日本再生 337号 2007/6/1発行

国民主権は理念から実践的組織論へ
基盤整備のとば口は開いた

二元代表制を機能させる議会マニフェストと
国民投票法から見えてくるもの―参院選をいかに戦うか

 
官治分権から自治分権へ
議会マニフェストの挑戦から見えてくるもの

 この統一地方選は、マニフェストが標準装備となった選挙として刻印される。マネフェストやマニフェストもどきも散見されたが、それでもマニフェストは最低条件となった。したがってこの参院選においても、政党はマニフェストをきちんと提示することが最低条件だ。
 マニフェストは選挙が終わってからが「本番」だ。「お願いから約束へ」は選挙のときだけの話ではなく、四年間の実行―検証が決定的だ。バッジをつけた側は議会活動、日常活動、組織の作り方、各種選挙の組み立て方などをマニフェストによって規律化していくことが問われる。有権者(バッジをつけない側)も「選んだら終わり」ではない。選挙公報やマニフェストを四年間保管しておいて、機会あるごとにチェックする、といったことは基本的な作法としなければならないだろう。場合によってはマニフェストの実現のために、バッジ組とともに署名活動や請願などの運動に取り組むことも必要になる。マニフェストは単なる体系的な政策集というだけではなく、組織化の武器、具体的な組織論として機能し始めた。
 今回の統一地方選のポイントのひとつは、議会マニフェストである。首長マニフェストだけならまだ「水戸黄門幻想」からでも分かったつもりになれるが、議会マニフェストはそうはいか
  ない。
  「(自治体をめぐる不祥事で)まずメディアが取り上げるのは首長のモラルである。〜中略〜だが、議会がしっかりしてさえいれば、それを正せるし、むしろ凡庸な首長であっても七〇点くらいの自治体運営はできる。そうなれば、改革派の首長など不要なのだ。
 だが現実には議会は機能していない。傑出した英明な首長を望み、改革をその人に依存してしまうような風潮が、だからこそある。マスコミが一部の知事を『改革派』ともてはやした背景を、私はそう分析している。
 『水戸黄門』というテレビの時代劇がある。『改革派知事ブーム』はこれに似ていた。水戸黄門の事件解決は鮮やかだ。だが、その地域の構造的な改革にはつながっていないので、一行が去ってしまえば、また同じ問題が起きる。〜中略〜水戸黄門の悪いところは、そのつまみ食い的な問題解決をみんながもてはやし、すっきりした気持ちになってしまうことだ」(片山善博・前鳥取県知事 「中央公論」4月号)
 この統一地方選では、四年間の検証・実績評価という形でマニフェストサイクルが一段階回った一方で、何人かの「改革派知事」が退任したことは、国と地方が権限を分け合うという「官治分権」の時代から、「自治分権」をいかに内実あるものにしていくのかという時代へと、分権をめぐるステージが転換したことを象徴している。議会マニフェストは、ここでの挑戦にほかならない。

 議会マニフェストは、個人マニフェストとは比較にならない重みを持つ。議員一人でも首長・執行部を監視、チェックすることはできる。しかし政策提言、条例作成は一人ではできない。討議、合意形成を通じて議会の総意に仕上げてはじめて、政策となり条例となる。個々の議員が個別にものを言っているかぎり、どこまでいっても議場での陳情の域を出ることはできない。個々の議員が個別に言いたいことを言い、それを自分の「得点」にするという構図では、二元代表制としての議会はまったく機能しない。そればかりか、議会で何も発言しなくても実現する「与党」と何を言っても実現しない「野党」という、わけの分からない話になる。これでは議会制民主主義の自殺行為に等しい。
 こうした「与党」「野党」論がこれまでは「当たり前」と思われていたが、議会マニフェストで「これはおかしい」と気づいた。議会は陳情の場なのか、それとも討議―合意形成をする決定機関なのか。前者なら、「議会不要論」にまともに答えられないだろう。討議―合意形成の場なら会派マニフェストは当然だ。マニフェストで他会派との差別化を図るという次元から、国民主権の論理から他政党、他会派をもマニフェストの土俵に乗せていくための組織戦が、こうして発展していくことになる。(議会マニフェスト、会派マニフェストの取り組みと総括、今後の課題については、「日本再生」三三五号、三三六号、および今号掲載の各報告を参照)
 
 
 
