選挙では、地域での何らかの活動による人脈(信頼関係)が日ごろ
形成されていなければ集票にはならないこと、したがって共同体の維持、発展にそれ
ぞれ日常的にどのように係わっているのかが問われる。同時にこの人間関係や組織を
どこへ向けて変えようとしているのか、それは単に一共同体の問題にとどまらず国家
や政党建設の視点抜きには語れないことが、どこまで意識されているかが問われると
いうものでした。
選対会議の議論がこのことの合意形成の実践的舞台となり、私はここでの統治活動の
訓練と実績がストレートに求められました。
だから個々の選対委員に対してもこの立場から常に、点検と指摘、戦況の確認と共有
化、責任の明確化をはかることに徹しました。(時にはかなり激しく叱責もしまし
た)
●岡田清兵衛の回想
最終局面では、どの名簿・層から何票とれているのか、集票データを分かりやすく示
すことが課題になりました。普通の会社で営業成績が明らかにされているようなイ
メージです。フォーマットは私が作り、事務局で電話かけ、公選はがきの集約をして
いきました。
じつは公選はがき2000枚を出した時点で、選対には「一仕事終えた」という雰囲気が
あったのです。太助さんが「これでは前回と同じになる。はがきを出した人が投票し
てくれるとは限らない。300から500上乗せしなければ負けだ」と檄を飛ばしました。
そこで提供してもらった名簿ごとに、電話かけで「歩留まり」を明らかにしていっ
て、2370票までを読みました。同時に代表幹事のなかでも、歩留まりの結果を明らか
にして互いに問いあうという構造ができました。
例えば酒屋の熊さんに対しては、拙者がかなり失礼な言い方(「票にならない名簿」)
をして憤慨させたということはありましたが、選対全体としては引き締まりました。
また前回も太助さんを応援してくれた利吉さんとは、票の取り方という点での価値観
の置き方に拙者とは相容れないものがあったことは事実ですが、そのことは利吉さん
には「がんばろう、日本!」のような集票の意味が分からない(そういうやり方を見
たことがない)ということが分かったので、拙者のやり方に屈服させたり、排除しよ
うとは考えませんでした。
こうした選対内の緊張関係で、最後まで代表幹事のみなさんが集票の姿勢を崩さずに
がんばったことが、400票の上積みにつながったのだと思っております。
●下ッ引きの辰の回想
次第に、提供された名簿の精度が分かってきやした。歩留まりってヤツですよ。同時
にこの頃から電話かけの内容と優先順位をめぐって論争が激化してきやした。
オイラたちは最後まで票集め、あるいはひっくり返しの電話かけを持続する(象徴的
には一番太助ファン層が多い地域の電話かけを持続する―政策や政治姿勢を訴える)
/もう一方は、公選ハガキであがってきた人への念押しに電話かけの人数を使ってく
れと。こっちの方には、擬似主権者から変革の主権者への脱皮の現実過程【自力では
脱皮しない。政治内容を入れて責任を問う、転換に参加させること以外では「脱皮の
ドラマ」は生まれない】は見えないようでした。
結局、どの時点で提供名簿への「念押し」電話に全部隊を切り替えるか、ということで
議論をまとめたわけでやんす。
こういう論争の前後では、台所を手伝ってくれてるおかみさん連中が、オイラたちの
電話かけをジーッと聞いているという光景がずいぶん派生しておりやした。
●番外編
別の、とある候補者の電話かけに参加した人の感想です。
「自宅でときたまセールスの電話を受けることがある。一方的にたたみかけてくるの
が不愉快だ。だから選挙の電話かけと聞いて、最初はしり込みした。相手の都合も聞
かねばと「少しお話してもいいですか」というと「時間ありません」と切られてしま
う。
これではいけない。選挙は政治のリーダーを選ぶ機会なのだから、よほどのことがな
いかぎり政策を聞いてもらわなければ。摩擦を恐れて正しいと思うことを言えない自
分も変えなければと思い、はじめから政策を言うようにした。
いっしょに電話かけをしていた人のアドバイスもあって、一方的にしゃべるのではな
く、市の財政状況や候補者の政策について相手の意見も聞くようにした。話を聞いて
くれる人が多くなり、何人かは自分の意見を語ってくれた。これには正直、自分でも
驚いた。
有権者のなかには政治について考えている人は確実にいて、それを引き出すのは政治
家とサポーターの働きかけ次第なのだ。」
□ 第四幕 政治文化の入れ替え戦は始まった
●戯作者
当初は、戦後の総無責任連鎖の上に乗っかった「小さき」自己責任でありました。
はっきり申せば、どうしようもないものがいてはじめて、「オレはあれほどひどくな
い」「ああなってはおしまいだ」という程度の「責任意識」でございました。
しかし、選挙を通じて(自分の提供した名簿の精度までが明らかにされるという「透
