日本再生 277号(民主統一改題7号) 2002/5/1発行

自民党政治の“終わりの終わり”
政党政治の未成熟・主権者の未成熟の“終わりの始まり”
政権交代の主体基盤をうち固めよう

小泉政権一年間の学習効果
政権交代なくして、構造改革なし

 「自民党をぶっ潰す」という絶叫と「純ちゃんコール」のなかで小泉政権が誕生して、一年が経った。当初、九割近かった支持率は四十パーセント台になり、「期待」が剥げ落ちて、総無責任連鎖の権力実態があらわになっている。族議員・抵抗勢力という「格好のカタキ役」を相手にした、「自民党が小泉内閣を潰すか、小泉が自民党を潰すかだ」というクサイ芝居も、三度目(道路公団、医療費に続いて郵政)では、さすがにしらける。
 しかし、この一年間の学習効果は確実に、政権交代の主体基盤の成熟として蓄積されている。小泉政権への期待の高さに対して、「この期待が失望に変わったときには大変な政治不信になる」と多くの(「政治を分っている」)人が心配した。しかし今日、期待がこれだけ剥げ落ちても、「政治不信」「スキャンダル疲れ」は、国民の基本勢力のなかにはない。
 もっとはっきり言えば、「政治不信」「スキャンダル疲れ」と言いたい人たちは、この十五年あまりの間(冷戦が本格的に終焉したなかでの紆余曲折、「失敗」の数々)から、何一つ学ばなかっただけだ。政治不信をバネにして政権交代ができるのか。「小泉がだめだから政権交代」というレベルで政権交代を論じたつもりになっている人たちがいるとすれば、既存の永田町の関係者だけであろう。
 既存の政党(自民党から共産党まで)のお世話にならなくても(政治に口利きをしてもらわなくても)自分のメシくらいは自力で食える、という国民は、永田町の「外側」に自分たちの代表をつくる以外にないこと、そのために何をなすべきかとして、政権交代について考えている。それは「期待―ガッカリ―政治不信」というサイクルとは無縁の、“静かなる自覚の深まり”である。
 その「変えたい」をとらえ、その多様性を互いに認め合いながら合意形成し、政治表現として統合していく―このなかにこそ、政権交代の基盤整備、そして政党政治の基盤整備の実践的諸問題がある。その教訓として、小泉政権一年間をめぐる攻防を総括―蓄積しよう。
 例えば、「今の国会での証人喚問を通した攻防戦であるが、従来と明らかに違うのは、焦点となった議員個人の責任を追及することにとどまらず、そのことがまかり通ってきた権力システムのありように対しての追及であり、『政治改革なくして構造改革なし、政権交代なくして政治改革なし』という政治状況に、有権者が踏み込むことと連動したドラマの進展である」(岡村宣夫・牽牛倶楽部幹事)とは、政治家を(好き嫌いやキレイか汚いかではなく)職責で評価するということの始まりである。
 あるいはこうだ。みずほのシステムトラブルについて、小泉総理が「たるんでる」と発言したことに対し、大塚耕平・参院議員は、メールマガジンでこう批判している。
 「みずほグループの経営陣がたるんでいることはそのとおりです。しかし、一国の総理大臣がこういう短絡的な発言をすることには、次のような重大な構造的問題があります。
 まず、現場で苦労している人たち(国民)の気持ちが分かっていないということです。システム開発や障害対応の現場では、経営陣が合併統合を急ぎ、事前テストを省き、障害の初期対応を間違えたために、おそらく相当の負担がかかっていると思います。過労死が出てもおかしくないような状況でしょう。
 小泉さんは、自分が船長であることが分かっていません。日本経済は大きな船のようなものです。金融システム(決済インフラ)は、船の機関室、つまり動力部分です。機関室で大変なトラブルが発生し、エンジンルームの中で多くの船員が必死に働いているのに、船長はデッキの上で高見の見物、実態も理解できていないくせに、十把一絡げに「たるんでる!!」と吐き捨てるように言い放っているというのが今回の光景です。
(中略)
 「たるんでる」発言は、小泉首相の構造的問題を象徴しています。全て他人事なのです。当事者意識がありません。青木建設が破綻した際の「構造改革が進んでいる証拠」発言も同じ精神構造です。自分は船長であり、その船は多くの名もない船員によって動かされていることを理解していないのです。なぜなら、小泉船長が船長(政治家)として育った時代は、船(日本経済)が自然に動いていた(成長していた)時代です。機関室の構造も、操舵術も、船員の士気高揚のための人心掌握術も知らないのかもしれません」
 これを、「小泉はしょせん、船長の器じゃない」と分ったつもりになっている人ほど、「職責で政治家を評価する」という意味が分っていない。「権力システムのありように対しての追及」とは、職責を問うということであって、個人の資質批判(裏返しとしての「立派な人」のリーダーシップへの「期待」)ではない。
 「職責を問う」という主体基盤のないところでの制度いじりを、「改革」と勘違いしていた時代の終わりである。「失政十五年の総括」は、ここから確実に蓄積されていくことになる。政権交代の主体基盤のないところで、「政治不信」をバネに政権交代を語ったり、「とは言っても受け皿がない」「とは言っても国民がまだ…」と、問題をあいまいにしてきた空間に幕が下ろされる。
 政権交代の主体基盤がないことをあれこれ「評論」してきた十五年だったのか、その主体基盤をコツコツと準備してきた十五年だったのか。小泉政権一年間のなかで、この分岐がもはや覆い隠せないところまで鮮明になってきた。だからこそ、「新しい芽が伸びて旧い葉が落ちた」のである。
 職責を問うためには、アカウンタビリティーと透明性が不可欠である。公約がグジャグジャになってもいっこうに苦にしない小泉政権は、アカウンタビリティー欠如の象徴である。誰が責任をもって政策を決定するのかがあいまいなシステムでは、信頼が毀損されるのみである。
 アカウンタビリティーと透明性、責任と信頼。政権交代の対立軸は、この分岐をめぐって走り始めている。今国会の「疑惑追及」がこれまでと違うのは、政官業癒着の権力構造―依存と分配の政治と戦いながら、自ら自身に(国民との関係のつくり方、選挙での選ばれかた、そして院内攻防の運び方などで)アカウンタビリティーと透明性、責任と信頼を課してきた議員たちが全面に立つことによって、国民のなかの“静かなる自覚の深まり”と連動し、この対立軸が明らかになってきたことである。
 政権交代なくして構造改革なし。だからこそ「われわれに政権を取る能力が問われる」(4月11日パネルディスカッション)のだ。

