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「がんばろう、日本!」国民協議会
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Index 
□ 低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
  縮退時代の争点設定で、民主主義をバージョンアップさせることができるか

● 低投票率の構造にどう向き合うか  
  埼玉県知事選が示唆するもの

● 新たな争点設定と、その主体性が問われている

□囲む会(東京9/17)のお知らせ
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低投票率の構造のまま民主主義を衰退させるのか、
縮退時代の争点設定で民主主義をバージョンアップさせることができるか
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【低投票率の構造にどう向き合うか  埼玉県知事選が示唆するもの】

 8月25日投開票の埼玉県知事選挙。当初は知名度で優勢とされていた自公推薦候補を破り、国民民主党を離党し「県民党」として戦った大野氏が当選を果たした。マスコミでは「与野党一騎打ち」と評されるが、大野氏は国政政党の推薦を要請せず(県連レベルでの支持)、草の根からの支持を積み上げて猛追した結果だ。既存政党の枠組みでは、埼玉県知事選の教訓は見えない。
 「日本再生」482号のインタビューで大野氏は、「無所属県民党」として、永田町の力学や関係に左右されない勝手連的なネットワーク型の選挙に取り組むこと、これはある意味で「壮大な社会実験」ともいえるが、これまでどおりの選挙では十年後に向けた舵は切れない、との趣旨を述べている。
 
 ポイントは、前回県知事選から5・68ポイント投票率がアップしたことだ。32・31という投票率は全国的にみれば「ワースト」の範疇だが、それでも統一地方選、参院選と続いた後の単独選挙で6ポイント弱投票率を上げるには、それだけの県民が投票所に足を運ぶ気になる選挙戦を展開できなければならない。
 「投票に行こう」というキャンペーンだけでは―どんなに斬新なキャンペーンでも―、投票率は上がらない。低投票率は「争点の不在(争点隠し)」や「政治不信、無関心」の結果であり、その構造を変えるような争点設定や選挙戦の展開によって、いわゆる無党派層の数ポイントが動き投票率が上がる結果、組織票のウェイトが相対化されることになる。

 今回の埼玉県知事選は、その典型だろう。自公推薦候補は参院選のときから参院選候補と二人三脚で活動し、知事選では官邸直結をアピール、業界団体や県議後援会などの組織固めに徹したという。大野氏は上田知事の応援を受け、連日朝から夜まで街頭に立ち、一人ひとりの有権者と目線を合わせて政策を訴え、対話することに徹した。

 出口調査によれば、大野氏は▽立憲民主、共産支持層の8割▽国民民主の7割▽社民の6割を固めたほか、自民の3割▽公明の2割にも食い込み、無党派層からも6割の支持を集めた。一方の青島氏は推薦を受けた自民、公明支持層の7割、日本維新の会の6割の支持も集めたが、無党派層は3割にとどまった。

 争点設定という側面でも、この出口調査によれば、大野氏に投票した人の6割が「政策・公約」を基準に投票、「支持政党や団体の推薦」が2割で続いたのに対し、青島氏は「政策・公約」「人柄・イメージ」が3割ずつ、「支持政党や団体の推薦」が2割だ。

 争点設定というと、「○○に賛成か反対か」とイメージしがちだが、争点は「与えられる」ものではなく「有権者が作る」ものだ(総会 江藤先生提起など参照)。つまり「政策・公約」で判断しようとする有権者に、投票所に足を運んでもらうことができてこその争点設定だ。
 その意味で、選挙直前に自民党が多数を占める県議会で急遽特別委を設置した「県庁建て替え」は、自公候補の「公共事業を増やす」公約とともに、「何のために、何に投資するのか」が、有権者からは争点化されたかもしれない。大野氏は「公共事業は必要かどうかであって、増やすことが目的ではない」「県庁建て替えより県民に必要なことがある」と訴えた。

 低投票率という現象の背景にある構造――選挙や政治が、くらしの問題と乖離している――に、どう向き合うか。埼玉県知事選の教訓は、この視点から統一地方選、参院選を総括する必要があることを示している。

【新たな争点設定と、その主体性が問われている】

 現代の民主主義の死は選挙から始まる、といっても過言ではない。「民主的」な選挙で選ばれた権力によって、立憲民主主義のルールや仕組みが死に追いやられていくプロセスは、先進各国でも繰り広げられている。わが国におけるその起点は、低投票率にあるといってもよいだろう。「安倍一強」を支えているのは、熱烈な支持というよりも、低投票率に表される「無関心」という「空気」だ。

 いわゆる「安倍支持の空気」といわれる心象風景は、例えばこういうものだろう。「政治は助けてくれない/だから変わらなくていい」、「だって自己責任でしょ」。あるいは「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためのものでしょ」と。くらしの問題は私生活やマーケット・経済の領域で自力で解決することであり、そこに「政治」はかかわってこない。

 こうした「無関心」の構造について、総会で江藤・山梨学院大学教授はシビル・ミニマム≠手がかりに、以下のように述べている。(6―9面参照)
 60年代、70年代の社会資本の充実(シビル・ミニマム)を求める市民運動は革新自治体を生みだし、投票率も保たれていたが、社会資本がある程度整備され「総与党化」の流れが始まるのと並行して、投票率は低下していく。その背景には、社会資本の適正水準は多様であることから、一定水準以上は個人の選択・責任であるとして「政治」より「私生活」や「経済」の領域が重視されるようになったことがある(脱シビル・ミニマム)。

