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メルマガ♯がんばろう、日本!         №278(21.10.1)
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「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp
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Index 
□ 誰がどこで決定したか、ちゃんと説明して検証し責任をとる当たり前の政治へ
コロナ禍での能動的変化を主権者の意思として示そう

●機能する政治へ  主権者の意思を表出させる場としての総選挙―参院選
●政治をあきらめるな
●人権―アップデートされた価値観を内在化して政治と向き合う
●機能する政治へ 信頼感と緊張感をつくりだす糸口を

□ 第九回大会第八回総会【会員限定】について
□ おすすめ 「時給は最低賃金」の女性ライターと政治家との対談本

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誰がどこで決定したか、ちゃんと説明して検証し責任をとる当たり前の政治へ
コロナ禍での能動的変化を主権者の意思として示そう
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【機能する政治へ 
主権者の意思を表出させる場としての総選挙―参院選】

「国民は、自宅で見殺しにされようとしている。」宝島社が9月22日に全国紙3紙に掲載した見開き広告だ。汚れたぬいぐるみのクマと、新型コロナウイルスを模したとみられる真っ赤な円形の画像とともに、「今も、ひとりで亡くなっている人がいる。怒りと悲しみでいっぱいになる。この国はいつから、こんなことになってしまったのか。」と、医療現場の厳しさから十分な医療を受けられない状況を念頭に、政府の新型コロナ対策に疑問を投げかけている。
朝日新聞(9/24)の調査によれば、新型コロナウイルスに感染し、自宅や高齢者施設での療養中に亡くなった人は、8月末までに全国で少なくとも200人を超えるという(ホテルなどの宿泊療養施設は含まず)。NHK(9/13)は新型コロナウイルスに感染し、自宅などで体調が急に悪化して亡くなった人は、8月は250人に上り、7月の8倍に急増したことが警察庁のまとめで分かったと報じている。

コロナ対策に「正解」はないこと、100パーセントを望むことはできないことは、多くの人々も分かっている。だからこそ私たちが求めていること、問うていることは、専門家の意見を退け、国民の〝いのちとくらし〟を賭け金にオリンピックを強行した政治の責任を、だれがどう取るのかということだ。
「・・・誰がどこで意思決定したか、ちゃんと説明してもらう。それがうまくいったか、うまくいかなかったかを事後的にきちんと検証し、責任を取ってもらう。そのプロセスにおいては人々の多様な声をきいてもらう。こうした作業を通じて、みんなの政治とか統治とかに対する意識や要求は高まると思うんですね。だから、危機の時においてこそ民主主義の強化をすべきだと考えています」(新型コロナウイルス 危機の中だからこそ 民主主義の強化を 東京大学宇野重規さん NHK特設サイト)

 その意味で、自民党総裁選に続いて政権選択選挙である衆院選と、政権の実績評価である参院選が立て続けに行われるこれからの数か月は、私たち主権者がどのように政治の責任を問い、また民主主義をどう機能させ・強化していくかが問われることになる。
 今回の自民党総裁選は、「菅総理では選挙に勝てない、選挙に有利な『表紙』は誰か」というものだろう。その意味では相変わらず国民不在のコップの中の争いに過ぎないが、新しい総理が臨時国会でまともな議論をしなかったら、直後の総選挙で国民はノーを突きつけることができるという点は、これまでにないものだ。そして約半年後には、政権の業績評価となる参院選が控えている。私たちの一票はきわめて重いものになる。
(コロナ対策のために野党が憲法の規定に基づいて求めていた臨時国会の召集を、与党は80日間先送りし続けてきた。入院できないまま自宅療養中の感染者が亡くなるという事態でも召集されなかった国会は、総裁選という与党の都合なら召集されるのだ。何を問うべきかは明らかだろう。)

