民主統一 244号 1999/8/1発行

日本再生−構造革命のスタートラインと連立の時代
−問われる有権者の成長

構造改革のスタートラインとしての連立の時代
自自公連立をどうみるか

 公明党は臨時大会で、「日本の政治には未曾有の難局を乗り越えるリーダーシップ、それを遂行するためには政治の安定が何より必要」「政治を安定させ改革を遂行する」として、連立政権参加を決断した。自民党をはさんだ自自公の連立協議は、いましばらく時間がかかるようであるが、いずれにせよ日本再生―構造改革をめぐる政治の風景(政界再編および国民・有権者との関係)は、大きく変わろうとしている。
 「第二の敗戦」とも言われた経済危機の中で行われた昨年参議院選では、国民の一角にも国家的危機への感性が生まれ始めたことが示された。自自連立の背景も、こうした国家的危機への対処であった。そして今度は公明党が、結党以来の反権力・非自民のスタンスから、こうした難局に対する統治責任の一端を担うところへと踏み込み始めた。その背景認識は、「未曾有の難局」と同時に「連立の時代」ということである。
 国家的危機の前に政党が自ら解散した―これが戦前の大政翼賛会であった。一方、国家的危機の時代に大連立で対処するところから、ドイツやイギリスでは本格的な政権交代可能な政党政治システムへと移行した。
 自社さ連立は、自民党が政権に復帰するための手段であった。自自公連立は、未曾有の国家的危機に対処するための政治の効率を上げる手段である。自民党がもはや単独過半数をとることができなくなったという「連立の時代」を、「やるべきことをやる」政治、本格的な構造改革のスタートとすること。これが自自公連立から始まろうとしている。
 したがって自自公を批判する側も、構造改革のための政権構想と再編のシナリオ、その決断力を争わなければならない。連立政権が現在必要とされる対処策を効率よく行っていけば、「数合わせ」批判は力を失うのだから。
 現在の危機を既得権益構造の危機ととらえ、それへの対処策(延命・弥縫策)をくりだそうとするものは、目先の経済指標が少し「好転」すれば、その危機感は緩む。連立の政策的ハードルは「分配」でカタがつくと考えており、政策合意はせいぜい「最終目標」であって、それ以上先へ進むことは考えていない。
 一方で「延命療法」のような緊急対策ではなく、当面の危機に対処する中から構造改革のとば口を拓こうとするものは、政策合意にそのハードルを押し込むとともに、「その先」をつねに準備する。
 しかり。自自公連立をめぐる攻防は与野党を貫いて、こうした構造改革のスピードや既得権益への切り込み、危機の意味をめぐる攻防となるであろう。日本の再生―構造革命のために、やるべきことを効率よくやる。そのためには「何でもあり」というのが、政治である。

連立の時代に問われる有権者の成長

 連立の時代には、有権者の成長が問われる。
 自自公連立をめぐる攻防は与野党を貫いて、構造改革のスピードや既得権益への切り込み、危機の意味をめぐる攻防となる。当面の課題に的確に対処することと同時に、構造改革への戦略的プロセスをつねに前にすすめるのかどうか。そのための決断力や行動力を争うことをつうじて、ホンモノの改革派の総結集構造とその国民的支持基盤をつくりだすこと。自自公連立が「通過点」であるとは、そういう意味である。
 「第二の敗戦」とも言われた経済危機の中で行われた昨年参議院選で、国民の一角にも国家的危機への感性が生まれ始めたことが示され、それが自自連立の背景ともなった。この危機意識は、情緒的ではあるが(つまり政党的表現をとるには至っていないが)、「戦後的あいまいさ」に手をつける、国のありようというところから戦後日本を総決算することへの踏み込みへと深まりつつある。その象徴的な表現が、国会における憲法調査会の設置であろう。まさに“時代の潮目が変わった”のである。
 こうした国民の意識変化は、もはや旧来の保守・革新・市民・無党派といった区分に沿って走ってはいない。時代の変化を主体的に感じるものと傍観者としてしか受け止めないもの、あるいは疎外として反映するもの。リスクを負ってでも新しいものに挑戦しようとするもの(リスク管理ができるものとバクチ感覚)、誰かが先頭でやってくれるならその後からついていこうというものやそれを応援しようというもの、既得権のパイに最後までしがみつこうとするもの。こうした区分は、あえて単純化すれば、依存・ぶらさがりと自立・改革という社会的経済的基礎の分岐に沿って走っている。
 それだけではない。戦後日本の虚ろが行き着いたソドム*の狂宴(オウム・援助交際)の前に、フーゾクとして同化してしまうものと言うべき何かをもつもの、「個人の自由」のヘ理屈の前に人間の基本を放棄するものと断固として一線をいれるもの。こうした、より根源的な分岐も走っている。(ソドム:創世紀にある古都市。住民の罪悪のため神によって滅ぼされた。比喩的に罪業の都市)
 抜本的改革―日本再生のための社会的経済的基礎や、その人間的資質(時代に対する感性や社会的な責任意識)が出揃ったのである。これが政界再編の地下水脈であり、「連立の時代」とはこうした基礎の流れが、政権・政局に変数のひとつとして参画する時代だということである。有権者と永田町にも、従来にはなかった緊張関係がうまれてくる。
 戦後の虚ろにケジメをつける適確な処置を効率よく行っていくこと。不安定な政治では課題を実現できず、その非効率―閉塞を非難する独裁者に道を開けるのでないならば、連立の時代の智恵と作法を、有権者も政治家も学習していかねばならない。

