日本再生 327号 2006/7/1発行

「がんばろう、日本!」国民協議会 第4回大会 基調
「あろうべき政党」とパブリックの主権者運動、
その深化・発展のためのロードマップを確立しよう

―小選挙区制導入から10年、マニフェスト型選挙から3年、まっとうな政党政治を機能させるために、われわれはどこまで来たか、さらにここからどう進んでいくか―

 二〇〇一年四月、「自民党をぶっ潰す〜」という絶叫とともに小泉政権が誕生しました。それから五年。「劇場型」政治といわれる小泉政権五年間を、国民主権の発展のためにどう総括し、〇七年統一地方選・参院選を視野にいれた次のステージへのロードマップを共有していくか。本四回大会はこの目的から開催されます。

国民主権の共有地が見えてきた

 小泉政権が誕生した二〇〇一年九月二十三日、「がんばろう、日本!」国民協議会は一九九九年からの下準備を経て、第一回目の大会をこの砂防会館にて開催しました。当時はアメリカにおける同時多発テロの直後でもあり、こうした内外の情勢を「戦後日本の死と再生」「歴史の節目」と表現しました。
 「小泉『疑似』政権交代・『疑似』改革をめぐる攻防は、次のことを鮮明にしつつあります。
 国民主権の“神話”を信じ、それを現実のものとするために戦うことができるのみならず、ポピュリズムと賢明に渡り合い、国民の自覚と責任を問うことのできるものこそが、パブリックの活動、本来の意味の政党活動であると。
 平成の草莽崛起とは、このような活動を担うことのできる活動家を国民自身のなかから生み出し、鍛えることにほかなりません。

   ファシズムや全体主義は、普通選挙制・大衆民主主義の時代のものです。『誰でも一票』だからこそ、国民の責任や自覚を問わなければ、民主主義は最悪の衆愚政治に堕してしまいます」(第一回大会基調「歴史の節目に問われる国民主権の内実」より)
 小泉政権五年間のなかで、国民主権の発展のためのこうした活動をどのように実践してきたのか、パブリックの主権者運動の教訓をどのように蓄積し、また深めてきたのか。あるいは五十五年体制の政治資産を食いつぶした挙句、政治を「面白いもの」として消費の対象に仕立て上げてきたのか。小泉政権五年間の総括は、この点からなされなければなりません。
 その内実があますところなく検証されたのが、昨年の総選挙であったといえるでしょう。小選挙区制が導入されてから50%台で推移してきた投票率が69%に跳ね上がった時に、その新たな政治参加を受け止めるだけの度量や力量が、どれだけ準備されていたのか。「小泉マジック」「小泉劇場」批判では、「小泉さんが本気だと言うから今回は小泉さんに投票した。もしちゃんとやらなかったり、ウソをついたりすればソッコー(すぐに)支持しない。そのときは民主党にいれればいいんでしょ」という初参加組の存在は見えてきません。政権のあり方は選挙で有権者が決める―この実感が有権者のなかに生まれてきたことを、「次の政権選択」までどのように持続し、また深めていくか。これが国民主権の活動家に問われているのです。

 国民主権の“神話”を信じるとは、「正しいこと」を「遅れた大衆」に向かって「正しく」言うことではありません。〇一年小泉総裁の下で戦われた参院選に、われわれは「小泉がんばれ、自公を落とせ」と提起しました。その参院選の総括は「歴史の節目における国民の選択の誤り」というものです。小泉改革はニセモノだ、という非難でもなく、小泉フィーバーへの追従でもなく、「小泉さんは支持するが(だからこそ)自民党は支持しない」という民意が、自らの選択の結果を生活を通じて、自分自身の政治経験を通じて受け止めること。この歩みを外して、国民主権の自覚は語れません。
 こうした転換には五年かかるかもしれないし、十年かかるかもしれない、場合によっては二十年、三十年かかるかもしれません。また時が来るのを待っているだけでは、こうした転換に備えることはできません。こうした活動は目先の損得でできるものではありません。しかし政党政治を機能させ、民主主義をまともにするためには、誰かがこうした共有地を手入れしなければならないのです。
 戦前は天皇主権ではありましたが、男子普通選挙制の下、既存政党が民意を集約できないなかで台頭してきた軍部によって政党政治が否定され、わが国は国策の誤りの道へ進みました。民主主義は政党を通じて発展します。政党政治をまともに機能させるためには、国民主権の豊かな共有地が不可欠なのです。小泉政権五年間では、まさにそのことが実践的に問われたのです。
 〇五年総選挙の争点は、小泉改革の本丸と位置付けられた郵政民営化でした。「小泉さんは支持するが(だからこそ)
  自民党は支持しない」という民意は、「官から民へ」というスローガンを媒介に、「官にせよ民にせよ、守るべき公、パブリックとは何か」という問いへと脱皮しつつあります。
 この通常国会で露呈した既存政党のテイタラクに対する批判は、十年前なら圧倒的に政治不信、政党不信、無党派をバネにして語られていたはずです。しかし今、「政権のあり方は有権者が選挙で決める」という実感は、「既存政党の党員や支持者になる意思はないが、政党政治が機能するために、有権者としてやれることがあればやる意思はある」という感性へ深まりつつあります。
 こうした国民主権の共有地が見えてきたからこそ、これをさらに豊かなものにするために手入れをするものと、それを自分の利害のために食い荒らすものとの分岐も、より鮮明になりつつあるのです。

