民主統一 253号 2000/5/1発行

がんばろう、日本!
衰亡する戦後政治を清算する力強き改革へ、
主権者の気概と行動を示そう

衰亡する戦後政治の退場

 竹下登76歳、村山富市76歳。いずれも今期限りで引退する元首相だ。竹下氏は農村の造り酒屋の長男で、早稲田大学へ。村山氏は漁師の五男、働きながら明治大学へ進学。ともに大学の途中で陸軍に入った。戦後、竹下氏は農地委員の地主代表となって農地解放に尽力するとともに、青年団運動から県議、衆院議員への道を歩む。村山氏は漁村青年同盟に参加、その後社会党から市議、県議、衆院議員へ。
 竹下氏は村山氏との関係を、こう語ったそうである。「われわれは五十五年体制じゃない、四十五年体制だったんだよ」と。五十五年体制(戦後政治)の根っこで共有されていた原風景は、戦争体験と戦後民主化体験であった。同じく今期かぎりで引退する梶山静六氏(74)も、「日本人の血であがなった憲法九条の精神を捨ててはならない」と述べていた。
 飢餓体験としての「戦争体験」(「戦地」ですら、大半はそうだった)と小作制度に象徴される貧しさを原点とした戦後政治が、高度成長を経るなかで、分配―調整型政治へと開花していったのは不思議でもなんでもない。
 興味深い指摘がある。一九七〇年以降、五年毎に同じ質問で行われてきた意識調査の分析から、日本人が憲法に期待する役割は「一に生命、二に暮らし、三、四がなくて五に自由」だという(安念潤司・日経4/19「経済教室」)。憲法は、二度と戦争に巻き込まれなくても済むようにとの「願掛け」であったと。竹下、村山氏の四十五年体制=戦後政治は、そういう基礎の上に立脚していた。
 冷戦という大枠が崩壊するなかで、この戦後政治は衰亡の一途をたどる。その抜本的変革を求めて四苦八苦してきたのが、わが国の今世紀最後の十年であった。
 竹下、村山氏らの引退は、衰亡する戦後政治の退場を意味している。軌を一にするように、世論調査では憲法改正賛成が六割(読売4/15)となり、憲法と教育基本法を併せて議論する流れ(国づくり=憲法、人づくり=教育を、「開かれたナショナル・アイデンティティー」から論じる)が生まれつつある。
 戦争体験と貧しさを原風景とする時代に替わる、「貧しさを知らない時代」の志(新たなる公、責任・選択・連帯、思う・動く・叶うetc)を原風景とする政治社会の再編に本格的に取り組む時ではないのか。衰亡する戦後政治の退場を、その新たな幕開けとすること―それが次期総選挙の焦点にほかならない。
 衰亡する戦後政治の国民的基盤は、明らかに別のものへと変わりつつある。九八年参院選で明確になった、「自民党政治の国民的基盤の歴史的崩壊」(9・19「がんばろう!日本!!」シンポジウム基調)は、加速的に進行している。朝日新聞の世論モニター調査では、昨年十二月から三ヶ月の間に自民党支持層の三割が流出、うち六割は無党派層となっている。支持をやめた理由は「頼りにならない」が最も多く、その大半は小渕政権を、「バラまき、先送り」と批判。この部分が新たに無党派層となって、無党派の意味も変わりつつある。
 「いろいろ不満はあるが、自民党しか任せられる政党がないから」という社会的責任層が、自民党に象徴される戦後政治を見捨て始めた。「自自公の遠心過程」とはそのことであった。そして「自自公の向こう」には、新しい時代を開く有権者の覚醒と小さき行動が、澎湃として興りつつある。まさに衰亡する戦後政治を清算し、新時代の幕を開ける主役は、無数の有権者の小さき自覚と行動である。

