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メルマガ♯がんばろう、日本!         46(02.12.12)
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▼index
□ 雨降って、地固まる

 ■お知らせ
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□ 雨降って、地固まる
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   ようやく新代表が決まって、民主党も出直しのスタートラインに、なんとか
ついた。10月27日の「がんばろう」の第二回大会には、玄葉光一郎議員の「自民党の
解体なくして、改革なし/民主党の脱皮なくして、改革なし」ってえメッセージがき
ていたが、民主党脱皮のメドはついたと思うかね?

   まぁ少なくとも、今回の「出直し」選挙で、55年体制の政治文化とは一線を
画した「体質」みたいなものは、示せたんじゃないのか。菅、岡田が「話し合い」で
はなく選挙になったこと、菅が「大勝」したこと、その場で岡田を幹事長にしたこと
など、一連の過程に対して「スッキリした」「よかった」というのと、そうでないの
と、反応や評価がきれいに分かれたのも「見もの」だったぜ。

   「話し合えば談合といわれるし、選挙をすれば分裂の危険があるといわれ
る」って言うけど、それって結局、55年体制の政治文化・組織文化の典型だよな。話
し合いイコール談合って概念しかない。「なにが悪い」ってのが自民党、「それじゃ
マズイ」ってのが野党だ。だけど今回は、菅も岡田も「ここで民主党をなんとかしな
ければ」という点では一致しているわけだから、そのための最善の道を話し合うのは
当然のことだ。肝心なときにそういう話し合いができないことのほうがむしろ、「党
内コミュニケーションの欠如」っていう問題じゃないか。

   森政権のテイタラクで崖っぷちに立たされていたときの自民党総裁選と比較
すりゃ、よく分る。亀井・小泉の連合は、「亀井の政策を小泉が呑んだ」という名分
だったが、誰もそんなこと信じちゃいない。ベクトルが反対だってことは明白なんだ
から。それこそ「談合」だ。だから選挙の結果、小泉が圧倒的な支持で選ばれても、
力関係次第ではいつでも小泉を引きずり下ろそうとする。

    依存と分配の政治文化では、話し合い=談合、選挙=力関係・数合わせと
いうことにしかならない。だから一度決まったことでも、平気でウラでひっくり返
す。国民主権の力で政権交代という政治文化は、それとはまったく違う世界の話だ。
菅も岡田も、民主党の存在意義は国民主権の力で政権交代を可能にすることにあると
いう点では一致している。だから選挙後すぐに、岡田幹事長になった。これを「おか
しい」というほうが、よっぽどおかしいんだよ。

    今回、結果的には同じ体制になったとしても、「話し合い」でなく選挙を
やってよかったんじゃないか。永田町の情報屋はいろいろ「ウラ」の動きを探ろうと
している(離党予備軍やら、菅陣営に組織的に票が流されたとか)が、結局は「党存
亡の危機」に、旧党派やらグループやらのしがらみによってではなく、議員が一主権
者として、自分で判断した結果がこうなったということだろう。
小泉の時だって、「生き残りのために」党員票が派閥を離れて「勝手に」動いて、そ
れが永田町の力関係を変えたわけだ。問題はその後、「小泉なんてのが総裁になった
こと自体がオカシイ」などと言い出すのかどうか(亀井派主導の地方議員による「反
小泉」集会での発言)、ここが政治文化・組織文化の違いだよ。

    菅、岡田の得票は、九月の代表選挙のときの各陣営ごとの票の足し算、引
き算では説明できない。九月のときには、「憲法」とか「保守」とかいうことで決戦
投票で鳩山に入れた部分も、今回はそういう判断では動かなかったということだ。つ
まり、決定的な対立軸は、「保守・リベラル」「改憲・護憲」という線に沿って走っ
ているのではなく、国民主権で政権交代という政治文化・組織文化の違いというとこ
ろに走っていることが、この二ヶ月で決定的に明らかになったということじゃない
か。

    10.27のパネルディスカッションで、達増拓也議員がこういう意味のこと
を言っていた。鳩山さんが代表に選ばれたのも、その鳩山さんが中野さんを幹事長に
任命したのも、永田町の政治文化・組織文化からすればしごく当然で、問題はその
「当たり前」が、国民主権の政治文化・組織文化からみて「まっとうなこと」なのか
どうなのかだと。
 
