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メルマガ♯がんばろう、日本!         №301(23.9.1)
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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ 世界史的な変動期―危機の時代のなかで、
「あきらめるわけにはいかない」という主体的意志を育むために

●不信と対立の種を、これ以上植えつけるな
●「幸せな衰退」か、「あきらめない」という主体的意志か
●世界史的な変動期にどういう選択をするのか

□ 戸田代表を囲む会(京都)
□ おすすめ
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世界史的な変動期―危機の時代のなかで、
「あきらめるわけにはいかない」という主体的意志を育むために
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【不信と対立の種を、これ以上植えつけるな】

2011年の事故以来溜まり続けている福島第一原発の「処理水」について、政府は放射性物資の濃度を基準値以下に薄めたうえで海洋放出することを閣議決定、放出が始まった。政府・東電は2015年、地元の福島漁連に対して「関係者の理解なしには処分しない」と約束していたが、2019年以降は「海洋放出ありき(これしかない)」で押し進め、この約束は果たされなかった。

米ニューヨーク・タイムズに掲載された、環境モニタリング・グループ「セイフキャスト」の主任研究員で、日本に長く居住しているアズビー・ブラウン氏の意見記事は、最も重要な問題は技術的、科学的問題ではなく、先例が作られてしまったことだと、以下のように述べている。
「日本政府と東電は、十分な透明性が欠如し、日本内外の重要なステークホルダー(この場合、漁業関係者のような利害関係者のこと)を十分に関与させることのないプロセスを経て、海洋放出を決定した。このことは、何十年にもわたって続く可能性がある不信と対立の種を植えつけている」(飯塚真紀子・在米ジャーナリスト ヤフーニュース・エキスパート8/24)。
同記事では、公聴会の様子についてもこのように述べられている。
「『私はいくつかの公聴会に出席したが、これらは公衆に発言の場を与える公聴会というよりもむしろ海洋放出という選択肢を売り込むための公聴会のように思われた』。つまり、公聴会では人々の声に耳が傾けられていなかったというのである。そして、こう訴える。
『地元住民や市民社会団体、技術的なエキスパート、必要なら隣国も決定に関与させることが、注目に値する成功につながる』。
 そして、その成功例として、低レベルの放射性廃棄物の保管場所を選ぶ際に、1998年に公的及び私的ステークホルダーに意思決定の権限を与え、何年もの研究と環境認可を経て、今年最終許可を出したベルギーの例をあげている。フィンランドやスウェーデンでも類似のプロセスを経て、保管場所が決定されたという。(飯塚 前出)

海洋放出は、今後数十年は続くとみられている。その長期にわたるプロセスに、誰がどのように「責任」を持つのか。
現時点では「科学的」に問題はないといえるかもしれないが、これまでデータ改ざんや隠蔽を繰り返してきた東電や政府が、透明性や公開性、共有性を欠如させたまま一方的に「安全だ」と押し切った今回のような決定過程では、今後の長期にわたるモニタリングや検証、国際的な協調もおぼつかない。(中国の政治的リアクションが強調されがちだが、太平洋島しょ国が懸念を示し国際的な協議を求めていることも重視すべき。)十年以上検討する猶予があったにもかかわらず、その決定過程や手続きはあまりにも妥当性を欠いている。

さらに言えば、極論が飛び交うような世論の断絶状況は、第一義的には「結論ありき」で合意形成プロセスを放棄してきた政治の責任だが、同時に私たち世論のなかにも、今後数十年続く処理水放出や、さらにもっと厄介な廃炉などの「原発事故の後始末」を、社会全体で受け止めていく主体性をどうつくっていけるか、が問われているのではないか。
社会課題を解決していくためには、一部の「当事者」だけではなく、多様な意見や立場の人たちが「自分ごと」として問題をとらえ、考えていく必要がある。そもそもこの問題の当事者は漁業者だけではなく、原発の電力を消費してきた首都圏の人々も当事者なのだから。

