日本再生 316号(民主統一改題46号) 2005/8/1発行

マニフェスト選挙の定着と蓄積で、小泉改革に決着をつける組織戦を準備しよう
分権改革−財政改革−東アジア戦略を
トータルに推進するパラダイム・チェンジを

マニフェスト選挙の根づきとマネジメント能力の集積
選挙が構造的に変わりつつある

 七月三日投開票の東京都議会議員選挙は、マニフェスト選挙が根づきつつあることとあいまって、変化の波が着実に深まっていることを示すものとなった。
 「小泉旋風」に沸いた前回都議選に比べ、無所属候補が半減したことにも見られるように、今回は無党派の風が吹く余地はなく、「お願い」選挙の延命力が逃げ切るか、それともマニフェスト選挙(政策で選択、有権者との約束)の地力が突破するかという、政党の力勝負となった。総括のポイントは、40パーセントを切るかもしれないと予想された投票率が44パーセントに底上げされた点にある。これは、国政選挙では投票に行くが地方選挙には関心がないという層、マニフェストには反応するが(それゆえ)「どぶ板」と言われる地方選挙には無関心という層の一部が、投票所に足を運んだ結果である。
 別の角度から言えば、この層に知事とのツーショットではなくローカル・マニフェスト(東京マニフェスト2005)を訴え、有権者としての覚醒を促すことができる候補者と選対の陣容を曲がりなりにも整えることができたところは、「お願い」選挙の延命力を上回る力を発揮することができた、ということになる。「いい候補者」という意味は、これまでのような「無党派受けするかどうか」ではなく、マニフェスト感覚がどこまであるか(政策観はもちろんのことマネジメント能力という点でも)ということに、明確に絞られてくる。そして民主党にとっては、政権交代のためには(過半数をとる力勝負を制するためには)、地方議員のところにまでマニフェスト感覚のある議員を揃えていかなければならない、ということになる。マニフェストによる政党の紀律化、と
  いう課題が政党の組織建設の問題として一段と具体化されることになる。
 これは本質的には自民党の課題でもある。旧来型の「お願い」選挙―依存と分配で系列化した地方議員の票を積み上げる、という集票構造はますます力を失っており、それを公明党・創価学会との融合で補強するという延命策にも限界が見えているのだから。
 有権者のなかにマニフェスト選挙が定着しつつあるということは、そういう有権者に行動を促すまでの伝達能力やマネジメント能力があれば、投票率が40パーセント台前半でも「お願い」選挙に勝てる、ということである。言い換えれば「投票率があともう少し高ければ…」という言い訳は、もう通用しなくなるということだ。あるいは「半数が投票に行かない」と有権者の意識の低さを嘆くだけでは、的確に訴えればマニフェストに反応して投票に行くという、目の前の有権者の成熟がいっさい視野に入っていないということになる。それなら誰に向かって訴えているのか、政治不信をバネにした形の変わった「お願い」選挙ではないのか、ということになる。
 国民主権における政治闘争の最高の決着は、選挙である。この選挙の場そのものを変える戦いを抜きにした「政治を変える云々」は、政治不信に悪乗りした評論以下のシロモノである。小選挙区制、マニフェスト、さらには公職選挙法などの「仕組み」を変えることと、「中身」(政策)、「主体」(候補者、政党、有権者など)を変えていくことを相互連鎖的に発展させていくことが、政党政治の基盤整備の段階では決定的に重要である。
 マニフェスト選挙の定着にともなって、選挙に関わる主体の風景(候補者、選対、政党、有権者など)が本質的なところで

