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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□人権や民主主義を自らのものとして内面化する
~中国と対峙する条件を考える

●米中対立は多面的・流動的だからこそ原則が問われる
●中国と対峙するための条件 民主主義の自己修正力・人権規範の拡張
●問われる日本の原則、立ち位置

□第九回大会第六回総会【会員限定】のお知らせ

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人権や民主主義を自らのものとして内面化する
~中国と対峙する条件を考える
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【米中対立は多面的・流動的だからこそ原則が問われる】

バイデン政権で初めて開催された米中の外交トップ会談は、かつてないほどの双方の非難の応酬となった。トランプ政権が人権や技術などを「カード」として中国に揺さぶりをかけていたのに比して、バイデン政権はより戦略的・包括的に中国を「国際システムに持続的に挑戦する競争相手」と位置づけ、民主主義対権威主義という構図の下、同盟国との協調を軸に中国と対峙しようとしている。
今回の米中アラスカ会談の前には、国務長官、国防長官が日本、韓国を歴訪、日米豪印(Quad)首脳会談も開催された。またアラスカ会談の後には米・EUが足並みをそろえて、新疆ウイグルの人権問題について中国当局者に制裁を科した。(ヨーロッパが中国に制裁を科すのは天安門事件以来。)
一方中国も「中国には中国の民主主義がある」、「民主主義を口実にした内政干渉には断固反対」とアメリカを激しく非難。米・EUの制裁にも「人権を口実にして、中国の内政に干渉し、中国の発展を抑えようとしている」、「列強が大砲を設置すれば、中国の門戸を開くことができた時代は既に終わっている。国益や民族の尊厳を守ろうとする中国人民の確固たる意志を甘く見ない方がいい。彼らは、その愚かさと傲慢さの代償を払うことになるだろう」と激しく反発している。

ただ、こうした激しい対立は米中関係の一面にすぎない。佐橋亮・東京大学准教授は、会談での米中の強硬姿勢はそれぞれ同盟国や国内向けのアピールでもあり、対立モードは折り込み済みだったとして、次のように述べている。
「冒頭約1時間のやり取りだけを見て、会談全体が対決モードで終わり、米中の対立が今後も続くと判断するのは尚早だ。ブリンケン国務長官は会談後、報道陣を前に、イランや北朝鮮、気候変動問題など米中の協力が可能な分野に触れており、対中関係を完全に否定しなかった。・・・(中国も)バイデン政権と対話のチャンネルを作ったという意味では完全に失敗したとはいえない。米中双方とも今後につながる布石を残した」(産経3/21)。
ボレル・EU上級代表(外務・安保)とブリンケン国務長官の会合後の共同声明でも、中国との関係は多面的であるとして次のように述べられている。「中国との関係は多面的で、協力、競争および制度的対抗の要素を含んでいるとの理解を共有していることを確認した。両者はまた、経済問題を含む相互主義、レジリエンス、人権、安全保障、多国間主義および気候変動など中国と建設的に関与すべき分野といったテーマについて、高官や専門家レベルでの対話枠組みでの会合を継続することも決定した」(駐日EU代表部・仮訳)。

 21世紀の米中対立は、20世紀の米ソ冷戦とは大きく様相を異にしている。「ソ連とは異なり中国は西側諸国と緊密に結び付いている。この事実は自由主義世界に大きな難問を突きつけている。中国の台頭に伴い、経済的繁栄を維持し、戦争のリスクを抑え、同時に自由社会を守る最善の策とは何かという問いだ」(英エコノミスト 3/23日経)。

 同記事は、政治の抑圧と経済の活況が共存する中国と対峙する上での「難しさ」を列挙する。多国籍企業による中国本土への投資は2020年には1630憶ドルと、どの国よりも多かった。資金の流れは大きく変わろうとしている。中国の吸引力はGDPの規模(18%)だけではない。中国は企業が新しい消費動向や革新的技術を見出す場でもあり、中国が商品価格や資本コストを決めるようになってきている。「中国への強硬姿勢をさらに強めて世界から孤立させ方針転換を迫るという選択肢はある。だがその代償は大きい。世界の工場である中国は世界の輸出製品の22%を生産する。その中国から西側の消費者を切り離せば物価が上昇する。米テック産業から独自動車産業、英銀行業、仏高級品産業、豪州の鉱業まで中国に依存する西側の産業各界は大打撃を受ける。中国にドルの使用を禁じれば世界に金融危機を引き起こしかねない」(同前)。

 こうした現状での中国との関係は、ある分野ではデカップリング(分離)を進め、ある分野では協力し、ある分野では対抗していくという、いわば「まだら状」(川島真・東京大学教授 VOICE2月号)のものとなる。連携を組むメンバーもイシューごとに流動化する。それぞれ異なる対応が「場当たり」「ご都合主義」でないなら、そこにどのような原則が一貫しているかが問われる。言い換えればわが国にとっては、旧来の「政経分離」という都合のいい言い訳や、一つ覚えの「日米基軸」が通用しないことを意味している。


