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 メルマガ♯がんばろう、日本!         ・24(01.12.26)
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▼index
 ■日本再生へ、肚をすえて、覚悟を語ろう!
  □負け試合を自己批判できる“責任の回復”から始まる
  □不安ではなく、覚悟を語れ
  □希望は与えられるものではなく、戦いとるもの

  ◆メッセージ「中国の台湾侵略を容認する田中外相発言に抗議する」
   在日台湾同郷会会長 林建良
  
  □来年のお知らせ

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  ■日本再生へ、肚をすえて、覚悟を語ろう!
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□負け試合を自己批判できる“責任の回復”から始まる  

先日、読者の方から次のようなメールをいただきました。
・ ・・日本の政治や経済のどこが、どうしてダメなのか、本当に知りたいので
す・・・
「なんとか変えたい、変わってほしい」そんな思いが伝わってきます。
どこがダメなのか――いろいろ原因はあげられるでしょう。しかし事ここにいた
った今、私たちにはこんな問いが必要なのではないでしょうか。
         *
 戦後日本の総無責任連鎖による社会の崩落に歯止めをかけることは、一市民が
国や社会に対する自覚と責任を回復するところからしか始まりません。
 そのことはパブリックに係わることが欠落し、国家と政党政治に対する忌避で
彩られた“戦後日本”に死を宣告することなしではありません。
 野球やサッカーの試合で負けたチームの中で、選手の一人ひとりに“あの時・
あの場面で自分が何とかしていれば”との思いが派生しなければ、そのチームが
次の試合で一念奮起する可能性が見えるでしょうか。
 自分のプレーに一切非はなく、誰々が悪いとか、監督やコーチの作戦が悪いと
いうだけのチームに、次の試合での勝利の可能性は見えてきません。
 現下における日本社会の崩壊は、このようにプレーヤーも指導者も負け試合の
自己批判ができていないという、総無責任連鎖の状況から起こっています。
私たちは「平成の草莽崛起」と呼ばれるにふさわしい、矜持ある国民運動を行っ
ていくつもりであり、目の前の現実が“敗戦”であれば、私たちは自己批判から
入る以外に勝利の道はないのではないでしょうか。(牽牛倶楽部・年末合宿のよ
びかけ より)

 さて、24日に開催された望年会(忘年会とは言いません)での提起をお伝えし
て、今年を締めくくるとしましょう。

□不安ではなく、覚悟を語れ!

 今年は、二十一世紀の最初の年ですが、一言で表現すれば「衝撃と激動の年」
と言えるでしょう。衝撃とは、これまでの価値判断からでは事態を説明できない
ということ。当然、9月11日の同時テロはこうした問題ですし、わが国にとって
はWTO加盟後の中国とのつきあい方も、これまでの延長ではニッチもサッチも
いかなくなるということを意味しています。それは「大国中国に日本がのみこま
れる」というほど、単純な話ではございません(新年号掲載の渡辺利夫先生のイ
ンタビュー参照)。
 中国がWTOに加盟するということは、わが国にとっては、経済戦略を持たず
してアジアとのつきあい方はありうるのか、ということです。ある人の表現によ
れば、日本経済の対外進出は、単なる国内経済のオーバーフロー(あふれでた部
分)であって、戦略などあろうはずもなく、国内が不調になれば収縮して帰って
くるだけ、ということになっています。経済戦略なくして、どうやって国という
ものを成り立たせていくのか、ということが本格的に問われます。
中国との関係も、主要に経済矛盾ということになりますから、今度のセーフガー
ドのように、経済戦略なしに場当たり・その場しのぎでやっていては、国内経済
も立ち行きません。

 今、わが国の状態は、あの貿易センタービルのように、外からはまだ何とか形
を保っているが、中はもう崩落寸前、本格的な崩落がいつ始まり、どこでそれを
止めることができるのか―地上部分で止められるのか、地下まで瓦解するのか―
といったところに置かれています。
 そのことをマジに考えざるをえない。そういう事態が来年はいろいろ起こるで
しょう。
 もしわが国がタイタニックのように沈みゆく船であるなら、だれがどのように
して救命ボートを出すのか、どこに向けて、どの規模で、ということが政権の問
題になります。挙国一致でということでは話になりません。その救命ボートの性
格は、「改革救国」という基準から決めていかなければならない。
 さすれば、現在千三百兆円あると言われている国民資産を、何のために、どこ
へ向けて活かすのかを、正面から論じなければなりません。
 どのように殺すかは簡単なことです。失政のツケ(その結果としての不良債権
と財政赤字)と相殺すれば、それで終わりです。それで何が残りますか? 経済
敗戦の焼け野原とヤミ屋経済(公的資金にたかったものは生き延びてまじめに借
金を払いつ続ける者はどん底へ)、そして不信と無責任の連鎖です。
 千三百兆円の国民資産を、日本再生のためにどのように生かすのか。「新生日
本債」とか「日本再生債」とかを国民に買ってもらえるためには、それに足りる
だけの「政治への信頼」が不可欠です。人気や期待などという中途半端な「空
気」ではダメです。
 信頼を回復するためにどうするか、ここから保険制度や年金制度なども、論じ
ていく必要があります。小泉改革では、「このままではもたない」という不安を
煽って、「でも抵抗勢力がいるから小泉さんに期待するしかない」と誘導し、結
果は「三方一両損」ではなく、国民の負担と不安が増しただけ、ということにな
っています。