政権交代にむけて、主権者として「持ち場」につこう

 政権を取る能力・政権交代の能力とは、どういうことだろう。
 利権分捕り合い―政官業癒着―依存と分配の「政治」がもはや通用しないことは、小泉政権一年間で最終的にはっきりした。その権力基盤に手をつけられない小泉政権が、「延命装置」であることも明らかになった。それが「最後の」延命装置となるか、それとも「二番煎じ」がでてくるか、それはもっぱら有権者から主権者への成長にかかっている。
 有権者なら、「金権政治批判」でもよい。「カネに汚いかどうか」で政治家を選べばよいし、「カネや利権やしがらみで投票しない」という自覚でよい。だが、日本の政治を変えるために今必要なのは、こういう「有権者意識」ではない。
 今、日本の政治を変えるために必要なのは、「新しい政党」「本来の意味の政党」を、国民自身が参加して創りあげることであり、「個別利益を政治に求めない人たちが、自分たちの代表をつくること」(4/11枝野議員)である。
 それがないからと言って、個別利益を政治に求めない人たちが政治に参加しなければ、「政治」はますます利権分捕り合いゲーム一色となり、日本再生のための時間がますます浪費されることになる。このタイムリミットをも、そろそろ計算にいれなければならない局面でもあるのだ。
 小泉政権一年間の学習効果を媒介に、細川政権から数えれば九年間を、主権者の未成熟・政党政治の未成熟を終わりにする「下準備」として、総括―蓄積すべき時だ。
 「失政十五年」の意味は何だろう。象徴として八五年のプラザ合意から、「20対80の法則」の弊害が顕著となる。「20対80の法則」とは、国際競争力のある20の産業が稼ぎだした富で、残りの80を養うシステムであり、政治は声の大きい80の利害で決まるという「政官業癒着」の構造である。(二七三号・竹内文則氏の提起を参照)。金融政策における過度のドル依存(金融政策における国益意識の完全欠如)は、「自由化」「グローバル化」のなかで、さらにこの構造に歪みを加えた。(金融、建設、農業などの産業政策の歪み=規制による保護は、自立とは程遠いものを生んだ。)
 これが一方に、政治=既得権益の分捕り合い=依存と分配という構造に特化するとともに、九八年の「第二の経済敗戦」を契機に、「政治に本来の役割」を求める人々が「無党派」として登場するようになった。つまり、個別利益を政治に求めない人たちが、自分たちの代表をもてない限り、それは「無党派」として括られるしかない。
 自分たちの代表を持つ、とはどういうことだろう。
 既存の政党に所属しなかった人たちは、その必要がなかった人たちである。つまり政治に口利きをしてもらわなくても、自分のメシくらいは自分で食えたからである。しかし「第二の経済敗戦」を契機に、そうもいかなくなった。
 大きな時代の転換に、国や政府の基本的な役割(国民の生命・財産を守る、何でメシを食うのか=国の富の源泉、社会や市場の公正さを担保する等)を問わざるをえない。その役割を果たしていない政府や政治を変えなければならないと。
 その「変えたい」は、民主主義社会においては政党を媒介として、政権交代として表現される。その政党が、機能していない。既得権の分配にあずかるほうは、もはや四割を切るにもかかわらず、既存の政党はそこにのみ立脚し、六割の「変えたい」を代表する政党はない、と。
 四月十一日のパネルディスカッションの集約コメントで、戸田代表は次のように述べている。