独立変数としての主権者運動とは

 独立変数としての主権者運動、それは「永田町の既存政党がだらしないから、有権者が主権者としてしっかりしなければ」というだけのものでしょうか? 言い換えれば、「あろうべき二大政党」が確立するステージでの、パブリックの主権者運動とはいかなるものなのでしょうか。
 既存政党に従属しない、独立変数としての主権者運動、それは時代観や問題設定を自力で持ち、それを組織論、運動論としてまで展開する主体性を持つこと、そこから政党を検証し、育成するという主体性をもつことでしょう。あろうべきパブリ


ックの主権者運動が見えてはじめて、(選挙互助会とは異なる)あろうべき政党とは何かが見えてくるのであって、逆ではありません。本来の意味の政党は、パブリックの主権者運動の豊かな土壌のなかからこそ育成されるのであって、逆ではありません。政治市場、有権者市場という“共有地”をよりよいものへ成熟させるためのパブリックの活動が見えてこそ、本来の政党活動が見えてくるのです。
 政党は正しい意味でも、社会の一部にすぎません。現在の体制や社会システムが解決できない不条理に光を当て、問題を提起するのは“市井の賢人”“在野の活動家”(さまざまな社会運動の担い手)たちです。その問題提起が世論になって、あるいは社会問題化してはじめて政党がそれを受け止め、政策化する。このサイクルが機能しなければ、既存政党は社会の必要から生まれながらも社会の寄生物に転化しかねません。政党政治の危機はいつもここから派生するのです(戦前もしかり)。
 あらかじめ用意された回答を探す、という発想では「公」の意味は分りません。功名のために社会的不条理と戦うことは出来ません(フリはできても必ず地が露呈する)。社会的不条理と戦うなかから、公益、社会的公正とは何かを問う―その社会運動と在野のリーダーがどれだけ存在するか。これがその社会の民度を決するのであり、かような意味でのパブリックの主権者運動の豊かな土壌なくして、本来の意味の政党は育成されないし、機能しないのです。
   だからこそ、あろうべき政党政治を支えるためには、「政治的真面目さ」「社会的真面目さ」を持った主権者、自助・互助に基づいて自分たちの地域や国の問題を討議できるパブリックの共有地が必要であり、それを不断に手入れし、より豊かなものにする活動が不可欠なのです。「功名心ではできないこと、『バッジをつけたいだけ』の人間がやろうとしないことを、やれ」(「パブリックの主権者運動 七つの原則」の一)とはそういうことです。
 あるいはこのようにもいえます。
 先進的な市場経済においては、イノベーションの民主化が進みます。これまでイノベーションはメーカー主導で進められてきましたが、その枠組ではユーザーの要求に対してメーカーが「それは無理だ」ということもできました。つまりユーザーはメーカーの従属変数だったのです。しかしイノベーションの民主化が進むと、ユーザー自らがメーカーの枠を飛びこえて新製品を開拓するようになります。リナックス(パソコン基本ソフトウェア)の例はあまりに有名です。
 この比喩を用いれば、政治市場においてメーカーは政党、ユーザーは有権者です。メーカー(既存政党)の従属変数ではないユーザー(有権者)が、自ら新たな製品を提案し、要求する。それが例えばマニフェストの創発であり、またその検証であり、あるいはタウンミーティングの開催や公募などの候補者擁立・育成であり、ということになるでしょう。
(創発:局所的な相互作用を持つ、もしくは自律的な要素が多

