日本再生 285号(民主統一改題15号) 2003/1/1発行

政権交代なくして、日本再生なし
政権交代可能な政党政治確立への移行期を、国民主権の力で突破しよう

政治ウォンツなき離合集散=五十五年体制の変形的再編の最終幕、
国民主権の政治組織文化への入れ替え戦を

 「いくらなんでも、そこまでやるか」。保守新党とやらのドタバタ劇(比例区議員の受け皿のために新党をつくるという「脱法行為」―比例区議員は政党間の移動が禁じられている、小泉政権批判の「急先鋒」が連立与党の党首となる「無節操」)、いよいよ先送りの手がなくなった大手銀行の「奇策」(四大グループの一角が、二度も破綻した地銀に「吸収合併」され、その合併差益で不良債権の「飛ばし」をやろうという)。まさに「依存と分配」の肥大化から生まれた総無責任連鎖が行きついた、なりふり構わぬ姿である。
 金融・経済・雇用、イラク・北朝鮮―内外ともに「有事」ともいうべき局面に、機能停止に陥っているわが国の政治の現状は、政権交代可能な政党システムが出来るまでの「移行期」の混乱なのか、それとも「出口のない閉塞」なのか。
 不安ではなく、覚悟を語れ。この混迷を、政権交代可能な政党政治への移行期の試練として受けて立とうという者だけが、不安ではなく覚悟を語ることができる。〇三年は、この覚悟を新たな確信へと深める組織戦の年である。
 政権交代可能な政党政治確立のための組織戦は、国民主権の政治組織文化を創り、また政治の現場をそれに入れ替えていく「急がば回れ」の戦略以外にない。手品のように政治を変えることはできない。政治に口利きを求めない有権者が、自分たちの代表を自分たちの力で作り出すために活動する以外に、政治を変えることはできない。
 自由・民主主義・市場経済から説明できる政治ウォンツを、私的には理解できる有権者は少なくない。この「疑似」主権者の「半歩先」に立って、国民主権の政治組織文化への入れ替え戦を一歩一歩組織していくこと。ここからこそ、覚悟は新たな確信へ深まっていく。この組織活動の一歩一歩が伴わないところから、「覚悟」は空回りすることになる。
 五十五年体制の変形的再編―依存と分配の肥大化(日本型社会主義)、そこから生まれた総無責任連鎖の崩落という現状を、「出口のない閉塞」ではなく「移行期の試練」として突破―転轍するための一部署(国民主権の持ち場)につこう。
 なぜ「政界再編」すればするほど、政権交代可能な二大政党に近づくのではなく、野党から与党への政党間移動(自民党依存症)になり、五十五年体制の変形的再編が肥大化するのか。
 構造改革は政権交代によってのみ可能である。これは政党政治の常識だ。わが国が直面する政権交代とは、依存と分配―政官業癒着の構造から国民主権の構造への、権力の移行のことである(二八四号10面の図にある「第一脱皮」)。依存と分配―政官業癒着の支持基盤をそのまま受け取って、国民主権・構造改革の支持基盤をつくることはできない。依存と分配―政官業癒着の政府・与党に対抗する政党の準備は、国民主権・構造改革の独自の支持基盤をつくる組織戦なくしてありえない。この組織戦なしに、二大政党制の準備はありえない。
 この組織戦、その戦略性が伴わなければ「政界再編」をすればするほど、自民党の動向に活路を求め、五十五年体制の変形的再編に踊ることになる。細川連立政権の挫折から自社さ、新進党の崩壊、自由党の分裂、民主党のゴタゴタはすべて、ここの問題である。保守新党はそれが行きついた、いかなる口先の大義も剥げ落ちた姿であろう。
 この政界再編は、政治家同士の人間関係にも多大なしこりを残している。それが「小沢コンプレックス」、「菅アレルギー」に帰結した者とそうでない者との差も、結局のところ、国民主権・構造改革の独自の支持基盤をつくるための、「十年一日」のごとき組織活動を蓄積してきた者とそうでない者との違いということになる。
 国民主権・構造改革の独自の支持基盤をつくる組織戦、それは政治の現場を、国民主権の常識が反映した政治組織文化に入れ替えることである。四月の統一地方選は、それを身近なところから始める一歩である。われわれの定例講演会やインタビュー、戸田サロンなどの企画もその試みである。そして次期総選挙は、こうした政治文化の入れ替え戦から政権交代の決着戦を賭ける戦場とすべきであろう。
 国民主権・構造改革の独自の支持基盤をつくるための、「十年一日」のごとき組織活動を蓄積してきた者とそうでない者との違いは、この十年でかなりはっきりしてきた。問題は、そこと生まれつつある「疑似」主権者とを直結することである。「欲しい商品がない」と政治にソッポを向いていたのでは、主権者としての務めの放棄である。生まれつつある構造改革のウォンツと国民主権に立脚した政党をつくることを、改革派の政治家・候補者に要求し、またその市場をともに開拓する(支持基盤づくり)一部署を担ってこそ、主権者の務めというものである。
 政官業癒着の与党に対抗する選択肢としての野党―二大政党制へむけた再編は、永田町の合従連衡・一部政治家の人間関係ではなく、かような独自の支持基盤形成―国民主権の波のなかからこそ拓けてくるものにほかならない。
 五十五年体制の変形的再編に終幕を告げ、国民主権に立脚した政権交代可能な政党を創出する組織戦の幕開けとして、〇三年を迎えよう。

