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メルマガ♯がんばろう、日本!         №262(20.6.1)
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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ withコロナという新しい日常を、持続可能な社会・経済への構造転換とするために

●「今だけ、自分だけ」の消費拡大から、〝いのちとくらし〟を内部化する経済へ
●「グリーン・ニューディール」という軌道の転換と、新しい担い手

□ 小川淳也議員のドキュメンタリー映画!
「なぜ君は総理大臣になれないのか」

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withコロナという新しい日常を、持続可能な社会・経済への構造転換とするために
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【「今だけ、自分だけ」の消費拡大から、〝いのちとくらし〟を内部化する経済へ】

 「封鎖」が、世界各地で緩和されつつある。日本でも緊急事態宣言が解除された。言うまでもなくこれは「終わり」ではなく、withコロナという新しい日常の始まりだ。それはこれから何か新しいことが起きるということではなく、すでに起きていた変化がより劇的に表れることを意味している。
 「人々の移動を止めざるを得なくなったことで、世界経済はまひした。このことは新自由主義的なグローバル化への反発も高めるでしょう。ただこうした反発でさえも、私たちは『すでに知っていた』のです。16年の大統領選挙でトランプ氏が勝ち、英国は欧州連合(EU)からの離脱を国民投票で選びました。新型コロナウイルスのパンデミックは歴史の流れを変えるのではない。すでに起きていたことを加速させ、その亀裂を露見させると考えるべきです」(エマニュエル・トッド 朝日5/23)

 5月下旬の時点で全世界の感染者は約550万人、およそ三割がアメリカで死者は十万人を超えようとしている。そのアメリカに次いで急速に感染者・死者が増えているのが、ブラジル。「ブラジルのトランプ」と称されるボルソナロ大統領は、一貫して新型コロナを「インフルエンザのようなもの」として防疫対策を取らず、経済活動を重視している。秋の大統領選での再選を至上命題とするトランプ大統領も、経済活動再開に前のめりだ。その経済活動においては多くの人々が、感染におびえながら(在宅に置き換えられない)仕事をするか、ウイルスが経済を縮小させたために失業するか、そのいずれかに直面させられている。
生命・健康か生活の糧か、という二者択一を迫られる「経済」とは何なのか。コロナ以前から生活が危機にさらされてきた人々にとって、相変わらず危機は日常だ。アメリカやブラジルの例は、その「すでに起きていたこと」を加速させ亀裂を露見させる。

終わりなき資本蓄積という新自由主義経済の運動が、社会の持続可能性そのものを破壊するところまで加速されつつあるときに、その破局に備える社会の復元力がどれだけ準備されているかが試される。すでにコロナ以前に、例えば気候危機をめぐって発せられていたその問いを、さらに深化させることができるか。
 「コロナウイルスのような種を超えた感染は人類の文明による環境破壊の結果である。生物学的な危機が経済危機を誘発して世界史を逆回転させている。地球環境が示すように人類に残された時間は少ない。私たちは、いま不意に訪れたこの世界の停止を、グローバル化を進めてきた経済とテクノロジーの運動をいちど根源的に考え直すための、現象学がいうような意味での、エポケー(本質的反省のための停止)の機会と捉えるべきではないのか。生物の生のための環境は人間の経済にとっては『外部性』とされてきた。しかし、生政治も環境政治も、本当の意味での生物政治、地球政治へと次元を上げることを求められている」(石田英敬 日経5/8)

 「すでに起きていた変化」が加速されるさまを、例えばデヴィッド・ハーヴェイはこう描く(「COVID-19時代の反キャピタリズム運動」世界6月号)。
「…最も大きな脆弱性は…二〇〇七~〇八年以後に急拡大した消費様式が崩壊し、壊滅的な結果がもたらされた。これらの消費様式は、消費の回転期間を可能なかぎりゼロに近づけることにもとづいていた。…その象徴は国際観光業であった。二〇一〇年から一八年にかけて、国際観光客数は八億人から一四億人へと増加した。(これによって多くの投資を吸収してきた空港、航空会社、ホテル、レストラン、テーマパーク、イベント、またそれらに伴うギグ・エコノミーなどの不安定雇用が、コロナ禍では機能不全に陥っている/引用者。) 
しかし、現代の資本主義の七割あるいは八割方でさえも牽引しているのは消費である。…資本はますます需要主導型、必要主導型のものになっている。…だが新型コロナウイルス感染症を根底にして、大波乱どころか、大崩壊が、最富裕国において優勢な消費形態の核心で起きている。終わりなき資本蓄積という螺旋形態は内に向かって倒壊し、しかもそれは世界の一部地域から他のあらゆる地域へと広がっている。この事態を救えるものが唯一あるとすれば、政府の助成で刺激された大量消費様式を、魔法のごとく無から生み出すことである。このためには、例えばアメリカ経済全体の社会化が必要になるであろう。それを社会主義と呼ばないにしても、である」。
 「ここに究極の皮肉がある。つまり、経済的にも政治的にも有効になりうる政策は、バーニー・サンダースの提案以上にはるかに社会主義的であり、しかもこれらの救済計画がドナルド・トランプの庇護のもとで――おそらく『アメリカを再び偉大にする』との仮面のもとで――着手されなければならないということだ」。