数集まることによって、その総和とは質的に異なる高度で複雑な秩序やシステムが生じる現象のこと。所与の条件からの予測や意図、計画を超えた構造変化や創造が誘発されるという意味で「創発」と呼ばれる。元々は自然科学系の用語であるが、マネジメントの分野では、一人一人の個人の発想の総和を超えた、まったく新しい知の創造を行う取り組みを称する場合が多い。)
 かような意味でのパブリックの主権者運動を創造していこうではありませんか。

自治分権とローカルマニフェスト
―気づき・感動・共感・協働―

 ローカルマニフェスト運動を提唱している北川正恭・早稲田大学教授、21世紀臨調共同代表は、中央集権という所与の枠組みを前提とした「日常の改革」(行政のムダを省く等)は必要だが、中央集権から分権へ―さらに地域主権へというような、立ち位置そのものを変える改革/転換には、そのための運動が不可欠だと述べています(第73回定例講演会。「日本再生」三二七号掲載)。それは指揮・命令・監督という行動原理とはまったく別次元にある気づき・感動・共感・協働による運動です。これがローカルマニフェスト運動の基本的なスタンスであると言えるでしょう。
 選挙を根本的に変える、その政治文化を「お任せ」「白紙委任」から「約束」へ入れ替えるというのは、指揮・命令・監督によってではなく、気づき・感動・共感・協働という運動によってこそ可能となります。ローカルマニフェストは、その「気づきの

  道具」です。
 狭義の意味でのマニフェストとは政権公約であって、地方選挙、それも執行権のある首長ならいざ知らず、議会マニフェストはマニフェスト本来の要件を欠く、ましてや議員がマニフェストなど書いてもそれはマニフェストとは言えない、というのは教科書的には「正しい」知識です。しかし、世の中をよくするためには何の役にも立ちません。
 マニフェスト型選挙は〇三年統一地方選から始まりました。〇七年の統一地方選では、各地で首長マニフェスト、議会会派マニフェストを「気づきの道具」としてさらに使いこなしていきたいものです。
 「地方政治なんてこんなもの」「選挙なんてこんなもの」という思い込みを覆すような事態が、各地で起こっています。明確な公約・マニフェストを掲げた新人が、既得権や既存政党が束になって推す候補を下す。合併市長選で、圧倒的に大きな旧市の市長を小さな町の町長がマニフェストを掲げて破るなど、有権者の「変えよう」「変えたい」が、マニフェストという形を得て、変える力となっています。
 国政は劇場型でも参加した気分になれる、地方政治は目先の利害で参加するというのは「お任せ」政治の表と裏の関係です。マニフェストが“気づき”の道具であるという意味は、「公共のありかた」「地域のありかた」をめぐって議論する、その政治文化や作法を主権者自身が(バッジをつけたほうも、つけないほうも)不断に深化させていく運動だということです。このような 共有地を地域から無数に、かつ多様に作り出していくことこそが、次の政権選択選挙の最大の準備となるはずです。
 また首長がローカルマニフェストを掲げるようになれば、議会にも本来の役割、すなわち条例制定権や調査権をどう発動するのか、が問われます。二元代表制という、国政とは異なる

システムのなかでいかに自治を発揮し、また育んでいくのか。地方自治は民主主義の学校であるという意味を、私たちはここで実践的に深めたいと思います。本日、第二部において、自治分権の深化に取り組んでいる首長と議会議長によるパネルディスカッションを企画したのも、このような問題意識からです。
 ローカルマニフェストの姿形は、ここから私たちが作っていく以外にありません。できあいの回答がないのですから、「僕の前に道はない、僕の後ろに道はできる」(高村光太郎『道程』)という構えでやりましょう。そして「(回答がないと言って)やらないより、やるなかで前へ進むしかない」という凡人の資質を、大いに発揮しようではありませんか。そのために自分より経験豊かな人の話を聞き、自分とは別の形成過程や問題設定の人と交流するという、パブリックのコミュニケーション能力を磨こうではありませんか。
 地方議会選挙は中ないし大選挙区のため、同じ政党・会派の候補が一番の敵、という構図になりがちです。ローカルマニフェストを会派で一致して掲げるためには、ここを乗り越えることが必要になります。「まず『共有地』を手入れする、自分にプラスがかえってくるかどうかは世間さま次第」(「パブリックの主権者運動 七つの原則」の二)という立ち位置に立てば、有権者は必ずそれを見ていると信じましょう。そうやって歩いた跡に道ができるのですから。
 四回大会に先立って開催された総会(4月29-30日)の討議では、とくに議会マニフェストの意義として、議会の専権事項である議会改革について選挙前に掲げて審判を受けることで、約束とそれが検証される関係を有権者との間につくる契機となりうること、すぐに劇的な変化につながらなくても、そのような方向に取り組むことが政治文化を変える一歩である、と
  確認されたことをご報告します。

