日本再生 355号 2008/12/1発行

グローバル化・低炭素経済―市場経済のパラダイム転換と、国際秩序の構造変化をめぐる激動の情勢。
これに対応する「チェンジ!」の民意の底力を!

激動の情勢に「チェンジ!」で対応したのか
迷走に帰結するのか

 二〇〇八年は、国際政治経済情勢の大激動の渦中の一年となった。米欧の不動産バブル崩壊に端を発した金融危機は、新興国や産油国を巻き込んだ金融恐慌の様相を見せ始めており、また実体経済の悪化との負の連鎖にも入り始めている。同時に世界は多くの不安定要素を抱えている。テロとの戦いの要であり、核保有国でもあるパキスタンは、昨年来からの政治的動揺に加えて金融危機のダメージも受けている。また金融危機によって破綻の瀬戸際に瀕するアイスランドには、北極海をはさんだロシアが支援を申し出ている。韓国も金融危機は深刻であり、またタイでも長期化している政権退陣を求める動きが激化しつつある。
 このような激動の情勢とは国際政治経済の構造、秩序の再編をめぐる攻防にほかならない。現下の激動は、冷戦後の国際秩序の本格的な再編過程として、「世界大戦の代替物の役割を担っている」といえる性格のものである。
 「伝統的には、国際秩序の構造変化をもたらす契機として最も基本的なものは大戦争であった。三十年戦争、ナポレオン戦争、二度の世界大戦などである。しかし人類の利用可能な破壊力が増大するにつれて大戦争はほぼ不可能となった。とはいえ、今の人類は自滅的な戦争をするほどには愚かでは
  なくとも、平和的な手段によって大規模な国際秩序の変革をなし遂げうるほどには賢くない。そのよい例が冷戦の終焉であって、国際社会は平和的に冷戦を終えることはできたが、その後の国際秩序の調整には失敗した。世界的な経済恐慌と続発する地域紛争が重なる現在の状況は、国際秩序の大規模な変革過程として世界大戦の代替物の役割を担っているのである。そのことは、折しも中国で開催されたアジア・ヨーロッパ首脳会議(ASEM)が世界的に注目され、ほどなくアメリカで金融問題を協議する新たな首脳会議が招集される見込みになっていることにも既に示されている」(中西寛「中央公論」12月号)
 「新たなブレトンウッズ体制への道なのだ」。ワシントンでのG20後の会見で、イギリスのブラウン首相は首脳宣言の意義についてこう語った。たしかに宣言自体は「総論賛成、各論先送り」ということもできるが、今後の世界の金融秩序を新興国も含めた「脱先進国」の枠組みによって調整・決定するという枠組みは、「新たなブレトンウッズ体制」への一歩ということができるだろう。第二次大戦以降、冷戦後にも手直しされながら続いてきた国際金融経済のゲームのルールと主体が大きく変わることは間違いない。
 この激動に、新たな枠組みを提起する「切り込み」の側から関わるか。あるいはこの激動のなかで、「次のポジション」への地歩を確実に固めるのか。その新たな攻防はすでに始まっ