 この自己責任論が新自由主義の下でさらに肥大化し、今日の「無関心」の地層に連なっている。縮退社会に向かうなかで、ここにどのように「新シビル・ミニマム」を争点設定できるのか。そしてその担い手―主体をどうつくりだしていけるのか。これが「ポスト安倍政治」の問題設定である。

 争点は自然発生的には浮上しない。例えば参院選で有権者がもっとも重視した政策は年金・社会保障だったが、与党は選挙前の国会審議に応じず、政府は本来なら選挙前に公表すべき、法律で義務付けられた五年に一度の年金財政の検証すら、選挙後に先送りした。権力側は争点を隠す。

また社会保障の財源として議論すべき財政についても、「財政民主主義という観点をあいまいにしているから、消費税も『今は増税する時期か』とか、何パーセントならいいのかという状況論に終始する。これでは争点化できません。
税金は金持ちや特権階級からとればいい、という時代ではなくなった、つまり財政民主主義というときにどうするか。自分たちの必要を支えるために政府を構成し、そのための財源を広く参加して支えるということです。そういうことが全部抜けて、『景気がいいかどうか』、『どの時期に増税するか』だけになっている。『金持ちから取れ』というのは、その裏返しです。増税不要論と先送り論がコインの裏表のようになって、社会の持続可能性という肝心な問題は争点化されないまま―非決定―になる」(戸田代表 総会 10-11面)。

争点は自然に浮上するものではないし、「与えられる」ものでもない。作り出すものだ。誰が? 市民が主権者として。

自己責任論は、一方に「自分の生活は自分でなんとかするしかない。政治って、それができない人のためでしょ」という「無関心」を生み出しているが、他方で「少なくとも自分の人生は自分がオーナーだ」という生き方も生まれている。
レールのない時代、自分の人生は自分が切り開いていくしかない。自分の人生は自分で切り開かなくてはならないからこそ、人間としての尊厳や生存権は社会が、したがって政治がちゃんと保障せなあかんのじゃないかと。

ここから新たな政治との向き合い方―「くらしとせいじ」という再政治化―争点設定をどのようにできるか。
こうした意味での「新シビル・ミニマム」について、高度成長期のシビル・ミニマムとの対比から、以下のようなことがいえるだろう。

ひとつは人口減・縮退社会という価値観の転換。経済も人口も右肩上がりで増えるときの「分配」をめぐるものとは、争点設定の軸がまったく違ってくる。結論を先取りして言えば、経済成長を前提にしたビジョンから、持続可能性を前提にしたビジョンへ、政策思想の軸の転換を伴うことなしに争点化はできない。この点で財政は重要なポイントになる。

もうひとつは多様性。シビル・ミニマムのニーズも適正水準も多様化している。同時に、その供給主体も公的部門だけではなくNPOや企業など多様化している。そのなかで「公的」な役割とはなにか、私的な領域、マーケットで解決できるものはなにか、人々の共同・協働の領域とはなにかを、再定義していくこと。その際には「課題を共有するところに公共は生まれる」ということが、基本的な指針となるはずだ。

そして「誰が」争点設定するのか。
シビル・ミニマムは、第三者が「これが適正だ」と決めるものではなく、市民参加や熟議によって達成されるものであるとされる。新シビル・ミニマムも、多様な市民が主権者として参画することで争点化される。そこでの市民参画は、行政や政治を市民が「下から」動かすというよりも、市民が主体的なアクターとしてかかわっていくことによって切り開かれるだろう。例えばこのように。

 「今日社会や地域で起きているさまざまな問題、市民の困りごとは、多岐にわたっています。空き家の問題、バス路線の廃止の問題、公共施設の縮小や維持の問題、ブラック企業や過労死や自死の問題、シングルマザー問題、子ども達の不登校やいじめや虐待など、新たな貧困と格差がますます広がっています。 
 これらの問題は、これまでの人口が増加して行く右肩上がりの時に制定された制度の外で起きている問題であり、市民が行政や政治にお願いするだけでは解決出来ない問題ばかりです。
私たち市民一人一人が当事者意識をもって、今自分が直面していない問題でも、私の問題ではなく、私たちの問題としてどこまで主体的に受け止め、社会参加して行けるかが、大きなポイントです」

 これは埼玉県知事選における大野候補の越谷での個人演説会、司会あいさつの一部。この個人演説会は、従来とはまったく違う市民主導で行われ、六人の市民がそれぞれの当事者性からくらしとせいじ≠訴えた。そこに込められているのは、私や私たちの困りごとは誰かに依存することで解決はできない、市民自身が当事者であり、これからの地域社会の主体的責任者であるということを、選挙という場を通じて可視化していこうという試みだ。
http://www.ganbarou-nippon.ne.jp/diary/diary-now.html

 低投票率の構造―消費者民主主義・自己責任・無関心―のまま、民主主義を衰退させていくのか、縮退時代の争点設定―再政治化から民主主義をバージョンアップさせることができるか。ポスト安倍政治の舞台は、このように設定されるだろう。

(「日本再生」484号 一面より)
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□第202回 東京・戸田代表を囲む会
「『支え合わない国』?私たちの税と社会保障」(仮)
ゲストスピーカー 高端正幸・埼玉大学准教授

9月17日(火) 1845から
「がんばろう、日本!」国民協議会 事務所(市ヶ谷)
参加費 同人 2000円  会員 1000円
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□立川市長選
8月25日告示、9月1日投票。四選をめざす現職に、酒井大史・元都議が挑みます。

「つくる。新時代立川!の会」ホームページ
http://www.tachikawa.website/index.html

立川市にお住まいの方、また友人、知人へのお声かけを、ぜひ!
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-- 石津美知子
「がんばろう、日本!」国民協議会
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