ポスト小泉に問うべき外交戦略とは

 小泉外交の五年間は9.11テロ以降の、いわば「〇一年体制」ともいうべき国際政治情勢に日米同盟強化をもって対応してきました。これは九〇年代以降、ポスト冷戦・グローバル化という新しい時代に、日米同盟を再定義―強化することで対応してきたことの必然的な結果でもあります。この十五年間ほどの現実の歩みを「なかったこと」にして、「これからはアジア外交だ」というような観点から、ポスト小泉の外交課題を論じることは誤りです。
 では小泉政権で積みあがった「外交赤字」とは何でしょうか。例えば「絶好調」といわれた日米関係、小泉総理が九月に退任した後、求心力を失っているブッシュ政権との間にどのような絵を描けるのでしょうか。あるいは〇八年大統領選後に向けて、どのような展望を準備しているのでしょうか。そもそもそういう発想が、官邸、外務省、永田町にあるのでしょうか。これが「外交赤字」の意味ではないでしょうか。
 米軍再編は、九月の退任を前に官邸が押し切ったかたちで「合意」しましたが、普天間の移転など実質的な問題は先送りされたままで、その進展によっては振り出しに戻る可能性は十分にあります。しかし米軍再編は単なる個別対策の問題ではなく、〇一年同時多発テロ以前から構想されてきた「二十一世紀型米軍」の最終仕上げであり、テロとの戦争におけるアジア太平洋の拠点として日米の司令部機能を日本に一本化するというものです。これはアメリカの世界戦略の一翼を日本も担うことを意味します。だからこそ戦略対応が求められ、


またその対応ができないところから「赤字」が積みあがっていくという構図になっているのです。
 それが端的にアジア戦略の欠如―対中関係に反映されています。米政権内では対中政策に関するスタンスは、「封じ込め」から「関与」まで五つあると言われます。「同盟国ではないが敵でもなく、友人ではないが、傍観者でもない。残ったのが『利害を共有するもの』(ステークホルダー)」という発想だからこそ、米中は軍事的には脅威視しつつ、通商・経済関係では利害を共有し、価値観(人権など)では対立しながら、首脳が対話することができるのです。これは、「敵か味方か」「脅威か否か」という単純二分法・二国間関係の窓からはとうてい見えてきません。
 世界の成長センターである東アジアの安定はアメリカの国益にとっても重要です。アジアの近隣諸国との関係をマネージできない国では、同盟関係は元より、戦略対話の相手たりえないということです。言い換えれば、利害の共有の上に「価値観の共有」があれば文句なしだが、そうでないなら価値観を共有できなくても利害を共有できる国との戦略対話を進める、ということでしょう。その意味で中国との関係もインドとの関係も、アメリカにとっては十分に戦略的なのです。
 あるいはイランの核開発問題でも、日米同盟に対する戦略的対応が問われることになるでしょう。マイケル・グリーン米戦略国際問題研究所・日本部長は、「イランとの特別な関係」を慮る日本の対イラン融和策に対して、ひとつひとつ根拠をあげて反論した後、次のように畳み掛けています。(5/22日経「経済教室」)
 「日本の国益は、民主主義の欧米とともにあるのだろうか、
  それとも非民主主義国の中国や専制色を強めるロシアとともにあるのか。台頭著しい中国をにらんで、大きな戦略的見地から見れば、日本は他の民主主義国と共有する価値観に基づいた立場をとるべきだろう。
 これは中国を封じ込めるためではなく、むしろ中国に対して、世界の他の主要国はすべて共通した一連の規範を順守しており、中国もそれらに従うことが期待されているということを絶えず示すためである。イランの核問題などに対して、その場しのぎの自国の利益のみを追求する姿勢を容認することは、中国もアジアで同じような自国中心主義的行動をとることにつながっていく」と。
 自由や民主主義、市場経済といった価値を「共有する」ことが、現実の選択肢を狭める結果につながる―そのような「価値観の共有」とはいったい何でしょうか。イランとの交渉を主導するEU3(イギリス、フランス、ドイツ)は、価値を共有しつつ、イラク戦争では互いに異なる立場を取り、イラン核開発問題では協調してアメリカを説得しています。
 わが国がとるべき方向性としては、日米同盟を「自由、民主主義、市場経済」といった価値観を共有する同盟としていかに深化させるか。そして価値観を共有するからこそ現実の政策オプションの幅は広がる、という戦略的関係にどうもっていくのか、ということになります。そのためにも、自前で地域戦略外交を展開していかなければなりません。ここには、生まれつつある東アジアの市民社会との対話という、これまでにはなかった要素も極めて重要となります。
 付言すれば「靖国問題」について、そろそろ「中国が〜〜だから」「アメリカが〜〜だから」という言い訳をやめて、われわ

