日本再生 311号(民主統一改題41号) 2005/3/1発行

無責任連鎖を断ち切り、日本再生にむけた“責任の回復”の底力を!
政権延命政党と政権準備政党の攻防戦、その環をにぎる主権者運動とは

政権延命政党と政権準備政党の攻防戦

 昨年九月に国際通貨基金(IMF)が公表した「世界経済見通し」に「『年金改革行き最終列車』の発車時刻」という特集がある。高齢者が国民の多数派になると、政権党も野党も選挙を気にして年金改革の思い切った施策を打ち出すのが難しい。そこで、抜本的な年金改革に取り組むラスト・チャンスを「最終列車の発車時刻」と命名した。具体的には「有権者に占める五十歳以上の人口の割合が50%を超える時期」であり、「その前に必要な手を打つべきだ」としている。
 この最終列車発車時刻表、最も早いフィンランドとスイスは二〇一〇年、米国は二〇一五年、英国は二〇四〇年…。ところがここに「日本」はない。なぜか。昨年十月時点での日本の有権者人口に占める五十歳以上の人口は、50・88%(ちなみに二〇二〇年には七十歳以上の人口は、二〇〇〇年に比べて一・七八倍に増える)。年金改革の最終列車はすでに出発してしまったのである。
 ホームを離れていく最終列車を追いかけて、飛び乗ることができるか。〇四年参院選で年金が争点になったのはまさにそういう意味であり、国民の多くが「郵政より年金」と考えているのもそのためである。
 では今国会の論戦は、どのように展開されているか。
 今国会最初の党首討論(二月二十三日)でのやりとりは、次のようなものであった。
   岡田 年金・医療・介護の社会保障の一体的見直し論を首相は言うが、介護保険も、平成十九年度に全体を改革するからとして、今回改革を先送りしている。十九年には総理の任期は終わっている。自身が責任をもてない範囲で先送りしているのは無責任だ。まず、年金から改革協議に入るべきだ。
小泉 昨年の改革は抜本改革と評価されると思う。三党合意したものを拒否しているのはおかしい。早く協議しないと十九年度に間に合わない。
岡田 また議論を戻した。年金は高齢者にとって、ある意味で所得、あと(介護、医療)はサービス。どういう年金制度にするかで変わってくるのだから、年金から入るべきだと私は提案した。一年前の答弁と変わらない。やる気はあるのか。
小泉 具体的な数字を入れた議論は党首討論に向かない。早く専門家の議論を進めた方がいい。
岡田 何とか前に進めたいとして議論した(注/あえて昨年の「改革」に対する批判は抑えた、という意味)。枠組みなしに議論は進まない。まず、年金からと提案している。私が最も恐れているのは、国民が一番関心を持っている年金制度の改革が十九年まで先送りされることだ。(民主党ホームページより抜粋。()内は編集部)
 すでに出発してしまった最終列車を追いかけて、飛び乗ることができるか―総理・与党の側にはこの問題設定が、そもそも欠落している。これでは「年金一元化の協議」「社会保障の一体的見直しの協議」それ自体が、問題先送りの方便となる。