政権交代が前提となるまでの民主主義の成熟と、それに照応した下部構造としての市場経済を
われわれの構造改革

 政官業の癒着―日本型社会主義―護送船団の生産関係・下部構造の変革なくして、「われわれの構造改革」は可能か。日本型社会主義―政官業癒着の経済構造・生産関係(下部構造)をそのままうけとって、社会的市場への転換は可能なのか。
 「出口のない閉塞」という現状はまさに、こうした下部構造の変革に手をつけない「改革」論のままでズルズルやってきた結果であり、これがもはやニッチもサッチもいかなくなったということである。それは言い換えれば高度成長期に確立された利害調整型システムが、「予想以上に強固」だったということでもある。この戦後の「成功物語」の延長に「改革」を語っていれば、この利害調整システムの修正ないしは改良しか意味しないのは当然だ。
 しかし今日明らかなように、冷戦終焉を前にしたところからの世界システムの転換に完全に対応できず、その失敗や不作為の追認を「改革」と言ってきたこの二十年は、失政以外の何ものでもない。この失政二十年によってわが国は、戦前の全体主義体制から「疑似」資本主義にまでなんとか持ってきたところから、日本型社会主義(依存と分配の肥大化)へと移行してしまった。
 血を流した社会主義は、ロシアも中国もベトナムも自力で市場改革を推し進めている。その速度や進展には違いがあっても、国有経済=生活・人生を国家が丸抱え=から市場経済への段階的移行を、生活・人生設計の変化=新たなチャンスとして受け止める多数の国民を軸に、民主主義の基盤たる市民社会が形成されつつある(本号四―八面・胥鵬氏ならびに二八三号・唐亮氏 参照)。
 市場経済の主体的理解なくして、自由・民主主義の主体化はない。市場経済の活力が後退すれば、政治的な自由・民主主義は閉塞する。バブルに踊らずに本業を堅実にやってきたのに、政府の不作為と銀行の責任逃れで貸しはがしにあう事業主がいる一方で、政治家の口利きで税金のバラマキにぶら下がっているほうには、「景気対策」でますますカネがつぎ込まれるというのが、健全な市場経済の姿だろうか。
 お上がカネを集め、それをどこにどう使うか決めるという範疇の国家・政党観では、官製金融が民間市場を圧迫し、産業は規制に依存した護送船団になる。下部構造がこのような日本型社会主義なら、上部構造はそれに照応した口利き・利権分捕り合いになり、話し合い=談合という政治文化が開花するのは当然である。
 国家と政党の領域に対する軽信・無知は、下部構造においては、市場経済に対する没主体性である。モノとモノを媒介するという意味で市場経済を理解したつもりでは、信用と信用を媒介する市場経済(金融市場)の主体性を持つことはできない。金融市場やグローバル経済の主体性に対する疎外からのマネー資本主義批判では、閉鎖的な排外的ナショナリズム(反米反中反ロ反韓反北・・・という類)にしかならないのは当然である。
 よい市場には、よい統治が必要だ。モノとモノを媒介するのみならず、信用と信用、さらには社会的投資といったことまでを媒介するまでに市場が発展する(最大限利潤の追求という資本の論理を超えるまでの市場の論理の発展)からこそ、よい統治、すなわちよりいっそうの自由や民主主義の成熟が現実の課題となるのである。
