民主統一 240号 1999/4/1発行

歴史的変革への決断・覚醒の拡がり
98参院選での胎動を、99地方選で仲間・信頼の糸口へとつなげ、
政党的組織表現へと転ずる突破口として次期総選挙へ駆け抜けよう

歴史的転換の時代のリーダーを選抜する有権者の能力を鍛えよう

 統一地方選の幕が切って落とされた。昨年の参院選で顕在化した=政治行動に出た、「国家的危機」という情勢に触発された有権者の覚醒は、歴史的変革に対する自覚や決断として、さらに拡がり深まっている。従来までの「無党派の風」とは違って、このうねりは投票すべき政党・候補を見いだせないからといって、もはや後退はしない。この「深部の胎動」が、歴史変革の政党表現へとどのように成長・飛躍していくのか。地方選から次の総選挙への展開は、その最初の舞台であり、また試練でもある。
 われわれに万全の準備があるかと問われれば、こう答えるしかないだろう。もしも確実な勝機が見込めるときに戦うというのであれば、抜本的変革などできはしないし、そのための組織も信頼もつくることなどできはしないと。時代を転換させる戦いは、崩壊し統治不能となりつつはあるが依然として巨大な既存の体制・システムに挑む、少数の決断から始まる以外にないのだと。
 それは平坦な道のりではありえない。政党文明の蓄積がないというわれわれの社会の歴史的特異性は、自覚しつつある有権者に“苦渋の選択”を強いることが多々ありうる。その時に、誰かのせいにしたりグチをこぼしたりすることに止まるのか、それを超えて前に進む仲間を見い出すか。有権者の自覚と覚醒はこのように試され、鍛えられていく。
 今回の地方選では、場合によっては衆院補選、知事選・首長選、地方議員選(補選も)などが勢ぞろいするケースもある。だが残念ながら、国家や時代への思い、歴史的転換に賭ける決断や覚醒を共有した上での、国政・地方政治・共同体・有権者の相互連鎖という、新しい(政党的)スタイルの糸口を見いだせてはいない(そのような選挙構造―候補者・政党構造をつくりだすには至っていない)。これが、政党政治の蓄積なき日本の現状であり、われわれはここから出発する以外にはないのである。
 したがって、今回の地方選を単独のものとしてではなく、次の総選挙までの展開のなかで、「上からの決断」と「下からの覚醒・参加」を結びつける政党的組織表現を獲得する一連の過程として位置付け、判断・選択していく智恵が求められることになる。
 その基準は以下のようなものとなるだろう。
 第一に、地方選挙と言えども、明らかにわが国の国益の方向に反する候補を選ぶべきではない、ということである。とりわけ東京都知事選においては、首都であるという点からも、選挙結果は東京都民・日本国民の国際社会に対するメッセージとなることを肝に銘ずるべきである。閉ざされた一国主義的ナショナリズムや、愛国主義的反米主義で自己主張を代位できると勘違いしている層は、時代の息吹きの中で自らを見失うだけである。
 第二に、都知事選がこれだけ混戦しているのは、一方で既存政治・政党が現実の生きた国民を統治できなくなっているからであり、他方でだからこそ、生活の戦いと遊離した永田町の思惑と駆け引きで事態が動いているからである。
 残念ながら、これを覆す選択肢は、都知事選には準備できていない。政局に流されない陣地を構える、その組織戦を準備する以外にはないこと、その意味でも既存政治への批判の段階は終わったのだということを肝に銘じよう。
 したがって今回は、「人物」を見極めなければならない(他の選挙でも)。
 歴史的転換の時代を駆け抜ける決断ができる、あるいはその可能性を持った候補者なのか。このような覚悟はきわめて個的な性質のものとして、したがって十人十色の形態としてしか表れていない。
 しかし、既存政治の国民的基盤にも、時代の息吹きは反映する。分配政治の基礎の国民にも「国家的危機」の情勢は反映する。一国主義の基礎の国民にも、国際社会・グローバル社会の現実は、生活を通じて持ち込まれる。そこから生活の中で鍛えられ、考え始める部分が生まれてくるや、既存政党は統治不能に陥ることになる。自民党の末期症状とはこの典型であり、民主党が存在感を低下させているのも、本質的には同じ性質のことである。
 こうした中で、存在感を失ったり低下させたりしていない者、新たな存在感を獲得しつつある者、確実に決断を深めている者(「決断を深める」ということは、その決断を可能にする戦略的分析や主体的条件、仲間や同志を見い出すなどということである。したがって「同情票」を集めるというのではなく、「可能性に賭けよう」というものを惹きつけるパワーが伴う)等々を見極めていくことである。
 きれいごとの作文としての政策なのか、ウケ狙いの小細工なのか、それとも公約の担保として最低、覚悟だけはホンモノなのかどうか。勝算が見えてはじめて「決断」するのか、歴史的転換に賭ける覚悟を訴えているのか。時代に対する責任意識がどのようにあるのか。そしてどういう仲間・支持基盤に支えられているのか。あるいは経済自立人に支持を訴えているのか、行政依存人に支持を求めているのか。
 選挙とはリーダーの選抜である。リーダーを選ぶ能力とは、国家的転換の際に有権者・国民に求められる第一義的能力である。地方選から次期総選挙までを、こうした歴史的転換の時代の各級のリーダーと、それを選抜する有権者の能力とを鍛え上げる、国家的転換を可能にする政党政治確立にむけた戦略的一歩としていこう。