ている(そのはるか圏外で迷走する日本)。
 新興国はIMFの改革など、既存の枠組みの再編を求めた。「G8が存在する意味はもはやない。既存の国際機関とルールは、歴史によって拒否されたのだ」と、ブラジルのルラ大統領は述べている。ヨーロッパは「ブレトンウッズ2」を標榜しつつ、アメリカを巻き込む調整役を担うなかで、ポスト・ドル基軸の世界を展望している。中国は、行動計画にIMFや世銀における新興国の関与の強化がうたわれたのをうけて、胡錦濤国家主席が「中国は責任ある態度で金融市場の変化に応じた国際機関の融資能力増強を支持する」と表明。翌日、温家宝首相が発表した五十七兆円にのぼる大規模な景気刺激策は、G20に真っ先に応えるタイミングで参加国中、最大規模の行動となった。
 危機の張本人ともいえるアメリカは、まさに「チェンジ!」で、この激動に対応しようとしている。ブッシュ大統領は、オバマ次期大統領へのすみやかな政権移行によって「政治空白」をつくらないと約束。民主政に不可欠な「よき敗者」として対応した。しかしその間にもGMや(いったん救済したはずの)金融機関の経営問題が深刻化している。GM支援を脱化石燃料・低炭素社会にむけた「グリーン・ニューディール」として位置づけるくらいの大転換の知恵が必要になるだろう。大統領選で調達したチェンジの民意をそのエネルギーに変換していく手腕が、新大統領に問われている。(ついでにいえば、中国にも二〇三五年までに国内生産の自動車の半分を電気自動車にす
  るという計画がある。金融危機を受けた新たな公共投資によって、これを加速化することは十分考えられるだろう。旧態依然のパラダイムの延命のための垂れ流しか、パラダイムと構造を転換するための投資か、その仕分けができなければ、「景気対策=公共事業=バラマキ」という「迷走」が深まるばかり。)
 国際金融秩序形成のプレイヤー、力学は間違いなく「脱先進国化」したことが示された。「米一極」時代の転換である。そこに「IMF強化(旧来の枠組み強化)」という一枚看板で乗り込んだのでは、「三周遅れのトップランナー」でしかない。オバマ大統領の誕生は、「アメリカの時代」と言われたようなこれまでの国際政治経済へのかかわりが大きく転換する(せざるをえない)ことを意味している。それに対して「誰が大統領になっても日米同盟は変わらない」では、変化が何ひとつ見えていないということではないか。G20の夕食会でも、記念撮影でも、主催国・ブッシュ大統領の両脇を占めたのはブラジル・ルラ大統領と中国・胡錦濤国家主席であった。G8議長国である日本は次回の開催に意欲を見せたが、それも叶わなかった。
 「問題にしたいのは、新しい国際秩序をつくる大きな構想を前に、日本の準備がほとんどできていないことだ。麻生総理は現地の記者団に『アメリカのような市場原理主義でもいけない、ヨーロッパのようになんでも規制でもいけない、日本はその仲介をする』といった趣旨の発言をし、日本の役割を述べている。まず、このようなあまりに単純な理解を卒業する必要

がある。アメリカは市場原理主義ではないし、ヨーロッパも何でも規制するわけではない。欧米ともに、もっと先の議論をしようとしている。結局、一つの哲学を体化した具体的な提案・プランを持たなければ、日本の貢献はできないのである」(竹中平蔵氏 11/19産経)
 「一つの哲学を体化した具体的な提案・プラン」は、その場限りの思いつきではできない。それは一時代を通じた経験の集積と総括のなかからのみ、生まれてくる。「冷戦体制の終焉は、人類史上初めて『単一の世界市場』が登場したことを意味した。グローバル市場、グローバル経済の時代の幕開けである。産業資本主義からポスト産業資本主義の時代への変換、あるいは情報通信革命の時代ともいわれるこのステージは、十六世紀から二十世紀までの資本主義の急速な変化でもあった。
 この資本主義の時代が二度の世界大戦へと帰結したことの総括から構築された第二次大戦後の世界経済の枠組み、システムも当然、グローバル経済というステージからの挑戦を受けてきた。この構造的変化に対して、新たなシステムへの試行錯誤として対応してきたのか、それとも旧来のシステムの延命・先送りとして対応してきたのか。その帰結が否応なく明らかになってくるのが、〇八年の情勢である」(本年一月・第五回大会「基調」より)
 G20の舞台で繰り広げられたのは、市場経済の歴史的転換
  ―国際秩序の再編という激動の情勢にどう対応してきたのか(対応できていないのか)、その実際の姿をめぐるドラマである。激動的再編に対して、試行錯誤しながら対応を準備してきた側、否応なく対応せざるを得ない・チェンジに賭ける側、そして「先送り、逃げまくり」を繰り返した挙句、変化が何ひとつ見えていないがゆえの「迷走」として帰結するもの。
 まさに「内外政治の激動的動きが始まる二〇〇八年。これに対応できなければ、健全な政権選択選挙の実施は困難となる―情勢」(本年一月の第五回大会基調 タイトルより)であり、激動に対応できないどころか「逃げまくり」、「先送り」を繰り返した末の「迷走」こそ、〇八年末の麻生政権をめぐる状況にほかならない。
 ワシントンでの金融サミット(G20)をはさんで、WTO・ドーハラウンドをめぐる議論の様相は一変した。七月の閣僚会合で先進国と途上国・新興国の対立が深まって決裂して以降「合意は早くても来年以降」と言われていたのが、G20で「今年中の大枠合意に努力する」と打ち出され、APECでは特別声明で「誓約」された。背景には、世界的な金融危機に伴って保護主義が台頭することへの共通した危機感がある。
 こうした動きは日本にとっては「想定外」だった。国際的な秩序の再編期における金融危機→ブロック経済化→世界大戦という歴史の教訓から対応している側は「各国首脳の熱意はすごかった。交渉を動かす勢いがでた」(外務省幹部)というこ

