日本再生 347号 2008/4/1発行

主権在民の方程式で政治を動かす。
国民主権・自治分権の底力が試される。

「日切れ」で明らかになる官僚内閣制の
不条理、非常識 
主権在民の方程式で政治を動かす“気づき”の連鎖を

 戦後初の日銀総裁「空席」に続き、道路特定財源・暫定税率の「期限切れ」が確実になってきた。衆参両院の決定が異なるという「新しい政治状況」の意味、すなわち五十五年体制・官僚内閣制の先例ではいかなる意味でも政治が動かないという新次元に入ったことを、既存政党も否応なく追認せざるをえなくなった。
 「日切れ」で明らかになっているのは官僚内閣制の不条理であり、日程国会・国対政治の機能不全である。国対政治の政局発想では、この攻防はチキンゲームにしか見えないだろう。当然、それをやりぬく胆力はない。官僚内閣制の不条理、非常識を暴き出すところまでこの攻防をおしすすめる決断や確信は、主権者から付託を受けた者として、主権在民の方程式で「新しい政治状況」をマネージするというところからのみ生まれてくる。
 例えば結果として空席となった日銀総裁人事で明らかになったことは、内閣が決定すれば国会はそれを追認するだけというこれまでの「常識」が、じつは「非常識」にほかならないこと、「(不同意では)混乱するから困る」というのは「たすきがけ人事(財務省の天下りポストとしての日銀総裁!)」の「常識」
  にほかならないということだ。そういう時代がリセットされざるをえなくなった。「あるべき」日銀総裁人事の基準は、ここからスタートする。
 「金融敗戦」の処理をうけて作られた新日銀法は、六人の審議委員と正副総裁で構成される「政策委員会」を最高意思決定機関としている。議長は互選であることからも、審議委員は議長足りうる人材ということになる。審議委員をこのように選んでいけば、正副総裁候補の枯渇という事態も避けられるはずだ(詳しくは大塚耕平参院議員のメルマガ参照)。中央銀行としての政策決定過程の「あるべき姿」をどう築いていくかという課題が、ここからようやく見えてくる。「日銀総裁人事」を政局発想の駆け引きで扱うところからは、これは絶対に見えてこない。
 道路特定財源・暫定税率の「日切れ」によって明らかになっているのも、三十四年間も続く「暫定」が当たり前だと思ってきた官僚内閣制の不条理であり、中央集権制の非常識であり、日程国会・国対政治の機能不全にほかならない。例えば、片山・前鳥取県知事はつぎのように指摘している。
「清水(記者) 道路特定財源はどうすべきだと。
 片山 一番重要なことは特定財源制をやめることです。その上であらためて(上乗せ分の)暫定税率が必要かどうか検証すればいいと思います。
 特定財源制は特定の人から税金を取って、納得してもらう

ため、その人たちの利益になる特定の目的にしか使えないように縛るものです。ところが、いまやガソリン税はドライバーだけでなく、バスやタクシーに乗る人も間接的に負担しています。ほとんどの国民が納税者で、消費税とあまり変わりません。
 国土交通省の役人や道路族議員はドライバーから税金を取って、一般財源にしたら理解が得られないと言いますが、こじつけです。そもそも、納税者は一般財源でいいという人の方が多いではないですか。
 それに、全国の自治体がみんな道路は重要だと言い張っているのだから、使い道を縛る必要もありません。では、何を縛っているのか。道路を造りたい国交省と族議員が、教育や福祉に税金を使ってほしい国民を縛っているんです。
 清水 でも、知事や市町村長はみんな一般財源化に反対ですね。
 片山 全く不可解です。道路が重要な人は特定財源でなく一般財源でも、道路に使えばいいんだから。中には道路よりも教育が重要だと思う人もいるでしょう。一般財源になったら、その人もハッピーで、どっちもハッピーですよ。『道路にしか使えないようにしてくれ』なんていうのは合理的でない。
 清水 地方は中央官庁から圧力をかけられて、一般財源化反対の『やらせ陳情』をしているという指摘もあります。
   片山 国交省や道路族への気兼ねとか、恐怖感があるんでしょうね。賛成したら『そうですか、あんたのところは道路がいらないんですね』って言われるのではないかと恐れているんですよ。
 清水 三月末までに租税特措法改正案が成立しないと、暫定税率の期限が切れます。政府や自民党は地方財政に穴があくと騒いでいます。
 片山 地方自治体で財源の当てが外れるなんて、しょっちゅうあります。公共事業は国から補助金がくると思って(予算を)計上します。それがこないと、年度途中で減額補正してバラバラ落とす。今回だけ大騒ぎしているのは不自然です。
 自治体も不見識ですよ。法律が三月で切れることになっているのだから、それを前提に行動すべきですよ。危機管理ができていない。
 清水 クルマの通らないような高速道路はいりませんが、過疎地の生活道路はやはり必要です。道路整備の在り方は。
 片山 道路だけでなく、教育も福祉も子育ても全部同じ土俵に乗せて、何を優先すべきか考えるべきですよ。こんなところに道路を造るんだったら、子どもたちの学校の環境整備の方が重要だとか、それよりも、こっちの道路を造るべきだとかね。そういう議論をしなきゃいけない。
 清水 民主党も一般財源化を主張してますが。