 不安がますます増していく事態のなかでは、不安を語るのではなく、覚悟を語
らなければなりません。政治家も国民も。
 内外で安全が脅かされ、将来への不安はさらに増し、だれも責任を取らないた
めに不信は増殖し、出口の見えない閉塞感だけが募る・・・。こういう時に、
「不安」として事態を語る、ということ自身が、じつは当事者意識の欠如という
ことなのです。
 この事態に、いかなる覚悟で向き合うのか、肚をすえよ!と。超高層ビルの崩
落は、ここで止める以外にありません。ここから、来年の「のるかそるか」の事
態に対処できるか、です。
 不良債権処理も、地雷原を行くようなもので、ちょっと処理の手順を誤れば、
それが崩落の引き金になりかねない。あり金(国民資産)を何のために、はたく
のか。「不安」では、決断もできないままズルズルいくことになります。覚悟を
問わなければならない。国民は国民として、「われわれはフォロワーとして、こ
う覚悟を決めて立ち向かう、あなたたちリーダーはそれにどう答えるのか」と、
政治家に問い詰めていくことです。
 安全保障もそうです。こんどのテロ対策法では、これまでの集団的自衛権の屁
理屈がすべて飛んだ。憲法改正を正面から論じる覚悟なくして、このままズルズ
ルいくなら、日本への信頼は地に落ちます。その覚悟があれば、当面は、安全保
障基本法や有事法制を論じることも可能になります。

 こうした覚悟を語り、問うことができる者によって、「改革保守」の政治グル
ープは作られます。国民としての自覚と責任を問う(この間の機関紙タイトル)
とは、そういうことです。当事者として、いかなる覚悟をもって事態に向き合う
のか。自分はこう覚悟した、あなたはどうか。フォロワーとしての覚悟はこう
だ、リーダーとしてこれにどう答えるのかと。
 来年は今年以上にいろいろ大変なことが起こるでしょう。小泉政権のノーテン
キでは、事態の深刻ささえ分らないまま、かもしれません。空疎な「改革」の掛
け声は、かえって人々の不安をかきたてています。反対に、本当に事態の深刻さ
が分るものは、却って口をつぐむようになるでしょう。
 覚悟なくして、事態を正面からとらえることも、語ることもできません。です
から来年は、小さなことからでいいですから、「自分はこう覚悟を決めた、あな
たはどうか」と問いかけるようにして下さい。そして政治家に対しても「フォロ
ワーとしての覚悟はこうだ、リーダーとしてこれにどう答えるのか」と問い詰め
てください。さすれば新しいものが見えてくるはずです。騙されたと思って来年
一年、これを続けてみてください。
 日本再生のエネルギーは、こうした草莽(草の根)の覚悟からしか生まれませ
ん。


□希望は与えられるものではなく、戦いとるもの

「この国には何でもある、希望以外は」とは村上龍の『希望の国のエクソダス』
にでてくる言葉ですが、希望は与えられるものではありません。作るもの、戦い
とるものです。

 すでに兆候がありますが、来年からは本格的に、「ゼロ人間」が街頭宣伝でも、
話になります。つまり仕事はちゃんやってきたし責任もはたしてきた(でもパブ
リックのことは、言われてみればやってこなかった)という人たちまでが、リス
トラの対象になります。
 仕事のできないゼネコン社員―図面も引けなければ、現場のカンナ引きもでき
ない。あるのは「談合」能力だけ―には、首切りへの憤りも生まれない(おい銭
の要求のみ)が、仕事の責任ははたしてきたという人たちには、憤りがある。
 どういう憤りか。「こういうご時世だ。若いもののためにも、自分がクビを切
られるのも仕方ないか。どんな仕事でもガマンして家族のために働かなければ。
これからは自立・自己責任の時代なんだから・・・ しかし、われわれと同じ基
準を上や指導者、公務員にも適用しているのか! アイツラは何なんだ!」と。