明性とアカウンタビリティー」の下)互いに責任を問いあう構造ができ、それによっ
て一票一票、押しピンで数えるような選挙戦となりました。<政治縁>から<地縁>
をまとめ上げていく(逆ではありません)の糸口までは、たどり着いたでしょう。
名簿の歩留まりとは、とりもなおざすそのお方が日頃から、どういう人間関係をつ
くっておいでなのか、大上段に「天下国家」とは言わずとも、現実の社会の問題から
逃げずに「浮世の義理」を通しているのか、ということが試されるのでございます。
「政策」と「顔」はどちらも必要。「政策なき顔」では「浮世のしがらみ」、依存と
分配に限りなくなじんでしまいます。「政策で顔がみえる」ことが、候補者はもとよ
り、代表幹事のみなさまそれぞれにも求められたのでございますね。
フタを開ければ太助さんは、選対が読んだ2370を上回る2709票を獲得して見事15位で
当選を果たしたのでございます。プラス400は、三年間の駅立ちから生まれた「まだ
見ぬ<政治縁>」でございましょう。
これからいよいよ、国民主権の政治市場を本格的に開拓していく活動が始まります。
それでは続きは、またのお楽しみ。
●おまけ
太助
当選した翌日から、朝・夜、駅に立ちました。びっくりしましたね。予想を越えて
「よかった」と言ってくれる人が多いんです。明らかにこれは、私に投票しなかった
人も「よかった、よかった」と言っているとしか思えません。
国民主権のうねりが確実に高まっていると、改めて実感しましたよ。
ご隠居
それはのう、お前と同じような庶民、決して清兵衛どののような「本流」ではなく
て、いつリストラされるか分からないような庶民が、じっと見ておったのじゃ。「あ
の人はエリートじゃないし、どっちかといえば“負け組”だ。あんなに一生懸命やっ
ているんだから受かればいいな、でもきっと受からないだろうな。ああいう人が浮か
ばれるなら、おれもがんばれば何とかなるかもしれないんだけどなぁ」と思いなが
ら、お前の駅立ちを見ておったのじゃよ。
「選挙は頼まれたから別の人に入れたけど、あの人はどうなったんだろう。当選した
としても下のほうだよな。新聞をみたけど、下から十人のところにはなかったから、
ああやっぱりダメだったんだ」と思っていた。ところが駅に来てみたら、「当選お
礼」に立っている。思わず駆け寄って「よかった」と言ってしまったとな。
無責任連鎖はピークに達するまで増殖する。それが頂点に達する時と、小さき自己責
任が「このままじゃやってられない」とそれを社会的に表現しようとする時(「やっ
ぱり政治を変えなければ」)とが連動するところから、時代の潮目が変わるんじゃ。
そろそろそれが始まった。
この十年は、「国民主権」「政党政治」「議院内閣制」をめぐる“合成の誤謬”
じゃったが、それを解く「国民主権の政治市場」のとば口は、それにふさわしい“商
品”を投入したところでは、開いたと言えるじゃろうな。
例え候補者が太助程度のものでも、とりあえず「心意気」を示せば「かたぎ」の世界
の責任連鎖が始まることは可能だということじゃ。ましてや、論理までを主体化でき
る者が候補者や選対にもっとおれば、トップ当選も不可能ではなかったということ
じゃよ。
□ ◆□ お知らせ □◆□
□『日本再生』289号(300円)
「疑似」主権者から変革の主権者への脱皮/責任の転換のドラマが始まった
囲む会/経済論戦をどう見るか 大塚耕平・参院議員
囲む会/盧武鉉政権と北朝鮮問題 康仁徳・元韓国統一相
インタビュー/国連中心主義は安全保障の柱にならない 森本敏・拓殖大学教授
民主党の政権担当能力への信任を勝ち取るために 野田佳彦・国対委
員長
統一地方選報告
□ 第48回定例講演会
「ブッシュ・ドクトリンと北朝鮮問題」
5月19日(月)午後6時30分より
総評会館203室
講師・李鍾元(立教大学教授)
参加費・会員/1000円 一般/2000円
□ 第49回定例講演会
「イラク・北朝鮮とわが国の外交安全保障のなすべきこと」
6月14日(土)午後1時より5時
弘済会館 菊の間 (「四ツ谷」駅・麹町口より徒歩5分)
パネルディスカッション 中西寛・京都大学教授/前原誠司・衆院議員 ほか
参加費・会員/1000円 一般/2000円
お問い合わせは 03-5215-1330まで
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石津美知子 ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp
民主統一同盟 「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
TEL:03-5215-1330 FAX:03-5215-1333