国民主権を理念から組織論へ
二元代表制をいかに機能させるのか

 わが国における議会制民主主義は国政においては議院内閣制を、地方自治においては二元代表制をとると憲法で規定されている。しかしそれらはどこまで機能していたのか。本来の公共的な観点からいえば、政権交代が可能になっていないと議院内閣制は機能しているとはいえないだろう。自民党一党支配の下で続いてきた政府・与党の二重構造や政官業の癒着などの、決定責任がどこにあるのか分からない構造は議院内閣制が機能不全であったことの象徴といえる。小選挙区制の導入後の試行錯誤からようやく、公共的な観点から議院内閣制を機能させるための問題設定が実践的に見えてきた。
 二元代表制はどうか。「地方議会不要論」が出てくる背景には、議会がまったく機能していない、首長は見えても議会は何をしているのかまるで見えないという現状がある。二元代表制は形式的にも機能していなかったということだ。
 議会マニフェストの挑戦から、二元代表制を機能させるための問題設定に次々と気づくことになる。官治分権の枠にとどまったままでは、二元代表制をどのように機能させるかという問題設定は出てこない。議会マニフェストの扉を開けることによって、二元代表制は教科書のなかの一般論から、「自分たちのことは自分たちで決める」という住民自治の実践的組織論になっていく。

 こうして自治分権のところで、ようやく国民主権に「底」が入る。ここから小選挙区、二大政党、政権選択選挙、マニフェスト、政策選択等の国民主権の問題設定が、理念一般や抽象論から具体的な実践論、組織論として交差し、新たな展開にはいっていく。これが統一地方選後に見えてきた新しい風景だ。(「底」がはいらなければ、小選挙区制は機能し始めても政権交代は起こらず、マニフェスト選挙をやっても「マニフェスト以前問題」に足をとられ、ということになる。)
 執行権、予算権のない地方議会にマニフェストは書けないというのは、「教科書」的にはそのとおりかもしれない。しかし国民主権をいかに実体あるものとしていくかは、教科書の問題ではなく実践の問題である。議院内閣制の国政には明確に与党、野党が存在し、与党は政府に責任を負う(与党・政府の二重構造は議院内閣制の妨害物)。しかし首長、議員ともに住民から直接選ばれる地方政治には「与党」「野党」は存在しない。だからこそ首長、議会ともにマニフェストをあらかじめ選挙で市民に明らかにし、有権者との「契約」によって四年間の活動を規律化すべきである。会派マニフェストは、二元代表制の議会を機能させるためのスタートキットといえるのではないか。
 ローカルマニフェストは運動を先行させ、既成事実を追認させることで(まだまだ不十分ではあるが)法律の改正までもっていった。議会マニフェストの挑戦もしかりである。会派マニフェストによる規律化、検証などを通じて「議会が変わった」と市民が実感し、次の選挙では複数会派がマニフェスト選挙の土俵に乗って選択肢を示すところに持っていく。この既成事実の積み上げのなかから、多様な成功モデルを生み出すこと。こ
  こに向けて、バッジをつけた主権者とバッジをつけない主権者の協働が求められている。
 議院内閣制では、与党と政府の調整は本来閣内で行われるべきもので、主要政策で与党と官邸が対立するという図式は議院内閣制が機能していないことの表れである。しかし自治体においては本来与党、野党は存在せず、議会でのオープンな議論が調整のすべての過程でなければならない。議会で何も発言しなくても実現する与党、議会で何を言っても実現しない野党、ということでは「議会不要論」に道を開くだけである。
 いろいろな利害はすべて、議会でのオープンな議論の場に出さなくてはならない(オモテに出せないような利害は、そもそもあやしい)。そのうえで討議を通じて合意形成を図る。ここに議会に求められる機能がある。だからこそ選挙時の会派マニフェストで、賛否の判断基準や方向性を示し、その有権者との契約に基づいて行動する、ということが必要になる。
 利害を反映するだけなら議場での「陳情」でよい。個々の議員が「言いたいこと」を言って、どうするかは執行部にお任せ、ということなら議会は要らない。異なる利害、対立する利害を、より高次なパブリックの観点から「まとめる」、一定の方向に集約していく。ここに「討議」の本質がある。市民の代表としてこのプロセスを担うところにこそ、議会の存在意義があるはずだ。
 だからこそ、どういう方向性でまとめるのか、どういう基準で判断するのかを、あらかじめマニフェストとして提示すべきなのだ。会派マニフェストとしてまとめるためには、「足して二で割る」とか「ポストで取引する」といった談合的調整ではなく、