「戦後保守」の根底的批判から、真正改革保守は成長してゆく
がんばる日本と日本人の回復宣言

 「保守的であるがゆえに保守体制を根底的に批判せざるをえない」小沢氏を排除することで、自公保連立は、戦後保守政治の衰亡をさらに数歩すすめることとなった。森政権誕生の顛末に端的に現れているのは、国家の命運を決する権力の意思と責任の所在などとは無縁の派閥政治であり、保身と私情むきだしの駆け引きである。
 これとの付き合いが苦にならない国民・有権者とは何か。まさに「パンとサーカス」の大衆である。だから自民党は、既得権関係者以外の票は読めず、投票率が上がれば敗けるという政党になってしまった。戦後保守の衰亡とは、このことにほかならない。
 戦後保守とは何だったのか。まさにそれは、「一に生命、二に暮らし、三、四がなくて五に自由」という「願掛け」としての憲法観に立脚した、戦後日本そのものである。自由も民主主義も人権も平和も、戦いとるすべも自ら守るすべも知らず、それでも「平和」でいられた五十年の酔生夢死と惰眠。
 この虚構の時代が退場しつつある。事実を率直に受け止めるべき時ではないのか。戦後の虚ろを根底的に批判することなしに、わが国の再生はありうるのか? 自尊と主体性、矜持と自負心の回復なしに、歴史的改革は可能なのか? 国民意識の覚醒なくして、日本の再生はありうるのか? 
 「第二の敗戦」から覚醒し始めた国民・有権者がこう問い始めたところから、戦後保守の理念喪失は、誰の目にも明らかになってこざるをえない。自自連立への支持と、自自公不支持とのギャップの本質も、ここにある。理念の喪失、社会の崩落、政治の意思の脱力化のなかでは、己の己たる所以を直視できるもの、目先の保身で自分を見失ったりしないだけの「思い」があるものだけが、改革のために本気で戦える。
 戦後憲法は「侵略戦争をしない国」になるとは謳ったが、「いかなる国になるのか」は何も規定していない。飢餓体験と貧しさの原風景が過去のものとなり始めてからも、この価値観喪失をひきずっていれば、奴隷の繁栄・愚者の楽園となるのは避けられない。
 これを自ら清算する力強い日本・日本人、そのためにがんばる日本・日本人なのか。それとも価値観喪失をあいまいにした「やさしい」日本・日本人なのか。信頼―責任の日本・日本人なのか、安心―お任せの日本・日本人なのか。
 次期総選挙は、覚醒し始めた国民・有権者が、改革の主権者運動の主体へと成長するかどうかの分岐点のひとつである。価値観喪失・衰亡する戦後政治を清算し、新しい政治家を育てるためのとば口につけるか(それとも「政治に関心はあるが、期待できるところがないから」と流れてしまうのか)。
 その「向こう」には、主権在民の理念を血肉化するものとしての創憲国民運動が展望されよう。国のありようと、そのための人づくりを国民自らが論じ、選び取っていくこと。そのための気概、エネルギーは、改革=戦後の虚ろの根底的批判から生まれる。この国民運動のなかから、「新しい日本と日本人」の自尊と主体性―開かれたナショナル・アイデンティティーが合意されてくるはずである。
 六割が憲法改正に賛成という世論を「危険」と見るところからは、主権在民の発展はありえない。変革の気概が、ナショナリズム的傾向を伴うのは避けて通れない。偏狭な自己愛への逃避を断つのは、ナショナリズム(的気概や思い)を、主権在民の発展と構造改革へ、不断に結びつけていくことである。自覚した有権者・国民こそ、その牽引役となるべきである。

業績評価選挙は政党政治確立の第一歩
「がんばろう、日本!」主役は有権者

 次期総選挙では、有権者の自覚と行動がどこまで成熟しているか、だけが問われる。小渕前首相への「同情ムード」で総選挙を有利にしようという野中氏らの「私情政治原理」(久保紘之「天下不穏」4/17産経)が、どこまで通用するのか。それとも、九八年参院選での業績評価選挙(橋本内閣の「失政」批判。政策批判が投票行動の基準となったのは、初めてのこと)が、どこまで定着するのか。
 「私情政治原理」とは何か。例えばこうである。
 NHKの日曜朝の討論番組で。野中氏「私どもは自由党との合意を実現すべく、必死の思いで閣僚の数を減らし、身を切る思いで衆院定数を削減した」。東祥三氏「連立合意は国民との約束。政治家がそのために必死にやるのは当たり前。その上でどうなのかが問われる」。
 政治家を「情」で選ぶのか、それとも「政策」で選ぶのか、せめて「実績」を検証するのか。業績評価選挙は、政党政治確立の第一歩である。すくなくとも選挙での投票行動を、政権の業績を評価するものとすることが、政権交代可能な政治へ近づく一歩であることは間違いない。
 これを、安定・安心の自公保連立か、それとも民共政権かという虚構の政権選択にすりかえるのが、「私情政治原理」にほかならない。酔生夢死の上に浮遊する虚構の「右・左」という時代が退場しつつあるのだ。情や損得、コネで政治家とつき合う時代が終わったのだ。誰にでも好かれる人(だけど何をしたいのかわからない)、やさしいだけの人(だから先送り)ではなく、譲れぬ「思い」を貫こうとする人、果断に決断し沈着に行動できる人、そういう可能性のある政治家を、有権者が育てていく時代の幕開けである。
 韓国でも台湾でも、政権交代可能な民主主義が始まっている。がんばる日本・日本人の気概をここで示そう!