【中国と対峙するための条件 民主主義の自己修正力・人権規範の拡張】

 気候変動をはじめさまざまな課題において、中国と協力すべき分野やテーマは決して少なくない。他方で人権や民主主義などの普遍的な価値に関わって譲歩すべきではない分野、テーマも少なくない。

 米ソ冷戦終結後、グローバルな単一の世界市場がはじめて登場した。改革開放・社会主義市場経済に舵を切った中国もそこに加わることによって、やがて民主化の方向に進むだろうと期待された。しかしそうはならなかった。中国はグローバル化の恩恵をもっとも受けた国の一つだが、習近平体制の下で、政治の抑圧と経済の活況が共存する状況が鮮明となっている。そして「中国には中国の民主主義がある」という民主主義の独自の定義で人権弾圧や政治的抑圧を正当化し、他方で先進国における民主主義の〝危機〟を指摘して共産党一党支配の有用性や効率性をアピールしている。
こうした中国にどう対峙するか。

 「反民主化の傾向は2000年代後半から強くなっている。中国を抑えれば世界は民主化に戻っていく、というのは楽観的な捉え方ではないか。民主主義が退潮傾向にあるのは冷戦後に教条主義に陥ってしまったからだ。・・・民主主義もその社会の風習、習慣、価値観と組み合わさってはじめて成り立つ。幅のある民主主義のあり方を提示できないと、民主主義国は少数派の立場を変えていけない」(中西寛・京都大学教授 「バイデン政権下の日米中関係」3/17日経)。
 ここで問われているのは「〇〇流の民主主義」ということではなく、民主主義の自己修正力や復元力だ。民主主義や人権は大国の外交カードではないし、先進国が途上国に説教する教条でもない。人々が互いの人権を尊重しながら合意形成のプロセスを重ねていくところにこそ、民主主義は鍛えられる。台湾、香港、タイ、ミャンマーなどの民主化運動のなかでの中国に対する警戒感も、そうしたところに根差している。だからこそ民主主義や人権を「米国につくか、中国につくか」という陣取り合戦のコマのひとつとして扱うのではなく、市民社会が民主主義の自己修正力や復元力を鍛えていく国際的な連帯・共同として深めていかなければならない。

 安全保障も、より多面化する。経済力、技術力、軍事力をテコとした中国の揺さぶりに対峙する体制を構築することは、われわれの社会が民主主義や人権の侵害に毅然として対処できるようにすることを意味している。
バイデン政権は気候変動を安全保障上の重要課題と位置づけ、ロシアや中国とも協力するとしている。温暖化対策は地球的な課題であることは間違いないが、同時にエネルギー革命やデジタル化など、次世代の産業構造をめぐる熾烈な競争でもある。ここに「気候正義」という観点が入るかどうか。温暖化対策を国家間の利害調整や競争に終わらせず、社会のより一層の民主化、より一層の不公正の是正へとむすびつけていけるか。温暖化対策では多国間の協調だけではなく、NGOなどの市民社会や社会運動が大きな力となってきた。今後さらにそれが必要だろう。

 経済安全保障についても、デジタル・ネットワーク、情報通信、エネルギー、サプライチェーン、決済システム、技術開発などグローバル化を支えてきたシステムについて、見直しや新たなルールづくりが必要になる。
例えばデジタル化に伴う情報の民主化の国際ルールづくりによって、中国流の監視社会化や検閲をどう阻止するか。
デマと扇動を繰り返したトランプ前大統領のSNSアカウントは、議事堂襲撃という事態に至ってようやく事業者によって閉鎖された。しかし、言論や表現の自由にかかわる規制を民間企業の判断で行うことが、民主的社会のあり方として望ましいのか。ドイツでは公共性のあるネット空間が民間企業によって恣意的に規制される危険性と、規制されずに差別や暴力が扇動される危険性について厳しい議論を重ね、法による規制に踏み込んだ。国家によって表現や言論の自由が規制されることを防ぐため、規制はあくまでも国際人権法が求めるとおり「法律に則って」行うという姿勢だ。
いずれにしろ、どのような言論空間を構築し、どのような民主主義を目指すのか、そのための共通のルールのあり方を多国間で協議することなしに、デジタル技術を使った中国流の監視社会や検閲に対峙することはできないだろう。

あるいは多国籍企業による租税回避を防ぐグローバル・タックスの取り組み(参照「グローバル・タックス」諸富徹・著 岩波新書)。2020年末の時点での米中の投資関係は公式統計の5倍と推計されており、このような不整合の原因はタックスヘイブンを利用した租税回避にあると言われる。こうした不公正を是正するルールづくりを通じて、民主的で公正な社会をめざす側を強化していけるか。
また人権侵害や環境破壊をともなう投資や経済活動も検証される。例えばいくつかの著名なブランドが、ウイグル自治区での強制労働や人権侵害が疑われる新疆綿を使用しないと表明。これに反発した中国は不買運動を呼びかけ、ネット通販でそれらのブランドが購入できなくなったり、実店舗が閉鎖されたりしている。一方アシックス中国法人は、「中国に対する一切の中傷やデマに反対する」との声明を、日本の本社の了解を得て発表。SDGsが単なるスローガンなのか、企業の対応も厳しく問われる。中国に過度に依存してきたビジネスモデルが果たして持続可能なのか、その転換も迫られなければならないだろう。