小渕政権の一年をどうみるか

 一年前には「冷めたピザ」と揶揄され最悪の評価でスタートした小渕政権は、このところ好調ぶりが目立つ。読売新聞の世論調査では、六割近くが実績を評価、民主党支持層、無党派層でもほぼ五割が評価している。また首相適任者でも菅氏を抜いて初のトップになった。しかし本格的な景気回復や金融システム健全化については厳しい見方が大半である。
 この調査結果について、御厨貴・政策研究大学院大学教授は「今回の調査結果をイメージ画風に描くとこうなろうか。いずれはなくなるふろ屋“小渕湯”は今日のところは気のよい主人自らが番台にすわり程よい湯を提供して評判だ。熱くもなくぬるくもなく、明日も入れればよいのだが」と評して、「現状安堵」の国民心理の反映であるとしている。
 自自公連立をめぐる攻防――構造改革のスピードや既得権益への切り込み、危機の意味をめぐる攻防、あるいは「バラマキ的構造改革施策」で既得権の危機に対処するのか、本格的な構造改革の一歩に踏み込むのかという攻防――は、こうした「現状安堵」の国民的基盤に、自立・改革の決断を組織していく攻防でもある。言い換えれば、「バラマキ的構造改革施策」で既得権の危機に対処するのか、本格的な構造改革の一歩に踏み込むのかという攻防を、ホンモノの改革派の支持基盤構造をつくるための再編の組織戦として展開していくことが不可欠だということである。
 この意味でも、公明党の政権参加は大きな意味がある。政権参加が、「バラマキ的構造改革」の分捕り合戦に参入したに等しい結果になれば、社会的存在意義を一気に失うだろう。そうならない道はただひとつ、独自の視点からの構造改革を推進し、押し込む(政策実現という意味が、個別対策ではなく構造改革のプランから説明できるものへ)こと以外にない。そしてそれを統治責任を担う側で行うということである。俗に言う「政府のやることに反対しているだけではだめで、解決に責任を負う」というスタンスである。
 構造不況からの脱出のため、企業ではリストラが相次いでいる。不当なケースがいろいろあるのも事実であるが、「そうは言っても会社が丸ごと倒産したら困るのだから何とかしなければ」(共産党の質問に対する小渕総理の答弁)に対して「首切り反対」一点ばりでは、構造改革をめぐるスタートラインの位置取りにはつけないのである。
 現状安堵という多数の国民的心理が、国家的危機の現状に対する責任意識へと転換しはじめる。公明党の政権参加は、その一表現として見るべきである。
 戦後の虚ろに手をつけざるをえない、それをあいまいにしたまま当面の対処策だけではニッチもサッチもいかないという実感が、国民の一角に確実に生まれている。そして多少のリスクがあっても踏み込むべきだという合意が、ガイドライン関連法や憲法調査会の設置などの背景にはある。
 だからこそ、さらに一歩、抜本的改革の戦略的シナリオを深めるべき時なのである。国会に憲法調査会が設置されることがようやく決まった。本号掲載の樽床伸二・松沢成文両議員の講演にあるように、この十年を、「創憲―新しい国のありようを基本から創りあげる」期間として取り組むのと、十年かけて議論してからどうするか考えましょうというのとでは、大きく違ってくるのである。
 国家を論じることをあいまいにしたまま五十年間やってきたことのツケ、「衣食足りて人間を忘れる」に等しい結末から起こっている危機的状況に、当面どこで対処し、しかる後にある程度整合だった「基本法」として整備し、どのように国のありようとして合意―創憲するのか。この十年にそのシナリオを賭け、それを実現するためのホンモノの改革派の総結集(政治家と有権者)に向けた最初の戦場として、次期総選挙を迎えよう。

ホンモノの改革派の総結集と、政党政治の確立をめざして
「がんばろう、日本!」国民協議会(仮称)を提唱する

 ここまで述べてきたように、自自公連立は、日本の政党政治を変える可能性をはらんでいる。決定的にそれは、有権者の中から(リーダーとは違う道を通って)国家的危機を自覚し、それに対してフォロワーとしての責任を考えるという流れが、政局―政権をめぐる変数の一つへとせりあがってきたことによる。「時代の潮目」「政界再編の地下水脈」などと言われるこのうねりを、日本の政党政治の基礎へと成長・発展させること。それは同時に、当面の危機への対処の中から本格的な構造改革のとば口を開いていく攻防と一体で進行する。そしてそれを推進する力は、構造改革の一歩一歩を通じて新時代の国家像(創憲)を創りあげていく戦略的シナリオである。
 これらを多角的におしすすめ、ホンモノの改革派の総結集と、政党政治の確立をめざす国民的運動として、「がんばろう、日本!」国民協議会(仮称)を提唱する。その一歩として九月十九日、砂防会館の「がんばろう!日本!!」シンポジウムへご参加を!