 自民党のなかには、総裁選を盛り上げれば内閣や党の支持率があがり、総選挙でも有利に働くという見方が強い。たしかに世論(セロン)は新しいものに目を奪われがちだし、自民党の支持率も持ち直している。とはいえ、世論のなかに変化が生じていることも見逃せない。
 例えばオリンピック。「開催一択」で突っ走った菅政権と与党は、いろいろ批判があっても開催しさえすれば国民は「感動」で盛り上がり、政権の支持率も浮揚すると見ていた。実際、大会後には世論調査でも「開催してよかった」との声は過半数に上る。しかし菅内閣の支持率は上昇するどころか、危険水域とされる30パーセントを割り込む結果も出た。
国民はオリンピックの「感動」と政治に対する評価をはっきり分けたのだ。そこに働いているのは「機能する/しない」という、これまでになかった、そしてコロナ禍を通じて実感されてきた、政治に対する判断基準だろう。(総会報告参照)

 トヨタ自動車の豊田社長は記者会見で自民党総裁選について、新型コロナウイルスの感染拡大という現実は変わっていないのに、コロナ禍から東京五輪・パラリンピック、そして自民党総裁選へと舞台が変わっているように伝えられていると苦言を呈した。世論のフェーズは変わりつつある。
 「国民は五輪と政治とをきっちり切り分けて評価したのだ。そうなったきっかけは新型コロナウイルスの問題だ。安倍氏が絡んだ『モリ・カケ(森友学園・加計学園)』や、『桜を見る会』の問題に対し、多くの国民は『ふざけるな』と真剣に怒ったが、個々の生活には直接関係しないことだった。しかし、コロナ禍はすべての人の生活に降りかかってきた。一人一人が苦しみ、もがき、マスク一枚買えない厳しい環境の中で、『何かおかしくないか?』と気づいた。
 国民の政治に対する視線は鋭くなっている」(鈴木哲夫 毎日9/22)。

「コロナはいのちに関わることだから、(政治や行政が)自分には権限がないと言っていたら市民は許さない。そういう意味では、今は機能する政治をつくるチャンスだと思う。市民はちゃんと結果に結びつくことを求めている。医療体制がダメだというなら、言い訳ではなくちゃんと作れ、権限がないなら権限をつけろと。そういうところまで押してきている。政党も議員もそれにこたえられるかどうかが問われている」(内田・我孫子市議 総会報告)。
コロナ禍であきらかになってきた〝いのちとくらし〟という観点、そこから見えてくる「機能する/しない」という、これまでとは違う政治に対する判断基準。こうした世論の変化を輿論へとどのように迫り上げ、主権者の政治的意思として表出させていくか。今秋の総選挙から来夏の参院選を軸とした一連の過程を、こうした舞台として設定しよう。