れ自身の決着をつけるべき時にきています。「戦争遂行者の責任、その検証と追及を東京裁判の不当性、非合法性を理由に何もかもチャラにしてはならない」「日本人自らの手による責任の自覚と責任の追及を始まりとしないかぎり、そしてそれを全くしてこなかったことの意味を深く問い返さないかぎり、真の歴史の教訓を汲んだことにはならない」(石原慎太郎東京都知事「正論」05年12月号)という認識を共通の出発点にすべきではないでしょうか。
 「政治評価なんぞは、時代が変われば変わるもの。時代を超えて変わらぬもの、真なるものを求めていけば、次世代に何かは伝わる」(「パブリックの主権者運動 七つの原則」の六) 
 右や左のレッテル貼りでは、国策の誤り―統治責任を追及することと、誤った国策であっても国民としてその義務を果たした人たちを鎮魂することとの仕分けはできません。「目先の利益のためにやったわけではない」というのは,政治評価とは別のことです。例えその結果がどうであれ、後知恵で分ったふりをしてレッテルを貼ったり、「結局負けたんじゃないか、勝たなかったら意味がない」というような「小利口」では、次世代に伝わるはずのものさえ食い散らす結果になるのです。そろそろ、そうした小賢しさにもケジメをつけようではありませんか。

□パブリックの主権者運動 七つの原則□

 これまで(案)として提唱してきましたが、本大会をもって(案)をとりたいと思います。
一 功名心ではできないこと、『バッジをつけたいだけ』の人間がやろうとしないことを、やれ。

  二 まず『共有地』を手入れする、自分にプラスがかえってくるかどうかは世間さま次第。
三 『共有地』を手入れするために不可欠な持ち場は誰にでもある。務めを自覚した時からその人の持ち場はでき、かけがえのない存在になる。
四 目先の利益だけで人を見るな。今日明日の使用価値があっても功名心では信頼関係はできない。不条理と戦うなかで『公』にかかわる何かを共有していけば、人は集まり絆は広がる。
五 手っ取り早い成果を求めるな。世直しは十年でダメなら二十年、それでもダメなら三十年。生きて功なり名を遂げる、ということでは、他人が手入れした『共有地』を私欲のために食い荒らすことになる。
六 政治評価なんぞは、時代が変われば変わるもの。時代を超えて変わらぬもの、真なるものを求めていけば、次世代に何かは伝わる。
七 世直しに定年はない。
 《創造性の程度は側頭葉に蓄えられた『経験』と前頭葉によって創られる『意欲』のかけ算で決まる。経験なしに創造性は生まれない》(茂木健一郎)。経験を編集する知恵をつけよう。老害とか若害と言ってすりかえるな。


* 草莽崛起(そうもうくっき):吉田松陰が唱えた変革の組織論。体制内変革にことごとく挫折した松陰は最後に、在野の志士と庶民の決起による以外ないと考えた。これを具現化したのが高杉晋作の奇兵隊。世直しのために、普通の人が「バッジをつけない主権者」として務めを果たす―これが平成の草莽崛起。 >