 だから今、大人の年齢であれば、政治的関心が高いというのは、そうじゃない人たち、政党とは遠かった人たちなんです。自分のメシくらいは自力で食えるという。そういう意識的な無党派の認識は、大人なんだけれど、政党活動がどんなに大変なのかということを知らないんです。
 例えば安全保障、あるいは福祉でもいいですが、政策の一致を図ろうと思ったら、大変ですよ。福祉でも安全保障でも、戦後の総括は一体何なのか。ということは、戦前のケジメがついて戦後ができているわけではありませんから、戦前をどうとらえているのか、という話からしなければならない。一方で日米関係をどうするかという話からも、すり合わせなければならない。
 この「すりあわせ」は大変です。生まれも育ちも違うんだから。そして自民党のように、意見の違いをポストや利権で調整するわけにはいかない。そのすりあわせが、何月何日をもってできましたというふうにはいかんのです。その違いを、次の情勢や次のテーマとの関係ですりこんでいく。そのすりこみに失敗した場合は、分裂とか空中分解とかになる。今日来てもらっている議員もみんな、それで苦労してきたわけです。(この間の「新党」の失敗の教訓とはこのこと)
 この繰り返しをしながら、一歩一歩つかんでくるわけですから、大変なんです。ヨーロッパのように保守党と労働党に三代にわたって所属していて、政治に対する主権者としてのインテリジェンスの歴史的集積があるところでの政権交代―時代の変化に照合して変える場合とは、違うわけです。

 「変えたい」に至った経緯も背景も違う者同士が、それをニーズとしてではなくウォンツとして合意していくには、民主主義の作法が求められる。
 昨年九月二十三日の「がんばろう、日本!」国民協議会の大会記念シンポジウムで、福嶋・我孫子市長はこう述べている。

 もう一方に、自治を進めるためには自治を担える市民がいなければなりません。自治を担える市民の力というのは、違った意見の市民同士が、本当に市民同士で議論をして生産的な対話をして合意を作れるかどうかというところにあると、私は思っています。
 なかなか市民同士の議論というのはしてもらえません、正直に言って。行政のほうに来るんです、自分の意見通りに行政が動いてほしいということで、それぞれ違った立場の皆さんが行政に要望をされます。しかしそれでは、本来の意味での市民参加は進まないと思うんです。
 市民参加をやれば、市民の対立が必ず起きると思います。市民にはいろいろな立場があるし、いろいろな意見があるわけですから。(中略)
 しかし対立のない市民参加というのは、市民参加の練習問題でしかないだろうと思います。対立が起こる問題で市民参加ができた時に、本当の自治に向けた参加になる。そうでないと、いくら市民参加の形だけとっても陳情政治の延長の市民参加だろうと思っています。