コロナ禍からの「回復」に際して、各国は大規模な財政出動を行うことになる。リーマンショックでは、中国の巨額のインフラ投資が世界経済の回復をけん引したと言われている。欧米各国においては主にグローバル金融資本が救済され、金融緩和による景気刺激策が採られてきたが、その効果はコロナ以前からすでに限定的であり、先述したような脆弱性をはらむものだった。
パンデミックで急停止した経済を大規模な財政出動によって維持することは、社会が生き延びるために当面は必要だ。問題は、新自由主義経済の下で繰り返されるこうした破局的危機の先に何を見すえるのか。そのことが問われている。

 新自由主義経済の下では、生存の基盤としての自然環境や、社会を維持するための共有財産、社会関係資本といったものは外部化され、(コロナ禍で明らかになったように公衆衛生をはじめ)公共領域の多くが民営化され、自己責任・受益者負担として商品化されてきた。
〝いのちとくらし〟を野放図に外部化し続ける経済の行きつく先が、コロナ禍で明らかになっている。私たちが目指すべきなのは、大規模な財政主導による「今だけ、自分だけ」の消費拡大ではなく、〝いのちとくらし〟を内部化する経済、社会の持続可能性の基礎たりうる経済のあり方ではないか。

経済学の泰斗・宇沢弘文は、私有財産でもなく国家財産でもない、市民の共有財産としての「社会的共通資本」という視角を資本概念に加えた。その「社会的共通資本」は、つねに補充され、拡張されなければならない。それが豊かな社会の基盤になっていく。そしてこうした社会的共通資本の管理・維持は、国家や企業によってではなく、関係する団体やコミュニティによってなされるべきだと主張した。こうした自己決定・自己統治は、民主主義の基盤でもある。
「時間かせぎの資本主義」(W・シュトレーク)の破局にどう備えるか。危機のときに政府は瓦解することもある、その時にも社会には残すべき価値があるのか。「今だけ、自分だけ」の経済なのか、社会の持続可能性―いのちとくらし―を内部化する経済なのか。3.11以降、こうした変化は点として見え始めてきた。この「すでに起きていた変化」を、より加速化することが問われている。

【「グリーン・ニューディール」という軌道の転換と、新しい担い手】

「新型コロナによるパンデミックは、間違いなく戦後最大の災厄の一つだが、それが経済に与えるショックの大きさもまた、戦後最大かもしれない。経済収縮というショックをもたらすだけでなく、パンデミック後の経済の姿を大きく変えていく力をもつかもしれない。それは、対面接触をできる限り避けつつ円滑な経済活動を可能にする『非接触経済』ともいうべき、新しい経済システムの樹立をもたらす」(諸富徹「日本資本主義とグリーン・ニューディール」 世界6月号)。
オンライン化をはじめとするこうした変化もまた、「すでに起きていた変化」の加速化であると同時に、より広い文脈においては「資本主義の非物質主義的転回」の加速ともとらえられる。「資本主義の非物質主義的転回」とは「現代資本主義が生産と消費の両面で『物的なもの』から『非物質的なもの』へと重点を移行させることを意味する」(諸富「資本主義の新しい形」岩波書店)。その典型的な例が脱炭素化だ。
「脱炭素化を図りつつ成長しようとすれば、事業・産業の構造転換を進め、エネルギー集約型の産業構造から、より知識集約型の産業構造に転換する必要がある。それは同時に『情報化』『無形資産化』『サービス化』『デジタル化』を推進し、無形資産を核とした新しいビジネス構造へ移行する途と、多くの点で重なり合っている」(諸富 前掲書)。

アメリカ民主党の一部が提起する「グリーン・ニューディール」や、欧州連合の「グリーン・ディール」は、こうした産業構造転換のための移行を推進していくプログラムである。言うまでもなく、ニューディールとは一九三〇年代の世界恐慌時に大規模公共事業によって雇用を創出しようとした政策である。「グリーン・ニューディール」や「グリーン・ディール」も若者の雇用創出を含んでいるが、欧州連合の「グリーン・ディール」は、二〇五〇年までに産業部門からの温室効果ガス排出を実質ゼロにすることを目標としている。
つまり経済成長と気候変動をトレードオフとする二〇世紀型の産業・経済構造から、脱炭素化と成長を両立させる二一世紀型の産業・経済構造への転換であり、パンデミックはこうした「すでに起きていた変化」を加速化させる可能性があるということだ。

翻って日本はどうか。グリーン・ニューディールの議論はおろか、産業構造のあり方をめぐる議論も皆無。それどころか、異次元金融緩和の下で多くの大企業の筆頭株主が日本銀行になっており、「親方日の丸」どころか、国家資本主義の様相さえ呈している。その一方で低賃金・不安定雇用の増大や過剰な東京一極集中など、社会の持続可能性は大きく棄損されている。

