民主統一 246号 1999/10/1発行

日本再生-国家的転換の時代の舞台を回す主権者の自覚をさらに!
「がんばろう、日本!」国民協議会の結成にむけて

戦後日本の、国家と政党政治に対する歪みと忌避を是正する戦いからこそ、日本再生への糸口は開かれる

 「がんばろう!日本!!」9・19シンポジウムは、「第二の敗戦」と言われた昨年からこの一年余りの間に、時代の潮目がはっきりと変わり、国のありようを考える(考えざるをえない)有権者の覚醒が確実に深まってきたことを示した。
 同じく「がんばろう!日本!!」とのタイトルで開催された、昨年10・10シンポジウムでは、「国家の命運に責任を持つべき政治家の職責に対して『日々の生活のことしか考えない庶民と同じに考えるのが民主主義』と信じて疑わない戦後日本の国民こそが、まさに問われている」(同報告集)ことが壇上の構造として示され、それを自己批判として受け取るのか、それとも他人称でしか語れないのかとして、フロアの主体性に分岐が入った。そのことを同報告集では、「(戦後日本の)欲望民主主義のドロ沼に腰までつかりながらも、われわれは“次の一歩”を踏み出すための陣形をようやく得つつある」と述べた。
 そして今回、9・19シンポジウムでは、「国家と政党政治に対する忌避および卑俗化を是正せずして、日本再生の大道はあるか」という主催者の問いに、会場には「まさにそのとおり」という打てば響くような集中感が生まれ、森本敏氏の講演とそれに続くパネルディスカッションでは、「国のありよう」を正面から問い、国家的転換の時代の舞台を回そうという壇上とフロアとの一体感が会場に充ちた。
 まさに国家衰亡の危機という時代の情勢は、ある人々を愚鈍にし、打ちひしぐが、他の人々を啓発し、鍛え上げる。国家的危機を自覚せざるをえない国民の一角からは、「国家としての主体性、国民としての主体性を築いていないことに向き合おう」「国としての主体性を創りだすということは、この日本に政党文明を創りだすことに他ならない」との自覚が深まってきた。それは「圧政からの自由」ではない、「衣食足りて人間であることを放棄する」欲望民主主義と戦う自由を手にすることであると。(本号掲載「感想」参照)
 だからこそ、「無条件降伏後遺症とでも言うべき、国家と政党政治に対する歪み・卑俗化を是正することなしに、わが国は自由・民主主義を血肉化することはできず、国是ともなしえない」(9・19主催者あいさつ)として、欲望民主主義と三十余年にわたって戦ってきた戸田代表が、自らを「戦後日本の中では“アブノーマルな存在”であった」と述べたのに対し、「むしろわれわれのほうがアブノーマルであった。この戦後の虚ろに大人としてケジメをつける」(懇親会での牽牛倶楽部あいさつ)と受けてたつ主体も生まれてきた。
 ここにあるのは、自自連立以来、国家的危機を打開するために何をなすべきか、との視点から政治・政権問題に参加してくる、有権者から主権者への新たなせり上がりである。
 中西輝政氏はある講演で、こんなエピソードを紹介している。「英国病」に苦しむイギリスにサッチャーが登場した当時、長年労働党を支持してきた有権者がサッチャーに投票した。その理由を聞くと、「自分はサッチャーは嫌いだが、国や社会が危機に瀕している時には、自分の主張や好き嫌いではなく、全体の利益のために投票するのが有権者の務めであると、親から教えられた」と。親の世代とは、英国最初の衰退のなかでの改革の試みを、ポピュリズムによって葬り去り、後に続く苦難の日々を経験した世代であると。
 まさにこのような、有権者の成長、主権者へのせり上がりが今、問われ、また開始され始めている。有権者の務め―民主主義の成熟は、欲望民主主義と戦い、国家と政党政治に対する歪みと忌避を是正する戦いの一歩一歩の中で、「圧政からの自由」ではない、戦う自由主義を血肉化していく過程である。
 自自連立から自自公連立への過程は、このような有権者の成長の格好の舞台であり、またそのようにすべきなのである。9・19のパネルディスカッションは、自自公連立に賛成か反対かという受け身ではなく、日本再生のために、この政権で何をどこまでやるべきなのかとして参加していく有権者の構造の一端を示すものでもあった。
 この改革は「静かなる革命」であり、その参加には、自由・民主主義の成熟の上に立った構造革命の主体性・意識性が求められる。
 「ちょうどいま改革のマグマが燃えあがって、少しずつ噴火をはじめている。これが大爆発にまで至るかどうか。今こそ絶好のチャンスです。というのも、ほとんどの人が大改革が進行していることに気がついていないからです。独裁や戦争といった強烈な改革の形がありえない現在の日本では、知らず知らずの内に改革を進めて破断界を超えるしかありません」(堺屋太一・経済企画庁長官「中央公論」10月号)
 「『護憲』『改憲』という戦後の呪縛が決定的に見落としていることは、ある憲法秩序を根底的に否定・転覆する革命憲法を制定するのでないなら、憲法の定める基本秩序を擁護し発展させるためには憲法改正が必要とされる、という『常識』です」(9・19主催者あいさつ)
 民主主義の成熟、戦う自由主義の血肉化によって国家的転換の時代の舞台を回そう! こうした有権者の成長、有権者から主権者へのせり上がりを自覚的、先進的におしすすめるものとして、「がんばろう、日本!」国民協議会を提唱するとともに、多くの皆さんの参加を呼びかける。