 ウォンツを国民に直接訴えて市場で勝負する(選挙で政権交代)ためには、それにふさわしい政治市場とその下部構造の主体性(組織文化)を獲得しなければならない。
 九八年「第二の経済敗戦」以降、改革を先送りし続けてきた結果、GDP比ではすでに戦前以上に膨れ上がった財政赤字と不良債権は、クラッシュ寸前である。戦前の戦時国債は、敗戦というクラッシュを経て、預金封鎖・新円切り替え(デノミ)とインフレによって相殺された。つまり国民資産であった国債を紙くずにすることで、天文学的な財政赤字を帳消しにしたのである。
 〇三年度予算では、国債発行額が戦後最大の三十六兆円に上る。借り換え債の発行額七十五兆円とあわせれば、百十一兆円である。速水総裁の次の日銀総裁は、調整インフレを容認することが条件だともいわれているが、その背景には、かつての戦時国債処理と同様の手法を五年―十年かけてやろうという延命・逃げ切りの思惑もうかがえる。(ただしその場合には、一気に国債暴落というリスクもともなう)
 〇三年度予算をめぐる論戦はこうした攻防の幕開けでもある。だがそれは、小泉劇場の田舎芝居では絶対に演じられない演目である。もはや観客に甘んじている時ではない。国民主権の側から、その論戦をセットしていかなければならない。そのためにも、特別会計や財投も含めた国家予算の全体像を、有権者自身が主体的に理解する必要がある。
 とりわけ毎年のフローでは三百兆円を超える特別会計は、一般会計(〇三年度は八十一兆円規模)とは違って、国会審議にもかけられない政官業癒着の温床である。小泉「疑似改革」のなれの果ては、政官業癒着の経済構造を温存したままの「改革」とは何なのかを如実に表している。
 小泉「疑似」改革は、増税による「改革」に舵を切った。倒産・失業の増大を「改革が進んでいる証拠」という言動からは、当然の帰結であろう。その延長には、国民資産(一千四百兆円と言われるが、どこまで不良債権化しているかは分からない)で財政赤字をチャラにしようということになっても不思議ではないし、これまでの不作為をこのまま続ければ、結果としてそうならざるをえない(途上国ならとっくにデフォルトしてIMF管理下)。
 主権者の基本は納税者としての義務と権利である。払った税金がどう使われているかに無頓着な国民からは、主体的な民主主義は生まれない。源泉徴収制度は戦前、総動員体制の一環としてつくられ今に続いている。これをそのまま受け取って、政権交代可能な政治の担い手たる主権者が生まれるだろうか、生まれはしない。
 官製経済体制の改革は政権交代によってしかありえない。政権交代可能な民主主義の成熟、その担い手にふさわしい市場経済の主体性を獲得しよう。その一環として、予算審議にフォロワーとして参戦しよう。
 金融、経済、イラク、北朝鮮と内外ともにかつてないほどの「有事」である。「有事だからこそ大同団結」というのは、政官業癒着の崩落の危機から生まれる、不安と動揺の声にほかならない。政官業癒着の構造と「大同団結」しても、危機は突破できない。政官業の癒着を断ち切る政権交代こそ、危機突破―日本再生の唯一の道である。
 〇三年を、この国民主権の確信を深める組織戦の年としよう。