パンデミックによる経済収縮という外部からのショックを、日本においてこれまで遅々として進まなかった構造転換の契機とすることができるのか。
「重厚長大産業、あるいは温室効果ガス大量排出業種が長らく政治的に強い影響力を行使してきた日本では、デジタル化や脱炭素化への遅れが生じ、それが日本経済の成長の足を引っ張ってきた。グリーン・ニューディール政策は、この点で過去の産業政策の桎梏からの脱却を図り、『非物質化(デジタル化)』と『脱炭素化』に取り組むことにより、労働生産性と炭素生産性を引き上げ、日本経済を新しい成長軌道に乗せる役割を担う必要がある。
~中略~これまで日本企業は、人的資本への投資を節約し、賃金を抑制し、そして環境保全への積極的な取り組みを控えることによってコストを削減し、利潤を確保しようとしてきた。だが、そうして日本経済は成功してきたと言えるのだろうか。・・・逆説的にみえるが、人への投資を増やし、賃金水準を引き上げて所得分配を改善し、そして環境保全により多くの投資を行うことこそが、実は成長への近道となる。短期的にはパンデミックからの脱却、そして中長期的には脱炭素化によって、究極的には『人類が生き延びる』ことに寄与する産業こそが生き残る。グリーン・ニューディールがこうした新しい経済発展の道を切り開く転轍手となることを期待したい」(諸富 世界6月号)

シュンペーターは、イノベーションは軌道の転換と新しい担い手によってもたらされるとしている。軌道の転換―転轍とは、前述のグリーン・ニューディールにあらわされる。では新しい担い手とは。
ここでは時間の使い方―時空観の共有―が重要になる。「時間かせぎの資本主義」といわれるように、限られた時間をどこに向かってどう使うのか、その軸の共有だ。
例えば新型コロナ対策で、安倍政権はオリンピックや習近平来日、春節の観光客などを考慮して判断を先送りし、時間を失った。その次には、政権延命のためにこの危機をどう利用するか、ということで場当たり対応を繰り返した。それでも対応不能になると、「やっている」感も放棄して他人任せ。(参照:牧原出「前のめりの『専門家チーム』があぶりだす新型コロナへの安倍政権の未熟な対応」論座5/2)

「今だけ、自分だけ」という時間の使い方は、消費者民主主義―無責任連鎖に共通している。モリ・カケや桜といった平時の政権私物化が、緊急時には「社会崩壊も我関せず」という自己保身へと肥大化している。一方で消費者民主主義の「弱い」環のなかからも、自分の小さき意思があれば「社会のためにできることを」という分解が生まれてくる。カミュの『ペスト』は、こうした凡庸な人たちの非凡な強さを描いている。
そこから旧来にはなかった声が上がるようになる。そのなかには当事者性(自分事にする)までは無理でも、共事者性(共有)ならできる、という分解もうまれてくる。

コロナ禍での検察官人事をめぐる世論の動向は、そうしたことの反映でもあるだろう。ここでも、目先の支持率と選挙だけしか考えていない「今だけ、自分だけ」では、ネット世論ばかりを気にして場当たり策が乱立し、無責任連鎖が肥大化する。一方で今回のツイッターデモを分析したデータアナリストは、大きなうねりを作り出したのは多数のフォロワーを持つ有名人だけではなく一般ユーザーの数も多かったこと、また「全体を通じてみると、中身について考察している解説記事や法案について説明するブログを参照し拡散している投稿が多い印象なので、問題の中身を知ろうとしているユーザーが多かったのではないか」と解説する。単に反射神経的にリツイートするのではなく、法案のことを勉強しようとする姿勢が垣間見えるという。(ハフィントンポスト5/19「"Twitterデモ"の正体は何か。「#検察庁法改正案」一般ユーザーの投稿から見えてきたもの」)

「今だけ、自分だけ」では感染するのも自己責任、ということになるが、withコロナで必要な行動変容のためには、自分だけではなく他者を感染から守る、という視点が不可欠になる。普通の人が〝いのちとくらし〟について他者とともに考える。そういう新しい日常のなかから、点在する「社会のために」という小さき意思を線へ、さらに面へと広げていこう。

(日本再生493号 一面より)

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●小川淳也議員のドキュメンタリー映画!
「なぜ君は総理大臣になれないのか」
6/13よりポレポレ東中野、ヒューマントラストシネマ有楽町などで公開予定
http://www.nazekimi.com/
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小川議員へのダメ出しのようなタイトルだが、見終わって気づく。
問われているのは、有権者である私たちなのだと。
(上西充子 国会パブリックビューイング代表/法政大学教授)

監督の寄稿(論座)
映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』を撮って~小川淳也との17年
大島 新 ドキュメンタリー監督
https://webronza.asahi.com/national/articles/2020052900010.html

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-- 石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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