 ここから本格的に、「われわれの構造改革」をつくっていかなければなりませ
ん。
 構造改革とは、失政のツケを公的資金でチャラにすることではございません。
GDPが半分になることが危機なのではなく、GDPの数字を維持するために、と
てつもない不公正がまかり通る社会になる(なりつつある)ことが危機なので
す。
 「雇用確保のため」と称して、大手ゼネコンを救済しました(銀行に公的資金
を入れ、そのカネで銀行はゼネコンの借金=不良債権を棒引き)。その結果、ど
ういうことが起こっているか。公共事業の受注にはいろいろな基準があり、その
なかにはその会社がどれだけ借金を抱えているかという項目もあります。 
 そこで、税金で借金をチャラにしてもらった大手ゼネコンは借金なしの「健
全」経営、まじめに借金をコツコツ返している中小建設業は借金を抱えた「不健
全」経営。こんなバカな話がまかりとおっています。当然、公共事業は税金のお
い銭で生き延びた「健全」経営のゼネコンが末端の公共事業も引き受け、下請
け・孫受けにはコストダウン圧力を思いっきりかけ、借金をまじめに返し続けて
いる中小建設業は、「淘汰」されていく・・・
 これは断じて、市場原理などではありません! 
 われわれの構造改革とは、たとえGDPの数字が半分になったとしても、公正
な社会でなければなりません。「負け組」も、「勝ち組」と同等の、いやそれ以
上の誇りを持って生きられる社会でなければなりません。
 原口議員が言うように、GDPの3/5が中央・地方政府の支出という社会
に、はたして自由があるのでしょうか。国民が働いてつくった「価値」の使い道
の3/5が、国民の自己決定ではなく「お上」によって決められている社会は、
はたして「自己決定」できる社会なのか、ということです。
 失政の後始末ではない、われわれの構造改革を論じるために、生活の脈拍とし
てこうした経済問題を見ていくことが必要です。

 その一助として、木村剛氏の『通貨が堕落するとき』(講談社)『円が日本を
見捨てる』(実業之日本社)を一読されることを、お奨めします。
また、これからの経済社会の基本原理をつかむために、広井良典氏の『定常型社
会』(岩波新書)を一読されたい。

 中国のWTO加盟で、またぞろ「中国脅威論」がはやっていますが、これは自
信喪失した日本の自画像を中国に投影しているだけです。
 問題は、日本がいかなる戦略をもつのか、です。近代の総総括から言えば、日
本が東アジアで、図抜けたナンバーワンであった時代は「不幸な時代」だったと
いうことです。GDPが半分になることが、危機や崩落ではない。東アジアが豊
かになって、二番手、三番手と日本との経済格差が縮まってきた。この絶好の時
代をどう生かすのかということです。
 アメリカのような国になるのなら、図抜けたナンバーワンでなくなることは
「不幸」「失敗」でしょう。しかし日本は、アメリカのようにはなりたくてもな
れないのです。東アジアの他の国と肩を並べられるようになったときとは、図抜
けたナンバーワンではなくなるということです。そういうシーンが近づいてい
る。だからこそ、これを好機として東アジア戦略を本格的に持たねばならないの
です。

 そういう議論を、来年は整理していきたい。そのためにも今年の機関紙に載っ
た、中西寛、添谷芳秀、李鐘元、小此木政夫など各氏のインタビュー、講演を再
学習していただきたい。

 そして日本再生の覚悟をすえるために、中西輝政氏の『日本の敵』(文藝春秋
社)『いま本当の危機が始まった』(集英社)を、そして主権者としての責任・
自覚を他者にもきちんと訴えるために、橋爪大三郎氏の『政治の教室』(PHP
新書)を、
 さらに、戦前日本の失敗を歴史的な事実として理解し、そこから教訓をひもと
くために五百旗頭真氏の『シリーズ日本の近代6 戦争・占領・講和』(中央公
論新社)を、それぞれお奨めする。

 年末―正月休み、自らの来し方を振り返りつつ、ケジメをつけるべき戦後(そ
の中でのパブリックなき生き方)に死を宣告し、国民としての責任と自覚の回復
をもって、来年は「覚悟」を語り、問い合おうではありませんか。

 では、よいお年を!