【「幸せな衰退」か、「あきらめない」という主体的意志か】

時代の大きな転換に際しては、これまで先送りし続けてきた不都合な真実が「危機的問題」として表出し、それにどう向き合うかが問われる。危機的な少子化しかり、もはや「沸騰」と言われるような地球環境しかり、何周も遅れを取るエネルギー転換しかり。「失われた30年」とは、不都合な真実に向き合うことを先送りし続けてきた30年だ。その先に見えているのは、「ゆでガエル」を通り越した「幸せな衰退」だ。
「しかし日本人はそれなりに満足しています。日本の政府・官僚は優秀で、全体社会が破綻しないように少しずつ、少しずつ、反対されない程度に税金や保険料を上げています。たぶんこれが「幸せな衰退」の鍵なんだろうと思います。
自分が損をするかもしれないような改革――少子化対策はいやだと、日本国民は思っているのではないか。みんな少しずつ貧しくなるなら、みんなで一緒に貧しさに耐えましょうというのが、日本の国民性かもしれないとも思います」(山田昌弘・中央大学教授 8-14面)。
一方で、「ここまでくると、「幸せな衰退」以上の主体を持たないと、いかんともしがたいことになる。破局が具体的に表に出てくることを知り尽くした上で、「あきらめるわけにはいかない」という主体がZ世代などから出てくる。かつての日本は敗北に正直になれなかったけれど、今は日本の現状はどうなっており、どうなりうるのか、という暗い話を正面から聞こうと。こういうことが活路なんです」(戸田代表 「囲む会」コメント 14面)。

海洋放出の「地元」のひとつ、福島県小名浜市で地域活動に携わる小松理虔さんは、次のように述べている。
「一方、私たちは消費者である。国や東電とも向き合いながら、漁師として魚を取るという漁業者の闘い方とは、また別の闘い方ができるはずだ。政治に関心を持つ。投票をする。地域の課題について語り、仲間を増やし、小さなアクションを起こす。データを慎重に読み解き、不正がないか注視し、そして思い切り、小名浜のカツオのうまさを味わう。「ぬるい」と笑われるだろうが、私はそういう闘い方で、廃炉と漁業の復興が両立した福島を見届けていくつもりだ」(朝日新聞デジタル Re:Ron 8/29)。
「あきらめるわけにはいかない」という主体性は、右肩上がりの延長には見えてこない。「失われた30年」では、明治以来戦後の右肩上がりの時代まで広く共有されてきた、「がんばれば報われる」という通俗道徳をもはや共有できないところまで、社会階層分断が進行した。その現実のまえに、「〇〇を取り戻す」と過去のノスタルジーを投射して「未来」を語るのか、将来の夢も社会を変えられる可能性もあきらめて、その日その日を生きていくのか。「あきらめるわけにはいかない」という主体性は、この葛藤のなかで模索しながら紡ぎ出されてきたものだろう。
 「みんなで乗っている船に最初から穴があいているのが人間社会で、水をかき出し続けなければ船は沈み、おぼれてしまう。人間はそれを何千年も続けている。水をかき出し続けること、徒労を続けることが生きること、終わりはない、というあきらめが必要です」
「水をかき出し続けるのは疲れるから、それを歌にしたり踊りにしたりする。そしてかき出す人間を増やす必要がある。市民運動ってそういうことだと思っています」(元シールズ・牛田悦正さん 朝日8/24)。

「あきらめるわけにはいかない」を続けるうえでは、普通の人同士が対話し、議論し、協働していくことが不可欠だ。なぜなら「同じ船に乗っている」からこそ、いっしょに「水をかき出し続ける」のだから。
例えば市民選挙で区長・区議会を大きく変えた杉並区での「ねじれ」について、岸本区長は次のように述べている。
「私と政策合意を結んで、選挙で協力した議員の意見が分かれてしまったことについても、さきほどと同様です。何か物事を変えるというとき、全員が同じ方向を向くことはできない。それでも、その先にある将来を議論していくことでしか、未来を共に作っていくことはできません。これは区民もそうですし、議会もそうですし、区役所の中もそうだと思っています。それが、変化・移行期のプロセスだと、私は考えています」(亀松太郎 7/25ヤフーニュース)。