「討議を通じて意見を集約する」というマネジメント能力が試され、鍛えられることになる。
 政策で多数派形成をするまでのマネジメント能力―政策が組織戦の武器となる―が鍛えられるか、政策から説明できない手法での利害調整か(談合的調整、「政策と人事は別」とか「政策と政局は別」という類)。「政策に強い」「政局に強い」という意味も、大きく変わってくる。
 首長もマニフェストを出し、議会もマニフェストを出し、それぞれがマニフェストによる規律化、マネジメント能力を鍛えていく。そこでの緊張関係は、国民主権を実体化し深めていくためのプラスゲームとなるはずだ。そしてここから、国政における既存政党のあり方も検証されていくことになる。


国民投票法―国民主権の肝心なピースがはまった
参院選はここから政党制のあり方を整理する一歩としよう

 国民投票法の成立には、憲法がはじめて国民のものになるという重大な意味がある。国民が憲法を決めることが法的に保障され、国民主権を現実化するうえでの法の不備が正されたのである。
   たしかに、憲法調査会において超党派で積み重ねてきた議論を「強行採決」という形で党派間の対立材料にしていいのか、というのも「正論」だろう。しかし「国民が憲法を決める」ということが法的に保障された、ようやく国民主権が具体化した、という点はそれ以上に決定的だ。
 改憲につながるから国民投票法に反対、という議論は国民主権の否定にも等しい。国民の手で憲法を変える、国民が憲法を決める―ここが抜けて(否定して)「護憲」「改憲」を唱えるという呪縛をひきずったままでは、この先の国民投票の舞台に上がることはできない。ここからは本格的に、国民主権で憲法論議をマネージしていくステージの始まりだ。国民投票法が施行されるまでの三年間は、その基盤整備の時期となる。だからこそ、次のような問題が提起される。
 「今回の衆院通過が最終的に強行採決で行われた事実は法案の文言よりも根本的な問題を明らかにした。それは日本の『国制』の抱える問題である。
 英語の“コンスティテューション”は『憲法』と訳されることが多いが、本来は、法としての憲法典だけでなく、政治制度やそれを支える秩序観の総体を示す言葉である。〜中略〜憲法典が国制に根ざしていなければ、どのように憲法典を書いてみても、実際の運用には無理が生じてしまう。しかるに日本の現在の国制はすこぶる不明瞭な状況にある。
 問題の第一は〜中略〜日本の政党制の不明瞭さにある。

日本の政党制は、明治以来、政権対在野党という『権力対反権力』の構図と、政権交代可能な二大政党制のモデルの間を揺れ動いてきた。国民も、与党に対する徹底した抵抗と政権政党への脱皮という二律背反的な期待を野党に対して抱いてきた」(中西寛 「中央公論」6月号)。
 「これから三年間は、改憲案を出したり議論したりしない。この間に政党間で良く議論をして、各項目の議論を熟成させていくべきだ。しかし、各党はそれぞれの主張を持っている。改正が非常に重要という面から見て、最終的に第一回の改正成立のために、妥協はやむを得ない。国会議員の三分の二の賛成を獲得しなければ改正できない」(中曽根元首相 読売5/15)
 つまり国民主権を機能させるという観点から、政党制のあり方を整理していかなければならないということだ。政権を争うべき課題と、政権選択の争点としてではなく超党派で整理すべき課題との仕分けができるのか。あるいは政権交代可能な政党間対立のあり方とはどういうものか、政策競争の市場をどうつくっていくのか等。主権は国民に存する、と憲法に書いてあっても、国民主権を実際に機能させる仕組み―議院内閣制、二元代表制、これをマネージする政党政治―が動かなければ、国制は不明瞭なものとなる。
 抵抗野党として与党の敵失を突く、というのはパブリックの観点なしにもできるし、分かりやすい。同時にパブリックの観点が入っていないところで、いくら「政権交代可能な野党」とい
  っても、「要は政権をとりさえすれば(選挙で勝ちさえすれば)何でもできる」という政策観、権力観にしかならない。それと対になっているのは、数の力で何でもあり、(五千万件の「消えた年金」問題・社会保険庁改革案に見られるような)「強行採決」という審議拒否だろう。こうした不明瞭な状態にストップをかけ、政治に緊張感を取り戻す―これがまずは参院選の課題となる。
 衆議院の各小選挙区では、二から三万の公明党票が自民党を支えており、これなしに自民党は政権を維持できない状態だ。しかし参議院選挙では、こうした公明党票効果はかなり低下することになる。小選挙区が二大政党化を促進するのは、意見を集約することで政権交代を可能にするためである。ところがここに比例代表という相反する性格(多様な意見を反映させる)の制度を併設したために、「選挙区はA党候補、比例はB党」という「選挙談合」の余地が生じている。国民主権を機能させる上での、ある種の制度の欠陥というべきだろう。こうした制度の欠陥の影響が相対的に低い参院選において、まずは与野党逆転の緊張感を回復しなければならない。
 またこうした制度の欠陥の影響を低下させるためには、やはりマニフェストである。連立政権である以上、自民党と公明党は国政選挙においては「連立マニフェスト」を提示すべきである。連立を前提にしているA党、B党がそれぞれ選挙で「約束」しても「連立で出来ませんでした」では、マニフェスト違反である。