【政治をあきらめない】

機能していない政治に対する有権者の気持ちや雰囲気を、どう投票行動にあらわしていけるか。「自公過半数割れ」という問題設定は、こうした視点からのものだ。「自公に対する批判の受け皿」たりうるかではなく、「機能する」要素のあるものが受け皿になりうる。
総会での議論にもあるように、「機能する」要素に不可欠なことは、情報の共有・公開や応答性、そこから生じる共感力やエンパシー、当事者性・共事者性といったことだろう。
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〝いのちとくらし〟に根差したところから、「機能する」とはどういうことかが、何となくでも見えてくるようになっている。政治・政府はもちろん人間関係や仕事や社会活動などでも、「機能している」とはどういうことか、同じ床屋談義でも社会性や当事者性の糸口になるのか、他人事で終わるのかなど。
他人称で「候補者はろくでもないヤツばかり」で終わるのか、「ろくでもないヤツばかり」だからこそ自分事で考えなければ、となるか。いわゆる無党派のなかに、こういうことが生活実感として生まれつつある。こういう雰囲気を、どう選挙に反映させられるか。他人称のままなら「与党はダメだが野党もだらしない」で終わる。その意味で「自公過半数割れ」という問題設定は、選挙を「数で決着をつける」場から、「選ぶ側」の主体的意思を表出させる場へと転換するという意味でもある。(総会報告)
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いいかえれば、「与党もダメだが野党もだらしない」という「選ばれる側」に問題を委ねる立ち位置から、「選ぶ側」が主体となる立ち位置への私たち自身の転換だ。例えばこんなふうに。
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ところで、『なぜ君』を観た人の多くが「こんなに真面目で誠実な政治家がいたとは」と驚き、感動した。と同時に「こんな政治家がなかなか選挙で勝てない政治って何なのか」と絶望し、「自分にできることは選挙に行くことだけ。でも、それがなかなか報われない」と落胆した人も少なからずいただろう。
そうした絶望感に大きな風穴を開けるのが、和田氏のこんな言葉だ。
「小川さん一人が何とかしてくれると思うと、そんな絶望感を抱くこともあるかもしれませんが、私は『絶対自分も一緒にやるもんね』と思うんですよ(笑)。
これは小川さんも言っていることですが、みんなが『これ、マズイよね』という問題意識を持って『どうしようか』と考え始めたら、その時点で解決に向かっている。そうした一人一人の問題意識はすごい力になると思うんです。
絶望に立ち止まらず、ときに立ち止まってしまったとしても、まずは問題があることを理解すること。そこから、解決方法があり、提案もされているということを知って選挙に行くのと、絶望したまま行かないのでは全然違います。
政治のことは私もいまだにわからないですが、これまで『わからない』で放置してきたよな、と。もし自分が大きい病気をしたら『わからない』で放置しないじゃないですか。それなのに日本が今、こんなに切迫した病状でも、私たちが放置したまま治療しようともしないのは、違うと思うんです」(泣ける…50代女性ライターが書いた「政治対話本」が今売れる背景 田幸和歌子https://friday.kodansha.co.jp/article/206961)
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新自由主義の30年間で、多数の人が「政治をあきらめた」。「政治はクソだが、自分は自分でやっていける」あるいは「がんばっても変わらない」(どちらにせよ自己努力、自己責任だ)と。その結果、有権者の半分しか投票しない選挙で政権が選ばれている。
日本の投票率53パーセントは世界145位と、主要先進国中で最低。ほとんどの先進民主主義国で与野党勢力が拮抗し、連立政権が定着している中、自民党の衆議院での議席占有率は61パーセント、これはプーチン与党が66パーセントのロシア並みだ。それでも少なくない人たちは、「どうせ変わらない」(自分で何とかするしかない)と思っていた。
しかしコロナ禍では「自分だけでは何ともできない」し、黙っていたら機能しない政治に〝いのちとくらし〟が破壊されるという現実に直面した。あるいは、そんななかでも声を上げれば政治も少しは動くという経験もした。ここから、さらに人々の声を集めて機能していない政治の尻を蹴とばす、あるいは機能するとはどういうことかを考え始めるようになっている。
こうした世論の変化を輿論へと迫り上げ、主権者の政治意思として表出する。選挙をそうした場へと転換しよう。「自公過半数割れ」は、そのための問題設定にほかならない。

【人権―アップデートされた価値観を内在化して政治と向き合う】

 世論の変化を輿論へと迫り上げていくうえでは、価値観の転換とそれを内面化するプロセスが不可欠となる。例えば自民党総裁選でも「新自由主義からの脱却」が語られる(どの口が!)ご時勢だが、新自由主義からの転換とは、再分配や財政など政策次元にとどまるものではない。時代の転換、価値観の転換を内面化することが伴わなければ、安直な制度いじりにすぎない。それでは失われた30年で底が抜けてしまった社会は、さらに破壊されてしまう。

価値観の転換は、世代をめぐって語られる場合が多い。例えば
「今、新型コロナウイルス感染症という危機に直面している若い人たち、10代後半から20代の人たちを『コロナ世代』と呼びたいと思います。この世代が、政治に新しい風を吹かせる可能性があるのではないかというのが、第一の問題提起です。
~中略~世界恐慌や第二次世界大戦を若い頃に経験した世代は、生涯を通じて他の世代より投票率が高く、政治関心も高く、特定の政党や政策を支持する傾向が強いということは、これまでのデータ研究で多くの研究者が示しているところです。  この傾向がコロナ禍を経験する若い世代にも当てはまるならば、平時に成人した若者よりも政治に強い関心を持ち、自ら関わっていこうとすることが予想されます。コロナが格差の拡大を招き、将来不安をかきたてている現状を考えると、世界恐慌を経験した世代と同様、所得再分配など社会不安に対応する政策に、他の世代よりも高い関心を持つことも考えられます。  その結果、これまで政治がおざなりにしてきた、将来世代を視野に入れた長期的な課題、再分配、あるいは財政、環境という問題にも目を向けるかもしれない」(松本朋子 論座9/26)