【世界史的な変動期にどういう選択をするのか】

 処理水の海洋放出については、IAEAの一定の関与もあって、国際社会では多くの国が反対はしていない。中国が強硬策に出ているのは政治的外交的思惑からだが、米韓台が容認姿勢を取っているのも、その意味では安全保障上の関係強化などの思惑からだといえるだろう。
 しかし処理水といえども低レベル放射性廃棄物であり、各国の原発が海洋放出しているトリチウムを含むものとは違い、核燃料を含むデブリに直接触れた「汚染水」を処理した水を海洋に放出するのは、はじめてのことだ。
アジアには中国やインド、ロシア、北朝鮮といったIAEAやNPTなど、国際的な核・原発管理体制やその規範に抵触、またはその可能性がある国が存在している。日本の海洋放出は、ここで「悪い先例」を作ってしまうのか、それとも規範の先例となれのるかが問われているのではないか。少なくとも日本政府は多くの国が反対しないという状況に満足せず、相手の立場に立って知りたい情報(提供したい情報だけでなく)を、根気強く提供する開かれた姿勢を取ることが重要だ。
さらにいえば、専門性を持った独立した監視体制――影響を受ける可能性のある国や地域の人々が関与できる参加型の体制――によってモニタリングや検証が行われ、情報がオープンに共有されるなら、核・原発管理の規範性の一端を担うことができるだろう。ロシアによるウクライナ侵攻で、核・原発管理に関わる国際規範は大きく揺らいでいる。このなかで「悪い先例」となるのか、新たな規範性への一歩を踏み出すのかは、これからの日本政府の対応と、それを政府に要求する私たちの声にかかっている。

 海洋放出に関連しては、中国の強硬姿勢を「想定外」という外交センスのなさも困ったものだが、それに反発して「外交戦」をエスカレートさせようという一部政治家の言動や、反中・排外的な言動を煽る動きは看過できない。
 1920-30年代、中国大陸での無謀な戦線拡大を後押ししたのは、軍部の掲げる「暴支膺懲(ぼうしようちょう)」を支持した民衆の「世論」でもあったことを忘れるべきではない。またそうして形成された民衆の排外感情・差別意識は、関東大震災のような「非常時」には、いとも簡単に集団的な暴力に転じることも忘れるべきではない。
 「同じ船に乗っている」からこそ、いっしょに「水をかき出し続ける」という、ようやく生まれ始めた関係性を、経済格差の拡大と排外主義的分断の激化に飲み込まれることなく「次」へつないでいけるか。台湾有事が喧伝されるなか、この数年はその正念場でもあるだろう。

 そして海洋放出に対する太平洋島しょ国の懸念には、真剣に向き合うべきだ。
 ロシアによるウクライナ侵攻を契機に、国際関係は歴史的な変動期―危機の時代に入っている。この先にどういう世界が形成されるかは定かではないが、少なくともアメリカに代わって国際的な秩序を担保するような覇権国が登場する可能性は、限りなく低い。
「こうした国際秩序の転換は、かつてのような覇権の交代という形ではおそらく無理です。アメリカ以外にそうした覇権を持てるような国は、中国であれインドであれ、登場しそうにありません。ある種のバランスオブパワー的なもの、多民族帝国間の合従連衡が秩序の基本を提供するということになるほかないのではないかと思います」(中西寛・京都大学教授 15―19面)
「今後の世界は、西側的な一極的な価値観にも、中国やロシアが言うような多極的な価値観による分割にも行かず、その間のような、複数の価値が共存しつつある種の一体性があるというようなところに落ち着いていく必要があると思います。
地球的にみるとアメリカ、中国、インド、EUのような大きな規模の、国民国家というよりはむしろ多民族的な国家あるいは帝国的なものが複数存在し、それらがひとつの軸になる。一方でそれほど大きな国ではないところは国家連合のようなものを作って国際政治に参画する。アフリカ連合とかASEANなどが典型的だと思いますが、地域的なまとまりを作っていく動きは今後も強くなるのではないか」(前出)。