政党政治の新時代を拓く組織戦を準備しよう

 国家的転換とは、政治・経済・社会の総体的な変革であると同時に、決定的には権力の所在を変えることであり、権力基盤を旧来とは別のものに移し替え、再編することである。これを「宮廷革命」やクーデターという形態ではなく、社会総体を巻き込んだ社会革命―構造改革として展開することが、政党政治の今日的課題である。
 したがって選挙戦は、こうした社会再編と権力再編をリンクして展開し、政党政治の基礎を築いていく上では欠くことのできない、決定的な戦場である。 
 利益分配政治の綱領―組織―戦術(俗に言う「地盤、看板、カバン」)ではない方法で、ここに切り込んでいくためには、国家や時代に対する戦略的な観点(戦略理論)と、その支持基盤・仲間・同志が必要である。
 既存政治は統治不能に陥っており、地べたの生活の活力とも完全に遊離して「目先のポスト」のことしか眼中にない。「次の時代」に向かって駆け抜ける決断をしたリーダー(志士的リーダー)が五人いれば、旧いシステムは転換できるというのも、そのことである。
 その芽はすでに生まれ始めている。問題は、それを支える基盤・陣地の構築である。明治維新を可能にした一因も、藩政改革に成功した雄藩が陣地となったことにある。今日では、この組織戦の決定的な戦場は、選挙戦である。
 「地球益・国益・郷土愛をむすびつける」という綱領的・時代的感性を共有し、歴史的転換に賭ける決断や覚醒の共振性を持った、国政・地方政治・共同体・有権者(国民)の相互連鎖構造をつくること。言い換えれば、時代観・歴史観に基づいた国づくりのビジョン(国家戦略)と、地域づくりのビジョンとをトータルに連関させ、同時にその支持基盤・仲間を形成していくこと。それを、地べたからの変革のエネルギーを呼び覚まし、生活からの覚醒を促進していく参加運動として展開していくこと。これが、政策や理念に基づいて、その支持基盤を国民の中につくっていく再編の組織戦のことである。
 綱領どおりに組織をつくる。理念に基づいた支持基盤をつくる。こうした陣地戦を戦い抜くことができた時、巨大に見えていた既存政治の構造は、一瞬にして虚構と化すであろう。政党政治の新時代の息吹きは、戦略的な可能性から現実の確固たる力として―燎原の火に転じる野火として―歴史の舞台に登場するだろう。
 このような、政党政治の新時代の幕開けを準備すべく、地方選から次期総選挙までの過程に臨んでいこう。“苦渋の選択”を、有権者の覚醒を鍛えるために時代が与えた試練として受けてたとう。時代を動かすのは「偉大な英雄」ではなく、有権者・国民の自覚的な行動である。