 今国会の重要課題のひとつは、介護保険の見直しである。ところが与党案は、肝心の保険者の拡大について「これから行う社会保障全体の見直しの中で検討する」と、先送りした。(保険者の拡大:給付は六十五歳以上、負担は四十歳以上という年齢制限をそれぞれ拡大すること。)二〇二〇年には七十歳以上の人口が一・七八倍になることが分かっていながら、この期に及んでなお何も決めようとしない。年金の抜本的改革が必要とわかっていながら、長年にわたって先送りを続けてきた(そして最終列車を見送った!)のとまったく同じ構図である。
 「社会保障の一体的見直し」といっても何から始めるのか、「年金をまず第一に」くらいは明確にしなければ責任ある協議にはならない、というのが岡田代表の主旨である。つまり与野党協議というものが、問題先送りの方便となる道をいかに断つのか、ということだ。
 さらにいえばこういうことだ。
 「自民党の中にも、年金をはじめとする社会保障制度は与党だけではやれない、民主党も入れてきちんとしたものをやろうという人もいます。しかし一方で参院選に負けたことの後遺症もあって、とにかく次の選挙で年金を争点にさせないために、という政治的な目的から話し合いのテーブルを作って、『いやそれは皆さんと今議論しているところですから』と、何を聞いてもそれで逃げる。つまり年金を争点にさせないために、民主党を与野党協議に乗せようとしている人たちも大勢います。
 われわれとしてはそういう与野党協議には乗れない。問題を単に先送りするだけ、ということに乗るわけにはいかない。きちんと期限を決めて結果を出す、という覚悟が相手に見えるかどうか。そこのところが一番大事なところだと思うのです」(古川元久・民主党政調会長代理/二―五面参照)
   次の選挙での争点外しのための与野党協議―いまや与党は、政権延命のためにはなりふり構わぬという「政権延命政党」といってよい。少子化や年金破綻という問題をほったらかしにして、郵政民営化やら憲法やらを派手にぶち上げるのも延命策である。憲法は重要だが、政権を争うテーマとすべきではない。真面目に改正を考えるなら、コンセンサスがとれる点を大切にすべきであり、違いを強調して自らの存在証明をするというやり方は、「今のまま変えたくない」ということにほかならない(国民主権の憲法改正については、三〇九号、三一〇号掲載のシンポジウムを参照)。「憲法」をつっかい棒にしなくてもやっていけるだけの業績を売りにするのが、政権与党のスジというものであろう。
 あるいは「政治とカネ」では、違法(橋本派のヤミ献金・裏金は法律違反)と遵法(政策活動費の使途不記載は遵法)の区別をゴッチャにして、ドロ試合に持ち込む。国民がこうした構図そのものに嫌気がさせば、しめたものである。「なんとなく」という理由で支持率が復活するのだから(朝日2/22)。
 これに対してどのように「政権準備政党」としての姿を国民に示していけるか。これが民主党の課題となる。前出の世論調査では、「議席を伸ばして欲しい政党」は民主34%対自民30%、「議席を伸ばしてほしくない政党」は自民25%対民主5%となっている。「期待と拒否」では民主党が有利であるにもかかわらず、政党支持率では自民が29→32%と伸ばしているのに対して、民主は19→16%と減らしている。「野党としてだらしない」ではなく、「どのように政権を準備し、蓄積しているのか」と有権者から見えるように、国会戦略、政策、日常活動などを再定義・再編成していくことが問われる。
 

ローカルマニフェスト―
基盤からの責任の回復と連動した政権準備の蓄積

 民主党の枝野幸男議員(政権戦略委員会事務局長)は「政権準備政党」について、自身のメルマガで次のように述べている。
「〜略〜五十五年体制下において当時の『野党』は、いかに政府・自民党を批判・攻撃し政府・自民党の実施しようとすることを妨害するか、という点に存在意義と目的意識を持っていたと、少なくとも世間からは受け止められていました。〜略〜
 しかし(二大政治勢力が政権を争う政治構造となった今)『自民・公明ブロック』に対する第二党である民主党の役割は、政府・自民党の批判・攻撃ではなく『自民・公明ブロック』と政権を争うことに、第一の主眼が置かれなければなりません。
 ところが人間は長く親しんだシステムによって先入観を持つと、なかなかここから抜けられません。民主党に対していまだに、かつての抵抗・攻撃をする『野党』としての役割を無意識のうちに期待する声が、党内外に少なからず残っています。今年の予算審議に対しても、『年度内に成立してしまうのは民主党がだらしない』といった論調が残っています。しかし審議の中身こそが問題であって、きちんとした審議さえ確保したならばある段階で採決するのは当然のことです。〜略〜
   二大政治勢力の下における第二党の役割は、次の政権を担うことができるように準備しておくことで、批判勢力・抵抗勢力としての役割は五十五年体制、万年与党・万年野党体制の残滓です。もちろん政権準備の中身としては、『政権党の問題点をしっかりと認識し、国会審議などでこれを明確に指摘して国民世論を喚起するとともに、世論を背景に行き過ぎにブレーキをかける』という政権監視の機能も含まれており、この意味で国会審議の質の充実ということはより一層求められています。
 しかし批判・攻撃自体が目的化し、政権党のやることを妨害できればそれで良いというようなことになってしまえば、次の政権を準備するという本来の役割を結果的に見失ってしまうことになりかねません。〜略〜
 もちろん言葉を変えるだけではまさに『言葉遊び』で、意味はありません。言葉は手段であり、言葉を通じて『批判・抵抗・攻撃』という役割でなく、『政権を準備』し『政権を監視する』とともに政権を担うという、自分たちの役割をしっかりと再認識していきたいと考えています」(えだの幸男のEメールニュースレター2/24 一部省略、読点を付記、()内は編集部)。
 なりふり構わぬ政権延命と政権準備の試行錯誤、ここの仕分けから政党を見ていく基準を、どのように有権者に示すか。院内の攻防も、ここから判断すべきであろう。なぜなら政権準備の圧倒的な戦場は、有権者をめぐる攻防にあるからだ。