とになるが、歴史的教訓の蓄積はなし、おまけに「逃げまくり」「先送り」で交渉担当大臣もコロコロ変わる(三年間に七人の農水大臣!)、ということでは、「(合意ができるかどうかは)やってみなければ分からない」(麻生総理)という、「各国首脳の熱意」とはおよそ無縁の話になる。
 まさに「首相が当たり前と思っている世界が、世の中とずれている」(御厨貴・東大教授 11/21朝日「失言」についてのコメント)ということでは、激動の情勢は何ひとつ目に入らない。したがって、変化に対応しなければならないという意味も分からない。この「迷走」にピリオドを打つ、チェンジの民意の底力こそが試されている。

激動の情勢―方程式は大きく変わった。
グローバル化・人口減少・低炭素経済にどう対応するか、ここから外交・内政の「チェンジ」の接点を

 この激動の情勢に、「迷走」として帰結する政治の脆弱性に、いかにして底を打つか。〇八年の総括は、国民主権の底力こそが問われるものとなる。本年一月の大会では、「パブリックの輿論の力で健全な政権選択選挙へと迫り出そう」として、主権者運動の構えをこう提起している。
 「激動的動きですから、枠組みがきれいに変わって動く、方程式が大きく変わるわけです。当然、旧い方程式の中にいる人は、事態がどう動いているかがわかりません。例えば戦前には、独ソ不可侵条約が結ばれた時(1939)に平沼騏一郎総
  理が、『ヨーロッパ情勢は奇怪千万、よって余は辞職する』と。こういうことが起こるんです。
 旧い方程式で新しい方程式を見ようとしても、ついていけません。旧い方程式を一番よく知っているのは、旧い枠組みの時のエリートです。そういう人たちは機能停止になります。〜中略〜そしてわが国は、グローバル市場への転換をめぐる緒戦の攻防に、ものの見事に完敗しました。俗に言う『失われた十年』、実際にはプラザ合意以降の『失われた二十年』です。
 戦後日本の国力が一番強かったのは、プラザ合意あたりのところから一九九三年ぐらいまでのところです。覚えていますか。当時、『もしかしたら日本は一周遅れのトップランナーかもしれない』と言われていた。結果から見れば、先進国の中では『一周遅れのトップランナー』だったんです。この間にゲームのルールは大きく変わってきた。金融、IT、環境、こういった領域を抜けるかどうか。その試行錯誤をしてきたところは、その総括からさらに実践的な展開に入ってくる。EUの『低炭素経済』への移行の挑戦などは、その典型です。ゲームのルールが変わる、方程式が変わる過程に何一つ関わることが出来なかったわが国は、『準備なく』この激動に対応せざるをえない。つまり、先延ばしはもう不可能だ、というところから否応なく新しい方程式に対応せざるを得ない。
 〜中略〜構えとしてまず、ここでへたり込まない。そのためには、立ち位置をしっかり自覚することです。日本はグローバル時代の大国ではない。ミドルパワー、日本的に言うと脇役という立ち位置で、そこで比較的よい方向に向けてどれだけ役