 小選挙区の導入から十年あまり、「劇場型」とはいえ「一票が政権のあり方を決める」ことを実感した有権者の民意は、着実に成熟している。「既存政党の党員や支持者になるつもりはないが、政権交代可能な政党政治が機能するために、有権者としてやれることがあればやる」という意識は、自治分権の領域で着実に根づいていることが統一地方選でも示された。投票行動もA党、B党どちらの政策が自分にとって得か損か、ということよりも、民主主義が機能したほうがいい、政権交代が時々あったほうがいい、という基準からのものに変化しつつある。(例えば最近の世論調査では参院選での投票先は自民、民主が拮抗、期待値では逆転している調査もある。これは「民主党がしっかりしているから」「民主党を支持しているから」ということではないのは明白。また日経(5/28)では「政権交代があったほうがいい」が57パーセント「そうは思わない」28パーセント。自民支持層でも「あったほうがいい」42パーセント「そうは思わない」47パーセントなのに対して、公明支持層では「あったほうがいい」は21パーセントにとどまっている。)
 政策についても「年金」がダントツの一位、教育や格差、政治とカネとなっていて、憲法は「その他」のひとつだ(日経では「年金」が56パーセント「憲法」は15パーセント)。これらをバラバラに扱えば、見えるはずのものも見えなくなる。全体の構図から見えてくるものは、政治が役割を果たすべき「公正さ」とは何かということだ。年金はその象徴例で、すでに〇四年参院選で「自分がいくらもらえるか、得か損か」ではなく「孫子の世代まで持続可能な信頼できる制度とは」という論点が入った。教育や格差についても同様であるし、「政治とカネ」についても「信頼」「説明責任」ということが本質である。だからこそ「敵失を突く」ようなスタイルではそっぽを向かれるし、「法
  的に問題はない」と木で鼻をくくったような答弁を繰り返すだけでは「信頼」に大きな疑問符がつく、ということになる。
 また安倍政権は憲法を争点にしたいようだが、日経の世論調査では憲法改正について、自民支持層は16パーセントで八位、公明支持層も10パーセントで七位、民主支持層で14パーセント、八位にとどまっているのに対して、共産支持層は43パーセント、社民支持層は40パーセントと関心が高い。誰を相手に論争をしようというのか、お考えになったほうがよかろう。「これから三年間は改憲法案を出したり論議したりしない。この間に政党間で良く議論をして、各項目の議論を熟成させていくべきだ」との中曽根氏の指摘(前出)は、政権選択の争点にすべき課題と、政権選択の争点にせずに超党派で扱うべき課題との仕分け、そしてそれぞれにおける政党間対立・論争のあり方を、国民主権にふさわしいものへ脱皮させていくステージを始めるべき、という意味ではないか。
 このようにして、自治分権に主体的に関われる政党、国会議員とは何か、関われない政党、議員とは何か。あるいは国民投票法施行の準備過程に関われる政党、国会議員とは何か、関われない政党、議員とは何かという仕分けの基準が具体的になってくる。これらは国民主権を機能させる実践問題である。その過程(討議―合意―実践―総括)をマネージすることができるのが、本来の意味の政党ではないか、と。この基礎のうえに政党間関係を乗せて再整理していく。その基盤整備の一歩が始まった。それが統一地方選での議会マニフェスト、国民投票法の意味であり、参院選もここから組み立てていくことが必要だ。
 国民主権は、理念一般から実践的な組織問題となった。過去に帰ることなく、このフィールドでの試行錯誤を確実に集積していくことが求められている。