    民主党ってのは、政権交代それも永田町の合従連衡・組み替えではなく、
国民主権の力で、選挙で政権交代をするためにつくったものだ。少なくとも、そのこ
とを公然と否定する者は民主党内にはないだろう。問題は、それにふさわしい政治文
化・組織文化をどう確立するかだ。民主党の「バラバラ感」というのは、その未確立
から生じるゴタゴタのことだ。自民党の「バラバラ感」は文字通り、利権分捕り合い
そのものだ。ここが決定的に違う。

    今回の「出直し」選挙で、国民主権の政治文化と組織文化に向かって舵を
切るスタートラインにはつけた、ということだな。野田佳彦議員が言うように、きち
んと選挙をやって、しかも岡田が幹事長になって党再生に全力であたる布陣ができた
のだから、離党とやらには何の正統性もないというのは当然だ。国民主権で政権交代
ということがどうしても分らない、55年体制の変形的再編の病がどこに巣くっている
のかも、これではっきりしたんじゃないか。

    いわゆる離党予備軍ってやつだな。55年体制の変形的再編の病ってのは要
するに、「しがらみ」だ。細川政権以来の合従連衡は、政治家同士の人間関係に相当
キズをつけたのは確かだ。とくに自社さと新進党という通りかたの違いは、微妙なも
のが当事者にはある。問題は、それを「国民主権の力で政権交代」という大義で乗り
越えることが出来たものと、○○コンプレックス、××アレルギーというふうに蓄積
しちまったもの、この違いが歴然としているってことだ。これが政治文化・組織文化
の違いになっているわけだ。

    二大政党とか政権交代ということに、国民主権という魂がはいっているか
どうか、だな。政治文化・組織文化ってのは、どういう票・カネの集め方をしている
のか、どういう
支持基盤をつくっているのか、どういう人脈をつくっているのかを含めた、活動全体
のスタイル・体質だからな。

    岡田って人は、一貫してどのグループにも所属しないという姿勢を貫いて
きた。そういう意味では、55年体制の変形的再編の病のしがらみを寄せ付けなかった
ということだ。だから今度の代表選でも「選対」を置かず、組織的な切り崩しのよう
なこともいっさいしなかった。それが「敗因」だという人もいるが、55年体制の変形
的再編の病がうろつき回る余地を与えなかったという意味では、立派なやり方だよ。
現に岡田支持のなかには「菅アレルギー」が紛れ込んでいたんだからな。

    だから今後は、国民主権で政権交代という民主党の原点、そしてそれを組
織文化として確立していくことをめぐって、分岐がはっきりしてくるし、させなきゃ
いけない。挙党体制というのはそのことだ。逆に言えば「選挙のためなら何でもア
リ」で小泉翼賛体制=じつは利権分捕り合いの内ゲバという自民党政治の体質・政治
文化と、どこがどう違うのか、これを明確に示すことが挙党体制の課題だ。派閥均衡
のようなことでまとめるようでは、信頼回復の突破力にはならないよ。

    菅を支持したなかには、いわゆる旧社民グループがはいっており、岡田を
支持したなかには「菅アレルギー」というのが入っている。これが、国民主権の政治
文化からは説明できない「不純な」要素かどうかの峻別は、政党の規約に基づいての
みなされるべきだ。例えば安全保障や憲法について、議論はつくすが党の結論には従
う。党議拘束に反すれば処罰という「当たり前」のことを当たり前にやる。菅アレル
ギーやら離党予備軍とやらについても同様だ。

    世間にも55年体制の病が残っているから、安保や憲法というとすぐ「右か
左か」で分けたがる。とくにマスコミがそうだ。だが、主権者意識をもち始めた国民
は、そんなことで見ちゃいない(だから次第に相手にされなくなる)。
岡田幹事長が言っていた。民主党内の意見の幅は、国民の意見の幅と同じ程度で、集
約は十分可能だし、むしろその程度の幅を集約できなかったら政権政党としてやって
いくことはできないと。
当然だよな。右や左の空中戦や遺恨試合をやりたがる者は世間にもいるが、八割の国
民はもう別の世界だ。国民主権の政治的ウォンツで十分集約できるし、むしろその集
約機能がないからこそ、既存政党が見捨てられ、機能停止になっているんだから。

    道路公団「民営化」の顛末を見ても、小泉政権はいよいよ「自滅」過程に
突っ込みつつある。問題はただ一点、国民主権のウォンツを集約する機能、つまり国
民主権の政党がないことだ。改革の政策を掲げるだけではダメで、それを実現する政
権運営と政党運営の政治文化を確立しなければ、「総理総裁の言っていることを与党
幹部が否定してなんとも思わない」とか、「与党のなかに抵抗勢力がいる」なんてこ
とになる。これじゃ、責任が問えないからな。