ジワリと変化してきている。これをさらに促進し、打ち固めていくマネジメント能力なのか、それともこの変化の前にパンクしてしまうマネジメント能力なのか。
 二大政党とマニフェスト選挙の定着、そこから生まれる有権者の分解や成熟を、「お願い」選挙、中選挙区の政治文化でマネージすることはできない。政策はキレイごとの作文、実際の組織関係・人間関係は依存と分配―お任せでは、マニフェストどころかマネフェストにすらならないことは、郵政民営化の顛末が如実に示している。政策は政党を紀律化する(選挙で勝てば政権を紀律化する)ものであるからこそ、徹底した議論による合意形成が必要であり、そのための説明能力や伝達能力、さらには決定を遵守する(有権者との約束を守る)責任性といったマネジメント能力が求められる。
 逆にいえば、そのような政党政治を軸にした政策決定過程に対する責任性が欠如した政策観では、行政権力(そのトップ)に就きさえすれば(行政権力に近づきさえすれば)政策を実行できるという政策観、権力観となる。小泉改革はこの典型であり、政策決定の主導権は族議員から官邸に移ったが、それは相変わらずマニフェストすなわち有権者との約束によって説明されてもいないし、紀律化されてもいない。(その間隙に「改革」の私的簒奪や猟官運動が派生している。)
 また政党・会派では、マニフェスト作成に直接携わるのは限られたメンバーになるのは当然だが、他のメンバーにはそれを咀嚼して有権者に伝え、納得・共感を得るという伝達能力がシビアに問われる。マニフェストが認知されてくるということは、口で「正しいこと」「間違っていないこと」が言えるかどうかだけではなく、現実の人間関係、生活実感などの裏打ちを含めた総合性からも検証されることを意味するようになる。候補者の選
  抜基準、リクルート方法も当然旧来とは変わってくる。
 ローカル・マニフェストの広がりは、二元代表制における議会の役割、それにふさわしい議員の資質も問い直すことになる。首長のマニフェストを検証できる能力・政策観、事業評価や事業仕分けが前提になった議論―こうした主体能力を蓄積していく側と、いっさい蓄積しない側への分岐は、地方議会においても始まっている。前者の側は当然、有権者との関係も「情報公開」「説明責任」を軸としたもの―マニフェスト感覚になっていく。その流れが見えてくれば、「国政選挙には行くが、地方選挙には行かない」という有権者(一般的には政治意識が高いといわれる層)が、地方選挙に参加するようになる。
 そうなると逆に「国政選挙には行くが、地方選挙には行かない」という「政治意識」に隠されていた無党派的無責任(コミュニティーの自治に責任を持たない根なし草)が暴かれる。地方選挙に関わる主体(候補者、選対、有権者など)が、旧来の依存と分配・しがらみというところから、地域に関わる常識の責任性を基礎としたものへと、次第に入れ替わっていくことになる。
 今年後半には、合併に伴う自治体選挙が各地で予定されている。二大政党とマニフェスト選挙が根づきつつあるという事態の進行を、政治選択の場=選挙を構造的に変えるものとしてより意識的に促進し、政権交代可能な政党政治の基盤整備をさらに進めよう。同時にこれは、解散―総選挙さえ政争の具にしてしまおうとする動きを、国民主権の常識から封じていく攻防戦ともなろう。二大政党とマニフェスト選挙のここまでの定着を拡散させ延命しようとする道を封じるのは、二大政党とマニフェスト選挙による政権交代の準備は整っているという主権者の成熟にほかならない。
 

小泉改革に決着をつける組織戦と
分権改革−財政改革−東アジア戦略を
トータルに推進するパラダイム・チェンジを

 二大政党とマニフェスト選挙が根づき、選挙にかかわる主体が構造的に入れ替わるようになってくると、「改革とは何か」ということも、より明確に争点が絞られてくる。政策争点も課題の羅列一般ではなく、「優先順位」「手段・方法」「ロードマップ」等を軸にしたものになる。
 前者は「五十五年体制ではだめだ」という以上ではない「改革」論であり、次の時代の社会のありようは見えていないから、「何のための改革か」が説明できない。この間の道路公団民営化、郵政民営化はまさにそうであり、三位一体改革が地方への赤字の付回しに帰結するのも、この理由による。次の時代の社会のありよう(そこにおける公の役割)が見えていれば、そこに向かって現状を再編成していく(破壊ではない)ロードマップが描けるし、優先順位、方法も提示できる。小泉改革の決着は、ここで争点化される。
 郵政民営化が成立してもしなくても、焦点はポスト小泉に移る。成立しても「手品はもう終わりか」ということで、求心力は失われる。「解散」のバクチで延命しようという道は、国民主権の基盤整備で封じるべきである。「抵抗勢力」との茶番劇に代わって、ポスト小泉をめぐる自民党内の駆け引きを演出する場合でも、小泉改革をどう評価し、何を継承するのか(しないのか)が自民党内的争点になる。(――それにしても、小泉氏の後を襲おうと思っている人たちに、包括的な戦略らしきものの片鱗が見えるかといえば、まったくないのではないか/中曽根 実
  際、それが最も懸念されるところだ。〜中略〜いずれにしても、次に手を挙げようという者は、しっかりした政策を持っていなければ、国民に叱られるだろう。/『中央公論』8月号 中曽根元総理のインタビューより)
 このときに主権者が求めるテーマ、あるいは問うべき政治のテーマと永田町の関心が、どれだけズレるのか。郵政民営化は最後まで国民的な政治のテーマにはならなかったが、このズレをポスト小泉で修正できるのか、できないのか。それとも延命のために、内向きのアイデンテイティー・ポリティクスで国内を熱狂させながら国際破綻を招く道(戦前の失敗の二の舞)を進むのか。
 あるいは民主党が、主権者が求めるテーマ、問うべき政治のテーマに合致したマニフェストをどこまで出せるのか。この場合のマニフェストは当然、政策とそれを担う人(議員・候補者)、伝達・組織能力(政党力)などが一体となった総合性で検証されるものとなる。(戦前の失敗を繰り返さないという意味は、問うべき政治のテーマを総選挙の争点として設定する=マニフェストで選択する=ところまで、主権者と政党が押し込んでいく力勝負によって、アイデンティティー・ポリティクスの愚を封じるという組織戦のこと)
 都議選の直前、首相の諮問機関である政府税調は、給与所得控除や配偶者控除などの整理・縮小を柱とする、サラリーマンにとって増税色の濃い税制改革の報告書をまとめた。まさにこれが小泉改革の決算と言うべきだろうが、マニフェスト感覚のある有権者の一部がそれに反応して、「小泉改革にノー」という投票行動に出たと考えられる。ここに示されるようなマニフェスト感覚のある有権者が求める「転換」を、政権交代の争点としていかに提示していくか。