 そこからすれば、「政治とカネ」は「ヤミ献金・裏金」という違法行為の一点に追及を絞るべきであったし、予算については「定率減税縮小→増税で整備新幹線、関空」という政府予算案の構造に対して、「次世代優先・地域優先」という民主党予算案の姿を明確に対峙する論戦にすべきであった。また何よりも最大の争点は年金である、というところから国会日程などを組むことが必要だろう。逆に「政権批判のためなら何でもアリ」という五十五年体制的発想では、論点が分散して対立軸が見えなくなり、「どっちもどっち」に引きずり込まれていくことになる。
 じつはこの問題は政権交代後にも関連する。民主党政権が誕生した後、野党になった自民党はまさに「政権批判のためなら何でもアリ」となるだろう。その時に「政権準備政党」の姿がすでにあれば、民主党政権の揚げ足とりに血道をあげる部分と、まっとうな国民政党としての再生を目指す部分とに自民党自体が分岐・再編されていきやすい。場合によってはそれは「馬鹿どもの退場の後」(『日本再生』三〇九号)に構築すべき、「あろうべき」二大政党への脱皮につながりうる。そのためにも「政権準備政党」のありかたを試行錯誤し、それを有権者のなかにしっかりと蓄積していくことが今こそ必要なのだ。
 「郵政民営化」について、マスコミでは与党内の「対立」に焦点があてられる。しかし国民の関心は、少子化や年金、教育というところにある。「政権批判のためなら何でもアリ」発想では与党内の駆け引きに引きずられ、「どのように政権準備を蓄積
  しているか」が見えなくなる。少子化や年金、あるいは地方分権といったところで、どのように政権を準備し、それを担う人・組織を蓄積しているのか。ここを見せていくのは圧倒的に院外の活動である。それを有利に進め、さらに促進していくために院内の論戦・日程をいかに組み立てるか。このように問題を整理すべきであろう。(「郵政」の論点については、二―五面・古川議員のお話を参照)
 その際重要なのは、自治体選挙および住民自治の分野である。少子高齢社会・人口減少時代に、自治体をいかに運営するか、どういうサービスが必要なのか、その財源はどうするのか、担い手は誰なのか…。財政問題もあって、自治体選挙はこうした問題を住民自身が主権者として考え、判断する場となりつつある。ローカルマニフェストが、「選ぶ側」からも「選ばれる側」からも希求される所以である。
 ローカルマニフェストをきちんと作るためには、自治体の事業仕分けが必要になってくる。自治体の事業について、「必要か、必要でないか」「必要だとしても、税金をつかって行政でやるべきことか、他の主体でもできることか」「行政でやるべきことでも、国がやるべきか、地方がやるべきか」などという「仕分け」を行って、自治体事業の現状分析と評価を持つ。そこから財源や権限なども含めた問題点を整理し、どのように改革すべきか、どういう手順、方法で改革するかといったことが導き出されてくる。こうして作られるマニフェストは、従来の「公約」とは鮮明に区別されるものとなる。

 ローカルマニフェストの普及は、こうした住民自治の深化をともなう。ここから「政治家は政策をつくれず―官僚は先送り―有権者は白紙委任」という無責任連鎖の三位一体が断ち切られていく。このようなローカルマニフェスト―住民自治の深化の組織戦と、政権準備の蓄積をいかに結び付けていくか。自治体選挙はその舞台である。今年の天王山は七月の都議選であるが、全国各地で行われる合併新市の選挙においてもこの観点から取り組み、政権準備の姿を身近なところで見せ、また有権者を主権者として参加させていくことが必要であろう。
 国は地方に赤字をツケ回せるが、地方とくに基礎自治体には逃げ場がない。もはや地方分権は「こんないいことがある」という話ではなく、国から来るお金が減っても市民がコントロールできる分、質を高めることが可能になるという話になる(逆に市民が「お任せ」ではなく主権者として考え、判断しなければ破綻もありうるという話)。ここで責任の回復ができれば、日本再生の底力はできる。 
 教育も子育ても介護も、決定的には地域力、地域の再生力にかかっている。その取り組みは各地で始まっている。住民自治を深化する組織戦を、ローカルマニフェストと政権準備(政権公約の深化)に結びつける主権者運動を!