 片山 税率を下げると言いながら、地方の道路も造れるようにするというのはペテンです。リストラで所得が減って、そこにガソリンが高騰し困っている家庭が多いから、ガソリン代を下げましょう。でも、そうすると、五年でできる道路が七年になるかもしれないけど、そこは理解してほしい。こう言わないと。
 清水 今回の騒動は、小泉純一郎元首相が『ぶっ壊した』はずの政官業の癒着構造が壊れてなかったということですか。
 片山 いや、壊れゆくものの、最後のあがきですよ。壊れているからこそ危機感が生じ、わざわざ十年延長とか、誰が見ても納得しないような案を出すわけです。やっぱり落ち目になると、読めなくなって、より深みにはまるようなことをするんです。弱り目にたたり目だと思いますよ。
 清水 こんな調子で地方分権はできますか。
 片山 できませんよ。小泉さんが分権と言ったら、地方も『分権、分権。もっと自由をよこせ』。今度は総務省と国交省が特定財源って言うと『特定財源、特定財源。縛ったままにして』でしょ。一貫しているのは権力者の言うことを踏襲していることだけです。
 もう顔触れが変わらなきゃ駄目ですよ、国会議員も首長も。
  平気で自分たちの主張してきたことと違うことを言って。本当にみんな恥知らずになりましたよ」(東京新聞3/4)
 政官業の癒着・依存と分配の構造からは、「四月パニック」説やら「国民生活を人質にとって日程闘争」という発想になるが、四月一日を超えればもはやこうした「チキンゲーム」そのものがリセットされる。いったん期限が切れた暫定税率を、再び増税するのかどうか。「60日ルール」に基づいて四月末に衆議院での再議決を目指すというなら、政府・与党は増税の理由・根拠を国民に納得のいくよう説明する責任がある。
 「日切れ」によって官僚内閣制の不条理、中央集権制の非常識があきらかになったからこそ、ここから道路特会は本当に必要なのか、一般財源化すべきかという「あるべき姿」を議論できるようになる。ここで実のある議論がどれだけできるか、まさに議会が試される。道路族と党税調が牛耳ってきた議論が国会でオープンにされることによって、官僚内閣制では見えなかった「決定過程」(国会)が、見えるようになってきた。だからこそ、議論をつうじて合意形成をする、あるいは違いを明確にするというように、主権在民の方程式で決定過程をマネージすることが問われる。


主権者として決定過程に参加する議会改革
主権者運動を可視化する議会活動

 官僚内閣制の惰性でこれまで「常識」だと思ってきたことが通らなくなったのは、「ねじれ」という政治状況と同時に、決定的には主権在民の方程式で政治を動かすことが、それぞれのレベル、持ち場で行動的に見えるようになったからだ。暫定税率や日銀総裁人事で、ブレずに主権在民の方程式から官僚内閣制の不条理、中央集権制の非常識を明らかにしたのも、その陣形がうまれつつあるからにほかならない。
 ひとつは(世論とは区別される)輿論の萌芽である。各種の世論調査で、「一般財源化」「暫定税率廃止」に六割から七割が「賛成」という数字は一貫してほぼ動いていない、むしろ衆議院での論戦が進むにつれて増えていった。世論の質が変わりつつある。「暫定税率廃止」を支持する理由には幅があるが、私的な利害ではなく、世間に向かって説明できる生活実感に根ざした理由がある。だから賛否を変えるときにもその理由を説明できるし、賛否の立場が違う人の理由を聞く耳も持っている。そういう性質に変わりつつある。
 この点ですでに民意の質は、「あらかじめ(与野党で)賛否
  を固定」している議会、「異なる意見に野次を飛ばすだけ」の議会のレベルを超えつつあるといっていい。知事会のなかにもようやくごく一部に、「国民がこれだけ暫定税率廃止を求めていることを考えるべきだ」との意見が出るようになったが、道路財源・暫定税率死守を叫ぶ首長、地方議会は自分たちを選んだ市民との乖離に、そろそろ気づくべきだろう。
 あるいは新銀行東京の追加融資に関する世論調査も、全体で七割が反対、知事支持層でも七割が「説明に納得できない」、与党支持層でも同様で、六割が来年の都議選の投票ではこの賛否を考慮にいれるとしている。特定の利害対立や党派的立場に関わらない「是と非」の判断が、この問題では形成されつつある。世論と都議会との乖離は決定的だ。都議会はまともな議論もせずに「他に選択肢がない」と四百億円の追加融資を可決したが、これでは都議会は「いらない」ということになる。
 主権在民の方程式で政治を動かすとは、こうした輿論の存在、それを支えている主権者の存在が見えるということである。それが見えていなかったら、官僚内閣制の不条理、「イネムリ議会」の非常識を指摘することはできても、主権在民の方程式からそれを変える組織戦は展開できない。