こうしたなかで「大国」にはなれないし、アメリカに頼っていればいいというだけにもいかない日本にとっての選択肢は、何らかのミドルパワー的な国家連合的なものとなるだろう。その際に、太平洋島しょ国は重要かつ不可欠なパートナーであることは間違いない。
そうした国や地域との信頼関係をどう築いていくのか。かつてのようなODAを軸にした経済外交が通用する時代ではない。海洋放出に対する彼らの懸念に誠実に向き合って、相手の立場に立って知りたい情報(提供したい情報だけでなく)を根気強く提供することは、少なくとも最初の一歩として不可欠だ。

さらに言えば、「安全保障の中心が地域レベルに移っていかざるをえない」(中西先生 前出)なかでは、韓国や台湾との関係についても対中関係だけではなく、「先の戦争」における日本の加害責任にも正面から向き合っていく必要がある。
1965年の日韓基本条約で「解決済み」という枠組みは、冷戦体制下かつ韓国の軍事独裁政権下で成立しえたものだ。その歴史的条件は韓国の民主化や、冷戦終結前後からの国際人権規範の深化などによって大きく変化している以上、枠組みも転換しなければならない。
「21世紀の東アジアの平和と歴史和解を目指すには、韓国と日本の民族主義が結んでいる敵対的共犯関係が解体されなければならない」(「被害者意識ナショナリズム」林志弦 東洋経済新報社)というアプローチも始まっている。それに応えるような加害責任との向き合い方を、どう獲得するか。
台湾についても「ひとつの中国」「一国二制度」というあいまいな合意を支えていた枠組みが失われている。その大きな要因である台湾の民主化と台湾アイデンティティーにどう向き合うか。少なくとも「反中・親米日か反米日・親中」とか、「米中関係のコマとしての台湾」という目線では、台湾の人々の主体的な意志は見えない。
 「それ(秩序形成の軸となるアクター/引用者)以外の諸国――日本もそうですが――が、ある種の潤滑油のようになって、大国間のバランスオブパワーというものが不安定になったり、戦争にならないようにするという役割はありうると思います」(中西先生 前出)。
歴史的変動期―危機の時代のなかで、そういう役割を実践的に深めていけるか、というところからも対外関係を再構築していくべきだろう。海洋放出もその一場面にほかならないのではないか。

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第43回「戸田代表を囲む会in京都」
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「脱炭素社会への公正な移行(仮)」
ゲストスピーカー 諸富徹・京都大学大学院教授
9月7日(木) 18時30分より
キャンパスプラザ京都・第一会議室
会費2,000円(学生1,000円)
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おすすめを少々・・・
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●国軍がクーデターで実権を握ったミャンマーで、国軍に抵抗する人々の姿や、自由を奪われた苦悩を描いた
映画『ミャンマー・ダイアリーズ』 (myanmar-diaries.com)
映画を制作したミャンマー人監督の1人がオンライン取材に応じ、「抵抗を示す人々の勇気ある姿を見て、ミャンマーで起きていることを知ってもらいたい」と語った。

ミャンマー人ら制作の映画が公開 監督「抵抗する人の勇気、見て」:朝日新聞デジタル (asahi.com)

ポレポレ東中野で8月5日より。順次各地で公開予定
ポレポレ東中野:オフィシャルサイト (pole2.co.jp)

●映画「福田村事件」
映画『福田村事件』公式サイト (fukudamura1923.jp)

関東大震災から100年。闇に葬られていた実話に基づく映画。9/1より公開。
ヘイトスピーチを「見て見ぬふり」をする社会は、「危機」の時に何をするのか。今を生きる私たちに問われていると思います。 **********
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石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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