 一方、こうした可能性(価値観の転換の可能性)を、社会を変革する主権者としての当事者性へとどう結びつけていくか、という課題を例えば小川淳也議員はこう提起する。
「彼らが新たな方向や価値観で自分のライフスタイルを舵取りしている、そういう現実には大いに期待したいのですが、片や政治のダイナミズムを通して社会全体を変革する、そこに当事者として参画するということが、必ずしも結びついていない世代でもある。
それは彼らの責任ではなくて、ひとえにわれわれ大人社会の責任だと思います。そこがひとつ大きな課題でしょう」(7-9面インタビュー)。

コロナ禍はたしかに価値観の転換を促している。同時にリーマンショックや3.11がそうであったように、社会の価値観を大きく変えざるをえないような「出来事」であっても、それが「受動的出来事」に終わってしまえば、むしろ災時便乗的に旧い価値観が再強化され、人々は無力感とあきらめに陥ることになる。「出来事」を、歴史的な転換にむけて能動的に受け取るためには、変革のビジョンとともにその担い手を作り出していくことが不可欠だ。

若者や外国人の労働問題に取り組むNPO法人POSSE事務局長の渡辺寛人氏は、以下のように問題提起する。(日本における「ジェネレーション・レフト」の可能性を探る POSSE Vol.48 より)
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「ブラック企業」「ブラックバイト」言説と労働組合を通じた実践の組織化は、若い世代が運動にかかわる回路をつくり、そのなかから運動の担い手が育つ可能性を生んだ。だが日本社会では、依然として新自由主義の影響が強い。それゆえ若者がジェネレーション・レフトを形成するほどの状況をつくりだせず、むしろ保守的な傾向を強めている。この状況を変えていくためには、より大きなエネルギーが必要である。
 変革のためのエネルギーをどこに見出せるのか。実はコロナ・パンデミックという、それじたいは受動的な出来事によって、運動の現場には大きな変化が起きている。
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コロナ禍のなかで、若い世代が運動の現場に参加するようになり、彼らのなかで社会問題に対する関心が高まっていることが伺えるという。女性の参加が多いこと、技能実習生をはじめ外国人の労働問題への関心が高いことは、示唆的ではないだろうか。

こうした運動に参加するのは、どちらかといえば「余裕」のある人だ。学費免除運動でも、自分は困っていないが困っている友だちのために声をあげた、という学生がいるように(大内裕和・中京大学教授 506号)、そこには新自由主義の「今だけ、自分だけ」とは手を切った社会的連帯の芽がある。
そして女性は「女性である」というだけで「自己努力では超えられない」壁にぶつかる機会が多い。そこから「わきまえる」とともに、人々の努力で獲得されてきた社会的リソースを「自分活躍」のために利用しつくすか。それとも、こうした新自由主義的価値観を相対化するか、という主体的選択も見えてくる。

「私はたまたま・・・苦しい状況にあっても『頑張ることが可能な環境』が与えられた。私はそこで得た力を、自分が勝ち抜くためだけに使おうとは思えません。『努力をすれば成功できる』というのは、成功している人の地位を正当化するための言葉です。そして、弱い立場にある人ほど『しょうがない』と諦めさせられている。この社会の仕組みを変えたい。それが私の負うべき責任だと考えています」(五十嵐衣里・都議 PRESIDENT Online 9/28)

あるいは外国人労働者の問題は、ダイバーシティや能力主義といった新自由主義と親和的な「多様性」の薄っぺらさを暴くとともに、多文化共生社会にむけた「深い多様性」を問う契機になる(南川文里・立命館大学教授 503号)。外国人労働者が日常生活の中で身近な存在になるとともに、「誰かの人権が守られていない社会は、実は誰も人間扱いされていない社会です」(駒井知会弁護士)という価値観のアップデートが始まっている。(選択的夫婦別姓というニッチな課題が「私たちの問題」と受け取られる世論の構造にも、そのことが見られる。)
アフガンやミャンマーの人権問題に、「遠くの国の出来事」ではなく「隣人」として向き合おうとすることと、日本国内の問題を人権という視点からとらえ直すことは、まさに地続きだ。女性差別、非正規雇用の常態化、技能実習生をはじめとする外国人労働者の問題、外国人排斥、入管問題、ヘイトスピーチやいじめ、ブラック校則、環境破壊など、多くの国内問題の根底には人権軽視が見て取れる。