20世紀最後の時期を、「がんばろう、日本!」国民協議会の結成にむけて

 自自公連立が日本再生にむけた改革の一歩をさらに深めるのかどうか、一年後には必ず行われる総選挙で有権者は審判を下さなければならない。そのためにも、「この政権で何をどこまでやるべきか」として主体的に政権問題に参加していく有権者の成長を、さらに深化・拡大していかなければならない。そしてそのような有権者のせり上がりの中で、「がんばろう、日本!」国民協議会の結成を準備していきたい。
 「がんばろう、日本!」国民協議会の目的・趣旨には、次のようなことが盛られるべきであろう。われわれは「地球共生国家日本」という新たな自前の国家像をめざすこと、そのために国家と社会共同体の命運に責任を感じることのできる主権者へと自ら成長しなければならないこと、それはまた「圧政からの自由」を超える戦う自由・民主主義を血肉化することでもあること、そのことはわが国近代の総総括であると同時に、アジアの「苦難の近代」を超える共有環でもあること、そしてこのようにしてわれわれは、「尊敬されるに足りる、そして誇るべき日本という国」を創るために献身すると。
 それでは、二十世紀最後の時期に、「がんばろう、日本!」国民協議会の結成にむけて整理しておくべき課題・論点は何か。ランダムに列挙すれば、
 第一に、危機管理・有事法制の基本的確立である。集団的自衛権の問題も当然含まれるが、個別課題としてではなく、自衛隊の位置付け、個別自衛権と国連協力、地域安保協力、日米安保との関連など、国防・安全保障の基本政策体系として整理する必要がある。
 これと関連するが第二に、憲法論議である。憲法調査会での議論は、憲法の逐条審議ではなく、目指すべき国家像・その基本政策から現行憲法の可能性と限界を明らかにし、政府解釈・運用の妥当性を問うというものにしなければならない。そうした議論の基本的流れ・方法を早急に確定すべきである。しからば環境権や知る権利などの新しい人権や、統治機構などを含めた創造的な議論に発展しうる。日本に民主主義が一応定着して初めて、日本人が自分の言葉で憲法を創るという歴史的事業である。
 第三に、東アジア戦略の再構築である。ペリー報告をめぐって特記すべきことは、日米韓の協調が機能し始めたことである。とりわけ日韓の協調は、アジアにおける自由と民主主義の発展から位置付けられるべき性格へと深化し始めている。日米ガイドラインへの中国の警戒は理解できるが、日米同盟への信頼性もアジアにおける自由と民主主義の発展から位置付けられる。このことは、朝鮮半島、中台という東アジアの不安定要因に対して、アジアにおける自由と民主主義の発展の観点から政策を整理していくべきことを意味している。来年七月の沖縄サミットは、それに先立って三月に行われる台湾総統選をめぐって緊張が予想される中台問題に、このような観点から対処することが問われる。
 第四に、国民生活の再構築の課題である。景気回復にメドをつけることが至上命題であるが、その上で本格的に雇用、社会保障、産業構造、地方自治などの構造改革に糸口をつけなければならない。何よりも「自立と自律」を援助する、その上での「安心」でなければならない。税制、財政などもここから手をつけるべきである。
 第五に、これらの中で「大人としての生き方・志」「時代の課題に取り組み、苦闘する姿」「社会的責任の取り方・誇り」を、大人が自分の背中を見せるという方法で示すことによってしか、虚ろな若者に何かを教えることはできないということである。ここでの「底」をなんとか打たなければならない。次の時代を託すべき世代が虚ろであるということこそ、より深刻な国家衰亡の危機にほかならないからである。
 今秋からの各種講演会、新春セミナーなどは、このようなシナリオから企画されるものである。「がんばろう、日本!」国民協議会をともに創りあげるべく、参加をよびかける。国家的転換の時代の舞台を回す、主権者運動を !