戸田政康 「がんばろう、日本!」国民協議会代表
   1946年生まれ。学生時代より一貫して改革保守の立場で活動。日大(65年入学)では学生会幹部として自由主義的改革に尽力し、全共闘運動にも参画。一方で自由主義的な国会議員とも交流があったが、既存政治の枠内ではわが国の主体性は回復できないと考えるに至る。冷戦期においては「無条件降伏後遺症とでもいうべき戦後日本の国家と政党政治に対する歪み・卑俗化を是正することなしに、自由・民主主義を血肉化することはできない」との考えから、独自の啓蒙活動を展開。冷戦体制の崩壊を好機として、新たな国家像を問う政党政治の復興と主権者をめざす政治活動を展開(民主統一同盟1987年〜)。この基礎のうえに、戦後日本の「疑似」市民から、政権交代可能な国民主権・政党政治文化へ脱皮・成熟すべく「がんばろう、日本!」国民協議会〜平成の草莽崛起を提唱(1999年)。
「かくすればかくなるものと知りながら、やむにやまれぬ大和魂」(吉田松陰)「おもしろきこともなき世をおもしろく(すみなすものは心なりけり)」(高杉晋作)という生きざまに共鳴するところ大である。
 
*草莽崛起(そうもうくっき):吉田松陰が唱えた変革の組織論。体制内変革にことごとく挫折した松陰は最後に、在野の志士と庶民の決起による以外にないと考えた。これを具現化したのが高杉晋作による奇兵隊であった。世直しのために、普通の人が無償で「バッジをつけない主権者」として務めを果たす―これが平成の草莽崛起。
2000年「がんばろう、日本!」国民協議会運動をよびかける11・19集会(2000.11.19)
日本を再生させる矜持ある国民運動を!
2001年「がんばろう、日本!」国民協議会 第一回大会(2001.9.23)
平成の草莽崛起を〜政権交代可能な政党政治の基盤整備をおしすすめよう
2002年「がんばろう、日本!」国民協議会 第二回大会(2002.10.27)
国民主権の力で政権交代の波を!