    「自民党をぶっ潰す」なら野党になるべきだし、「抵抗勢力」というなら内
閣不信任案を提出すべきなんだ。こういう当たり前のことがグヂャグヂャになってい
る。だから民主党の挙党体制ははっきり、国民主権の力で政権交代、その政治文化と
組織文化を確立するということでやるべきだ。

    それが最大の選挙準備だよ。選挙で政権交代というニーズは、さらに増え
ている。それを集約できていないことだけが問題なんだから。「いい政策」を掲げる
だけでなく、国民主権にフィットする組織文化・体質の未確立が問題なんだ。

    そいつは、有権者自身も参加して解決しなけりゃならねぇ問題だ。この間
も、トンデモ都議の事件があったろ。来年は統一地方選挙だが、本当に身近なところ
から、政治の現場を国民主権の常識に入れ替えていかなくちゃ。あれだって、「普通
の」人がきちんと選対に出入りしていれば、「あれはちょっと・・・」とどこかで分
かったはずだ。

    そういう意味じゃ、有権者が主権者として、もっと政治の現場に出かけて
いかなけりゃな。後援会の集まりだって「北朝鮮の問題をどう考えているのか」「年
金をどうするつもりなのか」という質問がバンバンでれば、「日よりのあいさつ」と
お酌しかできない議員は、特定の支持基盤以外のところからは駆逐される。
ところが有権者が、「欲しい商品がない」と投票にすら行かなければ、特定の支持基
盤の人たちしか投票に行かないという、投票率24パーセントの世界になっちまう。こ
この構造を変えないと。投票率60パーセント台で政権交代をめぐって選挙をする、と
いう構造に持っていくためには、政治の現場を政治文化・組織文化を国民主権の常識
に入れ替える「急がば回れ」の戦略的活動しかないんだ。

    民主党が、党改革を含めてそこへの仕切り直しに入ったということは、有
権者のほうも「民主党がどうしようもない、もう見捨てた」と言って何もしないとい
うわけにはいかなくなったということだ。「若い人たちにがんばってもらいたい」と
いうことの延長に、政権交代可能な国民主権の政党ができるもんじゃないんだ、って
ことが、この二ヶ月のドタバタで分かったんだからな。

    国民主権の持ち場につこうってのは、国民主権の政党をつくるための役割
・務めを、国民自身も果たそうってことだな。


□ ◆□ お知らせ □◆□

□『日本再生』284号(300円)
既存政党の機能停止―崩落、さし迫る危機にどう立ち向かうか
国民主権の持ち場につこう
パネルディスカッション/「日米同盟の再設計―安全保障から考える」
長島昭久氏(前米国外交評議会)/村田晃嗣氏(同志社大学助教授)/R.エルド
リッヂ氏(大阪大学助教授) 
講演/経済再生〜私ならこうする 枝野幸男(衆院議員)オープンミーティングより

□「がんばろう、日本!」国民協議会 第二回大会報告集(一部1000円)
記念講演/森本敏(拓殖大学教授)「当面する米国の基本戦略と東アジア情勢」
基調講演/戸田政康(「がんばろう、日本!」国民協議会代表)「国民主権、改革保守
の矜持」
パネルディスカッション/「われわれの政権交代戦略」
松沢成文(衆院議員)、達増拓也(衆院議員)、原口一博(衆院議員)、武正公一
(衆院議員)、
大塚耕平(参院議員)、古川元久(衆院議員)、中塚一宏(衆院議員)


□ 第44回定例講演会
「台湾から見た北東アジアの新たな情勢―羅福全・台北代表をお迎えして」
2003年1月28日(火)午後6時30分より
私学会館(アルカディア市ヶ谷)(市ヶ谷)
講師・羅福全(台北駐日経済文化代表処代表)
討論・枝野幸男(衆院議員)、水野賢一(衆院議員)
参加費・会員/1000円 一般/2000円

□第19回・戸田代表を囲む会(特別編)
「戦後日本の議会政治 その歴史と今」
講師 平野貞夫・参院議員(自由党)
日時 12月22日(日)午後6時30分より
場所 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 1000円(同人会員は無料/購読会員、その他の方は1000円)
*8月の齋藤健氏の講演と同様の形式です。飲食はつきません。
 会場設営の関係上、ご参加の方は21日(土)中にご連絡ください。

□「がんばろう、日本!」国民協議会 望年会
日時 12月23日(月・祝)午後5時より
場所 「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 2000円

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石津美知子 ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp
民主統一同盟 「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
TEL:03-5215-1330 FAX:03-5215-1333