割をうまく果たすかということです。大きな変わり目の時に、立ち位置が見えずに一致団結箱弁当では、戦前の翼賛体制の二の舞です。
 配っている年表を見てください。大西洋憲章というのは、戦後体制の理念について米英が合意したものです。すでにそれがでている時に、その後に真珠湾攻撃があるんですよ。戦後の経済体制であるブレトンウッズ体制が一九四四年、敗戦の前ですよ。山本五十六は『短期決戦なら何とかなるが、それ以上は無理だ』と言いました。要するに、へたり込んでいるという状況の中で突っ込んでいったということです。
 〜中略〜こういうことを、二度と繰り返してはならないということなんです。そのためには、大きな変化の時、激動の時にへたり込んではダメなんです。へたり込むというのは結局、知恵がなくなったからです。ですから政党政治の知恵と。ないものねだりではなく、あるものを磨け、その知恵を出せということです。
 既存政党に知恵があるかないかという発想自体が、ないものねだりなんです。政党政治の知恵ということは、根っこのフォロワー、バッジをつけない主権者運動の中に、知恵の糸口を回復するという問題です。そのためには、中西先生や前田議員が言われているように、内政と外交との接点をマニフェストの中に作る、その環をどうセットするかということになります。
 外交を対米関係だけで考えていたのでは、内政と外交がつながっているという実感はできません。金融でも経済でも環境でも、国際政治を動かす主要なテーマにおいて、ゲームのルールが様変わりしているわけですから」(第五回大会・第一部・戸田代表)
   まさに金融危機をめぐる激動のなかから、先進国・新興国を含めた新たな国際秩序の再編、そして低炭素経済への転換を含む経済社会のパラダイムチェンジ、そのなかにおける各国の内政課題の再定義というステージが展開されている。
 日本にとってこの金融危機は、輸出で儲けたカネを政治家と官僚が地方に配分するという旧来の政治経済モデルから脱却する「追い風」だろう。そして医療や教育、農業を内需の源泉として捉える「チェンジ」の到来ではないか。あるいは、金融資産を有効に活用するための資本・資産市場の改革や、円建て取引の拡充を図るといった発想の転換を実行に移す「チャンス」だ。国際政治を動かす主要なテーマにおいてゲームのルールが様変わりしていることが、普通の人にも否応なく見えてきたからこそ、内政と外交の「チェンジ」の接点を生活実感からとらえられるようになってきたのだ。
 例えば、二兆円を「定額給付金」として配るのがいいか(誰に、どうやって配るのか、そのコストはどれだけで、誰が負担するのか、そもそも財源はどうするのかなどいっさい不明だが)、医療の建て直しに使うのがいいか、という話は「自分にとってどちらがトクか」というレベルではなく、経済社会の構造転換にとってどちらが有益な投資なのか、という議論ができる。道路財源の一般財源化なら、一兆円を分捕りあって地方に配るのと、暫定税率を廃止するのと、どちらが(経済財政構造の転換にとって)「スジのいいバラマキか」という議論になる。
 金融危機をめぐる激動は、グローバル化・人口減少・低炭素経済という新しい方程式に対応するための「開国倒幕」という輿論のうねりをつくりだすステージにほかならない。

解散総選挙で国民の信を問え
民意の底力・パブリックの輿論で
迫り出していこう

 こうした内政と外交の「チェンジ」の接点を、どのようにマニフェストへと迫り出していくか。ここから「総選挙で国民の信を問え」という民意のうねりを、どうつくりだしていくか。
 オバマ大統領を誕生せしめた「チェンジ」の民意は、ブッシュ・共和党政権の行き詰まりや閉塞から生まれたものではない。オバマ氏はシカゴでの勝利演説でこう述べている。これは「(投票するために)全国の学校や教会の周りに行列を作ったこれまでにない数の人々、何時間も待ち続けた」人々、「今回は違うはずで、自分たちの声が変革になりうると信じていた」人々が出した答えであり、「(リンカーン米大統領の言った)『人民の人民による人民のための政治』は二百年以上たっても滅びていないと証明した何百万人」もの人々の力だと。
 さらに続けてよびかける。「あなたたちがこの選挙に勝つためだけに行動したのではないことを私は知っている。私のために行動したのでないことも。あなたたちは、これから待ち受けている膨大な課題を理解しているから行動したのだ。今夜は祝うにしても、明日から向き合う難題は我々の時代で最大級だ。(イラクとアフガニスタンの)二つの戦争、危機に直面した地球、今世紀最悪の金融危機……。
 我々は今夜、ここに集っていても、イラクの砂漠やアフガニスタンの山地で起床し、我々のために命の危険を冒している
  勇敢な米国人がいることを知っている。子供たちが眠りについた後も、多くの父親や母親が、住宅ローンや医療費、子供たちの大学の費用をどうやって工面したらいいか思い悩ませている。
 新たなエネルギーの開発、雇用の創出、学校の建設、脅威への対処、修復すべき同盟関係、といった課題が待っている。道のりは長く、険しい。一年、あるいは(大統領任期の)一期(四年)の間には達成できないかも知れない。だが、私は今夜ほどそこに到達できるという希望を持てたことはない。
 私は約束する。我々が、国民としてそこに到達することを。出だしのつまずきや失敗はあるだろう。大統領としての私の決定や政策のすべてに必ずしも賛成しない人もたくさんいるだろう。政府があらゆる問題を解決することはできないことも我々は知っている。
 だが、我々が直面する困難について私は常にあなたたちに正直にいる。特に意見が異なるときほど、あなたたちの声を聞く。そして何よりも、あなたたちにこの国の再建に加わってもらいたい。二二一年間米国がやってきた、ブロックやれんがを一つひとつ、硬くなった手で積み上げるという唯一のやり方で。
 二十一カ月前の真冬に始まったことは、この秋の夜には終わらない。この勝利だけが、我々が追い求める変革ではない。これは変革を行うためのチャンスに過ぎない。もし以前の状況に戻ってしまったら、変化は起きない」(引用は11/6 asahi.comより)