 異なる利害・立場を議論を通じて合意形成していくためには、より高次のパブリックが求められる。国益や公益は、「上から」超然的に決まるものではなく、国民・市民が自ら議論して合意していくものだからこそ、主権者なのである。「練習問題」を卒業し、小泉政権一年間を「本来の」参加の教訓として総括―蓄積しよう。
 さすれば、パブリック、権力、職責について、次のようなことも「当たり前のこと」になる。
 「わが国では、自民党議員に限らずマスコミもあるいは一般国民も、与党は与党であること自体で何か権限が与えられていると考えるものが多い。しかし与党の権限といっても、結局は議員として国会の権限と手続きによって法律や予算を原案どおりに、あるいは修正して議決する権限にとどまる」(成田憲彦・駿河台大学教授/『政治の構造改革』21世紀臨調)
 有権者ではなく主権者として「政治家の職責を問い」、自分たちのニーズではなくウォンツをまとめあげ、表現するすべを磨きながら、パブリックの統治を要求しよう。そういう主権者を育成していこう。
 そして政治家の職責を問うことに対して、責任と信頼で応え、選択肢を示す政治家・リーダーなのか。ここから議員や候補者を検証し、またそういうリーダーとなるよう要求し(育て)、政権交代の基盤を成熟させて備えよう。
 政権交代の基盤の未成熟を終わりにするための「下準備」は、「延命装置の目くらまし」などでかく乱されるようなものではないことは、小泉政権一年間で明らかになった。延命装置の二番煎じという「寄り道」をするか、政権交代の基盤のさらなる成熟で絞り込むかは、主権者の成長にかかっている。

グローバル化の“影”を再統治する、「われわれの構造改革」を

 フランス大統領選挙における“ルペン現象”は改めて、グローバル化の“影”をいかに再統治するかという、二十一世紀初頭の大きな政治課題を明らかにしている。名望家政治から大衆民主主義の時代を経て、ファシズムの教訓を内部化し、EU統合に挑戦するまでに至ったヨーロッパ民主主義と市民社会が、新しい歴史的な試練に直面している。
 一方アジアでも、独立闘争から民主化運動を経て、経済の相互依存(戦場を市場へ)のなかで育まれてきた「ある種の共同体」「台頭する市民社会」を、通貨危機を契機にさらに一段と深化させることが求められる局面にはいっている。同時に、中国十三億がグローバル化の荒海に乗り出そうとしている。
 まさにわれわれが、有権者から主権者へ、政権交代の主体基盤を成熟させるべき舞台は、このようなものである。グローバル化の“影”を再統治するという二十一世紀の課題から、一方では「人間の安全保障」を政治・軍事・経済・社会・環境などの総合性として規定しなければならず、であるからこそわが国自身の防衛についても正面から取り組み、当然、憲法や集団的自衛権についても「戦後トラウマ」を断ち切ったところでクリアしなければならない(村田晃嗣氏の講演参照)。他方では、二極化を再統治する多様性の発展から、社会的な仕組みや産業構造などを再構築しなければならない。
 失政十五年とは何だろう。プラザ合意に象徴される過度のドル依存は、へたをすると、最大の強みであったはずの「経常黒字」が消失する「失われた四半世紀」となる(吉川元忠氏/Voice 3月号)。
 同時に、冷戦終焉後、漂流しながらもわが国が環境の激変になんとか対応できてきたのは、日米同盟を「首の皮一枚」でつないできたからである。第一次大戦後の環境変化に対応できなかったわが国は、孤立主義を強め、敗戦へと突っ込んで行った。その誤りを繰り返さずに、なんとかインド洋への自衛艦派遣に間に合ったのである。つまり日米同盟をなんとかつないできたことによって、グローバル化の“影”を再統治(せめて「是正」)する共同戦線に、日米同盟を介して参加できたのである。
 この日米同盟が、とりわけ東アジアにおいて、軍事的抑止に特化していると見えるのであれば、それは東アジアに形成されてきた「ある種の共同体」「台頭する市民社会」を、さらに一段と深化させるための戦略・戦術の欠如によるものである。すなわち東アジアにおける自由貿易構想(当然、農業問題が共通の課題。もはや国内の「利権問題」では対応不能)であり、将来の「地域統合」ビジョンであり、それに対応できる社会・産業構造の再構築である。
 それはヨーロッパとは異なる歴史段階で、異なる道すじをとおって市民社会・民主主義・市場を深化させることを通じて、グローバル化の“影”を再統治することへの挑戦となるだろう。
 グローバル化の“影”の諸問題を、反米や嫌米、反中や嫌中として受け取るのは、まさに「自信喪失」の裏返しであり、健全なナショナリズムとは無縁のシロモノである。改革には自主自尊の原点が必要であるが、それは歴史の事実と向き合う責任意識からのみ生まれるものである(この点でも、村田晃嗣氏の講演を参照)。
 日米関係を通じて、自由・民主主義・市場経済を学んだという事実。そしてその「練習問題」をいかに実技問題としてこなしていくかが、東アジアのなかで問われているという事実。それを「先送り」しないところから、人生の再設計ができる構造改革(教育、家族、労働、産業、社会保障など)が見えてくる。
 「われわれの構造改革」のウォンツを、まとめあげていこう。