 郵政民営化を「本丸」と位置付けた改革で、財政健全化の方向は見えたのか? ノーである。
 右肩上がりから「右肩下がり」の時代に対応した経済社会の方向性はつけられたのか? ノーである。
 グローバル化・東アジアとの共存と競合の時代にふさわしい/その時代を生き抜く道筋は見えてきたのか? ノーである。
 右肩上がりの時代の全国均一・標準モデルの垂れ流し(税金の無駄遣い)から、限られた税金を多様な住民ニーズに対して最適に配分しうる分権の仕組みは見えてきたのか? ノーである。
 こうしたパラダイム・チェンジへと舵を切る―これがポスト小泉の課題であり、政権交代の争点である。これを争点設定していく力は、政策論争の深化とともに決定的にはそれを有権者に伝え、次の時代における社会的公正や責任性に基づく合意形成を図る伝達能力、組織能力である。
 例えば、ポスト小泉をめぐって外交は大きなポイントとならざるをえない。日米基軸とアジア外交(東アジア共同体構想)、どちらも重要というのは一般論としては誰でも言える。問題はそれをハンドリングしていく戦略であり、優先順位や判断基準である。例えば「靖国参拝」について国内的な論理はいくらでも言えるが、アジア外交や国連常任理事国をめざすうえでの政治判断としてどうなのか、という問題。これは感情の問題ではなく、政治判断の問題だという仕分けができなければ、アイデンティティー・ポリティクスに流される。ここをチェンジできるのかどうか。
 アイデンティティー・ポリティクスには、東アジアの歴史的な現実に向き合うことができない「自己愛」がべったりとはりついている。そこには、現実の経済の動きが見えていないことを
  「政治」で代位する政治主義がはびこる。現実の経済が見えていなければ、生活実感もないのは当然であるし、人生設計や選択という意味もわからない。こういう層を煽って「外交」に参入させるのか。
 それとも“共通の利益”という意味は、言われれば生活実感では分かる、あるいは合理判断としては理解できるという層が、相互不信や「脅威論の乱反射」(李鍾元・立教大学教授)に巻き込まれないように戦略ビジョンを語り、そこからの政治判断を明確にすることによって、(国民主権に支えられた)外交力を強化していくのか。
 日米同盟基軸についても、東アジア戦略の観点から距離感をどう持つのか。端的に言えば、中国脅威論や中国の不透明性を東アジア共同体へ踏み込まないための口実とし、日米同盟を“逃避港”とするのか(*)、それとも東アジアの安定と繁栄の“アンカー(錨)”として日米同盟を強化するのか―これが求められている政策論争である。生活実感、経済の実感で東アジアと日米が見えている層に、どこまでこの政策論争への参画を組織できるか、ということになる。
(*「東アジア共同体、東北アジア共同体、太平洋共同体といったコミュニティーをつくろうとする運動は、全部並存し得ます。そういうものを重層的に積み上げていくことが、日本の戦略になる。それを何もかも全部、日米関係のバスケットにぶち込むのは危険です」田中明彦・東大教授『論座』8月号)
 今年は戦後六十年を迎える。問われているのは「敗戦の解釈」ではない。戦後日本のここまでの歩み―経済大国が軍事大国となる道を断ち、「対等な協力者」(福田ドクトリン1977年)として東アジアの発展に寄与するという選択―に、東アジア共同体の下準備への貢献として誇りを持って、前を向いて

進むのか。それとも「極東裁判は誤りだ」と言わないと今の現実と向き合えない、そんな程度のシロモノなのか。この決着は感情ではなく、今を生きる者とこれからの時代を生きる(東アジアで日本人として生きる)者のための論理でつけなければならない。
 「戦後日本は戦争と戦後処理にまつわる曖昧さに目をつぶり、敗戦国として戦勝国の作った国際秩序を基本的には受け入れ、その秩序のなかで日本の地位を向上させるという選択をした。この選択によって、戦後日本は何かを獲得し恐らくは何かを失った。その得失に対する評価は一義的ではないだろう。しかし戦後60年を経て、この選択をなかったことにして最初からやり直すことはできない相談である」(中西寛・京都大学教授6/9読売)
   大国間権力政治の舞台から降りた戦後日本の『身の丈』にあった役割(添谷芳秀・慶応大学教授『外交フォーラム』8月号)、その現実を正面から自覚的に受け止めるところからこそ、今を生きる責任性とこれからの時代を生きる者の論理は手にしうる。外交のチェンジは、マニフェスト感覚を持ちつつある有権者の健全な参加を組織することで、アイデンティティー・ポリティクスの余地を狭めていくという組織戦であり、まさに国民主権の成熟が問われる課題にほかならない。
 かような意味での小泉改革の決着戦を準備するうえでも、ローカル・マニフェストのいっそうの推進―マニフェスト選挙の根づきを促進しよう。