 こうした演説の背後には、全米で人種、年齢、職業を問わず何万というボランティアが戸別訪問をして歩き、そのなかから「この選挙は民主か、共和かという選挙ではない、アメリカのため、私たちのための選挙だ。イラク戦争にしろ、税制にしろ、希望を失った若者や忘れられたお年よりたちもが参加して、アメリカの未来を自分たちで決めるための選挙だ」という確信をつかんでいったという、民主主義の底力があることを忘れてはならないだろう。
 「チェンジ!」の民意、そのエネルギーは、変化に対応できない閉塞、迷走に対する非難や鬱積からは、決して生まれない。
 「こういう時期、とりわけ世界が日本に相談なく新しいシステムで動き出す、日本には何の準備もないという時はまず第一に、自暴自棄をエネルギーにしないこと。『どうせだめなら、この一戦で』とか。これが一番の愚策です。
 そうでなかった場合は、『言われていることはわかる、それがどういうことを意味するかも知っている、だがそれを実行するだけの器量のある人も、組織もないではないですか』ということが出てくるんです。そこでも、へたり込んではだめなんです。何とかしなければいけないと、七割の人は思っています。その時にへたり込むかどうか、へたり込まないためには小さな知恵でもいいんです、『まずこれをやってみよう』、『あ、それはいいね』と。そういうことで、つないでいくしかないんです」(五回大会・第一部・戸田代表)
   この一年、「日本の民主主義のためには政権交代があったほうがいい」という「自民か、民主か」とは違う次元の判断基準が、七割の民意になった。だからこそ、ここで「そうは言っても解散権は総理が…」とか「そうはいっても永田町の力学では…」と、「ないものねだり」に逃げ込むわけにはいかない。たとえどんなに立派でも、政党や政治家に主権はない、主権はわれわれ国民にあるのだから。
 「ないものねだり」に逃げ込まないためには、小さな知恵を出し合って、つないでいく以外にない。永田町は動かなくても、地方議会、地方議員はより身近な存在のはずだ。このままなら給付金では、暫定税率の時以上に地方の現場に「迷惑」「混乱」が降りかかってくる。補正予算案を年明けに出すというなら、年度末の混乱は想像を絶するものになるだろう。中身のあいまいなものを地方に丸投げ、しかも強行採決のおまけつき、では自治の現場はたまったものではない。
 「求む、まともな政府!」「国民の信を問え!」は七割以上の民意だろう。この民意のうねりを、解散総選挙を求める意見書として地方議会から決議していこうではないか。パブリックの輿論で地域から、健全な政権選択選挙へと迫り出そう。どんなに逃げまくっても、衆議院の任期は〇九年秋までだ。その任期を超える来年度予算の作成までをも、われわれは白紙委任した覚えはない!
 民主政には、「よき敗者」が不可欠だ。明治維新を成し遂げたのは「開国倒幕」の民意のうねりであるとともに、迷走の挙

句に機能不全に陥った幕府側に、「よき敗者」として振舞うことができる者がいたからだ。オバマ政権の誕生も、一般投票で過半数を超える史上最高得票を得た「チェンジ!」の民意とともに、マケイン、ブッシュという「よき敗者」に支えられている。「国民の信を問え」という声は、「よき敗者」を育てることが
  出来るまでの政治文化―政権交代が当たり前という民主政を支える政治文化の一歩でもあるはずだ。解散総選挙で信を問え―パブリックの輿論で迫り出していこう。
(11月24日記)