 北海道福島町の議会基本条例は、同栗山町と並んで議会改革(議会を二元代表制の決定機関にふさわしい討議の場とする)の「お手本」であるが、その改革の“気づき”の起点は、「議会の『常識』は国民主権の非常識と思え」ということだという(四面・白川同人報告参照)。それは「輿論」や「主権者」の存在が見えているからこそ、であろう。あるいは福嶋・前我孫子市長はスウェーデンの自治体視察について『主権者の見える国』と報告している(五面参照)。
 埼玉県越谷市議会では、一度否決された「副市長一人制」について「議会で論議を尽くすことを求める」請願が市民七千名の署名とともに提出され、採択された。請願者代表市民も委員会で口述し、前回は行われなかった「反対討論」も行われ、委員会ではほぼ全議員が意見を開陳して採決が行われた。賛成にしろ反対にしろ、議員が自らの立場を議会という公的な場でオープンに表明し、討論し、採決によって議会の意思を決定するという「当たり前」のことが、ようやく一歩を踏み出したわけだが、それを可能にしたのは七千名の市民の署名を集めた請願運動にほかならない。
 個別の施策に対する賛否や要望ではなく「議会で論議を尽くすことを求める」という、いわば「議会と向き合う市民運動」が七千人の署名を集めたことによって、(「議会を監視する」こととは違う)「議会と向き合う輿論」、主権者の存在が可視化された。主権在民で議会を動かす、ということが「キレイゴト」「建前」ではなく、現実の決定過程として動き始めたということ
  である。
 「ねじれ」という新たな政治状況の下で、こうした主権在民の方程式で政治を動かすメカニズムが、さまざまな形で作動し始めている。その有機的な連鎖を、さらに加速的にダイナミックに展開していくこと、主権者運動と議会の有機的なリンケージで、決定過程を変える―主権者の意思で選択・決定する政治文化を確立していくことこそ、健全な政権選択選挙の土俵づくりにほかならない。
 パブリックの輿論、主権者の存在が見えていなければ、世論を勘違いすることになる。
 「既存政党が参院選の結果を読み違えているのは、タックスイーターの間でどうやって税を分けるか、そういう人たちを相手にやってきたことが抜け切れていないからです。タックスペイヤー、生活者の立場から政策の順位を決めていく、それが政治だというところに思い切り切り替えないとダメだという運動でもあるわけです」(北川正恭氏・七―八面)
 議会の議論に連動し、反応する市民、主権者がどこまで見えているか。それが見えないと、議会の非常識を指摘することはできても、「正しいことを言っても通用しない」という枠に収まってしまう。ここに落とし穴がある。民主主義は「正しいかどうか」ではなく、決定過程に参加することだ。「正しいこと」「いい政策」をみんなに説明して納得してもらい、多数を形成できるか、その決定過程に主権者としての参加を組織できるかだ。

 どんなに「立派」で「正しい」としても政党や議員、ましてや官僚に主権があるのではない。主権は国民、市民にある。そこを主権者として動かす、政策の形成過程―決定過程―執行過程に参加する主権者運動を連続的に作り出すこと。その媒介となれるかが議会、議員、政党の活動には問われる。その組織戦が見えなければ「○○を抱き込む」「○○で数合わせをする」という多数派形成の枠に収斂し、「主権在民の方程式」は「建前」「キレイゴト」にすぎなくなる。
主権在民の方程式で政治を動かす、これが現実政治の攻防のポイントになってきたからこそ、他方では(主権者の存在が見えないからこそ)「中選挙区で政界再編」という分岐も生じ始めている。「中選挙区にして政界再編だと言いますが、それを選択するのは誰ですか。主権者、国民でしょう。国民が主権者として選択する政治を確立しないと危ないと私は思っている」(北川正恭氏・同前)。
 主権在民の方程式で政治を動かす―国民が主権者として選択する政治を確立する。この主権者運動を多様に、多元的に展開するバッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協奏をさらに!