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◆メッセージ   中国の台湾侵略を容認する田中外相発言に抗議する

 以下は、在日台湾同郷会の林建良さんから送られてきたメールです。
 台湾については現に、昨年の総統選挙そして今年12月の立法院選挙(国会議員
選挙にあたる)によって、大陸中国とは別個のアイデンティティーを持つ独立し
た主権体であることは、事実として認識すべきことでしょう。近隣への無知は恥
ずべきことであり、そういう人が「外務大臣」であることの責任は、わが日本国
民にもないとは言えません。
そうした意味からも、ここに転送させていただきます。

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中国の台湾侵略を容認する田中外相発言に抗議する
               在日台湾同郷会 会長 林 建 良

田中真紀子外相は2001年12月23日付「日本経済新聞」の中で台湾と中国の
「統一」問題に触れ、「台湾は同一民族だから将来、香港みたいに収れんされる
と思う」「武力政策ではなく時間がかかって世代が入れ替わることで上手に収れ
んしていくことだろう」と述べている。

これは現実状況を全く無視した、しかも台湾の併呑を目論む中国の野望を代弁に
等しい、悪質極まる発言である。

なぜなら言うまでもなく、台湾と香港とでは事情が全く異っているからだ。香港
はイギリスの植民地だったのであり、それが中国に返還されただけに過ぎない。
一方台湾は、どこの国の植民地でもない。しかも中華人民共和国の統治を一度た
りとも受けたことがないのである。

つまり台湾と中国は外国同士なのである。例え「同一民族」であれ、漢民族国家
のシンガポールが中国とは無関係の主権国家であると同様、台湾もまた一つの主
権独立国家なのである。日本政府がこれを承認するか否かにかかわらず、これは
否定しようのない厳然たる事実なのだ。

その台湾が中国に、どのような方法で「収れん」される(主権が奪われる)と言
うのか。
この中国の侵略を支持、容認するが如き発言は、もはや田中外相の個人的見解と
いうだけでは済まされない。

なぜならこれは一国の外相の発言であり、日本国民の対台湾認識をミスリードし
て中国を助勢し、我々の尊厳と利益を著しく侵害するものだからだ。

田中外相は今回、李登輝前総統の訪日問題にも言及し、これを「頭痛のタネ」と
述べている。あたかも李登輝氏に何らかの「非」や「罪」があるかのような、非
礼極まる発言である。

どこまで台湾人を侮辱すれば済むのか。

我々は台湾人の尊厳を守るため、ここに田中外相に対して断固たる抗議を行うと
ともに、台湾及び台湾人に対する公式の謝罪を要求する。

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抗議文の送り先 FAX 番号

総理官邸 03−3581−3883   NHK 03−3476−1988
外務省  03−3593−2528   TBS 03−3505−4190
朝日新聞 03−5540−7618テレビ朝日 03−5425−2440
共同通信 03−5572−6086テレビ東京 03−5403−9955
産経新聞 03−3242−7745日本テレビ 03−5275−4505
東京新聞 03−3474−0352フジテレビ 03−5531−8272
日経新聞 03−5255−2640毎日新聞  03−3212−0635
読売新聞 03−3217−8229


□◆□ 来年のお知らせ □◆□
■第35回定例講演会 「変貌する中国と、どう向き合うか」
 とき・1月22日(火)午後6時30分より/6時開場
 ところ・総評会館201室
 講師・天児慧(青山学院大学教授)
 参加費・会員1000円/一般2000円

■セミナー「がんばろう、日本!」
 とき・2月10日(日)午前10時より午後9時まで
 ところ・日本青年館502室
 基調講演・戸田政康(代表)
 講演「わが国防衛の構造改革」/森本敏(拓殖大学教授)
 講演「自立と自由の社会制度−雇用、社会保障、経済・・・」(講師要請中)

 参加費・会員3000円/一般5000円
 *なお11日には、「がんばろう、日本!」国民協議会の全国会議を開催。
  会員以外のオブザーバー参加を歓迎します。

■東京・戸田代表を囲む会
 とき・1月26日(土) 午後5時より
 ところ・民主統一同盟東京事務所
 会費・4000円(飲食含む)
 *この日は元長銀調査部の竹内文則氏より、わが国の金融問題について話題提
供をうけ、懇談します。ここしばらくは、経済・財政・金融政策や、規制緩和・
行政改革などを軸に、学者、官僚などから話題提供を受けて議論する形になりま
す。参加希望者はご一報を。

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石津美知子 Email:ishizu@ganbarou-nippon.ne.jp
民主統一同盟 「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
TEL:03-5215-1330 FAX:03-5215-1333
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