これまで選挙ではえてして「経済政策(景気対策)」や「税・財政政策」「年金制度や社会保障制度」など、いわゆる大文字の政策課題が争点として注目されてきた。しかし「人権」という視点を抜きにしたまま語られれば、その瞬間、災時便乗的に旧い価値観が再強化され始めるのではないか。そうした争点設定では、有権者の半数が最初からあきらめる選挙が続くことにしかならないだろう。
コロナ禍で生まれてきた「政治をあきらめない」という能動性への糸口を、さらに主権者の政治的意思として表出するためには、人権という視点から社会の問題を再定義することが必要ではないか。

立憲民主党は、一連の選挙公約発表の最初に「初閣議で決定すること」を発表した。拒否された学術会議6名の任命や名古屋入管で亡くなったウィシュマさんの映像・資料の全面開示、赤木ファイルの開示などには、「この程度?」と否定的な反応も散見された。たしかにこれまでの「大文字の政策」の価値観からみれば、これらは政策とはとてもいえないだろう。
しかし「誰かの人権が守られていない社会は、実は誰も人間扱いされていない社会です」という価値観のアップデートを内在化するなら、「僕もこの3点がとても重要だと考えている。コロナ対策や経済政策も大事だけれど、その前にまず政治には『人としての最低限』というレベルを解消してほしい」というところから、新たな政治との向き合い方をつくりだしていくべきではないか。
失われた30年によって、私たちの社会はあちこちで底が抜けかけている。コロナ禍はその現実を明らかにした。30年かけて破壊されてきたものを建て直すには30年かかるかもしれない。しかも過去の延長にではなく新しい未来から建て直す(build back better)ためには、価値観を内在化するプロセスが不可欠となる。
これまで政治がおざなりにしてきた、将来世代を視野に入れた長期的な課題―再分配、あるいは財政、環境などの問題に向き合う、新しい時代の「機能する政治」を創りだす。その歴史的なプロセスのなかに、総選挙から参院選を軸とした一連の政治過程を位置付けよう。

【機能する政治へ 信頼感と緊張感をつくりだす糸口を】

コロナ禍という未知の危機に際して、機能する政府・政治なのか、機能しない政府・政治なのかが、世界的に問われ比較もされた。権威主義体制のほうが民主主義体制より有効に機能するという見方もあるが、それに対する実証的な反論もある(例えば、安中進 中央公論9月号)。
一方で「機能している」とみられる例では、ドイツ・メルケル首相(当時)やニュージーランド・アーダーン首相、あるいは台湾のオードリー・タン氏のように、国民とのコミュニケーション力や共感力、情報の公開・共有や応答性がカギになっている。総会での議論にもあるように、「機能する」要素に不可欠なことは、情報の共有・公開や応答性、そこから生じる共感力やエンパシー、当事者性・共事者性といったことだろう。これらは人権感覚の基礎なしにはありえない、ことも明らかだ。

こうした国民、市民と政治との信頼感、信頼に足るという関係性への糸口を、どこまでつくりだすことができるか。失われた30年の間に蓄積した政治不信、政治へのあきらめは、並大抵のものではない。一方で、コロナ禍のなかで「政治をあきらめない」という能動性への糸口も生まれつつある。

政治を機能させるうえで、もうひとつ重要なことは政治の緊張感だろう。ひとつは「失政をすれば、必ず有権者から責任を問われる」という緊張感。市民が「どうせ変わらない」とあきらめてしまえば、こうした緊張感は消え失せ、「有権者はすぐに忘れる」とカタをくくられる。その結果、権力の私物化や恣意的な運用が大手を振るったのが、ここ数年だ。これだけのコロナ禍の失政でも、「失政をすれば、必ず有権者から責任を問われる」という緊張感は働かないのか。それを起動させるのは主権者である私たちだ。