さらに他国の人権侵害を問うことは、自国の社会のあり方を問うことにもつながる。中国はアメリカのBLM運動を取り上げてアメリカの人権問題を批判するが、BLM運動が内包しているのはアメリカ社会の再定義であり、人権規範の拡張と内面化である(5-7面 南川教授インタビュー参照)。民主主義の強さはこうした内省にこそある。
自由や民主主義、人権といった普遍的価値を深める側に立って、中国にすり寄ることなくどう付き合うのか。そのためには必要なのは民主主義の自己修正力・復元力を鍛えることであり、人権規範を内面化してそれぞれの社会のあり方を不断に再定義し続ける内省力を育むことだろう。


【問われる日本の原則、立ち位置】

 4月に予定されている菅総理の訪米では、共同声明に台湾が明記されると言われている。米インド太平洋司令官は上院の公聴会で、6年以内に中国が台湾に軍事行動を起こす可能性があると警告している。日本が日米安保のキモと考えてきた「尖閣防衛」はすでに「台湾有事」の一部になっており、日米防衛協力もそれに対応するものへと変化している。
 中国が台湾に侵攻すれば限定的な武力行使ではすまない。日本列島は中国のミサイル攻撃の最前線になるだろう。こうした中国の冒険的な行動を抑止するためには外交を含めた総合力が問われる。
 民主主義や人権といった価値観を「押し付ける」先進国に反発しつつ、中国に対しても警戒感を持つ国々は少なくない。中国は、それらの国々を「静観」させるだけの軍事力、経済力を有しつつある。中国に「高い代償を払うことになる」と意識させるには、それを上回る「何か」が必要だ。

例えばミャンマーではクーデターに対して不服従運動で抗議する市民の側に立つのか、市民(子どもさえも)を狙い撃ちして憚らない軍の側に立つのかが、欧米と同一歩調をとってこなかった日本やASEAN諸国に対しても問われている。軍とNLD双方にパイプがあるという日本の立場は、民主主義の側に立つという原則が明確なら利点ともなりうるが、その原則があいまいなら「どっちつかずの信頼できない国」ということにしかならない。中国も軍とNLD双方にパイプがあったが、国軍を非難しないとして抗議活動の標的となっている。
 民主主義や人権という価値がそれぞれの社会で内面化されていくにしたがって、中国と日本(日米)の間でバランスを取るという各国の立ち位置も微妙に変化せざるをえない。日本の立ち位置も問われる。「制裁はミャンマーを中国寄りに追いやる」という言い訳は、米中どちらをとるかの「踏み絵」を迫るしか能のないアプローチと表裏一体でしかない。
民主主義や人権は、もはや先進国だけのものではない。台湾や韓国では、社会運動によって政権が誕生するようになった。この地域において幅のある民主主義のあり方を提示し、支えていく役割をどう担うか。それに裏打ちされるパワーなのかが、中国と対峙するうえでは問われる。

 また菅総理は訪米時に、バイデン大統領を東京五輪に招待するという。新型コロナの感染拡大が収束する見通しのないまま、本当に開催を強行するのかという問題はさておき、森発言をはじめとして、東京五輪はジェンダー平等や人権など、五輪憲章に謳われている理念とはおよそかけ離れた日本の実態を国際社会にさらけ出している。
「福島の復興」のはずが、いつの間にか「コロナに打ち勝った証」になり、コロナ収束のメドもないまま始まった聖火リレーは、被災地でスポンサー企業が大音量の大型デコレーション車両を連ねる醜悪な商業主義を見せつけている。「開催さえすれば、みんな感動して終わる」ということなら、スポーツの世界でも人権が問われている国際社会でさらに恥をさらすことになるだろう。

 昨年秋、不法滞在者などを長期に拘束する日本の入国管理収容制度について、国連の作業部会が「国際人権法に違反している」との意見書を日本政府に送った。折しも入管法の改正案が国会に提出されている。長期収容を解消するためというが、難民認定率がわずか0.4パーセント(19年)では、難民条約の精神や国際的な水準を踏まえれば難民と認められるべき人が、認められずに収容されていることは明らかだ。ところが改正案では、3回以上の難民申請者は原則強制退去とするとしている。これでは人権侵害の上塗りというほかはない。日本社会の一員として私たちは、平和と人権の祭典としてのオリンピックを開催する資格があるのか、を問うべきではないか。
 北京オリンピックは国威発揚として開催された。リオ・オリンピックは(問題は多々あるものの)難民選手団など「多様性」をコンセプトに開催された。オリンピックでも日本の立ち位置、原則が問われている。

(「日本再生」503号一面より)
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第九回大会第六回総会【会員限定】を、以下のように開催します。
5月9日(日) 13時から17時
ZOOMにて
テーマ:第十回大会にむけて

詳細は改めてお知らせします。
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-- 石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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