もうひとつは政党間競争の緊張感。自民党の衆議院での議席占有率は61パーセント、プーチン与党が66パーセントのロシア並みという状況を作り出したのも、有権者の半数しか投票しないという低投票率だ。自分の一票では何も変わらない、と思いたくもなるだろう。しかし七月の都議選でどの会派も過半数をとれなかった結果、それまで議会を開かず知事が専決していたのが、議会の審議を経て議決するという「当たり前」のことに変わった。予算の中身についても審議を通じて問題点が明らかにされ、執行部から議員への働きかけなども明るみに出された。
「一強」状態が解消されることで、政治的な緊張感への糸口が生まれる。そこから民主主義の活性化のために、それをどう活用していくかが問われることになる。衆参の議席配分を通じて、そうした糸口をつくりだしていくことは重要なステップだ。私たちの一票はその力を持っている。

 自民党総裁に誰が選ばれるとしても、次の総選挙、そして参院選で私たちが問うべきは、まずは次のようなことだろう。
①新型コロナ対策の失敗をこのままにするのか
②格差と貧困で将来不安を高めてきた政治を放置するのか
③改ざん隠ぺい、説明しない政治を続けるのか
そしてその〝先〟に、将来世代を視野に入れた長期的な課題―再分配、あるいは財政、環境などの問題に向き合う、人権という価値観を基礎に据えた新しい時代の「機能する政治」への展望を創りだしていこう。

(「日本再生」509号 一面より 紙幅の関係で紙面では一部割愛しています。)
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第九回大会第八回総会【会員限定】については、11月7日開催を予定していましたが、
総選挙日程との関係で、いったん保留にします。
詳細は改めてお知らせします。

8月22日開催の第七回総会の報告は「日本再生」509号(10/1)に掲載。
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おすすめ
時給は最低賃金の女性ライターと政治家との対談本
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『時給はいつも最低賃金、これって私のせいですか? 国会議員に聞いてみた。』
和田靜香(取材協力 小川淳也) 左右社 1700円

音楽と相撲を中心にライターとして活動してきた和田靜香さん。しかしフリーランスの彼女は、コンビニやパン屋、おにぎり屋などのバイトと兼業しなければ、生活を支えられない。そこに来て「コロナ」である。
ちょっと前までは遠い未来は見えずとも明日は見えると思えていたのに、徐々に明日さえも定かではなくなってきた。このままの社会でいいのか? いいわけがない。じゃ、どうしたらいいの? 分からない、分からない、分からない!
という和田さんは、そのギモンを「なぜ君は総理大臣になれないのか」で記事を書いた小川淳也議員にぶつける。「何が分からないのか、どこから考えればいいのかも分からない」という和田さんに、小川議員は驚きつつも「和田さんが何に困っているか、不安に思っているかを、まずは具体的に提出してください」、「そこからいっしょに考えましょう」と答える。

こうして始まった対談について、大岡玲はこう評している。(日刊ゲンダイデジタル9/13)
「この瞬間、本書は〈日本に住んでいる人みんな〉と〈政治家が車の両輪として〉〈けん引し合って成長し合っていく〉物語として見事に離陸する。
聞き手の立ち位置を、〈真っ暗闇の中を、ずっとひとりやみくもにジタバタしてきた〉〈ヘッポコな大人の私〉においた和田氏の「戦略」は、実に巧みである。大した知識がないにもかかわらず、空威張りで政治や経済に利いた風な意見を持ち、みずからの不安から目をそらす私たちに代わって、著者はわからない政治への不安を思いきり小川議員にぶちまけてくれるのだ。どうしたら政治を信頼できるようになるのか、と」

 小川議員との対談を通じて和田さんは「私の不安は日本の不安だった」と気づく。そして以前は不安の塊があって動けなかったのが、不安の正体が分かれば塊があっても動けるようになった、という。「何をエラソーに!」と言われたとしても、だって、日本を何とかするのは、私たち主権者でしょう? と。
 〈生きづらいのは自分のせい?〉、〈耳タコの人口問題が生活苦の根源〉、〈「なんか高い」では済まされない税金の話〉、〈歳をとると就職できない理由〉といった各章のタイトルにあらわな不安は、わたしたちみんなが抱えている。その不安をそのままにしない政治、いっしょに考えていく政治をどう創っていくのか。
ぜひ、その手がかりをつかむための一助にしていただきたいと思う。

(より多くの人が手に取れるように、図書館でリクエストしてください!)
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-- 石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp